『REACH OUT TO THE TRUTH』(前編) ◆IVe4KztJwQ



E-5の南西にある海岸。
そこに漂着した阿良々木暦は海に落ちた事により
未だ気絶している浅上藤乃を見る。
その衣服は海水を含み体は濡れ冷え切っており
大量の海水を飲み込んでしまい、表情は青ざめ唇は紫色に染まっていた。

「くそっ、このままじゃ不味いよな」

暦自身も藤乃に攻撃された右腕と左足を怪我をしており
意識を失った藤乃が海に飲み込まれまいと必死に抱え続けた事で
相当体力を消耗していたが、その事には我関せず。
暦は藤乃の華奢な体を背負い、治癒中の左足をなんとか引き摺りながら
目に入った近くの民家へと向かって歩き出した。

暦が見つけた民家、それは一般的な現代の木造建築とは違い、
周囲を高い塀で囲み、敷地内に広めの中庭を持つ、今では珍しい日本家屋の屋敷だった。
暦は表札には目もくれず、急いで玄関に入ると無造作に靴を脱ぎ捨てる。
休める場所を探して暦はそのまま屋敷の奥へと向かう。
暫くして居間らしき場所へとたどり着いた暦は辺りの小物や家具等を
無造作に足で退かしながら、部屋の中央に適当な広さを確保して
ここまで背負ってきた藤乃の体を畳の上にゆっくりと降ろし横に寝かせる。
その表情は先程より若干青ざめているようで苦しそうだった。

ええと、海に落ちた人を介抱する時は何をするんだっけ。
救命医療に詳しい訳ではないけれど、暦は保健体育の授業で
習った手順を思い出しながら浅上の腕の脈を取ってみる。
正直よくわからない…。

ともなれば、苦しそうなその表情を見て暦が次に思いついたのは
やはりお約束というか。つまりアレである。
阿良々木暦は決断を迫られていた。

海水で頬に張り付いた黒髪を手で除ける。
お嬢様学園として名高い礼園女学院、その中でも
特に美人の部類に入る浅上藤乃の顔が目の前に在り。
その顔は暦の彼女、戦場ヶ原に劣らず美人だな。
と場違いな事を思った。

「と、そうじゃなくて。何を考えているんだ僕は」

こういう事は一分一秒の遅れが命取りになる。
苦しそうに歪む藤乃の表情、それを再度見た暦は
決断した行動を実行に移すべく、雑念を取り払う。

これはあくまで人命救助の為。それ以外に他意はない。絶対に。
戦場ヶ原とのキスを経験した僕に隙はない。
そう再度自分に言い聞かせ、藤乃の気道をしっかりと確保する為に
暦は人工呼吸を開始した。

 ◆ ◆

その後、胃に溜まっていた大量の水を吐き出し冷え切ってしまった
藤乃の体を暖めようと、居間に在った電気ストーブに火を灯し、
別の部屋から持ってきた布団を居間に広げ藤乃をそっと寝かしつける。
しかし、彼は人工呼吸よりも更なる鬼畜の所業に手を染めていた。

「帝愛の人間は随分と手が細かいんだな。こういう所はちょっと関心するよ」

屋敷の奥にあった風呂場に繋がる洗面室。そこで見つけた乾燥機。
その中に海水で濡れていた藤乃の衣服を無造作に入れると僕は電源を押す。

よし、一先ずこれで窮地は脱したはず。
暦は藤乃を寝かせている居間へと戻りながら、
後は彼女をどうするべきか考える。

この会場で初めて遭遇した、平沢憂との苦い記憶。
あの時は、武器さえ奪っておけば無茶な事はしないだろう。
そう思って平沢憂を放置した結果。
政庁で再開した彼女は別の人間を殺し、再度僕の事を殺そうとした。

だから、あの時のように藤乃をこのまま放置するわけにはいかない。

といっても藤乃は武器を持たずに彼女から発せられた
紅と翠の螺旋を受けた僕の左足と右腕は、その瞬間捩れたのだ。
ある意味、それは目に見える武器より危険な力。
怪異とはまた違う。俗に言う超能力とでもいう物なのだろうか。

そして海に落ちる前に見た紫色の衣服に身を包んだあの女は
間違いなくセイバーの言っていたライダーだった。
僕達が逃げ出したD-6駅を襲撃し、放送で名前を呼ばれた
僕の仲間だった真田幸村を殺したであろう人物。

正直に答えてくれるかわからないけれど、
事実を藤乃本人に聞いてみなければいけないと思う。
もちろん僕自身の安全を確保する為にも藤乃が寝ている今のうちに
腕の一つくらいは縛っておくべきだろう。それとも目隠しの方がいいのかな。

意識のない女子高生を民家に連れ込んだ挙句、
その衣服を脱がせ、両腕を紐で縛ろうとしている男子高校生がそこに居た。
というか僕だった。

如何に殺されかけたとはいえ。

「これって傍目から見たら。僕のほうが完全に加害者で犯罪者の図だよな」

いや然し、でもどうするべきか。

 ◆ ◆

暦が彼是よからぬ事を考えている内に。当の本人である浅上藤乃が目を覚ます。

藤乃の視界に入ってきた見知らぬ天井。

わたし、いつの間に眠ってしまったのかしら。

そんな事を考え周囲を見回し、窓辺から差し込む日の光が
茜色に染まっており、今が夕暮れ時である事を示していた。
一瞬、自分の置かれた状況が分からずに困惑する藤乃。
不意に、後ろから聞き覚えのある声が掛けられた。

「や、やあ…」

そこには藤乃と同年代位の背格好をした男の子が立っていた。

藤乃は彼を知っている。

名前は確か、阿良々木暦。

少しずつ頭がはっきりし、意識を失う前の記憶が甦ってくる。
わたしはライダーさんと共謀して目の前を阿良々木暦を殺そうとした。
だけど逆に鳩尾への反撃を受けて、そこで一緒に海へと落ちたはず。
その事を思い出して。藤乃は急いで体を起こし咄嗟に身構える。

その藤乃の様子に暦は慌てて両手を振った。

「ちょっ…ちょっと待ってくれ。前にも言ったけれど、
 僕は殺し合いに乗っていないし浅上とも殺しあいたくない。
 というか今は一旦落ち着いてくれないかな。それに…」

暦は視線を斜め右下に逸らし。歯切れを悪くして言う。

「その…、まずは自分の格好を確認してほしい」

一度自分を殺そうとした相手に対して目を逸らす。なんて油断なのかしら。
そう考えながらも暦の怪訝な表情と言葉に藤乃は自身の状況を確認する。

布団の上で横になっていた状態から暦の声に体を起こした為、
藤乃の身体へと掛けられていた純白のシーツ。それが脇へと落ちていた。
いつの間にか服を着ていなかった自分に気付く。
いや、あくまで最低限の下着だけは付けていたのだけれど。

藤乃は再び暦を見やる。

「ちょっ、その誤解しないでくれ!二人して海に落ちたのはわかるよな。
 それで、浅上の服はずぶ濡れだったから…」

そのままだと、きっと身体が冷えて体調にも悪いだろうと思って
浅上が着ていた衣類はこの家にあった乾燥機に入れておいたんだ。

他に変な事は一切していない。極力素肌を見ないようにも気をつけた。
やましい所など何も無い。だから安心してほしい。と必死に弁明する。

もちろん健全な男子高校生である暦は、同じ女子高校生の素肌を見れば
当然興奮もするし、多少はいやらしい気持ちになったりもするのだが。
人命救助の前にそのような考えは浮かばず、仮に出来たとしても
そんな事をするほど阿良々木暦という男に勇気はなかったのだが。

それに例え人助けの為とはいえ、
他の女の半裸を見たなどと戦場ヶ原に知られでもしたら。
僕は次の瞬間「万死に値するわ」と呟いた彼女に一万回は殺されかねない。
意識がないと油断して胸を触ったその結果、平沢憂に激しく怨みを買った事も
もちろん忘れてない。だから、僕は同じ鉄を二度踏む訳にはいかない!
と心の中で叫ぶ。

暦がそんな事を考えているとは露知らず。必死の弁明と
その様子が少し可笑しくて藤乃は毒気を抜かれてしまった。

「とりあえず、浅上の服が乾く間くらいは休戦といかないか?」

海に落ちた事で大分疲れているのだろう。身体を倦怠感が襲う。

「そうですね、わかりました」

藤乃は暦に頷き返し、体に掛けられていた純白のシーツを徐に掴み、
それを衣服の代わりと上手い具合に体へ巻きつけていく。
暦が部屋の片隅にある電気ストーブをそっと移動させてくれた。

「まだ横になっていた方がいいと思うけど」

「わたし、大丈夫ですから」

「そっか」

と短い言葉が交わされる。

そっと覘き見た藤乃の表情。
そこからは暦を殺そうとした際に見せたあの歪んだ笑み。
それ自体が見間違えだったんじゃないだろうかと
思わせるほど為りを潜めており、こうして普通にしている藤乃は
正に良家のお嬢様、そんな感じにしか見えなかった。
暦はその様子に多少安堵する。

「ちょっと待ってくれよな。そこの台所でお茶を沸わかしてるからさ」

状況を確認する為に、暦の提案に従った藤乃は改めて
自分の身体が冷え切っていることに気付く。
視界にかかる黒髪に触れてみると微かに濡れていた。
少し前まで解からなかった感覚。寒さで身体が少しだけ痛い、と感じる。
そこへ暦がお茶と台所に置いてあったという蜜柑の二つを暦が差し出してきた。

「こんな物が民家に用意してあるなんて。変なところで帝愛も拘ってるよな」

藤乃に対し軽く笑い返す暦。お礼を言うのが多少恥ずかしくて、
藤乃は軽く頷き、暦から受け取った湯呑みの端に口を付ける。
そのお茶はとても熱く冷え切っていた体に心地よかった。
少しだけほっとする。

「ところでここは何処なんですか?」

「えっと、僕らは海に落ちてから大分流されたらしくてさ。
 気付いた時にはE-5エリアの対岸に流れ着いていたんだ。
 それから僕は気絶していた浅上を抱えて海岸沿いにあった
 この民家まで移動したってところだよ。
 しかし二人とも無事海岸に流れついたのは、正直運がよかったよ」

暦は何でもない事のように軽く話す。

E-5エリア。あれからどれくらい気を失っていたのか解らないけれど
元いたF-6エリアのライダーさんとは随分離れてしまったのかもしれない。
ライダーさんは一人でも象の像へと向かっているのかしら。

でも。その事よりも、目の前の暦の態度に藤乃は疑問を抱く。

「…どうして?」

どうしてこの人は自分を殺そうとした、わたしを助けたりしたのだろう?
かつて藤乃を■■した男たちとは全く違う。
その考えと行動が理解ができない。
あえて言うとしたら、あの時の黒桐先輩のような…。

藤乃が知る由もない事だけど。
阿良々木暦は相手が誰で助けようとする人間だった。
暦の口腔内に突然カッターナイフとホッチキスを突っ込むような相手でも。
好きな相手を奪われたが故に、嫉妬から暦を殺そうとした相手でも。
妹の友人である後輩を呪った見知らぬ相手であろうとも。
それが人を喰らう伝説の吸血鬼が相手であろうとも。
ただの一度も例外無く、その全てを助けようとしてきた暦は
間違いなく超が付くほどのお人好しだった。

そして、藤乃は更にある違和感に気付いて驚いた表情を見せる。

「…どうして?」

阿良々木暦はその態度だけではなく。こうも平然としていられるのか。
どうして藤乃が魔眼で凶げたはずの足と腕を引き摺っていないのか。
そこには藤乃が魔眼で凶げたはずの痕跡そのものが既に無かった。

藤乃の視線に気付いた暦が左腕を上げながら何でもない事のように言う。

「ああ、これの事か。見ればわかっちゃうだろうし隠しても仕方ないよな」

僕は普通の人より多少傷の治りが早いんだ。そう一言で説明する暦。
あり得ない。藤乃の魔眼で凶げられた挙句、あれだけ絶叫をあげておいて。
それで傷の治りが早いだけ?正直そんなレベルではないと思う。
そう考えながら参加者詳細名簿、暦の欄に書かれていた
『怪異に行き会った少年』という言葉を思い出す。
あの時はそれほど気にしなかったけれど。つまりはそういう事なのだろう。

「それはそうと、僕も浅上に聞きたい事があるんだ」

藤乃に代わり、暦がその口を開く。

「君と海に飛び込む前に、紫色の服を着た女を見た。
 君の言ってた同行者はライダーの事なんだろう?」

思っても見なかった言葉に驚く藤乃。

「どうして、その名前を知ってるんですか」

「やっぱりそうなのか。僕は、彼女と同じ世界から着たセイバー、
 そして真田幸村と一緒に居たんだよ。ライダーに襲撃されたD-6駅に」

暦は少し苦々しく言った。

「そう、ですか…」

一瞬の沈黙。そして。暦は顔を上げ。

「幸村を殺したのは、君達なのか?」

その質問に対し藤乃は無言のまま頷き返す。

「そうか…」

「ごめんなさい。でも、わたし」

戦国武将、真田幸村。僕が幸村と共にした時間は実際には短かったけれど。
その行動言動、その性根は僕と違ってとても熱かったのを覚えている。
僕を逃がす、その為に襲撃を受けたD-6駅にたった一人残ったんだ。

『ありゃりゃぎ殿!』と僕の名前を何度も噛んでいた幸村。

「…幸村は、いい奴だったんだ」

その幸村を殺したかもしれない相手を前にして。
暦は拳を握り締め。唇を噛む。

「…怒らないのですか?」

…くっ。

「怒りたい、怒ってるさ!でも、あの場所から幸村一人を残して
 生き延びた僕に。浅上を怒る権利はない」

暦は知っている。

「いくら怒ったところで、幸村はもう帰ってこないんだ」

死んだ人間が生き返る。仮に帝愛の言う事が本当だったとしても。
誰かの命を犠牲にした上で誰かの命を救う。
その事がどれほど罪な事で、続く日々がどれほどの地獄なのかを、
僕は春休みの経験で嫌というほど理解していた。

そこで暦は疑問に思う。
最初に出会った時同様に、目の前の浅上はこうして話をしてみれば
初めに感じた清楚なお嬢様といった印象にも一切の違和感が無い。
こうして普通に話する事もできる。

なのに、自分とほとんど年の変わらない浅上藤乃という少女が
どうして殺し合いに乗っているのか。それがわからない。

自分が生き残る為なのか。叶えたい願いがあるのか。
平沢憂のように守りたい誰かがいるのか。
その相手はもしかしたらあのライダーなんだろうか。
色々考えてみるけれど理由は解からない。
そして何より阿良々木暦は浅上藤乃が
あの時見せた、歪んだ笑みが気になった。

「なあ浅上。僕は教えて欲しい、どうして殺し合いになんて乗ったんだ?」

帝愛の連中のなんでも願いを叶えてくれるって言う言葉を信じたのか?
それとも他に何か理由があるのか?

浅上の黒髪が微かに揺れる。

わたしだって人殺しがとても悪い事だっていうのはわかっています。
あの男達を殺した後は酷い罪悪感に襲われたものだ。
でも、わたしは黒桐先輩を…。

「…」

やはり何か理由があるのだろう。
暦の質問に対して何かを考え込むように俯き、
無言になってしまった藤乃を見てそう感じる。

「無理に話さなくてもいいけれど。
 でも、理由もわからず殺されるのはごめんだから」

「そう…ですよね…」

阿良々木さんの言いたい事は、わたしにも解る。
誰だって訳もわからず自分が殺される。なんて考えたら納得できないはずだから。

「それに、君みたいな女の子がどうしてこんな殺し合いに
 乗っているのか僕には解らない」

阿良々木暦は目の前の少女。浅上藤乃が誰かを殺す事も、
誰かに殺される事も、そのどちらもが許せなかった。

「わたしは…、黒桐先輩を」

責め立てるのではなく、寧ろ心配そうに聞いてくる阿良々木暦。
わたしは彼を殺そうとした、にも拘らず、海に落ち、意識を失った
わたしの事を、阿良々木さんは必死になって助けようとしてくれたのだろう。
ああやっぱり、あの男の人達とは違うのですね。

「わたしは、この島で死んでしまった黒桐先輩の事を…」

生き返らせなきゃ。助けないといけないんです。
その瞬間、言葉で言い表せない先輩への想いが溢れてくる。

だから、ごめんなさい。助けてくれた事も。
わたしを気遣ってくれた事も。とても感謝しています。

阿良々木さんがとてもいい人だという事も解かっています。

でも、わたしは先輩の事を…。

だから。

「ごめんなさい」

先輩の為に死んでください。

藤乃の両眼に魔力が宿り。紅と翠の二重螺旋を描く。

 ◆ ◆

「くっ!」

どうやら僕は知らず知らずのうちに地雷を踏んでしまったらしい。
休戦しようといった僕の言葉に頷き、今まで普通に会話が
できていた事で油断してしまったのか。
浅上の様子がおかしくなり始めたと気付いた時にはもう遅かった。

彼女は先輩の為に「ごめんなさい」と繰り返し。襲い掛かってきた。
その両眼から放たれた螺旋の輝きを咄嗟に交わし、
僕の目の前で電気ストープがありえない形に捻じ曲がった。

つまり彼女は死んでしまった先輩を生き返らせる為に、
この殺し合いに乗ったという事なのか。
確かに『黒桐』という名前を放送で聞いたような気がする。

「聞いてくれ浅上」

僕は叫ぶ。

「死んだ人が他人によって生き返らせられる。
 その事がどれだけ辛い事なのか浅上は知らないだろう」

他人より傷の治りが早い僕の体質。
それは僕が過去に吸血鬼に襲われて一度死に、
生き返った事の名残なんだ。それからの僕は、
17年間生きてきた中で想像を絶する地獄のような日々を味わった。

「たとえ君が他の人を殺しつくし優勝して。
 帝愛の言う通りにその先輩を生き返らせる事が出来たとして。
 それでその先輩は喜ぶっていうのか!」

破壊された電気ストーブから漏れた微かな炎と石油が床に広がっていく。
その炎に照らされた浅上が黒髪を揺らしながらゆっくりと立ち上がり。

「あなたに…先輩の何が解るっていうんですか?」

螺旋が放たれて。居間の障子が中庭へと弾け飛ぶ。

ああ、ちくしょう。
こんな土曜ワイドのサスペンスでも使い古されているような台詞しか
思い浮かばないなんて。もちろん安物のTVドラマなら、
そんな言葉に何故か涙腺崩壊した犯人があっさりと泣き崩れ。
刑事と一緒に自首しよう。そんな幕引きなんだろうけれど、
現実はそんなに甘いもんじゃない。

「くそっ」

結局のところ。僕は浅上と戦うしかないのか。

僕は知っている。戦いを。闘争を。
春休みに起きた事件で殺し合いを。
その果てに何があるのかを知ってしまった。

「僕は浅上の事を何も知らない。浅上が生き返らせようと
 している先輩がどんな人なのかも確かに知らないさ」

でも、これだけは言える。
高校最後の春休み、これまでの人生で経験した事のない。
家に帰る事も誰かに悩みを打ち明ける事も出来ずにいた。
あの、地獄のような二週間。結果的に誰も助からず。
何の救いもない。皆が不幸になって終わった。
僕と忍に深い傷を残した物語。
あんな地獄を経験するのは、僕達だけで十分だと。

「でもな、浅上。誰かの犠牲の上で救われる命。
 誰かの犠牲の上で命を救われた本人は。
 それから一体どう生きていけばいいんだ?
 君は先輩と、どう向き合っていくんだ?
 それはとても残酷で、哀しくて、苦しくて、辛くて、
 終わることのない後悔と悔恨しか生まない事なんだよ」

暦の言葉に何の感慨も見せず藤乃は言う。

「貴方が、いったい何の事を言っているのか。わたしにはわかりません。
 それでも、私は先輩を助ける為に皆を殺さなければいけないんです。
 だからごめんなさい。先輩の為におとなしく死んでください」

その瞳に悲壮を浮かべ必死に訴える暦。

けれど、浅上藤乃は揺るがない。

二人の周りをゆっくりと、だが確実に炎が包み込んでいった。

 ◆ ◆

暦は仮定を立てる。
おそらく浅上の能力は、眼で見た範囲内の物を
紅と翠の螺旋を照準にして捻じ曲げる事だ。
その威力は身をもって知っている。
だけど僕の拳が効いたり海に落ちて気絶した以上は
体力的に見た目通りのものしかないのだろう。
それなら不意打ちにさえ気をつけれていれば、
なんとかぎりぎりで避ける事はできる、と思う。

仮に攻撃を受けてしまったとしても、
致命傷さえかわす事ができれば、僕は大丈夫だ。
とはいえ藤乃に凶げられた左足はほぼ回復していたが万全という訳ではない。
いくら人より死ににくい、といってもその回復力は無尽蔵じゃない。
傷を受ければ痛み、血を流し、それだけ体力を消費するのだから。

「やっぱり変に悩まず両手位は縛っておいたほうがよかったのかな」

藤乃の魔眼を交わし、暦は屋敷の中を逃げ回る。

でも、それじゃあ駄目なんだ。

たとえ憂の時のように倒して縛って身動き取れなくしたとしても。
彼女自身が人を殺す事をやめない限り。それじゃあ何の解決にもならない。

こんな時、お前なら一体どうするんだ忍野メメ
いつもの軽口と共に僕には思いつかないような妙案を掲げて。

『助けない、君が勝手に助かるだけだよ』

なんて言葉を吐くのだろうか。

この場にいない者に助けを求めたところで何も解決等しない。
そんな事を考えてしまう時点で僕は相当焦っているのだろう。

そう、僕はいつだって、偉そうな事を言っておきながら。
誰かに救われた事はあっても。
誰かを救えた事なんてただの一度も無いのだから。

忍野忍の時は、最後の一番嫌な仕事を忍野メメにさせてしまい。

戦場ヶ原ひたぎの時は、彼女が勝手に助かり。

八九寺真宵の時は、忍野の知恵と戦場ヶ原の土地勘を頼り。

神原駿河の時は、瀕死の僕を戦場ヶ原が助け。

千石撫子の時は、僕は情けない位に無力だった。

思い返してみると、僕はいつだって忍野に頼っていた。

頼る者のいない状況。容赦なく僕を殺そうとする藤乃に対し、
僕は彼女を殺さない。殺せない。事態は圧倒的に不利だった。

だとしても、悪いな忍野メメ。
こんな僕を見たら、お前は虫唾が走ると言うんだろうけれど。
それでも僕は、浅上藤乃を放ってはおけるほど人間が出来ていないんだよ。


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220:ふじのスパイラル 阿良々木暦 222:『REACH OUT TO THE TRUTH』(後編)
220:ふじのスパイラル 浅上藤乃 222:『REACH OUT TO THE TRUTH』(後編)


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最終更新:2010年03月18日 19:07