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● 「新春京都特別鼎談 日本経済のターニングポイントを読む」(佐和隆光・?との座談会)、『週刊ダイアモンド』1993年1月?日号
● 「共同討議 夏目漱石をめぐって その豊かさと貧しさ」(蓮實重彦・柄谷行人・芳川泰久・小森陽一・石原千秋との座談会)、『批評空間』no.8、1993.1.→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1997
● 「ジャック・デリダ氏を囲んで ディコンストラクションとは何か:「ポスト・シティ・エイジ」において」(Jacques Derrida・磯崎新との座談会、三浦信孝訳)、『批評空間』no.8、1993.1.→『Anywhere:空間の諸問題』NTT出版、1994
● 「歴史の終わり?」(フランシス・フクヤマへとの対話)、『SAPIO』1993年1月14日号、28日号、28-2月11日号、25日号→『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 「巻末特別対談」(岡崎京子との対談)、岡崎京子『東京ガールズブラボー』JICC出版局、1993.2
● 「「世界新秩序」の内部と外部」(スラヴォイ・ジジェクとの対談)、『SAPIO』1993年3月11日号、25日号→『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 「共同討議 貨幣・言語・数:貨幣論から日本資本主義批判へ」(岩井克人・柄谷行人との座談会)、『批評空間』no.9、1993.4→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1997
● 「歴史の袋小路をぬけて」(エドワード・サイードとの対談)、『SAPIO』1993年4月8日号、22日号→『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● “Capitalismo infantile e postmodernismo giapponese: una fiaba”, traduzione dall'inglese di Anna Grazia Calabrese, &italic(){Flash art Italia}, no.174, April 1993, pp.66 -67.
● 「Panel Discussion 新しい知の体系化に向けて」(西垣通・金子邦彦・清水博・荒俣宏・竹内啓とのシンポジウム。1993.5.15-16.青山学院で開催された第3回科学・技術フォーラム「Brains'93」の記録)、『アテネの学堂:34のブレインズ頭脳が展望する新しい知体系』ジャストシステム、1993
● 「吉本ばなな・任天堂・YMO世界を覆う大衆文化の日本化と子どもの資本主義」(柄谷行人との対談)、『SAPIO』1993年6月10日号→改題『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題「「ホンネ」の共同体を超えて:柄谷行人との対話」、『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 「露悪趣味に毒された日本人へ、憲法9条を守る偽善こそ善である」(柄谷行人との対談)、『SAPIO』1993年6月24日号→改題『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題「「ホンネ」の共同体を超えて:柄谷行人との対話」、『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 「?」、『GQ』1993年9月号:M.コルボが再録音したフォーレ『レクイエム』について(福田和也『喧嘩の火だね』に引用された)
● 「共同討議 芸術の理念と〈日本〉」(磯崎新・岡崎乾二郎・柄谷行人との座談会、1993.4.6.)、『批評空間』no.10、1993.7.→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1997
● 「忘却の淵を超えて:上田高弘氏に答える」、『批評空間』no.10、1993.7.
● 「物質的アレゴリー:キーファーを神話化から奪回する」(岡崎乾二郎・多木浩二との座談会)、『ユリイカ』1993年7月号「特集=アンゼルム・キーファー」→改題「アンゼルム・キーファー:物質的アレゴリー」、『20世紀文化の臨界』青土社、2000
● 「シミュレーションの彼方に:ジャン・ボードリヤールとの対話」、『SAPIO』1993年8月26日-9月9日号、23日号→『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 解説「手紙の力」、坂本龍一・村上龍『友よ、また逢おう』角川書店(角川文庫)、1993.9
● 「?」、『BRUTUS』no.303、1993年9月15日号「特集=多芸多才の芸術家たち。」
● 「QUEER POLITICS:デレク・ジャーマンの現在」、『銀星倶楽部』vol.17、1993.9、「特集=クィーア・フィルム」
● 「混沌のなかの政治性:ヴェネツィア・ビエンナーレを見る」、『InterCommunication』no.6、1993年秋号「特集=人工生命進化論」
● 「ベルリン-バグダッド-リオ:アラン・リピエッツとの対話」、『SAPIO』1993年10月14日号、28日号、11月11日号→『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 「?」、『GQ』1993年11月号:ブーレーズと対比しながらバーンスタインについて書いたもの(福田和也『喧嘩の火だね』に引用された)
● 「[検証 模索の時代]現代思想10年(1) 浅田彰さんに聞く」、『読売新聞夕刊』1993年12月6日号
● 「ジョン・ケスラー」、『ur』no.7、1993、「特集=ハイパーアート2」、pp.97-111
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● 「新春京都特別鼎談 日本経済のターニングポイントを読む」(佐和隆光・?との座談会)、『週刊ダイアモンド』1993年1月?日号
● 「共同討議 夏目漱石をめぐって その豊かさと貧しさ」(蓮實重彦・柄谷行人・芳川泰久・小森陽一・石原千秋との座談会)、『批評空間』no.8、1993.1.→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1997
● 「ジャック・デリダ氏を囲んで ディコンストラクションとは何か:「ポスト・シティ・エイジ」において」(Jacques Derrida・磯崎新との座談会、三浦信孝訳)、『批評空間』no.8、1993.1.→『Anywhere:空間の諸問題』NTT出版、1994
● 「歴史の終わり?」(フランシス・フクヤマへとの対話)、『SAPIO』1993年1月14日号、28日号、28-2月11日号、25日号→『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 「巻末特別対談」(岡崎京子との対談)、岡崎京子『東京ガールズブラボー』JICC出版局、1993.2
● 「「世界新秩序」の内部と外部」(スラヴォイ・ジジェクとの対談)、『SAPIO』1993年3月11日号、25日号→『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 「共同討議 貨幣・言語・数:貨幣論から日本資本主義批判へ」(岩井克人・柄谷行人との座談会)、『批評空間』no.9、1993.4→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1997
● 「歴史の袋小路をぬけて」(エドワード・サイードとの対談)、『SAPIO』1993年4月8日号、22日号→『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● “Capitalismo infantile e postmodernismo giapponese: una fiaba”, traduzione dall'inglese di Anna Grazia Calabrese, &italic(){Flash art Italia}, no.174, April 1993, pp.66 -67.
● 「Panel Discussion 新しい知の体系化に向けて」(西垣通・金子邦彦・清水博・荒俣宏・竹内啓とのシンポジウム。1993.5.15-16.青山学院で開催された第3回科学・技術フォーラム「Brains'93」の記録)、『アテネの学堂:34のブレインズ頭脳が展望する新しい知体系』ジャストシステム、1993
● 「さらに磨きがかかったポゴレリチの純な音」、『GQ JAPAN』no.3、1993年5月号
● 「吉本ばなな・任天堂・YMO世界を覆う大衆文化の日本化と子どもの資本主義」(柄谷行人との対談)、『SAPIO』1993年6月10日号→改題『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題「「ホンネ」の共同体を超えて:柄谷行人との対話」、『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 「露悪趣味に毒された日本人へ、憲法9条を守る偽善こそ善である」(柄谷行人との対談)、『SAPIO』1993年6月24日号→改題『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題「「ホンネ」の共同体を超えて:柄谷行人との対話」、『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 「?」、『GQ JAPAN』1993年9月号:M.コルボが再録音したフォーレ『レクイエム』について(福田和也『喧嘩の火だね』に引用された)
● 「共同討議 芸術の理念と〈日本〉」(磯崎新・岡崎乾二郎・柄谷行人との座談会、1993.4.6.)、『批評空間』no.10、1993.7.→柄谷行人編『シンポジウムI』太田出版、1997
● 「忘却の淵を超えて:上田高弘氏に答える」、『批評空間』no.10、1993.7.
● 「物質的アレゴリー:キーファーを神話化から奪回する」(岡崎乾二郎・多木浩二との座談会)、『ユリイカ』1993年7月号「特集=アンゼルム・キーファー」→改題「アンゼルム・キーファー:物質的アレゴリー」、『20世紀文化の臨界』青土社、2000
● 「シミュレーションの彼方に:ジャン・ボードリヤールとの対話」、『SAPIO』1993年8月26日-9月9日号、23日号→『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 解説「手紙の力」、坂本龍一・村上龍『友よ、また逢おう』角川書店(角川文庫)、1993.9
● 「?」、『BRUTUS』no.303、1993年9月15日号「特集=多芸多才の芸術家たち。」
● 「QUEER POLITICS:デレク・ジャーマンの現在」、『銀星倶楽部』vol.17、1993.9、「特集=クィーア・フィルム」
● 「混沌のなかの政治性:ヴェネツィア・ビエンナーレを見る」、『InterCommunication』no.6、1993年秋号「特集=人工生命進化論」
● 「ベルリン-バグダッド-リオ:アラン・リピエッツとの対話」、『SAPIO』1993年10月14日号、28日号、11月11日号→『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館、1994→改題『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)、1999
● 「?」、『GQ』1993年11月号:ブーレーズと対比しながらバーンスタインについて書いたもの(福田和也『喧嘩の火だね』に引用された)
● 「[検証 模索の時代]現代思想10年(1) 浅田彰さんに聞く」、『読売新聞夕刊』1993年12月6日号
● 「ジョン・ケスラー」、『ur』no.7、1993、「特集=ハイパーアート2」、pp.97-111