国体1

◇1.現在流通している「国体」の定義

【国体】 こく-たい
広辞苑
①[漢書(成帝紀)「通達国体」]国家の状態。くにがらくにぶり
②[漢書(王莽伝上)「以明国体」]国家の体面。国の体裁。折りたく柴の木(中)「-にしかるべからず」
主権または統治権所在により区別した国家体制。「-の護持」
【国体】 こく-たい
ブリタニカ国際大百科事典
一般的には国柄国風を意味し、この用例は漢籍や古代日本にも見られる。
しかし中国や西洋に対して日本の優越を示す根拠として、国生み神話に基づく天皇の神聖性とその君臨の持続性を内容とする意味で用いられるのは、19世紀以降 水戸学に始まる。
維新以後も、一般の論説のほか、教育勅語や新聞紙条例、治安維持法などの法令にも国家体制の正当性を示す言葉として登場するが、意味内容は明確ではない
またその使用には論争性が当初から伴われ、福沢諭吉や加藤弘之ら明治初期の啓蒙思想家からの批判や、明治末期から大正期の穂積八束の憲法解釈に対する美濃部達吉の批判が代表的なものである。
昭和初期には左翼勢力や美濃部の天皇機関説に代表されるリベラルへの弾圧の根拠としてその神話的解釈が一層強調され、その傾向は国体明徴や文部省の『国体の本義』に頂点をみる。
敗戦および新憲法制定を通じて、統治の正当性根拠としての役割は終焉した。
補足説明 このように、「国体」は明治維新以降、日本国家の正統性を示す言葉として頻繁に用いられたが、その意味内容が必ずしも明確ではなかったため、昭和初期に美濃部達吉(憲法学者)の天皇機関説を巡って「国体明徴」問題(1935年)が起こり、その結果1937年になってようやく文部省よりその公定解釈を示す冊子『国体の本義』が刊行された。

◇2.現在流通している『国体の本義』の説明

【国体の本義】
こくたい-の-ほんぎ
広辞苑
1937年文部省が発行した国民教化のための出版物。記紀神話にもとづき国体の尊厳天皇への絶対的服従を説き、社会主義・共産主義・民主主義・個人主義・自由主義排撃
【国体の本義】
こくたいのほんぎ
ブリタニカ国際大百科事典
文部省編。1937年5月刊行。35年頃から高まった「国体明徴」「教学刷新」の意義を明らかにし、その精神を国民に徹底させることを企図した。
神話と古典に依拠して、国史の諸過程を「肇国の精神の顕現」としてとらえるとともに、西洋近代思想激しく排撃している。
45年占領軍により『臣民の道』とともに発売禁止となったが、49年にはアメリカでJ.ガントレットの英訳が刊行され、今日にいたるまで研究材料とされている。
補足説明 結論から先に言うと、上記の説明は、『国体の本義』内容説明としては歪曲された完全に間違ったものである
但し、大東亜戦争開戦の僅か4ヶ月前の昭和16年(1941)8月に『国体の本義』実践編・注解編との触れ込みで文部省教学局(文部省の外局)から刊行された『臣民の道』内容説明と置き換えると、凡そ正しい説明になる。
つまり、戦時体制下で刊行され戦争目的を肯定し国民の戦意を高揚させるための時局論的色彩の強い『臣民の道』の内容を、国体の公定解説書として刊行された『国体の本義』故意に投影した説明となっているのだが、戦後長く『国体の本義』に関して、そして「国体」論自体に対して、こうした歪曲された内容説明が流通し続けてきた。
当ページは、
昭和10年代に政府の公定「国体」解説書として刊行された2つの冊子『国体の本義』及び『臣民の道』の実際の内容を紹介し、その異同を解説する、と共に、
これらの異同の背景を為す政治的変動及び、それらを思想的に準備しあるいは理論づけた民間の国体論に関しても説明すること、更には
『国体の本義』で示された思想評価と西洋保守思想の対応関係を確認すること、を目的とする。

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最終更新:2011年12月28日 15:26