奈良県桜井市所在の纏向遺跡を邪馬台国に比定する説。
論拠
- 纏向遺跡は、出土する土器中の外来系土器の比率が最も多く、範囲も関東、東海から中国地方に及ぶ。
また祭祀異物も吉備系のものが出土するなど、非常に広範囲から来た人々が集住していた
当時最大の都市的集落だったと見られる。
その成立年代から、
卑弥呼もしくは
壱与の墓に比定できる可能性がある。
疑問点
- 『魏志』倭人伝に、邪馬台国には城柵が巡らされているという記述があるが、
纏向遺跡では現在のところ、環濠や城柵などの防禦施設は発見されていない。
- 『魏志』倭人伝で描かれる倭人は、漁労に巧みである事など海洋民族的な記述が多いが、
大和は内陸部である。
最終更新:2012年05月29日 17:28