東大寺

   二万数千個の玉が散りばめられており、さらにその宝冠に八個の硬玉ヒスイ製の勾玉が垂下してあるという。
   この勾玉については、産地である糸魚川や青海の玉作り遺跡の操業年代を考慮すると、
   おそらく同時代のものではなく、2~3世紀前に作られたものが使用された可能性が高い由。


  • 2014年、東大寺旧境内、大仏殿から北へ約470mのところに、和同開珎(708年鋳造開始)を5枚入れた
   須恵器の壺が発見されている。
   出土地点は756年(天平勝宝八年)成立の「東大寺山堺四至図」に記された東大寺の北辺の土塀に近く、
   また大仏殿の南北軸にほぼ乗っている地点、ちょうど東大寺境内を眺めおろせる位置にあたる。
   現在の東大寺末寺空海寺の東側丘陵にあたる。
   埋められた年代が、大仏や大仏殿建立の時期(750年代)に重なる可能性もある。
   恐らくは地鎮目的のものと思われるが、東大寺全体への地鎮かどうかについては一考の余地があるとのこと。




      年表

  • 755年(天平勝宝七年) 鑑真により、日本初の戒壇が設置される。





      参考文献

『日本神話の考古学』森浩一

毎日新聞ウェブ 2014年7月10日記事


最終更新:2014年08月12日 15:37