FRAME、no.1-3、1990.7-1991.10
発行:IDÉE PRESS、発売:河出書房新社
no.1、1990.7、「特集=Art and Conflict」
A4番変型(210×287ミリ)、右開き横組、Art Derection:坂川栄治、Design:前田英造、Photograph:大野信彦、Cover Photograph:Felix H. Man («Mussolini: What is he planning?», Weekly Illustrated, August 4 1934.) Proof Reading:吉田文憲、English Editor:Richard Arno, Bert Winther、
Under the direction of:藤原えりみ・樋口良澄・小林康夫・松枝到・松浦寿夫・岡崎乾二郎、編集人:田崎英明、発行人:黒崎輝男
表紙文字:
「Art and Conflict
FRAME NO.1
Situationist International
Fenollosa
Baroque/Velàsques
Courbet/Realism
史上最強の美術理論誌」
目次欄の上スペースには巻頭言として以下の文章がある。
「FRAMEが見えにくくなっている
もはや単に閉域を形成するのではなく、
ましてや自らの居場所を確定するための不動の座標でもない
―――FRAMEが
それは私たちを開かれた場所へと解き放ちながら、
それと同時に私たちから見る力を奪い去る――それも根本的なところで
そして≪芸術≫と呼ばれる営みは内側から静かに朽ちようとしている
だが、見る力を喪ないたくないと、もうひとつの現実を見ようと、
意志することもできる
FRAME―――それは、まず、見るための線を引くこと、境界を設定すること、
目印をつけることだFRAMEを仮構すること、それはすでに在るFRAMEを発見し、
それを批判しそしてそれを通してもうひとつの≪見ること≫を創設することだ
破壊、批判、構築、解体、再構築、移動、消去、etc. 線は決して単一ではない
そのような線を問うこと、そのような線を見ること、それこそがこの場所、私たちのものであり、
また、あなたたちのものであるFRAMEで試みられるべき営為であるだろう」
目次
● 「連載 GRAMMATOGRAPHE No.1 Infidelity of images ことば/イメージの不貞」、p.0
● 「FRAME CONTENTS」、p.1 ※注2
● 岡崎京子(絵・文章)「[コラム] ブレイキング・グラス」、p.2
● 若桑みどり「[コラム] マドンナ:イメージの普遍的な力」、p.3
● 稲方正人「[コラム] ちびまる子ちゃんはAVギャルだ」、p.4
● 樋口良澄「[コラム] タデウシュ・カントール:アヴャンギャルドの空間」、p.5
● 荒川修作「[コラム] イメージのエチックス」、p.6
特集=Art and Conflict
● 「Art and Conflict」、p.7 タイトルと図版が掲載されたページ。使用図版はエンツォ・マリ、フランチェスコ・レオネッティによる「レーニンによる図解」(Enzo Mari and Francesco Leonetti, «Atlante seconde lenin», Carta economica, Edizioni voglio, 1974から)
● 「テリー・イーグルトン/インタヴュー 資本主義下の芸術家の魂」(ファックスによる質問項目の事前送付のあと電話を用いたインタヴュー)、pp.8-11
● 「Correspondence Critique 小林康夫「罪深い素朴さについて」/松浦寿夫「イメージのコミュニスム」」、pp.12-23 ※上段に小林の書簡、下段に松浦の書簡が配されている。それぞれ日付は1989年12月12日と1990年2月末日。
● 岡崎乾二郎「指示の連鎖/抗争する都市論:分裂生成へむけて」、pp.24-26, 28-31
● 岡崎乾二郎「Conflicting Representation / Representing Conflict. # 1 Problematique of Reality」、p.27
● 相原理歩「[Art Coffee Break] 白髪一雄展 東京画廊 1990.1/16~1/31:白髪さんとサザエさん」、p.32
● 和田奈津子「[Art Coffee Break] 荒川修作展:宮川淳へ 東高現代美術館 1990.1/20~3/4」、p.32
● 「Messages」、p.33
● Louis Caneルイ・カーン、p.34
● Komar & Melamidコマール&メラミッド、p.35
● Gilbert & Georgeギルバート&ジョージ、pp.36-37
● Jenny Holzerジェニー・ホルツァー、p.38
● Ruth Franckenルト・フランケン、p.39
● Edward Allingtonエドワード・アーリントン、p.40
● Ian Hamilton Finlayイアン・ハミルトン・フィンレイ、p.41
● Jürgen Schieferdeckerユルゲン・シーフェルデッカー、p.42
● Christoクリスト、p.43
● 阿部良雄「残虐と勲章:レヴィジォニスムに対応する19世紀美術史再構築のための断章」、pp.44-53
〔→第10章、『モデルニテの軌跡:近代美術史再構築のために』岩波書店、1993.2〕
● フレデリック・ジェイムスン「ハンス・ハーケとポストモダニズムの文化論理」(藤原えりみ訳)、pp.54-59
● 大澤真幸・岡崎乾二郎「固有名の諍い1 芸術と命名行為」、pp.60-63, 66-71
● 岡崎乾二郎「Conflicting Representation / Representing Conflict. # 2 Applicability and Purity」、pp.64-65
● 田崎英明「芸術の善用:日常生活批判のために」、pp.72-75, 78-79
● 岡崎乾二郎「Conflicting Representation / Representing Conflict. # 3 Theatricality and Purity」、p.76
● 岡崎乾二郎「Conflicting Representation / Representing Conflict. # 4 Purity of Vision and Desire」、p.77
小特集=Öyvind Fahlströmエイヴァンド・ファールストレーム
● 岡崎乾二郎「Öyvind Fahlströmエイヴァンド・ファールストレーム」、pp.80-81
● エイヴァンド・ファールストレーム「[Öyvind Fahlström Anthology] ラディカル・シック(1973)」(小俣出美訳)、p.82
● エイヴァンド・ファールストレーム「[Öyvind Fahlström Anthology] 世界に目を配る(1966)」(小俣出美訳)、p.83
● Fahlströmの作品図版、pp.84-85
● エイヴァンド・ファールストレーム「[Öyvind Fahlström Anthology] 世界を操作する(1964)」(小俣出美訳)、p.86 ※ページ中段に
Öyvind Fahlström, «S.O.M.B.A. (Some of My Basic Assumptions), 1971-73»の1, 2, 6, 17が英文のままコラージュ気味に挿入されている。
● 大澤真幸・岡崎乾二郎「固有名の諍い2 行為の交接」、pp.87, 89
● 岡崎乾二郎「Conflicting Representation / Representing Conflict. # 5 King’s Painter and Painter’s King」、p.88
● 北澤憲昭「近代画家の誕生と「文人画」:「美術」形成史ノート1」、pp.90-96
〔→『境界の美術史:「美術」形成史ノート』ブリュッケ、2000.6、新装版、2005.8〕
● 松枝到「ヤーヌスは三度変貌する:Perspectiva Iconologia 1」、pp.97-102
● 原牧夫「[Art Coffee Break] 西ドイツ&ハンガリーテレビの地勢学1:Video Frog 1990.2/24」、p.103
● 平野美奈「[Art Coffee Break] 浦上玉堂を這りつつ」、p.103
● 木下謙一「[Art Coffee Break] 誰も行ったことのない美術館:日本橋高島屋 1990.2/15~2/27」、p.103
● 柴牟田和俊「[Art Coffee Break] 中野西敏弘:秋田画廊 1990.1/15~1/20」、p.104
● 植月由美子「[Art Coffee Break] 銀座あたりのこと」、p.104
● 相原理歩「[Art Coffee Break] TSA卒業制作展:ギャラリーK、藍画廊、かねこあーとGI、ルナミ画廊、Gアートギャラリー、コバヤシ画廊、TSAギャラリー」、p.104
● 「インタヴュー アナ・バラッド 軽やかに反転する光の世界」(聞き手・構成・訳:藤原えりみ)、pp.105-109. ※pp.105-108はバラッドの写真掲載のみ。
● 「Summary」、pp.110-112 ※各記事の英字要約と、
● 「Confliting Representation」使用図版説明。
● 図形詩、p.113
no.2、1991.2、「特集=’50S批評の弾薬庫」
A4判変型(210×270ミリ)
表紙文字「Art and Conflict FRAME NO.2 不屈の美術理論誌
アンソロジー「'50s 批評の転換点:「物質」の変容」の無署名記事の冒頭にはこうある。
「50年代に生じた言説の地層学的変化。
たしかに人々は同じ言葉を用いて入る。「物質」「行為」etc.だが、これらの言葉がかたちづくる地形は変貌した。
「物質」は私たちに自己解体を強いる「異様なもの」ではなくなり、静かなたたずまいのうちに自らを示す。「行為」は、他者のうちにわたしたちを引き裂くこともない。親密な、それは親密なintime閉ざされた世界として「芸術」が、外界からの、外界への通路を遮断して成り立つ。
この経緯をたどるべく、私たちは、ここにささやかな抜粋集を編んだ。そこで、私たちは今日の言葉づかいが決して歴史的変容を欠きはしないということ、決して自明なものではないことが示されるだろう。(そして、英訳はこの成果の共有をより広いものとしてくれるだろう。)」
「このアンソロジーは「物質」という、日本の美術思潮において、極めて特殊な役割を担うことになる概念の変遷を辿ることを主眼にして、編纂されたものである。
50年代において、物質とは、まず内部と外部の予定調和的な癒着を引き裂くものとしてあった。
芸術はいまだ反映論の支配下で、社会的な伝達の媒介という役割で捉えられていたが、それが結ぶべき内部と外部、社会性への考察のまなざしはむしろ徹底していた。
それは内部/外部の対立図式に、意識/外界ではなく、自己/他者の回路を重ねあわせたとき、はっきりするだろう。媒介が潤滑に透明に機能するときわれわれは他者には出会わない。それはひとつの社会に自閉するだけである。物質とは、その自明な媒介性が切断されたとき、はじめて出現する外部としての現実、自己を客体化する契機としての他者性の謂であった。
批評の転換点のひとつの目安は、1957年に置くことができる。アンフォルメルの侵入と制覇。急激なモードの変容。これをめぐって、従来の批評の枠組みは大きく動揺し、不可避的に修正を余儀なくされる。すなわち反映理論の克服。
しかし、この修正は結果的に、非表現後とその対象を、自律した美術、自律した美術史という観念の内部へ閉じ込めてしまうことにもなった。
そして物質は、もはや社会と切断された領域で、行為との何のモデルにも依拠することない純粋な出会いを、待機するありのままの素材として、ただ姿をさらすだけのものとなる。
その密室でのやりとりのなかから、新たな形式の構築が夢見られ、そしてその消滅が夢見られたとしても、それは絶えずつきまとう「その不可能性」というメランコリーをのり超えることはできないだろう。
(尚、阿部良雄氏の「反映理論の展開/克服」(岩波書店1990)はこの見取り図に大きな指針を与えてくれた。」
アンソロジーの項目は以下の通り。
「マルクス主義的前史」(中井正一、梯光秀、戸坂潤の諸々のテキストから)
「シュルレアリスムの受容」(瀧口修造の諸々のテキストから)
「レアリスムの物質化」(花田清輝、針生一郎の諸々のテキストから)
「無化される物質」(宮川淳の諸々のテキストから)
「美術館の中の物質」(中原佑介の諸々のテキストから)
目次
● 岡崎乾二郎・田崎英明・椹木野衣「[FICTION FUNCTION!] 世界の賭金・歴史の配当:世界史ゲームのためのルール・ブック」、pp.5-18(このうち椹木担当パート「反シュルレアリスムの砂漠」pp.11-15→加筆修正、椹木野衣『シミュレーショニズム ─ハウスミュージックと盗用芸術』(洋泉社、1991.6、河出文庫、1994.11。増補版、ちくま学芸文庫、2001)
● Alan Finkel, «[新連載] PUBLIC ART IN TRANSLATION», pp.19-23
特集= '50s 批評の地雷原:侵攻と忘却
● (無署名、巻頭言)、pp.25
● 阿部良雄「インタヴュー ラディカルな武装解除」(聞き手:編集部)、pp.26-35
● 針生一郎「インタヴュー 30年後の「サドの眼」」(聞き手:編集部)、pp.36-43
● 編集部編「アンソロジー '50s 批評の転換点:「物質」の変容」、pp.44-56
● (上記事の英訳)«'50s THE CRITICAL POINT OF CRITICISM: Transformation of The Matter», pp.57-68
● 上野俊哉「物質と他者――誰が雷管に火を点すか:針生一郎と戦後批評の一視角」、pp.71-77
● 上田高弘「グリンバーグ!グリンバーグ!:新たなるデマーケーションのための偏向的ノート」、pp.78-84 〔→『モダニストの物言い 現代美術をめぐる確信と抵抗一九九〇−二〇〇五』美学出版、2006.4〕
● マックス・コズロフ「冷戦期のアメリカ絵画」(竹森佳史訳)、pp.85-96
● 松浦寿夫「二都物語」、pp.97-100
● 編集部編/解説:小俣出美「アンソロジー イマージュは歴史を無化したか?:戦後フランス批評観戦記」、pp.101-108
● 小林康夫「『ラス・メニナス』再説:〈表象の表象〉から〈時間の創設〉へ――岡崎乾二郎氏への手紙」、pp.109-113
● 北澤憲昭「[連載] 近代画家の誕生と「文人画」:「美術」形成史ノート2」、pp.114-119 〔→『境界の美術史:「美術」形成史ノート』ブリュッケ、2000.6、新装版、2005.8〕
no.3、1991.10、「特集=趣味の断層/再考=シュルレアリスム/パブリックアート」
155×210ミリ
表紙文字「Art and Conflict FRAME NO.3 冷酷非情の美術理論誌」
目次
● Okazaki Kenjiro, «What ’Art’ Can Make Us Forget?: How to Use 'Art'?» (Trans. by Suzuki Mariko), pp.2-4
● 岡崎乾二郎「放射能/芸術:どこにも帰属しえないメディアとしての」、pp.5-7
● バート・ウィンザー「公衆(パブリック)に与する芸術/適する芸術」、pp.8-21
● 「往復書簡 松浦寿夫 から/へ 上田高弘」、pp.22-24
● 松浦寿夫「二都物語――幕間――あるいは上田高弘氏へ」、pp.25-32
● 上田高弘「反ジュスト・ミリュー考:A Reflection against Juste-Milieu」、pp.33-41
〔→『モダニストの物言い 現代美術をめぐる確信と抵抗一九九〇−二〇〇五』美学出版、2006.4〕
● Alan Finkel, «PUBLIC ART IN TRANSLATION», pp.42-47
● 磯崎新・岡崎乾二郎「対話 政治的状況を幾何形体に代入する」、pp.48-59
● 上野俊哉「大衆音楽の真実とポップ音楽の虚偽」、pp.60-68
● 編集部編「パブリックアート事例集:挑発へのフィールド・ノート」、pp.69-73
● 阿部良雄「QUALIS ARTIFEX PEREO!:美的決定をめぐっての省察」、pp.74-81
● 開発チエ「秘匿の花園:〈懐妊〉と〈自死〉をめぐるエスキス」、pp.82-86
● 安仲卓二「チャシム エ ジハード(聖戦の目):アフガニスタン絨毯の向こうに」(聞き手:松枝到)、pp.87-93
●
スラヴォイ・ジジェク「東欧のギレアデ共和国」(訳・改題:田崎英明)、pp.97-108
● 岡崎乾二郎「芸術をいかに使うか?」、pp.109-112
最終更新:2021年07月16日 22:31