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菊池寛「狐を斬る」

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狐を斬る
 川路左司馬が、此処神田淡路町の町宅住居《まちやずまい》をしてから、今年で丁度七年になる。
 彼は、豊前中津十万石奥平大膳太夫の浪人である。が、奥平家に仕えていた頃も、親代々の江戸勤め、いわゆる定府《じようふ》であったから、武士の中でも、江戸っ児とも云うべき人である。
 彼は、今年四十七歳で、文武兼備と云う人柄である。奥平家を浪人した原因も、立派なものである。
 若殿の養育係であった彼は、若殿が遊戯中誤って、左眼を傷けられた事に対して責任をとって、永の暇《いとま》をお願いしたのである。それには及ばない、 と云う上意であったが、彼は武士が一旦口外したことを、引き下げるべきではないと、頑張って、到頭三百石の秩禄《ちつろく》を捨ててしまったのである。
 と云うのも、彼は武士としての生活以外に、多方面に趣味を持っていた。和歌も少しは詠めたが、殊に狂歌に秀《すぐ》れ、川柳狂句などの雑俳も心得て居り、江戸の文人仲間にも、友達が多かった。
 無類の釣好きであったし、謡曲、囲碁将棋なども心得ていた。
 囲碁も初段に先二と云う技倆《ぎりよう》であったが、将棋の方は、素人ばなれがして居り、伊藤宗看から三段の免状を貰っていた。
 その上、父親が理財の才があり、彼が十年や二十年悠々自適の生活をしていても、心配のない位、小金があった。
 それに、妻には先年死別れ、子供もなかった。
 こうした彼の趣味や境遇が、気骨の折れる武士生活に、慊《あきた》らなかった一つの原因になっていた。
 月に、たった三日だけの非番の休暇では、彼の趣味生活は、到底満足出来なかったのである。
 だから、彼が浪人するときには、普通そんな場合に、何人もが感ずるような、不安や悲しみは、感ぜられなかった。窮屈袋を脱いで、思い切り手足を伸ばせる……と、心から思ったのである。
 と云って、彼は文弱一方の武士ではなかった。青年時代、一刀流の中西忠兵衛から、免許皆伝を得ていたし、武士としての覚悟や、心得はちゃんとしていた。
 彼はいよく奥平の藩邸から、町宅へ引き移るとき、四、五人の男女の召使いに、暇を出したが、身の廻りの世話をさせていたおなみと云う、当時十八になった小間使と、台所を委せてあった老女とを連れて行った。
 老女は、,一年も立たない中に、死んでしまったので、おなみが、今では台所の方もやっていたが、左司馬はいつか、このおなみに手をつけていた。
 二十歳以上も年齢が違うので、左司馬はやや後めたい気がしたが、しかしまだ男盛りの彼として、自然のなりゆきに近いものとして、そんなに恥ずべき事とも思っていなかった。
 彼の家に出入りするものは、いつの間にかおなみを奥さま扱いにしていたし、左司馬も今では正式の妻として、扱うようになっていた。
 おなみは、淀橋の百姓の娘であるが、色白で下ぶくれであるが、鼻も高くはなく、眼と眉とが迫っていて、美人とは云えなかったが、その眼が生々として、男を惹きつける魅力があった。
 純情で素直であったが、物の道理と云うことが分らない性質であって、左司馬が嗜《たしな》みとか慎しみなど云うことについて、いくら教えても、たゞはい /丶と云うだけで、ほんとうには呑み込めない女であった。いかにも、女らしい自然児で、女らしい欠点と美点とを併せ持っていた。
 左司馬の生活は、今では全く安定して、囲碁将棋の相手として、高禄の旗本や富裕な町人の家へ、五、六軒も出入りしていた。
 左司馬の無欲|恬淡《てんたん》な性質がどこでも気に入られて、足が少しでも遠のくと、迎いが来る位であった。無論、礼金などは包んでよこさないが、し かし、米だとか魚鳥だとか野菜などの付け届けが絶えなかった。また川柳や狂句の会などにも、いつも招聘されていて、時々は点者《てんじや》になることも あった。
 その外に、同町内の上州屋と云う百万長者と云われる両替屋の主人からは、非常に信認され、時々は相談相手として呼ばれるし、一人息子の家庭教師のような仕事さえ頼まれていた。
 そのお礼のためと云うので、左司馬の家を、この春、改築して、十畳一問、建て増してくれたのである。
 そんな意味で、左司馬の生活は充ち足りていた。
 ところが、この秋の初から、左司馬の生活に、ふと一つの翳影がかざし始めた。
 それは、おなみの身の上に、起ったことである。
 ある日左司馬は、七つ頃家に帰って来た。七つと云えば、今の四時である。帰宅は、夜に入るであろうと云って出かけたのだが、訪ねた先の主人が急用で他出していたため、予定よりも早く帰って来たのである。
「今帰ったぞ……」
 と、声をかけて、茶の間へはいって来たが、いつもはすぐに出迎えるおなみの姿がない。下女のおさだも見えない。不思議に思って、
「おなみ! おなみ……」
 と、二度ばかり呼ぶと、
「はい!」
 と、おなみが返事をした。が、すぐには出て来ない。御不浄かと思ってその方を見たが、それらしい容子もない。玄関口の右手に、女中部屋があるのだが、どうもそこにいるらしい。
 が、「左司馬は、別に不思議とも思わず、自分で袴や羽織を脱いでいると、おなみはやっと現われた。両頬を赤くし、衣紋《えもん》も少し乱れている。
「何処にいたのじゃ……」
「はい……」
 と、云ったが返事をしなかった。
「おさだは……」
 と訊くと、
「使いに出しました。」
 と云う返事である。
 女中を使いに出して、女中部屋にはいっている。これは、少し可笑しいが、しかし女中部屋が、キレイに片づいているかどうかを見たかったのかも知れない し、また女中部屋の押し入れには、女中の荷物以外のものも、いろいろ入れてあるので、そう云うものを探していたかも知れないので、左司馬は、それ以上何も 訊かなかった。
 左司馬は、元来寛大な良人であったし、年齢や教養の差違を考えて、おなみに多くのものを期待していなかったので、口小言などは、殆ど云ったことはない。 だから、その日も、それぎりで、小半刻も経たない裡《うち》に、左司馬は自分が肝煎《きもいり》役をしている笹鳴連という冠句付の社中の句稿の選を始めて いた。
 ところが、それから十日ばかり経ったある晩の事であった。おなみは、つい近所の懇意の家に、赤ん坊が生れたので、御祝儀を云いにいった。そして、一刻ばかりして迎いにお出でと云って、女中のおさだだけを帰した。
 すると、一人帰って来たおさだは、左司馬が書斎にしている八畳の襖《ふすま》が一枚、半開きになっているところへ来て、そこではいろうかはいるまいかとモジ/丶していた。
 それに、気が付いた左司馬は、
「さだ、何ぞ用事か。」と、云って訊いた。さだは、今年四十に近い忠実な女だった。
 この家へ来てから、まだ一年にもならないが、算数や家事にも明かで、分別もあるので、おなみはいつの間にか、家事一切をおさだに委してある位である。左 司馬も、この頃では、直接おさだに、何かと云いつける位である。と云って、おさだは年若な主婦のおなみを、おろそかにするような女ではなかった。
「はい……」
 と、おさだはかるく答えたが、そのまゝ、じっとうつむいていた。
「用事なら、遠慮なく云った方がいゝ。」
 と、左司馬が、ものやさしく云うと、おさだは、やっと決心したように、
「こんなこと、申し上げてよいのかどうか、私には思案が付きかねます。でも、非常に大切な事でございますし、万一のことが御座いますと、私も旦那様に対して、申しわけないことになりますから、申しあげるのでございます。
 ほんとうは、私はこのまゝ、だまって、お暇《いとま》を頂いた方が、いゝのか分りませんが……」
 と、云った。左司馬は、さすがに、ハッとして、おさだの方を向き、もっと此方へ寄って話せと云った。
 おさだの話は、おなみがこの家に出入りする越後屋の手代の清吉と可笑しいと云うのである。清吉は、以前は旦那様の御在宅の時にも来たが、この頃ではきっ と御不在の時に来る。しかも、牒《しめ》し合わせたように、いつ御不在かを知っているようである。しかも清吉が来ると、きまっておさだが、何処かへ使にや らされる。しかも、それが一刻もかゝるような遠いところである。こう云う事を、自分がだまっていて、もし万一の事があった時は、自分にも責任があることに なる。それでは、旦那さまに申訳ない。奥さまは、子供のように邪気のない方で、自分にもよくして下さる。だから、奥様を讒《ざん》訴する意味で、申し上げ ているのではない。たゞ、実際のことを申し上げているのだ。
 武家方では、奥様の不義が発覚したときは、大抵女中までが、連坐して成敗を受けることになる。自分は、そんな目に会いたくないし、また今の場合、奥様 と、清吉とが不義をしていると云う確証もない。だから今なら、事を未然に防ぐことが出来るかも知れない。そんな意味で自分は申し上げたのだ。それに、今晩 も、奥様のお伴をしたが、奥様は先方の家の前まで行かない裡に、自分に帰れとおっしやった。奥様は、先方の家へ、おはいりになったかどうかは分らない。清 吉は、最近店の方は通いになって、ついこの横町に住んでいるとの事である。そう云う事を疑うと、どうにも黙っているわけには行かないと云うのである。
 おさだの云うことは、主人思いの誠意からであることが、左司馬にはよく分った。
 いく度もうなずいて聴いていた左司馬は、おさだが語り終るのを待って、
「おう、よく云ってくれた。ありがとう。」
 と、礼を云った。
 左司馬は、その話を聴いているうちに、直ぐいつか七つ刻帰って来た時の記憶が、マザマザと頭によみがえった。女中部屋ならば、すぐそこの縁先から裏庭へ下りて、裏口から横手の路地に出ることが出来るのだった。
 あのとき、おなみのやゝ汗ばんだ顔の表情が、凡ての真実を物語っているような気がした。
 左司馬は、そう云う記憶は不快ではあったが、おなみに対する怒りは、嫉妬《しつと》とは全く違っていた。
 娘の不しだらを知った親の気持に似たものだ。怒りよりも悲しみに近かった。
 彼は、自分がこの一、二年おなみと、殆ど一つ寝をしていないことを思い出した。おなみは、茶の間に、左司馬は書斎に床を敷かせてあった。いつか、左司馬 が病気をして別室に起臥《きが》したことが、元に復しないのである。おなみは、今年の初、それについての不満を述べたが、左司馬はいつか一人寝の気安さを 愛するようになっていたのである。
 おなみが、ピチノ丶した女盛りの肉体を、もてあましているのを、気がつかない左司馬ではなかった。
 重ねて置いて、四つにすると云った気持とは、凡そ遠い左司馬の気持であった。
 たゞ、二、三年前川柳点の運座で高点を取り、その後忽ち御府内中に拡がった、(町内で知らぬは亭主ばかりなり)のような目には、会いたくなかった。
 左司馬は、しばらく瞑目《めいもく》していた後、おさだに訊いた。
「町内で、沙汰などをいたして居るか。」
「私の耳には、まだはいりませぬが。」
 と、おさだは、うつむいたまゝ答えた。
「そうか。この上とも、町内の評判などにならぬよう、そちも気をつけてくれ。」
 と、云っただけで、左司馬はおさだを去らせたのである。もし、左司馬が、徹底的な態度に出るのであったら、おなみが出向いたと云う家へ、すぐ押しかけて 行くことも出来たし、横町に住んでいると云う清吉の住居を探すことだって出来るのである。が、左司馬は、あくまで突きつめて、確証を掴《つか》むと云った ような気持は少しもなかった。
 一刻ばかり経って、おさだはおなみを迎えに行った。その時間迄には、おなみは、赤ん坊の生れた家に来ていたのだろう。おさだに迎えられてすぐ帰って来た。
 その晩は、左司馬は何も云わなかった。
 その翌日の午《ひる》さがり、おなみが左司馬の書斎にお茶を運んで来たとき、左司馬はいつもと同じようなおだやかな口調で云った。
「のう……なみ……いつも云うことだが、浪人していても、わしは武士だ。お前は武士の妻だ。町家に立ち交っていても、はしたない振舞はしてはならぬぞ。」
「はい!」
 おなみは、ハッとしたように、そこへ手をついてしまった。以前の主従関係が、まだ半分位は残っていたので、口答えなどは、一度もしたことのない女だった。
「万事に気をつけなさい。人の口の端にかゝるような事は、してはならぬぞ。」
「はい!」
(何かお気にさわることが、ございましたか)と、問い返すほどの気力も、才覚もない女だった。
 そう云う反問でもしたら、もっと突込んで云えるのだったが、おなみが半分涙ぐんだ瞳をじっと伏せているのを見ると、左司馬はそれ以上、追及する気にはならなかった。
 もしおなみが最後の線を越しているにしろ、これで将来を慎しんで呉れるのだったら、このまゝに済ませたい気持だった。
 おなみは、もちろん、そんな重大な根拠からの小言とは夢にも思わないから、日頃はやさしい旦那様が、何だってこんな事を云い出したのかと、考えて見ようとさえしなかった。
 それで、そのまゝに済むようにさえ見えた。
 ところが、神田明神の祭礼の夜であった。左司馬を日頃から、先生々々と云って、心から師事していた、同町の質屋の倅《せがれ》が、越後屋の手代の清吉を 打擲《ちようちやく》したと云う事件が起きた。その男は、不断は温厚ではあったが、潔癖なところがあり、清吉と二言三言云い争った末、満座の中でちょう ちゃく《、、、、、、》したと云うのである。
 それを、聴いた時、左司馬はハッとした。その男が、普段喧嘩などする男ではないだけに、左司馬は、その男が憤怒した原因が、何であるか、ハッキリ想像出 来るような気がした。しかも、その噂を左司馬に伝えた男も、「いゝ気味でした。美男を鼻にかけて、とかくよからぬ奴で……」と、やっぱり公憤を感じている らしい語調であった。
 それに、何気なく受け答えをしながら、左司馬は、心の中で、これは一日も猶予《ゆうよ》出来ない事態に立ち到った、と考えた。
 翌日、左司馬は明け四つに起きると、沙魚《はぜ》釣りに行くと云って、家を出た。左司馬は、何か考え事をするとき、きっと釣に行った。兼題の狂句、冠句付などを考える時も、そうである。が、今日はそんな風流な道でなく、おなみの事を考えるためである。
 町内で、相当噂が飛んでいる。噂にならない前なら、そっと親許に返す方法がある。対等の武家の娘でないだげに、こんな場合には、簡単である。
 が、こう噂が拡がってしまうと、離縁する時は、却ってその噂を肯定する事になる。それは、甚だまずい。と、云って不義の現場を捕えて、成敗することなど は、どう考えてもいやだった。相手の男はともかく、知恵や分別も、子供のようにあどけない女を、制裁すると云う事も、大人気ないことだった。自分の面目を 保ち、おなみを救ってやる方法は……と考えると、これはなか/丶考えがまとまらなかった。
 中川筋を、半日も釣り歩いた左司馬は、七つ前に、帰り支度をして川筋を離れると、この前二、三度立ち寄った事のある百姓家の前に出た。
 それは、半農半漁の家である。網の手入れをしていた老爺に声をかけると、
「これは、お珍しい。どうぞ、お茶を召し上っていらっしゃいませ!」
 と云われた。
「では、造作になろうか。」
 と左司馬は、広場を横ぎって縁側に腰をかけた。
 老爺は、倅の嫁に声をかけて、お茶の用意をさせている。
 土間でたきゞに火をつけているその若い女のすぐ傍に、かなり大きい藁《わら》つつみが横たえてあり、しかもそれは何か生き物を包んであると見え、とき/゛\ビク/\動いている.
「何だ! あのわら包みは……」
 と左司馬が訊くと、老爺は笑いながら、
「お目に止りましたか。狐でございますよ。」
 と答えた。
「狐? どうしたのだ!」
「この間中から、庭鳥を四、五羽やられましたので、とうとう罠《わな》をかけて退治てやりました。」
「どうして、殺さないのだ?」
「生肝《いきぎも》を薬種屋で、値よく買うと云うものが居りますので、訊き合わせているのでございます。
少しは、喰われた鶏のつぐないになろうかと思いまして……」
「まさか! 狐の生肝が薬になるなどと云う話は、聴いたことがない。」
「左様でございますか。」
 左司馬は、話している裡に、ふと何かを考えたように、
「古狐か?」
 と云った。
「左様でございます。しっぽなどは、白ちゃけて居ります。頭なども、禿《は》げて居ります。相当な奴でござります。」
「どうじゃ、身共にゆずらぬか。」
 老爺は、あわてて左司馬の顔を見直したが、冗談ではないと知ると、
「結構でございますとも、お持ち下さいませ。でも、お放しにならぬように、放すととんでもない仇《あだ》をいたすかも知れません。」
 と云った。
「それは、心得た。きっと、命は取る。その代り、身共が狐を買ったなどと、他言せぬように……何か狐を使って、巫女《みこ》の真似事でもするように思われては困るから……」
「心得ましてございます。」
「代金は……」
「それには及びません。お持ち下さいませ。」
」いや、そうもならぬ。一分だけつかわそう。その代り、本所あたりまで……駕籠《かご》の見つかるまで誰かにかつがせて伴をさせてくれぬか……」
 一分は、大金であった。老爺は野良に出ていた息子を呼び寄せて、わら包みの狐をかつがせて左司馬の伴をさせた。老獪《ろうかい》な狐は死んだふりをするつもりか、じっとしている。そのくせ、藁包みのすきから見ると、双眼をらんくと輝かせていた。
 その夜、左司馬が家に帰りつくと、六つ半からと云う約束の笹鳴連の人達が、もう三、四人もつめかけていた。そして、新築の座敷で、左司馬の帰るのを待っ ていた。左司馬は、忙しいタ餉《ゆうげ》をしたゝめると、いつもの通り、点者の席について、冠句付の運座を始めた。終った時は、もう四つを廻っていた。み んな立ちかけると、左司馬は止めた。
「今日は思いがけない大漁で、カタは小さいが、一束《いつそく》半も釣れました。十疋《じつぴき》ずつ位は、おすそ分け出来る。一寸、お待ち下され……先刻急いだので井戸端へ置いたまゝじゃ。」
 そう云うと、左司馬は客人を待たしてから、台所の方へ行った。左司馬が立つとき、脇差をすばやく携えて行ったのを、町人ぞろいのこととて、何人も気がつかなかった。
 みんなは、かるい快いつかれと、たとい少しでも、物を貰うよろこびとで、おだやかなゆたかな気持で左司馬が帰るのを待っていた。
 すると、皆の気持を動顛《どうてん》させるような激しい裂帛《れつばく》の叫びが起った。
「曲者《くせもの》待て!」
 町宅だけに、台所と云っても七間とは離れていない。皆は、おどろいて立ち上った。
「何! 清吉! たとい、出入りの町人と申せ、深夜に無断で出入するとはゆるさぬ! え!云いわけ無用じゃ。くどい! えっ!」
 烈しい物音がした。それと同時に、名状すべからざる苦悶の叫びが起った。町人達は、蒼白になった。それよりも、客人達に新しいお茶を運んでいたおなみ は、そこにへたばると、ワナワナふるえ出した。皆は、到頭来るところまで来たなと思った。しかし、顔を見合わせるだけの余裕もなかった。懐紙で、血刀を拭 いながら、左司馬が、さすがに少し血走った顔をして、引き返して来た。
「方々、お聞き及びの通りだ。只今、台所口から、あやしい曲者が、徘徊《はいかい》している。曲者と声をかけて捕えると、何と越後屋手代清吉ではござらぬ か。深夜に、たとい浪人とは云え、武士の邸宅に侵入致すなど、怪しからぬと申すと、愚妻に用事があるなどと、申すので、無礼千万と存じ、即ち成敗いたしま した。御迷惑でも、死体を検《あらた》め、後日の証人におなり下され。」
 しばらくは誰も、蒼くなって応対が出来なかった。が、多数の勢いで、ようやく人心地がつくと、三人ばかり連れ立って、台所口から出て行った。外は曇っていたが月夜であった。
 外で、何かがやく云っていたかと思うと、質屋の倅が一番にかけもどって来た。
「先生! 先生! 先生が、お斬りなされたのは、清吉ではござらぬ。狐でござります。古狐,でござります。」と、息を切らしながら云った。
「え、狐! はて面妖な……斬り伏せた時もたしかに清吉の姿を、致して居ったが……」左司馬は首をかしげながら、皆につゞいて台所口から出て行った。
 単純で、迷信的な江戸の町人は、狐が清吉の姿をして、川路様の奥さまに近づこうとしたのだと云うことをふかく信じてしまった。本物の清吉も、ふるえ上って、左司馬の家に近づかなかった。
 いろくな噂が消えてしまった翌年の春、左司馬は、おなみの父親を呼んで、おなみを淀橋の生家へ引きとらせた。五十両と云う大金を、手切れ金として持たせてやった。
「別に落度と云うてはない。たゞ老人のわしに、連れ添うているのが、この頃|不憫《ふびん》だと云う気がして来た……」
 と、左司馬は父親に云った。

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