カブラヤオー(競走馬)

登録日:2022/09/08 (木) 16:33:00
更新日:2024/04/27 Sat 02:42:09
所要時間:約 17 分で読めます




カブラヤオー(Kaburaya O、1972年6月13日~2003年8月9日)とは、かつて日本で生産・調教された元競走馬・種牡馬。
並の優駿では無理無茶無謀の三拍子揃った発狂逃げ戦術を取り続け、そして勝ち続けた狂気の逃げ馬”である。
大雑把に例えるとスタミナ足りてて逆噴射装置ぶっ壊れたツインターボとかそんな感じ……化け物では?



データ

生誕:1972年6月13日
死没:2003年8月9日(31歳没)
父:ファラモンド
母:カブラヤ
母父:ダラノーア
生産国:日本
生産者:十勝育成牧場(北海道新冠郡新冠町)
馬主:加藤よし子
調教師:茂木為二郎→森末之助(どちらも東京競馬場所属)
主戦騎手:菅原泰夫
生涯成績:13戦11勝[11-1-0-1]
獲得賞金:1億7958万7300円
主な勝鞍:'75年皐月賞、'75年東京優駿(日本ダービー)
受賞歴:'75年優駿賞年度代表馬、'75年優駿賞最優秀4歳牡馬(当時表記)



血統背景

父ファラモンドはおフランス出身。11戦2勝と勝利数だけならぶっちゃけパッとしないが、どちらも重賞かつ1200m戦と2100m戦。距離適性の融通が利くタイプだった。
ニュージーランドでの供用を経て1967年から日本で供用され、地方ダートでなかなか高い産駒成績を挙げている。
中央で大レースを勝ったのはこのカブラヤオーと全妹ミスカブラヤ*1兄妹のみだが、総合的に見れば種牡馬として十分成功した部類といえる。

母カブラヤは32戦6勝(うち障害3戦1勝)と、条件馬止まりながらなかなかタフな戦績の持ち主。地味にタケシバオー*2と同世代だったりする。
母父ダラノーアはこれまたおフランス出身の種牡馬。中距離系のスピード型血統で、代表産駒は桜花賞馬のニットウチドリ。
また母母ミスナンバイチバンを経由した親戚にはダイタクヘリオスやダイタクリーヴァ、ダイタクバートラムなどがいる。…地味にダイタク軍団多くね?

なお、5代内クロスはフェアウェイの4×4のみとわりと控えめだったりする。



生涯

年齢及び一部レース名は旧表記(数え年)に準ずる。

出生~デビューまで

1972年6月13日、新冠町の十勝育成牧場で後にカブラヤオーと名付けられる牡馬が生まれた。
ちなみになんで新冠にあるのに十勝なのかというと、共同経営者である厄除大師の異名で知られる超強運の調教師・西塚十勝御大から取った名前だから。
さて、カブラヤオーの馬主・加藤よし子女史はこの牧場に繁殖牝馬2頭を預託してたのだが、経済的な理由もあってこの年の産駒2頭を売ることにした。
なお片方はわりとすぐ売れたのだが、後のカブラヤオーは全ッ然売れなかった。地味な血統で見どころに欠け、6月と遅生まれで成長も遅く、馬体の垢抜けなさも敬遠される理由の一端だった。

売れなかったもんはしょうがないので加藤女史が所有したまま、東京競馬場所属*3の茂木為二郎厩舎に入厩することになった。
え、西塚師?「今馬房が一杯なんで引き受けられんのです、ご勘弁を」っつって預託拒否っちゃった。名調教師に稀によくあるガバガバ相馬眼
ちなみにこちらも特に期待してなかった茂木厩舎では、馬房空けるために半姉のカブラヤヒメが金沢競馬に売られていったりした。ついでに調教でもあまり走らず、やっぱりこの時点での評価は低かった。


3歳時 ~遅生まれの伏兵~

遅生まれだけありデビューは1974年11月と大きく出遅れ、ダート1200mの新馬戦で見習いの菅野澄男騎手を鞍上に初陣となった。まあ親父の産駒がここまでほぼダート馬なのを考えれば妥当であろう。
というか、加藤女史も地方ダートに強い種牡馬の産駒をよく中央で走らす気になったもんである。そこはフツー公営競馬に登録しない?

ともあれ、初陣は7番人気とピリッとせず、しかし中団から鋭い差し脚を見せ2着に食い込むと、約2週間後の未勝利戦では芝1200mを逃げ切り勝ち。
続いて1600mに延長の条件戦に出走、低人気をひっくり返して2着に6馬身差とぶっちぎりの逃げ切り勝ちを叩き出し、観衆どころか陣営すら度肝を抜かされるハメに。
「遅生まれだがなかなか凄いのが出てきたぞ」と密かに囁かれ始めるも、この条件戦を最後にこの年を終える。


4歳時 ~狂気の二冠馬爆誕~

明けて1975年、陣営はジュニアカップ*4から始動する。また、このレースから茂木厩舎のエースジョッキー・菅原泰夫騎手に乗り替わることに。
カブラヤオーは前走での圧勝もあってかここで初めて1番人気に支持されると、それに応え2着に10馬身差の殲滅劇をぶちかました。マイルで10馬身差って……
この圧勝も後押しし、クラシック戦線の伏兵として注目を集めだす。

この年のクラシック戦線であるが、この時点では阪神3歳ステークスを勝ったライジンを筆頭にロングホークやエリモジョージなど関西馬が有力馬の大半を占め、西高東低な評価となっていた。
そんな中でカブラヤオーは東京4歳ステークス*5に挑むことになるが、ここで問題発生。
同じく関東馬で絶賛連勝中で関東牡馬路線の有力馬全部ぶちのめして西高東低の原因となってた牝馬・テスコガビー*6とかち合うことになったのである。同じ逃げ馬で、おまけにどちらも菅原騎手のお手馬。どちらが選ばれるかも注目された。
結局菅原騎手は「うちのカブラヤオーにはいつでも乗れるけど、テスコガビーは一度降りたら次乗れる保証がない」という茂木師の配慮もありテスコガビーを選択。カブラヤオーの鞍上に菅野騎手が復帰することに。
このレースは2頭の長い叩きあいの末、カブラヤオーがクビ差先着して重賞初勝利を挙げ、同時にこれが菅野騎手にとって最初で最後の重賞勝ちとなった。
この一戦の後、再び菅原騎手を鞍上に復帰し弥生賞をあっさりと逃げ切り勝ち。しかも関西のクラシック戴冠有力候補・ロングホークを抑えきっての勝利である。カブラヤオーへの期待はますます高まった。


皐月賞 ~破滅的爆逃げだけど俺以外沈めば問題ないよな?~

そして迎えた皐月賞。断然の1番人気に推されたカブラヤオーは、発走直後からレイクスプリンターに絡まれペースを崩される。
が、しかし。




レイクスプリンター「アイエエエエエエッ!?爆走!?暴走ナンデ!?(ゴキッ)アバッ!?」


なんとカブラヤオーが疾走爆走大暴走。前半1000m58秒9という当時としては驚愕どころかマジキチを超えたマジキチラップを叩き出し、見る者全てを戦慄させた。
一応言っとくけどこれ2000m戦ですよ?スプリンターズステークスじゃないよ?
……え、サイレンススズカの秋天よりは飛ばしてない?時代と芝の質考えろ、そもそもノーザンテーストすらようやく種牡馬入りした頃ぞ。
真面目な話現代換算だと勝ちタイムが3秒以上*7早くなっている為、ざっくり換算すると1秒5以上早くする計算になる*8
……ちなみに、カブラヤオーの1000m通過タイム58秒9を1秒5早くしたら57秒4となり、秋天サイレンススズカと全く同じペースとなる。

そんな狂気の殺人的超ハイペースで逃げ倒してすらそのスタミナは底を見せず、4角回ってなおも健在。ゴール前で二の脚使う驚愕のパフォーマンスで後続を全頭まとめてすり潰し、皐月賞レコードで完全勝利してのけた。
なお、死ぬ気で追いすがったレイクスプリンターはレース中に右後脚を骨折するもド根性で最下位入線したが、予後不良と診断され安楽死。
レイクスプリンター鞍上の押田年郎騎手はレース後にカブラヤオーについて

「あんなの馬じゃねえ!化け物だ!」

と涙ながらのコメントを残している。そら(前半を短距離G1並の鬼畜ラップでかっ飛ばされたら)そう(後続が耐えきれるわけないしうかつに競り合ったら死)よ。
その競り合った短距離馬をマジキチハイペースでブチ殺しながら普通に逃げ切る驚愕のパフォーマンスを指し、狂気の鏑矢と言う異名が付く程。

その後、余勢を駆って東京優駿トライアル・NHK杯*9に殴り込むと、不良馬場をものともせず大外ぶん回しての差し切りで6馬身差圧勝。
あれだけの所業をしてのけてなおトライアルをぶっちぎり勝ちする余裕を見せつけ、東京優駿への期待を膨れ上がらせた。


東京優駿 ~破滅的爆逃げでヘロヘロだけど俺以外全部潰れてれば問題ないな!~

晴れの良馬場と絶好の競馬日和で迎えたダービーデー。カブラヤオーはここでも断然の1番人気に推され、4枠12番の単枠指定*10となった。
皐月賞で競りかけた馬が自滅するほどの鬼畜ペースを演出し、前走NHK杯では大外ぶん回しでぶっ差して圧勝劇を演じた馬である。「前走までがこれだし、さすがにダービーじゃ無理しないだろ。他の馬にも勝ち目が出てくるんじゃないか?」という見方もあった。
そんな甘ちゃんすぎるお馬鹿さんは速攻でわからされたわけだが。

ここでちょいと話が逸れるが、ダービーというのは馬にとっては生涯一度の夢舞台、馬主にとっても生涯一度参戦できればそれでもう誉れだってレベルの競馬の祭典である。
となれば、中継に映りたいがため、所有馬を覚えてもらいたいがためだけに無謀な逃げを打たせる馬主だって出てくる。これを俗にテレビ馬といった。
無論現在はそんなアホをやらせる馬主はいない。出走頭数制限が厳しくなったし、クラシックディスタンスがキツい馬でも短距離路線が充実、所有馬潰すくらいなら適正距離で活躍させるべきという考えが浸透したおかげである。
以上余談。

なんでここで話を逸したかは簡単だ。そのテレビ馬がカブラヤオーに凸かましたからである。
好枠を得た上に出ムチで一気にハナを奪うカブラヤオーだったが、そこにトップジローがしつこく絡みかけてくる。日本短波放送(現・ラジオNIKKEI)の長岡一也アナなど「玉砕戦法」と言ったくらいだ。
で、それにキレたカブラヤオーが競りかけるアホを潰すべく、またしても爆走を開始する。


カブラヤオー「何度も何度もッ!俺の側にッ!!近寄ってんじゃぁッ!!!ねえええええええええッ!!!!」

トップジロー「ちょっ!?まっ!?お兄(騎手)さん許して!潰れる潰れる……あじゃぱー!?」


しつこく競りかけてくるトップジローを振り落とすため全力全壊かましたカブラヤオーは、前半1000m58秒6、同1200m1分11秒8という皐月賞すらぶっちぎるハイパード鬼畜ラップを叩き出す。だからこれダービーでスプリンターズステークス2連戦じゃないとあれほど。
実際この時期のスプリンターズステークスの勝ちタイムよりはさすがに遅いが、4~9年前の勝ちタイムに並べても違和感が全くない*11有様である。
当然、こんなマジキチウルトラハイラップで逃げ切った存在など日本競馬開闢以来存在しないため、観客も関係者も「あっ(カブラヤオー轟沈を察し)」となる。
と言うか絡ませたトップジロー鞍上の外枦保重秋騎手がレース後こっち(トップジロー)は2コーナーであっぷあっぷなのに平気な顔して走るもんだから向こう正面でもうバカバカしくなってたと言い放ったぐらいである。
その後もマイペースに落とせず特攻を強いられたカブラヤオーは、直線向いた頃には口を割ってふらつきながらヨレる有様。当然後続もクタクタのヘロヘロだが、それでもカブラヤオーよりは残ってるだろうと必死に追い上げを図る。

しかしここからがこの(オトコ)の真骨頂。菅原騎手必死の檄に応え、火事場の馬鹿力を全力で捻り出し再加速。死ぬ気で食い下がるロングファストを抑え込み、重賞含む8連勝で二冠達成。
その壮絶すぎる疾走は観客のみならず、実況すら応援してしまうほどのものだった。
カブラヤオー以外の有力馬は、3番人気のロングファストこそ2着と健闘したが、後の春天覇者エリモジョージ(4番人気)は12着轟沈、八大競走こそ勝てなかったもののその戦線で幾度となく名勝負に絡んだロングホーク(2番人気)は6着と、カブラヤオーの影さえ踏めずに完敗を喫している。
そして件のテレビ馬は28頭立ての26着と完璧に轟沈した。というかあんだけのマジキチペースに引きずられて、よく最下位入線しなかったもんだ。それだけでも凄い。

後に競馬評論家の井崎脩五郎氏が語って曰く「このレースは不滅だ」「私の見てきた20世紀最強馬はマルゼンスキーだけど、このレースだけで見るならカブラヤオーって人がいてもおかしくない」。
なお、この年の菅原騎手はカブラヤオーとテスコガビーで春のクラシックを完全制覇した。そらまあ最強のアマゾネスと狂気の逃げ馬駆ってりゃ勝ててもおかしくないが、実際に勝っちゃってるあたりこの御仁も超がつく名手である。


4歳後期

菊花の誉れ、三冠の美酒を獲るべく無事夏を越したカブラヤオーだったが、ここで悲劇が彼に襲いかかる。9月下旬の蹄鉄交換時に左足の削蹄をやりすぎ、屈腱炎を患ってしまったのだ。もろ人為ミスじゃねーか。
ここまで破竹の8連勝で二冠達成し、菊花賞に出ても戴冠濃厚とされてたこともあって、その戦線離脱は多くの競馬ファンから惜しまれた。
なお、当の菊花賞は混戦模様と化し、トライアルの京都新聞杯を勝った4番人気のコクサイプリンスが獲った。

その後、カブラヤオーはテスコガビーらを抑え年度代表馬と最優秀4歳牡馬に選出された。


5歳時

ダービーから1年弱経った1976年5月のダートオープン戦で戦線復帰。東京4歳S以来となる菅野騎手が手綱を取るが、二重の久々もなんのその、軽快に逃げ切り平地競走9連勝のレコード樹立。なおこの年、御老体だった茂木師が死去。菅原騎手らともども森末之助厩舎に転厩している。
しかし復帰2戦目のオープンではゲートに特攻かましてドタマぶつけて脳震盪をやらかし、11頭立てのシンガリ負けで連勝記録ストップ。これが生涯唯一の着外となった。まあこれは実質走って帰ってきただけだから半ばノーカンだろ……ノーカンですよね(震え声)

その後は赤羽秀男騎手に乗り替わって札幌の短距離戦、菅原騎手が鞍上に復帰し東京のマイルオープンと2連勝。特に結果的にラストランとなったマイル戦は62kg背負って勝っており、相変わらずのハイスペックを垣間見せた。
だが秋天へ向け視界良好、有力候補として復活に期待がかかる中、調整中に屈腱炎が再発。無念の引退となった。
屈腱炎さえなければ八大競走4冠(クラシック三冠+天皇賞どちらかor有馬記念)は余裕でイケると思わせる実績があっただけに、なんというか、肝心なところで運が急落する奴である。
データの項にもあるように生涯成績13戦11勝。平地競走9連勝は今のところJRAレコードである。そろそろ誰か更新してもいいのでは?


種牡馬時代

引退後、1977年より日本軽種馬協会肝振種馬場で種牡馬入り。その後81年より日高軽種馬農協三石種馬場、荻伏種馬場を経て、日本軽種馬協会静内種馬場で供用された。
外国産種牡馬全盛の時代*12、しかも「異系の血統」「狂気の血統」と評される小柄の種牡馬ということで、なかなか評価も種付け料も上がらず、けして恵まれた種牡馬生活とは言えなかった。
しかしそれでも地方中央を問わず、中堅どころの堅実に走る産駒を多く送り出し、1988年にミヤマポピー(タマモクロスの半妹)がグレード制導入後のエリザベス女王杯を勝ったことでG1馬の父となった。
その他の産駒としては、1986年の東京優駿でダイナガリバーと壮絶な死闘を演じたグランパズドリームあたりが有名か。

その後、1997年をもって種牡馬を引退。栃木の日本軽種馬協会那須野牧場で余生を送っていたが、2003年8月9日、老衰にて死去。享年31歳(旧表記32歳)の大往生だった。



競走馬としての特徴

逃げ馬ではあるが、その逃げは絶対的な速度で置き去りにしたりとか絶妙なペース配分で後続を幻惑したりといった名馬のそれとは断じて異なる
自他問わずすり潰すようにひたすらぶっ飛ばす狂気の破滅逃げが特徴だったが、実はこれ、幼少期に他の馬に蹴られたトラウマで馬群恐怖症に陥ったのが原因。
「どうせ馬から逃げるんだからハナから逃げさせたれ」と試しに2戦目で逃げさせた結果がアレなのだ。というかNHK杯で大外ぶん回したのも、他馬に競りかけられるの避けたからなわけで*13
要するに「馬群嫌ぁーッ!こっち来んなぁーッ!」の一心で逃げまくってたわけ。
正直動画見る限りは馬群恐怖症通り越して馬恐怖症な気もするが……めっちゃヨレまくっとるし

当然鞍上に制御できるようなもんでもそう簡単に克服できるもんでもないので、現役時代は最重要機密として明かされなかった。明らかになったのも現役引退から10年は経った後である。
なんなら東京4歳ステークスで菅原騎手がテスコガビーを選んだのも、カブラヤオーの秘密を隠すためにテスコガビーがカブラヤオーの後方に付く形でマッチレースに持ち込む事で、さりげなく他馬をけん制していたのではないかという疑惑すら生じてる有様だが、今となっては真相は関係者のみぞ知る。
皐月とダービーであんな破滅的ラップ叩きつけたのも、簡単に言えば競りかけられる恐怖でリミッターぶっ壊してかっ飛んだからである。要は泣きギレ的なアレだと思えば。
全妹のミスカブラヤがエリ女で追い込み勝ち決めてるあたり、このトラウマさえなければ普通の戦術で普通に三冠獲れてたんじゃなかろうか。
と言うかそもそもがこいつの血統カブラヤオー以外基本的に追い込み馬なのだ。デビュー戦で中団からの差しをやった理由も「みんな追い込みだし」が全てだったり。

その破滅逃げを常時ぶちかましてぶっ壊れない脚と心肺機能も大概図抜けてる……というかもはやチートクラス。
ぶっちゃけこいつから心肺機能差っ引いたらツインターボになるわけで……
何せ他に逃げでダービーを勝利した馬で前半1000mの最速はアイネスフウジン(1990年)の59.8であり、1秒以上も遅い。
と言うかこのカブラヤオー以上のペースでダービーを逃げた逃げ馬は20世紀の間には現れず、2001年のダービー*14によってようやく更新された。
脚に関しても屈腱炎患ったのは完璧に装蹄ミスであり、あの自爆特攻破滅逃げでさえケロッとしてた超のつく健脚である。
それさえなければ菊花だろうと春秋の盾だろうと有馬だろうと「お前らこっち来んなぁーッ!!!!」の精神でぶっちぎっていただろう。つくづく惜しい馬だとしか言えない。
何せ上記のダービーで3着ハーバーヤングの鞍上だった名手岡部幸雄が後に「ダービーの時のカブラヤオー相手にはルドルフでも勝てたか分からない」と断言した程である。
岡部氏は「最強はシンボリルドルフ」と公言し続ける程にルドルフに脳を焼かれて惚れ込んでおり、ディープインパクト相手でも勝利する為の戦法を明言しながら「勝てる」と断言する*15人物である。
そんな彼が「ルドルフでも勝てたか分からない」と言う程に全盛期のカブラヤオーの脚力が卓越していたと言う証拠であろう。





追記・修正は恐怖でリミッターぶっ壊してからお願いします。

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最終更新:2024年04月27日 02:42

*1 1979年エリザベス女王杯の勝ち馬。同世代の同性有名馬としてはアグネスフライト・タキオン兄弟のおばば様、アグネスレディーがいる。なお繁殖牝馬としては不受胎が多く、アグネスレディーのように大成しなかった。仮にも重賞馬なのだが功労馬繋養展示事業の対象になっておらず、1997年の繁殖牝馬引退以降消息は杳として知れない。

*2 絶倫大魔神チャイナロックの代表産駒として、競馬界の初代アイドル・ハイセイコーとともに歴史に名を刻んだ名馬。当時としてはクッソ地味かつ裏付のない血統だが、芝ダートSMILE区分を問わず暴れに暴れた「初代怪物」にして、当時の良血馬たちと互角以上に渡り合った「野武士」。日本競馬が誇るやべーやつらの一角である

*3 シンザンの項目の注釈にもあるが、東西トレセンができるまでの調教師は各々の厩舎を競馬場に構えていた

*4 当時はダート1600mの条件戦、現在は芝1600mのリステッド競走。なお、スマートファルコンの芝での唯一の勝鞍でもある

*5 現在の共同通信杯。施行距離等は現在と変わらず芝1800m、グレード制未導入期につき格付けは単なる重賞

*6 杉本清御大の「後ろからはなん~にも来ない!」×3でおなじみ、牝馬二冠のアマゾネス。「テンよし中よし終いよし」の語源であり、牝馬離れした堂々たるグラマラスな肉体と圧倒的な資質を武器に、牡馬も牝馬もまとめて蹴散らしてきた歴史的女傑である。馬主が資金繰りのために無茶なことさせなければ、繁殖牝馬として血を残せたものを……。なお、杉本御大の3連呼はご本人曰く「あまりに間が持たないから苦し紛れにやった。ぶっちゃけ失敗したと思ってた」だそうで。とっさにあれが出るって時点でさすがの名実況請負人では?

*7 カブラヤオーの走破タイムが2分3秒5でレコード、近年は大体1分58秒~2分0秒前後

*8 サイレンススズカの時代も大体2分ぐらいの勝ちタイムで推移している為さほど大差はない

*9 現在は廃止されている重賞競走。施行距離は東京競馬場の芝2000m、グレード制導入後の格付けはG2。1995年の競走体系改革で、翌年から開始されるNHKマイルカップに引き継がれることが決まり、当年限りで廃止された。なお、ダービートライアルの役割は青葉賞とプリンシパルステークスに引き継がれた

*10 当時は連複しかなく馬連がなかったわけだが、そうなると圧倒的人気の出走馬が出走取消なり競走除外になった場合、同枠他馬が馬券に絡む可能性があるので馬券の返還ができない。同時に残った馬が人気薄の場合、投票人気比での馬券的中率がダダ下がりしてしまう。それを回避するため、圧倒的1番人気の馬を1頭枠に固定することで、上記の問題を解決しようとしたわけ。ちなみに導入の契機はハイセイコーの東京優駿。1991年10月より馬番連勝複式馬券が全国発売されたため廃止された

*11 1分10秒4~1分12秒1の間、9年前に初開催のレース

*12 シンザンの活躍で内国産種牡馬の評価が見直されたとはいえ、やはり外国産種牡馬の方が評価は高かった。国内にない血統、特に海外でレース成績実証済みの種牡馬を持ってこれるというのはそれだけで強いのだ。

*13 現に菅原騎手はこのNHK杯を「生涯最高に折り合ってた」と回顧している

*14 テイエムサウスポーが記録した58.4。

*15 つまり合っているか間違っているかはともかくとして「攻略法そのもの」は思い付いている