ナスルーラ(競走馬)

登録日:2022/01/08 Sat 20:32:30
更新日:2024/02/02 Fri 14:08:57
所要時間:約 17 分で読めます





Nasrullah(ナスルーラ)とは、イギリス生産の競走馬であり、種牡馬である。

名前の由来は「偉大なる」、「暴君の名前」といった説があるが詳細不明。
競走馬的には後者、種牡馬成績的には前者っぽい

血統


父は現在の大半のサラブレッドにその血を残す20世紀最大級の種牡馬ネアルコ。現在でも主流血脈であるノーザンダンサー、ヘイルトゥリーズン*1、そしてナスルーラの3系統は彼の直系子孫である。さらにオセアニアに勢力を誇るサーゲイロード、母系ではいまだに勢力を誇るダンテもこの馬の子孫。誰が呼んだか「近代競馬の父」
母はムムタズベクム。ダービー馬ブレニムの産駒である。そしてその母であるムムタズマハルは、父ザテトラークから猛烈なスピードと葦毛を引き継ぎ、「フライング・フィリー」、すなわち「天をかける牝馬」と呼ばれた名牝。
繁殖牝馬としては産駒マームードとその産駒のアルマームードを経由してノーザンダンサーの母ナタルマ、ヘイローの母コスマーを輩出し、誰が呼んだか「近代競馬の母」

このように、近代競馬の父と母を祖先に持つ、当時の最高峰の血統からナスルーラは誕生したのである。同じく大種牡馬のノーザンダンサーやミスタープロスペクターも良血であり、名種牡馬はやはり良血馬、ということだろうか。

サンデーサイレンス?牝系はともかく父は気性がアレなだけで普通に良血リーディングサイアーのヘイローだから…

暴君の現役時代


アイルランドのシェシェーン牧場にて、第二次世界大戦真っただ中の1940年誕生。生産者および馬主はイスラム教ニザール派のイマーム(精神的指導者)であり、政治家、実業家、そして名オーナーブリーダーのアーガー・ハーン3世殿下。
調教師は殿下お抱えの名伯楽フランク・バタース調教師、主戦は名手ゴードン・リチャーズ騎手と、上述の超良血と同じように関係者もエリートぞろいである。
幼少期から素晴らしい馬体の持ち主であり、大成を嘱望されていたという。

…が、気性がとんでもなく荒っぽく、しかも気分屋。バタース調教師、リチャーズ騎手ともに様々な努力をしたがほとんど効果がなかったという。むしろ悪化していたとか。

1942年にニューマーケット競馬場でデビューし3着。ちなみに当時は大戦中であり、ニューマーケット以外の競馬場は閉鎖されていたため、ナスルーラはニューマーケットでしか走っていない。
次走のコヴェントリーステークスで初勝利を上げると、続くグレートラブリーステークス(2頭立て)も勝利。
勢いのまま2歳王者決定戦であるミドルパークステークスに1番人気で出走するが、ここは2着。ただ実力は評価されており、2歳フリーハンデは牡馬首位、全体2位の132ポンド。クラシックの有力馬として目されるようになった。

翌年は期待に応えてクラシック戦線の有力馬として活躍した…ただし、主にネタ方面で。2歳時は自重していた先述のスーパー気性難が発揮され、約半世紀後のダビスタにて「ナスルーラのクロスはちょっと…」と牧場長にためらわせるエピソードを残してしまったのである。

復帰戦早々、パドックからコースに向かう途中に立ち止まってしまい、レースそのものを8分間遅延させるハプニングを起こす。
幸いレースそのものは勝利したが、続くクラシック第1戦2000ギニーでも反抗。出走取消になる寸前だったという。
しかし能力は本物であり、どうにか出走すると残り3ハロンで先頭に立つ。楽勝の勢い…かと思われたが、ゴール寸前で気を緩めて急減速して4着

ニューマーケットでの代替開催となったダービーのころには「ならず者」という的確なあだ名をつけられていたという。
ここでは先行してから鋭く抜け出し、そのまま押し切り勝ち…と思ったら、またしてもやる気をなくして急減速、3着に終わる。まさかの2戦連続でソラを使って敗れた。
その後下級戦で勝利するが、代替開催のセントレジャーではスタミナ不足とやる気のなさのダブルパンチで6着に大敗。
しかしその後のイギリス競馬1年の締めくくりであるチャンピオンステークスは珍しくやる気を出したのか見事な差し切り勝ちを収め、超エリートの意地を見せて引退した。

競走馬としての能力は優れており、やる気をなくさなければ間違いなく2冠を達成していたであろう。
しかし、競馬史に残るレベルの気性難に加え、セントレジャーではスタミナ不足が露呈。競争成績も当時としてはイマイチであり、評価はそこまで高くなかった。

偉大なる種牡馬


初年度はイギリスにて繁用されていたが、アーガー・ハーン3世はこの馬に見切りをつけていたらしく、2年目にはアイルランドにあっさり売却されてしまった。なお、当時のアイルランドは競馬後進国である
が、初年度産駒にて愛ダービー馬ナッソー、2年目には牝馬2冠馬ムシドラ*2と、卓越したスピードを持つ大物を輩出。
欧州からの種牡馬輸入にご執心だったアメリカ・クレイボーンファームのハンコック2世がこれに目を付け、1950年にアメリカに渡った。

渡米後は初年度から二冠馬ナシュアを輩出したほか、種牡馬として活躍したボールドルーラーを輩出し、人気種牡馬としての地位を確立。
英国に残したネヴァーセイダイなどの産駒も活躍を続け、1951年には英愛リーディングサイアーの座に輝く。
アメリカでは1955、56、59、60、62年の5回にわたってリーディングサイアーを獲得。これにより史上3例目の大西洋横断、かつ20世紀初の英愛米3か国でのリーディングサイアー*3を獲得した。
産駒数425頭に対してステークスウィナーは98頭、実に2割に達する。

ナスルーラ自身は1959年に大動脈破裂で19歳で急死するも、残された産駒もまた種牡馬として大活躍、各国にその血統を広めていくこととなる。まさにサイアー・オブ・サイアーズ、種牡馬の父の名にふさわしい大活躍であった。

産駒、というか系統全体の傾向だが、とにかくスピードに優れているのが特徴。芝だろうがダートだろうがその速度は衰えることがない。もちろん大種牡馬らしく適応性も優れており、様々な場面での活躍馬を残している。

ナスルーラの血は世界に広まったが、90年代までにノーザンダンサーやミスタープロスペクターといったやべー奴ら後続の大種牡馬が勢力を伸ばすと押され気味に。それでもバゴサキーといった活躍馬が直系から誕生していた。
2010年代に入ると衰退の動きはさらに強くなったが、ボールドルーラー系の子孫のエーピーインディ系を中心に北米で大勢力を維持しており、日本でもサクラバクシンオージャングルポケットのラインがまだ健在である。欧州を見てみると、イギリスでは完全に衰退したものの、フランスではルアーヴルが活躍中。
また、ミスタープロスペクターやストームキャット、ロベルトなどの母系にはナスルーラ系が入っており、この馬の血を持つ馬は多いため、影響力が衰えることは当分なさそうだ。

代表産駒


ヌーア


父と同じアーガー・ハーン3世の保有馬だったが、イギリスでは苦戦が続きアメリカに渡ることに。すると思わぬ大活躍を見せた。
3冠馬サイテーションになんと4連勝、しかもすべてレコード勝ちしたのである。さらに当時のアメリカ競馬の大一番ハリウッドゴールドカップでもレコード勝利を成し遂げている。
なお、サイテーションは日本だとややマイナーな馬ではあるが、脅威の16連勝、38戦連続連対、年間ステークス17勝という大記録を残し、「20世紀アメリカの名馬」でマンノウォーセクレタリアトに次ぐ3位を獲得した40年代を代表する名馬である。
この馬が見せつけた圧倒的なスピードが、ナスルーラのアメリカでの人気と快進撃の支えとなったことは言うまでもない。

グレイソヴリン


半兄*4に2冠馬ニンバスを持っており期待されたが、父譲りの気性難がたたったか勝ちはすべて6ハロン以内の葦毛のスプリンター。
成績こそイマイチだったものの血統は優秀だったので種牡馬入り。すると、兄を凌駕して種牡馬として大成功を収めた。

代表産駒はドン、フォルティノ、ゾウリンパス、ゼダーンなど。
マイルから中距離に強い馬が多かったが、孫世代以降は長距離でも好成績を残す馬が多い。
加えて代表産駒は葦毛の馬が多く、後継種牡馬も活躍したため「近代葦毛馬の祖」ともいわれる。ジャスタウェイ君はこの馬を崇拝しなさい

世界的に活動した系統だが、特に日本競馬には大きな影響をもたらした。
ドン、フォルティノ、ゼダーンらが輸出され、大逃げで第1回ジャパンカップを盛り上げた「日の丸特攻隊」ことサクラシンゲキ、「白い稲妻」シービークロスタマモクロスの親子などを輩出。ゾウリンパスの産駒であるスパニッシュイクスプレスの産駒であるアローエクスプレスは2度リーディングサイアーに輝いた。

さらに、ゼダーンの曾孫に当たるトニービンは凱旋門賞を制し、日本で種牡馬としてウイニングチケットエアグルーヴなどを輩出する大活躍。直系ではジャングルポケットのラインが存続している。母父としても優秀で、ハーツクライルーラーシップなどトニービンの血を引く種牡馬は多い。ただ、ジャングルポケットの後継の種牡馬成績は振るわず、直系存続は厳しいか。
フォルティノの産駒であるカロもコジーンなどを輩出して種牡馬として成功。
直系こそ衰退気味だが、その影響力はまだまだ健在だ。

ネヴァーセイダイ


母父にアメリカ3冠馬ウォーアドミラルを持つほか、牝系にはクレイボーンファーム創設者ハンコック氏がフランスから購入した名種牡馬サーギャラハッドがいる、米英仏が入り混じった血統が特徴。
イギリスに渡るが、父と母父由来の気性難を発揮して勝ちきれないレースが多かった。
しかしエプソムダービーでは低評価を覆して快勝。騎手、調教師ともにダービー初制覇となった。次走で他馬に噛みつく事件を起こしたものの、セントレジャーでは12馬身差の圧勝を果たし、2冠を達成して引退した。

引退後はイギリス国立牧場に寄付され、産駒のラークスパーがダービーを勝った62年にはリーディングサイアーを獲得している。種牡馬としては成功したが、有力な後継が出なかったため欧州では直系は衰退した。

しかし、日本に輸入された産駒のネヴァービートが3度のリーディングサイアーを獲得して大成功。結果、ネヴァーセイダイ系のブームが引き起こされ、実に16頭の直仔がねこそぎ輸入された。結果「流星の貴公子」テンポイントも誕生している。
が、ナスルーラ系としては珍しくスタミナが持ち味のこの系統はスピード競馬への移行ができず、テンポイントの早逝、そして内国産種牡馬不遇の時代も重なり、80年代には一気に衰退。直系は断絶した。
それでも母系では未だ少なからず影響を与えている。

馬名は「弱音を吐くな」みたいな意味。
「ビートルズ幻の5人目」ことピート・ベストの母親は、ダービーでネヴァーセイダイの馬券を購入して大当たり。その資金を元手に屋敷を購入した。ピートは屋敷の地下室に子供たちを集めていっしょに遊んでいたが、その中に「クオリーメン」というバンドを結成した者たちがいた。そこにピートが加入したのが、かのビートルズの始まりらしい。

プリンスリーギフト


短距離路線でレコードを出すなど活躍し、引退後は2歳戦に強い種牡馬としてまずまずの成績を上げた。孫にあたるラインゴールドは地味な血統ながら凱旋門賞馬にも輝いている。
ここまでならそこそこの種牡馬として語られるのみだったろうが、産駒のテスコボーイが日本に輸入されたことでこの系統は大きく発展する。

日高軽種馬農協によって購入されたテスコボーイは、二冠馬キタノカチドキ、二冠牝馬テスコガビー、そしてTTGの一角である「天馬」トウショウボーイらを輩出して大成功。5度のリーディングサイアーに輝いた。
代表産駒はレコードを更新して勝つスピードを持ち合わせた馬が多く、テスコガビーやトウショウボーイ、サクラユタカオーなどの凄まじいスピードは当時の日本競馬に衝撃を与えた。
加えて軽種馬農協保有のため種付け料は安く、トウショウボーイとともに「お助けボーイ」として中小生産者の希望の星になったのである。

この大成功により、生産界はプリンスリーギフト系の種牡馬を買い漁り、最終的に20頭も購入。欧州からプリンスリーギフトの系統はほぼ消失してしまった。さっき上で見た展開である
この際輸入された種牡馬であるファバージやバーバーからも8大競争勝利馬のハードバージやカネミノブが輩出された。なんかどっちも引退後が不遇

孫世代ではトウショウボーイが3冠馬ミスターシービーを、サクラユタカオーが日本最強スプリンターと言われるサクラバクシンオーや名マイラーのエアジハードを輩出。
なかでもサクラバクシンオーは短距離に強い種牡馬として長年活躍し、G1馬3頭を輩出。ミスターシービーが種牡馬としては失敗気味だったこともあり、テスコボーイ系直系最後の大物種牡馬となった。
ただ、バクシンオーの後継種牡馬であるショウナンカンプが大物を残せず、グランプリボスも失敗気味のため、系統の存続はビッグアーサーにかかっている状態である。

ちなみにウルグアイにも直系のラインが残っているらしい。

ナシュア


アメリカに渡ってからの初年度産駒。
カルフォルニアのヒーロースワップスとダービーで激闘の末に敗れるも、続く2冠を制覇。のちに行われたマッチレースでは(相手の怪我もあったが)スワップスに勝利している。同年にはジョッキークラブゴールドカップを制覇し、年度代表馬に輝いた。
翌年もスワップスとともに活躍を続け、サイテーションが保有していた年間賞金額、総合賞金額のレコードを更新している。

種牡馬入り後も30歳近くまで活躍。牝馬の産駒が多く後継にこそ恵まれなかったが、ロベルトミスタープロスペクターという2頭の大種牡馬の母父であり、現代でもその影響力は大きい。ミスプロがスピード血統として活躍したのはナスルーラ系であるこの馬の影響力だろうか。

ボールドルーラー


アメリカ競馬黄金世代の1957クラシック世代の1角にして、アメリカ競馬に多大な影響をもたらした大種牡馬。
同期にはギャラントマン、ラウンドテーブル、前二人と比べると微妙に地味なダービー馬アイアンリージといった錚々たる面子がいた中でプリークネスSを勝利。さらに年内ラストランではギャラントマン、ラウンドテーブルとの3強対決も制し、年度代表馬の座を手に入れた。
翌年はハンデキャップ競争を中心に活躍を続け、同期2頭とともにアメリカ競馬で暴れまくっている。

種牡馬としては他の2強が十分活躍したのにそれが霞んで見えるほど大成功を収める。
ちょうどナスルーラが急死したこともあって後継者として期待されており、その期待を裏切ることなく2世代目産駒ででリーディングを獲得。以後ヘイルトゥリーズンが登場するまで実に7年連続リーディングサイアーの座を保持し続けた。リーディングの入れ替わりが日本より激しいアメリカでここまで長期間首位に立ち続けた例はほとんどない。ついでにセクレタリアトが活躍した年にはリーディングに返り咲いている。
代表産駒と言えばUMAこと3冠馬セクレタリアト。ボールドルーラーが癌のため早逝させられた数年後に驚天動地の大記録を達成している。なんか東洋のどっかで似たような話聞いたぞ。

ワットアプレジャーとラシュババがリーディングを獲得するなど後継にも恵まれた。
しかし、セクレタリアトが母父としてはストームキャット、ゴーンウエストを出して大成功したものの、種牡馬としては期待ほどではなかったこと、ノーザン系やミスプロ系が繁栄し始めたことも重なって衰退の一途、現代では風前の灯火…

と思うじゃん?
地味な血統から生まれた曾孫の無敗3冠馬シアトルスルーが産駒のエーピーインディともども種牡馬として大成功、北米では2大メジャー血統に次ぐ勢力としていまだに血脈が保たれている。他系統はほぼ滅亡したため、実質的にはエーピーインディ系に変化している。
なお、エーピーインディは母父セクレタリアトなのでボールドルーラーの4×3持ちである。

日本だとアグネスフライト・タキオン兄弟の母アグネスフローラなどが直系子孫。シアトルスルーを経由してダンツシアトルやタイキブリザードも輩出している。
最近はエーピーインディの系列よりシニスターミニスターやパイロが日本のダート路線の種牡馬として活躍しており、2021年チャンピオンズカップを圧勝したテーオーケインズや史上初の帝王賞連覇馬メイショウハリオ、2023年の南関東三冠馬ミックファイアなどが現役で走っている。
サンデー系との相性も良く、エアシャカール、マツリダゴッホらサンデー産駒の個性派が母系にボールドルーラーを持っている。

レッドゴッド


ボールドルーラーの同期。当たり年だなナスルーラ。
ボールドルーラーが暴れまわっているころに、イギリスとアメリカでそこそこの賞金を稼いで引退。競争成績そのものは地味であった。
が、アイルランドで種牡馬入りするとかなりの活躍を収める。レッドロードやイエローゴッドといった短距離重賞馬を中心に輩出した。
イエローゴッドは日本に輸入されて二冠馬カツトップエースなどクラシック馬3頭を輩出して成功。しかし後継には恵まれず、日本でのサイアーラインは断絶した。

しかし、レッドゴッド系そのものは1頭の大物によっていまだ勢力を保っている。
それがブラッシンググルームである。
現役時代にはフランス2歳G1完全勝利という偉業を成し遂げ、クラシックも獲得。
種牡馬入りすると英国2冠馬ナシュワン、凱旋門賞で繰り上がり優勝したレインボウクエストといった中距離に強い名馬を輩出して成功した。後継も活躍し、良血ながら現役時代は地味だったラーイからは世界を股にかけた日本勢の被害者ファンタスティックライト、ナシュワンからは凱旋門賞馬バゴが登場、現在もルアーヴルを中心に勢力を保っている。
現状だとレッドゴッド系=ブラッシンググルーム系になっている。
加えて母父としても非常に優秀で、日高を破壊した神の馬ラムタラやマイル女王ゴルディコヴァのBMSである。

日本だとヤマニンゼファーマヤノトップガン、そして世紀末覇王テイエムオペラオーといった名競走馬の母父として名高い。
直系にはレインボウクエスト産駒のサクラローレル、輸入されたクリスタルグリッターズの産駒であるマチカネフクキタルなどがいる。

近年だとバゴが日本に輸入され、菊花賞馬ビッグウィークを初年度から出すなどなかなかの成績を上げていたが、その後は伸び悩んでいた。
しかし、19年牝馬クラシック3強の1角にしてグランプリ3連覇を達成した名牝クロノジェネシスを最近になって輩出し、再び注目を集めている。バゴは高齢な上、有力な後継になれそうな牡馬がいないのが気がかりではあるが。*5

余談だが、ボールドルーラーやレッドゴッドの同期にはノーザンダンサーの父親のカナダの星、ニアークティックがいたりする。すごい世代…

ネヴァーベンド


最終世代産駒。
フューチャリティステークスなどを制して2歳王者になるも、クラシックは勝ちきれず、という微妙な競争成績で引退。
種牡馬としても微妙…かと思いきや、3年目でシーバード*6やリボー*7ダンシングブレーヴらと並んで欧州最強馬の一角にあげられるやべー奴、ミルリーフを輩出した。

ミルリーフはブリガディアジェラード*8相手に2000ギニーでは敗戦したものの、その後は連戦連勝。欧州3大レースと呼ばれるエプソムダービー、キングジョージ、そして凱旋門賞を完全制覇する大偉業を成し遂げた。
その翌年、予後不良クラスの骨折をしたにも関わらず、じっと耐え抜いて普通に歩けるほどにまで回復するという奇跡の復活劇を見せた後に種牡馬入り。
種牡馬としてはかのノーザンダンサーと渡り合いながら2度の英国リーディングを獲得している。現在でもダルシャーンの血統が生き残っているが、ちょっと厳しい状態である。
一方、ネヴァーベンドはミルリーフの後にもフランスリーディングサイアーとなったリヴァーマンも輩出。ルション*9やトリプティク*10、といった名馬の父となり、孫のサキーは凱旋門賞を圧勝している。

日本だとミルリーフ産駒のミルジョージが種牡馬として活躍。平成3強の一角イナリワン、南関東の女傑ロジータなどを輩出し、ノーザンテーストを上回って全国リーディングサイアーになった*11。また、同じくミルリーフ産駒のマグニテュードはスパルタ二冠馬ミホノブルボンを輩出している。
ただ、その後が続かず日本では直系は消失。
リヴァーマンの系統であるリヴリアも日本に輸出されてナリタタイシンを出すなど可能性を見せたが早逝し、ナリタタイシンが種牡馬として失敗したため後継を残せなかった。
…よく考えたらBNWって全員ナスルーラ直系なんだな。(ビワハヤヒデ、ウイニングチケットはグレイゾウリン系)
ブレイヴェストローマンもダート主体に活躍したが、主要産駒は牝馬中心でやっぱり後が続かなかった。
もっとも、ロジータや母父リヴリアのテイエムオーシャン等例の如く繁殖牝馬の血統表では名前を見る機会も多い。

余談


気性難のあまり、破傷風の予防接種をしようとしても暴れたため不可能だったとか。
ただしなぜかは苦手だった。これは種牡馬として現代のサラブレッドに多大な影響を与えたセントサイモンも同じだったりする。


追記修正は直線で先頭に立った後に失速した方がお願いします。

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最終更新:2024年02月02日 14:08

*1 ヘイロー、ロベルトの父

*2 英オークスの前哨戦として名前を冠したG3がある

*3 この前にはプライアムとシリーンが大西洋横断リーディングサイアーになっている

*4 父はネアルコなので正確には4分の3兄

*5 2021世代のステラヴェローチェが重賞を2勝、クラシックも好走したので可能性はある

*6 英ダービー、凱旋門賞を圧勝。フランケルの登場までタイムフォーム・レイティングで1位を守り続けた

*7 フェデリコ・テシオの最高傑作。凱旋門賞連覇を含む16戦無敗の記録を持つ

*8 欧州最強馬の一角。マイルを中心に活躍した。なお、この馬を唯一破ったのはかのロベルトである

*9 マイルG1を勝利。引退後日本で種牡馬入りした。ウオッカの母父

*10 41戦を走った鉄の女。ジャパンカップに2回参戦している

*11 中央限定だとノーザンテーストが1位。ダートへの適性の差だろうか