セクレタリアト(競走馬)

登録日:2021/11/26 (金) 19:05:00
更新日:2024/04/20 Sat 22:29:56
所要時間:約 40 分で読めます





Secretariat(セクレタリアト)(1970〜1989)とは、アメリカ合衆国で生産・調教された競争用馬型決戦兵器馬型SCP馬型アルテミット・ワン競走馬・種牡馬。
初代“ビッグ・レッド”(偉大なる栗毛)マンノウォー以来久々にその異名を託された、先代と並び称されるアメリカ史上最強馬の筆頭候補にして、全世界レベルで見ても史上最強馬ランキングの最上位枠に名を連ねる、もはや生まれたことそのものが天の奇跡レベルのやべーやつである。



二代目ビッグ・レッドの血統背景

父たるボールドルーラーは多士済々の黄金世代と呼ばれた1957年クラシック世代*1においてトップクラスの成績を叩き出し、セクレタリアト誕生以前に6年連続リーディングサイアーを獲得*2している超弩級名馬。
ついでに言うとその親父殿はあの種牡馬界のやべーやつナスルーラ*3である。父系が大概無慈悲枠。
母なるサムシングロイヤルもその時点で既に3頭のステークスウィナーを輩出している名牝であり、母父プリンスキロも名種牡馬として名高く、決して父方に見劣りはしていない。何なら半兄のサーゲイロードは欧州やオセアニアで産駒らとともに一定の勢力を築き、サーアイヴァー、サートリストラムを経由したラインはいまだにオセアニアで活動している大種牡馬である。
ちなみにこのセクレタリアト、血統のクロスが存在しないアウトブリード*4であり、狙って近親交配を行いデメリット覚悟で初期ステガチャをぶん回すサラブレッドとしてはかなり珍しい部類。アウトブリードの突然変異×父系無慈悲因子とか合体事故ってレベルじゃねーんだけど……*5



二代目ビッグ・レッドの競争戦歴

幼少期(誕生〜デビュー前夜)

ヴァージニア州キャロライン郡に居を構えるメドウステープルで生を受ける。この頃牧場主のクリストファー・T・チェネリー氏は重病に臥しており、経営は愛娘のヘレン・“ペニー”・チェネリー女史に委ねられていた。
ところで、ボールドルーラーの属するホイートリーステープルのオーナー……の代行であるオグデン・フィップス氏*6は、一風変わった契約を望むことで有名だった。「ボールドルーラーの種付け料をタダにする代わりに、今後2年交配予定の2頭の肌馬から生まれる計4頭の幼駒の所有権をコイントスで決める」*7というものである。
一見トンチキに見えるが、肌馬を出す側からすればクッソお高い種付け料*8が浮くし、フィップスさんサイドとしても手にした産駒が牝馬なら今まで縁のなかった血統の繁殖牝馬をゲットできるため、存外win-winにできているのだ。いやまあ傍から見るとクッソトンチキだけど。
ちなみにこのオモシロ契約、ホイートリーステープルからボールドルーラーを預託されてたクレイボーンファームのオーナー、アーサー・ハンコック・ジュニア御大*9の入れ知恵だったとか。自前の肌馬ばっかに種付けして血の袋小路に陥らないように、との配慮だったそうな。

さて、1969年の秋のこと。ヘレン女史が持ち込んだ2頭の繁殖牝馬、サムシングロイヤルとヘイスティマチルダが生むボールドルーラー産駒の所有権を賭け、契約に基づきコイントスが行われた。これに勝ったフィップス氏がヘイスティマチルダを選んだため、ヘレン女史はサムシングロイヤルの1970*10とヘイスティマチルダの1971の所有権を有することに。そしてサムシングロイヤルの1970こそが後のセクレタリアトである。
燃えるような赤に近い鮮烈な栗毛を身にまとったその幼駒は、左前脚を除く3本に白靴下を履き、肩と後脚のバランスに優れたお美体の持ち主だった。牧場専属秘書のエリザベス・ハム女史曰く、「この馬を見た人は皆気に入るでしょう」。ええまあ確かに皆気に入りましたね、馬券的な意味で。
ハム女史は本馬の競走馬登録にあたり、5つ(資料によっては10とも)の名を申請したが、色んな理由でボツ。悩んだ末に自分の前職が国連事務局勤務の外交官付き秘書だったことから、事務局もしくは書記職(セクレタリアト)を馬名に申請。晴れて受理されたことで本馬の名前はようやく決まった。

2歳になると牧場の専属調教師であるルシアン・ローリン師に預けるためフロリダ州に移動、入厩。やって来たセクレタリアトを見た後の担当厩務員は「彼はでかくてデブでなまけものだったよ」と述懐している。
実際、スタッフが飯をやれば出した分だけもっしゃもっしゃと貪り食い、「趣味:食っちゃ寝&厩舎のポニーと遊んでだらける」とでも言わんばかりの、闘争心どころかプライドとかその他諸々までオカンの腹の中に忘れてきたような奴だったそうな。逆に言えば、ストレスフリーで泰然自若とした大物気質ではあったっぽいが。
そんなサラブレッドとは微塵も思えんぐーたらホースを、ローリン師がいかにして鍛え上げたか……ぶっちゃけ筆者も知りたいのだが、なにしろ師は寡黙という言葉が擬人化して服着て歩いてるような御仁だったため、今もって明らかにされてないのだ、これが。
ただ、担当厩務員のエディー・スウェット氏は四六時中彼に話しかけつつ世話を焼いていたので、スウェット氏を通じて意思疎通してたのは間違いなさそうである。ゴルシと今浪厩務員的なアレだろうか?


2歳時〜〜ガチムチ異端馬風雲録〜〜

7月4日――米国独立記念日に、アケダクト競馬場のダート未勝利戦で見習いのフェリシアノ騎手を鞍上にデビュー。単勝4倍きっかりの一番人気に推されるが、スタートで隣の馬にぶつかられ失速、向こう正面では前を塞がれ進出に失敗し、直線で凄まじい追い込みを見せるも4着敗戦。
しかし最終直線で見せた末脚は各方面に強い印象を与えたらしく、彼の競技馬生を花火と例える場合、このデビュー戦は導火線になぞらえられる。
その11日後、同競馬場での未勝利戦で初勝利を挙げると、月末にサラトガ競馬場での一般競争に出走。ここから終生の相棒ロン・ターコット騎手に乗り替わると、好位追走からの抜け出しという横綱相撲で勝利し、競馬記者たちから「こいつは凄い」「ネイティヴダンサー*11以来の大物になるぞ」と熱い称賛を浴びた。

8月のサンフォードステークスでは当時10戦無敗のリンダズチーフの前に生涯唯一の二番人気に甘んじるも、馬群の後方から進出、直線でまとめてぶち抜く3馬身差完勝でステークスウィナーに名乗り出る。
続く当時の2歳馬最重要戦ホープフルステークスではスタートこそ出遅れるも、直線一気にその他8頭をねじ伏せて5馬身差の圧勝。さらに9月、ベルモントフューチュリティも1馬身3/4差で勝ち、連勝を5に伸ばす。

が、10月のシャンペンステークスではストップザミュージックにぶつかってしまい、それをものともせず後続に2馬身差つけて先着するも、接触が進路妨害とみなされ2着降着。
ターコット騎手もこの降着に思うところがあったか、次走ローレルフューチュリティでは馬群後方から大外をぶん回し、後続をノーステッキで8馬身差ちぎり捨てて前走の鬱憤を晴らした。ちなみに当日、ドロッドロの不良馬場である。そこを大外ぶん回してノーステッキで8馬身差蹂躙、しかも良馬場と遜色ない走破タイム。何なのこの馬。
さらにシーズン最終戦に選んだ11月のガーデンステートステークスも後方待機からの追い込みで3馬身半差つけて楽勝。
当年9戦7勝と上々の戦果を挙げ、その強烈な追い込みぶりから最優秀2歳牡馬に輝き、ついでに年度代表馬もかっさらった。成績の数値そのものや格でセクレタリアト超えてたのに、えげつないスタイルのインパクト込みで年度代表馬持ってかれたリヴァリッジとラプレヴォヤンテは泣いていい。リヴァリッジはオーナー同じだからまだマシだが。


3歳初期〜〜相続税には勝てなかったよ……〜〜

1月、クリストファー氏が長い闘病生活に終止符を打ち永眠。総額600万ドルの相続税*12を捻出するためには色々と売り払わなければならなかったため、ヘレン女史はセクレタリアトの種牡馬権売却を決断し、代替わりしたクレイボーンファーム総帥のセス・ハンコック氏にシンジケートの主導を依頼。19万ドル×32口、総額608万ドルのシンジケートが組まれるや否や、目の色変えた生産者の皆さん*13がマッハで飛びつき3日で完売。はえーよホセ。
なお、セス氏の弁によると「私からすればこの程度、盗んだも同然の捨て値だぞ?もっと釣り上げてもよかったんだがね」だそうで。いやあの、この時点で体重1オンスあたりの価格が同量の金の3倍とかいう、ちょっとご無体すぎるお値段なんですけど……

そんなわけで当年限りの引退がのっけから確定してしまったセクレタリアトだったが、3月のベイショアステークスで始動。進路を失い馬群に飲まれたまま直線を向くが、馬群をこじ開け一気に先頭に躍り出るとそのまま4馬身半差の完勝。続くゴーサムステークスをレコードタイで快勝し連勝を伸ばす。
ところが、次走ウッドメモリアルステークスでは直線で伸びを欠き、まさかの3着敗戦。陣営から「口内の腫れ物が敗因」と声明を出したが、ボールドルーラーがスタミナ型の産駒を出してないこともありスタミナ不足とのツッコミが続出。なにしろ米国三冠競争は全部ウッドメモリアルより長いのだ。これでダメなら三冠とか論外だろ、という理屈である。
実際、ボールドルーラーはリーディングサイアーでありながら三冠競争勝利馬を今まで輩出していない。セクレタリアトも例に漏れず「良くてインターミディエイトまで、まあマイラーが妥当だろ」と思われても不思議ではなかった。


米国三冠〜〜不滅のトリプルレコード、受け継ぐ異名(ビッグ・レッド)の証明〜〜

馬の者の半信半疑を拭えぬまま、ケンタッキーダービーに挑んだ陣営。それでも一番人気から落ちてないあたりはさすがだが、腫れ物治したと思ったら膝の不安と距離適性不足が囁かれる状態である。ガチで彼を推してる観客がどれほどいたやら……
ともあれ、ダービーゆえに今年も錚々たるメンバーが集いも集い12頭。13万5千人近い歴史的大観衆が見守る中、ついにケンタッキーダービーのゲートが開く。
スタートが切られ先行争いが行われる中、何とターコット騎手は最後方に陣取る。まあいつも通りの追い込み戦術ではあるが、それにしてもダービーのプレッシャーの中で最後方待機である。この御仁の度胸ときたら、心臓がガンダニュウム合金かヴィブラニウムでできてるんじゃなかろうか。

ともかく最後方を追走していたセクレタリアトだったが、徐々に徐々にじわじわと加速を続け進出し、気づけば先陣を切るシャムの2番手まで押し上げて直線向くや、ターコット騎手のステッキが炸裂。
鞍上の意気に応え、これまでの加速は何だったのかと思わせる凄まじい猛追を見せると、粘るシャムを容赦なくぶち抜き2馬身半差でねじ伏せた。
走破タイムは1分59秒4ノーザンダンサーの叩き出したレースレコード、2分フラットを0.6秒も縮めるぶっちぎりの神話的記録である。というか、ダート10ハロンを2分切ったのは北米じゃセクレタリアトと後のモナーコス*14(1分59秒97)のみ。
なお、2着のシャムもレコードペースでかっ飛ばしてはいたのだが、さすがにこれは相手が悪すぎた。というかスタートから加速し続けて、最終直線でステッキに応えてさらにかっ飛ぶとか、ステマ配合のスタミナお化けどもでもようやらんぞ……シロイアレは下手に鞭入れるとやる気なくす?ソッスネ

特にこのレースで顕著なのだが、平坦小回りな競馬場がほとんどで、スタートから飛ばして押し切る(つまり逃げか好位先行型)のが常道のアメリカ競馬において、主に最後方でのスタートから常に加速し続けてまとめてねじ伏せすり潰すセクレタリアトの戦いぶりは、アメリカのホースマンにとってはロンシャンのフォルスストレート全力疾走くらいには常識の埒外なシロモノだった。
というか誰だよ「セクレタリアトはスタミナ不足だからダービー無理(キリッ)」とか最初に言ったの。こんな戦い方なんて最低でもスタミナカンストしてないと無理だろ、常識的に考えて。


さて、ダービー馬として戴冠したからには次走はプリークネスステークスで確定である。の、だが……
ケンタッキーダービー出走馬のうち、2着シャムと3着アワーネイティヴ以外全陣営出走回避。別路線からの刺客もガチビビりして出走回避。ワンチャン狙いか何かなのか、わずかに3頭の陣営が出走表明したのみで、6頭立てという「どこぞのスーパーカーが出た府中3歳ステークス*15ですかねこれ」なGⅠ競争になってしまった。
まあ、欧米では存外ないではない状況ではある。クソ強馬に無双されて自陣営の同世代馬が評価落とすくらいなら別路線に行くか出走回避、というのはわりとあるし。それはそれで敵前逃亡とみなされ評価落としてないかって?ノーコメント

そんなわけでゲートが開きプリークネスステークス開始。セクレタリアトは今日も悠々と最後方からの競馬……をしていたのは1角突入まで。外側を通って進出を開始するや、向こう正面で早くもハナに立つという、らしからぬ速攻で観客を驚かせる。
ターコット騎手の「スローペースになるだろうから速攻かけて押し潰したろ」という直感によるものだが、早仕掛けはスタミナを奪い末脚を鈍らせる危険を孕む諸刃の剣。素人にはオススメできない。
だがまあ規格外すぎるセクレタリアトにそんな心配するだけ無駄であり、先頭を譲らぬままコースを駆け抜け、必死に追いすがるシャムを2馬身半差置き去りにし完勝。ちなみに前走同様に3着入線したアワーネイティヴとは、8馬身差がついていた。
こんなガチチート相手に2馬身半まで追いすがれるシャムも大概と言わざるを得ない。生まれる世代が悪すぎだろシャムェ……
なお、ピムリコ競馬場の副代表(当時)ラング氏曰く「ワーゲンの車列にロールスロイス混ぜたらこうもなるでしょうな」だそうで。そらそうよ。

さて、このレースの走破タイムだが、これが少々揉めた。ケンタッキーダービーでのレコード勝ちから、記者たちは当レースでもレコード*16が更新されるか否かに注目していた。
しかし電光掲示板に表示された勝ち時計は1分55秒。それとは別に独自に手動計測していたスタッフが「計測器が故障してます、私が測ったのより遅くなってます」と上層部に報告した。
実際に計測器の故障が認められ、スタッフの計測値である1分54秒4が公式走破タイムとして発表された……のだが、デイリーレーシングフォーム紙の計時担当が計測した1分53秒4と食い違い、しかも同社も「ウチのが正しいです」と主張したため論争に発展。
CBSテレビも「レースの映像を同時再生して比較してみましたけど、セクレタリアトの方が明らかに速いですよ」と同紙の肩を持つが、競馬場側はこれを認めず上記計測値を公式記録として確定。DRF紙もそれに従いつつ、自社測定記録を括弧書きの参考値として併記するという前例のない事態に。

事態が収拾されたのはレースから39年も経った2012年。メリーランド州競馬委員会がヘレン女史を交え協議した結果、満場一致でオフィシャルレコードが訂正された。
訂正後の記録は1分53秒フラット。「待って、なんでさらに速くなってんの?」という疑問はごもっとも。実はこれ、最新技術をもってレースの映像を分析した結果導き出された数値である。
そんなわけでセクレタリアトが叩き出した走破タイムは、彼の走った当時のレコードもその後カーリン*17により更新されたレコードもぶっちぎって、米国三冠で唯一残されたレコードの頂点に君臨することになった。
そしてDRF紙は満を持して確定した記録を受け入れた。まあヘレン女史とは特に確執もなかったし。


閑話休題、話をセクレタリアトの米国三冠無双に戻す。48年のサイテーション以来実に四半世紀ぶり、史上9頭目の米国三冠に王手をかけた陣営。ベルモントステークスの当週にはタイム誌、ニューズウィーク誌、スポーツ・イラストレイテッド誌と米国屈指の週刊誌3誌の表紙を飾るなど、馬の者であるなしを問わずセクレタリアトへの関心は天井知らずになっていた。
なお、タイム誌発売はベルモントSの2日後だが、レース後に表紙の変更や特集記事追加など余裕で追いつかないのはどうあがこうと確定なため、本馬が各誌の表紙&記事にダイナミックお邪魔しますしてたのは当初からの予定である。
当レースではついにアワーネイティヴが出走回避し、雪辱を誓うシャムやジャイアントキリングを狙う他3頭の5頭立てとなった。セクレタリアトの単勝オッズは断然一番人気の1.1倍、レース中継の視聴率は驚きの52%だったとか。ほぼ払い戻しであるが、ほとんどの観客は換金せずに記念品として持ち帰ったそうな。ハルウララのハズレ馬券かな?*18
レース数日前、セクレタリアトの最終調整完了後の夕食の席で「これで負けたら私は首吊らにゃなりませんね」と、ジョークにしては悲愴すぎる発言をかますターコット騎手に対し、ローリン師は「ロニー、あいつは史上最強かつ最も偉大な馬だ。もしあいつが負けようものなら、私は競馬との関わりを永劫断つよ」と応じたとか。
師としてはそのくらい彼我の絶対的格差を確信していたらしいが、さすがにダービーで最後方からのぶち抜きをやってのけた主戦騎手も、三冠のプレッシャーは堪えたと見える。しかし、こうまで言われて泣き言ほざいちゃ男がすたる、とこの会話で腹をくくったそうな。

そんな各陣営やファンやその他諸々の思惑と夢と期待と意地と誇りを背負い、アメリカ競馬の神話となった伝説のレースが幕を開ける。
今回は出負けしたセクレタリアト、そのままスルスルと定位置の最後方に下が……らない。のっけからアクセルベタ踏みで出負けを取り戻すと、ハナを切るシャムに並び、競りかけ、そのまま猛ダッシュ
絶対追い込みでぶち抜くホースがまさかの初手逃げ馬強襲、という異例どころか異常事態に場内騒然。というか一番ぶったまげたのシャムの鞍上だろこれ。
初手からアクセル全開でぶっ飛ばすセクレタリアトと、一人旅などさせるかと懸命に競りかけるシャム。レース序盤からいきなり始まったマッチレースを前にして、後続3頭はマッハで彼方に置き去りにされた。正直誰もセクレタリアト(と必死でついてくシャム)しか見てなかったんじゃねーかな
前半半マイルのペースは驚愕の46秒2。クラシックディスタンスのペースメイキングじゃねーぞこれ、という馬殺しの超絶ハイペースに強制的に付き合わされたシャムはどうにか6ハロン過ぎ、だいたい向こう正面中間のあたりまで耐えたところで力尽き轟沈。むしろよく6ハロンも保ったもんだ。後は伝説の一人旅である。
そのまま「お前スプリントレース2連闘と勘違いしてねーか?」ってレベルでセクレタリアトは驀進し続け、圧倒的なちぎりっぷりで最終直線へ。あろうことかセクレタリアトはここに来て更に再加速したのである
日本馬でわかりやすく例えるならまるで逆噴射しないツインターボ……否、そんな生温いものではない
異次元の大逃げをやった後に衝撃の末脚を使ったようなものである。いや、それすら足りないかもしれない。もはや馬としての理論値の走りとでも言うべきだろうか。
とにかく鞍上が「え、今どんだけ差がついてんの?」と振り返る必要があるくらいのぶっちぎりっぷり。というか、鞍上ががっつり振り返って減速しようがどうしようが逆転不可能な馬身差ってなんだよ……

そんなこんなでカンスト+各種補正MAXなスピードとスタミナとパワーに物を言わせて初手ニトロチャージャーフルブースト、かーらーのーオールウェイズ全力疾走という暴挙をぶちかました彼は、もはや諦め以外鞍上の頭になかったであろう2着トゥワイスアプリンスに


31馬身差


というちょっと何言ってるかわからない、どころか数回動画見ても理解が追いつかないレベルの着差を叩きつけて一人旅を終えた。なお彼のゴール時、他の皆さんは残り100m付近をひーこら駆けてた模様
いやホント、何をどうしたらこうなるの?仮にもクラシック三冠最終戦に出てくるだけあって優駿しかいないんですけど?というかシャムに至っては、セクレタリアトいなかったら三冠普通に獲れてた公算大なんですけど????

それはさておき、走破タイムお披露目のお時間である。まあこれに関してはいろんなサイトや書籍で言及されてるからインパクト薄め(薄いとは言ってない)ではあるが、様式美なので。
それでは聞いて驚け見て慄け、セクレタリアトのベルモントS勝ち時計がこちら。


2分24秒


はい、当時のレースレコード*19を2秒6もぶっちぎる、偉業通り越して異形のレコードでございます。しかもこれ、ダートクラシックディスタンスの全米レコードすらも2秒2ぶっちぎる問答無用のワールドレコード。こんなの破れるわけないでしょ、考えるまでもなく。
同レース史上2位の記録*20でさえ2分26秒。2秒差といったら約10馬身相当である。馬場や馬そのもののコンディションなどにも左右されるので、走破タイムと馬のポテンシャルは必ずしもイコールではないのだが、こんな笑うしかない値を出されると話は別としか言えない。
つまり歴代ベルモントS勝利馬が当時の戦法とコンディションそのままでベルモントS勝利馬最強決定戦を行った場合、クッソ雑に言ってセクレタリアトは後続を最低10馬身ぶっちぎって勝つ、ということである。次元が違うとかいうレベルの話ではない。ちょっと競馬の神様贔屓しすぎでは?

ちなみにこの大暴走ととれなくもない初手から全力全開、ローリン師の指示とはまるで違う鞍上の独断だったという。ガチの鞍上暴走じゃねーか
レースの数年後にインタビューに応じた師曰く「ロニーがセクレタリアトをどう走らせるかを察したのは向こう正面に入った時点。もしあの時銃を持っていたらあいつ撃ってました」だそうで。また、「私はヘレン女史に勝てません、と言いました。彼は負けると。まあ勝っちゃったんですが」ですと。
ターコット騎手も明言していないので、なぜこうもセクレタリアトのセオリーをガン無視した、神風特攻もかくやの大暴挙をかましたのかは定かではない。が、少なくとも自身とお手馬に相当な自信がなければできることではない。30年前の同レースで大爆走かましたカウントフリート*21が脳裏をよぎったのでは、という話もないではないが……

まあそれはともかく、ベルモントSでの歴史的一人旅と時を同じくしてタイム誌に特集記事が組まれたことで、競馬を知らない層にもセクレタリアトの名は広がった。さらにはその燃えるような赤い栗毛と圧倒的すぎる強さから、馬の者たちから永世終身米国最強馬マンノウォーの再来と謳われ、偉大なる先達の異名(ビッグ・レッド)を襲名。名実ともにアメリカ最強馬の一角に列せられることとなった。
この頃のアメリカは悪名高きウォーターゲート事件で政権の威信が失墜したり、ベトナム戦争でゲリラに苦戦し撤退など、お世辞にも芳しい話題が多いとは言えない時期だった。そんな折に四半世紀ぶりの「颯爽登場!米国三冠馬!!」とかしちゃったもんだから、そりゃもう国民的英雄爆誕待ったなしである。なにしろ「セクレタリアトが大統領選出馬したら余裕で勝てるぞ」なんつージョーク……ジョーク?が流行るくらいだし。


3歳中後期〜〜偉大なる赤いアイツの地方巡業、そして早すぎる引退〜〜

久方ぶりの米国三冠馬にしてアメリカ最強馬の一角として、巷間に認知され明るい話題を提供したセクレタリアト。なもんだから、全米各地から出走依頼が来るわ来るわ。
招待するのに巨費を投じたとして、招待して観客に売る馬券やその他場内で提供するサービスで黒字余裕ってわけである。そりゃどこの競馬場だって全力でビッグウェーブに乗る、筆者だってそうする。
しかし前項の通り、セクレタリアトは3歳限りで種牡馬入りが確定済みである。それでもヘレン女史とローリン師は可能な限り依頼に応えられるよう、緻密な出走スケジュールを組み上げて対応した。

まずはベルモントパークの一人旅から3週間後、シカゴのアーリントンパーク競馬場で開催されたアーリントン招待ステークスに出走。彼を招致するために12万ドル以上をぶっ込んだだけあり、4頭立てと少ないながらも出走馬はどれも各地のGⅠ戦線で鎬を削る優駿揃い。そしてセクレタリアト見たさに4万人超えの観衆が押し寄せた。
だがまあ当世のザ・規格外には案の定敵わず、向こう正面でハナを奪ったセクレタリアトが独走し9馬身差圧勝。前走の疲労もあってかそこまで本気に見えない走りだが、それでも走破タイムはコースレコードにわずか0.2秒及ばぬ1分47秒と、相変わらずぶっ飛んだタイムを叩き出して観客を熱狂させた。
ちなみにこのレース、セクレタリアトステークスと名を変えて3歳馬限定GⅠマイル競争として現在も施行されているが、2023年よりGⅡに降格された。

次走は5週間後、ニューヨークに戻りサラトガ競馬場でのホイットニーステークス。ところがこのレースでとんでもない大番狂わせが起こってしまう。
いつも通り後方から進出、逃げる4歳馬オニオンに3角で競りかけ抜き去らんとするが、オニオンが凄まじい粘りを発揮し直線向いて叩き合いにもつれ込むと、よもやよもや、セクレタリアトが1馬身差の2着敗戦。
久方ぶりの敗北、しかも相手は未だステークスウィナーにすらなってない無名馬である。サラトガ競馬場の空に馬券が乱舞した。
実はこの競馬場、“チャンピオンの墓場”という不吉すぎて笑える異名で知られており、初代ビッグ・レッドがアップセットに敗れたサンフォードステークス、30年クラシック世代の三冠馬ギャラントフォックスが単勝101倍のジムダンディに下剋上かまされたトラヴァーズステークスも同地開催である。当代ビッグ・レッドもジンクスからは逃れられなかった。
なお、レースの敗因そのものはわりとハッキリしており、ド直球に言うと「ウイルス性疾患で下痢ピー治らんうちに出走したから」。スウェット氏曰く「下痢が後脚を滝みたいにダバァしてたんですよね」とか。いやなぜ出走させたし。
普通こんな状態で出走とかアホでもやらんが、陣営曰く「観客の期待に応えたかったのと、この子の実力ならイケるかなって……完璧に間違ってました」だそうで。出す前に気づけや。

この敗戦でやたらとドサ回りできなくなったわけだが、それでも6週間の休養を経てベルモントパークに舞い戻り、マールボロカップ招待ハンデキャップに出走。
このレース、世界最大のタバコメーカーフィリップ・モリスの代表取締役にして熱烈歓迎競馬バカであるジャック・ランドリ氏の

「セクレタリアトとリヴァリッジのガチバトルをかぶりつきで観させろ!金ならいくらでも出す!!」
※ガチでいくらでも出しました

という欲望のもと、金を持て余した神がガチで25万ドル☆PON☆とくれたことで実現した一戦である。
直前に奇しくも両馬が伏兵に思わぬ敗北を喫したことで、州政府が「これ公正なマッチレースになんの?」と眉をひそめたため、ランドリ氏が「じゃあ他に実力馬招待して公正なレースにしてやんよオラァ!!(金の暴力)」という力技ぶちかまして黙らせたという経緯があった。金持ちの本気って怖い(小並感)。
なお、レースは例によってセクレタリアトがリヴァリッジ及び招待された5頭をまとめてぶっ飛ばし完勝した模様。ついでにダート9ハロンのワールドレコードも更新した模様。本当に自重しねえな……
その後、このレースはベルモントパークの秋の名物競争として87年まで存続した。

次なる目標はウッドワードステークス。前走に比べると出走馬の層も薄く、馬場状態も特に苦としてない重馬場の発表。まあ勝ちは揺るがないというのが大勢だった。
ところがぎっちょん、セクレタリアトが珍しく先行策を取ったと思いきや、直線で失速。単勝17倍の伏兵プルーヴアウト*22に4馬身半差つけられ2着敗戦。はい馬券乱舞入りまーす。
これまでわりと敗因がハッキリしてたのに対し、今回のそれは判然としない。セクレタリアト直近の三冠馬サイテーションを管理してたジミー・ジョーンズ師は「重馬場で負けるようじゃセクレタリアトは俺のサイテーション以下だよね」と言ったそうだが、前述の通り不良馬場を大外ぶっこ抜きノーステッキで8馬身差蹂躙という実績があるため、たかが重馬場ごときでこの馬が負けるわけもなし。
可能性があるとすれば、重馬場クソ弱マンのリヴァリッジの代わりに急遽出走することになったため、調整が間に合わなかったのが原因ではなかろうか。本来出走予定だったマンノウォーステークスは芝レースだし、芝へのアジャストからダートへの再アジャストが間に合わなかった……とか?
どうでもいいが、3歳時に彼が負けたレースって全て頭文字がWだったりする。「Wood Memorial」「Whitney」「Woodward」……だからどうしたという話なのだが、どこぞのキバヤシめいた電波を受信しそうになる符号である。

そしてさらに予定通りマンノウォーステークスへ殴り込み。9日しか経ってないんですがそれは……
初の芝コースへ突撃した理由は、一般的には「芝でも走れる万能性を見せておくため」とされている。というかターコット騎手からして「信じられないと思うでしょうが、こいつは芝の方が強いんじゃないかと思ってます」って言ってるし。どっかの三冠馬の逆バージョンなこと言ってる…
ここでは芝のGⅠ戦線を勝ち上がってきた有力馬たちが「俺たちのシマを荒らすとはいい度胸だな」とばかりに立ち塞がってきたわけだが……
はい、逃げてコースレコードで後続に5馬身差つけて圧殺しましたとさ。これで芝も余裕と天下に示した形である。芝よしダートよし、クラシックディスタンスまでよし、馬場状態も苦にせず。こいつに苦手なフィールドってあるの?

そしてラストランとなったのが、カナダのウッドバイン競馬場で開催されたカナダ国際チャンピオンシップステークス。先代ビッグ・レッドのラストランがカナダだったこと、ローリン師とターコット騎手もカナダ出身というのが影響したのかもしれない。当代アメリカ最強馬の来訪ということで、カナダではそりゃもう大々的に歓待されたそうな。
ここでは騎乗停止処分を食らっていたターコット騎手からエディー・メイプル騎手と最初で最後のコンビを結成、レースに臨む。12頭立てで行われたこのレース、先手を取ったのは逃げ宣言のケネディロードだったが、向こう正面でセクレタリアトが先頭を奪うとそのまま押し切り、後続に6馬身半差つける圧勝でラストランを飾った。

こうして有終の美を飾りレースに別れを告げたセクレタリアトは、アケダクト競馬場での引退式の後コースを去った。
当年12戦9勝の成績で2年連続の年度代表馬に選出され、さらに最優秀3歳牡馬と最優秀ターフホースもかっさらった。「芝で2戦しかしてないのになんで?」とはよく言われるが、そのたった2戦が有力馬相手に不慣れなコースでぶっちぎりの圧勝だったらそりゃ選ばれるだろ、としか。
なお、引退翌年に競馬の殿堂入りし、死後99年にはブラッドホース誌の「20世紀のアメリカ名馬100選」でマンノウォーとワンツーフィニッシュの2位に選出されたほか、「20世紀のアメリカアスリート100選」でも35位にランクインした。ちなみに2010年には映画化もされた。



二代目ビッグ・レッドの種牡馬生活

デビュー前年にこの世を去っていた父の馬房を与えられ、クレイボーンファームで種牡馬入り。現役時代同様ファンが押し寄せ、当初はオーナーのセス氏もファンの来訪を喜んでいた。
しかしファンの母数が増えるということはDQNの絶対数も増えるということであり、ある日「テーブルがちゃんと用意されてないじゃないか!!」とおほざきになられるクレーマーが襲来。笑顔でキレたセス氏はセクレタリアトの公開禁止という報復措置で応えた。やらかしたアホがその後どうなったかは定かではないが、まあ競馬ファン界隈は出禁&回状確定だよなぁ……

さて、話をセクレタリアトの種牡馬生活に戻す。無双馬の種牡馬入りということでそりゃもう期待され、初年度産駒には当時の価格で150万ドルの値がついた奴までいた。
だが初年度産駒の成績は微妙。一応2年目の産駒がデビューした78年には北米2歳馬リーディングサイアーを獲ってるし、「鉄の女」の異名を持つ年度代表馬レディーズシークレットや二冠馬リズンスターなどを輩出しているので悪い成績ではない。ないのだが、競走成績やかけられた期待に比べると、その、ねぇ……?
また日本にも産駒が複数輸入されたが、目立つ成績を残したのはG3毎日杯等で勝ったヒシマサル(2代目)くらいだった。
それでもなんだかんだ言ってステークスウィナーを最終的に57頭輩出し、上2頭以外にもGⅠ馬をうまいこと送り出してるから、期待値に比べればともかくとしても、種牡馬としては成功した部類に入る。ただし後継種牡馬はほぼ断絶した。
とはいえこいつの遺伝子は牝系に組み込まれてからが本領発揮だったようで、母父としてノーザンダンサー系の無双種牡馬ストームキャット、シアトルスルー産駒の傑作エーピーインディ、ミスタープロスペクターの後継種牡馬ゴーンウェストなどを世に送り出し、血統背景に隠然たる影響を残している。
というかアメリカの三大系統すべての母父やってるあたり、もうちょい長生きしてたら種牡馬としての評価も持ち直してた感が……

89年秋に蹄葉炎を発症。懸命な治療が行われるも、四肢全てに発症する致命的な手遅れであり、安楽死処置が施され19歳没。遺体は検死の後全身が土葬された。
通常、競走馬埋葬の際には衛生上の観点から頭部と心臓、それに蹄のみを埋葬するのだが、彼の場合は遺体全てを余すところなく埋葬された。これは非常に稀かつ名誉な埋葬法なのだとか。
また、検死の際に心臓が通常の倍以上の重さの超ハイパワーエンジンだったことが判明している。しかも競技を退き心肺機能が衰えた状態でこれだったため、全盛期のそれはさらにでかく重く高出力だったことは想像に難くない。

代表産駒

  • レディーズシークレット
デビュー年の戦績こそ8戦3勝と振るわなかったが、3歳以降ガンガンレースで使う方針から出走出走また出走、勝ったり負けたりを繰り返しつつも5歳まで現役続行し、45戦25勝うちGⅠ11勝と、410kg程度の小柄とは思えないタフすぎる戦績を叩き出した女傑。4歳時に叩き出した年間GⅠ8勝は、地味に当時のレコードである。
その成績が物語る通りとにかく故障知らずのタフネスレディであり、アメリカ競馬界で“鉄の女”といえば彼女を指す。
また、芦毛の小さな馬体を弾ませ逃げて逃げて逃げまくるその弾丸特急ぶりは、“シルバーバレット”と評されることもあった。

競走馬として牝馬とは思えないタフかつ素晴らしい成績を残した反面、繁殖牝馬としてはあまりパッとしない。
とはいえ孫世代以降なぜか日本を中心にじわじわと重賞馬が出てきているので、牝系の方が廃れることは当面なさそうである。

  • リズンスター
当初はルイジアナ州のローカル馬的な存在だったが、レキシントンステークスでフォーティナイナー*23を撃破する大金星を挙げると運が向き、プリークネスステークスとベルモントステークスを勝って米国二冠を達成。特にベルモントでは父にこそ劣るが、14馬身以上の差をつけてぶっちぎり、父譲りの才能を見せつけた。
しかしその激走の反動か右前脚がイカれ、そのまま引退。父の威名もあり1400万ドルのシンジケートが組まれたが……お察しください。しかも疝痛で13歳と早逝してしまった。生きてりゃ汚名返上もワンチャンあっただろうに。
産駒の持込馬を経て曾孫世代でロゴタイプが活躍したので、日本では牝系経由ではあるが一応血は繋がっている。


余談

食っちゃ寝大好きのんびり屋、故障知らずの頑強ボディ

全盛期は馬体重530kg級という巨体*24だったが、それを抜きにしてもとんでもない大食漢だった。上記の通り餌を出せば出すだけもっしゃもっしゃと貪り食い、同じ蹄付きでも牛よろしく食っちゃ寝が大好き。厩舎でついたあだ名が“のんびり屋”。
こんな生活してれば調教で鍛えられてもマッハでデブ化しそうなもんだが、こいつの場合ちょっと競馬の神に贔屓されまくってるところがあり、食って寝て調教やレースで走ったら、摂ったカロリーが維持分を除き全て肉体強化に回されるという理不尽すぎるチートを持っていた。
そのため走るたびにガチムチ化していき、レースごとに腹帯を新調するハメになり、鞍も専用モデルをわざわざ特注せざるを得なかった。まあそんな出費は余裕でペイされただろうが。

また、こんな巨体馬は往々にして、いずれ己のパワーないし巨体を支える負荷に耐えきれず脚をイワすのだが、上記戦歴をご覧いただければ明白なように、病こそ患いはしたが物理的な故障とはまったく無縁な馬生を送っている。
というかこいつの敗因からして、ぶつかって出遅れ&不利、降着、口内の腫れ物、下痢、(おそらく)調整不足と、どれもこれもこいつそのものに責任がある負け方ではなかったりする。マジでなんなのこいつ。

等速ストライド

セクレタリアトといえばこれ、という人もいる彼独自の……というか真似なんぞできるわけがない走法。
バテることを知らないスタミナ、凄まじいパワーと跳ねるような独特のフォームから繰り出される爆発的な超加速を基に、彼が編み出したのがこの等速ストライド。
さらに恐るべきことに、こいつはストライドの長短をコントロールできた。普通、胴が長いほどストライドが長くステイヤー向きに、逆に短いほどスプリンター向きになる。しかしセクレタリアトはその長短を変えられるので、馬場状態やレース展開に応じて最適な走りを選択できたというわけだ。
わかりやすくウマ娘で例えるなら、育成開始時点で芝ダート全距離適性がAで、さらに馬場状態や天候系の緑スキルが◎でフル装備されてるようなもんだと思えばよろしい。チートじゃねーか。

ドーピング?

アメリカ競馬といえば常につきまとうのがドーピング。例に漏れず彼もまた「おクスリキメさせられてたんじゃね?」という疑惑から逃れられてはいない。
しかし仮にドーピングされていたとしても、絶対に覆せない事実がある。彼の心肺機能のトンデモっぷりだ。なぜなら心肺機能は強化剤キメたところで強化されず、純粋な素質と鍛錬でのみ強化されるからである
つまり仮にドーピングが事実として、天性の素質にドーピングでブーストかました結果が例のアレと思えば説明がつく。まあ要するにバリー・ボンズ枠というか。
そもそも周りがドーピングされてる中で、ドーピングされたこいつがまとめてねじ伏せたのなら、ぶっちゃけ相対的にはドーピングされてないのと変わらんのじゃなかろうか。条件一緒なんだし。

というか正直言って、ドーピングされて急激にブーストアップされたパワーの負荷をものともしない超強度フレームとか、ドーピングパワーでクラシックディスタンス全力疾走をやらかす心肺機能とか、やっぱり生来の素質がチートすぎただけなんじゃ……?



追記・修正は偉大すぎる先代の異名を襲名してからお願いします。

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最終更新:2024年04月20日 22:29

*1 ギャラントマン、ラウンドテーブル、アイアンリージを筆頭に、綺羅星の如き優駿たちが鎬を削った世代。ボールドルーラーはその中においても筆頭格と互角に渡り合い、ときにGⅠの大舞台で撃破もしたなまらすげー馬なのだ

*2 その後も2回獲得したので計8回、うち1回はセクレタリアトの生年なので7年連続。言うまでもないが種牡馬としては超絶有能である

*3 種付けで世界征服したノーザンダンサー軍団の活躍でやや影薄だが、こちらも産駒や子孫が超級の活躍を叩き出したとんでもないチート種牡馬。ただし20世紀最強を名乗るには相手が悪すぎた。なお競走馬時代はスペック激ヤバと名高かったが、それをぶち壊すそび糞気性難でも有名だった

*4 要するに血統表で5代前まで御先祖が被ってないこと。逆に被ってるとインブリードといい、共通祖先の持つ優良形質を発現させやすくなる代償に、気性難や隠れていた不良形質などのバーゲンセールを覚悟する必要がある。インブリードが過ぎるとハイフライヤーやセントサイモンよろしく血の袋小路に陥り、父系断絶とか普通に起きうるので、サンデーサイレンス系が幅を利かせてる日本馬産界は実は結構……。また、インブリードをさらに推し進めると奇跡の血量というさらなる高みに突入するのだが、本項とは特に関係ないので割愛する

*5 と言っても、ナリタブライアンやディープインパクトのように5代内完全アウトブリードの活躍馬も大勢いるので一概には言えないが

*6 当代オーナーであるご母堂は御年86歳のため、フィップス氏が代行していた

*7 具体的にはコイントスで勝った方が肌馬を選び、選んだ方の翌年の幼駒と選ばなかった方の翌々年の幼駒を、負けた方が残りの所有権を得る

*8 前述の通り、ボールドルーラーはこの時点で6年連続リーディングサイアーという、超弩級の有能種牡馬である。そのザーメンの価値たるやうなぎ登り待ったなし

*9 クレイボーンファーム総帥としてナスルーラやプリンスキロを輸入、欧州の名血を米国競馬に導入し、多くのステークスウィナーを生産してファームを一気に拡大した偉大な馬産家。つまりアメリカにナスルーラ系を確立させた立役者。またアメリカ競馬評議会設立において、最も重要な役割を果たした人物の一人でもある

*10 なんのこっちゃとお思いだろうが、要するにその牝馬がその年に生んだ幼駒のことである。生まれた当初は競走馬名とかついてないのでこうなるのだ

*11 種付けで世界征服した20世紀最大最強種牡馬ノーザンダンサーの牝系祖父かつセクレタリアトの同期にして80-90年代のアメリカ種牡馬界を支配したミスタープロスペクターの父系祖父。50年代アメリカ最強馬の一角にして、モノクロテレビの競馬中継に映える芦毛の馬体から「グレイゴースト」「グレイファントム」と称された22戦21勝の無双馬

*12 評価額のほとんどを前年度二冠馬のリヴァレッジとセクレタリアトが占めてたそうな

*13 当時の社台総帥・吉田善哉氏も名を連ねている

*14 ケンタッキーダービーをセクレタリアト以来唯一の2分切りで駆け抜けたダービー馬だが、プリークネスステークス敗戦後の骨折で年内を棒に振り、復帰後に1回出走しただけで屈腱炎を発症、無念の引退を余儀なくされた持ってない奴。レイズアネイティヴ系ではミスタープロスペクターを通さないほぼ最後の種牡馬として期待をかけられたが、牝馬GⅠスプリントを3勝したインフォームドディシジョン以外の産駒は正直微妙

*15 当時は3歳馬限定のオープン特別競走。現在の東京スポーツ杯2歳ステークス

*16 キャノネロが1971年に記録した1分54秒

*17 プリークネスSで初GⅠ制覇、その後もブリーダーズカップ・クラシックやドバイワールドカップなどで勝ち名乗りを上げた、北米史上初の獲得賞金1000万ドルホースにして世界賞金王。為替レートを考慮すると、実は世紀末覇王こそが世界賞金王なのだがそれは置いておく。種牡馬としても初年度から三冠競争勝利馬を輩出しGⅠ勝利馬を複数送り出すなど、まだまだヤれるどんどんイケる御年17歳にして既に実績十分

*18 「当たらない」ってことで交通安全やリストラ避けのお守り代わりに持ち帰ったり、場外発売場で買うファンがいたそうで

*19 親父の同期のライバル、ギャラントマンが叩き出したもの。これはこれで当時の偉大な記録だったのだが……

*20 89年のイージーゴア。セクレタリアトの再来と謳われたハイパーエリート系男子にしてサンデーサイレンスのライバルだが、種牡馬としては僅か8歳でで急死した関係で後継が繋がらず。なお宿敵の雑草系男子サンデーサイレンスは種付けで日本征服した

*21 43年クラシック世代の米国三冠馬。生涯成績21戦16勝は地味にセクレタリアトと同じ、生涯勝率8割弱を誇ったやべーやつ。2歳時に暴れまくったせいで3歳時は常に少頭立てでレースが行われたことで有名。ベルモントSにおけるセクレタリアト以前の最大着差、25馬身のレコードホルダー。なおレースは3頭立てだった

*22 名マイラーにして名繁殖牝馬ミエスクの母父

*23 GⅠ4勝を挙げた名馬にして、日本に輸入され活躍した大種牡馬。なんか産駒がパッとしないので輸出された途端、残してきた産駒が無双を始めたという意味でダンシングブレーヴ枠。もっとも彼と違って、病魔に蝕まれながらの種牡馬生活ではなかったが

*24 体格的にはゴルシ以上ヒシアケボノ未満という超ヘビー級フレーム。よっぽど頑丈か、もしくは筋肉や関節などの複合作用がショックアブソーバーとして機能するゴルシフレームみたいな特異仕様でない限り、いずれパワー負けして故障確実な超巨体である