●「TVEV LIVE: TV WAR」(1985. 上映: 1985.9.15., 筑波科学博にて)
一部がyoutubeにアップロードされている
http://www.youtube.com/watch?v=etlzBM3fOtU
TVEV BROADCASTは収録されていないものの、1985年9月のつくば万博で上映された「TV WAR」は1985年にVHSとLDが発売、2005年10月には(2004年12月に出た限定Box「坂本龍一 80年代の映像作品集」から選出されて)DVD化された。
浅田彰「メディア・アートへの導入:私的なメモランダム」ではこう回想されている。
「私自身がその線〔メディア・アートとの関わり〕でささやかな試みを始めるきっかけとなったのは、1985年に今野裕一が中心になって行われた立花ハジメとラディカルTV(原田大三郎+庄野晴彦)によるAVパフォーマンスである。ポップ・ミュージック・シーンの延長上に生まれたこの形式は、急速に洗練されていった。だが、このままでは、企業のAVスペースやTV番組のAVコーナーを飾る気のきいた意匠として消費されてしまうのではないかと危惧されたし、また実際、かれらの後から現れた多くのAVグループは、その危惧を現実のものとしていったのだ。
そこで私が試みたのは、そのパフォーマンスを、いちど途方もない規模に拡大してみることだった。筑波科学博のためにSONYが作った巨大なジャンボトロンを使って、開会式を前にした85年9月15日の夜に、坂本龍一とラディカルTVによって一度かぎり行われた〈TVEV LIVE: TV WAR〉がそれである。史上最大のTVを駆使して行われた、残酷にして花華やかな戦争のシミュレーション」(『ur』no.1、1990、p.27)。
上記記録と比較したかぎり、youutubeでアップロードされている動画はその一部であるのみならず、順序も間違っているようだ。part 6, part 7は、part 1の前にあるはずの冒頭箇所である。したがって、紙面記録に基づいた正確な順序はpart 6, part 7, part 1, part 2, part 3, part 4, part 5, ◎, part 8, part 9である。上のURLリストは記録にしたがって並べなおしておいた。
「TVEV BROADCAST」は3章構成となっている。part 6-7, 1-5は第1章「COMPUTER EVOLUTION」。◎にはベルギー・ラジオ・テレビ局(BRT)製作の「われわれ男たちはなぜかくもテクノロジーを愛するか」("Warum wir Männer die Technik so lieben?", cast: Paul Virilio, Jack Goldstein, Stefaan Decostere, Chris Dercon, Klaus von Bruch, production: Claude Blondeel, Dienst Kunstzaken, BRT, 1985)が第2章「TECHNO EVOLUTION」として挿入される。
part 8の4:45の箇所は本来の放送版では編集点であり、注意してよく見るとシーンが切れている。この箇所にビデオ映像『柄谷行人「鏡・ヴィデオ」』が挿入され、part 8の最後に「ニューヨークにそういう巨大なディスコを設計した磯崎新が語ります」と導入句を続け、ビデオ映像『磯崎新「電子の迷宮」』が挿入される。その後再びタクシーシートの場面の浅田に戻って数分語った後、アンデル・リスターの映像作品『HELL』が挿入され、タクシーシートの場面の浅田レクチャーに戻り、次いでビデオ映像『フェリックス・ガタリ「ポスト・メディア」』(撮影はガタリのパートナーであるジョゼフィーヌ・ガタリ)が挿入され、タクシーシートの場面の浅田レクチャーに戻り、ビデオ映像『柄谷行人「デカルトと精神」』が挿入され、最後にpart 9の浅田の語りで締めくくられる(ここまでが第3章「BAROQUE EVOLUTION」)。
●「farewell njp」(2006)
2006年11月2日、ワタリウム美術館で開催されたナムジュン・パイク追悼ライブ「farewell njp」に参加したときのトーク音声がアップロードされている。以下は浅田発言箇所。
part 2
http://www.youtube.com/watch?v=bN_uhzj__V8&feature=related
part 3
http://www.youtube.com/watch?v=w0sY96SZy8k
発言において触れられている『バイバイ、キップリング』(邦訳書籍版あり)の1986年10月の日本放映をめぐるエピソードは、浅田彰「『バイバイ、キップリング』見聞記」(『GS 楽しい知識』vol.5、「特集=電視進化論」所収)などで当時語られている。
ウィトゲンシュタインの兄弟たちが皆自殺したというエピソードを語り、「あ、そうそう、明日ウィトゲンシュタインの建築についてしゃべらなきゃいけないので君に聞きたかったところだったんだ」云々とパイクに尋ねられるというのは、1986年6月22日にウィーンでパイクと(ごく近いところにいるにもかかわらず)電話で語り合ったというくだりで、触れられている(浅田彰「クリス・デルコン」、同書、p.52)。そのときのパイクのインタヴュアーがデルコンだった。
また、1986年の「12月14日、ポンピドー・センターで〈日本の批評におけるモダンとポスト・モダン〉と題するシンポジウムの演壇に立っていた」ときにアラン・ジュフロワに告げられてパイクが来ていることを知り再会した際、浅田がヴィリリオはパイクを賞賛していたことだし、二人を対談させてみようと考え打診していたところ、パイクも大いに興味を示したが、日程上無理であり、取りやめになったというエピソードも紹介されている(同書、「TV進化論」巻頭文章)。
なお、「電視進化論」特集、メディアアートへの浅田の関心は80年代中期から鮮明で、ジャン=ポール・ファルジエやヴィリリオ、エドモン・クーショなど、『カイエ・デュ・シネマ』ビデオ特集号や『Traverses(トラヴェルス)』、『ZONE』、『Change International』に掲載された論文や対談を積極的に翻訳紹介しており、これはのちの『インターコミュニケーション』やICCへの積極的な関与にいたる。NHK教育番組についての持続的な関心は、いわばこの頃からの意識の残影のようなものだと言えるだろう。
●「《LIFE - fluid, invisible, inaudible ...》をめぐって」(坂本龍一・高谷史郎・浅田彰・中沢新一との公開トークイベント。2007.9.15.ICCにて). ※
こちらからDL可能。
●「ダムタイプ《S/N》トーク・イヴェント」(高谷史郎・BuBu de la Madeleine・高嶺格との公開トークイベント、2008.9.15.ICCにて). ※
こちらからDL可能。