岸和田城(キシワダ-)
別名:岸ノ和田城、滕城、蟄亀利城、千亀利城(チキリ-)
概要
岸和田城
1334年ごろ 和田高家(楠木正成の甥)が"岸"の地に築城開始。岸にある和田氏の城で岸和田城
もっとも、楠木正成崇拝が盛んになった江戸時代に作られた説で、本来は古くても15世紀ころという説もある。
その後は信濃氏(山名氏配下)、細川氏、松浦氏(細川氏配下→三好氏配下)と城主が変わった
1558年 松浦万満が幼少であったため、三好実休が入り大規模改修。安宅冬康がここを守った
畠山と三好の争いで安宅の後は細川→松浦に変わる
織田時代にも松浦氏が城主だったが、後に織田信張→蜂屋頼隆と変わる。豊臣時代には中村一氏が入った
1584年 根来、雑貨に攻められる。この際にタコに助けられたという伝説がある。この戦いの後、小出秀政が城主となる
徳川時代には松平、北条、小出など
1632年 伏見城破却により矢倉などが移築される
1631年 岡部宣勝が城主になり幕末まで岡部氏の城となる
1871年 廃藩置県で廃城
イラスト
場所
ギャラリー
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最終更新:2017年04月06日 22:27