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Pong - (2015/11/10 (火) 17:45:26) のソース

*Pong
【ぽん】
|ジャンル|テニスゲーム|
|対応機種|アーケード|
|開発元|アタリ|
|発売元|アタリ、ミッドウェイ|
|稼動開始日|1972年11月|
|プレイ人数|2人|
|判定|なし|
|ポイント|風化した傑作|
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#contents(fromhere)
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**概要
-世界で最初にヒットしたビデオゲーム。製作者は一般的に「ノーラン・ブッシュネル」となっている。
--実演販売していた家庭用ゲーム機「オデッセイ」の『テーブルテニス』を、彼が雇った電子工学者「アラン・アルコーン」にうろ覚えの見様見真似で指示して作ったのが本作である。
---つまり、元となるアイデアはオデッセイのテーブルテニスである。
---後にオデッセイに訴えられ、70万ドル(当時の円相場で21億7百万円)の特許料を支払った。
---だが、ポンとオデッセイのテーブルテニスで比較すると、ゲーム性は目に見えてポンの方が優れている。

-本作のヒットによりアタリ社が設立したと誤解される事があるが、実際はブッシュネルが本作前に関わった世界最初のアーケードビデオゲーム『[[Computer Space]]』の後に設立しており、本作はアタリ社の一作目となる。


**システム
-対戦プレイ専用。

-互いにダイヤル状のツマミ(パドル)を使って縦長のバー(自機)を操作し、ドット(ボール)を弾きあってプレイする。
--バーは上下にしか動かす事が出来ない。
--バーで弾かれたボールは一定の法則に基づいて角度を変えて弾かれる。
--ボールが相手のバーを超え、センターラインを突破すると勝利となり、スコアが加算される。
---現代風に例えるとブロックなしの対戦ブロック崩しである。


**評価点
-「自機(バー)を上下に動かしてボール(ドット)を弾く」というシンプルなルール。
--製作者がこのゲームより先に開発した『Computer Space』が、当時としては複雑すぎるゲームシステムのために商業的に失敗してしまったことを反省してか、本作は一転して視覚的にもとてもわかりやすいルールのゲームとなっている。
--自機の移動が上下のみと単純なため操作も簡単であるうえ、バーとボールのグラフィックが異なるものであるため、どちらが操作するものであるか混乱することがない。

-今の目でみると全く大した事ではないものの、一応単調にならないような工夫がなされている。
--ボールの速度や跳ね返る角度が常に一定ではなく変化する、ボールを打ち返す際や得点が入った際に効果音が鳴るといった工夫がなされている。
---その効果音もボールを打ち返す際のもの、壁にボールが当たって反射する際のもの、得点が入った際のものが全て異なった音になっている。

-「オデッセイ」の『テーブルテニス』と違い、得点の表示がされる。
--それにより、自分(及び相手)が現在何点取っているのかがちゃんとわかるようになっている。


**総評
ゲーム史を語る上ではずす事の出来ない一大巨頭が本作である。~
むしろゲーム史のみならず、経済史・アメリカの歴史を考慮する上でも、本作は特異な例として登場する。~
ポンの大ヒットがアメリカビデオゲーム市場を開拓し、それが後に日本のゲームブームへとつながり、現代のゲームサブカルチャー化に繋がったと言えなくもない。~
あらゆるビデオゲームはここから始まったと言っても過言ではないだろう。~
下手したら、あらゆる物がデジタル化した現象も、本作の大ヒットが無ければプログラム開発技術の発展が遅れ、人類全体の科学レベルは数年の遅れ……は言い過ぎかもしれないが、決してありえない話ではない程である。~
そんな歴史的に偉大な大傑作だが、対戦プレイ専用の本作は多彩を極める現代のゲーム市場から見るとそれに絡めて語れることは少ない。~
ゲーム業界の発展を認識せざるをえない事である。


**余談
-後にこのゲームを家庭用ゲーム機として作り直した『HOME-PONG』が1975年に発売されることになる。
--この『HOME-PONG』がアタリ初の家庭用ゲーム機となった。

-ロケテストをバーで行なったところ、数日たって店主から「故障したから見にきてくれ」と連絡があり様子を見に行くと、25セントコインが金庫として使っていたケースから溢れており、物理的にコインが入らなくなっていた。
--その後もポンはバーを中心に設置された。バーでは持ち金の乏しい女が「ポンに勝てたら奢って欲しい」と男に集る場面があったそうだ。

-本作のコピーゲームは大量に作られ、およそ10万台作られたと考えられているが、正確な台数は明らかになっていない。
--ブッシュネルはその事に怒りを感じていたが、忙しくていちいち訴えている暇は無かった。
--何より、本作のアイデアに関してオデッセイと裁判をしていた事もあり、ブッシュネルには余裕もなかった。
//「評価」という項目名でしたが、内容的に余談のような内容だったためこちらに移動