「31-103「佐々木さんの、夢十夜の巻」」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
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<div class="mes">佐々木さんの、夢十夜の巻<br /><br />
こんな夢をみたんだ。<br />
<br />
腕組みをして枕元に座っていると、仰向きに寝た君が、静かな声で<br />
もう死ぬと言うんだ。<br /><br />
「死ぬとは穏やかじゃないな。それとも佐々木、俺に対してなんか<br />
口に出さない不満でもあって、内心死を願っているとかないだろうな」<br />
何せ夢だからね。そこらへんは脈絡はないさ。それに君に対しての<br />
不満はあるにしても、それは君の死によって、決して解消されなく<br />
なってしまう類の不満だから、まあ安心したまえ。<br />
<br /><br />
君はそのくせっ毛を枕にしいて、輪郭の柔らかな顔を枕に沈めるよ<br />
うに横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく挿して、<br />
唇の色は無論赤い。<br />
とうてい死にそうには見えないのだけれど、しかし君は静かな声で、<br />
もう死ぬと判然と言うんだ。僕も確かにこれは死ぬなと思った。<br />
なにせ夢だからね。そのあたり、理屈ではないのさ。<br />
で、そうなったからには僕も後を追おうと思って、<br />
「そうかね、もう死ぬのかね」と上から覗き込むようにして聞いて<br />
みたんだ。何故か視界が曇ってしまって、そうしないと君の顔も見<br />
えない塩梅だったものだから。<br />
死ぬとも、と言いながら、君はぱっちりと眼を開けた。大きな、包<br />
み込むような深さを秘めた眼で、睫に包まれた中は、ただ一面に<br />
真黒だったんだ。<br />
その真黒な眸の奥に、自分の姿が頼りなげに浮かんでいる。<br />
僕は透き徹るほど深く見えるこの黒目の色沢を眺めて、これでも死<br />
ぬのかなと必死に思ったんだ。だから、ねんごろに君の耳元に口を<br />
寄せて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまた聞き返し<br />
たんだ。何故だか、声が震えてとても小さな声しか出せなかったから。<br />
すると君は黒い目を眠そうに見張ったまま、やっぱり静かな声で、<br />
でも、死ぬんだから、仕方がないだろうと言ったんだ。<br /><br />
「何か死ぬ間際まで他人事風味だな、お前の夢の中の俺は」<br />
取り乱されるよりもいいんじゃないかな。<br /><br />
じゃあ、僕の顔が見えるかい、と一心に聞くと、<br />
見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃないかと、<br />
にこりと君は笑って見せた。<br />
僕は黙って、顔を枕から離した。震える手でようやく腕組みをしな<br />
がら、どうしても死ぬのかなと思ったんだ。<br />
しばらくして、君がまたこう言った。<br />
「死んだら、埋めてくれ。時の彼方の大きな真珠貝で穴を掘って。<br />
そうして天から落ちて来る有希の破片を墓標に置いてくれ。<br />
そうして墓の傍に待っていてほしい。また逢いに来るから」<br /><br />
何故か、それはかなり失礼じゃないかとか、まだ本命一人隠す辺り<br />
が君の狡猾さだねなどと思ったのだがどうだろう。<br />
「いや、それ俺じゃないから。お前が勝手に夢見てるだけだから」<br />
それは承知しているのだけれど、普段の行いが……、まあいい。</div>
<div class="mes">
<div class="mes">僕は、いつ逢いに来るかねと聞いたんだ。<br />
「日が出るだろう。それから日が沈むだろう。それからまた出るだ<br />
ろう、そうしてまた沈むだろう。――赤い日が東から西へ、東から<br />
西へと落ちて行くうちに、――佐々木、待っていられるかい?」<br />
と言った。<br />
僕は黙って首肯した。<br />
君は静かな調子を一段張り上げて、<br />
「百年待っていてほしい」と思い切った声で言った。<br />
「百年、俺の墓の傍に坐って待っていてほしい。きっと逢いに来るから」<br /><br />
「なんで百年なんだろうな」<br />
さあ、それこそ夢の話だからねえ。或いは、思いの深さを試してい<br />
るのかと、目覚めた後になって思いもするけれどね。<br /><br />
僕はただ待っていると答えた。すると、黒い眸のなかに見えた自分<br />
の姿が、ぼうっと崩れて来たんだ。<br />
静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、<br />
君の眼がぱちりと閉じて、睫の間から涙が頬へ垂れた。<br />
――もう死んでいた。<br /><br />
僕はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。真珠貝は大きな滑<br />
かな丸みを帯びた貝だった。土をすくうたびに、貝の裏に朝日が<br />
差してきらきらした。湿った土の匂いもした。穴はしばらくして掘れた。<br />
君をその中に入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。<br />
掛けるたびに真珠貝の裏に朝日が差した。<br />
それから雪の破片の落ちたのを拾って来て、軽く土の上へ乗せた。<br />
雪の破片は薄かった。長い間涼しい空を落ちている間に、層が取れて<br />
薄くなったんだろうと思った。<br />
抱き上げて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が、何故か少し暖くなった。<br /><br />
「自分が埋葬されるシーンを聞かされるのも変な気分だな」<br />
僕も何故か盗人に追い銭というか、二号さんに送金する本妻のよう<br />
な気分を味わったよ。<br />
「何故だ」<br /><br />
僕は苔の上に坐った。いっそ共に死んだほうがよかったのに、<br />
これから百年の間こうして待っているんだなと考えながら、<br />
腕組みをして、雪でできた墓標を眺めていたんだ。<br />
そのうちに、やがて日が暮れて、君の言った通りまた日が東から出た。<br />
大きな赤い日だった。それがまた君の言った通り、やがて西へ落ちた。<br />
赤いままでのっと落ちて行った。<br />
一つと僕は勘定した。<br /><br />
「のっと落ちたってどういう感じなんだ」<br />
そこは聞かないでくれたまえ。僕にも色々事情があるんだ。<br /><br /><br />
しばらくするとまた唐紅に、一筋黄を刷いたような天道が<br />
のそりと上って来た。そうして黙って沈んでしまった。<br />
二つとまた勘定した。</div>
<div class="mes">僕はこう言う風に一つ二つと勘定して行くうちに、<br />
赤というか、むしろ黄色い日をいくつ見たか分らない。<br />
勘定しても、勘定しても、しつくせないほど黄色い日が頭の上を通<br />
り越して行った。それでも百年がまだ来ない。<br />
しまいには、苔の生えた雪の墓標を眺めて、僕は君に欺されたので<br />
はなかろうかと思い出した。僕が君の後を追わないように、君が最<br />
後についた嘘なのではないかと。<br />
すると石の下から斜(はす)に僕の方へ向いて青い茎が伸びて来た。<br />
見る間に長くなってちょうど僕の胸のあたりまで来て留まった。<br />
と思うと、すらりと揺ぐ茎の頂に、心持ち首を傾けていた細長い<br />
一輪の蕾が、ふっくらと花びらを開いたんだ。<br />
真白な百合が鼻の先で骨に堪えるほど匂ったよ。<br />
そこへ遥か上から、ぽたりと滴が落ちたので、花は自分の重みで<br />
ふらふらと動いた。<br />
僕は首を前へ出して冷たい滴のしたたる、白い花弁に接吻した。<br />
僕が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、<br />
暁の星がたった一つ瞬いていた。<br />
「百年はもう来ていたんだね」とこの時始めて気がついた。<br /><br /><br />
……という夢をみたんだ。<br />
「で、俺にどうコメントしろと。精神分析だと、この夢の意味は<br />
どうなるとか、何かそういうオチでもあるのか?」<br />
いや、この夢を分析するのに、そんなものは必要ないんだよ、ワトソン君。<br />
「誰がワトソン君だ。で、佐々木ホームズの抜群の推理力からすると、<br />
この夢をお前が見た理由ってのはどう明かされるんだ」<br />
なに、簡単なことだよ。<br />
僕が昨夜寝る前に、夏目漱石を読んでいたというだけさ。<br /><br />
春休み、そんな意味もなく他愛もない会話を、一日図書館で佐々木としていた。<br />
いや、閲覧室が日差しが入って暖かくて気持ちよくてなあ。なんとなく弛緩してしまうんだよ。<br />
翌日、何故か長門とハルヒの視線がとても痛かった。<br />
俺は無実だ。<br />
おしまい</div>
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