スカイライナー(京成電鉄)

登録日:2018/04/25 (水) 20:23:30
更新日:2024/03/01 Fri 19:38:50
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まっすぐ、速い。


スカイライナーとは、京成電鉄が京成上野駅と成田空港の間で運行する特急列車の愛称である。

本項では「スカイライナー」と同じ車両を使用するシティライナー・モーニングライナー・イブニングライナー、そして運行ルートが同一であり、スカイライナーの前身となる特急「開運」について解説する。

概要

1978年の成田空港開港と同時に運行を開始した日本初の空港アクセス列車である。
料金不要の快速特急・特急の上位種別で、乗車にはライナー券を必要とする。
スカイライナーの名称は、運転開始時に全国の小学生から公募したもの。

京成自体、その名の通り元々成田山新勝寺への参拝客輸送を目的に建設された鉄道であり、1930年には早くも速達列車の運行が開始されている。
戦後は特急「開運」の愛称がつき専用車両で運行され、1978年から現在の「スカイライナー」へと変わった。
スカイライナーも運行開始から1年後の1979年から日中の列車で京成成田駅の停車を開始している。


列車解説

スカイライナー

上野と成田空港の間を結ぶ最速達列車。日暮里から空港までの所要時間は最速36分。
上野から京成高砂まで京成本線、京成高砂から成田スカイアクセス線へと入り終点の成田空港まで向かう。
途中の成田スカイアクセス線の一部区間では最高速度160km/hで運行し、在来線の特急『はくたか』の廃止後は在来線最速列車となった。

かつては京成本線を経由し、最速でも50分程度の時間を要していたが、高速運転が可能な新線の開通で所要時間が大幅に短縮された。

JR東日本の『成田エクスプレス』は永遠のライバルである。

シティライナー

上野と京成成田の間を京成本線経由で結ぶ臨時列車。所要時間はおよそ1時間。
元々はスカイライナーが担っていた船橋からの成田空港アクセス需要を満たすために新設された列車だった。
だが、東日本大震災の影響による計画停電を機に一時運休した後、京成成田までの運転で再開されたが、成田空港発着便は復活する事なく、2012年に空港乗り入れを正式に廃止。
その後も特急料金不要の快速特急と所要時間が殆ど変わらなくなるなど人気に恵まれず、2014年11月には土曜休日のみ運行となり、翌年12月には定期列車としてのシティライナーは消滅。以降は成田山新勝寺への参拝客が増える時期に運行される季節列車となっており、特急「開運」の系譜を今に残す存在となっている。

モーニングライナー・イブニングライナー

上野と成田空港の間を京成本線経由で結ぶホームライナー的な列車。夕方以降は空港行スカイライナーが運転されない時間が生まれるため、その時間帯は空港アクセスの役割も担う。
モーニングライナーは朝の成田発上野行のみ、イブニングライナーは上野発成田行のみの運転。

車両

本項では特急「開運」用車両についても解説する。

現行

  • AE形(2代目)
AE100形の後継として、そしてスカイアクセス線での160km/h運転に対応する性能を持たせた現行車両。8両編成で、将来的には10両への増結も可能なように設計されている。
車体全長は都営浅草線や京急線への直通運転を考慮しないため20mクラス、台車も乗り入れ協定と無関係なのでボルスタレス台車。
車両のデザインを担当したのは、ファッションデザイナーの山本寛斎。
所要時間が1時間を切るが、座席は回転リクライニングシート。トイレもちゃんと付いている。
最高速度は在来線最速の時速160km。
なお160km/hを出せるのはスカイアクセス線の印旛日本医大駅から空港第2ビル駅までの間だけだが、途中複線から単線に変わる成田湯川駅構内には高速通過に対応した新幹線仕様の分岐器が設置されている。
メーカーからの搬入は、日本車輌担当分は千葉貨物駅まで貨物列車として輸送し、千葉貨物駅からトレーラーで輸送。東急車輛担当分は東急車輛からそのままトレーラーで運んだ。
2011年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。

過去の車両

  • AE形(初代)
初代スカイライナーで、6両編成7本42両が導入された。
まだスカイアクセス線なんて影も形もない時代、カーブだらけの京成本線経由で上野~成田間1時間を達成するため定速制御、簡単に言えば運転士が設定した任意の速度を自動で保つ回路が組み込まれ、運行面でも京成にとって大事な集客スポットである成田山新勝寺最寄り駅である京成成田を通過するなどの努力がされた。
座席はリクライニングしないが、席を進行方向へ向けられる転換クロスシートを装備し、トイレも設置。座席については後年回転リクライニングシートへ更新された。
しかし、空港の開港が色んな事情で遅れ、当初の開港予定日に合わせて車庫に搬入された車両は1年半も雨ざらしの憂き目に…。
このまま空港アクセス特急が運行できないなら会社が倒産する!と自社の窮状を運輸省へ訴えたことで、特急「開運」の代替となる上野と成田の間をノンストップで結ぶ特急への使用を認め、これにより何とか倒産の危機は脱した。

が、AE形の受難はまだまだ続く。とりあえず新空港の開港日が決まり、新線区間の試運転を行うも開港予定日4日前に空港管制塔を過激派が占拠する事件が発生して、開港予定日が再び延期。
もう一度延期された開港予定日の直前に、今度は車庫で待機していた第3編成が焼き討ちに遭い、1両が全焼。当時メーカーで製造中だった増備用の車両の構体を被災車両の復旧に転用し、何とか難を凌いだ。
こうして空港開港を迎え、ようやくAE形は本来の役割を果たすことが出来た。当初は乗り換え無しで空港ターミナルビルまで行けるリムジンバス*1にボロ負けしたものの、次第に定時性の面で有利なスカイライナーへ客が移り始め、空港ターミナルビル直下への乗り入れと同時に8両化が開始された。

この間、車体塗装の変更が行われており、それまでのクリーム地に茶色という田舎っぽいカラーリングから白・赤・青のトリコロールに。このカラーリングは次代のAE100形に引き継がれたほか、1991年からは一般車の新塗装、そして京成電鉄のイメージカラーとしても使用されている。
8両化は7本あった編成のうち2本をバラし、バラした編成から発生した中間車2両を4本へ連結、1本は先頭車の運転台を撤去して中間車へ改造し、モーターを取り付けた上で組み込むという手のかかる内容となった。
+ ...
【6両時代】
AE1-AE2-AE3-AE8-AE9-AE10
AE11-AE12-AE13-AE18-AE19-AE20
AE21-AE22-AE23-AE28-AE29-AE30
AE31-AE32-AE33-AE38-AE39-AE40
AE41-AE42-AE43-AE48-AE49-AE50
AE51-AE52-AE53-AE58-AE59-AE60
AE61-AE62-AE63-AE68-AE69-AE70

【バラされた編成】
AE21-AE22-AE23-AE28-AE29-AE30
AE31-AE32-AE33-AE38-AE39-AE40

【8両化後】
※太字で記したのがバラされた編成出身の車両。イタリックは元先頭車。
AE1-AE2-AE3-AE23-AE28-AE8-AE9-AE10
AE11-AE12-AE13-AE33-AE38-AE18-AE19-AE20
AE41-AE42-AE43-AE48-AE49-AE22-AE29-AE50
AE51-AE52-AE53-AE58-AE59-AE32-AE39-AE60
AE61-AE62-AE63-AE64-AE65-AE68-AE69-AE70

【余ったので解体処分】
AE21-AE30

これにより、空港アクセス特急車が5本に減ってしまったが、その穴を埋める形で誕生したのがAE100形である。
AE100形の運用開始後、老朽化の進んだAE形は運用を外れ、最後まで残った第7編成も1993年5月のさよなら運転を最後に姿を消した。
運用を外れたAE形は足回りの機器類を通勤車の3400形へ譲り、車体は宗吾参道の車両基地に保存されたAE61を除いて解体処分された。台車も3400形に持っていかれたため、保存されたAE61が履いている台車は原型の物ではなく、通勤型の初代3100形が履いていたもの。
ちなみに、ここまで廃車という文句を一言も入れてないのは、書類上AE形は3400形へ改番・改造したこととして扱われているため。
その3400形も老朽化に伴い、2020年から廃車が開始されている。

1973年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。

  • AE100形
2代目スカイライナー。当初は空港ターミナルビル直下への乗り入れに合わせ、AE形を8両に増結した際に足りなくなってしまった本数を穴埋めするために作られた。その後、老朽化したAE形の置き換えを目的に増備が行われ、最終的に8両編成7本が製造された。
スラリとした流線型の車体を持ち、先頭部には地下鉄線での非常脱出用貫通扉を設置、更に先頭車にもモーターを装備することで乗り入れ協定を満たし、都営浅草線・京急線への乗り入れも可能…のはずだったが、スラリとした鼻が京急蒲田駅付近の空港線の急カーブで引っかかることが判明したため、京急への乗り入れ計画が消え、更に都営線への乗り入れも鼻が駅の信号機にかかってしまうために立ち消えとなった。
ただ、都営線へ回送列車として入ることは可能だったので、西馬込の車両基地でのイベント時にゲストとして招かれたことがある。
ヘッドライトは、スポーツカーに装備されることの多いリトラクタブル式を採用。消灯時には蓋が閉まる仕組みだったが、ヘッドライトを常時点灯させるようになってからは蓋が閉まるのを見ることが出来たのは、停車中と最後部の車両だけだった。
座席はリクライニングシートを装備。トイレももちろん設置。
スカイアクセス線の開業後、AE形(2代目)が3代目スカイライナーとして就役。同時に空港アクセスの第一線からAE100形は退き、4本が廃車。残った編成は新設された京成本線経由のシティライナーなどに使われたが、シティライナーの定期運行廃止により役目を失い、2016年2月のさよなら運転を最後に廃車された。現在はAE161が宗吾参道の車両基地で保存されている。

  • 1600形
1953年に登場した特急「開運」専用車両。
当時流行の湘南型のデザインで、私鉄電車では初めてリクライニングシートを導入、更に京阪に先駆けて車内にテレビを設置するという当時としては非常に豪華な内装となった。
1958年に中間車を増結して3両化されたが、老朽化に伴い1967年に運用離脱。
その後2両は京成の一般車では唯一となるアルミ車体に載せ替えられ(残った1両は普通鋼製)、1981年までに全廃。
廃車後アルミ車体は宗吾参道の車庫で倉庫として2006年まで使用されていた。
また、特急時代の車体は谷津遊園に保存展示されていた。

  • 3190形・3290形
1963年から登場。
通勤型の3100形・3200形の車内をセミクロスシート化した特急「開運」専用車両で、3200形は一般車と異なり片開きドアで落成した。
初代AE形登場に伴い格下げされ、以降は一般車として都営浅草線への乗り入れにも使用された。
3200形については2007年に旧塗装に戻され、開運号のリバイバル運転も実施された。


追記・修正は160km/hの世界を体験した人へ。

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最終更新:2024年03月01日 19:38

*1 当時は今の東成田駅が成田空港駅で、鉄道利用者はここから空港までバスに乗り換える必要があった。更にリムジンバス利用者は、箱崎の東京シティエアターミナルで事前にチェックインが出来たため、手間の多い鉄道は避けられる傾向にあった。