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その手で守ったものは(前編)◆ENH3iGRX0Y



「ごめんなさい、初春さん」

今はもう答えない少女に向かい、穂乃果は一言だけ弔いの言葉を残す。
外での戦闘音が静まり、巨大な足音が遠ざかっていく。
戦場を変えたのか、あるいはどちらかが逃走を始め、追跡が始まったのか定かではない。しかし、一つだけ言えることがある。
恐らくエンブリヲはこの気に乗じ、あわよくば邪魔者を消そうと画策しているのではないかという事だ。
倒壊した学院から、穂乃果は飛び出し周囲の様子を確認する。やはり、予想は当たっているかもしれないと穂乃果は思った。

(多分、エンブリヲは邪魔な人を……特にヒルダさんなんかを殺したいと思ってる筈。
 ならきっと、エンヴィーを利用するんじゃないかな)

確証はないが、エンブリヲはあの時、穂乃果を連れて脱出しようとはしなかった。
一応の協力体制を取っている以上は、二人で行動した方が両者の安全も考慮できる。
勿論、穂乃果が単に足手纏いだったり、あの瞬間移動は、自分一人でなければならない等の制約があったのかもしれないが、しかし些か引っかかる部分が残る。
エンブリヲは何らかの思惑があり、それを穂乃果に見られたくはなかったのではないか?

(何にしても、私が近くにいればあの人は妙な事は出来ない。
 ヒルダさん、花陽ちゃん、白井さん……!!)

穂乃果の判断は、間違ってはいなかった。
エンブリヲはエンヴィーを参加者の数減らしに利用し誘導していた。
ただ、彼女の読み間違いは一つ、それはエンブリヲ自らは学院周辺に留まっていたことだ。
だが穂乃果は誘導にエンブリヲもまたその身を晒していると推理し、飛び出してしまった。
こうして二人はすれ違い、思惑は交差したまま、互いに逆の方へと進む事となる。







「トロいってのも罪よね」

電撃が撓り、それが花陽の横方に直撃した。
青い紫電が花陽を照らし、彼女は余波に巻き込まれ地面を転がった。
制服が土で汚れ、スカートから覗くソックスが擦り剥け、赤に彩られる。痛みに耐え悲鳴を押し殺し、顔を歪める花陽に御坂は更に電撃を放った。
ほぼ、無我夢中で動いたことが幸いした。
理性的に動いたのであれば、花陽の動体視力と身体能力では、二撃目の電撃は避け得なかっただろう。
直感的な動きがこの一瞬のみ、御坂の予想を遥かに超えたのだ。
自分の真横に空いた黒焦げのクレーターを凝視しながら、花陽は自身の幸運とそれが尽きてしまった事を悟る。

「ぐっ……ハァ……ハァ……」

「案外粘るじゃない。
 運が良いんだか、悪いんだか」

これだけ雷音を鳴らしながら、誰の姿も見えないとなると、どうやら先に逃げた花陽よりもエドワード達の方が、先に行ってしまったのだろう。
恐らくはすれ違い。いくら消耗しているとはいえ、ただのスクールアイドルと鍛錬を重ねたエドワード達では脚力には差が出る。
一エリアも、決して狭くはない。明確な集合場所がなければ、再度の合流も難しい。

「……そうか、学院に向かおうとしたのね、アンタ。
 じゃあ、あそこにはアンタのお仲間が沢山いる訳だ」

御坂が凶悪な笑みを浮かべ花陽に問いかける。
これが意味するのはここで花陽を殺し、その後で学院にいるであろう仲間達も殺すという宣告だ。
花陽の顔色が更に青くなり、冷や汗が流れた。その様を見て、御坂は学院がある一定の人物達の集合場所として、活用されている事を確信する。

「ち、違……!」

「嘘が下手。
 まあいいや。どっちにしろ、アンタはここで殺すから」

ディバックを置き、花陽は全速力で御坂から距離を取る。
運が良ければ、御坂はまだディバックに人が収納されていることを知らない。せめて、最期はあの二人を巻き込まない場所で死ねば、この場での死者は最小限に抑えられる。

「……ごめんなさい、皆――」

視界が一転し、黒色に染まる。
一瞬、ここがあの世なのかと思ったが、それは花陽の早とちりだった。
黒より深い闇色が、花陽の視界を染め上げる。それが人の形をしていると気付いた時、花陽の前で背を向けていた男が振り返った。

「小泉花陽だな?」

「は、はい!」

「高坂穂乃果の知り合いだ。
 黒と言えば分かる、先に行け」

「でも……」

「早くしろ!」

躊躇うが、以前のヒルダの死に様が頭の中で浮かび、花陽はディバックを掴んだまま走り出した。
このまま残った所で足手纏いがいい所だろう。
むしろ、ヒルダのように自分を庇って、黒を死なせてしまうかもしれない。

(逃げたか)

花陽が走り去っていくのを確認しながら、黒は内心で舌打ちをした。
銀を見つけ出すか、イリヤを止めるかの事態にこのような場面に出くわすのは、はっきり言えば運が悪い。
もしも彼女が穂乃果から聞いたとおりの花陽の特徴と、一致していなければ見捨てていたかもしれない。
だが、見つけてしまった。そうなった以上、一時的にとはいえ同行していた、穂乃果の友達を黒は見捨てられなかった。

「……トロいのは、私もか」
「早めに、ケリを着けさせてもらう」
「私としては、もうちょっと遊んでても良いんだけどね」

黒からすれば、さっさと御坂を片付け銀とイリヤの探索に戻りたい。
時間との勝負だ。
逆に御坂からすればもう少し遊んでても良い。
彼女はまだ黒子と対峙し、殺し合う覚悟が完全には決めていないのだから。
互いの思惑のズレを感じながら、黒はもう一度舌打ちをし一気に駆け出した。





「しまむー大丈夫?」

「は、はい……」

「もうすぐで、学院だから!」

卯月の手を引きながら、未央は周囲を警戒しながら走り続けていた。
彼女達が逃亡先に選んだのは音乃木坂学院、理由としては所在不明のエドワードより、ある程度居場所が分かる鳴上と合流した方がいいのではないかと未央が考えた為だ。
勿論、未だエンブリヲに捕らえられている可能性もあったが、放送で名を呼ばれていない以上、鳴上もエンブリヲからの脱出に成功したのかもしれない。
何より、学院はアカメ達が向かった先でもある。彼らと合流できれば、これ以上なく心強いのは間違いない。
しかし、その考えは誤っていたと二人は思い知らされる。彼女達の近辺で、巻き起こる戦闘音に巨大な氷のドーム、これらの戦闘にエスデスが関与しているのは、誰の目から見ても明らかだ。
二人は身を潜めながら、それでも着実に学院へと歩を進ませていく。

「か、かよちん!?」

「未央ちゃん!」

二人の眼前に息を切らした花陽が写る。
卯月の件が既に知られている事も考慮し、若干緊張気味に口を開く未央だが、それらの思惑は一瞬にして消し飛ぶことになる。
見れば以前とは違い、足は傷だらけ、服も泥に塗れたりと明らかに普通ではない。しかも、同行者であるアカメはおろか新一、雪乃すら居ないのだ。
嫌でも彼女達の身に何かあったのだと、未央に予想させてしまう。

「何があったの? 皆は?」

「アカメさん達なら大丈夫、色々あって別行動してて……。
 それよりも……卯月ちゃん……」

花陽は卯月へと視線を向ける。
学院での情報交換で、真姫を殺めたのが彼女であることは知っていた。
そして、未央は固唾を呑む。
分かっていた事だ。学院を目指す以上、いやそうでなくても卯月の犯した罪を、彼女達の前で謝罪させなくてはならないことは。
花陽の目は怒りに染まっていた。普段、温厚な彼女からは考えられないほどの鋭い目付きで卯月を睨む。
それでも、彼女は敢えて目を逸らし何も言及はしなかった。

「今はこの場から離れる方が先だから」

酷く、感情を抑えた声だった。
聞いているだけで、胸が抑えつけられる。今すぐにでも逃げ出したいほどだ。
未央でこれなのだ。真姫を殺した卯月など、耐えているだけでも奇跡と言ってもいいかもしれない。

「事情を話すね」

花陽は未央の様子を見る限り、卯月は少なくとも今は殺し合いに乗る素振りがないのだと考える。だから、怒りを抑えこみ、合理的に思考する。
サリアの時とは違い、強引な手に出ようとしたアカメが居なかった分、花陽の中で冷静さが失われていくようだったが、それを押さえ込むように口を開いた。
出来る限り簡略し、二人に事の経緯をある程度話す。
その間に花陽は卯月への怒りを忘れられるような気がした。

「そっか、鳴上くんが……」

事情を聞く限り、グッドニュースは二つ、先ずエスデスが戦いに赴き足止めを食っていること、それから、鳴上は既にエンブリヲから開放されていることだ。
問題はそのエスデスが闘争を終え、こちらに向かってくるかもしれないことだろう。
ウェイブは行方不明、アカメと新一は雪乃救出の為不在となるとエスデスに対して、自分達だけで対処しなければならなくなる。
しかも近辺には、まだ御坂などの危険人物もいる。考えたくはないが、黒が万が一敗北でもすれば次にその毒牙に掛かるのは花陽達だ。

「とにかく、早く逃げないと、学院に行けば、少なくともエンブリヲさんは居るから」

「その人、私達を最初に襲ってきた人だけど……」

「大丈夫、少なくとも穂乃果ちゃんが居れば」

そう言いながらも、花陽も内心ではエンブリヲを怖れている。
本当ならアカメや新一と合流したい。だが、現状で頼れるのはエンブリヲしかいないのだ。
自分の無力さを実感させられながら、花陽は未央と卯月の顔を見た。
二人とも異論はないらしい。

「北から、イリヤが来る」

「え?」

聞き覚えのない第三者の声、それは花陽の掲げるティバックから響いたものだった。
それと同時に桃色の光が花陽達に降り注ぐ。
普段ならば、見とれていると思えるほどに綺麗な光だが、この場で潜った修羅場の経験が花陽にあれが自分達に害を為す存在だと直感させる。
それは未央も同様で、咄嗟にマスティマを広げ、光を撥ね退ける。
衝撃に耐え切れず、未央は体制を崩し背中を地面に打ち付けるが、光はそのままあらぬ方へと逸れていった。

「やっと、見つけた」

空から舞い降りる白銀の少女、その姿は花陽達が幼い頃に憧れた、正義のヒロインにも似ているような気がした。
それでいて、その目付きは彼女達が憧れたものよりも、歪で歪んだものだった。
似ていた。花陽を襲った御坂の目付きと、目の前にいる少女の目付きはある種同質のものだ。

「……イリヤ」

「貴女を殺す、その後で黒さんも殺す」

花陽のティバックから這い上がり、銀は光を感じない虚ろな瞳をイリヤに向ける。

「ヒルダさんは? 何処行ったの」

「……亡くなったよ」

「ヒルダ……」

「そうなんだ」

顔見知りが死んだことに、イリヤと銀は僅かに動揺を見せたが、イリヤは即座に気持ちを切り替え杖を向けた。
また桃色の光が集約し砲弾として放たれる。
その寸前に卯月が糸を引き、イリヤの周囲を糸で囲む。だが一瞬でイリヤは、卯月の真後ろへと移動した。
帝具の扱いに慣れたところで、転身し身体能力が上昇したイリヤの敵ではない。
むしろエスデスのようになまじ実力があり、慢心や楽しみが入れ込む隙がない分、弱者に見せかけた帝具の不意打ちは難しいだろう。

「先ずは貴方から」

「ひっ……」

杖から魔法が放たれるより早く、花陽はヘルメットを取り出しイリヤへと振るった。
最悪の犯罪者、槙島すら屠る強度、固さを誇るサイマティックスキャン妨害ヘメットだが、それはあくまで彼の完全な不意を突いてこそ為しえた事だ。
加え、槙島を打倒した常守朱もまた曲がりなりにも犯罪者を取り締まる監視官であり、その身に幾重もの鍛錬を積んでいる。
戦闘における心得、純粋な腕力共に一般人の比ではない。
だが花陽は学生、良くて誇張してもスクールアイドル、多少の運動に長けていたとしても、実質は無力な一般人に過ぎない。

「――え」

『い、イリヤさん、何てこと――』

「か、かよちん……嘘……」

ザンという、鈍く鋭い音が耳を付く。魔力を斬撃に変化させたものだ。
振りかぶったヘルメットはイリヤに回避され、そのまま花陽の“右腕”ごと吹き飛んでいった。
花陽の肩より下からは鮮血が飛び散り、花陽と近くに居た卯月の顔を赤く汚す。

「あっ、あ、ぁ……」

絹を裂くような悲鳴と共に、花陽は肉体と精神的なダメージの二重苦に堪らず膝を折る。
その残酷な場面に卯月も未央も、ルビーですら呆気に取られてしまう。
イリヤはそんな事に構いもせず、再び杖を振りかざす。今度は腕などではなく、その命を摘み取る為に。

「……!? なっ」

イリヤの即頭部を強い衝撃が襲った。
遠心力を受けたヘルメットが、そのままイリヤの頬にも減り込み、彼女の小柄な身体は堪らず吹き飛んでいく。
確かに、花陽の反撃は失敗に終わった。だがいくらイリヤでも、姿の見えない死角を突かれれば一溜まりもない。

「花陽ちゃん!!」

「ほ、のか……ちゃ、ん」

花陽と同じ制服を纏った、茶髪の少女が駆け寄ってくる。
その姿に安堵を覚えた花陽は意識を手放し上体が傾く、それを穂乃果は両手で支えた。

「そんな、花陽ちゃん……こんな……」

片腕を失くした友人の姿に、穂乃果は狼狽し取り乱す。
ここまで血は嫌と言う程見てきたが、その対象が親しい身内となれば話は別だ。

「は、早く! 腕を拾ってバックの中に、まだ間に合うと思います!!
 それに、あの娘また……!!」

最も早く、冷静さを取り戻したのは卯月であった。
良くも悪くもこの場で一番残酷な光景を目に、尚且つ作り出した為にそれらへの耐性が多少なりとも上がったことに加え、彼女は腕の再生にあてがある。
彼女はセリュー存命時、イェーガーズ本部でマスタングは自身の右腕を練成し、再生したのを目撃していた。
更に言えばディバックの特異な空間は、氷の融解や生物の腐敗を防ぐ作りになっているのも聞いている。
即座に腕を保存し、傷口を止血して錬金術師、マスタングが最後に記したあのエドワードと合流すれば、あの右腕は再び花陽の一部に戻れるかもしれない。
それらの希望的観測が卯月に思考を緩ませず、迅速な指示を与えさせた。

「花陽ちゃん、ごめん!」

穂乃果は、腕を咄嗟にバックに放り込む。そして激痛に顔を歪ませている花陽の左肩に手を回してから、半ば引き摺るような形で駆け出す。
その時、僅かにイリヤへ視線を向ける。
あの一撃が効いたのか、まだふらついていた。逃げるなら、今が絶好にして最後の好機だ。
未央も我に帰り、銀の腕を引き一気に駆け出す。
逃げていく穂乃果達に、イリヤは杖を振るって光弾を放つが狙いが定まらない。

「ルビー……何で、後ろのこと……教えてくれなかったの?」

『ち、違います。私もうっかりしてて、それで』

「……役立たず」

頭から流れる血を拭い、イリヤは舌打ちをした。
あの場で、また誰も殺せなかった苛立ちが増していく。そして、何より言い様のない不快感が、イリヤの中を占めて行くのだ
腕を、人体を切り落とした感触が手に残り、吐き気がする。以前のイリヤなら、吐いていたかもしれない。

「行かないと」

だがそんな不快感も、無視できるようになってきた。
内心に秘められた様々な思いを振り切るように、イリヤは遠くへ逃げた穂乃果達の追跡を始めた。






しばらく走り、穂乃果は地図にはない民家を見つけた。
学院ではイリヤに見つかりやすい。エンブリヲと合流できれば良いのだが、そのエンブリヲも所在が不明なのだ。
下手に学院に戻るよりは、ここに留まる方が良いだろう。
穂乃果は花陽の怪我も考慮し、この民家で一先ずイリヤをやり過ごす事を決意した。

「花陽ちゃん、しっかりして!」

「もう少し、圧迫して」

「わ、分かった」

制服のブレザーを包帯かわりに巻きつけ、花陽の腕に巻きつける。
紺色が真紅に染まっていく様は、怪我人の花陽のみならず見ている者達の不安も煽っていくようだった。
更に銀の指示で、穂乃果は傷口を抑えていく。

「あと氷水、腕の保存に使える」
「私、探してくる!」
「タオルや袋も、居るんですよね?」

幸いにして、ここは本当に一般的な民家だ。
腕の保存に必要なものは探せばすぐに揃う。
何より、ドールとはいえ元エージェントであり黒のサポートもしていた銀は、応急手当の心得を多少は齧っていたのも幸運だった。
こうして迅速な処置により、花陽の容態は一先ず落ち着き生命の危機は辛うじて去った。

「ありが、とう……ごめんね、みんな……」

未央が氷水を見つけ、卯月がタオルや袋を調達する。
腕をタオルで包み、袋に入れ更に水を入れた袋に押し込む。
そのまま、ディバックの中に仕舞い込んだ。

「っ、あぁ……」
「かよちん!」
「花陽ちゃん!」

だが決して、痛みが消え去った訳ではない。
改めて腕をなくした衝撃と、痛覚を刺激された物理的な苦痛は花陽を容赦なく甚振っていく。
こればかりはどうしようもない。鎮痛剤もなければ、それを扱える医療関係者もいないのだから。
いっそのこと、気絶していればここまでの苦しみはなかったのだろうが、花陽の意識は嫌と言うほどクリアで鮮明だ。

「高坂さん、話さなきゃいけないこと、あるの……」
「え?」
「未央ちゃん……」

苦々しく未央は口を開く。

「ごめんね、こんな時に話さない方が良いかもしれない……だけど、私は高坂さんに全部真実を伝えなきゃいけないと思う。だから……」
「……」
「穂乃果ちゃん、私も学院で別れた後の事を……話さなきゃ」

未央の話そうとしていることには、恐らく卯月の事も含まれているのだろう。
そう避けては、通れないことだ。むしろ、それを未央の口から伝えてくれるだけ、情けを掛けてくれているのかもしれない。
未央は一度卯月の顔を見てから、ゆっくりと頷いた。
穂乃果もその苦しそうな声に堪らず、耳を塞ぎたくなるが、こうまでして伝えたい以上は最後まで聞き取らねばならない義務があるのだと覚悟を決める。
花陽は穂乃果と離れてから巻き込まれたエスデス、エンヴィーが巻き起こした乱戦を、未央は目の前にいる少女が真姫を殺めた卯月である事を全てを伝えた。

「そんな……」

ほんのつい数時間前まで、会話をしていたヒルダが死んだ。
アンジュに続き、彼女まで死なせてしまった。
そして、真姫の仇である卯月までもが目の前に居た。
穂乃果は頭の中が真っ暗になるような錯覚を覚える。

「何で、殺したの」

「それは……私、あの、その」

自分の犯した罪を償わねばならない。そう考えて、卯月は事の経緯を話そうとして言葉に詰まった。
どう話せば良い? まず高坂勢力の事から話さねばならないが、どう見ても目の前の穂乃果は悪の首領には見えない。
むしろ、悪の被害者。友を想う、ごく普通の少女ではないか。
高坂勢力なんて、ただの肥大妄想に過ぎない。挙句の果てに、それが理由だなんて言えない。
怖い、絶対にこんな事、口が裂けても言えるはずがない。

「あの……」

気付いたら、一歩後退りしていた。
怖い、怖い、怖い。逃げたい、逃げたい、逃げたい。
助けて、助けて、助けて、セリューさ――

「逃げちゃ駄目だよ。しまむー」

そっと、温かい手が卯月の背を押し支えてくれた。

「一緒に私も居るから」

そして温かく手を握り締めてくれる。

「未央ちゃん……」

こんな罪に汚れた自分でもずっと一緒に居てくれる。
だから、勇気を出せた。例え、ここで殺されたとしても怖くない。

「全て、話します」

全て受け入れる勇気を以って、卯月は言葉を紡ぐ。

「――ふざけないで」

そして、卯月の勇気の告白に対する返答は怒りだった。
セリューのふざけた陰謀論に、彼女に対する穂乃果の心象は最早覆らないレベルで、どん底にまで落ちている。
尚且つ、そんなものを信じ込み勝手な理由で、それこそ下手をすれば海未を殺したサリア以下の理由で、真姫に手を掛けた卯月を許せるわけがない。
押さえ込む理性すら沸かず、穂乃果は拳を卯月へと振り抜いた。
女性とは思えぬ腕力で、卯月の頬がミシリと音を立てる。唾と口内に出来た切り傷の血液を撒き散らしながら、卯月がそのまま床へと倒れこむ。

「まっ――」

未央は穂乃果を止めようとする自分を無理やり律する。
これは、当然の報いなのだ。殴られるぐらいされて当然だと。

「貴女みたいな人のせいで!!」

そのままマウントポジションを取り、穂乃果は卯月の胸倉を掴み上げ怒鳴り散らすと床へ叩きつける。
頭こそ打たないが、背に走る衝撃が穂乃果の怒りを物語っていた。
きっと、殺される。だけどしょうがない。
それで気が済むのなら、構わない。

「返して……返してよ! 返して真姫ちゃんを!!」

頬を何度も何度も平手で打ち続ける。
卯月の顔は赤く染まり、腫れ上がっていく。

(多分、もっと痛かったんですよね)

糸で切り裂いた真姫の表情は、忘れられなかった。
驚愕と苦悶と絶望に染まった顔は、絶対に自分じゃ味わいたくない。
――けれど、私はそれを他人にしてしまったんだ。

「セリューも、貴女も、自己満足で身勝手の殺人者の癖に……!
 貴女は、貴女達は正義の味方でも何でもない!」

「それは違う、セリューさんは私達を守ろうとしてくれたから、だから」

そこで未央は口を挟んでしまった。
例え、間違っていたとしても彼女の信念は本物だったと思うから。
自分達を守り、散っていったセリューに対して、その言葉だけは未央は聞き流せない。
だが穂乃果は未央を見もせず、更に怒りを込めた声で叫ぶ。

「……何が正義なの? 
 そうだよね、ことりちゃんは殺し合いに乗った。だから、悪だったんだよね。
 でも真姫ちゃんは何をやったの? 教えてよ、何がいけなかったの。
 そっか、貴女達の気に入らない事をすれば悪、気に入る事をすれば正義なんだ」

「ち、違――」

「じゃあ、私も同じ事するね。
 これも正義だよね」

穂乃果はそう言い、ヘルメットを振り上げる。
例え女性の力でも、この至近距離で顔面を何度も殴打し叩きつければ、死かそれと同等の痛みを与えられるだろう。
未央も流石にマスティマを広げるが、やはり躊躇う。
もしも、ここで穂乃果と決別すればきっと卯月は一生罪を償えない。だが放っておけば、卯月は死ぬ。

「やめて、お願い……お願い!! 殺さないで!!」

卯月を救い、罪を償わせる。その両方を選んだ結果、未央が取ったのは懇願。
涙が溢れ、鼻水と混じったぐちゃぐちゃな汚らしい顔で未央は穂乃果に向かい、卯月の命を懇願した。
恥も何もかも捨て、頭を下げて土下座までする。
それでも構わない。こんな奴は殺さなきゃいけない。
正義の味方面をして、好き勝手し続けた奴を許せるわけがない。

――撃てないのなら止めておきなさい。
――あなたには、人の命は背負えないのよ


アンジュの声が頭の中で反響した。

(アンジュ、さん……)

あの時はアンジュに止めてもらった。
けれど今は、止めてくれる者は誰も居ない。
居るのは、死刑の執行を待つ愚かな罪人と、それを止めて欲しいと請うしかないと哀れな罪人の友だけだ。

(アンジュさんが言ってた。
 恨んでるけど、それを覗くと殺す理由が見つからなかったって)

少なくとも今の卯月は殺し合いに乗ってはいない。
むしろ、花陽の為に動いてくれすらいた。それでも、やはり許せない。
彼女が抱いていた正義が、未だそれを何処か肯定しつつあり、狂気の根源にあったセリュー=ユビキタスが。

――あの女が許せない。

ヘルメットが床を叩き、転がっていく。
足元に転がったヘルメットを銀が担ぎ上げ、腕の中で抱いた。

「良いの?」

振り上げたヘルメットを穂乃果は手放した。
最後に全力でその頬を引っ叩き、それだけで穂乃果は卯月から離れる。
未央の顔は途端に喜びに染まり、卯月の胸へと飛び込んでいく。卯月も唖然としながら、強く未央を抱きしめた。

「あ、ありがとう、穂乃果ちゃん……!」
「――やめて」

それだけ言い、穂乃果は黙って花陽の横に座り込んだ。
いっそ、殺し合いに乗っていたら殺せたのだろうか。それとも、やはりサリアの時のように――

「……これで、良いんだよね」

銀のティバックから、飛び出したカマクラがヘルメットを玩具にするのを見て、穂乃果は自分にそう言い聞かせた。

「ニャー」

このわざとらしい猫声をあげて、カマクラがヘルメットを転がながら穂乃果に寄って来る。
穂乃果が手を伸ばすと目を細め、頭を伸ばすカマクラ。顎を撫でてやると、気持ち良さそうに喉を鳴らしてきた。

「猫、好きなの?」

銀もカマクラに手を伸ばし尻尾の付け根辺りを撫でる。
実はここは猫の性感帯で、最も気持ちよくなる場所だ。カマクラは更に目を細め、恥ずかしそうに首を振る。
それでも満更ではないのか、抵抗はしない。

「……どうかな、犬の方が見慣れてるんだけど」

犬の話をしたせいか、カマクラが唐突に不機嫌そうな素振りを見せると、そのまま穂乃果から離れて銀の膝の上に乗ってしまった。

「あーあ、嫌われちゃったかな」





電撃を練り上げ、眼前の敵へと叩きこむ。
もう幾度となく繰り返し、そして見飽きた光景だ。
タイミング、その射程規模、まさしく必殺の電撃だったと御坂は思う。
だが、目の前の男はそれをまるでものともせず、正面から突っ込んできたのだ。
電撃の中を突破した黒は、手にした友切包丁を振るう。砂鉄を操り盾として受け止めたが、逆に欠けたのは砂鉄の方だった。

(間違いない、コイツ電撃が効かない……!)

御坂の経験上考えられる要因は三つ、その内二つは反射されているか、打ち消されるかのどちらかだ。
しかし、電撃そのものに異常はない。つまり電撃自体が黒には通用しないのだろう。

「同じタイプの、能力ってことか」

電撃を地面に放ち、その反動を用いて御坂は後方へと飛翔する。
御坂も、暗部で殺し合いを経験したフレンダと肉弾戦で渡り合う猛者だが、それでも本職の暗殺者である黒の方が遥かに格上だ。
このまま、近接戦闘で御坂が勝ち得る要素はない。
加えて、あの包丁もどきも厄介といえる。砂鉄と斬り合いながらも、寧ろ消耗してるのは砂鉄の方という有様。
あれで包丁の体をしていなかったら、誰もが認めた稀代の名刀であったことは間違いない。

(御坂美琴、最強の電撃使いか)

黒子からその詳細は聞かされたが、改めて対峙するとその強大さが嫌でも分かる。
御坂の飛ばす砂鉄を防ぎながら、また黒も攻めあぐねていた。
電撃の感電は同タイプな以上は無力だ。これは以前交戦した、ニックとの戦闘でよく理解している。
故に接近戦で物理的に仕留めるしかないが、御坂の砂鉄の刃を包丁一本を頼りに突破するのは自殺行為だ。
砂鉄を友切包丁で弾きながら、黒もまた一気に後退する。

仕切り直し。
互いに体制を整え、戦力を図り合い、戦術を練り直す。

真っ先に動いたのは黒。
この辺が市街地である事を利用して、周囲の建物へと回り込む。
砂鉄による追撃は全てコンクリートを抉り、灰色の粉塵を撒き散らすだけで、黒本人には掠りもしない。
遮蔽物を利用し、距離感を曖昧にさせ、御坂の狙いを疎かにさせるのが黒の狙いだ。

「――なんて、すばしっこいのよ!」

今までの戦ったDIO、ブラッドレイ、エスデス、後藤などの大物達は全て真っ向から御坂に挑んできた。
それは彼らがより優れ、まさしく最強の力を有した強者であるからだ。
だが、黒はいま彼ら強者とはまた真逆の戦法を用いた。それは傍から見れば、あまりにも小細工に徹したつまらぬ戦法だろう。
そして御坂もどちらかと言えば、ブラッドレイのような大物達の戦いを望む方だ。
気性が逆の黒の戦いに苛立ちが溜まっていき、集中力が疎かになるのは時間は掛からない。

「そこっ、取った!!」

十を超える攻撃の末、黒の影を完全に捉え砂鉄の刃が人影を抉った。
黒の上体はぐらりと揺れ、そして一気に前屈みになり疾走する。
ほんの僅か数ミリ先、紙一重で砂鉄を避けたまま黒は友切包丁を手に、御坂の心臓へと一直線にその刃を奔らせる。
これ以上ない、完璧な一撃、御坂が避けれる道理はない。


「……何!?」

否、御坂の身体を紫電が巡り、御坂は黒の翳した友包丁を見事に避けた。
脳に直接電気を流し、その反射速度は極大にまで高めたのだ。
一瞬で、人間を超えた動体視力を経た御坂に、黒の対応が僅かに遅れる。
その隙を見逃さず、御坂は腕を伸ばしきった黒の胴体に砂鉄を滑り込ませ、容赦なく腕を引く。
自らの胴体が、バターのように切り裂かれる前に素早くワイヤーを撓らせ、御坂の腕に巻きつける。
腕の動きと連動していた砂鉄が逸れ、コートの端を僅かに刻んでいく。
肉に食い込み、血を滲ませるワイヤーを砂鉄で切りながら御坂は後ろへ下がり、忌々しく黒を睨み付けた。

黒も御坂も互いに思う。
もしも、電撃が通じてさえいれば今の攻防で、既に決着は付いていた筈だと。

(不味いな)

時間がない。
黒の焦りが募る。
このまま仮に御坂を倒したとしても、イリヤに銀を殺されれば意味がない。
やはり、あの時に花陽を見捨てるべきだったか。契約者ならば、迷わずそうしていただろう。

「やっぱり、急いでるのね」
「……」
「釣れないわね。少しくらい、話してもいいじゃない」
「御坂美琴、お前に構っている暇はない。消えろ」
「何で私の名前を……黒子にでも会ったの?
 それと、私に喧嘩売ってきたのは、アンタなんだけどね。
 だからって訳でもないけど、見逃すわけにはいかないわ」
「なら、死ね」

幾人もの契約者を屠った神速の腕捌き。
反射神経を高めた御坂でも、見逃しかねない程の速度で飛来物が投擲される。
飛来物を砂鉄の剣で切り伏せる、同時に黒が一気に加速し肉薄した。
御坂の首に向けて薙ぎ払われる友切包丁、上体を逸らし避ける。僅かに切っ先が首の皮一枚を掠り、痛覚が刺激された。
だが、そこまでだ。突っ込んできた黒は、その体制を大幅に前のめりへと傾けている。
勝負を焦り過ぎたあまり、一か八かの賭けに出た結果は惨敗。
手元に集結させた砂鉄が剣を為し、御坂は黒の頭上へと容赦なく振り下ろす。
今度こそ完全な詰み、黒の身体能力に技巧を考慮してもこれは回避不能な一撃だ。

「アンタ、焦りすぎよ!」

黒の投げた投擲物が、音を立てて地面を打ち付ける。
真っ二つに切られた容器からは、液体が絶え間なく零れ落ち地面を湿らせていった。
それらの光景が、コマ送りのように黒の目に写る。これが俗に言う、走馬灯という奴なのだろう。

「なっ……!!?」

濡れた地面から湧き上がる、砂鉄の槍。
御坂の操作したものではない別種のそれが、勝利を確信し剣を振り上げた御坂の胸元へと直撃した。

「がっ、は、」

黒が投げたのはローション、液体だ。
御坂とは違い黒の能力は規模があまりにも矮小で、空気中に電撃を流すことも出来ない下位互換にある。
しかし、その反面同じ能力であることに違いはない。ならば、御坂と同じ使い方も規模が下がるだけで可能である筈だ。
故に黒はローションを通し、地面に電撃を間接的に砂鉄に干渉させ槍を形成した。

「……ハァ……ハァ……」

もっとも砂鉄の操作は電撃から発生する、副産物の磁力によるものである。
慣れない能力の応用は、異常なまでの集中力が要求された。今回は何とか成功したが、これから先の実戦でも決して使える様なものではない。

「――ったく、やるじゃない。今のは死ぬかと思った」

「……チッ」

槍に突き上げられた御坂は、重力に従い落下していく。
だが、そのフォームは生気を失くした屍のものではない。生きた人間の華麗な着地だった。

「いい線は行ってたわね。同じ電撃使いとして、感心したわよ。
 私の砂鉄を、見よう見真似で使うなんてさ。アンタ頑張れば、もっとレベルが上がるんじゃないかな」

御坂は砂鉄の槍が迫る寸前、黒の磁力以上の磁力でその操作権を強引に奪い去ったのだ。

「……ジャック・サイモン、そいつもアンタみたいな変な光を出してから氷を操ってたわね。
 あれを見てなかったら、もしかしたらアンタの奇襲に対策が遅れたかも」
「お前が、ノーベンバー11を殺したのか」
「ノーベンバー……そういう名前だったんだ。
 ……もしそうだったら、アンタは怒るわけ?」
「いや」
「そう……。てっきり、仲間かと思ったけど」

後藤との戦いで、杏子やジョセフと共に共闘した白スーツの男。
飄々として掴みどころがなかったが、今思うとあまり嫌いな人物ではなかったかもしれない。

(って、感傷に浸る場合じゃないか)

黒の電撃の規模は大体は知れた。
能力だけならば、こちらが確実に勝てる。
あとは着実に相手を攻め、消耗させ詰ませていくだけだ。

「ほう、君が御坂美琴か」

再度、仕切りなおし。
また両者が距離を取り、体制を整えなおした時、新たな第三者が来訪した。




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最終更新:2016年05月01日 17:25