新井白石

   明暦の大火(振袖火事)の一か月後にあたり、そのため「火の児」と呼ばれた事が『折たく柴の記』にある。
   (その呼び名のとおり激しい気性の持ち主だったと云々)


  • 徳川吉宗が将軍に就任するとほぼ同時に幕府中枢から退けられており、政治への関与は7年ほどに留まる。



   その中で邪馬台国畿内説を唱える。
   ただしその後、未刊の書『外国之事調書』で九州の筑後山門説に転じた。


      参考文献

『日本伝奇伝説大事典』
『邪馬台国への旅』


最終更新:2014年01月18日 04:09