内諸官を主る。故に曰く郎中令。」(臣瓚
「光は、明なり。禄は、爵なり。勳は、功なり。」(応劭
「禄臣、光を司る、敢えて執経に告ぐ。」(揚雄官箴
「勳なお、閽也、易に曰く『為閽寺』。宦寺、殿宮門戶の職を主る。」(胡広

 光禄勲(光禄勳)は、朝廷職官である。九卿の一つに数えられ、現代の大臣に相当する。宮殿・門戸に宿直して天子を親衛し禁中の出入りを防ぎ天子の外出に随行する郎官を司った。また、天子の顧問応対や議論、使者を担う謁者大夫議郎らも下に置いた。


目次


歴史

 郎中令は故の秦官。漢もこれを継ぐ。
 武帝太初元年、更名して光禄勳と為す。
 名称に諸説あるが、宮中に出入りする者の禄勲を明(光)らかにして資格無き者の出入りを防ぐ故ともいう。



地位

(前漢)
 卿、一人。秩中二千石。

(後漢)
 九卿、一人。秩中二千石。



職掌

(前漢)
 宮殿・掖門戸を掌る。


(後漢)
 宮殿・門戸に宿衛することを掌り、典謁(賔客の告請の事を主る)する。
 署郎は更直(輪番当直)してを執り、門戸を宿衛して、その徳行を考え、而してこれを進退す。
 郊祀の事には、三獻を掌る。
 大夫謁者が有り、みな秦官である。



属吏

(前漢)
 有り。秩千石。

(後漢)
 一人。秩比千石



員吏

 四十四人。
 その十人が四科、三人が百石、一人が斗食、二人が佐、六人が騎吏、八人が学事、十三人が守学事、一人が官医衛士八十一人。



郎(前漢)

 は、門戸を守り、車騎の出充を掌る。議郎、中郎、侍郎、郎中が有り、皆無員、多きは千人に至る。
 中郎に五官、左、右の三将有り、秩皆比二千石。
 郎中に車将、戶、騎の三将有り、 秩皆比千石。左右車将は、左右車郎を主る、左右戸将は、左右戸郎を主る也。秩皆比千石。
 また、武帝期に期門郎(のちの虎賁郎)と羽林騎を増設する。



議郎

 無員、秩比六百石。



中郎

 無員、比六百石。
 省中の郎の意。以下の三将を持つ。

  • 五官中郎将
 秩比二千石。

  • 左中郎将
 秩比二千石。

  • 右中郎将
 秩比二千石。



侍郎

 秩比四百石。



郎中

 秩比三百石。
 以下の将を持つ。

  • 郎中車将
 秩比千石。

  • 郎中戸将
 秩比千石。
 門戸を直主する。

  • 郎中騎将
 秩比千石。



期門郎

 無員、多きは千人に至る。その秩は郎に比す(比三百石か)。
 を執り送従を掌る。
「ともに門下に期して以て微行す、のち遂に以て官を名づける。」
 武帝建元三年、初めて置く、平帝元始元年、更名して虎賁郎とする。
 後漢には置かず。

  • 期門僕射
 秩比千石。
 期門郎を監す。



虎賁郎

 無員、その官位は郎に比す。
 平帝元始元年、期門より更名する。
 一説に、前漢に於いては「虎奔」と作った。王莽が古の勇士孟賁が有るを以って、故にこれを名とした。顔師古曰く、「賁、讀は奔と同じく、猛獸の奔の如くと言う」。公安国曰く、「若虎賁獸、その甚猛を言う。」 

  • 虎賁中郎将
 一人、比秩二千石。
 虎賁を主る。



羽林騎

 天子の送従を掌って、期門に次ぐ
「其れ羽の疾きの如く、林の多の如くと言う也。一說、羽の所以は王者の羽翼と為す也。」
 武帝太初元年、初めて建章營騎を置く、更名して羽林騎。
 從軍死者の子・孫を取り、羽林官にて養い、五兵を以て教えて、號して曰く羽林孤兒。

  • 羽林令
 羽林騎の長。。
 中興以後省く。

  • 羽林丞
 中興以後省く。

 秩比二千石。
 宣帝が令して羽林を監す。一時の権か。



郎(後漢)

 後漢においても、郎官は光禄勲に職属する。ただし、議郎は文書の上で所属するのみで、天子に直属する傾向を強めたようである。
 およそ郎官は皆更直・執戟を主る。諸殿門に宿衛し、車騎を出充す。ただ議郎は直中に在らず。
 五官郎、左署郎、右署郎を以って曰く、三署郎



五官中郎将

 一人、比二千石。
 五官郎を主る。

  • 五官中郎
 無員、秩比六百石。
 中郎とは、省中の郎である。
 郎の年五十を以て五官に属す、故に曰く六百石。

  • 五官侍郎
 無員、秩比四百石。

  • 五官郎中
 無員、秩比三百石。



左中郎将

 一人、秩比二千石。
 左署郎を主る。

  • 中郎
 無員、比六百石。

  • 侍郎
 無員、比四百石。

  • 郎中
 無員、比三百石。



右中郎将

 一人、比二千石。
 右署郎を主る。

  • 中郎
 無員、比六百石。

  • 侍郎
 無員、比四百石。

  • 郎中
 無員、比三百石。



虎賁中郎将

 一人、比秩二千石。
 虎賁を主り宿衛す。

  • 左僕射
 一人、比六百石。
 虎賁郎の習射を主る。

  • 右僕射
 一人、比六百石。
 虎賁郎の習射を主る。

  • 左陛長
 一人、比六百石。
 虎賁を直に主り、朝會にて殿中に在る。

  • 右陛長
 虎賁を直に主り、朝會にて殿中に在る。
 一人、比六百石。

  • 虎賁中郎
 無員、比六百石。

  • 虎賁侍郎
 無員、比四百石。

  • 虎賁郎中
 無員、比三百石。

  • 節從虎賁
 比二百石。

 以上四郎、みな父死して子が代わる。宿衛・侍従を掌り。節從虎賁より久しき者転遷して、才能差高きは中郎に至る。



羽林中郎将

 一人、秩比二千石。
「其れ羽の疾きの如く、林の多の如くと言う也。一説、羽の所以は王者の羽翼と為す也。」
 武帝太初元年、初めて建章營騎を置く、更名して羽林騎
 羽林郎を主る。
 府、虎賁府に次ぐ。


  • 羽林左監
 一人、六百石。
 羽林左騎を主る。
 孝廉郎のうちの有材者が為り、羽林九百人を主る。また、左右二監の官屬・史吏はみな羽林中から出す。
 丞一人。

  • 羽林右監
 一人  六百石。
 羽林右騎を主る。
 丞一人。

  • 羽林郎
(後漢)
 無員(百二十八人とも)、秩比三百石。
 宿衛侍從を掌る。
 漢陽郡隴西郡安定郡北地郡上郡西河郡凡そ六郡良家より常に選び補す。もとは便馬を以て武帝の猟に従い、還りて殿の陛巖下室中に宿す、故に號して巖郎。また、その厳厲整鋭を言うなり。
 羽林郎は、出でては三百石に補す。



流馬菀

 漢陽郡に有り。前代の牧師菀の残か。
 羽林郎を以て監領す。


四中郎将

 漢末に有り、皆師を帥して征伐した、何時の置か知らず。



謁者(前漢)

「謁は、請なり、白なり。」(應劭)
 賓讚・受事を掌る。


謁者僕射

 秩比千石。


謁者

 賓讚・受事を掌る。
 員七十人、秩比六百石、



謁者(後漢 文属)

 後漢に至ると、謁者は光禄勲には文書上のみ属す。

 賓贊、受事、及び上章報問を掌る。将、大夫以下の喪に、使して弔を掌る。
 謁者は皆、孝廉の年五十を用い、威容厳恪、に能う者これに為す。
 府の丞、長史、陵令として出る、皆、儀容端正を選び、使者に任奉する。

 明帝詔曰:『謁者乃ち堯の尊官、舜を試して四門に賓し、四門穆穆とす所以なり。』昔、燕太子、荊軻を使して始皇を劫かし、變、兩楹の閒に起きる、その後謁者匕首を持ち腋を刺す、高祖、武を偃(やす)めて文を行い、故に板を以てこれを易し。」


謁者僕射

 一人、比千石。
 謁者臺を率す、謁者を主り、天子出づれば奉引す。

常侍謁者

 五人、比六百石。
 殿上、時節威儀を主る。

謁者

 合わせて三十人。
 以下の二者がある。初め灌謁者と為り、歳満ちて給事謁者となる。
 また、二人は六百石を持って使して公府となる。

給事謁者

 四百石。

灌謁者郎中

 比三百石。



属官(後漢に文属)

 後漢に至ると、光禄勲には文書上のみ属すようになる官。

大夫

(前漢)
 論議を掌る。
 無員、多くは数十人に至る。

(後漢)
 およそ大夫は、みな顧問応対を掌る。
 常事無く、ただ詔命の使う所となる。


中大夫

 武帝太初元年、更名して光禄大夫と為す。
 後漢には置かれず。


光禄大夫

(前漢)
 比二千石、無員。
 武帝太初元年、中大夫から更名する。

(後漢)
 比二千石、無員(或いは三人)
 およそ諸国の嗣の喪、則ち光禄大夫が弔を掌る。


太中大夫

(前漢)
 無員、秩比千石。

(後漢)
 無員、秩千石(或いは二十人、秩比二千石)。


諫大夫(前漢)

 無員、秩比八百石。
 武帝元狩五年、初めて置く。中興後、諫議大夫と為る。


諫議大夫(後漢)

 無員(或いは三十人)、秩六百石。
 中興後、諫大夫から改称す。


中散大夫(後漢)

 無員、六百石(或いは三十人、秩比二千石)。
 中興後に置かれる。



議郎(後漢)

 無員(或いは五十人)、六百石。
 無員、顧問応対を掌る。



奉車都尉

 無員(或いは三人)、比二千石。
 御乗輿車を掌る。



駙馬都尉

 無員(或いは五人)、比二千石。
 駙馬を掌る。



騎都尉(後漢)

 無員(或いは十人)、比二千石。
 もとは羽林騎を冠す(後漢では管轄せず)。



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関連項目・人物



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最終更新:2015年01月14日 23:39