- 1577年(天正五年)成立の「近江安土山下町中掟書」第一条に楽市楽座の規定。
- 安土近辺を通過する旅人はみな安土に宿泊すること、
普請や伝馬の労役を免除すること、
近江での馬の売買は必ず安土で行う事、などが定められている。
- ルイス・フロイス『日本史』によれば、天正九年ごろの安土山下町の人口は六千人、とのこと。
- 町の中にはセミナリヨ(キリスト教神学校)もあったという。
(『戦争の日本史13 信長の天下布武への道』谷口克広)
- 城下町が所在していたのは、もともとは豊浦庄、および佐々木庄。
そのうち豊浦庄は
聖武天皇の時代から
薬師寺の荘園だった所で、
薬師寺別当
興福寺の管理下にあった土地だという。
(『シリーズ「遺跡を学ぶ」002 天下布武の城
安土城』木戸雅寿)
最終更新:2011年08月29日 10:24