大聖寺城
別名:錦城
概要
大聖寺城
鎌倉時代に狩野氏によって築かれた。1337年には津葉氏の居城になっていたようだ
1555年、朝倉宗滴により南郷城、千束城とともに落城。文献上は津葉城となっており、厳密には別の城だがほぼ同じ城と言っていいくらい密接な関係があるらしい
1567年、一向一揆とともに起こった堀江景忠の反乱の和議の条件として黒谷城、檜屋城、一揆側の2城とともに焼き払われた
1575年、加賀に侵攻した織田信長の命により、柴田勝家が日谷城とともに修復
賤ヶ岳の戦い後は溝口秀勝が入城、1598年に移封され小早川秀秋が領主となり、家臣の山口宗永が入城。翌年秀秋は再び転封となったが宗永は残り秀吉直臣となった
1600年、前田利長に攻められ落城。その後一国一城令により廃城となったが、1639年に前田利治が大聖寺藩を建て、跡地に藩庁として陣屋を設けた
主な城主:狩野氏、津葉氏、柴田勝家、山口宗永、前田氏(前田利治など)
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最終更新:2016年09月24日 15:30