ダイタクヘリオス(競走馬)

登録日:2023/02/01 (水曜日) 12:13:27
更新日:2024/04/16 Tue 18:25:44
所要時間:約 14 分で読めます






至上の難敵

アイツには近づくな
真っ向から挑めば灼熱の炎に焼き尽くされるだろう

かといって慎重に距離を置けば
いつの間にかほら、手の届かないところへ

これほどにやっかいな敵などそういない

──JRA『名馬の肖像』2020年マイルチャンピオンシップ編より


ダイタクヘリオスとは、日本の競走馬である。
史上2頭目のマイルチャンピオンシップ連覇馬という名馬ながら、ある意味それを上回る個性で知られている


データ

生誕:1987年4月10日
死没:2008年12月12日(21歳没)
父:ビゼンニシキ
母:ネヴァーイチバン(当時の表記では「ネヴアーイチバン」)
母父:ネヴァービート
生産国:日本
生産者:清水牧場(北海道平取町)
馬主: 中村雅一
調教師:梅田康雄(栗東トレーニングセンター)
主戦騎手:岸滋彦
生涯成績:35戦10勝[10-6-1-18]
獲得賞金:6億8995万2400円
主な勝鞍:91'・92'マイルチャンピオンシップ


血統背景

父ビゼンニシキは重賞3勝を記録しながら、同期で後の三冠馬「皇帝」シンボリルドルフに主戦騎手を奪われてクラシック戦線ではボロ負け、そして短距離転向しようとした矢先に故障で引退した不遇の馬。何気にルドルフと同じ父系(バイアリーターク系 厳密にはその中でもトウルビヨン系)であり、ヘリオスは2世代目の産駒にあたる。
母ネヴァーイチバンは本馬こそ不出走なものの、半姉に「狂気の逃げ馬」二冠馬カブラヤオーの母「カブラヤ」がおり、他にも親族から重賞馬*1が複数輩出された事から、その牝系は自らの母の名を取り「ミスナンバイチバン系」と呼ばれている。
とはいえ母系の高評価は後世の事。デビュー当時は普通の重賞馬と未出走馬という組み合わせから、同期のメジロライアン(父は天皇賞馬)等他のスター馬に比べて地味な印象は否めなかった。

レースの軌跡

注:以下、馬齢表記はレース当時の旧基準(現在の表記+1)で表します。

デビュー~苦闘の始まりと短距離路線への目覚め

1989年、平成の始まりに10月の3歳新馬戦でデビューしたヘリオス…だが、最初の新馬戦で3着・当時は複数挑戦可能だった2週間後の新馬戦2回目で2着・そして3度目の正直とばかりにやっと8日後の新馬戦3回目で初勝利と、そのスタートは若干不安定なものだった。
とはいえその次の初重賞デイリー3歳ステークスでは三冠馬ミスターシービーの初年度産駒ヤマニングローバルの下4着だったものの、次の400万下「さざんか賞」では一番人気となり2勝目を飾る。
次いで1990年3歳時最後のレースにして初G1阪神3歳ステークスと4歳時の初レースシンザン記念では連続2着となるが、実績となる「収得賞金」は重賞2着でも積めたのでまだ問題は少なかった。

…が、2戦目かつ初の2000m戦となるきさらぎ賞では後の皐月賞馬ハクタイセイに敗れ6着、次いでクラシック戦線の登竜門となる1800mスプリングステークスでは11着と苦戦し、ここで勝ち鞍距離最長がマイル距離の1600mだったこともあり、陣営はクラシック戦線行きを断念。
短距離4歳限定重賞クリスタルカップ・オープン戦葵ステークスと2連勝(2番人気)を飾り、次いでマイル重賞ニュージーランドトロフィー4歳ステークスでも2着(1番人気)だった事で、秋のマイル最強決定戦G1マイルチャンピオンシップへと駒を進める事に。
…だが、そこでバッシングショットの下17着とボロ負けし、オープン戦→89年安田記念覇者バンブーメモリーが短距離でも勝者となったスプリンターズステークス→オープン戦と3連敗してしまう。
それでも1991年5歳時の2戦目G2マイラーズカップで初重賞勝利を飾るも、また次も重賞2連敗と波が激しい時期が続いたが、その2敗目の重賞で、彼は運命のライバルと出会うこととなる。


ダイイチルビーとの戦いの日々、そして別れ

1400m京王杯スプリングカップ。そこで新たなマイル・短距離路線の覇者として名乗りを上げるように勝利したのは、同期のダイイチルビー
「天馬」トウショウボーイと桜花賞馬ハギノトップレディを親に持ち、母の牝系も活躍馬の多さから「華麗なる一族」と呼ばれる程栄えた良血の令嬢は、クラシック路線では脚部不安にくじ運の悪さや故障もあり苦戦したが、路線変更した事であっと言う間に京王杯でバンブーメモリーごとヘリオスも下し重賞2勝目を記録。
その勢いでダイイチルビーは安田記念でもヘリオスを2着(バンブーを3着)に従えG1馬の座に輝き、その名は新たなマイル女王として輝くかに見えた。
だが、CBC賞での敗戦を経て再起したヘリオスは、2回目の2000m挑戦となる高松宮杯で、祖母イットー・母ハギノトップレディに続く母娘3代連続同一重賞勝利に燃えるダイイチルビーを下し見事こっちも重賞2勝目。
次の1800m毎日王冠では後の同年天皇賞(秋)馬プレクラスニーの2着・かつて父が挑めなかったスワンステークスでは91年世代の新鋭ケイエスミラクルの9着とまた苦戦するも、
万を持して迎えた2回目のマイルチャンピオンシップにて、ついにヘリオスはダイイチルビー(2着)とケイエスミラクル(3着)を従え、ついでにバンブーメモリー(9着)や重賞馬ダイユウサク(5着)・後のマイル重賞馬マイスーパーマン(7着)等先輩一同も一蹴し、ついにG1馬の座を勝ち取った。

これで陣営は調子に乗ったのか、ルビーとミラクルがスプリンターズSへ向かう中、初の長距離G1・グランプリ有馬記念への参戦を決定。
…一応過去に有馬取った後秋春マイル王になって有馬で締めた芦毛の怪物がおり、本馬自身も中距離までなら勝てる事は証明されているので、勝ち目がないとは言えなかったのだが、
有馬本番では一年後輩のツインターボが逃げ潰れた後に続くように中距離逃げ馬プレクラスニーと疾走するも、結果はまさかのマイルCS5着ダイユウサクが大逆転かつ初長距離勝利という結果に。それでも5着と奮戦はしていたが。
流石にその後は初長距離疲れをいやすためかやや長めの休養を取り、1992年6歳時初戦でマイラーズカップ連覇を達成。

…だがその一方で、スプリンターズS勝者となったダイイチルビーは同じマイラーズカップで6着に沈み、続いて2回目の京王杯スプリングカップでもヘリオス4着・ルビー5着と苦戦。
同時期『ルビーは「フケ(発情期)」の訪れで調子を落としている』と言う話を聞いた人々の一部は、そこに彼女がヘリオスに恋をしているような、あるいはスプリンターズSで予後不良となり儚く命を散らしたケイエスミラクルを悼んでいるような、そんな錯覚を覚えていたという。
そして2回目の安田記念、結果は一年後輩のヤマニンゼファー(京王杯3着)がと同じ玉座に座る傍らで、ヘリオスは6着・ルビーは15着と敗れ(ついでにダイユウサク8着)、そのままダイイチルビーはターフを去り、二度と2頭が顔を合わせることはなかった。

ちなみに、繁殖入りしたダイイチルビーは海外から輸入された有名種牡馬・日本G1外国産馬達と多数交配したが、不受胎の多さ等もあり牝系こそ何とか繋げられたが活躍馬が出る事は無く、同じマイルG1馬とはいえ普通の血統なダイタクヘリオスと交配される事もついぞ無かったという…。


最後の日々は意外な戦友と共に

激しい戦いの中恋が芽生えそうだったライバルが去った後、ヘリオスは西のグランプリ・宝塚記念に参戦。
そこで、ヘリオスは奇妙な戦友・メジロパーマーと遭遇する事になる。
結果自体は長距離寄りの逃げ馬パーマーを追って走るも届かず5着だったものの、この時地味なパーマーが勝った事で話題となった。

次いで2回目の毎日王冠では「鉄の女」イクノディクタスや昨年有馬で3着だった善戦マンナイスネイチャ、後にG1馬2頭を産んだ名牝スカーレットブーケを下し勝利するも、それをステップレースとして参戦した天皇賞(秋)で、事件は起こった。
父のライバルだったシンボリルドルフの息子にして負傷を乗り越え立つ二冠馬トウカイテイオーが、再び勝利する様を待ち望んでいたファンの前に現れたもの…
それはダイタクヘリオスとメジロパーマーが競うように逃げて相次いで潰れ(パーマー15着)、嫌な意味で父と張り合う様にテイオー7着・ヘリオス8着に沈む有様だったのである。なお勝者は11番人気のレッツゴーターキン。

流石にこのままでは終われないヘリオスは、連覇を目指しマイルチャンピオンシップに参戦し、後に翌年マイルCSを征するシンコウラブリイ(2着)やまた3着のナイスネイチャを倒し、ヤマニンゼファーにもリベンジを果たし(5着)無事に連覇。
だがその次のスプリンターズS(1番人気)では4歳の桜花賞馬ニシノフラワー(2番人気)が史上初4歳スプリンターズS制覇を果たす中4着。余談だがこの時、翌年以降の短距離王サクラバクシンオーは6着だった。

かくて迎えた2度目、そして最期の有馬記念。一説にはこの頃梅田調教師はヘリオスの脚部に不安を見て馬主に引退を進言しており、一応本来はスプリンターズSで終わる予定だったものの、当時入院していた馬主の希望から急遽有馬がラストランとなる事になったとも言われる。
中1週間でスプリンターズS(当時は12月開催)→有馬という1989年11月のオグリキャップとバンブーメモリー(中一週間でマイルCS→ジャパンカップ)張りの鬼ローテなのには目をつむろう。
まるで最後なのを分かっているかのように、メジロパーマーと競って逃げるダイタクヘリオスは、しかし連闘の疲れからか逃げ潰れ12着に沈み、有終の美は飾れなかった。
だがその他の参戦馬のペースを狂わせるような走りは、結果的にメジロパーマーが春秋グランプリ覇者になるのを助ける一助となった…のかも知れず、ヘリオス以上の酷使をされていたサンエイサンキューが同じレースで2年後他界する程の重傷を負っていた事を考えると完走しただけで幸せだったろう。

翌年1月、マイルCSの舞台となった京都競馬場で引退式が行われ、長い付き合いだった岸騎手を最後に載せターフから去って行った。

引退後

G1を2勝・重賞総計7勝を手土産に、無事北海道で種牡馬入りしたダイタクヘリオス。
しかしトニービン・ブライアンズタイム・サンデーサイレンスと輸入種牡馬が覇を競い、僅かを除いて内国産種牡馬が不遇を託つ90年代において、普通の血統・普通の種馬場*2のヘリオスはそれなりに産駒数こそあったものの、残念な事に目立つ存在にはならなかった。
だが時は流れ2000年、2世代目産駒で自分の馬主の親族が馬主であったダイタクヤマトが最低人気・7歳でスプリンターズステークスを勝利。ついでにスワンステークスをも勝って祖父の代から無念をも晴らした*3
そしてヘリオス自身は高齢と受胎率の低下から2008年に種牡馬を引退するも、種牡馬時代末期の仕事場だった青森の高橋牧場でそのまま功労馬になった矢先、同年12月に牧場で他界した。


特徴・ネタ


  • 新聞の読める馬
戦績的にはライバルに恵まれた事やレース範囲の広さ等もありかなり浮き沈みが激しく、1番人気で勝てたのは10勝中1回だけで、マイルCS時も4番人気→2番人気と絶妙に何か不安視されるような、そんな不安定さを抱えていた。
…どころではなく、なぜかレースにヘリオスが出走すると殆どの場合1番人気の馬が敗れるという異様なジンクスがあり、1991年有馬記念はある意味その究極と言える。
ゆえに、後に『名馬の肖像』で彼はさながらその名(熱く燃え盛る太陽神ヘリオス)のように触ると危険なジョーカーに擬えられ浮沈の多さはヘリオス(一部ではアポロン)の物語に伝わる、太陽馬車制御に失敗して大逸走したあげく暴走阻止のため殺された太陽神の息子パエトン感がしないでもないが
そんな彼を、かつて天皇賞等を制すもムラっ気が多すぎた迷名馬カブトシロー・エリモジョージと共に、競馬ファン達はこう呼んだ…「(競馬)新聞の(オッズ予想が)読める馬」と

ちなみに主戦の岸騎手もまた、かつて1989年エリザベス女王杯にてサンドピアリスで万馬券を生んだり、ヘリオスと同期のエイシンサニーを5番人気でオークスに勝たせたりしたことから「意外性の岸」と呼ばれていたとか。

  • 笑いながら走る馬
ファンからはギャグとして「新聞の読める馬」とも呼ばれていた彼だが、実は新聞を読むどころか逃げ運用馬にままある事例として、2回目の毎日王冠の本馬場入場時騎手を振り落とす等気性面に荒さや、後先考えず馬を見たら全力を出さずにはいられない「真面目さ」を抱えていた。
特に「かかり」(騎手の手綱による制御を受け付けず暴走する癖)が酷く、相方の岸騎手すら「まともに乗れたらどれだけ強いんだろうと、そう思わせる馬」とも後世述懐したとされる程のある種のじゃじゃ馬気質持ち。
またなぜか普通の馬と違い首を高くして走る癖と、馬の口に掛ける「ハミ」の噛み受けが悪くつい口が空きがちになる性質があり、それらが走りにおける障害となった感は否めない。
なお、この内ハミ受けに関しては91年スワンステークス以降馬具「ハミ吊り」を追加する事で解消されそれに伴いかかり率も低下したものの、首上げ走りは治らなかったという。
そして、よくかかりとハミ受けの悪さから口を開け首を上げながら走るヘリオスの様を見て、競馬ファン達はこう呼んだ…「笑いながら走る馬」と。騎手と厩舎は笑いごとではなかったけどな!

  • 寝転がるのが大好き
放牧中によく寝転がっていた。雪解けの時期でもお構いなしに寝転がるため、泥で芦毛のようになってしまった馬体を綺麗にするのに牧場スタッフはかなり苦労させられたとか。
ある時、あまりに長い時間寝転がっているのでスタッフが心配して見に行ったらただ寝転がって草を食んでいただけだった。

  • 他の馬達との絡みネタ
そんな(何も知らずに見ていたら)愉快な馬だったヘリオスに対し、当時の競馬ファンはさらに他の馬との関係性を夢想。
ダイイチルビーとのマイル・短距離最強決定戦、そしてルビー他界(2007年死去)の翌年に逝った偶然に「雑草育ちヘリオスと令嬢ルビーの恋物語」を妄想し、
メジロパーマーとの逃げ合戦に「パーマーとの逃げ馬コンビ」感を抱き、
ついでに天皇賞(秋)でのトウカイテイオーとの対戦に父の代からの因縁を思った。
そしてそれらファンの夢は、創作の世界で花開く事となる。


創作作品での登場


ダイタクヘリオス×ダイイチルビー推しの始まり。他のマイル馬達の物語と合わせ「恋のマイル戦」とも呼ばれている。
「ヘリオス・ルビー恋物語」(全3話+番外編2作)と題してがさつな青年ヘリオスと負けず嫌いなお嬢様ルビーの、覇を競い、肩を並べる中芽生えた淡い想いと、馬ゆえに相手を決められない者達の別れが描かれた。
そしてヘリオスは毎日王冠後やダイタクヤマトのG1勝ち後、あまりにド直球過ぎる告白…というには生々しすぎる発言を公衆の前でかまし、テレビで見ていたルビーに飽きれられる羽目に。
また引退後にはレースでよく競うメジロダーリングへの想いに迷う息子ダイタクヤマトに喝を入れ、ヤマトの引退前にはダーリングに対しても自身の叶わぬ恋からの忠告を行い、ついでにマイルの後輩デュランダルから相談が来た際にも(喧嘩した思い出の方が多く上がったが)ルビーとの記憶を伝えている。
そしてルビー他界後には天国より降臨したルビーと抱き合う姿、ヘリオスも逝った後には2頭再び肩を並べるも往時の様に大喧嘩になる様子がサービスとして挿入された。
但し作者の単行本『馬ほどステキな役者はいない』によると、最初は「ベタな恋愛もののパロディ(意訳)」として描いていたのに、結果的にファン内でマジにヘリオス×ルビーペア推しが熱くなるとは思わなかったそうな。
他にも天皇賞(秋)と引退直後には父ビゼンニシキも登場。だが天皇賞時にはライバルルドルフと再会し共にテレビ観戦するも最終的に2頭揃って石化し、引退時には息子がJRA賞で無冠に終わった事に不満をあらわにしていた*4
ちなみに本作ではバンブーメモリーは先輩として登場したがメジロパーマーやヤマニンゼファーとは特に絡んでおらず、ケイエスミラクルとダイユウサクに至ってはなぜか出走鞍自体が描写されなかった。


  • ゲーム『ウイニングポスト』シリーズ(コーエーテクモゲームス)
ゲーム中でのオリジナル馬の一つとして、ダイタクヘリオス×ダイイチルビーの子供「ファーストサフィー」が登場している。


競走馬擬人女体化作品なので、ヘリオスも女子高生として登場。リアルでの青い白耳メンコを反映して白い耳カバーを付け青いメッシュが掛った髪色をしている。
キャラは「笑いながら走る馬」や太陽神の名を反映してか常時ポジティブのパリピなギャル(趣味:DJ)。

アニメ第2期1話にて予告なしで突然登場。
初登場した際は「お嬢」と呼ぶ少女への想いをぶちまけていた時にメジロパーマーと知り合い親友となり、以来バカコンビもとい爆逃げコンビとして描かれる。
なお後に「お嬢」ことダイイチルビー(飼い犬:サフィー)はアプリ版にて本格的に参戦しているが、ルビーのルームメイトとしておれっ娘ケイエスミラクルも同時に登場。ウマ娘模様は複雑さを増すことに…。
アプリでは「新聞の読める馬」に関しても拾われており、レース前の控室で新聞の予想を見てテンションが上がりすぎてデバフを受ける(一応メリットもある)ランダムイベントがある。
2023年1月には、ヘリオス・ルビー・ミラクル・ヤマニンゼファーによる実写舞台版が上演されている。


追記・修正は新聞のオッズを見てからお願いします。

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最終更新:2024年04月16日 18:25

*1 ネヴァーイチバンの娘(ヘリオスの半妹)スプリングネヴァーの息子で重賞5勝を記録したダイタクリーヴァ等。

*2 北海道・日高軽種馬農業協同組合門別種馬場→青森県・高橋牧場

*3 だが引退後種牡馬となるも、乗馬転身後しばらくして行方が途絶えてしまった。

*4 ちなみにJRA賞内の最優秀スプリンター馬の座は、1991年はダイイチルビー、1992年はニシノフラワーに取られている。