はっとした。私は、なんてダメな妹なんだろう。お姉ちゃんがせっかくいい気分で歌っているところに水を差すような発言。死んで償えるのなら死んでしまいたいが、余計にお姉ちゃんが悲しむだろうから、他の償い方を探さなければ。
唯「ふいーやっとペンションについたね」
憂「荷物置いたら早速スキーに繰り出しちゃおっか」
言いながらがちゃり、と戸を開けると、からんからん、と鈴が鳴る。その音をきっかけに、
「やあ、いらっしゃい。ご予約のお名前は?」
とオーナーらしき人が奥から姿を見せた。
憂「平沢です。平沢……唯で予約したんだっけお姉ちゃん?」
いきなり自分に話を振られたせいか、少し驚きを見せるお姉ちゃん。
唯「えっそうなの?商店街の福引きで当たったんだから商店街の名前で予約入ってるのかと思ってた」
「あっはっは、
平沢憂さんのお名前で予約をいただいてるみたいだよ」
予約の名前まで商店街は面倒見てないよ、と言おうとするのを遮るように笑い声が響く。なんだ、自分の名前で予約してたのか。
それより、このオーナーらしき男の、お姉ちゃんを馬鹿にしたような笑い方に、思わず舌打ちをしたくなる。
「そっちのヘアピンを付けてるのが姉の唯ちゃん、ポニーテールが妹の憂ちゃんだね、……よし覚えたよ。ようこそ、ペンション『シュプール』へ!」
憂「はい、お世話になります」
唯「よろしくお願いしまーす!」
私達はきれいに揃ってお辞儀をした。こういう何気ないところでも息が合っちゃうのは、やはり類い稀なる姉妹愛のおかげだろう。お姉ちゃん大好き。
「透ったら、かわいい女の子の名前を覚えるのだけは得意なんだから」
お辞儀をしている間に奥から新たに女の人が現れていた。なかなか美人と言ってよさそうな顔立ちをしている。
透と呼ばれたオーナーらしき人は、女の人の急な登場で……というよりその言葉を発した顔が不敵に微笑むのを見て、明らかに同様している。
透「いやぁっ、そのっ、ほ、ほら、お客さんの顔と名前を覚えるのは大事じゃないか、真理もそう思わないかい?」
真理さんはその不敵な笑みを崩さない。
真理「ええそう思うわ。じゃあ昨夜泊まって今朝帰った、眼鏡の女性の名前は何だったかしら?」
透「えぇと、山口じゃなくて山本でもなくて……あんまりタイプじゃない人だったからな……あっ、えっ、じゃなくて!その!」
目が泳ぎまくりの透さんを尻目に、真理さんはこちらに向き直り、軽く礼をした。
真理「ようこそシュプールへ。私はここのオーナーの琴吹真理よ、よろしくね」
透「あっあぁ僕もオーナーでね、こほん。琴吹透です、よろしく」
そう言って透さんも頭を少し下げた。なるほどやはり透さんはオーナーで、真理さんと二人合わせてオーナー夫妻ということらしい。
……いや、そんなことより。
憂「あの、琴吹って、あの琴吹グループの方なんですか?」
唯「てことはムギちゃんの親戚?」
珍しい苗字だしほぼ間違いないだろう。質問を投げかけられた透さん……ではなく真理さんがにこやかに回答する。
真理「もしかして、紬ちゃんのお友達かしら。紬ちゃんはね、私の遠い親戚なの。」
透「僕も真理も間柄を覚えてないほど遠ーい親戚だけどね」
まさかこんなところで知り合いの親戚に会うとは、世の中なんて意外と狭いものだ。
意外性という点ではもう一つあるけれど、それを指摘するのは野暮というものだろう。
唯「あれっ?真理さんが琴吹家の人ってことは、透さんは婿養子?」
あぁ、純粋過ぎるよお姉ちゃん。気になったことは聞きたいんだよね。でもそんなお姉ちゃんも好きだよ。
透「そ、そういうことになるね。シュプールの所有権がブツブツ……ああそれよりっ!」
話を逸らしたげに、何か思い出した顔をして言う。
透「紬ちゃんも今夜ここに泊まるみたいだよ」
なんだって?そんな偶然がまさか、そう思いお姉ちゃんに目をやると、同じく私に顔を向けていた。
唯「偶然ってあるもんだねぇ~。ムギちゃんは一人で泊まりに来てるんですか?」
この問いに対し、真理さんは宿泊者名簿を見るでもなく、私達の後方を見ながら言い放った。
真理「いいえ、友達を三人連れてるわ」
真理さんの視線が気になり振り向くと、そこには見慣れたメンバーが揃っていた。
唯「ムギちゃん!それに、澪ちゃんりっちゃん!そしてあずにゃ~ん!」
梓「ちょっ、いきなり抱きつかないでくださいっ」
猫まっしぐらという勢いで、梓ちゃんの華奢な体はお姉ちゃんの腕に抱えこまれることとなった。いや梓ちゃんのほうが猫っぽいから猫まっしぐらという表現はややこしいので何か別の表現を――ま、そんなことはどうでもいいや。
それより、せっかくの姉妹水いらず旅行が成り立たないであろうことを残念に思う。ファック。
律「お、おう、唯に憂ちゃんじゃないか」
澪「こ、こんなとこで合うなんて、き、奇遇だな」
こうなったものは仕方ない、軽音部のみなさんと旅行に来たと思って楽しむほかないだろう。ただ。
憂「みなさん、こんにちは。今日はどうしてこちらに?」
一応聞いておきたい。なぜ軽音部が揃っているのにお姉ちゃんがその輪に加わっていないのか。
梓「それはその、えっと……」
梓ちゃんを初めとする全員が、ちらちらとお互いの顔を確認する。数秒後、律さんに視線が集中し、煽られるように口を開いた。
律「そ、そう!軽音部のみんなでどっか泊まりがけの旅行でも行こうぜってなったんだけど、唯は憂ちゃんと旅行だって言ってたろ?だから声もかけなかったんだ、うん」
唯「そっかー、迷惑かけてごめんね」
憂「でも他の日程にしてくれてもよかったんじゃ……」
私の発言に、律さんは明後日の方向を見ながら答える。
律「そ、それがだな、シュプールの都合上今日じゃなきゃだめでさー、ね、透さん?」
透「別にうちは……」
律「ねっ!透さん!」
透「あっ、ああ」
怪しい。律さんの慌てぶりといい透さんとのやりとりといい、まるでお姉ちゃんを省いて旅行を計画したみたいじゃないか。
紬「唯ちゃん達もシュプールに旅行だったんなら、憂ちゃんも加えて6人招待されてもよかったわね」
唯「ま、私達は福引きで当たった旅行だから結局自腹は切ってないんだけど」
ふんす、と胸を張るお姉ちゃん。別に威張るところじゃないよ。
澪「福引きで旅行が当たるなんて、さすが憂ちゃんは日頃の行いがいいな」
唯「澪ちゃん私はー?」
律「いやあさすが憂ちゃん素晴らしい」
紬「いつも家事も勉強も頑張ってるものね」
梓「マイナス要素を乗り越えるほどの素晴らしさ」
唯「みんなひどいっ」
みんなひどいっ。あまりにもお姉ちゃんを小馬鹿にしすぎじゃあないか。それでいてへらへらと笑って……何がおかしいのか。
「まいどー、邪魔するでー」
突然玄関から聞こえた陽気な関西弁に目をやると、そこには恰幅のいい中年男性が来たところだった。その頭は禿げ上がり、気休め程度の髪が寂しそうにある程度である。
透「どうも香山さん、お久しぶりです」
香山「あかんな透くん、そこは『邪魔するんやったら帰ってー』て言うてくれんと。そしたら『あいよー』言うてからノリツッコミするとこやのに」
香山と呼ばれた中年男性はわははと笑いながら自らの中にあったネタを口にする。それ、面白いですか?
律「香山さんっていうと、もしかして……」
律さんはそう口にしてから、はっと気がついたようにお姉ちゃんのほうに目をやる。
香山「もしかしてあんたらが放課後テータイムっちゅうバンドか?ひぃふぅみぃ……なんや数が多いみたいやけど」
律「そ、その話はまた後でじっくりと。と、透さん、部屋割りはどうなってます?」
何やら香山さんを知っている風な律さん。慌てて部屋割りの話に移行したのも、何かを隠しているようにしか見えない。
しかし透さんは何も気にしてない様子で、待ってましたとばかりにシュプールの見取り図を取り出す。
透「紬ちゃん達四人はここからここまでの四部屋、唯ちゃんと憂ちゃんはこことここの二部屋だよ。まあ自由に入れ替えてくれてかまわないけどね。香山さんは一番奥のここでお願いします」
差し出された見取り図はペンション二階のもので、階段を登った地点から左右に廊下が伸びている。左手前三部屋のうち手前から二部屋が私達の、その向かい側奥から四部屋が紬さん達の部屋だそうだ。奥から四部屋目だけは階段より右になる。
階段隣の部屋をお姉ちゃんが引き受け、私がその隣――つまり香山さんの隣――、向かい側奥から順に紬さん、律さん、澪さん、そして梓ちゃんと決まり、それぞれ自室へ荷物を置きに向かった。
こんこん。ドアをノックする音が聞こえる。しかしそれは私の部屋ではないようだ。
どこかでがちゃり、とドアの開く音とともに、陽気な関西弁が響く。香山さんの部屋だ。
香山「おー早速来たか。ま、立ち話もなんやし入ったらええわ」
透さんか真理さんが訪ねてきたのだろう。そう思ったが、聞こえてきたのは意外な――予想していないといえば嘘になるが――声だった。
律「失礼します」
今日会ってから常に挙動不審な律さんが、いったい香山さんと何の話をするというのか。悪いとは思いながらも、壁に耳を当てて会話を聞くことにした。
香山「どや、こないだ言うたデビューの話、考えてくれたか?」
デビュー?そういえば香山さんは放課後ティータイムを知っていたが、私が無知なだけで音楽業界の有名人だったりするのだろうか。
梓「もう一度だけ、条件を確認させてください」
梓ちゃんの声だ。もしかすると、お姉ちゃんを除く放課後ティータイムが勢揃いしているのかもしれない。
なら何故お姉ちゃんが除かれているのか。それは、すぐに明らかになった。
梓「澪先輩がボーカルで、唯先輩には辞めてもらうことが条件なんですよね?」
……なんだって?
香山「名前は覚えとらんけど、平沢っちゅう子や。有名な占い師に聞いたら、その子が歌ってると売れないし言いよるからな、占い師だけに」
香山さんの馬鹿げた笑いが聞こえる。
澪「作詞作曲も自分達でできるんですよね。ただ、唯……
平沢唯が参加できないだけで」
香山「そうや。君らは君らのやりたいようにやったらえぇ。わしが責任持って売り出したるさかいな」
梓「素晴らしい条件ですね、考えるまでもないです」
え――梓ちゃんは何を言ってるんだろう。
澪「同感です」
紬「わざわざこんなところに来て話すこともありませんでしたね」
律「満場一致、です。香山さん」
みんな、何を言ってるんだろう。お姉ちゃんがいなくても、デビューできればいい、そんな人達だったんだろうか。
こんこん。ノックの音で我に帰る。
唯「うーいー、スキー行こうよー」
分岐
最終更新:2012年02月04日 22:35