ゆっくり脳外科手術


俺が職場から帰ろうとしている途中で、ケータイが鳴り響いた。
エレベーターに乗り込むと同時に通話ボタンを押す。

「オイ、お前の部屋からなんかドタンバタンいってんだけどお前今仕事中だろ?」
社員寮の隣の部屋に住む友人からだった。そういやコイツは今日半休だったか。

「ああ、今から帰るとこだよ・・・カギは閉めてたと思うんだが、空き巣かもしれん。気をつけてくれ」
「ボコるか?」
学生柔道チャンプは言うことがものものしいね。
「いや、刃物でも持っていたら面倒だ。すぐに戻る」
実力あるヤツほど怪我しやすいんだよな・・・と通話を切ろうと思ったとたん、友人が言う。
「あちょっと待て、俺一人でも大丈夫そうだ・・・多分あれ、ゆっくりだし」

…声でも聞き分けたのだろう、全身を包む途方もない脱力感。どうしてくれよう。
「…即取り押さえ頼む」
「承った」
頼もしい友人で助かった、と思いながらも家の被害を想像し、俺は暗鬱とした気持ちで家への足を速めた。



 ゆっくりに関する研究は遅々として進んでいない。進化樹から完全にぶっとんだところに存在する生物史の迷子。
これまでおこなわれてきたゆっくりを使った動物実験でわかったことは、どうやら中身の餡子が脳や内臓の役割を
果たすこと、多少の学習能力を持つこと、運動能力は低いこと、寿命は数年程度であること。この程度だった。
多数の亜種を持つが、中身が餡子・肉・カスタードなどと全く別なのにも関わらず交接が可能だったり、どちらとも
いえない混合種が生まれることもあったりと、出鱈目きわまるその生態に、生物学会はてんやわんやである。
っていうか肉と餡子混ぜた饅頭ってどんな味だよ。オエ。


「ただいま、どうなってる」
「ゆぎぎぎぎ…どいて!ゆっくりはなしてね!!」
家のドアを開けてすぐ、屈強な友人が饅頭の群れを取り押さえているのが目に入る。
ひのふの、腕足腹の下と三匹か。紅白が一に黒白が二。どれも大きめだな。
「おう、やっぱカギ開いてたぞ。家の中の被害はほとんど無いが、こないだ買って来てやった酒瓶が割れたな」
「あちゃー…」
見ると、旅行の土産として渡された特撰大吟醸のボトルが一本、無残にも割れている…これ、プレミアつきゃ二万するのに!

「ま、重罪だな」
「言い訳しようがないな…お約束のおうち宣言までキッチリ決めてくれやがった」
「ゆっ?おにいさん!このじゃまなじじいをさっさとどけてね!」

 確かにコイツ老け顔だけど、じじいとか言ってやるなよ。ちょっと青筋立ててさらに力をこめる友人。大人げねえ。
「で、どう殺す」
殺す、という単語にびくっと反応し、見る見る目に涙を溢れさせるどまんじゅう。
「ゆゆゆゆゆゆ…」
涙目で震えても駄目。饅頭三個に二万はどう見ても釣りあわない。

「そうだな、ちょっとやってみたかったことがある。一匹寄越せ」
友人は足で抑えていた黒白を蹴って寄越す。
「ゆーっ!!まわるよーっ!」
暢気な声(ちょっと楽しそうだ)をあげる饅頭を足の甲でナイスキャッチ、そのまま蹴り上げて両手で掴む。
「おにいさん、たすかったよ!れいむとまりさもたすけてね!!ついでにお詫びにおかしも持ってきてね!」
「はいはいゆっくりゆっくり(笑)」
相変わらず傲慢な饅頭の言い分を無視しつつ、新聞紙を敷き、その上に黒白饅頭をガムテープで固定する。
ただしこの時、帽子の周りにはガムテープを接着しないでおく。
「何やってんだ?」
「いや、職場で読んだ本に面白いことがな」
「べたべたするよ!まりさのきれいな髪にべたべたつけないで!」

 固定が完了したら、部屋の隅から往診バッグを取ってきて、メスと鉗子、注射器などの手術器具を取り出す。
饅頭に本格的な仕事道具を使うとは、前衛的なTVコントみたいだな。
そんなことをつらつらと考えつつ注射器にオレンジジュースを詰めてゆく。
その間に友人は残りの饅頭二匹を雑誌を縛るビニールテープで縛り、持ち運びやすく逃げられないようにしていた。
「何、解剖でもすんの?」
「手術かな。こいつらの餡って一つだろ?俺らの脳はいくつかのパーツから出来てる。今日読んだ医学誌には
 こいつらの餡子のどのあたりが人間のどのパーツに相当するのかが大まかに書いてあった。ので、ためしに実践だ」

友人の手の中で饅頭二匹はじたばたゆーゆーとやかましいことこの上ないが、こいつらの使い道も思いついた。

「さて、準備完了だ。まずは患部を露出する」
固定された黒白の帽子を取り、バリカンで頭頂部の髪を切断。カミソリでつるつるにしてしまう。
「まりざのおぼうしとらな…ぎゃあああああ!!ま゛り゛ざの゛ぎれいな゛がみがあああ゛あ゛!!」

即座にわめきだす饅頭。喧しいな、モル少し打つか。分量がわからんが、この体積ならこれくらいだろ。

「いだっ…ゆ?…ゆっぐり…ゆぅー…」

本当に適当な生き物だなオイ。
てっぺんハゲでよだれを垂らし眠りこける黒白を見て、縛られた二匹は笑いを堪えられないようだ。
プークスクスと笑っている。仲間想いの足りない奴らだな…あとでどうしてくれよう。
友人は黙って茶を居れ、勝手に飲んでいる。

「次に切除。オイメス取ってくれ」
「はいよ」

円形にペンで線を引き、手渡されたメスですーっと浅くなぞってゆく。
ぺりぺりという小気味よい感触と共に皮がはがれ、餡子が露出する。
次に内部にある餡子の重要な器官を避けて固定し、目的の部分を露出させる。

「見てみ。ここが運動野、こっちが辺縁系な。で目的のここが脳梁」
「脳梁?これが?っていうかどれも餡子にしか見えないぞ」
「そりゃまあ、実際餡子だし。で、これから脳梁を切断してから戻すよ」
「何お前分離脳作ろうとしてたの?右脳と左脳の区別のないコイツラじゃ意味ないだろ」
「まあまあ、試してみたかったんだって、俺脳外科の知識ほとんど無いし」
「そりゃゆっくり脳外科の知識なんてほとんどの人が持ってねーよ…」

駄弁りながらも手は正確にその脳梁にあたる部分をカットし、消化されないよう
(脳で消化するって本当に謎の生物だ)プラスチック片を挿入して再生を阻害すると、元に戻していった。
皮の縫合が終わると、てっぺんハゲで糸が残っている以外には特に変わったところもない黒白が出来上がる。


「さて、準備完了だ。お前ら、今までの手術を見ていたな?」

手術の経過を見て目と口をカッと見開き、ぶるぶると震えていた残りの二匹が、その顔のまま答えてくる。

「「見でいま゛じだあああああだずげでえええ!!」」
怖い。

「お前ら、ハゲのコイツはどう見える?」
「ゆっ…ぜんぜんゆっくりしてないね!ばかなの?しぬの?」
「おお、アルシンドアルシンド…そんなことよりはやくまりさたちを離してね!」

あっという間に人を小馬鹿にした顔になり、泥棒仲間をけなし始める。
何故お前がそんな選手を知っている。釈然としないがともかく仲間の間で差別意識は生まれたようだ。

「分離脳作ったってことは、あーなるほどね」

さすが同職、物分りがよろしい。テーブルの前に縛ったままの残り二匹を、左右等間隔にならべておいてくれた。
そして眠りこける帽子なしハゲ饅頭の前についたてを立て、右目と左目の間を遮る。図にするとこうだ。

●    ○

  |
  ●

黒はまりさ種 白はれいむ種を示す。

そして黒白のほうにこう言う。

「いいかお前。これからちょっとしたゲームをする。カンタンなクイズだ。俺が問題を出し、このハゲが答える。
 お前たちは助手だ。上手くこのハゲが答えられたら三匹とも離してやる」
「なんでそんなことしなきゃならないの?ばかなの?まりさたちをはやくはなしてね!ごはんもちょうだ」

ドスッ

「死ぬか?」
目の前にメスを突き立ててやると大口を開けて思考停止した。だから怖いって。

「や゛り゛まずうううううう!!」

さて、では実験開始だ。まずはハゲを起こそう。すぅ…

「ゆっくりしていってね!!」
「ゆゆっ?「「「ゆっくりしていってね!!!」」」

三匹とも律儀にお返事。ハゲまりさはガムテで固定されているため視界が動かせず、声の主がわからないようだ。

「ゆっ?いまのはまりさ?れいむ?なんでしばられてるの?まりさうごけないよ?」

すっかり先ほどからの流れを忘れている。餡子脳め。前に回りこんで話しかける。

「さて、まりさ。これからお前に3問のクイズを出す。ゆっくりでも答えられる簡単なものだ。
 ひっかけはない。お前が一つでも正解したら、三匹とも返してやる。
 ただし全問不正解なら、三匹とも一生ゆっくり出来ない目に遭わせてやる」
「ゆ゛っ!そんなことよりおぼうし返し」

ドスッ

「死ぬのか?」
「っ!!や゛り゛ま゛ずううううう!!」

こいつら本当に単純だな…釣られて残り二匹もプルプルと震えてるし。



「さて、第一問目だ。おい、そっちの赤いの」
「ゆっ?なに、あいのこくはく?」
「…ホントムカツくなお前…まあいいや、そっちの帽子なしを思い切りバカにしろ」
「ゆー、いやだよ、おともだちの悪口いっちゃいけないんだよ」

お前さっきアルシンドとか言ってたろうが…

「しなきゃ即潰す」
「ゆ゛っ!!わがりまじだっ!…ごめんねまりさ。…ばーかばーか、ゆっくりしてないはげまりさー」

しぶしぶといった感じでけなし始めるれいむ。ハゲはそれを見て、顔を真っ赤にして耐えている。
イヤイヤながらの中傷とはいえ、自分の自慢の髪がなくなったのは事実。自慢のおぼうしがなければ
仲間の目に自分はさぞや滑稽に写るだろう。それを想像して苦しんでいるのだ。

「…よし、良いぞ。さて。ハゲ」
「はげっでいうだああああ!!」
「うるさいハゲ。今お前をけなしたヤツの名前を言ってみろ」
「げな゛じだのはまり゛ざだよ゛おおおおお……ゆ゛ゆっ!?」
それを聞いて俺ニンマリ。友人も関心したような顔で眺めている。

「ゆ!?まりさなにもいってないよ!!けなしたのはれいむだよ!」

帽子有りまりさはぷんぷん憤慨している。当のハゲまりさは自分の口にした言葉を信じられないようだ。

「げっ、けなじだのは、まり…さ?ちがう、まりざじゃなぐで、まり…ゆ゛うううう!?」
「ハイ不正解ー」
「「ま゛り゛ざのばがああああ!!」」

まりさは混乱していた。左目で見たれいむが自分をけなした。
そしてそのことを口にした瞬間、なぜか自分の口がまりさと言っていた。
まりさは右目側にいる。ちゃんと判っている。
頭ではわかっているはずだ。だが、なぜか口にできない。
まりさは、自分の口が自分のものでなくなってしまったような、強烈な混乱に突き落とされた。

「じゃあ残りの二問いってみようか。かんたんな問題だろう?ゆっくりの赤ちゃんでもわかる」
「ぞうだよ゛!!なんでばがらな゛い゛の゛おおおお!!」
「ま゛りざのばがあああ!!」
「ゆっ!!ばかじゃないよ!!まりさわかってるよ!わかってるけどまりさのおくちさんがああ!」

二匹に責められ、ハゲまりさはさらなる混乱に叩き落される。自分はわかっているのに!

「はいはいバカハゲ。2問目、お前と似た見た目なのはどっちだ?」
あまりにも簡単な問題に、一瞬バカにしたような顔を取り戻すハゲまりさ。しかし…

「ゆっ!かんたんだよ!!れい…ちがっ、れい…ちがうのおおお!!」
「何がちがうんだよバカハゲ。さっさと答えろ。れい、続きは?」
「ゆうっ!バガじゃないいい!れい…じゃない゛いいい!!でいいいい!ちがううう!!!」

さすがに異常に気づいたのか、縛られた二匹がハゲを心配そうに見ている。
「まりさ、どうしたの?ばかになっちゃったの?」
「ぢがううう!!わがっでるのにぐぢざんがいうごどぎいでぐれないの゛おおお!!」

これほど上手く行くとは思っていなかった俺は、笑いを堪えるのに必死だった。ここで笑えば
俺が原因だということが餡子脳たちにも判ってしまう。友人は既に部屋の隅で笑いにのた打ち回っている。

「れ、れい、ってことはれいむだな?」
「ぢがううううでいぶじゃなぐででい…ちがううう!!!」

何度も何度も同じことを繰り返すハゲ。その様をじっくりと楽しんだ俺は、疲れきったハゲに宣告する。
「時間切れだ。こんな簡単な問題にこれほど時間がかかるわけがない。よって、やる気なしと判断し不正解」

「ぢぎゃううううう!!!」
悲鳴のように否定を続けるハゲに、残りの二匹は怒り心頭といった様子だ。

「バカハゲまりさ!!おにいさんの言うとおり、赤ちゃんでもわかるよ!」
「まりさに似てるなんて言われなくてよかったよ!こんなバカハゲといっしょにしないでね!」
「ゆっくりしね!」「ゆっくりしね!」



ここまで見れば判るだろうが、脳梁を切断すると、右脳と左脳の情報伝達に異常が発生する。
餡子脳に右脳左脳があるかは判らないが、それに相応する機能はどうやらあるようだ。
まあ、原生生物でもない歴とした知的生物として生まれた以上、左右の区別があるのは当たり前。
通常、左目で見た情報が右脳(右でなくとも、ともかく左目からの情報が伝わる部分)に伝達される。
次に左脳(でなくとも、言語をつかさどる部分)によって言語化される。
しかしその連携が手術によって切断されたため、情報を伝達、理解は出来ても別部位での言語化が出来ない。
結果として混乱が生じているのである。


「では、最後の問題だ」
二枚の紙に黒のマジックで文字を書き、3匹から良く見える位置に並べて立てる。
『たすかりたい』『たすかりたくない』
「右か左かで答えろ。それ以外なら殺す」

「がんばってまりさ!!まちがえたらぜったいにゆるさないよ!」
「みつあみのないほうってならったでしょ!!まちがえたらあかちゃんいかだよ!!」

「ゆっ、みっ、ちがっ、みいっ!ちがうっ!!なんでくちさんいうごどぎいでぐれないの!!」
二匹は絶望と侮蔑の入り混じった表情で、ハゲの珍回答を待つしかない。

「ゆ゛っ、みっ、ゆがっ、みっ…!!ゆぐいいいががががが…」
プレッシャーと、自尊心を砕かれた痛み、そして自分の体を信用できない不安から、口から泡を吹いている。
10分ほどハゲまりさの笑える奮闘を堪能してから、二人は後始末に入った。




「お前、あの時アイツが知恵を回して『あべこべ』に回答しないって、信じてたのか?」
「うん。だってゆっくりだし、パニクって、あれだけプレッシャーかけられてちゃムリでしょ。
 人間ならよく、プライドを守るために作話…つまり思ってることと違う答えを言って、辻褄合わせるんだけどね」
「所詮ゆっくりはゆっくりか…嘘つきで有名な黒白なのにな」

餡子まみれの手術器具を洗いながら、二人の医師は、ゆっくり脳外科の発展の可能性をその場で諦めた。



あとがき:脳梁切断の手術はどうやら今現在なお行われているようです。
非常に重いてんかんの発作をほぼ根治できるとかできないとか。
なお、その手術による後遺症を負った人に対する差別意識を増長する目的で書いたわけではありません。
ゆっくりにロボトミーかましたかっただけです。初SSゆえ拙作をお赦しください。

それと。アク禁で投下報告できなかったお詫びと、wikiへの追加をしてくれた方に感謝を。

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最終更新:2022年05月18日 22:37