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ばすとはんたー・みなみ

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匿名ユーザー

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「……はぁ」
 私の住んでいるところは街路樹が立ち並ぶ二車線の大通りに面しているけれど、
 車といえば周りの住宅地に住んでいる人の車くらいしか通らないので、夜になるととても静かだ。
 だから私が自分の胸を押さえる度に鳴る、この「ぺたぺた」という音も、
 それに続いて口から漏らされる小さな溜息も、
 どんな音にも掻き消されることなく、私の部屋の中に響いてしまう。
「…………」
 高校生になれば、大きくなるはず。
 中学生の頃はそう自分に言い聞かせてきた。
 でも大きくなるのは身長ばかりで、一応身体測定の度に期待してみるのだけれど、
 手帳の『胸囲』の欄には、毎回、数日前に自分で測ったそれと全く同じ数字が書かれているだけだった。
 人生、そう都合よく思い通りにはならない。
 そんなこと、わかっているのだけれど、でも、
「どうして……?」
 肝心のそこは大きくならないまま、私は高校生になった。
 スレンダーとか、細くて羨ましいとか、そんなことを言ってもらえるようにもなった。
 けれど本来なら褒め言葉であるはずのそれも、私にとっては文字通り少し胸が痛む言葉だった。
 私の向かいの家に住んでいる、昔から私と姉妹のように仲良くしてくているみゆきさん。
 いつからだろうか、彼女のそこと自分のそことの差を感じるようになったのは。
 年が二歳離れているとはいえ、みゆきさんのバストは、私なんかとは比べ物にならないほど大きい。 
 この差は何……? やっぱり、
「吸収……?」
 私が少し前から密かに唱えている(と言ってもゆたかから聞いた泉先輩からの受売りの)吸収説。
 もちろん本気で信じているわけではないのだけれど、
 ゆたかとそのお姉さんの成美さんや、自分とみゆきさんを見ていると、
 もしかしたら本当に吸収されているのでは、と思ってしまうこともある。
(吸収……できたらいいのに……)
 窓の外を見ると、街路樹の隙間からみゆきさんの家がちらりと見えた。 
 金曜の夜の月の光は明るく私達を照らしているけれど、みゆきさんの部屋の電気はもう消えていた。
 私の住んでいる住宅街は相変わらず静かで、数十分前から足音一つ聞こえてきていない。
 そういえば『寝る子は育つ』という言葉もある。
 ……今日は早く寝ることにしよう。
「おやすみなさい」
 私は部屋の電気を消して、ベッドに横になった。


「……き……っス……」
 私が眠りについてどのくらいだろうか。
 私は私の耳元、もっと厳密に言えば私の頭の中で何か声が響いているのを感じた。
「……きて……くだ……っス……」
 どこかで聞きた覚えのある声。私の記憶の中にある声とは口調が違うけれど……
 そう、確か学校で何回も聞いたことのあるような……。
「起きて下さいっス、岩崎さんっ!」
 初めはぼんやりとしていた声がしだいにはっきりとしてきて、
 何度目かの呼びかけで私は体を起こした。
 思い出した、あなたは……
「ふぅ、やっと起きてくれたっスね」

 私は初め、自分の目に写っているものを信じることが出来なかった。
 寝ぼけているのかと目を擦ってみても、そこに居るのはさっきと同じ……
 そう、さっきと同じ……手のひらサイズの、


「小さな、田村さん……?」


「田村さん……? だ、誰っスか、それは……?
 えーっと、今更ながら一応確認させてもらうっスけど、岩崎みなみさんでいいんスよね?」
 背中から生えている二つの羽根を動かし、宙に浮んでいる『小さな田村さん』からされた質問に、
 私は訳もわからないまま頷いた。
 彼女の姿はまるで妖精のようで、
 体の周りがキラキラと輝いて、電気を付けなくてもその姿ははっきりと目に映った。
 チュールの重ねられたふんわりとしたスカートが特徴の黄色いドレスを着ていて、
 子供の頃に絵本で見た、年を取らない男の子の物語に出てきた、あの妖精にそっくり。
 けれどそれ以上に目を惹くのは彼女の顔で、
 そっくり、というものではなく、眼鏡をかけているところも、膝のあたりまであるような黒いロングヘアーも、
 頭から二本の触角のようなものが可愛らしくぴょこんと出ていること以外は、
 何から何まで私の知っている田村ひよりさんと同じだった。
「あなたは……?」
 このような状況に置かれたならば、十人中十人がするような、ありきたりかもしれないが、当然の質問。
 特に私の場合は思い当たる人物の名を一度否定されている。
 もちろん、田村さんがここにいることはありえないことなのだけれど、
 それでも百パーセント絶対に有り得ないことかといわれればそうではない。
 けれど彼女は田村さんではないという。
 では、今私の目の前にいる、『人』なのかも定かではない彼女は一体……?

「私は、『吸収の神』っスよ」

 目の前の彼女は、神と名乗った。
 彼女は腰に手をあて、どうだと言わんばかりの顔でこちらを見ている。
 それにしても、
「吸収の……神?」
「そう、吸収の神っス。夢とか空想とかじゃなく、れっきとした、実在する神っス。
 岩崎さん、さっき『吸収したい』と願ったっスよね?
 吸収の神は人々のそんな願いをキャッチするっス。
 つまり、岩崎さんの熱ぅ~い思いが、私を呼び出したというわけっスね。
 今までも何度か岩崎さんからは『吸収』という単語を受信してたんスけど、
 なかなか『吸収したい』とは願ってくれなかったんスよ。
 でも今日、ようやく岩崎さんから、『吸収したい』という願いを聞いたんで、
 晴れて岩崎さんの前に姿を現すことができるようになったというわけっス」
 ……確かに、寝る前に『吸収できたらいいのに』とちらりと思ったけれど、
 それがまさか神さまを呼び出してしまうとは誰が想像しただろう。 
 というかそんなに強く願ったわけではないのに……。
「細かいことは気にしないッス。私もヒマなんスよ」
 神さまのわりに、随分と適当な性格みたい……。
「その神さまが、私に何の用……?」
「野暮な質問っスね~、本当は自分でも分かってるんじゃないっスか?」
 目の前の神さまは少し意地悪そうに笑った。
 確かに。『吸収したい』という願いで現れた『吸収の神』。
 その神さま一体何をしてくれるのか……分からないはずがない。
 私は彼女が次の言葉を発するより前に、期待という名の胸の高鳴りを感じずにはいられなかった。

「私は岩崎さんに、『吸収』させてあげに来たんスよ」

 ぞく、と一瞬体に鳥肌が立った。
 そして段々と自分の精神が高揚してきているのが、はっきりと感じられた。
 まさか、こんなことが本当に起こるだなんて。
「岩崎さんの吸収したいものは分かってるっス。ううーん、乙女の純情な悩みっスね~」
 私は彼女のほうを見て、少し目に力を込めた。
「ご、ごめんなさいっス……。
 でも、吸収といってもただでさせてあげられるわけじゃないっス。
 一応相手のものを奪うわけっスからね。それ相応のリスクを負ってもらって初めて、
 私も力を貸すことができるようになるというわけっス」
 やはりただでは吸収させてもらえないか、と少し残念だったけれど、
 チャンスがあるだけ私は幸運なのだから、この機を逃すわけにはいかない。
「リスクというのは……どんな?」
 このリスクこそが、きっと私にとって最重要事項。
 自分が出来ることなら、少々難しいことだってこなしてみせる。
 私はおそらく、今までにないほどの覚悟を決めた眼差しを彼女に向けていた。
「よくぞ聞いてくれたっス。岩崎さんのリスクは、『四つの条件』で、
 これを全てクリアしなければ、私が吸収の力を使うことはできないっス。
 一度に言うんで、よく聞いて下さいっス」
「…………」
 自分が生唾を飲み込む音が、喉から伝わって耳に入った。
「そのクリアすべき条件とは、

 ① 相手のバストを実際に見る。
 ② 相手にバストについて質問し、相手がそれに答える。
 ③ 自分のバストと相手のバストを直に合わせる。
 ④ ①~③までを1時間以内に行う。

 以上の四つっス。いやー我ながら上手い条件だと思うんスよねー。
 私の好きな漫画からビビッと閃いたんスけどね、これが……、…………」

 自称「神」が他に何か言っていたようだけれど、私の耳にはもはや届いていなかった。
 私は段々と自分が失望していくのを感じた。
 こんなの、こんな条件、
「……できるわけがない」
「えっ?」
「できるわけがないっ!」
「今言ったっスか……? できるわけがない、と……」
「……なぜこんな条件に?」
 いくらなんでも無茶すぎる。
 ②は可能、①も辛うじてできるレベルだとしても、
 ③はほとんど不可能だと言っていいし、さらに④という条件のおまけ付きだ。
 少々無理をすればできるのかもしれないけれど、
 その後、バストと引き換えに全てを失うであろうことは避けられない。
 神さまは、ずいぶんと意地悪が好きな小悪魔だった。
「し、仕方ないっスよ……さっきも言った通り、
 相応のリスクを負ってもらわないと……そ、そんなに睨まないでほしいっス……
 それに吸収するものに関係するリスクじゃないといけないわけで……」
「条件の変更は……?」
「え、えーと……出来ないこともないっスけど……
 最低限これくらいのリスクを負ってもらわないといけなくて……
 それで私としてはその……折角考えたんだし私の案を採用してもらいらたいな、なんて……
 い、嫌ならいいんスよ? それなら他の人のところにいくまでっスから……」
「そう、それじゃあ……」
「全くしょうがないっスね~……って、えっ?
 ちょ、ちょっと待って下さいっス! いいんスかそれで!?
 よーく考えて下さいよ、吸収できるんスよ?
 こんなチャンス、普通は一生に一度もないんスからね!?」 
 目の前の神さまは、なんだかひどく動揺しているようだった。
 このままもう少し可愛がってあげようかな……。
「でも、そんな無茶な条件、できない……」
「お願いします! この通りっス!
 最近全然仕事が無くって、久しぶりの仕事なんス!
 これで岩崎さんにフられたら、また私は……ココ○チでメンチカツを揚げなきゃ……ううっ」
 ……泣かせてしまった。
 まさか彼女がそこまで追い詰められていただなんて……。
 あの条件だって、彼女が私のために頑張って考えてくれたに違いない。
 それを、彼女の気持ちを、私は踏みにじってしまった。
 そう思うと私は居ても立ってもいられず、
「あ、あの……私、協力するから、その……泣かないで……?」
「ひっく……えっ? ほ、ホントっスか?」
 彼女は顔を上げて、涙で濡れていた顔を晴らせていった。
 良かった、なんとか泣き止んでくれたみたい……。
「うん……私、頑張るから……」
「あ、ありがとうっス!! 岩崎さんは私の女神っス!」
 彼女は小さな手で私の指を握り、ぶんぶんと大きく動かした。
 こうして神さまに神と呼ばれた私は、若干の不安を胸に、彼女の条件を受け入れることになった。
 というか、最初はこちらがお願いする立場だったのだけれど……
 いつの間に間違ってしまったのだろう。


「いらっしゃい、みなみちゃん。
 何時ぶりだったかしらねー、こうやってみなみちゃんがウチに泊まりに来るのも」
「こんばんわ、みなみさん。今日はゆっくりしていってくださいね」
「はい、おじゃまいたします」
 神さまの「お風呂っス! 作戦決行はお風呂の時しかないっス!」という助言を受け、
 翌日の土曜日、私はみゆきさんの家へお泊りに行った。
 一応、勉強会という名目を用意してあったのだけれど、
 高良さん一家は特に私に理由を聞くことなく、泊まることを了承してくれた。
「岩崎さん家も相当なもんでしたけど、この人の家もかなり広いっスね~」
 小さな田村さんこと神さまは、どうやらその姿も、声も、私だけしか感知できないようで、
 私の横で羽をぴこぴこと可愛く羽ばたかせながら、感嘆の息を漏らしている。
「じゃあ、後でお茶を持っていくわね」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます、お母さん。では、私の部屋に行きましょうか、みなみさん」
「はいっ」

 ゆかりおばさんの言っていたとおり、
 みゆきさんの家にあがるのは久しぶりだったのだけれど、
 お家の中も、そして今居るみゆきさんの部屋も、前におじゃましたときとあまり変わりはないようで、
 強いていうならばみゆきさんの机の上にある、
 大事そうに写真立ての中に入れられた写真は、今までに見たことがないものだった。
「これは、去年の夏に泉さん達と海に行ったときの写真なんです。
 黒井先生や、小早川さんのお姉さんの成美さんもご一緒で、
 とても賑やかな、楽しい旅行だったことを覚えています」
 みゆきさんは思い出したようにそっと笑い、その時のことを話してくれた。
 行きの途中、成美さんが壮絶なカーチェイスを繰り広げたこと、
 泉先輩がスクール水着を用意していて、けれどそれがとても似合っていたこと、
 みんなで入ったお風呂で、石鹸を踏んで転んでしまったことなど、聞けば聞くほど興味深い話ばかりで、
 聞いている私も一緒にそこへ行ったような、とても楽しい気持ちになった。
 いつか、私達――ゆたかや、田村さん、パティ達も、一緒にそんな経験が出来るのかな。
 今度、みんなにこの話をしてみよう、と私は心の中で小さく決めた。

「みゆきー、みなみちゃーん、夕ご飯の用意が出来たわよー」
 みゆきさんと話していると時間があっという間に過ぎてしまい、
 ゆかりおばさんが私達を夕飯に呼ぶ声が聞こえた。
「今日はみなみちゃんが来てくれたから、久しぶりに張り切っちゃった」
 と言ってゆかりおばさんがテーブルに持ってきたのは、
 トマトをベースに、色とりどりの野菜が散りばめられたスパゲティで、
 視覚だけでも食欲をそそられるのに、さらにとても良い香りがしていて、
 ゆかりおばさんの張り切り具合を私達に伝えるのには、十分すぎるぐらいだった。
 また、オーブンの中からは、薄く輪切りにされたピーマンが目を惹く丸いピザが出てきて、
 それもスパゲティ同様、早く口に運びたいという欲求を刺激させる、おいしそうなものだった。
「う、うおおっ、た、食べたいっス!!」
 神さまの言うことに私も同意で、私はすぐに席に付いて手を合わせた。
「「いただきます」」
「はい、召し上がれ♪」
 ぱく、もぐもぐ、ごくん。
 私とみゆきさん、二人の音が重なる。
「とても美味しいですよ、お母さん」
「はい、とても美味しいです」
 見た目と香りに違わず、味もとても美味しい料理で、
 失礼かもしれないけれど、普段のイメージとギャップのあるその腕前に、私はいつも驚かされる。
「ふふっ、私もやればできるのねっ」
 そう言って音符マークを出しながら、うきうきと台所へ戻るゆかりおばさんは、
 可愛らしい、という表現が一番似合っていて、
 どちらかと言えば落ち着いた物腰のみゆきさんとは対照的で、なんだか面白いな、と思ってしまう。l
「わ、私にも一口下さいっス! お願いっス!!
 神は怪我とかしても全然平気ですし、食べなくても死にはしないっスけど、
 これを横で見てるだけっていうのはあまりにも酷っス!!」
 私の横で少し涙目になりながら料理を懇願する神さまに、
 私は気づかれないようにそっと小皿にピザを一切れ乗せて、
 隣の空いているイスの上に、二人から見えないようにそれを置いた。
「あ、ありがたいっス……! この恩、一生忘れないっス!
 あむ、あむ……うおおおお、美味いーーーーーっ!!」
 すっかり立場が逆転してしまった神さまを見て、
 神さまに一生とかあるのかな、とか、もう少し神さまらしくしてほしいな、と考えながら、
 私はまたフォークにスパゲティを巻きつけ、口に運んだ。


「あ、もうこんな時間なんですね。みなみさん、お風呂にしましょうか」
 夕飯の後、私と勉強会をしていたみゆきさんは、そう言って開いていた参考書を閉じた。

 お風呂。

 その言葉を聞いて、はっと思い出す。
 みゆきさんと過ごす時間が楽しくてつい忘れてしまっていたけれど、
 私の本来の目的は今日、みゆきさんのバストを吸収することだった。
 私はみゆきさんが後ろを向いた隙に、机の上で寝息を立てていた神さまを叩き起こした。
「ふぇっ!? も、もう朝食っスか!?」
「これから、お風呂」
 私は小さく神さまに告げた。
「おふ……ろ……? じ、冗談っスよ、冗談……。
 まかしといて下さいっス。と言っても、頑張るのは岩崎さんのほうっスけどね」
 そう、私の本当の戦いはこれから。
 みゆきさんのバストを吸収出来るか出来ないかの大勝負。
 とは言っても、あんなに優しくしてもらったみゆきさんから
 バストを奪うということをしてしまうのは、今更ながら気が引けているのも事実なのだけれど。
「大丈夫っスよ。今まで吸収されていた分を取り返させてもらうだけっス。
 それにあのみゆきさんって人、かなりのバストみたいっスから、
 ちょっとくらいなくなっても気が付かないっスよ。ひっひっひ」
 私の耳元で神さま、もとい悪魔の囁きが聞こえる。
 その顔は、誰がどう見ても神さまには見えない。
 でも……うん、そう。
 今までの分を返してもらうだけ。
 だから……ごめんなさい、みゆきさん。
「では、お先に入らせていただきますね。また後で」
「待ってください……みゆきさん」
「はい、何でしょう、みなみさん?」
 あくまで自然に、あくまで自然に……。
「今日は……一緒に、入りませんか……?」
「みなみさんとご一緒に……ですか? ふふ、いいですよ。
 なんだか昔のようですね。では、行きましょうか、みなみさん」
 ふぅ……ひとまず作戦成功。
 優しいみゆきさんのことだから、
 私の提案にも少しも疑問を持つことなく賛成してくれると思っていたけれど、
 やはりこうして実行に移してみると少しは緊張するもので、
 私はまず、計画の第一歩を踏み出せたことに安堵するとともに、
 これから始まる戦いに向けて、体が少し強張っていくのを感じた。
「いよいよっスね……岩崎さん」
「うん……きっと、大丈夫」
 私は自分に言い聞かせるようにして呟き、お風呂の用意を持って、みゆきさんの部屋を後にした。


「昔のよう、とは言っても、やはり今では少し恥ずかしいですね」
 と、タオルで前を隠しながらみゆきさんははにかむようにして笑った。
 小さい頃、みゆきさんとはよく一緒にお風呂に入ったものだけれど、
 そのときは全く気にすることのなかったみゆきさんのバストは、
 タオルに隠れていてもしっかりと自己主張している。
 もちろん、みゆきさんがお風呂に入るときにタオルを使うことは、最初から予想していた。
 事前に神さまとした打ち合わせによると、①の「相手のバストを実際に見る」という条件は、
 やはり包み隠さず全部見なければいけないらしい。
 しかし、体を洗うときは嫌でもタオルを外さなければならないので、
 この条件に関しては私はほとんど心配していなかった。

 そして③の条件が最も難関であることは言うまでもないのだけれど、
 ②の「相手にバストについて質問し、相手がそれに答える」という条件も、意外に難しいものだった。
 ただ質問して、みゆきさんが答えるのは簡単なのだけれど、肝心なのは質問の内容で、
 バストに関する質問となると、どうしても生々しい質問になってしまい、
 口にする恥ずかしさと、質問のタイミングがネックになってくる。
 内容も幾つか考えたのだけれど、これといった良いものは出てきてくれず、
 仕方がないので「バストのサイズ」についてという、シンプルなものを今のところ用意しているけれど、
 ただ、この質問の場合、みゆきさんがはっきりと答えてくれるかどうかが微妙なラインで、
 神さまによると、相手からの答えの内容ははっきりとしたものでないといけないらしく、
 分からない、などといった答えはノーカウントになるそうだ。
 けれど「大体~くらい」という風ならOKらしく、
 この条件のクリアには少々運が絡んでいると言ってもいいかもしれない。
 そしてクリアの順番に関しては順不同で、
 ①~③のうち、どれか一つをクリアした地点から、④の条件のいうところの一時間が始まるらしく、
 お風呂に一時間も入っているかどうかは分からないけれど、
 ④の「①~③までを1時間以内に行う」という条件に関しては、
 それほど心配しなくてもいいように思えた。

 しかし、さっきも言ったとおり、③の「自分のバストと相手のバストを直に合わせる」という
 条件が一番難しいのにも関わらず、私は未だ、この鬼門を突破する手段を考え付いてはいない。
 寝ている隙に、というのも考えたけれど、その方法はあまりにもリスキーで、
 第一、みゆきさんが寝付くまで待っていなければならず、
 その前に②の条件もクリアしていないといけないので、
 やはりお風呂のときに全てクリアしてしまうほうがいいように思えた。
 けれど、一体どうやって「胸と胸を合わせる」という不自然な行為を、
 違和感のないように実行すればいいのだろう。いくら考えても、全く良い案は浮かびそうになかった。
 どうしよう、一体、嗚呼、神さまでも居ればいいのに……(横に居るけれど、何もしてくれないし……)

「大丈夫ですか、みなみさん?」
 というみゆきさんの声で、私ははっと現実に引き戻された。
 みゆきさんは少し癖のあるピンクの綺麗な髪を流し終えていて、
 どうやら私は、みゆきさんが髪を洗っている間ずっと吸収のことを考えていたようだ。
 こうしている間にもどんどんお風呂の時間はなくなっているというのに、
 このままでは一つの条件もクリアできないまま終わってしまいそうだった。
「みなみさん、お風呂に入ってからずっと黙ったままでいらしたので……
 もしかして、のぼせてしまいましたか……?」
「い、いえ……大丈夫です……」
「それなら良いのですが……」
 駄目です、みゆきさん……あまり優しくされると、決心が鈍ってしまいます。
 今までの分……今までの分……返してもらうだけ……よしっ。
「はぁー、私も帰ったらゆーっくりとお風呂に入りたいっスね」
 神さまの声は無視して、自分のすべきことを考えないと……。
「あ……みゆきさん、その……背中、流してもいいですか……?」
 まずはみゆきさんに近づこう。そうすれば、自ずと①や③のクリアに繋がるはず。
「あら、よろしいのですか? ふふっ、では、お願い致しますね、みなみさん」
 私はみゆきさんの声に従い、浴槽からあがり、小さな座椅子を持ってみゆきさんの背中側に腰掛けた。
 この座椅子は私達がまだ小さいとき、こうして体を洗いあったりするときによく使っていたもので、
 私はそのときの光景を思い出して少し懐かしい気持ちになった。
 尚、みゆきさんは背中にかかっていた髪を片方にまとめて前に垂らしていたので、
 バストが丁度髪の毛で隠される形になってしまい、残念ながら私が①の条件を満たすことは難しそうだった。
「痛く……ないですか?」
「はい、とても気持ちがいいですよ、みなみさん」
 みゆきさんから受け取ったタオルを手に、綺麗な色白の背中を傷つけないように丁寧に泡立てて滑らせていく。
 なんてことのない動作なのだけれど、光るようなその美しい肌を見ると、
 まるでレコードに針を乗せるときのように、なんだか慎重になってしまう。
 タオルを持っていないほうの手でつつ、となぞってみると、
 まるで雪でもさわっているかのようにさらさらとしていて、もしみゆきさんの名前を漢字にするとしたら、
 美しい雪、と当てるのが一番相応しいのかもしれないな、と私はふと考えた。
 そのうちみゆきさんが、
「あ、あの……く、くすぐったいです、みなみさん……」
 と、肩をすこし震わせながら言ったので、私は慌てて撫でていた手を引っ込めた。
「ありがとうございました、みなみさん。
 では、今度は私が流させていただきますね」
 そう言うとみゆきさんは座椅子を持って私の後ろに回り、そっと腰掛け、
 私から泡のついたタイルを受け取った。
「こうしていると、やはり小さいころを思い出しますね」
 優しく私の背中を撫でながら、みゆきさんは続けた。
「あの頃はみなみさんが私を姉のように慕ってくださっていたので、
 私も可愛らしい妹が出来たみたいで嬉しかったんですよ。
 けれど、みなみさんは少し恥ずかしがり屋な方でしたので、
 私以外の方に人見知りをしてしまっていないかどうか、心配でもあったんです。
 ですが……そんなことは取り越し苦労だったようですね」
 みゆきさんは小さくふふ、と微笑って、
「最近のみなみさんは、よく笑われるようになりました。
 特に先ほど、私の部屋でお友達の小早川さんや田村さん、パトリシアさん達の話をしていたときのみなみさんは、
 それはもう楽しそうに笑っていらして、みなみさんがとても優しいご友人に囲まれ、
 楽しい学校生活を送っていらっしゃることが伝わってきました。
 私はそんなみなみさんを見ることができて、とても嬉しく思うんですよ」
 みゆきさんは動かしていた手を止め、鏡越しににこりと私に向かって微笑んだ。
 私もみゆきさんの笑顔につられるように、自然にみゆきさんに向かって微笑んでいた。
 それから二人で体の残りの部分を洗い、シャワーで流し合いをしてから一緒に浴槽に浸かった。

「温かいですね、みなみさん」
「はい……とても……」
 二人で入るお風呂は一人のときよりも少し温かい気がした。
 なにもかもを忘れてしまいそうなほど安心できるひと時。
 なんだかこのまま眠ってしまいそうだ。
 そういえば、なにか大切なことを忘れているような……。
「あのー、岩崎さん……? 吸収のこと……忘れてないっスよね?」

 吸収……? 外部にあるものを内部に吸いとること……?
 それよりもこの小さな人は一体誰……?
 ……ああ、思い出した、確か吸収の神様だった。
 それで彼女は吸収って言ってたんだ。
 そしてさらに思い出したことは、私は今吸収のためにみゆきさんのおうちに来てて、
 今はその作戦の真っ最中。
 私はこのお風呂の間に課せられた条件をクリアしなくちゃいなくて……
 ああ、よかった、全部思い出すことが出来た。
 思い出すことができたということは、つまり、
 私は今の今まで、吸収のことをすっかり、

「忘れていた……」
「どうかしたんですか、みなみさん?」
「い、いえ、なんでもありません……」
 本当はすごく大事なことだけれど……というかみゆきさん、あなたが原因です。
 みゆきさんといると優しさに包まれて、つい幸せな心地になってしまうから……。
「なんだか良さげな雰囲気だったから声をかけずにいたんスけど……
 それよりもどうするんスか!? 気付けばもうお風呂は終わりみたいな感じじゃないっスか!
 条件も一つもクリア出来てないみたいっスし……」
 そう、私は結局条件①すらクリアすることが出来なかった。
 条件をクリアしたら神様が二つの触角でそれをビビッと感知するらしいので、
 彼女がまだそれを感知していないということは、やはり駄目ということらしかった。
 おそらく何度かは目に入っていたのかもしれないけれど、
 はっきりと「見た」という認識が無ければクリアしたことにならないということなのだろう。
 こうやって思案している間にも、段々とタイムリミットはやってきている。
 一体どうすればいいのだろう。
 水面に口を近づけて息を吹いてみる。ぶくぶくぶく。
「何遊んでるんスか岩崎さん!」
 人間、焦ると本当にどうしていいか分からないというのは本当のようだった。
 私は顔を上げ、みゆきさんのほうを見た。
 とりあえず、条件を一つでもクリアしなければ……
「あの……みゆきさんのバストは、どのくらいなのでしょうか……」
 あまりに不自然すぎるタイミングで、あまりに不自然すぎる内容の質問。
 しかし今私はそんなことに気を使う余裕はなかった。
 とりあえず一つでも多くのクリアを。ただそれだけしか頭に無かった。
「ば、バスト……ですか? どのくらい、と申しますと……サイズをお答えすればよろしいのでしょうか……」
 突然の質問に、さすがのみゆきさんも目をきょろきょろとさせ、慌てているようだった。
 私はみゆきさんの顔を見つめたまま、首を一度だけ縦に動かした。
「その……あまりはっきりとはお答えしにくいのですが……ええと……ごにょごにょ」
「!!」
 みゆきさんに耳打ちされて聞いた数値は、私の想像を上回るものだった。
 私のサイズで一番近いゾロ目なんかとは比べ物にならないくらいのゾロ目……。
 なんだか溜息が出てしまう。はぁ……。
「きたきたぁっス! ②の条件クリアっスよ!!」
 私がみゆきさんからバストのサイズを聞いたのと同時に、神様の触角がビビッと反応し、
 彼女の体が一瞬輝きに包まれた。今神様は私の横で楽しそうに踊っている。よし、この調子。
 しかしこの調子、とは言っても、一体これからどうすればいいのだろう。
 まずは①のバストを実際に見る、からクリアすべきだろうか。
 でもさっきみたいにいきなり「バストを見せてください」なんてことは言えないし、
 いや、もう勢いで言ってしまったほうが……?
 みゆきさんなら戸惑いはするだろうけれど、多分見せてくれるだろうし……。
 でも、やっぱりそんな強引な手段は使いたくないから、横目でみることにしよう。
 ……
 …………
 駄目。波が立ってて上手く見ることが出来ない……。
「あの……どうされたのでしょう、みなみさん。先ほどから様子が変なようですが……」
「あ、いえ……なんでもありませんから……」
 私はまたみゆきさんに心配されてしまった。
 そんなに挙動不審になっているのかなと、少し恥ずかしくなる。
「やはり、具合が悪いのではないですか?
 無理をしてはいけません、やはり、もう出ましょう、みなみさん」
 みゆきさんはざばぁとお湯を波立たせて湯船から出て、
 私の方に振り返って少し屈み、私の手を取った。
「えっ……あっ……」
 みゆきさんがそんな体勢になるものだから、私は間近でばっちりと二つのそれを見てしまったわけで……
「おおっ! またきたぁっス!! この調子で最後までいっちゃいましょう、岩崎さん!」
 予期せぬところで私は条件をもう一つクリアすることとなってしまった。
 それにしても……本当に二つ歳が離れているだけなの……?
 と、私は少し泣きたい気持ちになった。
 そんな私とは対照的に、神様はまた手と足を動かして楽しそうだ。なんだか可愛らしい。
「立てますか? みなみさん」
 みゆきさんは誤解をしたまま、私の目をまっすぐに見つめている。
「え、あの、違うんです、本当に……」
「みなみさんは優しい方ですから、私に心配を掛けまいとしてくださっているのですね。
 でも今はお体のほうが大切です。どうか、無理をなさらないでください」

 みゆきさんの大きな瞳に移った自分の姿を見て、私はふと今日あったことを思い返していた。
 玄関でのお出迎え、みゆきさんの部屋、食事の時間、そしてお風呂……
 いつもそこには、昔と変わらない優しいみゆきさんが居た。
 いつでもこうして私を優しく見つめていてくれていて、
 柔らかな笑顔と、温かな包容力で、私を守ってくれていた。
 あなたは……本当に素敵な方ですね。
 私は自分が情けないです。
 そんなあなたを騙して、バストを奪おうとしていたんですから。
 やっぱり、こんなこと……いけませんよね。

「はい、すみません……みゆきさん」
 私はみゆきさんに手を取られながら、静かに立ち上がった。
「で、出ちゃうんスか、岩崎さん! せっかくここまで来れたのにっ!」
 そう神様は言うけれど、みゆきさんのあの目を見てしまっては、
 たとえ百戦練磨の武士といえど、一秒で戦意を失ってしまうだろう。
 私は神様のほうを見て、こくりと頷いた。
「岩崎さん……それが岩崎さんの選んだ道なんスね……。
 もう私は何も言わないっス! 岩崎さんは頑張ったっス、感動をありがとうっス!!」
 神様は目の辺りに腕を当て、涙を拭う仕草をしている。
 私こそすみませんでした、神様。結局お仕事、させてあげられませんでしたね。 
 私は足を浴槽の外に出し、みゆきさんとお風呂場の入り口に向かった。
 けれど、みゆきさんがドアの持ち手に手をかけたのと同じくらいに、
 どういうことか私の視界がぐらりと揺らぎ、ぼうっとした感覚に襲われた。
 まさか、お風呂の中でいろいろ考えてるうちに本当にのぼせてしまった……?
「みゆきさん……」
「大丈夫ですか、みなみさん!」
 私は体を支えてもらおうと、みゆきさんを呼び止め、ふらつく足でみゆきさんに近づいた。
「すみません、みゆきさ……あっ!」
「!!」
 しかし、突然の歪みに対応しきれない私は体をうまくコントロールすることが出来ず、
 思い切りみゆきさんに飛びついてしまい、ふわり、と体に柔らかいみゆきさんの感触が伝わってきた。
 最後の最後で本当に心配をかけてしまったな、と申し訳ない気持ちだったけれど、
 めまいが治まるまでの少しの間、私はずっとみゆきさんに抱きついていた。
 けれど、胸に感じるこのふわふわとした感じ、これってまさか……?
「うおーーっ! きたぁーーっ!!」
 と、神様が叫んだのを聞いて、私は全てを確信した。
 みゆきさんに倒れ掛かってしまったことにより、
 私は偶然にも、③の「自分のバストと相手のバストを直に合わせる」という条件をクリアしてしまったのだ。 
「全ての条件クリアっス! さすがっスね岩崎さん!!
 いやー、すっかり騙されたっスよ。神をも欺くとは、見事としかいいようがないっス」
 と、神様は私の顔の横で嬉しそうにしている。
 クリアできたのは全くの偶然で、騙すつもりなんてこれっぽっちもなかったと私は弁解したかったけれど、
 みゆきさんが居る手前、声を出すことができないのがとてももどかしい。
 なので首を横にふるふると震わせてみるけれど、神様は私が条件をクリアしたことがよほど嬉しかったのか、
 そんなことには気付いてもくれなかった。
「派手な演出とか全くなくて申し訳ないんスけど、もう吸収は終わってるんで、
 あとは一晩眠れば明日の朝にはもう効果が出ているはずっス。よかったっスね、岩崎さん」
 そう神様は言ってくれるけれど、もう私には吸収する気はなかったわけで、
 結果的には嬉しいことが起こるのかもしれないけれど、私はとても複雑な心境だった。
「あ……すみません、みゆきさん……」
 私は長い間みゆきさんに抱きついていたことに気付き、
 めまいももう治まっていたこともあってみゆきさんから離れた。
「あの、みゆきさん……?」
 けれどみゆきさんは上の空、といった具合に遠いところを見つめていて、
 私が呼びかけてもしばらくは何も反応してくれなかった。
「はっ……す、すみません、みなみさん。お体の調子はよろしいですか?」
「はい、もう大丈夫です。それより、みゆきさんこそ、大丈夫ですか……?」
「え、ええ、何でもありません。では、もう出ましょうか、みなみさん」
 私は本当にどうしたのかな、と思ったけれど、みゆきさんが大丈夫というのでそれほど気にも留めず、
 私達がお風呂から出て体を拭き終わる頃には、そのことをすっかり忘れてしまっていた。




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