人生美味礼賛 ◆10fcvoEbko
暗い夜のただ中で出会ったその男は、一言で言うととても気持ち悪く見えた。
ぬらぬらしている。
といっても、男がなめくじのごとく粘液をたれ流しているわけではない。
闇と闇の隙間からはみ出してきたような痩身はむしろ乾いている。てらてらとした粘っこい光沢とは無縁だ。
市街地の一角である。無人なのか、男の立てる音の他には物音一つしない。
望月に満たない心ばかりの月明かりのもと、脱力を通り越して間接が抜けているのではと思うくらいに、男はだらりと両肩を垂らして歩いていた。
それも真っ直ぐではない。
酔っぱらいの千鳥足のような危なっかしい足取りとも違う。
一歩一歩、踏みしめるごとに痙攣のようににぶるりと体を左右に震わせて、S字を描くように歩いている。蛇行しているのだ。
自分で自分の体を引っ張っているようなずるずるとした動きは、少なくとも自然な人間の所作とはかけ離れている。
敢えて表現するなら、やはり、ぬらぬらとして見えた。
えらく気持ちが悪い。
銀と見紛うばかりに研ぎすまされた長髪は、灰色がかったくすみを帯びて腰に届く程に伸ばされている。
前髪も後ろ髪もお構いなしに伸ばされているせいで顔の右半分が隠れてしまっているが、気にはならないらしい。
甲冑を身にまとってはいるが、防具というようりは衣装としても意味合いが強いもののようだ。
防御の要である胴体部分が両腕を含めてほぼ完全に素肌が露出してしまっているのがその証拠だ。
両の肩当てには三本ずつ、剣山のような棘が設えられているが、どこまで有用かは分からない。
全体的に日本の鎧兜を現代風にアレンジしたようなデザインであり、詳しくは知らないがヴィジュアル系というやつに近いのかも知れない。
都会にはよくいる手合いと、言えば言えた。
肌は白かった。
男が歩く度に左右に揺られてうねうねとのたうつ髪からは、まだ天然の美しさのようなものが感じられるが、肌の方はもっと病的だ。
死人の肌を剥ぎ、脱色に脱色を重ねて漂白し尽くしたら、こんな風合いになるのではないだろうか。
両儀式はそこで一旦観察を終えた。どこか投げやりでやる気に欠けた黒曜色の瞳が、”それ”から反れる。
本来、他人に興味を持つことは少ない。だが、現れたのが余りに妙なモノだったため、ついしげしげと眺めてしまったのだ。進行方向を遮るように、暗闇から現れた人間のようなそれは、段々と式に近づいてきている。
参った、と式はほんの少しだけ後悔した。
色々と言われて、人も死んだりもしたようだが状況はどうにもぴんとこない。
仕方ないのでとりあえず習慣になっていた夜の散歩の続きをしよう。そう思い、歩き出した矢先に出会ったのがこの変なモノだ。式の神経は細い方ではないが、いきなりこんなモノに出会って眉をひそめずにいられるほど太くもなかった。
あるいは、同じ境遇にあるらしい黒桐を、もっと身を入れて探そうとしなかった罰かも知れない。
式はそう思った。
式は殺人鬼である。夜の散歩は大抵の場合、抱え込んだ殺人衝動を晴らすために行われる。
とはいえまだ実際に人を殺したことはない。人を殺すと黒桐がうるさい。
人の良さそうな顔が口にする一般論が、式は苦手だった。
式が殺すのは人間でないものか、人間をやめたものだけだ。死霊やら魔術師やらはもう何度も殺してきている。
そうした行為は式の中で厳密に殺人とは区別されており、実行するのに一切のためらいを持たない。
そして、初対面だろうと何だろうと、そうした手合いと式は出会った瞬間殺し合う。
式を無視するかのように着々と進行を続けるそれについて言えば、生きてこそいるものの、どうやら人間ではないようだった。
等間隔をおいてそれが続けていた、緩慢かつ近寄りがたい動きがぴたりと止まる。
伏せられていた顔が上がった。男だ。
「お初にお目にかかります。私、
明智光秀と申します」
言葉の最後に、蛇のような舌がちろりとのぞいた。一言ひとことが全て吐息で構成されているような、低く押し殺した、それでいて通りのよい声である。
名乗られた名前は、知識として知ってはいた。
実感はない。その知識は記憶を失う以前の式のものだからだ。
両儀の家は家柄として二重人格者を生み出しやすい。式の中にも<<式>>と<<織>>という二つの人格がいた。
二年前、事故に遭って意識を失うまでは。
式が昏睡状態から目覚めたとき、<<織>>はいなくなっていた。<<式>>でも<<織>>でもなくなってしまった式には空虚だけが残り、その結果事故に遭う以前の記憶を自分のものと実感できなくなってしまった。
だから、日本史上有数の知名度を持つ男の名前と、目の前の薄笑みを浮かべ男が名乗った名前が一致することも、人の記憶を見るようにしか認識できない。
どの道、どうでもよいことではあるのだが。
「両儀式」
簡潔に名前だけを言った。無視してもよかったが、別に名乗ってもよかった。その選択に意味はない。
両儀ですね。一言一句に含みを持たせるように、男はゆっくりと復唱した。
「美しいお召し物だ。気丈さを感じさせる顔もまた、美しい。
血を開き肉を裂き、全てを真っ赤な血潮で染め上げたときの、極上の美しさを想像せずにはいられません」
男が片手の鎌を持ち上げた。最初から引きずるように男が持ち歩いていた、半身程もある大鎌である。
式は携えていたナイフを握り直す。愛用のナイフではなく、渡された鞄の中に入っていたものだ。ルールブレイカーというらしい。
添付の説明書によるとは魔術的な要素もあるらしいが、式にはどうでもいい。人を殺せさえすれば、それ以外の部分は興味がなかった。
男の瞳に殺気が宿る。いや、生気が満ちたというべきかも知れない。
「まずは、前菜にあなたを頂くとしましょうッ!」
静かだった男の口調に荒いものが混じった。含まれる感情は間違いなく歓喜だ。
踏み込まれるより早く、数メートルあった距離を式は一瞬で詰めた。
振りおろされた鎌を腰を落としてかわす。肩口をぎりぎりのところで掠めた刃に構わず、懐に入り込んだ式は躊躇なくナイフを突き出した。
切り裂かれた空気が鋭い風切り音となり、吸い込まれるように男の『目』を捉える。初撃は男が引き戻した大鎌の柄によって防がれたが、式はそのまま厚紙でも貫くかのように安々と刃を押し通した。
男が防いだ部分には丁度大鎌の『目』がある。『目』の上からの防御など、式にとってはないに等しい。
男の得物と、男自身。二重に『目』を貫いて式はどちらも確かに殺した。
そのはずだった。
「初めて味わう感触です・・・・・・」
声は式の左手後方から聞こえた。更に言えば、高さも何メートルか上だ。
静かにそちらを見る。眼前から消え去った男が、民家の屋根の上に月を背負って立っていた。
「ですが悪くありません・・・・・・。なかなかの業物を頂けたと思っていたら、こうも簡単に"殺されて"しまうとは」
ね、と。
宝物を見せびらかす子供のような恍惚とした表情で、男は大鎌を持ち上げた。
鎌は式が貫いた部分から正確にすぱりと分断され、更にどうのような力が入ったのか、刃の部分も根本から折れてしまっている。
『目』を貫かれたそれは既に死んでいた。三つに別れた鎌はたとえ形だけ元の通りに戻しても、二度と機能することはない。
「何なんだ、お前は」
呟きは、鎌を貫いた式のナイフを寸前でかわし、その上二階建て住宅の屋上にまで跳躍して見せた男の身体能力に対してではない。
青い、暗闇に染み渡るような爛々と輝く深い色合いに変化した瞳で、式は男の『死』を見つめる。
「その目ッ!その目ですよッ!
射竦めるだけで全ての生き物を殺してしまうような、炯々と光る真っ青な瞳!
ああ・・・・・・これだけ距離を空けているのに殺されそうな気がしてたまりません!
どこまでも心臓を鷲掴みにされているようなこの感覚ッ!怖いですねぇ恐ろしいいですねぇ・・・・・・!
う・・・・・・く・・・・・・あっはっはっはっは・・・・・・・・あーはははは・・・・・・!」
「オレの目はモノの死が見える。お前のはドブみたいに真っ黒な色しててね。その上ずず黒い渦を巻いてる。まるで奈落に繋がってるみたいだよ。
オレにはそれが『さぁ刺してくれ』って意思表示みたいに見えた。自分から刺されたがる死を見たのは初めてだ。自殺志願者だってそんな風にはならない。
何ていうか、スゲー気持ち悪い」
がくがくと、ときにはびくびくと全身を震わせて狂ったように哄笑し続けるのを意にも止めず、式は淡々と思ったところを述べた。
体を前に、次に後ろに折り曲げ、「く」の字を鏡合わせにするような動きを続ける男の軟体動物じみた動きは永遠に続くかと思われたが、式が最後の言葉を言い終わると同時に止んだ。
次に男が顔を上げたとき、静止した瞳は、<<直死の魔眼>>と呼ばれる式の両目を、寸分のずれもなくじっと見つめていた。
「・・・・・・何だよ」
「ああ、すみません。その目を抉りとったときの感触を想像していたら、止まらなくなりました」
「おい」
「ですが、前菜はあくまで前菜。食べ過ぎるわけには参りません。今回はここまでといたしましょう」
どうやら逃げるつもりらしい。
だが、みすみすそうさせるつもりも式にはなかった。こいつはどう贔屓目に見てもこっち側の人間ではない。わざわざ殺人衝動を抑える理由はない。
「時をおくのですよ。今の時点でもあなたは相当なご馳走ですが、熟成させれば更においしくなる」
意味が分からない。式はそのままを言う。
すると男は、それは楽しそうににたりと笑い、言った。
「ご自分にもっと素直になられた方がいい。そう申しています」
あなたは何故人を殺すのですか。続けて男が問う。
意味なんてない。そういうもんだ。式は投げやりに答えた。
式の殺人衝動はもともと<<織>>のものだ。いなくなった<<織>>の嗜好を<<式>>が受け持つことで、空っぽになった穴を埋め合わせている。
少なくとも、今の両儀式本人はそう思っている。
「それは違いますね」
男の言葉が、耳元でやけに大きく聞こえて、うるさかった。
「あなたは私とよく似ている。殺人を望んでいるのは他ならぬあなた自身ですよ。
私を殺そうとしたときのあなたは、それはもうゾクゾクする程の殺意に満ちていたにも関わらず、あなた自身はひどくつまらなさそうだった。
もっと楽しまれたら如何ですか。人に苦痛を与えるのは本来、楽しい……とても楽しいものですよ……!
私はじっくり味わうのが好みですが・・・・・・ばくりと一口で頂くのも、また違った味わいがあることでしょう」
違う。男の言葉は決定的に間違っている。
式は殺人を嗜好するが、それは式本人の衝動ではないし、行為そのものには何の感情も湧かない。
だから今の男の言葉は、式のことを何も理解していないただの繰り言だ。こんなのに同類視されるのは死んでもゴメンである。
だと言うのに、あれ程沸き上がっていた式の殺人衝動は、いつのまにか萎えてしまっていた。
「自分に素直な人生程、素晴らしいものはありませんよ。
次にお会いするときは、あなたの骨の髄まで味わい尽くせますよう……。
楽しみにしています」
それだけ言うと、男はあっさりと身を翻した。
飛び降りた先の道路から、風を切るような音が幾度か聞こえ、それもすぐに消える。先ほど見せた、人間離れしたレベルの跳躍を繰り返す音だろう。もう追う事も難しい。
男の、体中をはい回るような視線の感触が、式の心にこびりつくようにべっとりとした影を残していた。
「ちっ・・・・・・」
嫌な感覚を振り切るように呟くと、ナイフを収めて式はあてもなく歩き始める。
後には、中途半端にざわついた気持ちだけが残されていた。
【D-6/市街地南部/一日目/深夜】
【両儀式@空の境界】
[状態]:健康、わずかな苛立ち
[服装]:私服の紬
[装備]:ルールブレイカー@Fate/stay night
[道具]:基本支給品一式 ランダム支給品0~2
[思考]
1:あてもなぶらつく。
2:黒桐は見つけておいた方がいいと思う。
◇
とろけてしまいそうな甘く濃密な血の香り。恨みを叫ぶ敵の怒声。苦痛を訴える味方の悲鳴。そのどれもがたまらなく心地よい。
人を切り刻むときの、血河を切り開く感触も好きだ。血を吹く穴が増える度に、そこから新しい悲鳴が飛び出してくるような気がする。
死が迫っていると知った相手の怯えきった表情など、いつ見てもうっとりしてしまう。
自分が切り刻まれたときの激痛も光秀は分け隔てなく愛している。自分が一歩ずつ躯に近づいていく気分は、まさに有頂天だ。
それらの全てが一度に味わえる殺し合いが、光秀は大好きなのだ。
「一時は何事かと思いましたが・・・・・・これはこれで楽しめそうですね。く・・・・・・んふふふふ」
本能寺にて、敬愛して止まない主君、
織田信長への謀反に失敗したところで光秀の意識は途切れている。
燃え落ちる本能寺の中で光秀を討たんとする敵方の武将、
片倉小十郎と刃を交えたのが、記憶に残る最後の映像だ。
竜の右目と謳われた男との甘美な勝負は仕切り直しとなってしまったが、その飢えは思いの外早く満たすことができた。
「先ほどのようなご馳走がたらふく用意されているかと思うと、胸が躍ります。
事態は面妖ですが、枷をはめ鎖に繋がれるというのも、たまには悪くない・・・・・・」
既に追いかけられないくらいの距離は取ったと見て、光秀は元のゆっくりとした歩行に戻っている。
馬でも与えられれば移動には困らないのだが、どこにいるか分からない獲物を自分の足で探して回る気分というのも、また格別だった。
「そして何よりも、ああ・・・・・・ああ・・・・・・あああああああ信長公ッ!」
その名を想うだけで感極まった光秀は矢も盾もたまらず大きくその身を仰け反らせた。
だらりと垂れ下がった長髪がかかとにまで至り、円形の怪物のようなシルエットを形作る。
同時に、その手は一振りの大剣を掲げていた。
駄目になってしまった大鎌とは別に、光秀に支給されていたもう一つの武器、主君信長が愛用していた大剣である。
「あなたもこの場にいらっしゃるのですね、信長公ッ!素晴らしい・・・・・・何と素晴らしいことでしょう!安土を訪れる手間が省けたというものです!
竜の右目との勝負は格別でしたが、やはりあなたとのそれほど心躍るものはない。
ああ・・・・・・ああっっふ・・・・・・!
想像しただけで私、どうにかなってしまいそうです・・・・・・!」
信長の品、というだけでただの剣が何倍にも愛おしく感じられる。
剣から漂う魔王の邪気が、妖気が光秀をとり殺さんとまとわりついてくるようで、思わず頬ずりを返したくなった。
信長や、他何名かの知人の存在は、判読しにくい文字で書かれた名簿でも確認している。ここにいることは間違いない。
「如何ですか、信長公。今どちらで、何をしていらっしゃいますか。
分かります・・・・・・あなたは誰よりも残忍でッ!冷酷でッ!自分以外の全てを虫ケラのように思っておられるお方ッ!
何者かによって天下より引きずり下ろされ、あまつさえ畜生のように首輪に繋がれるなど、とても我慢できることではないでしょう・・・・・・。
悔しいですか?悔しいですよねぇ。悔しいでしょう。誰かの意に従うことを最も嫌うのがあなたというお方ですからねぇ。
私も、今のあなたのお顔を拝見できないことが悔やまれてなりませんよ・・・・・・う、うふふ・・・・・・!
さぞやお怒りのことでしょう!地よ裂けよ、天よ割れよとばかりに怒り狂われている様が、私にはありありと想像できます!
できることならその怒り、私だけで貪ってしまいたい!焼け焦げんばかりの魔王の黒いの炎を、この身に浴びたいっ!
そして、かつてない屈辱に歪んだあなた自身を・・・・・・。
ああ、刺したい!切り刻みたいッ!殺し合いたいッッ!
くくく・・・・・・うっくくくくく・・・・・・んふははははははは、
ふーーあっっはっっはっっはっっはっっはっっ・・・・・・あっハハハハハハハハハ・・・・・・・・・・・・ああ、信長公・・・・・・・・・・・・!!」
得も言われぬ光景だった。
光秀の筋肉がぶるぶると震え、体中の骨が骸骨じみた揺れ方を見せる。
関節という関節が互い違いに捻れ会うようなその動きは、紛れもなく、光秀の地の底から湧き上がるような喜びの現れである。
それはもはや舞踏だった。悪鬼死霊の類でさえ避けて通りそうな、歓喜と狂気のない交ぜになった、いつ果てるともなく続けられる死の踊りである。
誰とも知れぬ手勢に突然拉致され、相争うこととなった64名。人種、戦力、目的、何もかもがバラバラなその中にあって、この明智光秀という男は一人。
「早く会いたいッ!!!」
誰よりも深い、幸せを感じていた。
【E-6/市街地北部/一日目/深夜】
【明智光秀@戦国BASARA】
[状態]:健康
[服装]:甲冑
[装備]:信長の大剣@戦国BASARA
[道具]:基本支給品一式
[思考]
1:一刻も早く信長公の下に参じ、頂点を極めた怒りと屈辱、苦悶を味わい尽くす。
2:信長公の怒りが頂点でない場合、様子を見て最も激怒させられるタイミングを見計らう。
3:途中つまみ食いできそうな人間や向かってくる者がいたら、前菜として頂く。
※ 式に『目』を刺された大鎌@Fate/stay nightの残骸が、に放置されています。
【ルールブレイカー@Fate/stay night】
弟五次聖杯戦争時における
キャスターの宝具。突き刺せばあらゆる魔術的機能をキャンセルする効果を持つ。
幾節にも折れ曲がった奇妙な形状をしているが、普通のナイフとしても使用可能。
【大鎌@Fate/stay night】
21話に登場。ゲートオブバビロンの中から取り出された、距離を無視して攻撃することのできる宝具。ゲーム版のハルパーの代わりに登場したが、こちらには特に名前はない。
【信長の大剣@戦国BASARA】
ショットガンと剣を武器に戦う信長の得物。大型だが、特に変わった能力などがあるわけではない。
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最終更新:2010年01月01日 23:09