ネイティヴダンサー(競走馬)

登録日:2023/09/27 Wed 17:41:48
更新日:2024/02/01 Thu 15:54:08
所要時間:約 24 分で読めます





Native Dancer(ネイティヴダンサー)とは、アメリカ合衆国で生産・調教された元競走馬・種牡馬。サカナクションではない。
アメリカ全土にテレビ放映が普及したのと時を同じくして活躍し、今も米国史上最強の一角にさえ名を連ねるほどの偉大な芦毛の怪物である。

※なおオグリは本馬の孫なので、血統的な元祖芦毛の怪物は彼だったり






データ

生誕:1950年3月27日
死没:1967年11月16日(17歳没)
父:ポリネシアン
母:ゲイシャ
母父:ディスカヴァリー
生産国:アメリカ合衆国
生産者:アルフレッド・グウィン・ヴァンダービルトⅡ世
馬主:生産者に同じ
取引価格: -
調教師:ウィリアム・C・ウィンフリー
主戦騎手:エリック・ゲリン(アメリカンダービーのみエディ・アーキャロ)
生涯成績:22戦21勝[21-1-0-0](生涯完全連対)
獲得賞金:785,240ドル
主な勝ち鞍:
1952年 ホープフルS、フューチュリティS
1953年 米クラシック二冠(プリークネスS、ベルモントS)、トラヴァーズS
1954年 メトロポリタンH
備考:20世紀アメリカ名馬ランキング第7位



血統背景

ポリネシアンはプリークネスステークスの勝ち馬で、初代アメリカ最優秀短距離牡馬としても知られる名スプリンター。
主にスプリント〜マイルのハンデキャップ戦線で5歳まで現役続行し、成績を考慮すると本質的には「インターミディエイトまでなら一流馬ともギリ勝負できるスプリンター」といった感じ。
種牡馬入り後は大物こそほとんど出さなかったが、産駒は高い勝ち上がり率とステークスウィナー数を挙げ、地味ながらも成功を遂げている。産駒傾向としてはやはり自身同様短距離に強かった。
ネイティヴダンサーは2年目産駒に当たり、まだ種牡馬としての評価定まりきらぬ頃の仔である。

ゲイシャは11戦1勝と勝ち上がり後は全く勝てないまま戦線を去っている、ぶっちゃけパッとしない牝馬。
だが、その父ディスカヴァリーは63戦して一切競争能力が損なわれることなく、時に63kgという超重斤量を課されながらも勝利してのけた鋼鉄のハンデキャップホース。
ブルックリンとホイットニーの両ハンデ戦をそれぞれ3連覇という強烈すぎるパフォーマンスで、強豪ひしめくハンデ戦線に君臨した“アイアンホース”の異名は伊達ではない。
また、種牡馬としてはそこまでではなかったがブルードメアサイアーとしてえげつない活躍を見せており、本馬以外にもボールドルーラーやベッドオローゼズなど強豪馬を輩出した。
ぶっちゃけ母父としてネイティヴダンサーとボールドルーラー出しただけで大勝利確定だし、余裕で競馬史に専用コラムが載る

当時のデータに沿い出生時〜デビュー前の評価を仮出力するなら「まだ箸にも棒にもかかるかわからん父とパッとしない母から生まれた芦毛のでかいの。ただ同じ母父ディスカヴァリーなベッドオローゼズの例があるので活躍もワンチャン?」といった感じになろうか。



生涯

幼少期(誕生〜デビュー前夜)

ネイティヴダンサーの生産者であり馬主のアルフレッド・グウィン・ヴァンダービルトⅡ世は、当時の米国競馬界においてとびっきりの重鎮として知られた御仁である。
ピムリコ競馬場やベルモントパーク競馬場の場長を歴任し、シービスケットとウォーアドミラルの世紀のマッチレース誘致に成功したほか、若干21歳時点でメリーランド州に所有するサガモアファーム*1でサラブレッドブリーディングにも手を出していた。
また“アイアンホース”ディスカヴァリーの最終的な馬主でもあり、繁殖入りした彼のことを「ディスカヴァリー産牝馬ならどんな種牡馬付けても間違いない」とガチ推し。実際にブルードメアサイアーとして競馬史に名を残したからⅡ世の相馬眼はガチだった。

そんなⅡ世が自身の推し馬産牝馬のゲイシャに「種牡馬入り2年目だからそんな高くないし、三冠競争勝ってるから競走実績的にも悪くないし、試しに付けてみよっか」とポリネシアンを交配させた結果、通常より1ヶ月長い1年の妊娠期間を経て生まれたのがこの馬、ネイティヴダンサーであった。
母の名がゲイシャ(ちなみにその母はミヤコといった)、父の名がポリネシアンというわけで、連想ゲーム的に「原住民(ポリネシアン)の踊り手」という発想で命名されたこの馬だが、ぶっちゃけ幼少期のエピソードはほとんど残ってないんだな、これが。
ただ、管理調教師として彼を預託されたウィリアム・C・ウィンフリー師は「この灰色の奴ヤバいですわ。まるで本気出してないのにこの調教タイムですよ?本格化してガチモードになったらとんでもないことになりますね」とコメントしている。
実際オカンの胎の中で寝過ごしてたせいか産まれたときからデカかった馬体は、食って寝て調教積んだ結果メキメキとガチムチ化していき、えげつないストライドの大飛びでかっ飛ぶ戦艦のごとき巨躯となった。
また、幼い頃から神経質かつ気分屋で鞭嫌いなかなりキレた性格だったらしく、調教中イラついてキレ散らかし、鞍上を振り落とそうとしたことがあったそうな。
どこがデビュー前エピソードほとんど残ってねーんだ、普通にキレたエピソード持ちじゃねーか



2歳時〜芦毛の踊り手、出陣〜

1952年4月19日、ニューヨーク州はジャマイカ競馬場(ニューヨークなのにジャマイカとはこれ如何に)開催の一般競争で、終生の相棒となるエリック・ゲリン騎手を鞍上にデビュー。
出走前の追切で好タイムを出したこともあり1番人気(単勝2.4倍)に推され、それに応え後続に4馬身半差つける圧勝で初出走初勝利を飾る。
この後、ネイティヴダンサーの単勝オッズが2倍を超えることはついになかった。……いや、いくらなんでもぶっちぎり過ぎません?
なお、ネイティヴダンサーに鞭が入ったのはこのデビュー戦のみである。神経質で下手に鞭が入るとガチギレ不可避な気質を抜きにしても、どうも陣営そのものがこの馬のヤバさを理解しきれてなかったらしい。
初勝利の余韻も冷めやらぬまま、わずか4日後のユースフルステークスに殴り込むと、単勝1.8倍の1番人気に応え、後続を6馬身ちぎり捨ててステークスウィナーの名乗りを上げた。
とても4日前にデビューしたとは思えんぞコイツ……
が、連闘の代償か左前脚に骨膜炎(ソエ)*2を発症。3ヶ月の戦線離脱を余儀なくされることに。

8月初頭、サラトガ競馬場での復帰戦・フラッシュステークスを後続に2馬身差つける快勝で飾ると進撃再開。わずか12日後のサラトガスペシャルステークスでは泥濘のごとき不良馬場もものかは、3馬身半差完勝。
さらに1週間後のグランドユニオンホテルステークスもこれまた3馬身半差完勝。またまた1週間後のホープフルステークス、2馬身差快勝。

さすがに走り詰めなので3週間ほどの休養*3を挟み、9月下旬にベルモントパーク競馬場で開催されたスペシャルウェイト戦に出走、1馬身1/4差で危なげなく勝利。
叩いて5日後のフューチュリティステークスでは不利を受け後方からの競馬になるが、直線でぬるりと先頭に立つとそのまま押し切り、ワールドレコードタイのおまけがつく2馬身半差快勝。
4週間ほど休養後、年内最終戦としてジャマイカ競馬場に舞い戻りイーストヴューステークスに出走。またしても危なげなく1馬身半差の快勝で2歳戦線を締めくくった後、調整を兼ねてカリフォルニア州で休養に入った。

結局、2歳時の戦績は9戦9勝無敗。1馬身差以内に一切詰め寄られることなく、同期の良血素質馬連中を容赦なくフルボッコにしたぶっちぎりの強さから、至極当然のように最優秀2歳牡馬に選出され、3歳にして古馬をぶちのめしたワンカウントと並び、年度代表馬ダブル選出となった。
なお、2歳馬が年度代表馬となるのは1907年のコリン*4以来45年ぶり、史上4頭目。また、2歳時獲得賞金額においても全米レコードを更新した。



鮮烈無敗の灰色の亡霊(グレイゴースト)

この頃、冒頭でさらっと述べた通り全米にテレビ放送が普及。当然だが競馬中継はテレビ局にとって優良な視聴率獲得源で、各競馬場にとっても「中継で我慢できなくなった競馬ニュービーがナマで見に来てゼニ落としてくれる、イエスだね!」と諸手を挙げて大歓迎していた。
当然というべきかこの時代のテレビはモノクロだったわけだが、栗毛だの鹿毛だの黒鹿毛だの青鹿毛だのが白黒の濃淡で判別できるわけもない。できたら超人である。
そんなわけで当時の競馬中継は「白黒の濃淡だけのテレビじゃどんな馬も同じに見えた。ただしネイティヴダンサーを除くと評されていた。
モノクロ映像にひときわ映える芦毛の巨体がコーナー付近で好位を追走し、ステッキを入れられることなくするりぬるりと抜け出していつの間にか先頭に立ち、大飛びがもたらす圧倒的加速で巨体を押し出し、無敗のまま連勝記録を積み上げ続けるその光景。

いつしかネイティヴダンサーには、

灰色の亡霊(グレイゴースト)

あるいは

灰色の幻影(グレイファントム)

という異名が、誰が呼ぶともなく定着していった。
3〜4角では間違いなく好位に控えていたはずが、気がつけば直線でするりと抜け出して、ノーステッキで全頭まとめてねじ伏せているという現実。
その姿、まさに亡霊か幻影のごとし。ひときわ目立つ芦毛の巨体が間違いなく映えているのに、間違いなく控えているはずなのに、画面のこちら側の誰も進出に気付かない、気付けない。むこう側の誰も止められない、阻めない。

そんな圧倒的すぎる戦いぶりで並み居る良血馬たちをねじ伏せていくネイティヴダンサーが元祖ビッグ・レッド以来となる全米規模のスターホースとなるのに、そうたいした時間は必要なかった。
何なら「一度見逃したら日常会話に支障をきたす」とまで言われた全米的絶対無敵究極最強大人気番組「エド・サリヴァン・ショー」のMC、エド・サリヴァンに次ぐレベルの大スターとして認知されることになった。
逆に言うとナマで見に行くかラジオ中継しかなかった時代に全米的最強無敵スターホースやってたマンノウォーはとんでもなさすぎた……マジで何なのアンタ



3歳前半〜無敗の亡霊、衝撃の敗北〜

2歳〜3歳初頭までの冬を温暖なカリフォルニアで休養と調整に充て、パワー満点気力充実のネイティヴダンサー。53年の4月ともなれば競馬も本格的な春シーズン、狙うは当然無敗三冠。
まずは東海岸で叩きと再格付けじゃ、とばかりにジャマイカ競馬場に舞い戻り、新設競争のゴーサムステークスに出走。
それに先駆けた1月にサンタアニタパーク競馬場で公開調教が行われているが、このとき全米から詰めかけた4万7000人超えの大観衆にお披露目されたネイティヴダンサーはさらに馬体が増大し、後に歴代最強の一角として無双する全盛期二代目ビッグ・レッドと同等の恵体を誇る超弩級戦艦と化していた。勝てる気がしねえ……
なおゴーサムステークスは出走登録馬が多く分割開催になったが、ネイティヴダンサーから離れられて万歳三唱な別開催の皆様を尻目に、後続に2馬身差の楽勝で金の出る公開調教を終えた。
1週間後のウッドメモリアルステークスでは、これまで何度も彼の2着に入っていた永遠の二番手タヒチアンキングを4馬身半差にねじ伏せ圧勝。

そしてさらに1週間後、チャーチルダウンズ競馬場にてケンタッキーダービーへ挑む。同厩馬ソーシャルアウトキャストとのカップリングが単勝1.7倍(1.6倍とも)、ケンタッキーダービー史上最高クラスのぶっちぎり1番人気に推され、運命の時を迎えた。
ところがこのレースで、よりによって無敗三冠の一冠目がかかったこのレースで、ゲリン騎手が最大最悪のクソ騎乗をやらかしてしまう。
逃げるダークスターをスルーしいつも通りに控えるが、最初のコーナーで膨らみすぎて横の馬と接触。体勢を立て直して向こう正面で内を突こうとしたが、馬群に包まれ前も横も壁。
どうにかコーナーで内に抜け出し猛然と追い上げるが、アタマ差詰め寄ったときには目の前にゴールライン。スローに落とし込みマイペースで逃げ粘ったダークスターを捉えきれず、ネイティヴダンサーはついに敗北の苦汁を舐めることとなった。

このケンタッキーダービーは、マンノウォーがアップセットに文字通りのGiant Upset(大番狂わせ)を食らったサンフォードステークス以来の歴史的敗戦とされている。
ニューヨークタイムズが「ただ1頭の馬の敗戦がこれほど巷を揺るがしたことなど、マンノウォーのアレ以来だ」と報じてるあたり大概と言わざるを得ない。
しかし同レースを目撃したのが当日ナマで見た観衆と関係者のみだったのに対し、こちらはテレビ中継で全米が目撃した。してしまった。
その衝撃度は後に語られて曰く「マンノウォーの比ではなかった」。そして残当だがゲリン騎手は全力で擦られまくりフルボッコにされた。何なら「ゲリンのクソッタレは女性用トイレ以外のありとあらゆる場所に愛馬を連れて行こうとした」とまでこき下ろされた。



3歳中後期〜亡霊復活〜

そんなわけで国民的畜生にして競馬界の戦犯と化してしまったゲリン騎手だが、ヴァンダービルトⅡ世はそれでも彼を鞍上に据え続けた。
実際、ゲリン騎手を慮ったとかそんな人情派な理由ではない。もっと即物的かつ実務的な理由があった。
すなわち「クッソ気難しいネイティヴダンサーの鞍上を今から乗り替わりさせて、ゲリン以上に上手くいく保証があるか?」ということである。
まあ、多少は「今更乗り替わりさせて、じゃあ気難しいネイティヴダンサーをここまで手がけたゲリンの苦労はどうなる?」というのもなくはなかっただろうが、それ以上に乗り替わりのリスクとゲリン騎手を据え続ける批判を天秤にかけた結果、未知のリスクよりは既知の批判の方がマシだと割り切ったのだろう。

さて、リアルでもうまぴょいでも畜生なヒトミミ連中のアレコレはさておき、ネイティヴダンサーにダービー敗戦で早枯れ説が囁かれたり……は特になかった。そもそも負けただけでステータス下がるなら誰も苦労はしない。ゲームじゃあるまいに。
2週間後、ベルモントパーク競馬場でのウィザーズステークスで前走3着馬(ネイティヴダンサーの5馬身彼方でゴール板手前のデッドヒートを眺めてました)のインビゴレーターを4馬身切り捨てて復活の狼煙を上げると、ピムリコ競馬場に移動しプリークネスステークスに出走。
単勝1.2倍というぶっちぎり1番人気に推されるが、4角から直線向いて堂々先頭に立った彼に外からジェイミーケイが猛追。鬼気迫る食らいつきを見せる同馬をクビ差凌ぎきり、生涯初となる辛勝でプリークネスステークスをもぎ取った。
さらに3週間後のベルモントステークスでも直線入り口からジェイミーケイとの一騎討ちとなり、壮絶なデッドヒートをクビ差上回って二冠達成した。辛勝ではあるが勝ちは勝ち、しかも当時としては第3位の好タイムである。
この2戦におけるネイティヴダンサーの苦戦には、今なおはっきりとした理由が見出されていない。強いて言うなら「終身名誉戦犯ゲリン死刑囚がこき下ろされすぎてナーバスになってたんじゃね?」説があるが……

ともかく三冠本戦に限ってはピリッとしない戦いだった灰色の亡霊だが、二冠達成後は陣営以外ノーサンキューな無慈悲で無敵な亡霊モードが復活。
3週間の短期休養で三冠戦の疲れを癒やし、ドワイヤーステークスを2馬身差で快勝。続いて2週間後のアーリントンクラシックステークスでは、重馬場を馬なりで9馬身ぶっちぎって格の違いをわからせた。
しかし4週間後のトラヴァーズステークス前に騒動発生。スタッフの静止を押し切った熱狂的ファンに取り囲まれ、鬣や尾の毛を引き抜かれたのだ。*5
ただでさえセンシティブでプッツンなところがあるだけに陣営も他陣営もまともなファンも戦々恐々、レースがまともに終わるか否かさえ悲観する者までいたとか。
が、蓋を開けてみればヒトカスに乱暴された怒りをレースで発散させる欲求が上回ったか、コーナーを好位追走から直線入り口で先頭に立ついつもどおりの走りがフルスロットル。後続を8馬身ちぎり捨てる無慈悲モード全開で鬱憤を晴らした。

さらに1週間後のアメリカンダービー(ケンタッキーダービーとは似て非なるアレ)では、騎乗停止処分を受けてしまったゲリン騎手の代役としてテン乗りしてもらうことになったわけだが、この起用がファンをマジギレさせた。
というのも、「ネイティヴダンサー?私のサイテーション*6以下でしょ」と公言してはばからなかったエディ・アーキャロ騎手*7を起用してしまったのである。よりによってファンが一番キレる奴起用するとかマジかー……。
そんなわけで陣営のもとに「馬の強さも信用できないアホよりもっといい騎手いるだろ!!!!」という抗議のおてまみが殺到。ついでにアーキャロ騎手も出走時(アメリカンダービー無関係)に大ブーイングを浴びるハメに。
アーキャロ騎手、アメリカンダービー前に「これで負けたら、私は騎手廃業してホームレス待ったなしだな……」と顔をひきつらせていたそうな。何が舌禍になるかわからんのだから発言は慎重に、はっきりわかんだね。

ちなみに当日、「プッツンギレするから鞭使ったらアカンよ、馬なりでよろしく」と厳命され、しかも向こう正面に至っても中団付近でやる気なさげに仕掛けに応じないネイティヴダンサーに、アーキャロ騎手は無事顔面蒼白になった模様。
しかし直線向いて「いちいち道中から疲れるようなことしなくてもここで抜きゃいいんだよ、ここで」と言わんばかりにエンジン全開、先行勢をぶっこ抜いて2馬身差完勝。
これにはアーキャロ騎手もレース後「ファンの皆さんマジですいませんでした、あなた方の言う通りだった。これはまったくもって圧倒的としか言いようがない」と脱帽。

その後はサイソンビーステークスに出走予定で、当時の米国最強古馬トムフールとの熱い殴り合いが競馬ファンの期待を煽りに煽っていたが、骨膜炎再発によりネイティヴダンサーは年内全休。トムフールが当年限りで引退したこともあり、当代最強対決はついに実現しなかった。
なお、当年10戦9勝とぶっちぎりの戦績を叩き出したにもかかわらず、40年ぶりにニューヨークハンデキャップ三冠を達成し10戦無敗とヒャッハーの限りを尽くしたトムフールに年度代表馬を持ってかれた模様。さすがに最優秀3歳牡馬は問答無用で選出だった。
ちなみに、二冠達成しながらその年の年度代表馬に選出されなかったのはネイティヴダンサーが初めてなんだそうな。そういやアメリカのスペさんが二冠達成した年も、前年三冠馬アファームドがヒャッハーし尽くして年度代表馬かっさらってたような……



4歳時〜最後まで最強のまま〜

休養が存外に長引き、1954年シーズンの復帰は5月にまでもつれ込んだ。
しかしじっくり休んだだけにコンディションは完調で、復帰初戦として叩いた一般競争は1馬身半差の楽勝。
それから8日後に殴り込んだメトロポリタンハンデキャップではぶっちぎりとなる約59kgの斤量を課され、これは三冠戦で彼を追い詰めたジェイミーケイより9kgちょっと重い重斤量だった。ここまでしてようやく勝負になるって判定なのが恐ろしい……
しかし最後方追走から直線だけで先頭との7馬身差をひっくり返すどこぞの勇者日高の白いアレばりの強襲をぶちかまし、クビ差で逆転勝ちを決めた。
なお斤量で前年覇者トムフールと同値、さらに走破タイムが前年勝ち時計を超えていたため、年度代表馬獲れなかったのを悔しんでいたファンは喝采とともに溜飲を下げた模様。

その後サバーバンハンデキャップに出走予定だったが、右前脚に関節炎を患い3ヶ月の休養入り。復帰戦はサラトガ競馬場開催のオネオンタハンデキャップと発表された。
復帰戦とはいえあまりに強すぎるネイティヴダンサーに出走馬がなかなか現れず、レースは彼のキャリア上最少頭立ての3頭で争われることになった。また他2頭に勝利のチャンスを与えるため、ネイティヴダンサーには約62kgというアホみたいな超斤量が課されることになった。
しかしここまで彼にハンデをつけても人気が爆発しまくり、ついに競馬場さんサイドが悲鳴を上げ「このレースはエキシビションマッチとします!私らが大赤字ひっかぶるか、単勝配当額が法令違反かのどちらかにしかならんのです!!*8ということになった。
で、こんなハンデつけたからには他2頭にもワンチャン……ありませんでした。不良馬場もクソみたいな重斤量も関係なし、ハンデキャップ戦線の雄として名を馳せるファーストグランスを9馬身差ちぎり捨て、もはや力の差は絶対の域に達していることを満天下にわからせた。

この頃「これだけ強いんだし凱旋門賞イケるのでは?」ということで欧州遠征計画が立ち上がり、ウィンフリー師もノリノリでフランス視察旅行に赴くなど陣営はやる気MAXだった。
しかし8月下旬、調教後に跛行を起こしたネイティヴダンサーを検査したところ、右前脚の屈腱炎発症を確認。無念の引退となった。
なお当年3戦3勝と休みがちだったものの、そのあまりにぶっちぎり過ぎたパフォーマンスから年度代表馬・最優秀ハンデキャップ牡馬に選出された。



種牡馬時代

引退後はサガモアファームで繁殖入りした。
種付け料は当時としては強気な5000ドルというものだったが、当代最強馬の種を欲しがる生産者の皆様が殺到。産駒が活躍を見せたこともあり、全盛期には2万ドルに達した。
産駒生産頭数は304頭もしくは306頭。そのうちステークスウィナーは14%に達し、これはかなり成功した部類と言える。日本では上を見すぎるお馬鹿さんが失敗だの期待はずれだの言ってるが、戯言なので気にしないように。
ただ、なぜかサイアーランキング上位常連ではあったがテッペンを獲れたことはないため、失敗だの言ってる連中の論拠はそこにあるのかもしれない。
産駒の有名どころとしては、米国二冠馬のカウアイキングや英国に渡り活躍したフラダンサーあたりがいる。
また2歳半ばと爆速引退を余儀なくされながら、種牡馬として大活躍したレイズアネイティヴも欠かせない。

しかし彼の血が最大の覚醒を見せたのは、直子の代ではなく孫の代だった。
レイズアネイティヴは米国最強無敵種牡馬ミスタープロスペクターを爆誕させ米国血統を己色に染め上げ、牝駒ナタルマからは種牡馬界のキング・オブ・キングスノーザンダンサーと愉快な一族衆が爆誕。こちらは米国どころか世界を己色に染め上げた。
さらに勝ち上がり即引退のエタンからはシャーペンアップが出るわ、ジョッケクルブ賞2着馬ダンキューピッドからは20世紀最強凱旋門賞馬シーバードが出るわ、レイズアネイティヴからもミスプロだけで終わらずアファームドの永遠のライバルアリダーが出るわ、日本に渡ったダンシングキャップからは芦毛最強伝説継承者オグリキャップが出るわ……。
「何、この……何?」としか言えない大爆発っぷりである。あまりに孫の代で活躍しすぎて「ネイティヴダンサー隔世遺伝説」なんつー与太ともつかない説まで出る始末。説得力ありすぎるのがなおのことタチ悪い
ちなみに彼の象徴である芦毛を継承した後継種牡馬はついに現れなかった。残念。*9

そんな感じに産駒と孫がヒャッハーを開始した頃合いの1967年11月、疝痛を発症。すぐにペンシルバニア大学に移送され開腹手術が行われた。
手術そのものは成功したのだが、術後の衰弱著しく、術後2日が経った11月16日の早朝、担当厩務員のホール氏に看取られながらこの世を去った。享年17。遺体はサガモアファームに戻された後、祖父ディスカヴァリーの隣に埋葬された。
サガモアファームがヴァンダービルトⅡ世の破産後所有者を転々とする間も墓碑は堅持され、現在もファームの一角で訪問客を出迎えている。米国競馬聖地巡礼の際は訪問してみてはいかがだろうか。



余談

ミスター北米競馬

彼は全盛期に「ステイツ国民で競馬場に足を運んだことがない奴はいても、マンノウォーとネイティヴダンサーの名前を知らないアホはいない」とまで言われた超絶アイドルホースだった。
それだけではなく、上記の通り父父としてのみならず母父としても絶対的な血統への影響力を維持しており、ネイティヴダンサーフリーの馬はそれこそ超絶級の希少種にすらなっている。
血統の支配者たる偉大すぎる種牡馬ツートップの祖父として、彼の名は競馬史に永遠に刻まれることだろう。母父としてノーザンダンサー出して大勝利したあたりディスカヴァリーの隔世遺伝か?

シービスケットジョンヘンリー、日本だとハイセイコーオグリキャップなど、時代を彩ったアイドルホースは数多く存在するが、ネイティヴダンサーほどの強さを誇ったものはほとんどいない。(それこそ幻の米国大統領セクレタリアトくらい??)
人気と実力を極限まで兼ね備えた完璧で究極なスーパーホースだったといえる。

レーススタイル

3〜4角で好位に控え直線ノーステッキで全頭叩き伏せるというハイパー無慈悲スタイルから勘違いされがちだが、この御仁の脚質は後方型である。いやマジで。
米国巨漢馬のお約束でスタートがあまり得意でなく、「後方スタート→徐々に進出しつつコーナーで好位に陣取り→直線でまとめてぶちのめして試合終了」という戦法をとらざるを得なかったのだ。
日本のサラブレッドで例えるなら、シンザン以来の三冠馬(超イケメン)日高の白いアレあたりが近いのではなかろうか。あそこまで極端ではないが。

気性難馬のお約束

悪魔のごとき気性難の馬ですら、かわゆいにゃんこにメロメロになるのはサラブレッド界の定説である。たまに猫咥えて叩き殺すド外道とかいるけど。
何しろ気性難でなくとも猫にベタ惚れするんだから、サラブレッドという生き物の猫好きたるや筋金入りと言えよう。メトさんはもうちょいドットさんへの塩対応緩めてもろて
そんな気性難の例に漏れず、ネイティヴダンサーも1匹の黒猫を溺愛していた。「ブラックキャット」とあだ名をつけられた雌猫である。
とにかくどこに行くにもブラックキャットを同伴させてたレベルだったのだが、ある日彼女が馬房で産んだ仔は灰色だった。それまで産んだの全部黒猫だったにもかかわらず。
そんなもんだから、「この子猫の父ちゃんあいつなんじゃね?」などと冗談交じりに噂されたそうな。「ウマナミな馬のアレが猫に入るわきゃねーだろ」という至極当然なツッコミはどうぞ隅に置いといていただきたい。



ようこそサガモアファームへ

ネイティヴダンサーの終の棲家として、サガモアファームは全米から競馬ファンが集う聖地となった。
ファームさんサイドも「ネイティヴダンサーの棲家、サガモアファームはこちら。ビジター熱烈歓迎、ぜひ楽しんでいってください。※日曜日は休日なのでご了承のほどを」と看板を立て、快くファンに対応したそうな。
ヴァンダービルトⅡ世が破産し、サガモアファームの所有権が転々とする中でも、競馬ファンの聖地として職員は精励し、ファンの訪問に応えたという。







追記・修正は芦毛の怪物にお願いします。


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最終更新:2024年02月01日 15:54

*1 熱烈歓迎競馬ファンなⅡ世へ、御母堂からの誕生日プレゼントだったそうである。さすが米国鉄道王の系譜にして大富豪一族ヴァンダービルト、誕プレのスケールからして桁が違う……

*2 関節炎もしくは骨瘤という説も。屈腱炎を患ってたという説もあるが、屈腱炎が3ヶ月程度でどうにかなるなら歴史上のどの陣営も苦労しとらんし、そんなUMA相手では神話生物くらいしか勝てまい。ほぼ確で与太であろう

*3 現代基準だと休養にもなってないが、出走間隔等諸々の感覚が現代とは異なることにご留意いただきたい

*4 脚部不安に苦しみながらも2歳から3歳にかけて15戦15勝の成績を残した、20世紀初頭のアメリカを代表するゴッドホース。20世紀アメリカ名馬ランキング第15位

*5 暴力も辞さないファナティックという意味ではファンという短縮呼称も間違っちゃいないが、こんな道端に吐き散らかされた酔っぱらいの寝ゲロのごとき汚物をファンと呼ぶのはまともな競馬ファンに失礼ではなかろうか

*6 かつて不滅の大記録である16連勝、38連対をぶち上げた無敵チート三冠馬。20世紀アメリカ名馬ランキング第3位。

*7 サイテーションの主戦を務めたレジェンドジョッキー。お手馬2頭を三冠馬に導いた偉大な騎手である。プリークネス、ベルモントの両ステークスではジェイミーケイの鞍上としてネイティヴダンサーを追い詰めた

*8 NYの法令で配当額の倍率は1.05倍以上と定められていた。このレースの場合、端的に言うと馬券出したら主催者が赤字確定である

*9 母系を通してなら現代にもネイティヴダンサー由来の芦毛は継承されている。名前の割に新3歳時には既に白くなっていたクロフネとか、東京大賞典の過去優勝馬データを全てブッ壊したオメガパフュームとかが近年の代表例。