長水校尉は、前漢武帝期以降に置かれた朝廷職官。いわゆる武帝八校尉北軍五校尉の一。
 前漢では宣曲観屯営とする長水胡の騎兵を司った。
 後漢に到ると光武帝が再び置き、北軍に組み込まれた。
 後漢以降は宮中に宿直する宿衛兵を掌り、外征に出る官ではないが、後漢ではしばしば外戚諸氏の有力者が任官した。


目次



歴史

 武帝が置く。
 中興してまた置き、胡騎校尉を併せる。
 光武帝建武七年、省く。
 建武十五年、また置く。
 以後、漢魏晋ともに置き続ける。



(前漢)
 一人、秩二千石。


(後漢)
 一人、秩比二千石。


(魏・西晋)
 一人。
 秩比二千石、四品官か。(宋志より)



職掌

(前漢)
 長水宣曲胡騎を掌る。
 長水の部落の名。宣曲は、上林苑昆明池の西に所在した宣曲宮


(後漢)
 宿衛兵を掌り、烏桓騎を主る。


(魏・西晋)
 営兵を領す。



属吏

(後漢)
  • 司馬
 一人、秩千石。

  • 胡騎司馬
 一人、秩千石。

  • 員吏
 百五十七人。

  • 烏桓胡騎
 七百三十六人。

  • 領士
 千三百六十七人*1


(魏・西晋)



  • 営兵



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関連項目・人物


詳説

 長水校尉は宣曲観を屯営とする長水胡の騎兵を率いた将である。
 後漢に入ると、率いる騎兵は烏桓騎に移ると共に、宿衛を担って北軍五校尉の一つとなった。
 その性質から、宮廷では外戚中の有力者が任じられてその権力維持に寄与し、征伐では上級の将軍らの副将として付き従った。また、その上言が白虎観議の開かれる契機となった樊鯈のように儒士の任官も目立つ。




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最終更新:2015年02月12日 15:14

*1 漢官儀。烏桓胡騎七百三十六人との関係は不明