重源


  • 源平争乱の際、平重衡が奈良の東大寺大仏殿に火を放ち焼けてしまったのを、
   六十歳を過ぎてから勧進によって再建しようとした。

  • 本拠は高野山の真別処(新別所)だったという。

  • 『愚管抄』に、「東大寺ノ俊乗房ハ、阿弥陀ノ化身と云コト出キテ、
   ワガ身ノ名ヲバ南無阿弥陀仏と名ノリテ……」とある。
   法然の念仏思想は絶対他力だが、重源は若いころ真言密教の行に打ち込んだことから、
   即身成仏の論理で自身が阿弥陀仏であると思い、また主張できた、と司馬翁談。

(zsphereコメント;これを最初読んだ時は爆笑したなぁ。そんな無茶なw
             もちろん、浄土教の常識で言えばあり得ないトンデモ説なんだけど、
             同じ仏教内でも論理が混線するとこんなヘンテコな話に発展するのか、と
             妙な感心をしてしまった覚えが)

(『街道をゆく 9』司馬遼太郎)



最終更新:2011年12月30日 16:08