第90話 変態仮面、夜を行く


太陽が、西の地平線に触れた。
それと時を同じくして、始まったあの放送。
次々と読み上げられてゆく、死者の数。
そしてこれより立ち入りを禁止される領域の発表。
最後に、優勝者に図られる便宜。
それは、聞く者が聞けばまさに死神の鎌の峰で、首筋を撫で上げられるかのごとき恐怖と悲哀をもたらすだろう。
思わず耳を塞ぎたくなる。けれども、聞かずにいることはまず出来ない。
その地獄のような時間は、ちょうど太陽が完全に地平線に没する瞬間まで続いた。
後に残るは、ただ静寂のみ。
そう、それは陳腐な表現ながら、葬儀を終えた後の墓場に残されるかのような――。
誰もがそう思うだろう。
雑木林の茂みの中に安置された、白い棺桶を見たならば。
木漏れ日の切り取る夕焼けの残照も、やがて西の空に引きずられ消え行く中。
その棺桶は、震え出した。
おそらくは葬儀屋にある既製品のものでも、一番大きなサイズであろうと思われる、大振りなその棺桶が。
気の弱い人間や怪談の類を苦手とする人間ならば、それだけで恐怖のあまり悲鳴を上げかねない、唐突な鳴動。
だが、それだけでは終わらなかった。
棺桶の蓋が、実際に開けられたのだ。
それも外側からではなく、内側から。
がたん、と木製の器具が打ち合わされる音が響く。
持ち上げられた棺桶の蓋は、やがて引きずられるようにして横にずらされた。
棺桶の中に、2つの赤い光が現れる。
それに付随して、まばゆい閃光すらも棺桶から漏れ出していた。
あたりは夕焼けの橙も消え、ほとんど暗黒に近い藍色が満ちている。
その生まれたての夜の帳の中に、その2つの赤い光とまばゆい閃光は、残光の尾を引いて浮かび上がる。
棺桶の蓋は、すでに全開となっていた。
赤い眼光は、しばらくの間あらぬ方へと向けられてはいるもの、やがてその方角を向く。
彼がこれから向かうべき、西の方へと。
ノーライフキングの異名をいただく暗黒の王、ブラムスこそが棺桶の中にいた者の正体であった。

彼はごきりごきりと首の骨を鳴らし、やにわに拳を握る。
全力で、それを叩き付けた。何もない虚空へ。
一刹那の間を置いて、彼の眼前およそ十歩弱先にあった一本の樹木が、幹の半ばから粉微塵に爆砕される。
彼が拳から放った、血のようにつややかな緋色の拳風のみで。
宙に舞った木屑の全てが、地面に舞い落ちるまでの間、彼はたたずむ。
そして、満足そうに1つ頷き、心の中呟く。
(……よし、調子は上々。やはり、夜はいい)
ブラムスは格闘の構えを解き、再び棒立ちの姿勢となる。
ここから先、半日の間はこの闇が己の味方となる。
すなわち夜。すなわち不死者の徘徊する魔の時間。
更に、先ほどそのあたりで見つけた適当な糸を通し、ペンダントとして彼の着衣の下に揺れる指輪の力も大きい。
ダイヤモンドの嵌まったその指輪は、ブラムスの筋力を、闘気を、魔力を、全ての力を高ぶらせる。
俗言で表現するなら、「最高にハイ」ってやつである。
正直な感想を言えば、今やブラムスはその場で小躍りしたいほどの上機嫌で満たされていた。
それを阻んでいたのは、ほかならぬ彼の不死者の王としての矜持。
そのような浮付いた行動は、例え誰も見ておらぬにせよ王にふさわしくないと、ブラムスは己に言い聞かせ自制する。
ブラムスはそして、傍らにあった棺桶を――先ほど出立した観音堂で手に入れた、即席のベッドに手をかける。
歪められた生を生きる不死者……その中でも高位のヴァンパイアなどにとっては、
棺桶は遺体の安置先ではなく、日中の太陽の光を避けるためのベッドに過ぎないのだ。
そんなブラムスは、几帳面にも開けた蓋をもう一度閉め直すことを忘れずに棺桶を持ち上げた。
そしてそのままこの島に招かれた際渡された、あの皮袋に棺桶を突っ込む。
まるで吸い込まれるようにして、ブラムスが入れるほどに大きな棺桶は皮袋の中に消えていった。
念のため、棺桶を皮袋に収納した直後、棺桶がちゃんと中に入っていることを確かめるべく、皮袋をまさぐる。
そして自身の手が棺桶の角に触れて事を確かめて、ブラムスは満足げに首を縦に振る。
ブラムスは続けて、皮袋の中に入った別の物を求める。
やがて彼は、陶器製と思しき器の縁に、手をかけた。

(さて、これ以降どうしたものであるかだが……)
ブラムスは、コルクのされた陶器から蓋を抜きつつ、沈思黙考に取り掛かる。
中には、喧嘩や戦に慣れた人間なら、まず同じく嗅ぎ慣れているあの臭いが一気に立ち込めた。
(ご丁寧にも、私の元に配られた飲み物は、『水』ではなく『血』とはな)
しかも、陶器には保存のルーン……内容物の腐敗を防ぐ魔術文字まで刻まれているという、気の利きよう。
ブラムスはそれをいぶかしむも、別に不満の声を漏らすことはなかった。
一口含み、聖水やその類の、不死者に対する「毒」が含まれていないことを確認し、彼は残りの血を喉に流し込んだ。
(ひとまず、目下のところ対処せねばならぬ問題は、このまま西へ強行軍を行うか否かだが――)
観音堂を出発してよりしばらく、やや駆け足気味にここまでを走破して、
距離を稼いだ後、棺桶の中で日光を避けて休憩しつつ放送を待っていた彼ではあるが、その放送の中身が問題であった。
倭国の土着信仰を司る神殿「寺院」によく似た観音堂で、密かに入手した倭国式棺桶の寝心地は案外良かったが、
その心地良さを払拭してしまうほどの大問題である。
このまま当初の予定通り鎌石村への行軍を続行すれば、この西のD-04は午後11時に禁止エリアとなり、
レナス達と分断され合流の難度は上昇してしまう。
そうなればレザードの立てた計画である、鎌石村の偵察も無意味なものと化す可能性が極めて大だが……。
(――このまま行軍を続行すべきであろう。
鎌石村で合流すると計画した以上、今更予定を変えてしまっては、本当にレザードらと別れる羽目になりかねん)
近くの木の幹に寄りかかりながら、その血を澱まで飲み干したブラムス。彼の逡巡は、実に短かった。
頭では今後の計画を練りつつも、瞳は夜空の星を眺める。
ミッドガルドでは決して見ることの出来ない異常な星の配置であると、ブラムスは頭の片隅のみで判断できた。
(それにしても、まさかアリーシャまでがこの島の中に倒れようとはな)
血の入っていた陶器を再び皮袋にしまい、血の後味を舌に感じながら、ブラムスは僅かに嘆息を漏らす。
(これは思った以上に、今後の戦いは過酷なものとなろう。
更にルシファーなる男が最後に語った『ご褒美』も、実に危うい要素と言わねばなるまい)
ブラムスとて、伊達に幾星霜もの年月を不死者として送ってきたわけではない。
ルシファーが本当に『ご褒美』とやらを用意しているのであれ、単に虚言を弄しただけであれ、
あの一言がじわじわと他の参加者を蝕むであろう猛毒になることは、容易に想定できる。
この疑心暗鬼の渦巻く沖木島の中で、限界寸前の狂気を必死で押さえ込む者が、
『ご褒美』という言葉をきっかけに、狂気に屈する危険も十分にあろう。
更に、最初から戦いに狂っているような手合いもまた、輪をかけて容赦のない暴虐ぶりを示すことも十分に想定できる。

(おそらくは、『ご褒美』とやらはこの殺し合いを煽るために、やつが弄した虚言であろう。
そして、その虚言で正気を失うような手合いも、いない方がおかしかろうな。
……のんびりと考え事をしている暇は、あまりないやも知れん)
ミッドガルドのものとは異なる、見たこともない模様と色の月が、ブラムスの瞳に眩しい。
おそらく彼が頭部に装備した、老年男性のカツラほどではあるまいが。
ヅラム……もといブラムスは、強いて言うなら「一本残し電球ハゲ」とでも言うべき奇怪な髪形に手をやり、
その頭頂部に存在するファイナル・ヘアーをさもいとおしげに撫でた。
過剰なまでに減殺されたカツラ表面の摩擦係数ゆえに、彼の指とカツラの頭皮部分が触れ合いツルンツルンと鳴る。
(……やはりこれ以降、観音堂から失敬してきた『あれ』をまとって行動するのが一番良かろう)
肉体が腐敗したり変質したりしているような手合いの多い不死者だが、けれどもブラムスの脳は腐ってはいない。
先ほど観音堂で、この島で初対面ながらまともに話をした相手である少女、ソフィア・エスティードの怯えぶり……
あれが、正常な人間が自身と対面した時の反応なのだと、ブラムスは改めて実感する。
彼女は最初己の姿を見たとき激しい恐慌状態に陥り、あまつさえ混乱のあまり「変態」などと口を極めて叫んだのだ。
(確かに私のこの異様な外見は、敵に恐怖をもたらし混乱という隙を生むことも出来よう。
だが、常にそのようなやり方で他者と接していては、やがて不必要な敵を生むことにもなりかねん)
考えるブラムスは、皮袋から一着の墨色の衣を取り出した。
長きにわたる抗争の末、不死者の王の地位を得たブラムスは、それなりに他者との駆け引きの心得もある。
このような万全の補給線を見込むことの出来ない戦いでは、言うまでもなく無駄な消耗は厳禁。
戦いを避けられぬのであっても、不意打ちや罠などで消耗を最小限に抑え、一撃のもとに敵を葬るのが理想形である。
たとえ夜という、不死者にとっては天の機と地の利を同時に得られる戦場にあっても、である。
だからこそ、可能な限り味方……せめて取り引きの通じうる相手は、いきなり敵対するのは愚行以外の何物でもない。
確かにブラムスとて戦いの高揚と血の滾りを求めはするが、それら二者への渇望の奴隷ではないのだ。
(もう少しまともな補給線があれば、この不死者の王たる私が人間ごときを相手に、取り入る必要もないのだがな)
この墨色の衣は、確か倭国の司祭の着用するローブであったはず。
脳裏に叩き込んであった、倭国の文化史の書物を胸中で開き、その着用方法を参照する。
元々がゆったりしている作りなので、筋骨隆々たるブラムスにもそこまで着用は苦にならない。
ブラムスがこのような行為に出た理由は、ただそれ一点。

(だが誰彼構わず喧嘩を売るわけには行かぬ以上、私は可能な限りこの肉体を直接晒すような真似は避けるべきだろう)
すなわち、己の不死者の肉体の隠蔽。
とりあえず素肌を隠しさえすれば、遠目には十分人間として通じるはずである。
近くに寄れば肉体の放つ死臭で異常を察知されるかも分からないが、それまでに事情を説明する時間は稼げる。
事前に己がゾンビやその類の仲間――ブラムスにしてみれば甚だ不本意な説明法だが――であることを話せば、
いきなり相手が剣を向けたりするようなこともあるまい。
それを期待しての、この「ローブ」による「変装」である。
(更に、この格好はいざという時、敵の恐怖を倍増させる役にも立とう)
考えるブラムスは、「ローブ」に続けてもう1つの装備を取り出した。
同じく観音堂にあった、作りかけの偶像の頭部を流用して作った「仮面」である。
無論、本来穴など開いていなかった偶像の眼球部は、ブラムスの瘴気を帯びた指を差し込み穴を穿ってある。
それとそのあたりにあった紐を上手い事組み合わせて出来たのが、これ。
倭国風の神像から作り出された、木製の「仮面」である。
(もし私を迂闊にも人間と思い込み、近付いてきたところでこの扮装を解けばどうなるであろうな?)
「仮面」を顔面につけ、そして後頭部で紐を結わえ付けて固定するブラムスの脳裏では、その光景が鮮やかに浮かぶ。
この扮装をした己に、にこやかな態度を装って迫ってくる殺人鬼。
相手はたかが人間だろうと高をくくろうものなら、その次の瞬間肝を潰すはずである。
この「ローブ」と「仮面」の下から出てきたものは、ゾンビのような姿をした巨躯の男。
恐怖は特に、不意を打って相手にもたらした際最大の効果を発揮するが、これほどまでに強烈な不意打ちもなかろう。
恐怖で錯乱した相手は冷静な判断力を失い、例え戦わざるを得ずともくみしやすい事この上あるまい。
本音を言えば、相手を脅かして楽しむような、下級の不死者のような真似は己のプライドが許しがたい。
だが、この状況ではそのような姑息な手段もまた止むを得ない事を、理解できないほどブラムスは愚かではない。
(さて、そろそろ行くとしようか)
変装を終えたブラムスは、改めて西にその目を向けた。
「仮面」の両眼部から漏れる、赤い光が未だ更けざる夜に灯る。
ブラムスはその中に凶暴なゆらめきを僅かに宿らせ、刹那。
まとった「ローブ」をはためかせながら、一陣の漆黒の夜風と化す。
雑木林の枝々を、さながら忍びの者のように縫いつつ跳躍するブラムスは、
しかしその「ローブ」の裾を木々の枝に引っ掛けるような間抜けな行為をやらかす兆候は一切なかった。
むしろ迫り来る存在のあまりの偉大さに、木々の方が畏怖を覚え、その枝を退かせているかのようにすら思える。
身を切る夜風。
その心地良さに、ブラムスの不死者の本能が僅かに鎌首をもたげたようだ。
誰も見ていないという安心感が、ほんのしばらくの間だけ己の矜持に打ち勝つ。
ブラムスはやがて、墨色の布地に包まれたその両腕を、地面と水平に広げた。
夜風が更に袖を叩き、はためかせる。それが彼の内なる本能に充足感をもたらす。
このほんのりと湿った、冷たい風。
太陽に比べればいかほどのものとも思えぬ、はかない月光と星明り。
光の全く差さぬ闇夜も良いが、この程度に微かに明るいのもまた乙なもの。
ブラムスはそんな雅やかな趣を噛み締めつつ、西を目指す。
レザードらと約束した、鎌石村に入村するために。

   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇

ソフィアの怯える姿を見て、考えるところがあったのだろうか。
ヅラム……じゃなくってブラムスは、確かにソフィアの怯えを見てその原因が己にあると察したまでは正解だった。
だがこれではいくら何でも、小学生が良く出す「フルーツポンチを逆さまにするとどうなる?」というなぞなぞに、
真顔で「チンポツールフ」という答えを出す事に匹敵するほどに、糞真面目さも度を越してその斜め上をカッ飛んでいる。
ソフィアのように、友好的になりうる参加者を怯えさせないためにこんな真似をやるのは、
ぶっちゃけた話火を消すために水ではなく、ガソリンをぶっかけて消火を試みるも同然の行い。
今、鎌石村に向かう、一人の不死者が居る。
彼は、頭に老年男性の禿げ鬘を着け、片手に握り締めるは浣腸。
それまでなら、まだいい。譲歩も何とかできよう……そういうことにしておこう。
だが読者諸氏はもう少し想像力を働かせて欲しい。
そんな変質者が身にまとっているのは、よりにもよって寺の住職がまとうような袈裟。
おまけにその顔面につけているのは、仮面の固い表情がそこはかとない恐怖を演出するアルカイックスマイルを
彫り込まれた仏像の仮面。
仏像をぶっ壊してそんな仮面を作るなんて、それだけで罰当たりにも程がある。
だがそれだけではない。
そんな20世紀後半から地球の日曜の朝にやっている、
原色のスーツをまとった5人の戦士の物語で、彼らが悪役として対峙しそうな、
坊さんのコスプレをした「大仏仮面」とでも評すべきガタイのいい男が、木々の間を忍者のように飛び移りながら、
なんだか少し満足げな様子で「ブーーーーーーーーン!!!!」のポーズをとって高速移動をカマしているのだ。
そりゃあもう、ビビンバだかフジヤマゲイシャだか知らないが、
とにかくその手の地球のアミューズメント施設の筆頭人気アトラクションである絶叫マシンに乗って、
終盤クライマックスの下り坂で撮ったライドフォトのベストショットにも勝るとも劣らぬくらいの勢いで、
頬の肉がビロンビロンしそうなほどの超高速である。
夜は墓場で運動会をおっ始めるのが、一説によると不死者の正しいあり方であるようだが、
こんな格好の不死者が1人かけっこで墓場の爆走族状態になっているのを見たら、
多分筆者なら一生もののトラウマになること間違いなしである。
まあつまりなんだ、簡単に言うとこういうことである。






おめでとう! ヅラムス は へんたいかめんヅラムス に しんかした!!



【D-05/夜】
【ブラムス】[MP残量:100%]
[状態:変態仮面ヅラムスに進化。本人はこの上なく真剣に扮装を敢行中]
[装備:波平のヅラ@現実世界、トライエンプレム@SO、袈裟@沖木島、仏像の仮面@沖木島]
[道具:バブルローション入りイチジク浣腸@現実世界+SO2、ダイヤモンド@TOP、ソフィアのメモ、荷物一式×

2、和式の棺桶@沖木島]
[行動方針:情報収集(夜間は積極的に行動)]
[思考1:鎌石村に向かい、他の参加者と情報交換しながらレナス達の到着を待つ]
[思考2:敵対的な参加者は容赦なく殺す]
[思考3:直射日光下での戦闘は出来れば避ける]
[思考4:フレイを倒した者と戦ってみたい(夜間限定)]
[現在地:D-05某所・雑木林→鎌石村方面]

【残り35人】




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第78話 ブラムス 第100話

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最終更新:2008年12月06日 03:03