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「世界の終わりの壁際で(前編) ◆BEQBTq4Ltk


 タスクが振り下ろした刃は空を斬る。対象だったエンブリヲは数歩後退し銃口をタスクへ向けていた。
 当然のように響く銃声を背中へ流しタスクは神の懐へ飛び込んでいた。銃弾など見えておらず、回避は先読みの結果。
 正攻法で攻めれば分が悪く、単純な身体能力では推し量れない。エンブリヲは謂わば『何が飛び出すか分からないびっくり箱』のようなものだ。
 調律者と名乗る彼はその名に恥じぬ能力を持っている。文字通り世界の一つや二つの想像をやってのけるだろう。

「やはり何かの間違いだ」

 迫る刃を振るうタスクの腕を左腕で掴むと調律者は顔を歪ませる。
 どれだけ力を込めようが調律者は動じない。タスクの腕が震えるだけである。
 エンブリヲの脅威は瞬間移動だけではない。純粋な戦闘能力も一線を画するといえよう。
 理解していた。相手が憎かろうと、仲間の、両親の仇だろうと溢れ出る激情により意識を流されることを拒んでいるつもりだった。

「……間違い?」

 相手は神だ。
 隙を見せればその瞬間に人間の生命は簡単に消される。

「私が貴様に殺されるなど何かの間違いだ。数多の平行世界だろうと、微塵の可能性であれどあってはならないことだ……!」

 タスクの腕から骨の軋む音が響く。
 折れる手前までの力を注ぎ込み、調律者は抑え切れぬ怒りを表す。

「ぐっ、みっともないなエンブリヲ。同じ自分の失敗が認められないのか?」

「この状況でよく吠える。それに失敗と言ったな? 正にそのとおりだ。貴様が殺した私は失敗作に過ぎぬ」

「そうか――俺には失敗作と成功作の見分けが付かないけどなッ!」

 己の懐に忍ばせた刃を空いた左腕で振るい、調律者に斬り掛かるも見抜かれていたように回避。しかし、これによりタスクは動きを取り戻す。
 過去にマスタングから貰い受けた刃によって窮地を脱出すると、エンブリヲと数十メートルの距離を取る。
 だが直ぐに失敗と気付く。相手の獲物は銃である。その事実を忘れた訳ではないが咄嗟の動きと近接に於いて優位を取られた現実が判断を誤らせた。

「貴様如きに値踏みされる覚えは無い」

 そして失敗を庇うように神が目の前に立っていた。それも額に銃口を押し付けた状態で。
 一瞬にして流れる汗が冷え込み、それに伴いタスクの体温が急激に下がる。激しい鼓動だけが浮いているようだ。
 焦る頭の中で彼が思い描くは引金よりも速く斬り捨てることである。神であれど他者の思いは読み取れない筈だ。
 可能であればそれこそ殺し合いは破綻し、とっくに終了を迎えている。状況を打開する手順は理解した。後は実行するだけ。

 銃は一切の震えを見せず、額へ向けられている。
 肩で呼吸をしておらず、自分とは対象的にエンブリヲは余裕の表情を浮かべている。
 王手、チェックメイト。勝利目前の状況の中で神は以外にも笑っていなかった。本来の彼からすれば有り得ないことである。
 タスクの思い浮かべるエンブリヲならば、神に似合わぬ幼稚な言葉で罵倒を浴びさせ、下品な笑い声を響かせている筈。
 しかし、目の前の男は絶対的な優勢の中で静かに口を開いた。

「貴様以外の参加者はどこにいる」

「…………?」

 思いもよらぬ言葉にタスクは固まってしまう。既に動きを見せていないが、思考までもが停止する。
 他人の生命を握り、ヒステリカを顕現させ、どういった訳かアンジュすら蘇らせようとしている男がこの期に及んで何を気にしているのか。

「貴様だけでこの私を倒せるとでも? クク、巫山戯ているな。錬金術師に魔法少女、契約者はどうした?
 それに超能力者にペルソナ使い……そしてヒースクリフ。あいつらは何をしている? 最もどれだけ徒党を組んでも私が負けるなど有り得ないがね」

「お前に教える道理は無い! ただ」

 真意は不明だがエンブリヲの興味は他の参加者にあるようだ。ならばなんとか注意を逸らすように誘導しこの場を乗り切るきっかけを掴むまで。

「なんで気になる? まさか恐怖しているのか?」

 選択は煽り。
 先の攻防にてエンブリヲが苛立ちを抑え切れぬことは明らかだ。ならば燃え盛る炎の中に旋風を巻き起こせばいい。
 活路を見出すべくタスクは回らぬ思考へ無理矢理にガソリンを注ぎ込む。くだらぬ迷いは無視をしてアクセルを踏み抜け。

「エドの錬金術はお前の力よりも魅力的だ。杏子の魔法だってお前を上回っている。黒が相手じゃ正面から負けるだろう。
 美琴の電撃を受ければお前は死ぬ。足立も同じだ。そしてヒースクリフはお前よりも立派な大人で、自称神の頭脳を超えている」

「……」

「図星か? 仲間がどこに潜んでいるのか分からないから怯えているのか? 調律者と豪語していた男とは思えないほど臆病な男だな、お前は!」

「……」

 語らぬ調律者の瞳を覗けば、そこには一切の乱れを感じさせない座った瞳だった。全く介しておらず、興味の欠片も抱いていないと察せられる。
 エンブリヲの性格や彼を彼と証明するような精神を考えれば、挑発に乗らない姿はタスクにとって想定外である。
 元々、忘れてはならぬが銃口を額へ突き付けられた身。少しでも調律者の気に触れれば、乾いた銃声が重い生命を奪うことになる。
 さぁ、どうしたものかと貯まる唾を飲み込む。依然としてエンブリヲに生命を握られており、会話を長引かせようにも相手が乗り気ではないようだ。
 黙って弾丸の到来を待つほど諦めもよくなく、時間が許す限りの可能性を掴み取るように思考を張り巡らせる。


「元の世界へ帰還するようとしよう。何故、貴様は私の元へ来た」


 カチャリと耳に届く音は銃口を額へ更に押し当てた証拠。流れる汗が冷える中、対象にも鼓動が加速し体温が上昇する。

「……それは決まっている。俺がお前を」

「倒しに来た――だろう。全くつまらぬ返ししか出来ぬ類人猿であるが、偽りでは無いだろう。
 大方、貴様一人が独断行動――考えるまでもない。黙って地獄門を通れば、無駄な血を流さずに帰れただろうに」

 見抜かれている。エンブリヲの語る言葉に綻びは見当たらない。まるで創設者であるような――神であるように、全てを見通しているかのような。
 心の動揺が表面に現れタスクの瞳が揺らぐ。その瞬間を見逃さない調律者は必要もない答え合わせに更なる確信を感じた。

「だが、帰還したところでこの私がいる。力さえ取り戻せばヒースクリフを皮切りに貴様等を消す。故に貴様が私の元へ現れたことは間違いではない。
 くだらぬハッピーエンドを望むならば、まずは私を止める必要がある。脅威性で考えればあの道化師とは比べ物にならないほどにな。しかし、貴様一人で止められる訳がない」

 気付けば銃口が大地へ向けられていた。
 調律者は語るのだ。これから演じられるであろう、スタッフロールの後に待ち構える最後の真実を。

「徒党を組んでも不可能だ。ならば、錬金術師達はどこにいる……私以外にも手を打たなければならない存在がいる。
 道化師には――あの少女を充てがえた。いや、自らその役を買って出たのかもしれない。興味は無いがな。そして――御坂美琴

 一瞬の空白が彼らを包む。


「私は多くのデータに触れた。ヒースクリフの肉体を再構築した時に気付いた。そしてイリヤの身体が更に私の予想を確信へ至らせたのだ。

 御坂美琴の目的は聖杯による心願成就。勝手にしていろと言いたいところだが、動力源は恐らく繋がれた世界に混在する生命。御坂美琴を放置すれば、私にも危険が及ぶ」


 この男はヒースクリフから聞いていたのだろうか。語る一つ一つの説が茅場晶彦の口から語られた事象と同義である。
 しかし、あの場にエンブリヲはいなかった。事実を知る筈がない。あるとすれば自力で辿り着いた他に無いだろう。

「錬金術師に契約者――黒が止めに行ったのだろう。それが最善の策だ。だが、肝心なことを見落としている。なんと愚かな存在だ」

 タスクを見下す調律者は両腕を広げ、天を仰ぐ。
 この物語を管理する神の残滓は消えた。この場に神が存在するとすれば、それは目の前で笑う趣味の悪い男だけ。



「私を止めなければ貴様等人類に明日など――ククク、存在する筈がないだろう」



 この世に神が存在すると仮定しよう。目の前で嗤う男に後光などあるものか。
 彼を取り巻くは靄だ。存在の在り方そのものが歪んでおり、息をするだけで自然が腐り、歩くだけで世界が変動する。
 慢心などと安っぽい表現で収まるものか。彼は完全に己以外の存在を下等生物と見下している。

 その油断が隙となる。既に銃口は外れている。ならばタスクが躊躇う必要もない。瞬速の如き一閃が調律者を斬り裂く筈だった。
 空を斬る音だけが虚しく響く。その後に聞こえるは大地を擦る音が背後から。まさかと思い振り向くタスクであるが、正解だったようだ。


「全てを終わらせる手伝いをしてやる。今回限りだが……貴様等にも悪くない話だ」


 最早、当たり前のように感じてしまい驚愕の声も上げられなくなった瞬間移動。
 言葉の終わりと同時に指を弾くエンブリヲは悪趣味な笑みを浮かべていた。その真意をタスクが気付くのは数秒後となる。

「手伝い……? 何を言っているんだ、お前の手を借りるなんてあり得ない」

「貴様等の道を阻む障害を私が取り除いてやる。この機を逃せば――生還どころか、存在自体がアカシックレコードから消滅することになるぞ」

「ハッ! なんてスカスカな言葉だ! お得意の意味不明な語りか? お前の言葉に信用性なんてありゃしない!」

 刃を再び強く握り締めたタスクは数回、踵を整える。
 正攻法を繰り返すだけでは調律者に一太刀すら浴びさせることは不可能だろう。しかし、それは相手が完全無欠の神である場合に過ぎない。
 ヒースクリフの用意した箱庭の中であれば、神であれど一介の参加者と肩を並べる存在だ。
 力を取り戻しつつあったとしても本質にまで影響は及ばない。下克上――諦めぬ者に奇跡は訪れる。

「信用性? 貴様は初めから私の言葉に耳を傾けていないだけだ……愚かな、貴様もそう思うだろう?」

 やってみなければ分からない。調律者の問いかけを斬り捨てたタスクは大地を蹴り上げた。
 捲り上がる流砂が舞う中、彼は重力へ抗うように身体を止めてしまう。聞き慣れない言葉が耳に届いたのだ。


「何を言うと思えば……それは彼よりもお前の問題だろう?
 日頃の行いでは収まり切れない所業の数々が、本来は神である存在を悪魔と囃し立てる……ありがちじゃないか?」


 聞き慣れないと云えば嘘になる。その声は数十分前に聞いた。声の持ち主を知っている、関わりがある、肩を並べたこともある。
 だが、あり得ない。彼が何故、この場に駆け付けたのか。既に道を別れた男が加勢とは考えられず、タスクの額には更に汗が滲む。
 ゲームマスターと云えど瞬間移動の能力を行使するとは思えない。可能ならば殺し合いの中で何度も使用している筈だ。少なくとも、己の生命を落とす前に。
 ならば、この男の声が背後から響いたのは何故なのか。困惑する思考を強引に巻き戻す。常人では気付かないような微小なる粗を探すように、映像を脳内に走らせる。

「まさか……指を弾いた時に――ッ!?」

 小馬鹿な笑い声が調律者の口から溢れ出る。まるで正解だと云わんばかりに、弱者を見下すように。
 そして確認するように背後へ振り返れば、声の持ち主であるヒースクリフが立っていた。間違いない、エンブリヲがこの場に召喚したのだ。

「悪魔とは陳腐な言葉であるが、まあいい。その悪魔にすら及ばぬ貴様に最早、ゲーム創設者としての役目もあるまい?
 ホムンクルスが打倒された今、参加者が争う理由は存在しない筈だが――それを止めぬ辺り、所詮は貴様もたった一人の参加者か」

「……今更なにを言い出すかと思えばそんなことか」

「ほう?」

「私の身体を再構築した段階で既に気付いている筈だ。そうでなければ私が依頼することすら有り得ない話だ。
 このゲームは止められない。逃げ出すことは可能だが……どうやら、彼女が許してくれないらしい。本人の口から聞いたらどうだ?」

「………………え!?」

 ヒースクリフの言葉に促され、彼の背後へ視線を動かせば御坂美琴が立っていた。
 驚きの声を上げるタスクだが、それは御坂美琴も同じようであり、彼女は戸惑っているのか周囲を見渡していた。
 しかし、数秒で状況を飲み込んだのか、エンブリヲの背後に存在するヒステリカを見つめながら溜息を零す。

「本当に余計なことしかしない男ね」

 歩を進める彼女の表情は苛ついている。垂れる血液がより一層、空気を張り詰めさせるかの如く。見ようによっては血涙に見えないこともない。
 御坂美琴からすれば、数人さえ始末することが出来たのなら、その時点で彼女はゲームの勝者となれた。
 足立透が、エンブリヲが生存者を一人も相手にしないとは考えられず、ホムンクルスが去った今、愚かな殲滅戦が開始される筈だった。

「元の私には影響など微塵も無いが忌々しいこの箱庭は厄介でね。奇跡を満たす――聖なる杯に注がれるつもりは無い」

「……何を言ってるか分からないけど、私の敵だってことは理解した」

 アンバーの語った聖なる杯を奇跡で満たす事。茅場晶彦が作り上げ、ホムンクルスが奪った箱庭。
 願いを叶えるための回路が線と仮定すれば、動力となる点は参加者の生命。そして、線は箱庭に留まらず、世界へ繋がっている。
 御坂美琴が願いを叶えれば、その瞬間に代償として奇跡――生存者の魂が消化されるだろう。そして、足りなければ繋がった世界から代用される。

 誰が願いを叶えても同じである。聖杯が起動すれば、生命は散る。
 地獄門を潜り帰還したところで、呪縛からは逃れられない。あるとすれば、誰も願いを叶えないこと。
 最もエンブリヲが生存すれば、やがて彼は力を取り戻し、復讐も兼ねて此度に繋がった世界を周り、生還者を殺害するだろう。
 調律者に仇をなした無礼者、生かされる筈がない。

「どうなってやがる……どうして全員が此処に集まっているんだよ!?」

 無の空間に座標が固定され、粒子が人間の輪郭を型取り、形成されるは見慣れた顔ぶれだった。
 エドワード・エルリックが開口一番に驚き、雪ノ下雪乃は不可解な現象に戸惑い、数秒の後に全てを察した黒は刃を構える。
 仮面の奥に隠された瞳はただ一人、エンブリヲに向けられていた。

「御坂にヒースクリフも……何が起きたんだよ」

「役者が揃いつつあるな。だが、まだ足りん。一斉に集まらないところを見るとその力も不完全なようだな」

 証拠がない。理論はない。理解も追い付かない。
 ホムンクルスを打倒し、彼らは散り散りになった。
 しかし、こうしてとある二名を除き顔を見合わせる状況となっている。何故だ、まるで空間を転移したかのように一堂に会したのか。

 誰もが疑問に思い、誰もが理解を拒んだ。
 殺し合いをゲームと仮定するならば、ゲームマスターは退場した。
 この箱庭に干渉する者はいない。鑑賞する者もいない。正真正銘、生存者のみでの争いになる。
 故にこの現象へ導いたのも、生存者となる。ヒースクリフの言葉がそれを裏付けるのだ、力が不完全だと。

 背後に聳えるヒステリカ、囚われのアンジュ。
 この状況、この瞬間、この刹那。世界の理に縛られない能力を行使する者など、最初から一人しか存在しないのだ。


「力が不完全なのは認めよう。しかし、それでも貴様等相手には……ククク、クハハハハハハハッ!」


 調律者、エンブリヲ。
 天を仰ぐように嗤う、正真正銘の神。
 盤上の主を失った盤面を支配する、最後の一枚。

「状況を教えろ。情報が無いなら回答はいらん」

 構える黒を包む空気が張り詰める。ヒースクリフに現状の解説を求めるが、期待は無い。
 エンブリヲを殺さなければ全てが終わる。口を動かさないのが証拠だろう。これは真実なのだ。

「信じられない……とは言わないわ。もう何が起きても不思議じゃないとは分かっていたけれど、これは……」

 比企谷八幡の死を以て開幕のベルが響いた。これは現実であって夢ではない。
 雷光が煌めこうが、氷雪が人間を固まらせようが、灼熱が人体を燃やそうが、全てが現実。
 ホムンクルスを倒したとしても安心出来る状況じゃない。御坂美琴を、足立透を、エンブリヲを倒さなければ聖杯に繋がれた魂が消失する。
 だが、改めて実感する。雪ノ下雪乃は目の前で嗤う調律者は人間では無い異形の存在であると。

「……この状況、分からないなんて言わせない。身体が動くなら力を貸しなさいよ」

 ただ一人、踏み込んだのは御坂美琴だった。お前に言われる筋合いは無いと黒もまた踏み出す。
 やるべきことは決まっている。彼らは今、殺害せねばならぬ男がただ一人、目の前にいることは分かっている。
 ホムンクルスを倒すために仮初の同盟を結び、目的を達成した。破棄された契約を以て彼らは最後の戦いへ赴いた筈だった。
 だが、こうして再び肩を並べることになる。調律者は有り得ぬ力を扱い、散り散りになった生存者を一箇所へ密集させた。
 背後に浮かぶ黒い機神、囚われの姫君。そして神本人が語る不完全の力。この場に集った生存者の中で最も危険な存在は誰もが分かり切っている。

 故に、彼らは言葉を交わさずとも肩を並べる。
 全てを見届けると身を引いたヒースクリフ、願いを成就させるためならば最後の一人になろうと構わない御坂美琴。
 それらを受け入れなければ、勝率は零にすら辿り着かない。錬金術師が、契約者が、タスクが前に出る。
 要らぬ言葉は場を余計に混乱させるだけ。今、必要なことはただ一つ――目の前のエンブリヲを倒すのみ。

「力を貸すなんて当たり前だ――こいつらを含めてな」

 錬金術師の言葉と同時に彼らの背後が輝き、空間を斬り裂いて現れたのは龍の魔法少女と心の道化師。
 刃と刃が重なり合い、鋼の旋律を重音を添え響かせる。互いが後退りし、転移したことに気付いたのか周囲を見渡し足を止める。

「な、なんでお前らがここに……あ、ああああああ!? なんだよ、あれ!?」

 足立透の血色が急激に悪化し、彼の瞳はエンブリヲを通り越し背後に聳えるヒステリカを捉えていた。
 生存者が一同に介したことも疑問であるが、それは些細なものだった。こんなにも近くに絶望があれば、些細なものと感じてしまう。
 彼は愚かであるが、頭の回転は悪くない。故にこの状況を自分なりに噛み砕いた時、一つの答えに辿り着く。

 真っ先に処分すべきはエンブリヲだ。

 幸いなことに御坂美琴を含む生存者が横一列に並んでいる。つまり、数時間前と同じように手を組んだ訳だろう。
 ならば、その輪に加わることに理由も動機も必要無い。彼もまた自然に彼らと肩を並べる。
 本来ならば有り得ない話だろう。人殺しが適当な顔で正義の味方に混ざるのだ、正気ではない。しかし、自分よりも狂った御坂美琴がいる。
 この空気、この流れ。エンブリヲ側に寝返る方が不自然だろう。勝率だけを考えた場合、愚かな選択である。だが、奇跡を起こす選択はこちら側だろう。

「なんだいこの急展開は。どう考えてもあんた達と再開するのは全てが終わる時だと思ってたけど」

 インクルシオを解除した佐倉杏子がエドワード・エルリックと御坂美琴の間に割り込み、率直な感想を述べた。
 彼女からすれば足立透との血戦に水を差されたのだ。無論、この状況を放置すれば決着どころか、世界が滅ぶことは理解している。

「さぁ、知らない。分かるのはあいつが私の敵で、あんた達の敵もあいつってことでしょ。一人でロボ持ちに勝てる?」

「はぁ……あいつ、さっきよりも元気になってないかい? ロボもボロボロだった筈なのにいつの間にか少しずつ治ってるし……。
 一応聞くけどさ、エド? エンブリヲはどうせ、あたし達を殺してやるだとかそんなことを言ったんでしょ? それで、誰がお前なんかに――みたいな」

 佐倉杏子はお世辞にも頭が良いとは言えず、寧ろ、悪い部類である。学校に通っていないなどの問題があるのだが、それでもこの状況を彼女なりに理解しようとしている。
 言ってしまえば愛と勇気が勝つストーリーだ。ホムンクルスを倒した時、更なる強敵を倒す直前なのだと。しかし、エドワード・エルリックの言葉は彼女の予想とは大きくかけ離れる。

「あいつはまだ何も言っていない。分かるのは俺達を一箇所に集めたのがエンブリヲってことだけだ」

 彼の言葉により生存者一同の視線は調律者へ注がれる。
 そして神は謳うように、空中に浮かびながら声を発し、裁きを告げる。


「力が完全に戻らない中、わざわざ貴様等を集めたのはそこの女――御坂美琴に余計な真似をさせないためだ。
 ヒースクリフの残した遺産――聖杯を起動されれば、さすがの私も為す術が無いのでな。先手を打たせてもらった訳だ」


 エドワード・エルリック達が別れる前にヒースクリフから語られた聖杯と、願いを叶えるための質量。
 茅場晶彦達が作り上げた箱庭を繋ぐ線と点を辿り、数多の平行世界がたった一つの欲望を叶えるために消滅してしまう。
 その呪縛はエンブリヲをも縛り付け、不完全な神はこの箱庭に身を置く限り、聖杯からは逃れられない。

「へぇ、調律者だっけ? あんだけ偉そうに言っていたのに人間と変わらないんだね。じゃあ、私の願いのために死んでくれるの?」

「こう言ってはなんだが、私の細工した世界がお前を苦しめる事になった。気分は悪くない」

 エンブリヲが危惧した逆らえぬ法則。
 茅場晶彦が式を作り上げ、解を弾き出すは御坂美琴。彼女を放置すれば、神と云えど消滅は免れない。


「そこの猿――タスクを処刑した所で、殺し合いは止まらない。錬金術師、そして契約者。貴様等が御坂美琴を止めなければ不本意だが私も死ぬ。
 貴様等は信用ならん。そこの愚か者と哀れな小娘も含めてな……だからわざわざこうして、私が貴様等を集めた。不安要素は一度に取り除かせてもらおうか」


 タスクの処分は確実に必要以上の時間を費やす。彼と彼を結ぶ因果の鎖は、感情を以てしても解けない。
 彼を殺害した所で、エドワード・エルリック及び黒が御坂美琴を止めなければ、聖杯が起動され、殺し合いは幕を閉じる。
 分の悪い賭けだ。ならば、己の手で処分した方が早い――ヒステリカの修復さえも終了していない中で、神は行動を起こした。

「不安要素を一度に取り除くって……おいおい、さっきあれだけロボの戦闘を見たってのによぉ……冗談かよ」

「冗談じゃないでしょう。そんなのわざわざ口にする必要があるのかしら。臭いし、閉じてもらえる?」

「んだとこのガ……ッチ、後悔させてやるからな」

 神の発した処分の単語が生存者の本能を一斉に覚醒させ、分かり切っていただろう現実を更に強調する。
 数分後に幕が開くは人類史に刻まれぬ神殺しの偉業だ。世界から切り離された壁際で、誰にも看取られぬ最終決戦。


「地獄門を通り帰ってもいいぞ? 最も貴様等がこの場を脱することなど有り得ん話だがな。順番が変わっただけに過ぎぬ。ただ、先に貴様等を殺すことにしただけだ」


 かの言葉を以て全てが確信へ切り替わる。
 黒とタスクが刃を構え、佐倉杏子は再び龍の鎧を纏い、錬金術師は機械鎧の腕に刃を宿す。
 足立透がペルソナを顕現させ、御坂美琴が放った見せかけの雷光が彼らの意識を一斉に覚醒させ、最後の敵を捉える。



「元々、愚かだったのだよ貴様等は。大本の元凶であるホムンクルスを排除すれば全てが終わるとでも思っていたのか? 大した力も持たぬ類人猿が!
 貴様等は能無しなりに黙って規定に従えば、未来はあっただろう。有り得ぬ奇跡を求め、主催者を打倒? その先に何が残っていると言うのか。
 現にヒースクリフが下手を踏んでいなければ、全員揃って死んでいた。そこの錬金術師が志半ばに倒れていれば、生き残ったところで希望などどこにある?
 願いを叶えると言われていたのだから、黙ってその餌に食い付けばよかったのだよ。くだらぬ正義感だのに駆られた結果が――さて、言い残すことはないか? 貴様等の世界を破壊したあとに、広めてやろう」



 言い残す言葉など、誰が言おうか。
 横一列に並んだ世界最後の人間の瞳は、どれも諦めていない。


「本当にくだらない。もうこっちはとっくに引き返せないとこまで来てんのよ。だから殺す、それだけ。分かったならとっととその首を差し出して、殺してあげるから」


 放出する雷光が作り上げる彼女の影が嘲笑う。
 ふざけた事を抜かすなら、そのふざけた幻想を――神をも殺してみせる。


「お前は本当にムカつく奴だよなあ!? その舐め腐ったドヤ顔をぶっ潰して、俺は生き残ってやるからな!!」


 心の仮面から覗く本質が口から溢れ出る。
 一度は終わりを告げた殺し合い、誰がこのまま死ぬものか。最後に嗤うのは、俺だ。


「言葉など必要ない。俺はお前を、殺す」


 彼もまた仮面を持つ存在。
 黒の契約者はただ静かに――殺すべき相手を殺すのみ。


「あんたの言っていることはよく分からないけど、あんたが生きてちゃいけない奴だってのは分かるよ。それさえ分かれば十分だと思うけど……それでいいよな」


 心に穢れが混じり、身体は龍の因子に侵食された。
 満身創痍の少女はただ一つ、嘗て夢見たハッピーエンドを追い求める。


「俺たちがこうして生き残れたのはお前のおかげでもある。それだけは礼を言う……それだけだ、まずはテメェをぶっ倒す。話はそれからだ」


 鋼の錬金術師が追い求める未来。
 彼だけが描き上げるは誰も死なずに生還することであり、エンブリヲもまた、その一人である。


「私は彼らと肩を並べる資格を持たないが――発生したバグは取り除かせてもらう」


 全ては彼から始まった。
 このまま朽ち果てる身ならば、せめて最後は一人の参加者として神へ抗う。


「………………………………………………………………」


 雪ノ下雪乃はただ一人の一般人となってしまった。潜り抜けた修羅場の数は常識の範疇に収まらないが、彼女自身は普通の女子高生である。
 この場で唯一の守られる存在であり、力になろうにも限界が生じる。自分の非力さを痛感したその時だった。


「安心して待ってて。俺達は絶対に負けない……そうだろ、アヌビス神?」


『台詞を盗るなよ……んまァ、そういうこった!』


 不安に揺らぐ雪ノ下雪乃へ言葉を掛けたタスクは彼女から、相棒とも呼べるアヌビス神を受け取った。
 相手が神ならば、こちらも神の名を担う一刀を使うまで。


「最早、言葉は要らぬ。エンブリヲッ!! お前に関わり不幸になった全ての人間、我が一族――アンジュの思いをこの一太刀に、そしてこの俺の全てを賭けて、貴様を倒すッ!!」


「よく吠える! よかろう、そこまで言いのけるならやってみせろ、愚かな人間共! 
 貴様等がこれから挑むは正真正銘の調律者――神であるこの私! 此度のゲーム、貴様等の死を以て終わりとしようじゃないか!!」


「もう誰も死なせねえ! そんなふざけたこと言ってる暇があるなら、お前の知恵と力を貸せ! この――ド三流! お前は、いい加減にしろ!!」













「勘違いをしているとは思わないけど、一応言っておくから。あんたを生かそうとしてるのなんて、こいつだけだか――らァ!!」



 空間を迸る雷光が合図となる。
 今此処に、生存者同士、最後の血戦を告げる雷鳴が轟いた。











 彼らの共通思考はただ一つ。ヒステリカへ搭乗される前にエンブリヲを潰すこと。




 雷のように、一瞬遅れて響く轟音。幾度なく聞き慣れた、雷撃の証である。
 御坂美琴が放った針の雷撃は速度を重視したものであり、慢心した神の脳天を貫くことを目的にしている。
 ド三流と口にしていたが、その言葉どおり役者不足の男はこの場で退場してもらおうか。どのみち、長生きさせた所で生存者にメリットはない。

 故にエドワード・エルリックとなにやら記憶に残りそうな会話をしているが、御坂美琴にとっては対象の注意を反らしているだけに過ぎないのだ。
 無論、彼女にとっては絶好の機会である。エンブリヲと初めて出会った時、瞬間移動を用いられ安々と背後を盗られてしまった。
 その後にもヒースクリフの再構成に始まり、ホムンクルス戦での機神顕現――そんな化物がこちらを意識していないのだ。
 錬金術師の放つド三流の言葉と同時に雷針が脳を貫きゲームセット。後は人間を処理して願いを叶える。その筋書きどおりに進めばどれだけ楽だったか。

 雷針に遅れ黒、佐倉杏子、タスクの三名が駆け出し、それぞれの獲物を構えていたが、足が止まってしまう。
 己の目を疑い、しかし、これは現実なのだろうと納得するしかなかった。彼らにとって、雷針はとてもではないが認識出来る現象ではない。
 元々、此度の殺し合いに於いて雷撃を回避するだの、銃弾を叩き斬るなどの芸当はそれこそ達人か、或いは限定的な状況に限られる。
 例えば己の限界を常に更新するアヌビス神を闇夜を生業にするアカメが握れば、銃弾の一つを叩き斬ることも可能だろう。
 例えばマハジオダインの前にあからさまな行動を取ったり、わざわざ丁寧にそれらしい言葉を垂れ流す足立透ならば、事前にある程度は攻撃範囲を予測出来るだろう。

 全ては科学的に説明可能――ではないのだが、一般常識に於いては何かしらの条件さえ揃えば雷撃の無効化は可能だろう。
 従って御坂美琴を完全に意識の外に置いていたエンブリヲが雷針を回避するなど、普通は不可能である。最も簡単に倒れればここまで苦労していないことは生存者一同が分かり切っている。
 攻め立てるきっかけになればいい。体勢を崩せばいい。奴のリズムを乱せばいい。各位、それぞれの思惑があったのだが、神の力というのは、少々チートらしい。足立透の言葉である。

「何かしたか? 今、虫でも飛んでいたような気もするが……さて、この世界に首輪付きの奴隷以外に生物はいたかな?」

 神が右腕を振るった時、空間が歪んだのか何かしらの超常現象が発生したかは不明だが、雷針が非ぬ方向へ飛んで行く。
 ただひたすら直進していたのだが、ぐわんとうねりを見せ、天空の遥か先へ。この現象にタスクを除く二人は足を止めてしまう。
 相手は調律者であり、神であり、生かす価値もないエンブリヲである。その脅威と欠片も魅力を感じない人間性は知っていた。
 今更、戸惑うことはあっても驚くことはなかろう。そう踏んでいたのだが、認識外からの雷針に対処されるのは予想外だ。

「首輪付きの奴隷? そう思っているのはお前だけだ、俺たちは! ここにいる!!」

「貴様は例外だ。貴様以外の者は一生私の奴隷になると誓えば新世界へ招いてやることもない――貴様以外は!」

 唯一、足を止めていなかったタスクが己の身体を預けたアヌビス神の導きにより、調律者の眼前に降り立った。
 認めたくはないが、エンブリヲの脅威をその肌で最も感じ、彼に対し一番の理解があると自負している。この程度の現象で驚いていては、埒が明かないのだ。
 アンジュが生きていたならば「驚いている暇があるならあいつの寿命を少しでも減らしなさい」と喝を入れられていただろう。

 雷針に対処するなど想像の範疇だ。皆が足を止めている間に飛躍し、一気に距離を詰めると着地と同時に刃を一閃。
 風すらも温く感じる鋭さ。調律者なれど、この世界に身を置く限りは一介の参加者である。謂わば人間と同じルールに縛られた神の残滓。
 首を落とせばデータの海に消え、活動の元となった魂は聖なる杯に注がれ、奇跡のための礎となるだろう。首を落とせばの話である。

 エンブリヲは全く気にせず、一歩身を引くことで回避し、牽制代わりに槍先で軽くタスクの顔を狙う。
 手の抜いた攻撃などアヌビス神に当たるはずも無く、悠々と回避するタスクだが、突然の衝撃が背中に襲い掛かり、上体を曲げてしまう。

「わ、悪い! そのまま攻めると思ったからぶつかると思わなくて」

 遅れて駆け付けた佐倉杏子が想定していたのは、エンブリヲの正面から外れたタスクと入れ替わる形で槍を振るうこと。
 しかし、タスクはエンブリヲに足止めを喰らい、唯でさえ同時による近接戦闘は密集してしまうため、危険を帯びているのだが、相手を気遣う余裕などあるものか。
 誰もが満身創痍であり、取り分け、佐倉杏子の身体は最早人間と呼べるかどうかも怪しい段階にまで至っているのだ。
 魂は魔力の浪費により穢され、身体は龍の因子が混在してしまい、原型を保てておらず、角が発現している始末である。もう助からないと諦めている。
 しかし、もしかすれば――奇跡が起きるのではないか。少なからず夢を見ている部分もある。彼女は悪くない。年頃の少女に罪はない。
 残されている時間が少ないのは彼女が一番その身を通して痛感している。戦いが長引けば、自分は人としての姿を保っていないかもしれないのだ。
 故に満身創痍であろうと、最初からエンジンを全開にする。ガス欠などとうに迎えているのだ。完全なる廃棄にならない限り、少女は黙って前を進むだけ。
 相手が神だろうと恐れてたまるか。背中を任せられる、肩を並べられる、信頼出来る仲間がいるのだ。独りぼっちじゃなければ、負けない。
 世界が終わるかもしれないという状況で、彼女は言ってしまえば全てをある種は諦めているのかもしれない。願いを叶える権利を行使する筈もなく、黙って未来を受け取るのみ。
 このまま仮に生き残ったところで、自分は人間では無くなるだろう。それが魔女なのか、人間なのか。或いは生命として認識されなくなっているのか。それは分からない。
 だが、仲間のためならば、たとえこの身が朽ち果てようと――中学生の少女が決意するにはあまりにも重い意思である。
 その決意が溢れ出たのか、エンブリヲを始末することを優先したあまりに、周囲への注意が散漫していた。タスクが目の前にいようと、気づいた所で速度は緩められない。

「ちょっとは落ち着け! あいつにそんな隙を見せると簡単にやら、れる――ッ!!」

 完全に停止したタスクと佐倉杏子を救うために、離れていたエドワード・エルリックは掌を合わせ、大地に降ろし錬成を発動。
 眩い蒼き閃光が大地を駆け走り、二人の足元に収束すると土場の柱となりて、強引に戦線を離脱させる。
 エンブリヲの目の間で停止してしまえば、格好の的である。次から次へと超常現象を引き起こす神へ無防備を晒せば、生命の保証はないだろう。
 しかし、戦線から離れていれば生命の保証がある――とはならず、気付けば錬金術師の目の前には瞬間移動により転移した調律者が嗤って立っているではないか。

 息を呑むどころの騒ぎではなく、口から飛び出そうになる心臓を飲み込む勢いだ。声を上げようにも、驚きがエドワード・エルリックそのものを大地に縛り付ける。
 近くに立っている雪ノ下雪乃も驚きを隠せず、手で口を覆い瞳は恐怖からか潤んでいる。そして、足立透もまた驚きにより完全停止しているが、本能が彼を動かしたのか、ペルソナに命令し刃が動く。
 遅い、マガツイザナギの刃が振るわれた時、エンブリヲの槍がエドワード・エルリックの眉間を貫こうとしているではないか。足立透の叫び声が響き渡る、こんな奴にどうやって勝てばいいのか。
 神がいるならば教えてくれと天に願いたいものだが、生憎、その神様とやらとは敵対している。そして槍が錬金術師の眉間を貫き、バリンというガラス細工が割れた音が彼らの耳を支配した。

「……は?」

「絶対に俺を狙ってくると思ったぜ……やれッ!!」

 エンブリヲが振り返れば、そこには鋼の錬金術師が健在しており、槍が貫いたのは鏡に映った小僧である。
 その鏡の裏から飛び出すは剣と盾を構えたヒースクリフ。鏡のトリックにも驚愕しないエンブリヲの両目が大きく開かれた。

「その装備は再構成していないだろうに! 貴様、まだ何か隠しているのか!?」

「これは彼に錬成してもらったのさ。私だけが武器を持たずに指を咥えて見るなど、誰も許さないだろうからね」

「ククク、クハハハハ! 馬鹿め、ならば貴様など敵にすら満たない雑魚だ!」

 ヒースクリフの振るった剣は神に届かず大地へ突き刺さり、抜き去ろうとした瞬間、死角から振るわれるは槍の強襲だ。
 エンブリヲにとっての想定外は茅場晶彦が――仮称データバンク。殺し合いの箱庭を作り上げるに用いられた事象のおもちゃ箱に繋がっている可能性だった。
 彼の身体を再構成する際に、アバターの持続性に細工をし、元から所有していたスキルを消去し、当然のように武器もトラッシュボックスの奥底に眠ったままだ。
 そして現れたのは、再構成する前の状態で襲い掛かる茅場晶彦だ。神の額に汗が浮かび、もしもゲームマスターとしての権限を茅場晶彦が隠し持っていたとしたら。
 全てが茶番だ。本来の力を完全に取り戻していない以上、理から隔絶された世界の壁際のような箱庭にて、絶対的な神はゲームマスターである茅場晶彦になってしまう。
 創造神と破壊神の役割を担い、その気になればいつでも生存者を消去――そんなことをこの段階で持ち出されればなにが聖杯だ、地獄門だ、優勝者だ。
 彼の姿を見ただけで最悪の未来を想定したエンブリヲだが、蓋を開ければどうということはない。錬金術師に武具を錬成してもらっただけならば、今のヒースクリフなど遅るるに足らず。

 その頭脳、その知性、その知識。こと此度のようなゲームに関しては調律者よりも深い理解を持ち、より専門的な視野を有している。
 だが、最早その程度のことで覆せる程の状況ではない。仮にゲームマスターとしての権限を持っているならば、再構成を頼むはずがないのだ。
 ならばスキルすら持たない貴様は雑魚だ。鞭のように振るった槍が貴様の首を貫くだろう――悪趣味に満ちた嗤いを浮かべていた時、バチリと指先を刺激するなにかがあった。

 小賢しい。刹那、槍を素早く手放したエンブリヲは溜まっていた電気を外へ放出させると、再び掴んだ槍の起動をヒースクリフから修正し、数メートル先に構える御坂美琴へ変更した。
 ヒースクリフにトドメを刺す瞬間を狙ったのだろうが、槍へ貯められた電気は既に零。感電を狙ったようだが甘い。殺すつもりならば、細工をせずに一撃で葬るべきだ。

「このように、確実になあァ!!」

 バチンと指を弾けば、槍を中心に可視可能な程に風が渦巻いた。
 触れたものを全て抉り取るような、それであり、エンブリヲの側では台風のように風が唸っており、神は裁きの一撃を放り投げた。

「へぇ……物理法則もあったもんじゃないわね」

 空気を圧縮どころの話であるものか。あの密度の風をたかが一本の槍に収めるなど、それこそ第一位のような馬鹿を持ち出さないと実用的では無いのだろう。
 しかし、相手は大馬鹿者であるため、納得するしかないと御坂美琴は一人で笑うしかない。魔術を始めとする未知とは、どうも何でもありのように感じてしまう。
 そんなものにたった一つのチンケな右腕と、人間一人の体積では許容しきれないお人好しだけで、あんな奴らに挑むあいつも大馬鹿者だった――全ては過ぎ去った話。

 相手がコンパクトな台風をぶつけて来るならば、こちらも同質の一撃を放てばいいだけのこと。
 御坂美琴はその場に転がっている関節二つ分程度の石ころを拾い、己の天辺から奈落まで電撃を纏わせた。
 石ころを空へ投げ、己は上半身を半回転させ、視線は迫る疾風の槍だけを捉える。そして石ころが目の前へ落ちて来たと同時に、拳を放つ。


「そのまんま、あの世まで吹き飛びなさいッ!!」


 その瞬間、夕日にも劣らないオレンジが空間を斬り裂いた。
 音を奪い、大地を抉り、視界すらも盗んでしまう伝家の宝刀、超電磁砲が炸裂。
 音速の三倍を誇る石ころが疾風の槍と激突し、世界を破壊する嵐となりて、大地が吹き飛んだ。

 エドワード・エルリックは御坂美琴が石ころを手にした段階で、超電磁砲を予測し、土流壁を錬成。
 雪ノ下雪乃とヒースクリフを避難させたが、事の終始を見届けることは出来ず、彼らが再び御坂美琴とエンブリヲを見た時、大地が黒く焦げていた。
 目に見える範囲で情報を読み取るならば、遥か彼方に残るオレンジの痕跡は超電磁砲の起動だろう。とうに石ころは摩擦によって消滅しているが、残滓は空気に焼き付いていた。
 感覚で物語るならばあまりの衝撃と轟音に身体の感覚が狂ったのか、目眩と耳鳴りが発生し、平衡感覚も定まらないため、余計に気分が悪くなる。

 しかし、当事者である御坂美琴と対象であるエンブリヲは健在だ。戦闘に於いて規格外である同士の激突はどちらも譲らず――とはいかない。
 生存者は例外なく満身創痍である。損傷具合は当然、それぞれ異なるが誰もがそれなりの致命傷を肉体、精神問わずに負っている。
 軽々と超電磁砲を放ったように見える御坂美琴だが、彼女もとうに限界を迎えており、実際、最初に放った雷針は能力の節約も含めた一撃である。

 無尽蔵のように瞬間移動やら錬成やら魔術に近い芸当やら……止まること無く手を打つエンブリヲに対抗するには、分かり切っていたのだが、手を抜いた瞬間にこちらの死亡が確定してしまう。
 台風の如き槍の一撃を喰らえば、それは過擦り傷だろう。触れた表面が失くなってしまうことは簡単に想像出来てしまう。
 故に蓄積された電気が底を尽きようと、発電機は己の寿命を削り稼働しなければ、結局は死を迎えてしまうのだ。そんな戦いは長く持たないだろう。しかし、今は他にも手を結んだ相手がいる。

「少しだが驚いたよ。もうそんな力は残っていないと思ったが、その雷光の輝きはどこか――グェ!?」

 突如首に絡まるワイヤーにエンブリヲは間抜けな顔を晒す。
 何も神殺しを成し遂げようとする人間は御坂美琴一人に非ず。超電磁砲と台風の激突が終了した静けさの中、蠢く黒き暗殺者を知覚するなど、神であれど至難の業だ。
 絞め殺すよりも雷撃を纏わせろ――黒が能力を発動しワイヤーに帯びさせると、力の行き場を無くしたのか地に落ちてしまう。そして、そうなれば神の居場所は自然と背後になる。

「学習しなよ、馬鹿の一つ覚えって奴さ!」

 既に黒の背後は佐倉杏子が槍を構えており、現れた神に突き刺すだけ。実に簡単な仕事である。

「誰が馬鹿だったか……もう一度、言ってもらえるか?」

 佐倉杏子の突きはエンブリヲの槍先に逸らされ、前のめりになった所、眼前には何やら黒い穴のようなものが置かれていた。
 彼女がこれを銃口と気付いたのは、銃声が鳴り響き、銃弾の衝撃が己を襲った時だった。

「つ……つー、あんだよ……もう少しぐらいさ、保ってくれよ……」

 銃弾は左目付近に着弾し、龍の鎧が彼女を守るのだが、装甲が屑のように落ちてしまう。
 その付近のみ――つまり、左目一帯だけが生身の状態となり、風が肌を撫でる感触が妙にヒリつくと、佐倉杏子は指で辿る。
 すると血液が小縁付き、視界は晴れているのだが、どうやらボロボロのインクルシオでは銃弾一つでもグラついてしまうようだ。
 槍に体重を寄せ、なんとか立っているものの、顔面に銃弾を喰らった衝撃は当然のように脳を揺らし、生命を摩耗させる。
 視界が晴れているのも龍の因子による影響であり、どう足掻いても、どう捉えても、どう願っても彼女の身体は人間から離れて行くのみ。

「保つ必要はない。死ぬ存在が何を保って、何を形成し、何を成し遂げようと? そのまま死ね」

 顔を抑える佐倉杏子が指の隙間から薄っすらと見えたのは迫る槍先だ。回避しようが無く、丁寧なことに装甲の剥がれた左目が狙われていた。
 背後から大地の振動を複数感じ、振り返る時間は無いがおそらくタスクと黒が駆け付けてくれたのだろう。
 下手を踏んでしまった。エンブリヲの背後から飛び掛かる新たな佐倉杏子は自分の想定よりも早くに身体を失ったことに後悔していた。

「ほう、貴様も分身を使えたのか」

 ロッソ・ファンタズマ。
 昔の佐倉杏子が得意としていた魔力により分身を生み出す幻想の魔法。
 とある出来事をきっかけに封印した――と云えば格好がつくのだが、実際にはトラウマにより忘れていたと表現するのが正しいだろう。
 此度の殺し合いで独りの少女が体験した事象が、心の隙間となっていた空間を埋め、新たな道を切り開いたのだ。

「お前みたいなのと一緒にすんな!」

「動きが直線過ぎるのも考えものだな。魔力による身体能力の強化に加え、その忌々しい鎧による限界の突破は人間にしてみればかなりの力だ。
 だが、肝心の貴様が無能の極みだと宝の持ち腐れに過ぎん。背後から虚を狙ったようだが……その動きを読めぬ私だと思ったか? 甘く見るなよ田舎の小娘如きが!」

「喋りすぎなんだよこの馬鹿野郎がよォ!!」

 振り返ると同時に放たれた神の槍は佐倉杏子の眉間をピンポイントに定めていた。
 本体である彼女を守るインクルシオの装甲は剥がれ落ちていないのだが、分身と共に損傷具合は変わりない。
 直撃すれば装甲を貫通し生命の危機――死は免れない。即座に槍を分解し多節棍へ。エンブリヲを絡め取ろうとするも間に合わない。

 この野郎と叫びそうになった時、彼女の声を遮ったのは憎き道化師の粋がった叫びだ。
 あろうことか顕現したマガツイザナギは佐倉杏子ごとを薙ぎ払うように刃を振るい、彼女はエンブリヲへ向けていた鎖を己へ引き寄せる。
 なんとか間に合い、刃と鎖が衝突し重音なる金属の衝突が響く。遠方にいながら耳を塞ぐ足立透は薄目で戦場を見つめるも、どうやら調律者に回避されたらしい。
 もう少しお前らが足止めすれば……などとぼやき、その発言に雪ノ下雪乃が信じられないといった表情を浮かべるも、彼は完全に無視を決める。
 嘘は言っていないのだ。近接戦闘を主とする連中がエンブリヲを狩れば御の字であり、問題は何もない。出来るならそうしてくれと本心から願っている。
 それが叶わぬ事象であるため、ペルソナや超能力者、錬金術師がそれぞれの得意距離で攻撃を仕掛けるのだが、依然として神は健在だ。
 楽に始末出来る程の存在でないことは足立透とて理解している。しかし、神殺しを果たそうにも相手が想定よりも格上の振る舞いをしており、どこか引っかかる。

「あいつ、あんなに強かったか……?」

 一方、黒とタスクが挟撃によりエンブリヲを攻め立てる中、追い付いた佐倉杏子が鎖で神の足を絡め取る。
 一瞬ではあるが揺らいだ神の身体を狙いアヌビス神の一閃が首を刎ねようと試みるが、生憎、神の腕は自由の身であった。
 槍と刃が衝突し、防がれる術を失った獲物の首を貫くべく黒がナイフを突き立てようとしたその瞬間だった。指を弾く渇いた音が戦場を包み込み

「少し冷や汗をかきそうになったが、要らぬ心配だったな」

 大地の僅かな緑から伸びた蔓が黒の右腕に絡み付き、彼の行動を停止させたのだ。初めて見るエンブリヲの力に驚くも、完全に動きを止めてしまえば狙われてしまう。
 刹那の捌きで左手にナイフを滑らせ、蔓を斬り裂いたのは流石の判断だろう。しかし、その僅かな刹那を神は見逃さない。
 槍の側面を豪快に振り回し黒の腹へ叩き込み、右足を後方へ回すと鎖を制御し切れなくなった佐倉杏子が吹き飛ばされる。
 彼女が遠くの大地で転がるのを確認した後に、目の前で蹲る黒へ槍を振り下ろそうとするも、タスクが間に入り込み、横っ飛びで黒を救出。

 すまないと小声で礼を告げる黒に対し、大丈夫かと心配するタスク。彼はこの蔓に見覚えがあった。
 それはタスクが本来の時間軸でエンブリヲを斬り裂く手前、アンジュが裸体となって彼に囚われていた時だ。
 頭の中で考えたくもない不安が過る。アンジュの裸は大歓迎であるが、心配すべきはエンブリヲが述べた力を取り戻しつつあることだ。

 これまでに瞬間移動と御坂美琴の雷撃を無効化したような素振りしか見せていなかった。これだけでも充分脅威であるのだが、それに加え植物まで操るのだとしたら。
 このゲテモノだけが本来の力を取り戻しつつある理不尽な展開に怒りすら湧き上がってくる。誰に文句を言えばいいのかは分からぬが、生存者であればヒースクリフだろうか。
 彼にとってもとばっちりだと思うが、殺し合いという箱庭はつい先程まで人間に有利な仕組みとなっていた。

 己の世界を時間という概念に割り込ませる吸血鬼、DIO。
 非道なる絶対零度は時間さえも凍り付かせる氷の女王、エスデス
 鍛え抜かれた身体能力はホムンクルスという利点を感じさせない憤怒、ラース。

 他にも規格外の能力を所有した多くの参加者が殺し合いの中で散っていった。
 彼らに共通していたことは制限、本来の力に対し枷が嵌められていたのだ。これにより、人間は僅かな希望を抱けていた。
 生存者に限れば錬金術師や超能力者、契約者に魔法少女と少なからず何かしらの影響を受けており、あの足立透でさえも始めはペルソナの顕現そのものすら不可能だった。
 そして神であり調律者を名乗るエンブリヲは正にこの弊害を受けていた。そうでもしなければゲームが成り立たないと茅場晶彦が判断したのだろうか。
 だが、蓋を開けてみればどうだ。ホムンクルスが打倒され、最後の刻を刻み始める中、神は時間に逆行し力を取り戻しているではないか。
 こんなふざけたことがあってたまるか――目の前に転移したこの男だけが、冗談じゃないとタスクは舌打ちをした。

 彼が反応に遅れたとしても、その身体はアヌビス神に預けており、意識が追い付かなくとも身体は常に進化を遂げる。
 エンブリヲの奇襲にさえ対応し、刃と槍が交差するが、急に神が距離を詰め、左の掌がタスクの身体に置かれた。そして――

「貴様は少し黙っていろ。猿には裸がお似合いだ」

 衣服が弾け飛ぶ。

 突然の出来事にアヌビス神すら動きを止めてしまい、タスクの顔側面に迫った神の回し蹴りを対処するなど、到底不可能である。
 もろに受けてしまい、受け身すら取ることが出来ずに大地を転がるタスク。何度も跳ねながらも、なんとか立ち上がったが、アヌビス神は目の前に落ちていた。

「その刀が無ければ貴様も奴と同じく雑魚に過ぎん」

 そのアヌビス神を蹴り飛ばしたエンブリヲが槍を振り下ろそうとするのだが、横から佐倉杏子が飛び込み、彼女が大地へ槍を叩き付ける。
 衝撃が大地を捲り上げ、唯でさえ先の超電磁砲による残骸が転がっているのだが、更に煽る形となり無数の石や砂塵が神を襲う弾幕と化す。
 妨害にあからさまな表情を浮かべるエンブリヲは槍を回転させることにより弾幕を無効化し、少しずつつではあるが後退。
 タスク達から距離を取った――元より巻き込む心配などしていないが、仮にも一つの敵を打ち取るべく共に行動している身だ。
 此処で複数の参加者をついでに葬れば余計に事態が面倒になってしまう。などとこの先のことをある程度は考えながら、神のみを狙い御坂美琴から雷撃の槍が放たれた。

 小賢しい真似を。
 本来、箱庭世界に於ける理――制限が無ければ雷撃の槍は雷が表すどおり、光速の一撃となる。
 光速を目撃してから対処するなど不可能であり、そもそもとして光速を認識することも不可能だ。気づいた時には死を迎えているだろう。
 無論、当然のように制限が発動し、光速は勢いを失い、ある程度は視認が可能となっている。最も、それでも防ぐのは至難の技であるが。
 首輪が外され、ロックと呼ばれた箱庭の鍵も解除された。しかし、空間そのものに残る世界を世界とたらしめる事象は永遠に解除されない。
 それこそ、エンブリヲのような規格外による理の力を持ち出さなければ、本来の力を取り戻すなと到底不可能である。ヒースクリフの再構成の段階で理を超越しているのも事実だが。
 よって未だにこの世界へ縛られている雷撃の槍など、神からすれば原初の時代に多く見られた石器の投擲と変わりない。
 顔色一つ変えること無く、雷撃の槍が通過する座標から離脱した。

 面倒な相手だと御坂美琴が唾を吐き捨てた。

「……本当に面倒で、ムカついて、最低な奴ね」

 本人は唾だけを吐き捨てたつもりだったが、地面を見ると赤い。誰が何と言おうと血液である。
 エンブリヲから一撃を受けていないが、満身創痍の身体を未だに酷使しているのだ、吐血の一つや二つ、文句を言ってられまい。
 それは佐倉杏子も同じだ。龍の装甲の奥では無理な過負荷に身体が悲鳴を上げ、皮膚が一部割れてしまい、左目は血で赤く染まっている。
 表には出さないよう心がけているものの、近くのタスクは息を荒げる彼女に心配してしまう。
 この子達はかなりのダメージを受けている。今更、再確認することでもないが、守られているばかりにはいかない。

「ありがとう、二人共。ここから先は俺に任せてくれ!」

 アヌビス神を拾い上げ、構える。二度と遅れを取るものか。
 自分より幼い彼女に守られていては男のプライドが許さない。戦いを見守るアンジュも許さないだろう。
 彼女たちの前に出て、今度はこちらが守る番だと決意を固くしたところ、背後からバチバチと雷撃の兆候が耳に届く。
 心配はしていないが元は敵だった御坂美琴。まさかとは思うが裏切りを警戒しタスクが振り向いた時、彼の足元近くに雷鳴が轟いた。

「こ、こっちを見るな! 次に振り向いたら、あんたから殺す!」

「え、ええ!? まさか本当に裏切るつもりなのか!? この状況を理解出来ないなんてそんな馬鹿だとは思わ――な、かったんです……けど……」

 気付けば耳鳴りが酷い。それもその筈――タスクの真横を雷針が駆け抜けたのだ。
 何が起きたか分からない――自分はいつ、御坂美琴の地雷を踏み抜いたのか。疑問を浮かべながら佐倉杏子へ確認をしようと声を掛ける。

「ねえ、彼女は一体――ッ!?」

 思わず顔を引いてしまう。佐倉杏子は一切振り返らずに、槍先をタスクへ向けていた。
 殺すつもりはないと分かっていても、風を斬り裂く音から脳が警戒し、心臓の鼓動が加速する。

「あたしの視界に入ったら容赦しないよ」

「な、なんだよ……急にどうしたんだ!? 俺がなにかしたのかい?」

 百歩譲って御坂美琴が敵意を剥き出しにしたことは許そう。彼女は自分以外を殺害しようとしており、順番が変わっただけだろう。
 しかし、佐倉杏子は共に死線を乗り越え、今も神殺しを果たそうとする盟友だ。何故、彼女に槍を向けられなければならないのか。

「いいから服を着ろ! この変態ッ!!」

 女子中学生二名の声が重なった時、タスクは自分の温度が急激に下がっていく感触を味わった。
 恐る恐る視線を下げるとアヌビス神とは別の相棒が映っているのではないか。何故こんなことに――そうか、エンブリヲに衣服を破壊されたのかと、ここでようやっと気付く。
 アヌビス神もため息を吐く中、急いで駆けついたエドワード・エルリックが布切れをかき集め、再びタスクの衣服を錬成した。
 それらを受け取り急いで腕を通す彼は錬金術師へお礼を述べるが、かなり困った表情で返されてしまう。

「礼を言うならこんな時でも時間を稼いでくれたあいつに言ってやれ……」








 一方、黒の契約者は右手に握った小さなナイフ一つで神殺しの偉業を果たそうとしていた。
 槍の猛攻を掻い潜り、左肩から突撃するように身体を入れ込むと、すかさず神の腹へナイフを突き立てる。

「先ほどから随分と余裕をかましているが、そろそろ限界か? 懐に潜り込むのが楽になったぞ」

 刃が到達する寸前、神が強引に腕を押し止めるのだが、黒は焦りも動揺も見せず、まるで仮面を付けているかのような無表情で告げる。
 エンブリヲは強い。その能力によって多くの参加者が不幸となり悲劇を迎えてしまった。本来ならば契約者と云えど勝利するにはそれこそ新たなる神話を創造する必要がある。

「強がりか、それとも本気で私の懐を獲れたと言っているのか? 貴様はまだまともな方だと思っていたのが、私の見込み違いか」

「お前に見込まれた所で寒気がするだけだ。その無駄な口を斬り落としてやる」

「無駄な口は貴様の方だろう。契約者は合理的に行動するんじゃあなかったのか?」

「――抜かせッ!」

 密接していた二人が同時に距離を取る。その場から飛躍するような後退、二箇所から足の裏が大地を滑る音が響いた。
 余韻を感じぬまま大地を蹴り上げた神と契約者。獲物は槍とナイフ、レンジは前者が圧倒的に有利であり、当然先に仕掛けるのはエンブリヲの突きだった。
 確実に顔面を狙う正確無比の一撃をギリギリで回避し、目標まで残り二歩と――右足が横になるように大地を踏み付け、エンブリヲの背後に浮かび上がる禍津から逃走を図る。

 右足に土が纏わり付くが、このまま進めば振り下ろされるであろうマガツイザナギの刃に巻き込まれてしまう。
 身体に加重な負荷を掛けつつ、強引に引き返す。振り返る寸前に目撃したのは落雷に包まれる神と、背後で笑い声を響かせる道化師の姿だった。
 離れていなければ巻き込まれていた。道化師はついでにこちらをも消そうとしていたようだ。

「……、あの一撃で終わる訳が無いだろ」

 更に振り返り、軸足が悲鳴を上げるがそれらを無視し黒は走り出す。足立透は気付いていないだろうが、エンブリヲは落雷の範囲から逃れていた。
 雷光により見えていないのだろうが、エンブリヲは槍を構えており、落雷が止まった瞬間、確実に足立透を貫くだろう。
 黒にとって足立透が死のうが問題はない。彼は敵だ。救いの手を差し伸ばす必要も、興味を抱く必要もない。故に殺害されようが、それは必要な犠牲として処理するだろう。
 落雷の元へ駆け寄った理由はただ一つ、この状況で死人が出た場合、士気が壊滅的になってしまうことだ。

 神を相手に無茶苦茶な戦闘を行っている。瞬間移動を始めとし、風や蔓を操り、超能力や魔法にたった一人でそれらを捌き続ける無法者。
 終焉を迎えるこの箱庭世界に機神を呼び出し、一度は電子の海に沈んだヒースクリフを再構築する掟破りの神相手に、これ以上士気が下がれば、人間は微かな希望さえ抱けなくなってしまう。
 御坂美琴を気にする必要は無いが、生存者はまだ若く、成人にすら満たない者もいる。最悪の事態を避けるためにも、黒は足立透を救わなければならない。

 無駄な労力であろう。
 既にエンブリヲは槍を放っているではないか。足立透はまだ笑っている。これまでの戦闘を目撃しておいて、よく笑えるものだ。
 僅かにでも周囲を気にしていれば油断はしなかっただろう。ペルソナ使い故に最前線へ飛び出さないことが仇となってしまったらしい。
 生命に対する危機が和らいでいる。遠くから電撃を放っていれば自然とそうなるのだろうか。黒には理解出来ないが――どうやらここまでらしい。

「ハハハハハハ! よーし、次はどいつだぁ? あの変態クソ野郎さえ始末すればあとは――あ、とは……………」

 今更になって事態に気付いたが、多めに見積もって槍が己を貫くまで三秒前といったところか。
 大きく口を開けたまま、足立透はマガツイザナギに指示を飛ばすこともなく、やけに遅く感じる刹那を抱きしめているように動かない。
 なんてクソッタレな展開なのか。優勝するために、分かっていながらも己を更に鼓舞し、手始めにうざいガキを始末しようとした。
 それが急に呼び出され、エンブリヲが犯人かと思えばあのロボを従え、ボロボロだったはずなのに修復さえされていた。
 馬鹿でも分かる、個人的な因縁やくだらないプライドに縛られていては無理だ、死んでしまう、と。ホムンクルス戦以来、数十分ぶりの同盟を結ぶしか無い。
 なんでこんな奴らと……まぁ、エンブリヲを始末できればそれでいいか。彼にとっても願ったり叶ったりな状況であった。一人で神を殺すなど、果たせる気がしない。
 だが、蓋を開ければ想像以上に全開バリバリの神がチートを使ったのかはいざしらず。最初から最後まで無双していやがる。それに最初の死者が自分ときた。
 クソクソクソと脳内で危険の信号が壊れた機械のように鳴り響く。そんなことは分かっている。だが、どうしろというのか。自分一人では無理だ、故に同盟に感謝するしかなった。

「これで貸し一つだからな。返す時はそのまま死んでくれればいいから!」

 槍よりも速く戦場を駆け抜けた龍の魔法少女が足立透の襟を掴むと、サイドスローのフォームで遠くへ投げ飛ばした。
 重力により顔を歪めた足立透は何が起きたか分からず、ぐわんぐわんと揺れる頭を抑えつけ、咄嗟に出た言葉を言い放つ。

「貸しィ!? テメェ、俺を殺そうとしたじゃねえか!! 貸しはこっちの台詞だぁぁああああああああ!!」

 あれは数時間前のことである。図書館を出た足立透は佐倉杏子と交戦し、そのまま時計塔内部へ雪崩込み、更にタスクをも敵に回した大往生。
 崩れ去る瓦礫の中で彼から提案された主催者への反逆――結果的に掌の上で踊っていただけだったが、その時は協力し、死を偽装する手筈だった。
 しかし、伝達ミスにより佐倉杏子は何もかもを知らず足立透を殺しに掛かったのだ。演技のつもりだった彼は面を喰らってしまい、雪ノ下雪乃の補助が無ければ今頃は死んでいたかもしれない。
 故に貸しはこちらの台詞だと言いたいのだが、大地に叩き付けられ、どうやら声は彼女に届いていないらしい。

「あんたを殺そうとしたって……そりゃあ、ずっと殺そうとしてるよ」

 何を当たり前のことを言っているのか。足立透の意味不明さはエンブリヲ並かもしれないと、整理する佐倉杏子は槍を構える。
 正面には神。それを囲むように錬金術師、契約者、超能力者が駆け付け、四方を方位。

「そろそろ終わり、こっちも時間がないのよ。どこへ逃げようと、あたしはあんたをあんたとして構成する全てを焼き尽くす」

「それはこちらの台詞だ。終わり? 貴様等にそれを決める権利などあるものか」

「お前にも無いだろう。俺達の攻撃を捌くのに精一杯で脳さえも腐ったか?」

「ククク、捌くのに精一杯ときたか。逆に言うが私にまともな一撃を与えられていない状況はどうだ、楽しいか? 徒党を組んでも所詮は無駄なのだよ」

「無駄? それこそあんたが決めることじゃないよ。あたしの槍が、こいつとそいつの電気が、エドの力があんたをこれから始末するから」

「それは楽しみだ……で、どうする? この私に対し評価を改めたか? 貴様等は勝てやしない、私は調律者だ。人間とは格が違うのだ。
 大方、私を他人の感度を弄るだけの俗物と思っていたようだが……舐められたものだ。その気になれば貴様等など簡単に始末出来るのだよ」

「じゃあ、何で今まで俺達を生かしていたんだ?」

「それは簡単だ錬金術師よ。貴様を始めとする数人に利用価値があったからだ。最も数が減った今、御坂美琴と足立透に価値は無い。
 すれば貴様とヒースクリフだけだったが、もう用済みだ……いや、あいつはまだ利用価値があるか? いずれにせよ、遊びは終わりだ。
 先も言ったが、ホムンクルスを倒しただけでは何も終わらないのだよ。最初の言葉を――広川を思い出せ。奴は最後の一人になるまでゲームは終わらないと言った。
 ククク、それにしても忘れていたよ。広川か、奴もこの手で始末せねばな。アンバーは下手を踏んだが、奴はまだ生きている可能性が高いからな。貴様等の次に殺すとしよう」

 誰にとっての終わりなのか。殺し合いを冠としたゲームは主催者を失ってもなお、止まらない。
 ルーレットに放たれたたった一つのボールは動きを止めない限り、結果は分からないのだ。しかし、何れは止まる。
 それは世界が崩壊するのか、体力の限界が訪れるのか、神が倒れるのか、聖杯が起動されるのかは不明だ。判明していることは一つ、先に倒れれば負けだ。

 御坂美琴の前髪はバチリと浮かび、肩付近まで伸びた髪先が揺れる。
 肉眼で確認出来るほどの雷撃を周囲に放出し、いつでも最高速で弾き出せるよう、準備を整える。

 佐倉杏子は懐のソウルジェムへ視線を送る。見事なまでに黒く穢れきった魂を見ると、変な嗤いを零してしまう。
 状況がどう転ぼうが、先は長くないようだ。せいぜい後悔のないよう、暴れるだけ――ゆっくりと槍を構える。

 黒の契約者は多くを語らない。
 己の使命はただ一つ、目の前の男を殺すこと。神殺しは心臓へ突き立てる一つの刃があれば充分だ。

 エドワード・エルリック。最年少国家錬金術師は腰を落とし、構えを取る。
 多種多様な錬金術に対し、神は確実に耐性を得ている。そしてその力を一部は取り込んでいるようだ。
 何が起きてもおかしくはない。それは最初から分かり切っていることだが、改めて自分に言い聞かせる。相手は常識の通用しない神だと。


「さて、準備は整ったか? 作戦会議の時間は必要ないか? それとも神への祈りは済んだか? おっと、私へは無駄だ。貴様等が勝手に崇拝する偶像モドキにでも祈ればいい――ッ!!」


 突然、顔色を変えたエンブリヲが姿を消した。
 馬鹿の一つ覚えのように繰り返す瞬間移動を警戒し、四人は互いの背後を確認し合うが、神はいない。
 駆け付けたタスクが周囲を見渡すも、近くにはいないようだ。

 ここで佐倉杏子は先程、放り投げた足立透の嫌味が聞こえない事に気付き、彼を探す。
 すると遠方でヒステリカを見上げており、その数秒後に血相を変えたエンブリヲが現れた。












 数分前に遡る。アヌビス神をタスクへ預けた雪ノ下雪乃は戦う力を持たない自分でも手伝えることを模索していた。
 例えば、アカメを失うきっかけとなったキング・ブラッドレイとの戦いのように、銃で援護をしようと。しかし、無駄であろう。
 ホムンクルスすらまともに捉えることが出来ず、今回の相手は神だ。単純な近接戦闘能力であればキング・ブラッドレイが上かもしれない。
 しかし、多くの仲間が入り乱れる戦況の中で丁寧に敵だけを撃ち抜く芸当など不可能だ。味方に当てるぐらいならば、黙っている方がマシと判断。

 気付けばヒステリカの足元――アンジュの下まで来ていた。
 空に裸体で縛られる姿はさながら十字架に縛り付けられたとある聖職者を連想させる。
 変態の趣味によってひん剥かれたのだろうか。同情しか生まれない。非れもない姿からなんとか解放してあげようと考えたが、そもそもとして空を飛ぶ術を持たないのだ。

 アカメのようにヒステリカを蹴り上げ空を跳ぶことも、イリヤのように空を飛ぶことも。一般人である雪ノ下雪乃には不可能だ。
 彼女は生前のアンジュを知らないが、タスクの大切な人物であることは知っており、助けるにはそれだけの理由で十分である。
 既に死人であろうが関係なく、大切な人との別れを経験した彼女だからこそ、アンジュの解放を望んでいた。

 しかし、結果として辿り着くことすら不可能。このままヒステリカでも破壊出来ればせめては皆の役に立つのだが、それも不可能である。
 仲間が必死に戦い、己の生命を削っている中、自分は何をしているのか。生き残ったはいいものの、ちっぽけな存在である自分が嫌になってくる。
 タスクは安心して待ってろと告げてくれたが、今はその言葉が己を縛り付ける。守られるだけの存在は、明らかにお荷物だった。

「修復は全体の八割――か。いつでも動き出せそうだが、奴は何を遊んでいるのか」

 ヒースクリフはヒステリカを見上げながら言葉を零していた。
 身体を失い、当然スキルも失い、黒幕に対する逆転の策として復活した彼だが、最悪なことに生き返らせたのはあのエンブリヲだ。
 データに細工をし、その結果の再構成はヒースクリフに消失の設定が設けられていた。

 黒幕の一人でありながら、武器を取り、生存者と共に神殺しへ挑んだ彼だが、雪ノ下雪乃と同じくお荷物である。
 いや、お荷物は言い過ぎであり、無論、戦闘にも加われるのだが、彼は何か思い当たる節があるのかヒステリカへ近付いたのだ。

「……まさかとは思うけど、この状況を打破する一手があるのかしら」

 それは雪ノ下雪乃の希望であった。
 殺し合いの始まりを担った男がわざわざ絶望の象徴へ近付き、何か深い意味があるような言動を取れば裏を疑ってしまう。
 逆転の一手などとは期待しないが、この状況を打破することが可能かもしれない。
 勝手な憶測に胸の希望を膨らませるが、その一方で思うこともある。仮に策があるならば、温めておく必要はないだろう。

 認めたくはないが、エンブリヲは生存者全員を相手に上手く立ち回っている。
 本人曰く力を取り戻しつつあるようだが、完全に覚醒した場合はどうなってしまうのか。想像するだけで吐き気を催し、雪ノ下雪乃はイメージを吹き飛ばすように首を振った。

「状況を打破する一手……か。なるほど、魅力的な発想だ」

 期待するだけ無駄だったようだ。この手の発言をする者は決まってどうしようもないのだ。
 仲間たちの勝利を信じている。信じているからこそ、夢を見てしまう。正義の味方が悪を裁く瞬間、完全勝利の絵を。

「もういいわ、どうせなにもないのでしょう? 結論から述べてくれるかしら――何か、あるなら」

「これは手厳しい……いや、私の所業を考えれば当然か」

 思えば別れ際の印象も最悪だった。聖杯の真意を告げ、一人消えて行った男。そして、此度の原因を作ってしまった諸悪の根源。
 真実を辿れば彼もまた被害者の一人であり、完全な悪とは決め難い。だが、それがどうしたというのか。この男がゲームなどを手掛けなければ、多くの生命が失われずに済んだのだ。
 自然と両足に力が入る。勝手に参加者と位置付けられ、殺し合いを強要し、挙げ句の果てには元の世界へ帰ったところで、聖杯を起動するために奇跡――生贄になってしまう。
 今更、何を言っても無駄なことは分かっている。雪ノ下雪乃は愚か者ではない。しかし、しかしだ。建前上の納得と、本音の理解は大きく異なる。
 全てはIFである。可能性が可能性を呼び、可能性が可能性によって新たな可能性を作り上げる。巡り合わせとも言えよう――此度の殺し合いは必然だったのかもしれない。

「彼女――アンジュの肉体まで蘇生したか」

 ヒステリカを見上げるヒースクリフの視線は十字架に貼り付けられた聖女、元いアンジュへ映っていた。
 完全なる肉体の再現は蘇生よりも復元と呼ぶべきか。魂こそ宿っていないが、外見のみを判断すれば完璧と言えよう。

「それに心臓か。おそらくイリヤのを用いたようだが、やれやれ……調律者を招いたのは失敗だったかもしれないな」

 殺し合いは言い換えればデスゲームである。彼ら――ヒースクリフとキリトにとって馴染み深い言葉だ。
 これはゲームであって遊びではない――正にその通り。生命を失えば、コンティニューは不可能の一発勝負、人生である。
 故に蘇生などの掟破りは品位そのものを下げることになり、事実、調律者たるエンブリヲは暴れ回っていた。

 平等に制限を掛けられていた序盤ですら、彼の行動は他の参加者と大きく異なっていた。他者の感度を弄るなど、彼にしか出来ぬ芸当である。
 その後も生き残り、最終的には茅場晶彦の再構成、ヒステリカの召喚と最早ホムンクルスの器を超え、生存者にとって最大の壁となっているのだ。
 多くのデータ――生存者は例外なく一度はデータの海に沈んだ。あの瞬間、エドワード・エルリックが行った大規模の錬成によって表上は死人と化した。
 それが転機だった。エンブリヲに知識の類を与えれば、彼は惜しみなくそれらを吸収し、自分の力にするための術を持っている。それが今の結果だろう。

「……まだ、保ってくれるか」

 ジジジとノイズが響く。雪ノ下雪乃は己の耳がおかしくなったのかと思い、周囲を見渡す。
 御坂美琴が何度も雷鳴を轟かせているため、鼓膜の一つや二つが破れても驚きはしないが、近場でノイズが響いたのだ。原因は彼女ではない。

「貴方……まさか」

 特殊事情の知識は持ち合わせていない。博識であろうと、成績優秀であろうと。無知であろうと、馬鹿であろうと。どうなれど雪ノ下雪乃は女子高生である。
 時間を凍らせたり、指を弾いて焔を錬成するなどの芸当は不可能だ。心の仮面を具現化することも、電気の生成も不可能である。
 それでも目の前で身体が消えかかっているヒースクリフが危険な状態のは、一目で分かってしまう。一定のノイズが身体を流れたあとに、元に戻ったが長くはないだろう。
 古びた電化製品でさえも、突然スイッチが入ったように稼働し、突然電源が切れたかのように停止する。ヒースクリフもその状態であろう。つまり

「長くはない、のね」

「恥ずかしながらね……私はこのゲームを見届けようと思っている。それも比喩の話じゃない、『それしか出来ない』のだ」

 このまま消えてもおかしくない。
 己の身体は己が一番、理解しているだろう。雪ノ下雪乃から彼に掛ける言葉は多いようで、少ない。

「聖杯に願えば話は別だろうが……君たちや世界を巻き込むほど、面の皮は厚くないのでね」



「……はあ、おいなんだよそれ。まるでもう願いを叶えれるみたいな言いぶりじゃねえか。それに、そうすればお前ら全員を殺せるみたいだな?」



 佐倉杏子に投げ飛ばされ、苛つきながら土埃を払っていた足立透の表情に歪みのある笑みが灯る。
 ヒースクリフの一言を紐解けば、聖杯とやらが願いを叶える手段――つまりは優勝者への褒美であろう。
 更に君たちや世界を巻き込む――願いを叶えればそのために自分以外の者が死ぬ。そう捉えられる。
 飛躍的だ、楽観的だ、安直過ぎる。どうとでもいいやがれと足立透は最高の未来だけを脳内に描く。

「それはどこにあんだよ、教えな。今の俺だったらお前なんて簡単にぶっ殺せんだよ!? 死にたくなければ――ひぃ!?」

 これは最大の好機だ。エンブリヲ相手に仮初の同盟を再度結んだか、本人曰く力を取り戻しつつある状態が予想以上に脅威であった。
 徒党を組もうがあしらわれ、唯でさえ満身創痍の集団だというのに、更に傷を負っている。よく考えなくとも馬鹿げている話だ。
 御坂美琴の放つ雷撃は回数を重ねるごとに弱くなり、佐倉杏子の勢いも時間の経過により失われて行く。男性陣も同じだ。
 どうしようもないクソッタレのゲームを終わらせる好機なのだ。エンブリヲをあいつらに押し付け、自分だけその聖杯とやらにあやかればいいのだ。
 善は急げ。マガツイザナギを顕現させヒースクリフを脅し、聖杯の在処を聞き出そうとする足立透に神の怒りが下る。上半身を蔓に巻き付かれ、その場に倒れてしまった。

「貴様、手を出せばどうなるか分かっているのか?」

 分かりません――即答する足立透だが、転移したエンブリヲの問はヒースクリフに向けられている。寝転がる芋虫の戯言を聞き流し、ヒースクリフへ銃口を向けた。

「たしかこの機体があれば死ぬことは有り得ない――そう、記憶があった頃に資料を拝見――何を焦っている?」

 始まりの男である茅場晶彦は数分前に、失われた己の記憶に触れていた。完全とは云えずとも、少しは思い出したことがある。
 調律者エンブリヲ。本来の彼はヒステリカを破壊しない限り、幾度なく別の世界の己を呼び出す力を持っており、その逆も然り。
 つまりは、本人とヒステリカを殺害/破壊しない限り、彼は永遠に存在し続けるのだ。しかし、そのような芸当をこの箱庭世界で行えるものか。
 当然のように制限――枷が嵌められているのだが、何を焦ったかエンブリヲは茅場晶彦の言葉を一つの銃声で中断する。

「そうだ、私が死ぬことは有り得ない。だから貴様に面倒な細工をされる前に始末する」

「有り得ないのなら何を焦る……ほう、よく見ればかなり疲れているな。息を切らしているようだが、瞬間移動で駆け付けのだろう?」

「黙れ」

「数歩程度しか歩んでいないのに、まさか運動不足とは言うまい。力を取り戻しつつあると豪語していたが――そろそろ限界だな、エンブリヲ」

「黙れと言ったのが聞こえなかったのか? ならばもう一度言ってやる、黙れ」

「お前は彼らを圧倒していたのではない。トドメを刺せなかった。決定打を与えるには、あと一歩力が及ばずか。彼らは幾度なく修羅場を乗り越えた。
 その刃、その銃弾で生命を終わらせようにも一筋縄ではいかない――それはお前も分かっているだろう。そうでもなければタスク以外を奴隷にしてもいいとは言わん」

「調子に乗りすぎたな、貴様は。アンバーと裏で行動している時から……いや、最初から貴様は気に食わなかった」

「しかし、見方を変えるべきだったな。一人で篭っていては単純なことすら見落としてしまう。調律者が彼らを圧倒している訳ではない。
 人間が神を相手に己の土俵へ持ち込んでいたのだ。お前が優位に立ち回れていたのは言い換えれば、終わらせることが出来なかった――疲れている姿を見て納得したよ」

「ヒースクリフゥゥゥウウウ!!」


「ヒステリカを破壊されてもこの世界にいる限り、貴様は死なん。だが、破壊されては最後の切り札を失う――神殺しに怯えたな、エンブリヲ?」


 鳴り響く銃声。凶弾が茅場晶彦の生命を貫く寸前、空より舞い降りるは刀を握りし青年。
 着地と同時に一閃――永劫に進化を成し遂げるスタンド、アヌビス神。彼の前では凶弾が一、斬り捨てるなど然程困難な事に非ず。
 激昂に身を任せた神は銃を大地へ放り捨て、槍を強く握りしめ大地を蹴り上げた。その空間に乱入するは龍の魔法少女。槍と槍が鋼の旋律を奏でる。

 ――茅場晶彦が紡いだとおり、エンブリヲは力を取り戻しているものの、それすらも箱庭世界の範疇である。

 邪魔な魔法少女を殺さんと槍を放つも、神の一撃が捌かれその場に足を留めることとなり交戦。入り乱れるように黒の契約者が背後から刃を忍ばせる。
 即座に反応し槍で弾き返すも追撃を妨害するはアヌビス神。この一撃を更に弾き返し、くだらぬ人間の息の根を止めようとするも、咆哮を我鳴上げる龍が空から槍を振り下ろす。
 この一撃をも神は受け流すのだが、更に黒の契約者が刃を――邪魔だ、邪魔だ、邪魔だ。小賢しい人間共め、貴様等に裁きを与える。
 瞬間移動で上空へ転移し、殺戮を行う――神が脳内で数秒先の絵を描いた時だった。刹那、時が永劫に停止したような、しかし時計の針は止まらない。

「余計な真似を……ッ!」

 神は瞬間移動を中止し、その場から飛躍するように後退し離脱。対処せねばならぬは近接の彼らではない。
 奥からこれ見よがしに雷光を輝かせる御坂美琴は遠目でも認識出来てしまう程度には笑っていた。ギリギリ声は届く範囲だろう。つまり彼女もまた、聞いてしまったのだ。

「ロボが無ければあんたなんて、ちょっと能力が使える変態なんだから――ねッ!!」

 指が弾かれる。幾度なく聞いた神のものではなく、仕掛け人は御坂美琴だ。
 ヒステリカを取り囲むように砂鉄が持ち上がる。それは高速振動を続ける砂の針と化し、ありとあらゆる方向、おおよそ人間が知覚可能な範囲全てから降り注ぐ。
 対してエンブリヲは明らかな焦りを思わせる表情を浮かべ、指を弾く。科学の能力如きが神に楯突くなど、あってはならぬことだ。

 音を合図にヒステリカの周囲に嵐が吹き荒れた。砂の針を破壊するように渦巻き、全ては塵となる。

 奇襲を防がれたことにより、御坂美琴は唾を吐き捨て、やはり血が混じっていることに舌打ちをする。
 身体が長くないことは認識している。されど手を抜いて殺せる相手でもないことは更に深く刻んでいる。
 相手は絶大だ。それこそ天使だの悪魔だの、聖人だの――これではまるで彼のようだと彼女は笑う。奇しくも追い掛けていた背中と同じ状況にあるのだ。
 立っている場所は同じだ。だが、見える景色が圧倒的に異なっている。彼女が背負うは死者の呼び声であり、ツンツン頭の男子高校生が背負うそれとは正反対である。

「本当に疲れてんじゃない。さっきまであんなに偉そうにしてたのに……なに、そのザマ? 立ってるのがやっとって感じじゃん」

「――ッ、予定を変える。数ある中の妻に迎えようとも考えていたが、貴様から最初に殺す」

「妻……? あんた、鏡を見たことはある? それと、同性でも異性でもいいけど友達は? まぁ……いないに決まってるわよね。
 かわいそうに。誰もあんたに言わなかったんだね――その見てくれで妻を迎えるだなんてよく言えるわね、鏡でも見てきたら? 世界が変わるわよ」

 何も難しい話ではない。エンブリヲの強さは御坂美琴の想像を超えていたが、からくりも何もない。底の知れぬ恐怖だったが、今が底である。
 神と云えど所詮は人形、生きているならば生命は平等であり、神様だって殺してみせることも可能であろう。事、今回に限れば箱庭世界に感謝するしかあるまい。
 底は見えた。あとはブチ抜いて全てを空にすればいいだけ――調律者の性格は分かりやすい、神の名に似合わない、或いはお似合いなのかもしれない。
 どこか人間味を感じさせるプライドを軽く煽れば、

「世界が変わる? 抜かせ、私そのものが世界なのだよ!」

 このとおり、怒りに狂い単調な攻撃を仕掛ける。槍を投擲してくるが、回避する必要もない。
 追い付いたエドワード・エルリックが土流壁を錬成し、槍はそれを貫くも、勢いは完全に失われ御坂美琴の元へ届くことはない。
 風穴目掛け彼女は出力を絞り、鋭き雷針を射出。己の身体もまた、神と同じように完全ではない。限られた生命の炎の中でやりくるする必要があった。
 神殺しを果たしても、その先には最後の決着が残っている。彼女の考えは自然と体力温存へ切り替わっていた。

 雷針に対し神は予測していたのか両の掌を大地へ付着させ――エドワード・エルリックと同じように土流壁を錬成。

「このまま地獄の底へ落ちろ、そこが貴様等にお似合いだ」

 更に閃光が迸り、溢れ出るエネルギーが大地に注ぎ込まれ、光が収束した瞬間だった。
 世界から音を奪い、爆ぜる。
 大地が隆起し、人間が普段立っているであろう地点は大きく陥没し、距離を詰めていた生存者は一斉に体勢を崩す。

 佐倉杏子は即座にその場を離脱し、陥没から逃れた。
 タスクもまた、アヌビス神の導きにより離脱。黒は雪ノ下雪乃を抱えると、ワイヤーをタスクへ射出し宙に漂った。

「嫌だああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 蔓に巻き付かれたままの足立透はペルソナを発動することも不可能である。
 拘束されれば腕で耳を塞ぐことすら不可能であり、雷光の被害によって、それはもう血色の悪い表情を浮かべている。
 それに加え大地が陥没しようと、身動きが取れなければどうしようもない。
 崩れ去る瓦礫に混在し落ちていく彼は心の限り、声が出る限り叫ぶ。誰か助けてくれ、と。

「……さすがに、な」

 救える生命を見捨てるものか。陥没地点から元々、離れていたエドワード・エルリックは岩の柱を錬成し、足立透を救う。
 柱の頂きで芋虫のように転がる足立透は安心しきったのか、だらしない表情である。そして、彼は気付く。誰かこの蔓を斬り裂いてくれ、と。

「チィッ、無駄な足掻きを……!」

 大地の陥没という行いは確実に体力を消費する。焦りかは不明であるが、無駄な事をしてしまった。エンブリヲが更に苛つき、神としての尊厳が失われて行く。
 たった一人、落ちた大地の中で彼は考える。どう処分しようか――そんな暇があるものか。

「あんたなんて結局は口先だけの男で、見栄を張るだけ張って、あたし達を勘違いさせただけ。そのロボさえ破壊すれば後はどうとでもなるんだから――もう一発ッ!」

 御坂美琴の声が上から響くと、彼女は電磁により砂鉄を操作し、人間三人分と思われる大きさの岩を浮かべていた。
 あれを音速の三倍で打ち出し、ヒステリカへ衝突してしまったら――考える時間すら惜しい。神が転移を試みた瞬間、空から舞い降りるはいけ好かない騎士である。

「行かせるものか!」『そろそろ潮時だ、お前はもういいだろ』

 辺り疎らに広がる瓦礫を物ともせず、陥没大地を駆け抜けたタスクはアヌビス神を握り締め、神との距離を詰めると、一閃。
 神は無残にも大地を転がるようにして回避。立ち上がりと同時に即席の剣を錬成し、アヌビス神の猛攻を凌ぐ。
 空間を縦横無尽に動き回る進化の剣筋、取り分け剣の世界を極めている訳でもないエンブリヲにとって、最大の壁となろう。

「小賢しい、邪魔をするなッ!」

「そのまま返してやる! お前がどれだけ俺達を、アンジュを、皆を! 邪魔したか分かっているのか!!」

 刃を弾き返されようと、アヌビス神にとってそれは呼吸のようなものである。当たり前だ、次から乗り越えればいいだけのこと。

「知るか、貴様等の事などいちいち考えている筈が無かろう! 選ばれぬ者は黙ってこの私と新世界の糧となればいい!」

「そうやって自分以外の存在を拒絶する男に、アンジュが振り向くものか! 彼女の温かみを知らないお前が、俺に勝てる訳ないだろう!」

「あ、アンジュの暖かさ!? 貴様、何を――邪魔をするなと言っておろうがァア!!」

 タスクを弾き飛ばしたかと思えば割って入り込むは龍の魔法少女――佐倉杏子だ。
 槍の一撃を剣で受け流すも、完全に殺しきれていないのか神の腕に痺れが残り、表情を歪める。
 神であろうと体力の消費は隠せない。万全の状態であればとっくに瞬間移動を発動し、この場から離脱していただろう。
 それを行わずに足止めを食らっている現実から佐倉杏子は好機と捉え、足をしっかり大地へ固定すると、槍を多節棍へ変形――嵐のように攻め立てろ。

 迫る、迫る、迫る。
 幾度剣で弾こうが鎖は無限に空間を駆け回る。

「いい加減に――しろォ! この愚か者共めがァアアアアアアア!!」

 怒りと共に神が剣を大地へ突き刺し、柄に拳を叩き込む。
 かのモーセが海を割ったように、大地を斬り裂くは神の怒りなのか。
 大地を走る亀裂は陥没した状態から更に崩壊し、タスクと佐倉杏子は思い出す――奈落へ落ちた参加者達を。

「ちょっとこれはさぁ……ッ! 掴まって!」

 タスクの片腕を掴むと佐倉杏子は岩を蹴り上げては次の岩へ飛び乗り、その要領を繰り返し、その場から離脱。
 奈落へ落ちては全てが終わる。アカメとやらが戻って来なかった時と同じように。










 獲物に逃げられた事に対し舌打ちをする神は更に追い打ちを掛けようと、近くの岩を吹き飛ばす。
 要領は超電磁砲と同じ、あの女に出来て自分に不可能なことがあってたまるか。邪魔な奴らを片付け、貴様を殺してやると。

 自分の足場は完全に確保している。この瞬間ならば誰に邪魔をされずに転移出来るだろう。
 妨害用の岩も飛ばした。ヒステリカを狙う御坂美琴を殺害せしめんと転移を試みた瞬間、背後から感じる殺気にエンブリヲの心臓が止まる。
 刹那、即座に平常を取り戻し、剣を背後へ。鋼の重音が響いた。

「貴様は何度も……何度も! 私の邪魔をすることだけが取り柄のようにィィィ!!」

 火花を散らし後退りをする神と弾き飛ばされた刃の青年――タスク。
 崩れ落ちる瓦礫を何度も飛び移り、辿り着いた彼は決着のために、崩壊する大地に降り立った。

「神様なら邪魔をする愚かな人間を殺したらどうだ……? それが出来ないなら、お前はここで死ぬのみ!」

 エンブリヲを中心に形を保っている大地も、何れは崩壊するだろう。
 限られた時間の中で全てを成し遂げろ。アヌビス神を構えタスクが走り出し、エンブリヲもまた剣を構え動き出す。

「貴様如きがこの私に勝利するなど! 世界が破界と再世を繰り返す永劫回帰の中で! 一度足りともあるものか!」

「数十分前の言葉を忘れたのか? 俺は既に一度、お前を殺しているんだよ!」

 刃と剣が重なり、それらを通じて彼らに振動が響く。引いてなるものか、互いに足を止め剣戟が行われる。

「誰が信じるものか、万が一にも! そのようなことがあってはならない!」

 神による全身全霊の一撃がタスクを身体ごと弾き飛ばす。

「言っていることが意味不明だなエンブリヲ! 思うような展開にならず苛ついているな!! ダサくて器の小さい男だな!!」

「何とでも言え! 貴様如きの言葉、耳にした所でなんとも思わん! 貴様の相手よりも先にあの女の――――――――ッ、貴様等ァアアア!!」




 あの女。
 数分前に事を遡れば、神が一度目の陥没を発動した時、多くの参加者が逃れた。
 無駄に力を消費してしまった後悔した矢先、地上に残った彼女は懲りずにヒステリカへ攻撃を行おうとした。
 仮にも機神故、一撃で壊滅するとは思いもしないが、万が一の可能性がある。慢心などとうに切り捨てた神にとって、最悪の未来に至る選択肢は事前に潰すのみ。

 転移により防ごうとしたが、地上から降り立ったタスクと佐倉杏子に阻まれてしまう。
 邪魔をするなと彼らを遠ざけるために、更に大地を陥没させ、距離を取り――彼は違った。タスクは尚も挑んで来たのだ。

 思い出せ。たかが数分程度の攻防だ。
 だが、その数分があれば雷撃は遠の昔にヒステリカを貫いているだろう。文字通り一瞬の時さえあれば可能である。
 地上から雷鳴は轟いたのか。雷光が輝いたのか。崩壊する音は、直撃音は――何も起きていない。

 我に振り返り、汗を流しながら神が地上を見上げた時。
 大地に座り込んだ彼女――御坂美琴が嗤って見下ろしているではないか。
 声は聞こえぬが、唇の動きは読める。察するに――。




『こっちを見ていていいの?』




 地上に視線を戻せば目の前には刃。
 間に合わない――瞬間移動でさえも不可能だ。
 空間を捻じ曲げる――肉薄したこの状況では不可能だ。
 正攻法として剣で防ぐ――それこそ間に合わず不可能だ。
 刃に斬り裂かれ死ぬ――認めてなるものか、あってなるものか、不可能だ。


「エンブリヲ! 今こそお前を――葬るッ!!」


「この私が……あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 仮にも調律者を名乗り世界そのものを作り上げる男。
 咄嗟に剣を振るい、それは錯乱による偶然の一撃であるがタスクの上半身に横一文字を刻む。
 吹き出す血飛沫に視界が潰される神であるが、決しては手は休めぬ。このまま殺してしまえ。

 更なる追撃を与えようと――神が許しても、時が許さず。
 ぐるりと一回転する視界は空を映し出し、タスクを映し出し、やがては奈落を映し出す。
 幾度なく回転し、神が己の首を撥ねられた事に気付いたのは、生命としての活動を終える寸前だった。

『やったな……ってオイ!?』

 身体の限界だ。
 エンブリヲに刻まれた一撃により、元から満身創痍であるタスクは限界の限界を超えてしまった。
 これまで動けていたことが奇跡であろう。それは彼のみならず、全ての生存者に言えること。最初に倒れたのが彼であるだけ。

 本来のアヌビス神ならば助けられていたかもしれない。だが、此処は箱庭世界。
 誰もが自由に力を使えず、誰もが自由に死を約束されたクソッタレの管理世界。
 大地の崩壊と共に奈落へ落ちることを受け入れるしかない――彼が一人であるならば。

「あ……りが、と」

「いい。舌を噛むぞ」

 崩壊の寸前にタスクを盗むように抱え上げたのは黒の契約者だった。
 岩壁にめり込ませたワイヤーが彼らを文字通りの命綱として支えている。

 そう、彼らは誰一人として脱落することなく、神殺しを果たしたのだ。





 黒に抱き抱えられ、地上へ昇るタスクは奈落を見つめていた。
 足場の崩壊と共に落ちていくエンブリヲの肉体。この手で斬り裂いたそれが深淵の黒へと消えて行く。
 一度は斬り捨てた存在だったが、此度の殺し合いでも驚異的な敵として、何の因果か再びこの手で生命を終わらせた。

 終わりだ。本当に、これで終わり。
 永く続く戦いに真の終止符が打たれ、残るはヒステリカを破壊するのみ。
 調律者の能力に、ヒステリカを破壊しない限り、異なる平行世界からエンブリヲを召喚するものがある。
 箱庭世界に於いて当然の如く制限により、能力の行使は不可能であるが、念には念を入れ破壊する必要があるのだ。

「………………」

 多くの犠牲者が生まれ、たった一つの奇跡を求めて悲劇が生まれた。
 願いの成就など、誰が保証するのか。主催の言葉に騙され続け、多くの生命が散った。
 地上に上がれば御坂美琴、足立透との決戦が控えている。意識すら飛ばしそうな己がどこまで役に立つかは分からない。
 ただ、動ける限りは抗うつもりだ。アヌビス神を握る腕に自然と力が篭もる。

「もう、復活するなよ」

 それは仇敵に捧げる別れの言葉。
 もう二度と会いたくないという思いがこれでもかと込められており、心より捧げる偽りなき言葉である。
 調律者、エンブリヲ。多くの世界と人々を苦しめた男は遂にこの世界から終わりを告げられた。




 地上に上がったタスクは黒に抱えられ、仲間の出迎えを受ける。
 佐倉杏子は龍の鎧を解除し、魔法少女にも変身していない。額の角が更に肥大化しているのが目立つが、彼女は笑っていた。
 それが空元気なのか無邪気によるものなのかはタスクには分からないが、水を刺す必要も無いだろうと、言葉を口にしなかった。

 エドワード・エルリックもまた駆け寄ると、よくやったとタスクを労う。
 機械鎧が肌にひんやりと感覚を与える。火照った身体には丁度いい。このまま眠ってしまえそうだとタスクが瞼を閉じようとした瞬間、佐倉杏子がソウルジェムを取り出した。

「寝るな! 今から治療するから、絶対に寝るなよ……?」

 黒が彼を大地へ優しく下ろすと、佐倉杏子のソウルジェムが赤く燃え上がるようにその輝きを放出する。
 最も表面の多くが黒く穢れており、輝きすらも濁っているため、赤の炎は血を連想させてしまう。

「おいおい、そんなグロいので傷が治るのかよ?」

「……無事、だったんだね」

「けっ、残念だったな」

 エンブリヲの死亡に伴い、彼の力によって拘束されていた足立透は自由の身となっていた。
 これ見よがしに腕を広げ、横から顔を出すように佐倉杏子を煽る。年齢差を考えればみっともない光景であるが、今更気にするような彼でもない。
 ただ、タスクに声を掛けられたことが想定外であったようで、目を丸くする。そして歯切れの悪い返事を行い、頭を掻きながらその場を離れた。

「あの時はありがと……う」

「…………さぁね、俺だって生きるためにやったんだからな。お前のためじゃないから」

 律儀に礼を言われる覚えはない。もしかしたら、既に聞いていたかもしれない。
 どうせこれからは殺し合う身。もう俺に馴れ合いなんて必要ない――そうこれから俺達は殺し合うんだと足立透が決意の表れとして頬を叩いた時だった。
 賭け事であれば人気最大手である御坂美琴の雷撃がバチリと響き、誰もが予想しなかった『彼』の声が響いた。





『それで、貴様等はそれで満足か?』





 は? と、足立透の間抜けた声が響く。
 自分はあまりの疲れからか、とうとう狂ってしまったらしい。認めたくはないがこれは言い逃れ出来ない。幻聴とは、やれやれと頭を振るう。
 少し落ち着こうかと深呼吸を行い、全てを吐き切ると、瞳を見開き、掌でカードを潰した。

「テメェ!! くだらねえ魔法使ってんじゃねえぞ!!」

 マガツイザナギは刃の先を佐倉杏子へ向けていた。
 こんなガキは殺しても問題ないだろう。『彼』の声を魔法で作り出しビビらせるとはいい度胸だ――足立透は犯人だと決め付けていた。

「……嘘だろ」

 対する彼女はただただこの世の終わりかと思うような表情を浮かべていた。
 瞳に光は灯っていなく、心なしかソウルジェムに黒き渦巻きが発生したようだと、近くで見守る雪ノ下雪乃は錯覚してしまう。
 呼吸を整えるタスクの手を握る彼女もまた、己の耳を疑っていた。『彼』はもう、この世にいないはず。
 蘇生にしては話が出来過ぎている。たった今、たった今なのだ。見間違えようもなく、『彼』は斬り裂かれた。

「おいおいおいおいおいおいおいおい! 嘘だって言えよォ……ッ、ヒースクリフ! どうせお前の仕業だよなあ!?」

 佐倉杏子が作り出した幻覚で無ければ、次なる犯人候補はヒースクリフである。
 殺し合いの始まりを担った男ならばなんでもかんでも出来るのだろう。ゲームは終わっていない、そういった演出に違いない。
 マガツイザナギの刃がぐるりと回り、今にも彼の首に届かんとする所で停止する。言葉を待っているのだ。

 皆の視線を浴びるヒースクリフはどうしたものかと、彼らと視線を合わせた。
 足立透の瞳は大きく揺れ潤を帯びている。雪ノ下雪乃は信じられないといったように、佐倉杏子はタスクの治療に集中するためか瞳を閉じていた。
 黒は黙って空を見上げており、御坂美琴もまた同じだ。己の身体を確かめるように節々を動かしており、それは準備体操と表すよりも稼働限界を見極めているようだ。
 エドワード・エルリックはヒースクリフの言葉を待っている。彼は全てを悟っているようだ。『彼』はどうやら――そして、タスクが声を零す。


「エ、エンブリヲ……エンブリヲ、エンブリヲ、、エンブリヲ、、、エンブリヲッ!!」


『そう何度も私の名前を繰り返すな。それが許されているのはベッドの上のアンジュだけだ』


 最悪の結果が訪れてしまった。足立透はまるでこの世の終わりを体感したかのように膝から崩れ落ちた。
 話が違うじゃないか。おかしい、これは夢なのかもしれない。ああ、そうだ。全部が夢であれば最高だ、それでいい。
 などと独り言を零し、それを軽蔑するように雪ノ下雪乃が見つめる中、タスクが立ち上がろうとしていた。

「お、おい! 立っても意味無いから座ってよ!」

 腕を軽く引っ張られるだけで彼は尻もちを付いた。動けるはずがない、それも走り出そうとするなど自殺行為もいい所である。
 これから治療をするんだから座ってろ。言葉を喉元でお仕留め、佐倉杏子は再度ソウルジェムをタスクへ翳す。
 無論、彼女も黙って治療だけを行うつもりはない。さっさと終わらし、背後に聳える悪魔を――神を殺さなければならない。

「仕組みは分かるか? 洗いざらい全てを吐け」

 視線をヒステリカから逸らすことなく、黒はヒースクリフへ状況の説明を求めた。
 空に聳える黒き機神を見つめる黒、エドワード・エルリック、御坂美琴の三人は答えを求めているのだ。
 自分達が戦い、タスクが止めを刺した『彼』は何者なのか。自分達の数十分は何のためにあったのか。あれは全て、無駄だったのか。

「前提として、エンブリヲとヒステリカ……あのロボットは対の存在だ」

「対……? 人間と機械がか?」

「……はぁ、くだらない」

 鋼の錬金術師が疑問を浮かべる中、御坂美琴はたった一言で気付いたらしく、ため息をつく。
 対と表現されれば答えは一つしかない。理解が早くて助かると、ヒースクリフは結論だけを述べた。

「片方を殺しても、片方さえ無事ならば彼らは互いを別世界から召喚し合える――ふざけた話だが、これが仕組みだ」

 座り込んで大地を見ていた足立透の心臓が一瞬だけ止まってしまう。ヒースクリフは今、何を言ったのか。
 ロボさえ無事なら召喚? 冗談じゃない、全身チート野郎は付属品までもがオーバースペックのインチキマシンなど、不公平にも程がある。
 こちとら始まりはペルソナすら使えなかったというのに……最悪だと唾を吐く。もう、未来など信じられるものか。

「ふざけた話ってのはこっちの台詞よ。あんたは本当に調整したの? あんなのをそのまま持ち込むなんて最初からまともにゲームをするつもり、ないでしょ?
 終盤も終盤。ラスボスであるホムンクルスを倒した後はエンディングを迎えて、スタッフロールの途中にあいつが割り込んだ。それが完全無欠の存在だんて……結局のところ、どうなの」

「……どう、と来たか」

「ああもう、じれったい! いい? あいつとロボが対になっているのは納得するわよ。現に生きてるんだからね。
 それで、本題は『この空間でも対としての役割が機能しているか』ってこと。私の力すら満足に使えないんだから、あんなのは出力九割減でも割に合わないっつーの」

 そもそも殺し合いとは厳密に言えば殺し合いではない。勝手にバランスを図ろうと幾つかの細工が仕掛けられており、御坂美琴を始めとする参加者が餌食になっている。
 エンブリヲも同様であり、取り分け神、或いは調律者と呼ばれている彼が力を自由自在に扱える筈がない。
 ならば所有物であるヒステリカもまた本来の力を引き出せないポンコツになっていないと話が合わないのだ。

「当然だ。この空間に留まっている間は対になどなっていない。『彼』はそのまま死ぬ」

「……そうか。死ぬ、のか」

 黒は御坂美琴が聞き出した本質に気付いたようだ。空を見上げる瞳が細くなり、どうやらあの男は芯まで腐っているようだ。
 ナイフを再び握るも、どうしたものか。これから起こるであろう戦闘を脳内で描き上げるも――物理的な壁が彼を阻む。

 そして、エドワード・エルリックも気付いたようだ。対の仕組みは最初から信じていない。本当であるが、この空間に於ける真実が異なれば、それ以上の情報は必要ない。
 エンブリヲが生きているということは、正に彼が生きていることを指す。当然であり、当たり前。生きているから、生きている。
 対の仕組みが作動しないのであれば、彼は正真正銘の『彼』である。数分前にタスクが斬り裂いた『彼』本人だ。
 奈落へ消えた『彼』が生きている。だが、対の仕組みは作動しない。じゃあ、あいつはなんなんだと一人、頭を抱える足立透であったが、空を見上げる四人は気付いてしまった。


「やってくれるじゃねえか。お前――最初から『お前』じゃなかったんだな」


 ――分身。
 殺し合いに於いてエンブリヲが参加者を苦しめた常識外れの能力、その一端である。

『今更、気付いたか。もう少し早くに気付いていれば、まだ楽しめたものを』

「何が楽しめたよ。そいつが治るまでの時間稼ぎだったくせに。実際、後半のあんたは演技でもなんでもなく、あたし達に追い込まれていたじゃない」

『ククク、貴様は馬鹿か?』

「そういうのいいから」

『……可愛げもない。私はただ試していたのだよ』

 この手の人種はどうも話を誇張し本題を遠回しにする癖がある。何かしら深い意味を含めた言葉回しをするものは決まって自分に酔いしれている。
 何度も見てきたパターンに御坂美琴は掌で顔を覆いながら呆れ、反応はそれぞれだが契約者と錬金術師も似たようなものだった。
 神の言葉に誰も反応しない中、離れている佐倉杏子もまた試していたのだの、いい加減なことを言われ困惑していた。神とは馬鹿なのだろうか。
 なんとか意識を保っているタスクも同様だ。あの男はまた訳の分からない、それでいて気持ちの悪いことを言っている。しかし、その寒気すら感じる言葉は正にエンブリヲ本人だろう。

『貴様等はよくやった――と、言えるかもしれない』

「えっ!?」

 絶対安静のタスクが反応するも、塞ぎかかった傷が開くことを恐れたのか、佐倉杏子が抑えつける。
 無理もないだろう。エンブリヲが他人を、それも自分を含めた生存者を褒めるなど、世界が崩壊してもありえない。耳を疑うのが当然である。

『錬金術、契約者、超能力、魔法、ペルソナ、茅場晶彦の持つ頭脳――どれも私が所有している能力の劣化版だと侮っていたが、世界は広いようだ』

 喧嘩を売るような言葉に御坂美琴は青い火花を散らしそうになるも、寸前で抑えた。

『私の能力とは一部、異なっているようでね。新世界を創り上げる過程の中で、貴重なサンプルとなろう』

 今にも駆け出し喉元を斬り裂きたい所であるが、黒の契約者は神の言葉が終わるのを待つ。

『まずは手始めに、他の世界を破界する。再世などするものか。ホムンクルスのような愚かな考えを持つ俗物を全て排除する』

 まだだ。動くべき時は今ではないと錬金術師は自らの行動を抑制する。

『その後に完全なる新世界を――そこで、貴様等は貴重な住民兼私の下僕として迎えてやってもよい。どうだ?』

 どうだ。姿は見えないが気に食わないドヤ顔で言っているのだろう。簡単に想像出来る下衆な状況に、雪ノ下雪乃は言葉を失う。何を言えばあの男は更生するのか。不可能であろう。
 治療魔法を施す佐倉杏子は心を乱されるため、あの馬鹿は早く口を閉じろなどと思っており、舌打ちをした。

 エンブリヲの誘いに乗る者など一人としていないだろう。彼らは多くの出会いと別れ、壁を乗り越え、己を縛り付けるナニカを打ち破り、ここに立っている。
 下僕などに誰がなるものか――と、勢い良く啖呵を切る者はいない。
 空に浮かぶヒステリカはこの場を支配している。生存者を殺そうと思えば、エンブリヲがレバーを動かすだけで簡単に行えてしまう。
 神の機嫌を損ねれば、揃いも揃って世界を漂う藻屑と化す。下手に口を動かせばその時点でゲームオーバーの可能性すらある。
 どうしたものかと誰もが思考を張り巡らせる中、静寂を破ったのは以外にも絶望していた彼だった。

「助かるのか……? お前に媚びを売って、下僕にさえなりゃあ、生きて帰れるのか……?」

 馬鹿な男だと御坂美琴が腕で頭を抑える。足立透の一言は馬鹿の極みである。
 助かる筈もないだろう。十中八九、主導権を握っているこの状況に酔いしれた神の戯言だ。
 ちっぽけな人間としてのプライドすら感じさせない彼に嫌気が刺し、このまま神経が擦り切れるまで焼き尽くそうか。
 いいや、こんなくだらぬことに貴重な体力を消費する方が馬鹿である。お願いだから黙ってくれと、御坂美琴は天に祈る。願いを叶える神がいるかは別の話であるのだが。

 足立透の言葉は心を動かすに値しない。黒の契約者は一切反応すること無く、寧ろ、言葉を耳から通り抜け、聞き取らないようにしていた。
 己の武器はナイフとワイヤー。何も特別な武装ではないが、常に視線を潜り抜けた手慣れた武装でもある。幾らでもやりようがあったのだが、空となれば話は別だ。
 機械に包まれた神を殺害するには、圧倒的に手段が不足している。能力さえ直撃させれば未来はあるのだが、問題はどのように至るかである。

 鋼の錬金術師はヒステリカとの距離を図る。錬成で届かぬ距離ではない。最悪の可能性を考慮し、どうするか――神の声が響く。


『当然だ。一生モルモットとして生きてもらう……ククク、どうだ嬉しいか? よかったな、帰れるぞ……クク、クハハハハハハハハッ!!』


 でしょうね。神の笑い声が響く傍ら御坂美琴の小言が掻き消される。

「…………いい加減にしろよ、このクソ野郎……この! クソ野郎!!」

 怒号と共に風を斬り裂き顕現したマガツイザナギ。このまま神の首を斬り落とすと行きたいところであるのだが、足立透は一瞬で冷静になる。
 ペルソナを見下ろすように向けられた黒き溝――ビームライフルとでも呼べばいいのだろうか。漫画やアニメの世界でしか見かけない兵器が目の前にある。
 人間に向けてはいけないものだろう。仮に何か、軽はずみでトリガーが引かれてしまったらあっという間に塵になるだろう。
 絶対的な死に対する恐怖からか、マガツイザナギは消えていた。

『さぁ、此処で死ぬか、それでも後で死ぬか……好きな方を選べ』










「あーあ、こりゃあ本当に終わりか? ここまで? ざけんなよ」




 空を見上げる足立透はただただ己の率直な感想を述べた。
 あんなのに勝てるものか。馬鹿でかいロボにどうやって勝てと。ペルソナじゃ無理だ無理、解散解散……はぁ、とため息をつく。
 なんとかラスト一桁の生存者に名を連ね、黒幕たるホムンクルスをも倒した。うざいガキを抹殺しようとしたところでまさかの休戦。
 そのまま流れで最大の壁であったド変態を殺害――出来れば最高のシナリオだった。現実は最悪である。

 絶望に染まったのは何も彼だけではない。
 糸が切れたように意識を失ったタスクの掌を握る雪ノ下雪乃も、足立透ほどではないが、希望を諦めかけている。
 彼女を現世に繋ぎ止めるのは散っていった仲間と託された意思。今の顔を彼らに見せられるだろうか。否、恥知らずである。
 彼女の横でタスクの治療を行っている佐倉杏子は怒りと焦りからか、ソウルジェムの内部が波打っており、お世辞にも美しいとは呼べない、正反対である穢れが蠢いていた。

 空中のヒステリカは一切の動きを見せていない。『好きな方を選べ』と発言して以降、どうやら人間の言葉を待っているようだ。
 最も答えは決まっており、これから神の虐殺が始まるのだが、慢心を捨てた彼は万全を期すためにヒステリカの修復へ時間を割いている。
 修復状況は八割。動作に支障は無く、制限の枷が嵌められていようと、人間如きに遅れる事はないだろう。と、神は結局、慢心していた。

 適当な小石を拾い上げると、どうしたものかと御坂美琴は空を見上げた。ヒステリカの横には相変わらず裸体のアンジュが浮かんでいた。
 死人であるため意識は無いだろうが、あんな醜態を晒しては女として終わりだろう。自分じゃなくて本当によかったとくだらぬことを考える。
 実際のアンジュは一癖も二癖もある女帝であるため、御坂美琴の考えはある種、無駄なものだが……さて。本当にどうしたものか。最後の切り札に近い回復結晶を使いたくないのが彼女の本心だ。
 しかし、現状でヒステリカに対抗する場合――文字通りの死力を尽くさなければ確実に死ぬ。躊躇っても死亡、思い切っても死亡のふざけた選択肢に、彼女は呆れた表情を浮かべていた。

 茅場晶彦は考える。顕現したヒステリカとエンブリヲの関係性はただの機体と操縦者である。
 搭乗される前に殺すという手段は悪くなく、神殺しの選択は状況で最も賢いものだった。故に彼は参加者を止めることはしなかった。
 無論、制止しても彼の言葉をすんなりと聞き入れる生存者はいないだろうが。しかし、ヒステリカか。茅場晶彦は何か思い当たる節があるようだ。
 彼の視線はタスク――の傍、雪ノ下雪乃へ向いていた。黒き機神が箱庭世界に降り立ったならば――山札に仕込んだカードが輝くかもしれない。

 様々な思いが渦巻く中、鋼の錬金術師は魔法少女へ近寄り、彼女へ言葉を掛ける。
 後に悔やむことになるが、この時の彼は不自然なほどに柔らかな表情を浮かべており、止めるべきだった佐倉杏子は思うことになる。


「タスクの治療、頼んだぞ」


 錬金術師はそれだけ伝えると、踵を返し、佐倉杏子らへ背中を向けた。
 背丈は小さいが、背中から漂う覚悟は等身大の人間を大きく上回るように溢れている。そのように感じてしまう。
 治療を任されてもそれは当たり前のことであり、佐倉杏子は何を言っているのかと自分の中で噛み砕く。しかし、不明なまま。
 助けを求めるように雪ノ下雪乃へ視線を流すも、彼女もまたエドワード・エルリックの言葉の真意を掴み切れていないようで、首を振った。
 最も真意など無いのかもしれない。ただ、改めて治療を頼んだ。裏のない結果であろう。一応、奥で嘆いている足立透をちらっと見た佐倉杏子であったが、相変わらず下を向いていたので無視。

「それは分かってるよ、あたしの仕事だし……改まってどうしたんだよ」

「もう誰一人として欠けることなんて認めたくない……ってのは分かるよな。だから治療は任せた。そのための時間は俺が今から稼いで来るからよ」

 その言葉に誰もが耳を疑った。
 脈絡も無く、その発言に至るまでに不自然な流れは無かった。すらっと飛び出した言葉そのものが不自然であることを除けば、日常的な会話のトーンと変わらない。

 彼の錬金術は恵まれた能力だろう。多種多様の応用を見せるその能力を疑う者はいない。
 だが、時間を稼ぐとはヒステリカを相手に――話が違う。それこそ異次元のような、神殺しにたった一人で挑むことになる。
 御坂美琴のような圧倒的たる殲滅力を持ち合わせておらず、佐倉杏子のように己の身体を限界の先へ高める力もない。
 足立透のように使役するペルソナもなければ、黒のような類い希なる身体能力も持ち合わせていない。

「馬鹿……馬鹿言ってんじゃないよ、そんなの――」

「無理だガキ、悪いことは言わないから大人しくしとけって……もう俺達はゲームオーバーなんだよ」

 生身で勝てるような相手ならば、今頃、生存者は数時間も前に帰還しているだろう。
 云ってしまえば土俵が違う。世界が違う。常識が違う。ヒステリカからすれば人間はゼロにも満たない端数の残滓程度の存在だ。
 時間を稼ぐ。確かにエドワード・エルリックならば数分は稼げるだろう。
 錬金術による攻撃はその規模もあって、相手の視界を塞ぐことや注意を逸らすには正に効果を発揮するだろう。しかし

「お前なあ……灰になるだけだぞ? それか臓器も潰れて肉もミンチになる」

 身体を破壊されれば、人間は死ぬ。
 足立透は当たり前の言葉を繰り返す。それが当然の反応であり、全うな人間の反応でもある。
 休日の朝を彩るテレビも、生身の存在がロボを倒すなど聞いたことが無い。あったとしても例外中の例外だろう。
 彼の視線の先には自殺志願者が居る。そうにしか見えなかった。

「ゲームオーバーか……まぁ、そうかもしれないな」

 足立透の舌打ちが響く。
 弱音を吐くなら最初から調子に乗った発言をするな。其れ相応の覚悟を以て取り組め。
 偉そうなことを言える立場ではないが、正義の味方を騙るような存在は余計な連想をしてしまい、心が苦しくなる。

 だとすれば、どれだけ楽だったか。

 エドワード・エルリックの言葉に弱音など欠片の一つも混在していない。
 芯を感じる強き言葉は、全てを諦めてしまった足立透の心を苦しめる。彼にとっては眩しい光のようなものだ。

「あんたはゲームオーバーだと思ってる。だけど俺はまだまだそんなこと思っちゃいない。
 別にあんたをとやかく言うつもりはないさ……むしろ、ありがとうな。よくここまで付き合ってくれた」

「……あ?」

 この流れで礼を言われることなど想定しておらず、足立透は間抜けた声を上げる。
 背中を向けているエドワード・エルリックの表情が窺えないため、真意は不明だが彼を理解することが出来ない。


「文句言いながらもよ。御坂を誘き出すためとは云え酷いことしちまったことは謝るよ。だけど、それだけだからな?
 お前のやったことは許されないし、生きて元の世界に戻って罪を償ってもらうからな。その時は覚悟しておけよ……俺がその場所にいるかは分からないけどな!」


 このガキは相当な馬鹿野郎だ。足立透は言葉を発さずに視線を地面へ向ける。
 対峙して来た空条承太郎鳴上悠と同じ性質の存在と思っていたが、エドワード・エルリックは細部が異なる。
 瞳に宿す光は決して衰えることはないだろう。空条承太郎のように何度も立ち上がり、鳴上悠のように何度だって手を伸ばす。
 だが、彼らとは異なる。全てを乗り越えた先に立っている未来が見えないのだ。
 エドワード・エルリックの言葉は死を連想する。この先、生命を散らすであろう特大の死亡フラグにしか聞こえないのだ。

 馬鹿だ、馬鹿野郎だと足立透は呟いた。
 ガキが、鳴上悠よりも更に幼い存在の言葉に道化師は黙るしか無かった。
 覚悟しておけよ。そう言った人間が一番、覚悟の必要な人間だろうに。

「黒、DIOみたいな奴が現れたらあんたが頼りだ。こいつらを頼んだぜ」

「……待て、俺も――ッ」

 錬金術師の言葉を撥ね除けた契約者が彼に歩もうとするも、身体が拒む。
 口から溢れる血液が現状を物語る。この場に余力のある存在など一人もいない。
 先の戦闘でDIOの不意打ちを受け、神殺しでも身体を無理に動かした反動である。

「俺はまだ動ける。みんなと違って接近戦重視じゃないのが幸いってことだ」

「っ――死ぬなよ」

 当然だ。
 依然として振り返らない錬金術師の言葉が宙に響く。
 この手の男は何を言っても無駄だということは分かる。
 契約者は己の身体へ鞭を打たず、依頼された案件のために刃を研ぎ澄まさせる。
 仮に錬金術師が倒れれば、次は――最悪の未来を予想しろ。この身体はまだ、使い道がある。

「……そうだ、ヒースクリフ!」

 エドワード・エルリックは何かを思い出したかのように、始まりの男である彼の名を叫ぶ。

「もう隠し事はナシだからな……もう、無いよな?」

 帰還と優勝。
 何事を成すにも目の前の脅威であるエンブリヲを無力化させなければ生存者に未来はない。
 仮に――仮の話だが、もしも茅場昌彦がまだ何かを隠していたら。
 絶望が迫る中、現状打破のきっかけがあるならば何でもほしい。ならば可能性があるのは始まりの男だろう。

 エドワード・エルリックの問いにヒースクリフは間を置いた。
 遠目ながらも視線は交差しており、どちらの瞳も揺らぐこと無く相手を貫く。
 数秒の沈黙が流れた後に、口元を緩めながら彼は答えた。

「残念ながら、な。それに私がこれまでに隠し事をしていただろうか?」

「抜かせ……お前も黒と一緒にそいつらのこと、守れよ」

 つまり、状況を打破する奇蹟の一策は存在しない。
 エンブリヲを無力化し、御坂美琴と足立透を黙らせ、聖杯を破壊し、元の世界へ帰還する。
 やるべきことは何も変わらない。エドワード・エルリックは己の頬を両腕で弾き、瞳を大きく開く。

 その行動を後ろから見つめていた生存者は悟る。
 あまりにも小さすぎる背中は、もう二度と会うことは無いだろうと確信させる。


「じゃあ、そっちは頼んだぜ。こっちは俺に任せな」


 鋼の錬金術師が初めて振り返った時、その表情は闇を照らす希望の光を連想させた。
 一片の曇りも無き輝き。信頼と捉えるか、無謀と捉えるか。
 眩きの中に見慣れた蒼き閃光が迸るが、生存者の初動は遅れる。エドワード・エルリック本人に気を取られ、既に彼が錬成術を発動していたなど、見抜ける筈も無かった。


「エド……あいつ、馬鹿野郎……ッ!」


 彼に対する怒りや己の無力さ、情けなさ。
 幾多の感情が混在した言葉が佐倉杏子の口から漏れ出した。
 あいつの隣に、あいつの道に。何一つ協力することが出来なくて、力にもなれない。
 そんな自分が腹立たしい。エスデスから受けた傷を癒やしてもらったあの時から、世話になりっぱなし。
 そして彼は更に遠くへ行ってしまう。佐倉杏子の瞳に彼は映っていない。映は最早、闇を演出する巨大な岩の壁である。

「俺達を閉じ込める岩のドームか。あのガキ、本気でどうにかするつもりかよ。それもたった一人で」

 ――じゃあ、そっちは頼んだぜ。こっちは俺に任せな。

 その言葉を最期に、彼と生存者を分かつ壁。
 錬成によって隆起した大地はエンブリヲから生存者を隔離するための壁となった。
 ぐるりを首を動かし周囲を見渡す足立透だが、ご丁寧にも完全なる密室の中に閉じ込められたようだ。

 最もペルソナの力を用いれば突破も可能だろうが、それでどうするのか。
 エドワード・エルリックに加勢しエンブリヲを倒すのか。冗談じゃ無いとため息を吐く。
 無理だ、次元が違う。仮に勝利したとしても錬金術師は調律者を殺さない。その隙を見逃すエンブリヲでも無いだろう。
 こんなことになるならば、さっさと逃げ出せばよかった。漁夫の利でも狙えばまだ勝機はあったんじゃないか。
 可能性という可能性が彼の脳内を駆け巡り、やがて現状の空しさを改めて実感するだけなので、足立透は考えることを止めた。


「たとえばよぉ、どっかの世界から誰かが助けにくるとかないか?
 あるだろ、こう……色んな世界の犯罪を取り締まる馬鹿なスケールの警察みたいな組織とか」


 足立透の言葉に、佐倉杏子は反応しない。


「ホムンクルスっていうラスボスを倒した俺達。そして現れるは真の黒幕。
 でもそいつをなんとか説得して、晴れて俺達は元の世界へ帰してもらう――みたいな展開とか」


 足立透の言葉に、黒は反応しない。


「……あ! もうホムンクルスが死んだんだから、やっぱ殺し合いを続ける必要が無いオチは!?
 実は参加者の知らないルールで優勝者は決まっていて、そいつに俺達を帰してもらうように、願いを叶えてもらうとか!」


 足立透の言葉に、ヒースクリフは反応しない。


 もしもの可能性を考慮し、IFを期待する時間は終わっている。
 エンブリヲが機体を手に入れた時点で天秤は大きく彼に傾いた。
 しかし、彼を処理していれば今頃はホムンクルス相手に全滅だ。

 エドワード・エルリックが時間を稼ぎ、タスクが意識を取り戻したところで事態は好転しないだろう。
 反撃の象徴である生存者側の機体――テオドーラは大破してしまった。
 タスクの身体を動かしたとして、生身の彼がヒステリカに挑むなど自殺行為に過ぎない。

「ああ、くそっ……三途の川の向こうから引っ張ってやるから、目を覚ませよ」

 だが、それが彼を見捨てる理由にはならない。
 ソウルジェムに灯るは暖かさを感じさせる光。朱色に金色が混ざるような淡い色。
 佐倉杏子がタスクを治療するのは二度目となる。

 彼女に回復魔法の心得など持ち合わせていない。大方、茶菓子を頬張るぐらいの程度に過ぎないだろう。
 イメージするは過ぎ去りし過去。隣に立つ先輩がいたあの頃。師匠の魔法を見様見真似で実践する。
 巴マミ――大切だった存在を思い浮かべ、佐倉杏子はソウルジェムをタスクへ翳した。





 砂塵が吹き荒れる中、小さな影が絶望へ足を進める。
 太陽を背景に輝く黒き機神に一世一代の大勝負を仕掛けるその背中はあまりにも小さい。
 生存者の明日を担う男。小さな背丈に託された使命は絶大の重さを秘める。

 重圧に押し潰されようと、使命を果たせなかろうと、誰も彼に文句は言わないだろう。
 よくやった、十分だ、答えは最初から分かっていた、期待はしていなかった。
 多くの言葉を掛けようが、誰も彼を非難しない。しかし、誰もが明日を夢見ているのだ。

 口ではどうとても言える。
 本音を言えば、エドワード・エルリックがヒステリカを攻略すればそれは最高の結果だ。
 御坂美琴と足立透すらも手を組もうと考えてしまう程に、絶望の化身は規格外の存在である。

「さて……どれだけ稼げるか」

 砂塵の渦中から僅かに覗いた瞳は強き意思を秘めている。
 目的は単純だ。ヒステリカ相手に時間を稼ぐこと。その後――未来は未定。
 タスクが目を覚ました所で、逆転の一手には繋がらない。それこそ奇跡を起こす必要がある。
 勝利への算段は無し。身体が黙っていられなかったのだ。あのまま絶望したまま死ぬことを本能が許さなかった。

 砂塵が吹き終えると相変わらず空にはヒステリカが居座っている。

「どれだけ稼げるのよ」

「………………は?」

 この場に立つのは自分だけ。仲間は例外なく錬成した岩の密室に閉じ込めた。そのつもりだった。
 錬金術師の耳に届いた声は予想外のものであり、考えられるとすればエンブリヲだが、声色は女性。
 髪を掻き上げるその仕草、調律者であるものか。御坂美琴が隣に立っていた。

「お前……!? な、なんでここに」

「最初からあたしは外れてたのよ。あの外にいたの」

 彼女の視線は後方へ流れ、自分はあの岩壁の範囲に最初から収まっていないと言い放った。
 しまったと顔を歪めるエドワード・エルリックに対し、ため息を吐き半ば呆れた表情を覗かせる。

「あんな場所に閉じ込められたら完全に詰みじゃない。禄に信頼関係も築けていないんだから。
 それに……あんたの挙動は完全に何かをやらかす気配だった。見逃したら無謀な策にあたしも巻き込まれそうだったからね」

 岩壁に囲まれた所で、その堅守たる要因はヒステリカの前では塵同然である。
 気休めになれば御の字程度の防御策に過ぎない。御坂美琴からすれば、視界を塞ぐだけのデメリットのみ。
 密室に閉じ込められれば、遅かれ早かれ他の生存者と激突することになるだろう。
 狭い空間内での戦闘は縦横無尽に駆け回る佐倉杏子や単純な経験の差から黒相手には分が悪い。
 広範囲を誇る電撃すら、方向が限られる密室では容易に回避されるかもしれない。

「……で、時間を稼いで何ができるの」

 確信を射貫く言葉にエドワード・エルリックは唾を飲み込む。
 他者のために単身で絶望に挑むその姿、正に正義の味方と言えるだろう。

「あいつ……タスクが目を覚ましたってエンブリヲを殺すための力になるとは思えない。寧ろ、動けない足手まといがオチ」

 タスクの口からエンブリヲ攻略の糸口を――などと言っていたが、御坂美琴はそれを信用していない。
 仮にヒントを握っていれば既に実践しているだろう。ヒステリカへ搭乗する前にエンブリヲを始末するだろう。


「あんたは単純にこのまま死ぬことなんて許せなかった、諦めきれなかった。だから一人で立ち向かうことを選んだ。
 傷付いた仲間を治療するための時間を稼ぐために、仲間を巻き込まないためにあんたは一人で立ち向かうことを選んだ。
 ……あんたってほんと馬鹿。全く裏表が無いのが余計に腹立つ。自己犠牲の先に生まれる物なんてちっぽけな達成感――すらもない虚無かもしれないのに」


 保証など最初から無いのだ。エドワード・エルリックの行いに意味を求めるならば、それは正に時間稼ぎ。
 明日を生き抜くためではなく、現実に抗う小さな虫けら同然の足掻き。


「あたしと足立を守ったところで、最期に待つのは裏切りよ。願いを叶えるために平気であんた達を切り捨てる。
 それにヒースクリフだって何を考えているか分かりもしない。あんたが身体を張ったって、なんの意味も無いのよ」


 全ての事象が都合よく成立すると考えた場合、タスクが復活し、彼の口からエンブリヲの弱点が露呈し、奇跡の大逆転を収める。


「……あんただって分かってんでしょ、エンブリヲを殺すための糸口なんて無い。あんたはただ――みんなを守るためだけに、無謀にも一人で立ち向かうことを選んだ」


 その行いを評価する者はいれど、賛同する者はいない。


「きっとだけどあいつら――黒とヒースクリフもあんたの本心を気付いていたと思う。あの女の子は必死で精一杯だったし、足立は最初から諦めていたから見抜けていなかっと思うけど」


 たった一人で立ち向かう小さな男へ託すには、余りにも深い絶望。
 己の失敗が他者の死へ繋がり、相手が神ともなればその余波は数多の世界へ及ぶだろう。

「図星でしょ」

「……まあ、まともな作戦が無いのは事実だ。それに」

「ロボに乗せた時点でゲームオーバー……足立の言葉どおりって訳ね」

 超能力者は錬金術師の言葉を遮り、空を見上げる。
 先ほどから動きを見せず、空中に留まる絶望は人間を虫螻程度にしか考えていないのだろう。
 現に生存者達は会話の時間を確保するものの、やはり神を相手するには全てが不足している。
 実力も、体力も、運も、伏線も、奇跡も――何もかもが圧倒的な力の前では無意味。

「考えたんだ。俺には大佐みたいな火力は無い」

 人間一人を容易に焼却し、氷の女王に奥の手を発動させた焔の錬金術師。
 彼の火力は絶大であり、相手が機神であろうと、その神体を炙ることが可能だったかもしれない。

「スカーみたいな破壊に長けている訳でもない」

 鋼の錬金術師の知り合いの一人の男。
 片腕に刻まれた破壊を司る男ならば、大地すらも破壊し巨大な存在へ抗えたかもしれない。

「俺にはあいつらみたいな代名詞は無い」

 小さな男が吐く弱音。
 等身大の裏表の無い言葉が仮に生存者へ届いていたら。
 最期の希望が折れる音が響き渡り、人間は神を名乗る男に敗北しただろう。

 この言葉を唯一聞いている御坂美琴は不反応である。
 最も真なる弱気ならば、足立透へ毒を吐いたようにエドワード・エルリックの頬を叩いていただろう。
 或いはこの場で殺害していただろう。だが、その未来はあり得ない。

 あろうことか、弱音を吐く錬金術師の口元が緩んでいるのだ。
 言葉の端々には覇気が宿っており、決意の表れ故に笑っている彼から絶望など感じるものか。
 早く本音を言えと呆れ気味である。お前の瞳に映る世界はまだ、明日を失っていないのか。

「だけどよ、時間を稼ぐってなら俺が一番なんだ」

「だから、時間を稼いだってその後はどうすんのよ」

「俺はこのまま死ぬなんてあり得ないと思ってる」

「あたしだってそうよ」

「だろ? それでいいんだ、今は。これまでに何度だって壁を乗り越えてきたんだ――やるぞ、神だろうが調律者だろうがやってやる」

 力強く合わされた両掌から響く軽快な音と声が木霊する。
 錬成の光は発生しておらず、単純な景気付けの動作であるが彼を表すには十分な仕草である。
 エドワード・エルリックは絶望もしていなければ、死に急いでも無い。

「はあ……で、結局のところ、あんたの勝率は?」

 彼の決意を聞いたとして現状が改善される訳ではない。
 御坂美琴は彼に再三答えを求めるも、具体的な妙案は聞き出せない。元より期待もしていない。
 鋼の錬金術師がその性格故、他者を守るために立ち上がることは始めから分かっていた。

 それらを含めた上で、彼女はとある一つの可能性を探り始める。

「質問を変える。勝率なんてどうでもいい。あんたが死んだってあたしには関係ないから。
 それで、時間を稼ぐ算段はあるの? これが一番の本題で、あたしが最も気にしていること」

「あの機械が相手じゃ分が悪いのは明白だ。だけどよ、あいつは機械に乗り込んでから一切の行動を見せていない。
 俺達を殺そうと思えば簡単だ、それこそ指先一つで可能かもしれない。それでも、あいつは実行していない……なんでだと思う?」

 エンブリヲ本人曰く、彼は本来の力を取り戻しつつある。
 実際に離れていた生存者を一つの地点に集める所業を遣り遂げている。
 地上戦に於いても多数を単独で応対し、最終的に分身は失ったものの常に優位を保っていた。
 それに加え機動兵器を持ち出せば生存者の希望は潰える。破滅の雨から逃れられる屋根などこの世界には存在しない。

 彼はその気になれば直ぐにでも優勝者となる。
 学生である雪ノ下雪乃は当然として、最年少国家錬金術師たるエドワード・エルリックに学園都市有数の超能力者である御坂美琴。
 契約者の黒、魔法少女の力に加え竜の因子に侵された佐倉杏子、ペルソナ使いの足立透。
 始まりを担った一人であるヒースクリフ、そして因縁の相手であるタスク。
 苦戦、死闘、激闘を強いられることになったとしても、エンブリヲの勝率は他者と比べ群を抜くだろう。

「……そう、結局は賭け事じゃん」

 依然として動きを見せないヒステリカ。
 その気になれば一瞬で文字どおり生存者を塵にする男が行動していない。
 これは賭け事だ。それも火傷の大小はあるものの少なからず勝利が約束された博打。

 代価は己が生命。神を相手に人間が挑む絶世の狂劇へ興じよう。
 数字的観点から調律者たるエンブリヲの勝利は絶対だ。揺るぎようも無い次元の異なる力が驚異を発揮する。
 しかし、神にとっての欠点が人間へ勝利の希望を抱かせる。

「エンブリヲはあたし達を舐めている。そこを掬えば時間を稼ぐなんて簡単……ってことね」

「悔しいが俺達を殺す機会は幾らでもあった。もしかしたら機械が無くても俺達は負けていたかもしれない」

「それなのに生きているのは何故か――って考えるとあいつが手を抜いているから。今も会話の時間があることが奇跡って訳ね。それでも」

 御坂美琴は一呼吸を置く。


「奇跡だろうが何だろうが、これから神様を殺すのよ。怖いものなんてある訳ないじゃない」


 彼女の前髪が揺れると同時に青白い火花が散った。
 勝利条件はゼロ。先にくたばるか、後にくたばるかを自ら選択しただけ。神に殺されるか、神に楯突いて殺されるか。
 ふん、と鼻で笑い飛ばす。このまま死ぬ? 願いも叶えずに? 冗談じゃない。
 バチリと音が鳴り、相も変わらず体力や能力の酷使により身体は悲鳴を上げているが、こればかりはどうしようもない。
 立ち塞がる者には挑まねばならない。当たり前のことを当たり前のように行うだけ――狙いがただ、神様であっただけのこと。

 エドワード・エルリックは困惑していた。彼の博打は賭け事にすら満たない自殺行為だ。
 クソッタレの御伽噺に抗おうと、暗闇の中で空間すら認識出来ぬまま、それでも諦めずに藻掻き続ける。
 まさか、細部は異なるにせよ隣に立つ者が現れるなど想定外である。彼と彼女の見ている景色は違う。しかし、見ている敵は同じ。
 勝利条件はゼロ。自己満足達成のために掲げるは佐倉杏子がタスクの傷を塞ぎ意識を取り戻すまでの時間を稼ぐこと。
 その先のことは後でいい――鋼の錬金術師は空の機神へ腕を突き出した。絶望の化身を掌に収めるように動かし、解放する。


「エンブリヲ、人間はお前が思っているよりも愚かじゃないってことを――証明してやる」

最終更新:2017年11月14日 20:25