凱旋門賞

登録日:2023/08/19 sat 18:26:00
更新日:2024/03/18 Mon 16:14:18
所要時間:約 17 分で読めます





凱旋門賞(仏:Prix de l'Arc de Triomphe)とは、毎年フランスで開催される競馬のGⅠ競走である。
長年にわたり日本競馬最大の悲願と称され続けている、名実ともに世界最高峰のレースである。




基本データ

創設年 1920年
開催国 フランス
開催日 10月第1日曜日
競馬場 パリロンシャン競馬場*1 
距離  芝2400m
条件  サラブレッド系3歳以上(せん馬は不可)
賞金  2,857,000ユーロ(約4.5億円)円安すぎる


概要

歴史は古く、その成立は今から100年以上もさかのぼる。第一次世界大戦終戦直後のフランスにおいて、国内だけでなく国外からも一流馬を集める場として創設された。

施行距離は古くより競馬界で重要とされてきた2400mを採用しており、これは戦時中を除き一度も変わっていない。また、年齢による斤量差が大きいことでも知られており、3歳馬は56.5kg、4歳以上の古馬は59.5kg(牝馬はそれぞれ1.5kg減)となっている。

度重なる賞金の増額、それに伴う歴史的名馬の参戦・優勝によって凱旋門賞の名声は次第に高まり、ヨーロッパで競走の格付け制度が成立してからというもの常にグループⅠ(GⅠ)に位置づけられている。
今では国際競馬統括機関連盟が毎年公表している「世界のトップ100GⅠレース」において、2013~2022年の10年の間に6度首位を獲得するなど、国際的にも最上位の競走であると常に評価されている。

2400mというスタンダードな施行距離や10月頭という開催時期*2、そして何よりその格の高さから、凱旋門賞はその年の中長距離王者決定戦としての意味合いが大きく、ヨーロッパを中心に世界中から猛者どもが参戦する。
その規模の大きさから、競馬界のみならず一つのスポーツイベントとしても非常に知名度が高く、当日は毎年多くの人々が競馬場に集まる。まさしく世界一の名にふさわしいレースだといえよう。
ただ近年は、空前の中距離ブームや超高額賞金レースの増加により権威の低下が指摘されているのも事実……。

なお本レースに挑む前の「前哨戦」として、同距離同競馬場「ニエル賞」「フォワ賞」等が存在しており、に余裕がある時にはまずそちらで肩慣らしをするのが定番となっている。


開催地:パリロンシャン競馬場

世界的に高い評価を受け続け、世界中のホースマンのとなっている凱旋門賞。
しかし、開催されるパリロンシャン競馬場は、(少なくとも日本人の目線からすると)かなり特異なコースとなっている。

コース全体としては、最初に長い登り直線が設置されたのち、3コーナーからは600mで10mダウンという驚異の勾配が待ち構える。中央競馬で最も勾配の厳しい中山競馬場ですら5.3mであることから、日本馬にとっていかに不慣れなものかがわかる。

そしてその勾配を抜けた先に、ロンシャン名物"偽りの直線(False Straight)"が待ち受ける。下り坂の先にある直線のため、終盤だと勘違いした馬がスパートをかけてしまい、結果本来の最終直線で垂れてしまうことに由来する。
最近ではフォルスストレートなど知っていて当然といえるほど悪名知名度が上昇したため、ここで大きなミスをする例は少なくなっているが、それでも厄介であることに変わりはないだろう。
それを抜けた先は533mの長い最終直線があり、ようやくゴールとなる。

このように、コース概観としてもかなり面倒な構造が待ち受ける競馬場だが、実際に日本馬を苦しめる最大の要因となっているのはコースを覆う洋芝であろう。
元々あった自然の土壌に、糸くずのような地下茎が密集して形成されるその芝は、日本のそれとは一線を画しているといえる。*3

ロンシャンの芝そのものが日本のそれと異なるのは述べたとおりだが、その真の恐ろしさは重馬場の異常なまでの重さにある。
まず、土壌から入れ替えている日本の芝コースと異なり、ロンシャンは天然の土壌を利用しているため、極めて水捌けが悪いこと。
京都や東京のような日本のコースでは、前日に雨が降ってもすぐに良馬場に復帰する場合が多いが、ロンシャンではぐずぐずの馬場のまま。その様子はもはや「田んぼ」呼ばわりされるほど。

また、レース中まで雨が降ろうものならさらに異質な馬場と化す。
排水されず溜まった水が芝の土をふやかし、どろどろの不良馬場になってしまうのだ。日本ですら重馬場は適正を問われると言われるが、この状態の馬場に適応するのは日本馬にとって極めて困難と言わざるを得ないだろう。
実際、同一コースのフォワ賞を良馬場で勝利したディープボンドも、重馬場の凱旋門賞では2回とも惨敗に終わっている。

ただ、良馬場だったらいいのかと言われたら決してそういうわけでもなく、過去に日本馬が好走した回は重馬場だったことの方が多かったりもする。エルコンドルパサー2着に入った年はロンシャン基準の不良という地獄みたいな馬場だったし、ナカヤマフェスタは重馬場の年に2着に入り、翌年の良馬場の年には11着と大敗している。
重馬場より良馬場の方が日本馬向きであることに間違いはないが、それだけではなく確かな実力も要求されるのが凱旋門賞だといえる。

その芝の異質性に伴い、凱旋門賞に挑む上ではその洋芝に対応できる特有のパワーがどうしても必要で、スピードは二の次になりがちである。
実際に、凱旋門賞(ロンシャン)のコースレコードは2011年デインドリームの2:24:49と非常に遅い。
これがどれほど遅いかというと、同じ芝2400mで行われる日本ダービーにおいて、2018~2022年の5回全ての勝ちタイムがこれを上回っているほどである。
3歳馬限定戦のダービーでこれなのだから、日本と比べいかに異質かがわかるだろう。


日本と凱旋門賞

日本競馬界において、凱旋門賞というレースはまさしく夢そのものである。書籍やインタビューなどでは"芝競走の頂点"として扱われ、常に憧れの存在として言及されてきた。
チャンピオンSやキングジョージなどといった横文字の国際的競走と違い、名前がクールだし語感の良い四字熟語な点も、日本での知名度が高く親しみやすい要因なのかもしれない……?

悲願成就を目指し、各時代における日本のトップホース計31頭(2023年時点)が遠征をおこなったが、一着を獲った例は未だ無い。
ヨーロッパやアメリカ、香港、中東などで数多くの一流レースを制し、今や国際的にも日本馬のレベルは疑いようのない位置にはあるものの、この凱旋門賞だけは依然として高い壁であり続けている。

ここまで日本馬が苦戦している理由として真っ先に挙げられるのが、パリロンシャン競馬場との相性の悪さである。
前述したとおり、ロンシャンには日本に全く存在・経験しないような構造や馬場があり、日本の競馬とは「別ゲー」と言っても過言ではない。
なお日本馬が凱旋門賞を長年勝てていないのと同様に、凱旋門賞に勝利し、同じくクラシックディスタンスの日本の国際招待レースであるジャパンカップにも勝利した馬もまた存在しない*4
二者の大きな差は、元トップジョッキーの一人福永祐一をして「求められるものが違う」と言わしめるほど。

凱旋門賞に送り出せるくらい「日本で強い馬」は、適性の差によって「ロンシャンでは別に全然強くない馬」になってしまう確率が高い
逆にロンシャン向きの馬が日本で生まれていたとして、その適性は国内では活かしにくいから頭角を現すに至らず、まず凱旋門賞まで辿り着くのが難しい。そんなジレンマがあるのだ。
日本の馬は当然国内で戦うことを第一として配合・育成されるわけで、凱旋門賞と「両取り」することの難しさは、間違いなく存在するだろう。

ただその一方で、日本馬の負けを馬場適性のせいだけにするのは言い訳に過ぎないとする厳しい意見や、(馬はともかく)人の方はロンシャンの舞台が異質であることなど解り切っているはずで、欧州馬との絶対的な能力差から目を背けるべきではないという指摘も存在する。

これはあくまで、「結局は能力差の問題なのではないか?」という「仮定」の上での話である。確かに、近年においては国際的なレーティングで日本馬が上位に名を連ねることは珍しくないし、そもそも馬の能力差など明確に測りようがないふんわりとした概念に過ぎない。
しかし、凱旋門賞と同距離同競馬場で行われる前哨戦フォワ賞やニエル賞では日本馬の一着例がいくつかあり、これを根拠に適性はあるものの本番特有の周囲のレベルアップについていけていないのではないか、という分析をしているファンやホースマンも一定数いるということである。

実際、日本のトップトレーナーの一人矢作芳人調教師*5は、自身の管理馬からステイフーリッシュを挑戦させた2022年の凱旋門賞直後に単に力負けだと思います。日本馬全部がね。[……](馬場のことは)分かっていたことなので、それを言い訳にはしたくないですね」と、ある意味達観したコメントを残している。
さらに、同じくドウデュースの鞍上を務めたレジェンド武豊もレース後の回顧にて、「雨は平等に降るし、馬場が悪いのもみんなが同じ条件。言い訳にしたくない。」と潔く言い切っている。

また、他の海外遠征以上に日本と異なる条件でのレースを強いられるため、凱旋門賞の後にその反動で日本に戻ってきた馬が調子を崩してしまう可能性も決して無視できない。

凱旋門賞の後にも国内G1を勝ち続ける馬も多くいた一方で、凱旋門賞前はG1で馬券から外れたことがなかった馬が掲示板にすら乗れなくなったり国内復帰戦で負傷してしまったりという例があり、極端な例だと、前哨戦で勝利したにもかかわらず、本番の凱旋門賞で惨敗してから5年間も勝利に見放されていた馬もいた。

これらの事例が本当に凱旋門賞の反動なのか、それともただの偶然なのかは定かではないが、日本の馬が挑戦を躊躇う実例には十分なりうるだろう。

こういった実情から、近年では日本馬の無闇な凱旋門賞挑戦に懐疑的な声も増え始めており、夢という名の呪いに過ぎないと切り捨てる者もいる。酷い場合だと凱旋門賞そのものを必要以上にこき下ろす酸っぱい葡萄にしか見えない意見も。
一方、ファンを熱くさせてくれる果敢な日本馬たちを腐すことは許されないという声もあり、賛否両論である。このリンク貼りたいだけ

人それぞれ意見があるのは当然。
だが少なくとも、熟考の末凱旋門賞挑戦を決定した日本馬に対しては温かい応援を送ってあげるべきではなかろうか。「日の丸を背負って凱旋門をこじ開ける」という遥かなる夢を叶えるのは、もしかしてもしかするとその馬かもしれないのだから……。

なお日本のフィクション作品でも凱旋門賞挑戦は度々描かれており、『風のシルフィード』*6たいようのマキバオーW』では実質的な最終決戦、『たいよう~』の前日譚『みどりのマキバオー』では主役馬のライバルが挑んだレースとして大きく扱われた。

競走馬を美少女化するメディアミックスプロジェクト『ウマ娘 プリティーダービー』でも、主にエルコンドルパサーを軸にしばしば凱旋門賞がフィーチャーされたが、必然として現実に準じた「超えられない高い壁」として描かれてきた。
2023年8月にはアプリ版の育成シナリオとして凱旋門賞への挑戦を主題とした「Reach for the stars プロジェクトL'Arc」が実装され、各種競馬ゲームのように「物語の中で凱旋門賞を制覇できる」形で初めて取り扱っている。


勇敢に挑んだ戦士たち


その他、1997年には武豊・サクラローレルのコンビによる凱旋門賞挑戦が予定されていたが、その前に挑戦したフォワ賞で引退に至る程の重傷を負った事から断念している。


偉大な勝ち馬

何十年もの間世界一のレースとして君臨し続けている凱旋門賞には、過去に多くの歴史的名馬が参戦・優勝してきた。むしろ、そういった強豪の参戦こそが、凱旋門賞の名声を高めたというべきかもしれない。
本項では、そのような勝ち馬の中でも、今なお語り継がれるような伝説的名馬について紹介していきたいと思う。怪物が多すぎて選定がむずすぎたのは内緒

リボー(1955年、1956年)

調教国:イタリア
生涯戦績:16戦16勝(生涯無敗)
主な勝ち鞍(凱旋門賞以外):ジョッキークラブ大賞、KGVI&QES

歴代最強の競走馬とは。それは、競馬ファンなら一度は考えるであろう永遠の論題である。
もちろんこの問いに対する決まった答えなど存在しないわけだが、その候補を挙げろと言われた時に間違いなくピックアップされるのが、伊国の誇るスーパースターリボーであろう。変な名前とか言ってはいけない。

「魔術師」の異名をとった天才馬産家フェデリコ・テシオが手塩にかけて生み出したリボーは、デビュー戦から連戦連勝。国内で7戦7勝の成績を収め、もうイタリアに敵はいないとばかりにフランスへ遠征を行った。
ただ当時(今も?)、イタリア競馬のレベルはイギリスやフランスには遠く及ばないという評価が一般的であり、初の遠征となった1955年凱旋門賞では3番人気にとどまった。

しかし、この後競馬史に名を残すことになる優駿にとって周囲の評判など関係なかった。本番では2着に3馬身差をつける圧勝劇を披露し、ヨーロッパ中を驚かせた。

その後、母国イタリア最大のレースジョッキークラブ大賞15馬身差で勝利したり、欧州最高格のレースであるKGVI&QESレース史上最大着差の5馬身差で勝利したりと、蹂躙の限りを尽くした。

そして、ラストランとして連覇のかかる1956年凱旋門賞に出走。当たり前のように一番人気におされたリボーは、「発射台から射出されたミサイルのごとき」走りを披露し、今なお凱旋門史上最大着差タイとなる6馬身差での勝利を収めた。
なお、この6馬身差というのはあくまで公式発表で、実際映像で見ると約8.5馬身差ではないかという説もある。もしその場合、この記録はぶっちぎりで単独最大着差ということになる。リボーさんマジぱねぇ……!

結果、生涯無敗凱旋門賞連覇ほぼ全戦で圧勝*9と、どこにも文句のつけようのないパーフェクトな成績を残し引退。その走りぶりはサラブレッドの理想形そのものだと称えられ、リボーは今なお究極の存在として語り継がれている。

シーバード(1965年)

調教国:フランス
生涯戦績:8戦7勝
主な勝ち鞍(凱旋門賞以外):英ダービー

日本には、わずか四度の戦いで神話になったと評される競走馬が存在するが、それに倣えばシーバードは、わずか二度の戦いで神そのものになった馬とでも言うべきなのかもしれない。
由緒正しき英ダービー凱旋門賞にて、今も語り継がれる程の神がかり的なパフォーマンスを披露し、20世紀トップの評価を与えられたフランス史上最高の英雄、それがシーバードである。

1965年の英ダービーは、シーバードという馬が世紀の名馬であることを全世界に証明するだけの舞台にすぎなかった。
道中中団で追走したのち、最後の直線で合図と共に恐ろしい末脚を披露。並ぶ間もなくぬかすと、最後は騎手が手綱を緩めるほどの余裕を見せ優勝。つけた着差は2馬身だったが、まともに追っていれば10馬身差もありえただろうと評された圧倒的勝利であった。

そして同年の凱旋門賞、シーバードをうち負かすべく今でも史上最高と目されるメンバーが集まった。
仏ダービー含む5連勝中だったリライアンス、米国最優秀3歳馬トムロルフ、ソ連三冠馬アニリンなどの強豪が一堂に会し、虎視眈々と玉座に狙いを定めていた。

ところが、この舞台でシーバードは凄まじいにも程がある走りを見せることとなる。
最後の直線先頭にたつと、舐めプかの如く斜行しながらなぜか更に加速。2着馬リライアンスに6馬身差というさっきもみた史上最大タイの着差をつけ優勝した。

結果、そのパフォーマンスには当たり前だがとにかく最高に近い評価が与えられた。
フランス馬に関わらずイギリス年度代表馬に選定され、タイムフォーム・レーティングの値は何と145当時史上最高値なのはもちろん、20世紀の間これに並んだものは現れず、その更新は空前絶後の伝説マイラーフランケルの登場を待たなければならなかった。

まさに公式で認められている20世紀最強馬シーバード。直訳すると単なるウミドリだが、其の実ガルーダやフェニックスの類いだったのかもしれない。

ダンシングブレーヴ(1986年)

調教国:イギリス
生涯戦績:10戦8勝
主な勝ち鞍(凱旋門賞以外):2000ギニー、エクリプスS、KGVI&QES

本馬の紹介をはじめる前に、ご存知ない諸兄はぜひ1986年凱旋門賞の映像をご覧あれ。カテゴリは多分「衝撃映像」

……おわかりいただけただろうか。おそらく初めて見た人は何が起こったか分からなかったかもしれない。
最後の直線、先頭で熾烈なたたき合いがされていると思ったら、一頭の馬が突然意味不明な末脚を繰り出して優勝をかっさらっていったのだから。
合成か早送りか勘違いするようなとんでもない末脚を見せつけたこの馬こそ、歴史上最高追い込み馬の呼び声高い「踊る勇者」ダンシングブレーヴである。

先に説明したように、凱旋門賞が行われるロンシャンの舞台は末脚に賭ける戦法そのものが否定されるような地獄の洋芝馬場である。そのため、追い込み馬はそもそも脚質を変えなくては勝利はほど遠いとされてきた。
ディープインパクトハープスターといった稀代の末脚自慢さえ、その実力を完全に発揮できなかったという事実もこの定説の後押しとなっている。

しかし、異次元の脚の勇者はそんな定説を真っ向から叩き潰すことに成功した。
道中後方に位置し、最後は大外に回らざるをえない不利をうけたものの、そこから1ハロン10秒8の豪脚を披露。レコード更新のおまけつきで優勝し、競馬場は大きな歓声に包まれた。
ちなみに、驚異の末脚を披露したのはこの凱旋門賞だけではなく、以前に出走した英ダービーやエクリプスSでも同様であった。滅茶苦茶な豪脚を見せたのに負けたダービーでは騎手が大バッシングを受けてしまったが……。

現役引退後も"勇者"の威光は健在だった。マリー病という難病に罹患するという不運に見舞われ日本に売却されるものの、病ゆえに種付け数を制限せざるを得ない状況でありながら種牡馬として大成功。
テイエムオーシャンキングヘイローといったGⅠ馬を輩出したことで日本での知名度もグンと上昇することになった。また、イギリスでも売却後に産駒からG1ホースが輩出されたこともあり、事後諸葛亮達が国の英雄の安易な売却を大いに批判したらしい。

病の進行が進みわずか16歳での早逝となったダンシングブレーヴ。激しい痛みに耐えながら仁王立ちでこの世を去ったその姿は、まさしく伝説の勇者そのものであったといえよう。

パントレセレブル(1997年)

調教国:フランス
生涯戦績:7戦5勝
主な勝ち鞍(凱旋門賞以外):ジョッケクルブ賞(仏ダービー)*10、パリ大賞

連覇や無敗が無いからか、フランスでしか走っていないからか、日本メディアの作りで謎に3冠扱いの英ダービー・KGVI&QESに勝ってないからか、日本では地味なところがあるが最強馬候補の1頭。少なくとも、90年代欧州最強馬を問われた時にはその筆頭候補となりえるだろう。

さて、本記事でも上述の通り日本馬が勝てないのは馬場の差とタイムを見て言われることがあるが、本馬は同年のジャパンカップ(もちろん良馬場)の1秒以上も早く走破した馬である。

仏ダービー、パリ大賞と3歳中長距離で活躍した後、凱旋門賞に照準を合わせて夏を休養。たたき台のニエル賞こそ2着だが、凱旋門賞ではあの日欧米を回ってG1を6勝した勃起王ピルサドスキー5馬身差の圧勝
そのタイム2分24秒6は同年のジャパンカップでその本馬に圧倒されたピルサドスキーがエアグルーヴを押さえて優勝した時の2分25秒8を1秒以上上回る当時の日本の馬場にまったく劣らないタイムである! この勝利で139のロンジン・レーティングを得た。

その後、フランケル旋風のノリに押されて昔の名馬が高すぎるんじゃないかと137ポンドに引き下げられたが、今もなおフランケルフライトラインダンシングブレーヴに次ぐ4位・凱旋門賞馬としては2位の評価を得ている。

また、生涯その鞍上を務めた世界的名手オリビエ・ペリエは後に本馬について、「非常に賢い馬であり、彼に跨ってるときは最高級のワインを飲んでるような気分だった。」オサレすぎてあまりピンとこないが最上級クラスの評価を与えている。

種牡馬として日本や凱旋門賞に関連する馬としては、ディープインパクトが参戦した凱旋門賞2着のプライドなどを輩出している。

トレヴ(2013年、2014年)

調教国:フランス
生涯戦績:13戦9勝
主な勝ち鞍(凱旋門賞以外):ヴェルメイユ賞、サンクルー大賞

実に36年ぶり牝馬としては何と77年ぶりに凱旋門賞の舞台で連覇を果たした、ザルカヴァ*11と並ぶ近代フランス最高の名牝。
憧れの凱旋門の舞台で三冠馬オルフェーヴルをはじめとする日本馬5頭の夢を砕ききったジャパニーズキラーとしての側面もある恐ろしい女傑である。

そんな女傑の生まれた頃の評価は、今では全く信じられないほど非常に低いものであった。血統があまりパッとしたものではなく、馬体も小柄であったせいか、何とセリで買い手がつかない事態に!
やむなく生産した牧場が馬主となりデビューを迎える。

ところが、実際に走るととんでもない才能の持ち主であることが判明。フランスオークスをコースレコードで制覇し、4戦無敗の成績をひっさげ凱旋門賞に赴いた。
欧州のライバルに加え、前年僅差の2着に敗れたものの実力は天下一品の三冠馬オルフェーヴル、レジェンドの新たな相棒にして前哨戦ニエル賞で欧州勢を下したキズナといった日本勢が立ちふさがったが、本番では重馬場とは思えない目覚ましい末脚を披露。5馬身差という驚異的パフォーマンスを見せ優勝した。

この勝利には国際的にも非常に高い評価が与えられ、当年の世界ランキングでは牝馬の身ながら首位を獲得世界の頂点に君臨した。馬主は売らなくて幸運だったが、逆にあの時セリで買わなかったことを後悔したホースマンは何十人いただろうか

ところが、何と翌年トレヴの成績は斜陽気味になる。初戦でよもやの敗北を喫し無敗記録が途絶えると、あの神がかった末脚の面影が失われ、あれよあれよと三連敗。一勝もできないまま凱旋門賞へ挑戦することとなった。

「トレヴは終わった」「せめて前年のうちに引退させておけば」そんな声がささやかれるほどになってしまったトレヴは、7番人気と大きく人気を落とすこととなった。

せめてその勇姿を見届けようと、ロンシャンには多くの人が集まった。ある者は諦め、ある者は祈り、ある者は信じて。
そして本番。トレヴは騎手の一世一代の賭けもあり、馬群を割いて見事優勝世界の競馬史に残るともいわれるような奇跡の復活を果たし、場内は歓声に包まれた。

その後、明らかに調子を取り戻したトレヴは翌年連戦連勝。ラストランの凱旋門賞では伸びが足りず3連覇とはならなかったものの、13戦9勝という立派な成績を残して引退となった。

怪物じみた圧倒的ポテンシャルと、人々を惹きつけるドラマ性。一見相反する両者を内包したトレヴは、間違いなくフランスの誇りだったといえるだろう。

エネイブル(2017年、2018年)

調教国:イギリス
生涯戦績:19戦15勝
主な勝ち鞍(凱旋門賞以外):BCターフ、エクリプスS、KGVI&QES(3勝)

欧州競馬の二大巨頭ともいえる凱旋門賞、KGVI&QES双方の連覇(後者は歴史上初の3勝!!)を達成し、さらにはアメリカ遠征までも成功させたイギリス史上最強牝馬の一頭。
活躍が比較的近年なおかげか日本での知名度も非常に高く、英国のみならず全世界からその動向が注目されたスーパースターホースである。
紛れもなく2010年代末期の凱旋門賞を象徴する馬であったと言えよう。

デビュー3戦目から古今東西最高の騎手と名高い名手ランフランコ・デットーリとコンビを組むと、破竹の勢いで連戦連勝。
2年強もの間一度も敗北を喫さず全レースで勝ち続け、凱旋門連覇を含む11連勝(うちGⅠ9勝)を達成した。もし日本にいたら平成末覇王とでも呼ばれていたかもしれない

また、凱旋門賞連覇達成の後、陣営は何とアメリカ遠征を決断。わずか1か月弱しか空きのないBCターフへの参戦を表明する。
一歩誤れば酷使にもなりかねない状況だったが、世界一の女王にそんな不安は通用しなかった。同じく歴史的名牝の一頭マジカルとの真っ向勝負を制し、見事優勝
同一年の凱旋門賞、BCターフ制覇歴史上初の出来事だった。そもそも「凱旋門賞と同一年に別のGⅠに連続出走して優勝」という出来事自体、30年近く達成例のない快挙で、エネイブルがいかに規格外の存在だったかを物語っているといえる。
やっぱり地獄のロンシャンを走ると皆調子が狂わされるのかもしれない。

ところで、エネイブルと活躍が同時期であったことで知られる世界的名牝が2頭存在する。
一頭はGⅠ25勝&33連勝というゲームでもありえないような大記録を残したオーストラリアのUMAウィンクス、そしてもう一頭こそが芝2400mの世界記録更新、日本GⅠ9勝という歴史的偉業を成し遂げた三冠牝馬アーモンドアイである。
結局互いに一度も対戦が叶わなかった最強の3頭だったが、その世紀の対決を一度この目で見てみたかったファンは少なくないはずだ。

前人未踏の数々の記録を樹立し、その走りで世界中を虜にした女帝エネイブル。その名の通り、不可能を「可能にする(enable)ワンダーホースであった。





凱旋門賞の扉は重い

でも、鍵はかかっていない

──2013年凱旋門賞 武豊騎手のコメントより

追記・修正は、いつの日か日本馬が凱旋門賞制覇を成し遂げることを祈りながらお願いします。


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最終更新:2024年03月18日 16:14

*1 過去には戦争や改修工事の影響により、ルトランブレー競馬場やシャンティイ競馬場での開催事例もあった。

*2 ヨーロッパでは日本と違い、一年中競馬を催すわけではなくオフシーズンが存在し、凱旋門賞の日付はそれに入る手前に置かれている。

*3 「欧州の芝は深い」という表現から誤解されがちだが、芝自体の草丈はそれほど高いわけではない。ロンシャンの芝が9cmなのに対し、日本の新潟競馬場の芝は12~14cmと、長さだけで見ると日本にもロンシャンより長い例が存在する。

*4 ジャパンカップ2着のオールアロングや凱旋門賞2着のピルサドスキーが翌年ジャパンカップを制覇など好走した例はあるが、それについては日本馬でも同様にエルコンドルパサー(JC1着・凱旋門2着)やオルフェーヴル(JC2着・凱旋門2着)などが存在する。

*5 主な管理馬は史上3頭目の無敗三冠馬コントレイル、牝馬初の春秋グランプリ制覇を達成したリスグラシュー、日本馬初のBC制覇を成し遂げたラヴズオンリーユーとその親友で同じく日本初の海外ダートGⅠ制覇を成し遂げたマルシュロレーヌ、日本初のサウジカップ制覇馬で大逃げ戦法で高い人気を集めているパンサラッサなど。

*6 ちなみに当時は海外遠征が希少な時代だったゆえか、ドーヴィル競馬場での重賞Prix de Pomone(ポモーヌ賞)とドーヴィル大賞典(こっちは現実ではスピードシンボリと後のステイフーリッシュが挑戦)を前哨戦に選ぶという珍しい事を行っていた。

*7 当時は公式記録が10着までしか残っておらず、それ以下は「着外」とみなされた。なお、24頭立てなので範囲はかなり広い。

*8 ドリームジャーニー産駒。

*9 計算すると一試合あたり平均6馬身差で勝っていることになる。何を言っているのか分からないかもしれないが、私にもわからない。

*10 ジョッケクルブ賞が正式名で、ダービーに当たるレースなのでフランスダービーと俗称される。

*11 通算戦績7戦7勝。とてつもない末脚で凱旋門賞を圧勝したパーフェクト牝馬。