メイショウドトウ(競走馬)

登録日:2022/04/09 Sat 10:13:38
更新日:2024/05/05 Sun 21:02:37NEW!
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99年クラシック世代 G1馬 Meisho Doto あざとかわいい おかわりを諦めない名馬 でっかいヤギ アイルランド インスタグラ馬 ウマ娘ネタ元項目 オペラオー正体見たり和田竜二 ガチムチ クラシック未出走 グランプリホース サラブレッド シルバーコレクター タイキシャトル→親友 タヌキ ターフを揺るがす"怒涛"の力。 ドットさん ドトウの執念 ドトッとしている ネバーギブアップ ノーザンレイク フォスターホース ブニ鼻 マル外 メイショウドトウ メト→相棒 メトと和解せよ 人懐っこい 外国産馬 安田康彦 宝塚記念 山羊の王 怒涛 怒涛の名将 愛すべきパカ 無事之名馬 牡馬 猫吸い 癒し 社交家 競走馬 競馬 覇王世代 長寿 食いしん坊



ターフを揺るがす"怒涛"の力。

ヒーロー列伝No.50より


メイショウドトウ(Meisho Doto)(以下「ドトウ」)とは、日本の元競走馬


データ

生年月日:1996年3月25日
父:Bigstone
母:プリンセスリーマ
調教師:安田伊佐夫
馬主:松本好雄
生産者:P. Hardy
産地:アイルランド
セリ取引価格:-
獲得賞金:9億2,133万円
通算成績:27戦10勝
主な勝鞍:01'宝塚記念


誕生と経歴

1996年3月25日生まれの牡馬。
アイルランド生まれの外国産馬で、父はBigstone、母はプリンセスリーマ。
両親は共にアイルランド産で血統表を遡ると、どちらにもノーザンダンサーの名がある。
海外で生産されたいわゆる「マル外」で、500万円という破格の安値で日本に輸入された。


競走馬として

非常にがっしりとした体つきをしており、特に胸筋の厚さは圧倒的であった。
外見的特徴として額から大きくまっすぐ広がっている白面がある*1

なかなかの遅咲きで、3歳(1999年)4月に2勝目、10月に3勝目、11月に4勝を果たしようやくオープン馬に昇格。
当時のクラシック三冠レースはまだマル外が締め出されていたが、ドトウには関係の無いことだった。
4歳になった2000年春の中京記念でようやく重賞初制覇。

初のG1となった宝塚記念は、テイエムオペラオークビ差の2着
オールカマー1着を経て3連続で挑んだ天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念やはりオペラオーの2着。
そして年が明けた2001年の天皇賞(春)もまたしてもオペラオーの2着という稀代のシルバーコレクターに……。

ただ、オペラオーのせいでドトウは二番手扱いのイメージが強いが、オペラオー不在のG2レースでは3勝(金鯱賞、オールカマー、日経賞)しており、
9戦連続重賞出走で「1着」か「オペラオーの2着」という記録も叩き出し、2000年のジャパンカップでは参戦した全ての00年世代より先着している。*2普通に強い。
ようするに、オペラオーの覇道の裏でオペラオー以外を容赦なく蹂躙していたのがドトウだったのだ。
なお、2000年から天皇賞がマル外にも2頭までだが解放されており、そのおかげで王道路線にコンスタントに出られたのはドトウにとっては幸運といえた。
頭数制限のせいで泣きを見た競走馬も出てきたが、それはまた別のお話ということで。

そして、2001年宝塚記念。
主戦騎手だった安田康彦*3は惜敗続きに責任を感じており、負けたら主戦を降りる覚悟で挑んでいたという。
いざスタートし、早めに仕掛け最終コーナーで先頭に立つと、徹底したマークに手間取り、抜け出しそびれてもなお猛追するオペラオーを1と1/4馬身差抑えて勝利。
ドトウ・馬主・所属厩舎ともに念願の初G1制覇となった

「ドトウ先頭!ドトウ先頭!
ドトウの執念が通じるのか!ドトウの執念がここで通じるのか!
ドトウか!ドトウか!オペラオーか!ドトウだ~!」
(杉本清アナ)

……しかし秋以降は新世代の台頭にオペラオー共々飲み込まれていく。
天皇賞(秋)では覇王と名将を後ろから急襲した、勇者アグネスデジタルに屈し3着(オペラオー2着)、
ジャパンカップではダービー馬ジャングルポケットの5着(オペラオー2着)。また、ステイゴールドとの対決はこのレースが最後になるが地味に初戦以来先着された。
ラストランとなった有馬記念ではマンハッタンカフェの大外撫で斬りの末脚で差し切られ4着(オペラオー5着)。
翌年にオペラオーと合同という異例の形で引退式を行ない、種牡馬入り。通算戦績は27戦10勝。
2着8回のうち、実に5回が1着オペラオーという結果だった。
なお、2000年以降は掲示板を一度も外しておらず、そのおかげもあり9億2133万も稼いだ馬主孝行な馬でもあった


引退後と現在

種牡馬としては地方重賞馬を数頭輩出するも、中央で目立った産駒は輩出できなかった。
ちなみに「牝馬を見ると別馬に豹変」と特集記事に書かれるぐらいには種付けが肌に合っていた模様。

だが、種牡馬を引退した後はナイスネイチャが広報部長を務める引退馬協会から譲渡の要請を受け、同協会の顔役であるフォスターホースとして活動することになった。
なおこの時、協会の関係者がオペラオーの名前を口にした際、それまで愛想よくしていたドトウが急にそっぽを向いてご機嫌斜めになったという逸話があるが、
ドトウとオペラオーの仲は別に悪くなかった*4と言われているため、「実馬ではなく、『オペラオー』というワードが嫌いだったのでは?」とか、
「かつてのライバルの名前を認識していなかったのでは?」あるいは「実馬と名前がドトウの中で結び付いていなかったのでは?」と推測されている。*5
ちなみに、オペラオーの主戦騎手だった和田竜二騎手がメイショウドトウに会いに行った時を収めた動画では、
上述の通り温厚な性格で人間にも友好的、現役時代お世話になったスタッフなどが来ると目に視えて嬉しがるようなドトウが、
彼に対してはずっとそっぽを向き、撫でられるとその手を振り払い、更に噛みつこうとする等徹底的な塩対応をしていたため、
ちょこちょこ耳を絞っているのが確認できることからも、本当に彼を嫌っている可能性が浮上すると共に、
「生前オペラオーとは特に仲が悪くなかった」ことを踏まえ、ドトウは人間の言う「テイエムオペラオー」=「和田竜二騎手」と認識している疑惑も浮上し、
この徹底した塩対応もそのためではないかと考察するファンもいたが…真実はドトウのみぞ知る*6

2024年3月時点も存命で、ノーザンレイク牧場で繋養されている。牧場のスタッフさんたちからは「ドットさん」の愛称で親しまれているようだ。
競走馬時代にがっしりとしていた馬体は今なお厚みがしっかり残っており、順調に年齢を重ねている模様。
同じ牧場のフォスターホース同士であるタイキシャトル(2022年8月没)とも仲が良かった。
23年7月末に右後肢にフレグモーネを、24年2月末に疝痛をそれぞれ発症した*7ものの、
その都度牧場スタッフのケアのおかげで回復し、変わらず元気でいる様子。
最近はチケゾー爺さんよろしく放牧地を駆け回る姿も投稿された。

泥や雪の上をゴロゴロと転げまわる姿を見せたり、おやつタイム終了を告げる厩務員さんの声に対し耳を横に倒して聞こえないフリを断行したり、
さらにはかつての宝塚記念を想起させる粘りでもっておかわりへの執念を見せたりするなど元気な様子。
ちなみに隣のタイキシャトルは同調圧力を向けられてそそくさと引っ込んだ模様。
ノーザンレイク公式Twitterにはそんな仲の良いドトウやシャトルの動画が投稿されているため、確認してみるのもいいだろう。


性格と逸話

サラブレッドとしては珍しくとても温厚で優しい。さらに、だけでなく他の動物とも積極的に仲良くなろうと近付く様子が度々見られるなど、非常に社交的なことで知られる。
他の馬房にいるとも積極的に交流したり、牧場で飼われている(牡のメトちゃん)と仲良くしようと近づくも逃げられてションボリしたりしているそうだ。ションボリルドルフならぬメイションボリ?
なお、最近はメトちゃんが背中に乗ってくれるようになりつつあるらしい。良かったね。
だが、その少し後にまたメトちゃんから逃げられてションボリしながら飼育員さんに慰めてもらおうとする様子が激写されていた……メトちゃんの心は複雑なようだ。猫は気まぐれだからね。
加えてその無邪気な振る舞いと、撮影しているカメラを見かけると必ず(目や鼻のドアップが撮れるほど)近くに来てくれる旺盛なファンサービス精神から、癒される人が多数いる模様。
そんなドトウに癒されたい方は、YouTubeに投稿されている動画やノーザンレイク公式Twitterを是非ご覧あれ。
最近ではメトちゃんを猫吸いする様子も目撃されるようになっているが、何とも幸せそうなドトウとは正反対に困惑している顔のメトちゃんの対比は多くのファンの笑いを誘った。
そしてドトウとメトちゃんの話が広まった事から、2023年12月にノーザンレイクからの希望で牧場に新しい功労馬ネコパンチ(2012年日経賞)が移住している。
更にはメトちゃんの写真集も刊行された。

また、食事の時などヤギに足元を囲まれても平然としており、ヴェルサイユリゾートファームに繋養されていた頃は、馬でありながら「山羊の王」の異名を取っていたとか。
ヤギにデカいヤギと思われてナメられていた疑惑が生じているのは置いておこう。
馬はもともと神経質な傾向が強いため、足元に他の生物がうろうろしながらまったく動じないというのは相当に珍しいのだ*8
最近はヤギのエサをちょろまかそうとしていた疑惑も出てきたのは内緒だ。

加えて山羊だけでなくタヌキとの縁もあり、ある日、ドトウの馬房に野生のエゾタヌキが入り込んだことがあったが、
特に苛立つ様子も見せず、しかもタヌキに一夜の宿を恵んだのだそうな*9
これに関しても競走馬としては非常に珍しいケースで、自身のパーソナルスペースが侵されているような状況でも動じないあたり、温厚な性格であることが見て取れる。
ステゴだったら恐らく蹴り出してたんじゃないか、とはよく言われる。

フィクション作品への登場

やはりというか、どの世界でもテイエムオペラオーとの関係性を軸に話が創られている。

2000年天皇賞(秋)回で初登場。
本格的登場となるジャパンカップ回ではステイゴールドからなりゆきでオペラオーもメンバーな「ブロコレ倶楽部」(創始者ナイスネイチャ)、フランスより現れたシルバーコレクター牝馬レーヴドスカーから彼女の「サロン・ダルシャン」と一気に2つの面白団体へと勧誘。
翌2001年にはゴルコレのオペラオーが倶楽部での立場に迷う中、密に牝馬とご飯に釣られてレーヴドスカーからの誘いを選ぶも、2001年宝塚記念では直前のオペラオーのボロ負けと自分達の世代をなめてる2000年世代にブチ切れて勝利。
引退時は気が抜けている所をブロコレ倶楽部の新年会に誘われるも、なぜか酔ってオペラオーに愛の告白を敢行。その少し後オペラオーはドトウとの北海道への旅がハネムーン扱いされる悪夢を見る羽目に……流石にリアルでは普通に「引退後もライバルだぜ!(意訳)」だったが。
その後は3連複・馬単馬券登場時、馬単派*10として一時3連複派のステイゴールドと対立するも、日本に居ついたレーヴドスカー共々ブロコレ倶楽部の協力者的ポジションに落ち着き、2012年秋にはどこかかつての自分と似た立場のヴィルシーナを倶楽部へと誘うことに。
でも2012年の新年会編では、「竜虎相打つ」という書初めをオペラオーと共に書く役をブロコレ倶楽部のナリタトップロードに取られ悔しがっていた。
そしてさらに時は流れ2018年宝塚記念、直前に昇天していたオペラオーの霊と再び宝塚記念を見届けるため天まで届く程伸びた腕で彼を呼び戻すという荒業を披露した。

  • 漫画『優駿劇場』『令和 優駿たちの蹄跡』(やまさき拓味)
滋賀は栗東の馬なので、関西弁を使用している*11
『優駿劇場』では2001年宝塚記念回に登場。宝塚記念前夜打倒オペラオーのためトレセンでなぜかはるばる美浦からびわこ競輪に車券を買いに来てスった帰りのダイワテキサスやナニがないのに女好きなホットシークレット等他の参戦馬達と相談を交わし、彼らの協力も得て勝利。
『令和 優駿たちの蹄跡』では作者が引退馬協会理事でもあり、かつメイショウ軍団の馬主の協力も得て執筆されたためノーザンレイクでの余生がテーマとなり、ドトウ編収録の2巻ではメトちゃんとのツーショット絵で表紙に。
そんな本編前半ではドトウの写真を取りに来た女性カメラマンの想いが綴られ、後半では「最近若い女性からドトウは人気がある(意訳)」とおだてるメトからの問いに応えオペラオーとの思い出を語っていた*12
その他基本的なキャラ付けは『優駿劇場』版を踏襲している(流石に宝塚前夜の談合は無かった事になったが)。

オペラオー共々プロジェクト初期から存在するウマ娘の一人。
連戦連敗のシルコレという部分をフィーチャーしてか、いつもネガティブなドジっ子キャラだが、元ネタのガタイの良さを反映して長身でウマ娘最大*13の爆乳というギャップがある。
初期は「同級生に連戦連敗しているせいで自信喪失気味」という設定だったが、現在は「自分とは正反対なオペラオーに憧れている」という設定に落ち着き、奇人オペラオーを全肯定しがち。
アニメ版ではマチカネフクキタルの助手として登場。救いはないんですか!?

2021年8月11日に育成ウマ娘として実装。
アプリの育成シナリオでは本格化の時期が遅かったという点がピックアップされたり、必然として「憧れの」オペラオーを打倒する流れを描かれる他、乱入してくるタヌキ、猫との関わりなど、史実エピソードも積極的に盛り込まれている。
詳しくは当該項目参照。


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最終更新:2024年05月05日 21:02

*1 流星では?という人もいそうだが、額にみられる白い丸のような模様を星といい、流星はその星がある程度伸びている状態の事を指す。ドトウのように広い面積を持ち、鼻まで伸びているようなものは「白面」と呼ばれる

*2 00年世代にとって、オペラオーどころか2番手にすら勝てないという、ある意味一番ダメージを与えた一戦でもある

*3 安田調教師の息子でもある。乗り替わりがあったのは2000年日経新春杯(武幸四郎)、宝塚記念(河内洋)、オールカマーと天皇賞(秋) (的場均)の4戦だけ。

*4 合同引退式や種牡馬時代に向かい合わせの牧場同士だったが喧嘩するようなことは無く、スタッフの感傷とは別に両馬共に我関せずでマイペースに過ごしていたようだ。

*5 「自分の周りの人が『オペラオー』の名を出す度に顔を暗くしていた」ので、そのワードを嫌いになったのではないか?という噂があるが、これはネット掲示板上で生まれた憶測を事実と勘違いして流布されたものにすぎず、裏付けとなる関係者の証言は一切無い。

*6 尚、持っていたにんじんはちゃっかり食べていた。が、食べた後はすごい嫌そうに手を振り払っている。

*7 疝痛に至っては開腹手術をしなければいけない状況だったらしく、年齢も年齢だったので非常に心配されていたが無事手術を終え生還。術後しばらくは食べ過ぎ防止の口籠をつけて過ごしていた

*8 とは言え耳をピコピコ動かしていたため、多少なりとも困惑していた模様だが。

*9 牧場スタッフも獣医師に確認を取り、「馬と狸では種族が違うため仮に病気をもっていても感染するかと言ったらしない」と返答をもらった結果「命を助けたいから始めた引退馬牧場だから、馬以外でも私達の所へ来る命は大切にしてあげたい」とタヌキの滞在を許可したそう。件のタヌキは一晩宿を借りた末、翌日には野に戻っていったそうな

*10 「オペラオーに勝てたのに馬券の上では同じ扱いなのはおかしい」という理由から。

*11 やまさき作品では他にも『優駿たちの蹄跡』のウラカワミユキ・ナイスネイチャ母子や『新・優駿たちの蹄跡』のハーツクライ等一部栗東所属馬が関西弁スピーカーと化していた。

*12 余談だが、メトが馬の思い出を聞くというシチュエーションは前巻収録のタイキシャトル編と同じだったり。

*13 サイズはヒシアケボノと同サイズのB99だが身長180cmW64のヒシアケボノに対して身長161cmW61の為カップで上回る。