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*Pong 【ぽん】 |ジャンル|テニスゲーム| |対応機種|アーケード| |発売元|シジギ| |稼動開始日|1972年11月| |ポイント|風化した傑作| **概要 -世界で最初にヒットしたビデオゲーム。製作者は一般的に「ノーラン・ブッシュネル」となっている。 --実演販売していた家庭用ゲーム機『オデッセイ』のテーブルテニスを、彼が雇った電子工学者「アラン・アルコーン」にうろ覚えの見様見真似で指示して作ったのが本作である。 ---つまり、元となるアイデアはオデッセイのテーブルテニスである。 ---後にオデッセイに訴えられ、70万ドル(当時の円相場で21億7百万円)の特許料を支払った。 ---だが、ポンとオデッセイのテーブルテニスで比較すると、ゲーム性は目に見えてポンの方が優れている。 **システム -対戦プレイ専用。 -操作するのは縦長のバー(パドル)で、ドット(ボール)を弾きあってプレイする。 --バーは上下にしか動かす事が出来ない。 --バーで弾かれたボールは一定の法則に基づいて角度を変えて弾かれる。 --ボールが相手のバーを超え、センターラインを突破すると勝利となり、スコアが加算される。 ---現代風に例えると対戦ブロック崩しである。 **評価 -ロケテストをバーで行なったところ、数日たって店主から「故障したから見にきてくれ」と連絡があり様子を見に行くと、25セントコインが金庫として使っていたケースから溢れており、物理的にコインが入らなくなっていた。 --その後もポンはバーを中心に設置された。バーでは持ち金の乏しい女が「ポンに勝てたら奢って欲しい」と男に集る場面があったそうだ。 -本作の大ヒットにより、ノーラン・ブッシュネルはアタリ社を設立。1982年にアタリショックが起きるまでのおよそ10年間、テレビゲーム市場最大手になっていた事から、このヒットがどれだけだったのかが容易に想像できる。 -本作のコピーゲームは大量に作られ、およそ10万台作られたと考えられているが、正確な台数は明らかになっていない。 --ブッシュネルはその事に怒りを感じていたが、忙しくていちいち訴えている暇は無かった。 **総評  ゲーム史を語る上ではずす事の出来ない一大巨頭が本作である。むしろゲーム史のみならず、経済史・アメリカの歴史を考慮する上でも、本作は特異な例として登場する。ポンの大ヒットがアメリカビデオゲーム市場を開拓し、それが後に日本のゲームブームへとつながり、現代のゲームサブカルチャー化に繋がったと言えなくもない。あらゆるビデオゲームはここから始まったと言っても過言ではないだろう。下手したら、あらゆる物がデジタル化した現象も、本作の大ヒットが無ければプログラム開発技術の発展が遅れ、人類全体の科学レベルは数年の遅れ……は言い過ぎかもしれないが、決してありえない話ではない程である。~  そんな歴史的に偉大な大傑作だが、対戦プレイ専用の本作は多彩を極める現代のゲーム市場から見るとそれに絡めて語れることは少ない。ゲーム業界の発展を認識せざるをえない事である。
*Pong 【ぽん】 |ジャンル|テニスゲーム| |対応機種|アーケード| |開発元|アタリ| |発売元|アタリ、ミッドウェイ| |稼動開始日|1972年11月| |ポイント|風化した傑作| **概要 -世界で最初にヒットしたビデオゲーム。製作者は一般的に「ノーラン・ブッシュネル」となっている。 --実演販売していた家庭用ゲーム機「オデッセイ」の『テーブルテニス』を、彼が雇った電子工学者「アラン・アルコーン」にうろ覚えの見様見真似で指示して作ったのが本作である。 ---つまり、元となるアイデアはオデッセイのテーブルテニスである。 ---後にオデッセイに訴えられ、70万ドル(当時の円相場で21億7百万円)の特許料を支払った。 ---だが、ポンとオデッセイのテーブルテニスで比較すると、ゲーム性は目に見えてポンの方が優れている。 -本作のヒットによりアタリ社が設立したと誤解される事があるが、実際はブッシュネルが本作前に関わった世界最初のアーケードビデオゲーム『コンピュータースペース』の後に設立しており、本作はアタリ社の一作目となる。 **システム -対戦プレイ専用。 -操作するのは縦長のバー(パドル)で、ドット(ボール)を弾きあってプレイする。 --バーは上下にしか動かす事が出来ない。 --バーで弾かれたボールは一定の法則に基づいて角度を変えて弾かれる。 --ボールが相手のバーを超え、センターラインを突破すると勝利となり、スコアが加算される。 ---現代風に例えると対戦ブロック崩しである。 **評価 -ロケテストをバーで行なったところ、数日たって店主から「故障したから見にきてくれ」と連絡があり様子を見に行くと、25セントコインが金庫として使っていたケースから溢れており、物理的にコインが入らなくなっていた。 --その後もポンはバーを中心に設置された。バーでは持ち金の乏しい女が「ポンに勝てたら奢って欲しい」と男に集る場面があったそうだ。 -本作のコピーゲームは大量に作られ、およそ10万台作られたと考えられているが、正確な台数は明らかになっていない。 --ブッシュネルはその事に怒りを感じていたが、忙しくていちいち訴えている暇は無かった。 --何より、本作のアイデアに関してオデッセイと裁判をしていた事もあり、ブッシュネルには余裕もなかった。 **総評  ゲーム史を語る上ではずす事の出来ない一大巨頭が本作である。むしろゲーム史のみならず、経済史・アメリカの歴史を考慮する上でも、本作は特異な例として登場する。ポンの大ヒットがアメリカビデオゲーム市場を開拓し、それが後に日本のゲームブームへとつながり、現代のゲームサブカルチャー化に繋がったと言えなくもない。あらゆるビデオゲームはここから始まったと言っても過言ではないだろう。下手したら、あらゆる物がデジタル化した現象も、本作の大ヒットが無ければプログラム開発技術の発展が遅れ、人類全体の科学レベルは数年の遅れ……は言い過ぎかもしれないが、決してありえない話ではない程である。~  そんな歴史的に偉大な大傑作だが、対戦プレイ専用の本作は多彩を極める現代のゲーム市場から見るとそれに絡めて語れることは少ない。ゲーム業界の発展を認識せざるをえない事である。

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