crosswise -white side- / ACT4:『JUST COMMUNICATION』(1) ◆ANI3oprwOY



太陽に焼かれる空が、赤黒く染まっている。

陽の当たる部位の空間がずれて光の屈折が集約し、図面を焦がしている。
清浄な朝空には不釣り合いな色彩は、風景とは全く融け込めていない。
この場でも異物でしかない徒花は、なんら恥じることなく開いている。
まるで、そこだけが数時間先の夕暮れに落ちたかのよう。
花弁は色彩を狂わせる毒々しさを帯び、撒かれる鱗粉は種ではなく死を運ぶ。
咲き誇る花の美麗さはなく、ただ異常さと不気味さを醸し出すのみだ。

蒼く広がる空の上を侵略する燐光。
その中心。
光を散布する発生源に、ソレは居た。



ソレは、どうやら人の姿をしていた。
頭があり、胴があり、歴とした五体を備えている。
しかしそのうちの両腕と両脚は全身と比しても異様に長く、正常ならざる存在であることを誇示している。
右手に銃とも剣とも取れる物体を腕と一体化したように抱え、左手には小型の盾が取り付けられている。
全長と比べれば遥かに小さな頭には、四つの瞳がぎらついている。
正しく、異形の者であった。

ソレは、全身が紅く染め上げられていた。
背部から噴出する、推進剤らしき赤光よりもなお濃い色で纏われている。
その光を燃え盛る火と称するならば。
その色は、浴びた返り血で塗り固められた戦衣装といえるだろう。
おそらくは、ソレの中に乗る者が今まで啜ってきた命の数だけ。
狂喜と、享楽と、野心のためだけに造り出された破壊の化身。
人を蠱惑し、魅了し、悦らせ、死なす罪科の権化。
これを悪魔と呼ばずして何と呼ぼう。

機械の悪魔が造り主から授けられたのは、皮肉にも天使を司る御名。
あるいは、天使を造り出す我こそが神たらんとす創造主の意志か。
地上を統治し、悪霊の攻撃から守るという役割も持つ権天使。
偽りの堕天使。その役割は戦争。

渦巻く混沌に、更なる嵐が巻き起ろうとしていた。





          □ □ □ □





    crosswise -white side- / ACT4:『JUST COMMUNICATION』  




               ■ ■ ■ ■







「……機体制御完了。GNドライブ安定供給。武装セーフティ解除……」

鉄の悪魔の中枢、操縦コクピット室。
隙間の多いシートに座る少女がひとり。
細い十の指はせわしなく動き、モニターに映る項目を逐次チェックしている。
何十年もの経験からなる熟練の手捌き。
゛前身゛と比べても変わりなく、瞬く間に全工程を終える。

「全機能オールグリーン……っと。さぁて、これでよぉーやく準備は完了だ」

少女の器に貼られたアリー・アル・サーシェスという魂のラベル。
蓄積されていた記憶は零落なく保存されており、調整は滞りなく済んだ。
退屈な作業から解放され、縮こまっていた体を伸ばす。

「しっかし大将も太っ腹だねえ。あのぐらいの仕事でこんな上玉をくれるなんてな」

上機嫌で口を三日月に象る。
喜びに満ち、お気に入りの玩具を与えられた子供のよう。
その原因は言うまでもなく、今自分が乗り込んでいるこの機体にある。

GNW-20000、アルケーガンダム。
イノベイターに雇われたサーシェスのために造られた専用機。
以前彼が鹵獲しそのまま愛機としていた『スローネ』シリーズの流れを汲む、最新鋭の技術を投入されたガンダムである。
莫大なエネルギーを生み出す疑似太陽炉、GNドライブ搭載型モビルスーツ。
特殊素粒子、GN粒子を生み出し万能ともいえる機能を発揮する旧型太陽炉を胸部と脚部に三基搭載。
実体剣とビームサーベル両方の効果があり、銃の機構も併せ持つ大型剣、GNバスターソード。
奇襲用として両脚の先端に仕込まれてるビームサーベル。
オールレンジでの射撃と刺突に用いる遠隔誘導兵器、GNファングを合計十基。
左腕にはビームシールドも装備し、緊急時の脱出装置も備えパイロットの生存力を確保する。
事実上死角なしの攻撃性能を持つ万能機。
それが特にデチューンがかけられた様子もなく、今のサーシェスの手に渡っていた。

本拠地より脱走した裏切り者を始末せよという、リボンズからのボーナスミッション。
苦もなくそれを達成し、その報酬として強奪したモビルスーツの使用を認可された。
正確に述べれば、指令は裏切り者とそれが手にしている兵器のことを教えられたまで。
それ以上の情報は与えられてはいない。
ただ、同時に使用を咎める声があったわけでもない。
言い含みと備えられた場の状況からすれば、言外に受領されたも同然だ。
確実な戦力だったリーオーを失って丸裸同然のサーシェスにはまさに福音。
それもおあつらえむきに自身の愛機。気が大きくなるのも当然といえる。

今の己を圧倒的優位に立たせる武装。
このまま即刻全員皆殺しにすることも可能なだけの攻撃力。
性能については実証済み。支給されている量産向けの機体など比較にすらならない。
この時点で、サーシェスは他のどの参加者よりも一歩抜きんでたポジションを手に入れられたのだ。



「もっとも、大将のこった。何か仕込んでるかもしれねえが」

だからこそ、そんな力を平然と与えたことに引っかかりを感じてはいた。
ガンダムの力は強大だ。最高だ。超一級品だ。
ここで見てきた数々の化物を見てもそれは同じと知っている。
出力、武装、今まで使い潰してきた簡易型とは格が違うのだ。
音速で動き回ろうがこちらは空中を自在に飛び回り、鉄をも破砕する剣だろうとそれごと叩き潰せる大剣がある。
小蝿と巨像、毒蜂と人間の関係。
いかな大敵であろうとこれに対して通用する術があるとは思えない。
それが痛快であるのもまた事実。

何よりも、サーシェスは戦争を愛している。
金さえあれば何処の誰とでも勇んで戦って見せるぐらいには。
それとは別に大量虐殺というのは特別趣向には合わないでいた。
無論、仕事であれば不平不満もなく実行する。良心などという冷や水はタンクごと破棄している。
単にそれ以上の意味であえてするほど酔狂でもないというだけのことだ。

戦争とは殺し合いだ。殺し“合って”こその戦争だ。
命をチップに、撃鉄が起こされた銃口を己のこめかみに添えながらルーレットを回すスリル。
ハンマーが落ちる音で生きていることを確信し、冷えた肝を勝利の美酒で潤す。
それこそがサーシェスが望むところの戦争、生命を駆け引きする禁断のゲームだ。
どれだけ禁忌の果実と知っていても、林檎の味を覚えた人類は決して忘れられない、逃げられない。
より多く、上質の実を求め手を伸ばしにくる。
無力な奴を蹂躙するのもそれはそれで楽しいが、さすがにそればかりだと些か飽きがきてしまう。
快楽のために戦争をやってる身として、モチベーションの低下は由々しき問題である。

とはいえ、あの食えない雇い主のことだ。この介入も予測に入れたプランを構築しているのだろう。
全ては盤上の範疇。何が起ころうと駒の持ち手に疎意を向けることはできない。
そもそもこの指令も余興、遊びだと言っていた。
成否に関わらず、練っているだろう計画には大して支障もないには違いない。
つまりこれは決して、イージーゲームなどではない。
なにかある、この規格外の兵器をもってしても一筋縄ではいかない何かが、この先に在る。


「―――ま、いいけどね。なんでも」

そして、その思惑がどうあろうとサーシェスは全く意に介さない。
大層な計画も高尚な主義思想にも興味はない。
重要なのは契約を守るか、戦争がやれるか。
肉体が変わってもなくならない、胸に残る根源の欲求に身を任せるだけで、彼の人生はバラ色だ。
駒は駒らしく忠実に仕事をこなせばいい。幾らでも便利に使えばいい。
自分はその過程の騒乱を楽しみたいだけなのだから。
またとない戦場を与えられた。この上ない武器も手に入れた。
なら後は、派手な戦争を起こすしかない。

ミッション成功以降は、デバイスからの指令なし。
これから何をしろだのといった具体的なメッセージは届いていない。
つまりは『好きにやれ』という事だ。
お望み通り、好きにやらしてもらうとしよう。

「さてさて、どっから仕掛けましょうかねぇ」

索敵機能をかけ、上空から下界の戦場を観察する。
モニターのそこかしこに映るのは黒煙。
戦闘の跡、破壊の嵐が過ぎ去った証の疵。
暴風は止み些か鎮火したきらいがあるが、傭兵の嗅覚は見逃さない。
まだ、燻ぶる火種がある。
新しい火蓋は開かれず、切り落とされる時を待ち望んでいると。

「にしてもけっこう時間経っちまったなあ。
 なかなかどうして粘ってたみてえだが、結局旦那はどうなったんだか」

数時間前まで戦っていた場所に視線を向けるも、既に戦火は乏しい。
戦いは終わったのか、そうでなければ掻き回してやるのもいいか。
そうして捕らえる標的を探りかけたところで。





「――――――――――――お?」



そこで、見た。



「へえ………………」

現在位置よりやや遠く南方。
地図上では『ショッピングセンター』と呼ばれる施設がある地点。
そこに面する駐車場に、見えた。
周囲の建造物がドミノ倒しになっている中で、仰向けに倒れ動かないその姿。
深紅の鎧、悪魔の翼を持った高貴なる騎士。
今まで見たことのないフォルム、だが知識として知っている。
途中で入手し読破したデータマニュアルにその姿は記されていた。
何よりも、その威容が語る存在は違えようもない。



「そおいう事かい。どおりで大将も気前がいいもんだ」

餓える獣が、渇きを満たし得るだけの最高の獲物を見つけた。






             □ □ □ □







―――交差したのは目。
血走る殺意を孕んだ赤い瞳。
本来なら顔も見えない遠い距離で、確かにそれは体を突き抜けた。

眼球の動きに合わせて、空想は破壊の爪痕として具現される。
隠しもせず発露された暴威の気色は物理的な破壊を伴って周囲を焦がす。
手に握った最後の刀剣は、振るわれた魔手によって抜刀を果たせず砕け散り、破片がぱらぱらと舞い散り落ちる。
けたたましく弾けるコンクリートの音は嗤い声のように。
睨むだけで世界が砕けていく様はどこかで聞いた話を思い出して。

最後の抵抗に、迫る衝撃で自ら全身を大きく後ろに押し出した。
そのまま足場のない場所まで追いやられ、真下に口を開ける孔に吸い込まれていく。

意識もろとも、深い穴蔵に呑み込まれていく。
落ちる一瞬。
脳裏に残るのは己が魔眼で捉えた流れ。
白い影を中心に集まっていく線は、宙(そら)に浮かぶ星の巡りに似ていると思った。





「………………」

夢想から起きたのは、鼻をつく錆びた鉄の臭いが切欠だった。
金属を腐食させるのとは違う、文明を朽ち果てさせる残り香。
舞い散る塵、乾いて煤けた空。
やがて人類に訪れる最後の大地。
五感はどれも密接に結びついており、ひとつの感覚で複数の感覚を刺激させる。
嗅覚だけでそこまで思い描けるのは、その光景にしか零せない臭いだからか。

「………………」

どちらにせよ、目を醒ませばいいだけの感触に迷いなどありはせず。
その感覚を縁にして、両儀式は目を醒ました。
空は、やはり乾いた絵画のように色褪せている。

意識を取り戻してから即座に取るのは状態の確認。
肺に渡る酸素と胸の内から打つ心音。生きている事を認識として理解する。
四肢の感覚も残っており、過大な痛みも感じない。
目に映る変化は右手の軽さ。
握っていた日本刀は抜くよりも前に柄から先が消えたぐらい。

すべては、瞬きの出来事であった。
最大の隙に撃ち放たれた弩弓。
一方通行(アクセラレータ)という名称の破壊兵器。
流星の速さで飛び込んで来たソレは、無防備な鋼の巨人の装甲を破り、陥落させた。
余波だけで手に携えられていた名刀は粉々になり、柵を越えて滑り落とされる。
今まで気を失っていたのは、不完全な着地により衝撃を殺し切れず軽い脳震盪に陥っていたからだと予測を立てる。
経った時間は、おそらくそう長くはない。

起き上がろうとして、慣れない感触に足元を見る。
ブーツが踏むのは金属質な掌の相。
巨大な手首の続く先には、積もり積もったコンクリートの山。
その中から紅い腕が伸びていた。
作戦の盾として式を守り運んできたモビルスーツ、ガンダムエピオン。
グラハム・エーカーが駆る機動兵器。天江衣の死により瓦解し、突き破られた牙城。
柵から転げ落ちた式を手で掬い上げたのは苔の一年か。
それでも今は重なり合う故障品と同意義の存在でしかない。
一方通行から受けた致命の一撃によりくず折れて、沈黙を通している。
今は最早役目を果たせず仰臥し、倒れた上から押し寄せた瓦礫の雨が、全身の腰から上に山を築いている。

折れた武器を放り捨てて、掌から塵屑だらけの地に足をつける。
動かないエピオンを放ったまま、白煙の立ち込める戦場を歩く。
既にパイロットのグラハムからの反応は望めないものと決めている。
積もった瓦礫は、機能を停止させてからかなりの時間が経っている証拠だ。
崩れた駐車場が起こした砂埃は風に巻かれ、景観をある程度には鮮明に映している。
単なる気絶か、それとも絶命したのか、塵山に埋もれた現状ではそれを確かめる術もない。
そうして複数の情報を混ぜて、式はここに留まる意味を見い出せないでいる。
生きていればまた動くだろう、程度の感想しか持っていない。
糸の切れた凧のように、風の向くまま塞がった道の穴を縫って先へ進む。

駐車場は既に原型を留めていなかった。
上の階層を支える柱を砕かれ、土台となる足場を爆され、建築物としての骨子を奪われての崩落だ。
それは偶発的に起きたものではなく、計画性をもって立てられた破壊活動。
昏倒時に聞こえた大音、今も小規模に崩れる建造物。
エピオンが陥落した後にも戦いが続いていた証でもある。
巨人が倒れただけではここまで容赦のない破壊は起こせない。

かつての姿が見る影もない元駐車場からは、闘争の空気は失せている。
取り囲んだ領域を張り詰めさせる殺気も、本能を沸き立たせる戦意もない。
灼熱の源泉たる敵、一方通行もこの場にはもういない。
森を焼く業火は鎮火し、僅かな余熱が名残りとして燻っているのみだ。

一度起きた事象は巻戻りはしない。
風が吹いて熱が冷めても、残るのは無惨なものばかり
焼かれた木々は炭に染まり、枯れた大樹は若葉を芽吹かせない。
過去は不可避であり、零れた命は手に還らない。
戦場跡にあるのは決まって同じ。破壊という一点に世界の隔てはない。
粉微塵に変わり果てた建築物に肉身を裂かれ物言わぬ死体。



そして、僅かばかりの僥倖で永らえた生存者。

「……げほっ!ごほっ!は――――――!」

びくりと、全身が痙攣する。
落ちていたブレーカーを立ち上げられたみたいに、沈んでいた意識が飛び起きる。
土埃に汚れている場所のなか、大口を空けては酸素を求める。
取り入れた空気にむせこんでも生命活動を維持しようとする体は止まらない。
躍起になって肺を動かして、ようやっと十分な安定をみせる。

死んでいるかと思える程に引き裂かれている全身。
黒を基調とした学校の制服は至る部位に血が滲んでいる。
土に汚れた場所で大口を空けて酸素を求める。
敗残者でしかない姿で、無様に地べたを這いつくばっている。

「ぐぁ……がっ……ぁ……」

「しぶといな、お前も」

「ぎ……ぞ、の声……式……か……?」

それでもなお、生きた姿で息を続ける。
体は朽ちず。心もいまだ死なず。
心身を切り刻まれていても、阿良々木暦は死者の列に加わってはいなかった。

「いぎ……てる……か?」

「お前よりはな」

息も絶え絶えといった様相。死体と見間違えても仕方がない。
吸血鬼というよりは民間で伝わるゾンビめいた姿だが、会話が叶う程度には身体機能は動いている。
東横桃子の徹底して容赦なき砲撃。立体駐車場全体を解体する一斉掃射。
逃げる為の地盤を砕いての垂直落下に晒されてなお、暦は生き延びていた。
それは、本来なら不可解な事態だ。
吸血鬼もどきの肉体では耐久力にも限度がある。
十数メートル下のコンクリートに叩きつけられて無事でいられはしない。
耐えられたしても、代償に手足の一本や二本はひしゃげてしまっているだろう。
その不可思議について考えている余裕は今の彼にはない。
それよりも先に、記憶にある僧衣の少女の安否の方こそを気にした。

インデックス……は?」

「お前の隣で寝てる」

「えっ?」

式の言葉の通りに目を配れば、確かにインデックスはそこに眠っていた。
この薄汚れた地獄の巣窟に似つかわしくない、晴れやかな色合い。
自然物とは考えにくい純白の布地が目の前に広がっている。
それも目につかなった事にこそ疑問なくらいに近い距離で、視界の黒く塗り潰されていた箇所に寝転がっていた。
遅まきながら、暦は目の半分が機能していないのにそこで気づいた。

ナイトメアフレームの機動中の風圧、駐車場を襲った砲撃、東横桃子のビームサイス。
いずれに対しても一切の影響を遮断させてきた文字通りの『歩く教会』。
礼装の効力を度々目にしつつもその能力に確信が持てていない暦だが、顛末を窺い知るには十分だった。
崩落の最中、インデックスは落ちる暦を包み込むように抱き寄せ、落下の衝撃を受け止めてくれていたのだ。
つまり助かったのは奇跡や偶然の気まぐれでなどではなく、インデックスという紛れもない他者の手による庇護。
身に余るほどの献身は、操り主の意に従う人形では有り得ない筈の行動だ。
戦闘の波及を広げるという主催としての役割と、身を挺して参加者を庇い立て命を救う行為は完全に矛盾している。
そうする事が、彼女にとっては当たり前だとでもいうように。

身じろぎひとつせず眠っている修道女。
顔にかかった髪の一房が時折揺れ動くのが生存を示している。
終始見せていた、機械を思わせる人形の表情はそこにはない。
殺し合いを管理し、扇動した片棒を間違いなく担いできた冷酷無残な人形とは違う。
あどけない、夜枕を抱えて床についた子供のような顔つき。
明日も変わりない一日を遅れると信じて疑わず、希望に溢れた夢を見る幼子のようにしか見えなかった。

戦闘の波及を広げる理由はあっても、わざわざ身を挺して参加者を救う理由はない。
それは悪い予想の通り主催からの指示なのもあるのだろうけど。
そうであっても、助けようとしたのは彼女の意思ではないだろうか。
気休めではないかもしれないけど、そう信じていたかった。

「他の、やつらは……枢木は……?」

血が足りていないのか、頭が揺れ動きながらも口を開く。


「ここにはもういない。生きてるやつは全員どっかに消えてるよ。
 ほかに残っているのは死体ぐらいだ」

暦の問いかけに対して、生きてる人間はいないという言葉を式は返す。
死体ならばこの何処かにあるかもしれない。そういったニュアンスを含めている。

「そう……か」

否定は、し切れない。
スザクがあの後どうなったのか最後の瞬間を目にした者がいない以上、既に死んでいる可能性も確かに存在している。
そこらの瓦礫をひっくり返してみれば亡骸が見つかってもおかしくはない。
最低でもひとりは―――何処かに死体が隠れているのだから。

また命を拾った。ひとまずは助かった。
しかしそれがいったい何になるのか。
彼一人の生存が知れたところで、何か劇的な変化が起きるでもない。
戦いは続く。己の意思と肉体を無視して、ステージを移し変えながら地獄は進展していく。
戦地だった場所は崩れ落ち、途中で離脱した暦はそこにいた者達の安否は杳として知れない。
爆炎と粉塵に包まれた駐車場では、誰を見つける事も叶わない。

「なにか……まだ――――――」

折れている肘を持ち上げ、関節に力を込めて立とうとする。
動かすたびに痛みが走るが構わず続ける。
沈黙は結果を生み出さない。動かなければ事態は一向に解決には向かわない。
この絶望的な状況において何をしたらいいか。何をすればいいか。
己に出来る最善を尽くそうと周囲を見渡す。
なにもしないでいるのに耐えられず、せわしなく首を動かす様はどこか夢遊病者じみている。

何度くじかれても折れぬ意志。
しかし、度を超えれば蛇のように体を縛り付ける呪いと変化する。
雁字搦めになるのに足を突き動かされるという矛盾。
矛盾ではあるが破綻はせず、無様になりながらも動きは止めはしない。
何故なら阿良々木暦にはそれしかないから。
力なく知恵も足りない男ではそれが限界だから。
届く限界の範囲で、為すべき事を為していた。
自分が動く行為が何かの切欠になればいいと信じて。願って。



「ぁ――――――まず―――――――――」

だが、それは世界に彩られた主権ある者にしか使えぬ聖剣である。
既に座を降ろされ脇役でしかない阿良々木暦は、その資格は有してはいなかった。

頭が抜けていく、そんな感覚。
頭部を引っ張られて自分の意識だけが引き摺り出されていく浮遊感。
抵抗の間もなく、動かす力がなくなっていく。
いわばガス欠。燃料切れ。生命力の備蓄の枯渇。補給の為の休息期間。
つまりは、気絶だ。

『歩く教会』の加護を受けていたのはあくまでインデックスひとりだ。
小さな体に庇われたおこぼれ程度の防御では、五階分からの落下を殺し切るには不足だった。
骨は至る箇所が折れ、失った血の量も多い。
人間であればとうに死んでいなければおかしい重傷。
体に負っていた損傷はすぐにでも休息を必要とする。
回復しつつあるとしても、とても動かせる状態にあってはいなかった。
目が覚めたのも、朦朧とした意識の中で偶然式が目に入ったからでしかない。
寝てる余裕はないと無理に起き上がったところで、結局血が足りずすぐに堕ちるのが必定だった。

「―――――――――く、そ」

失意だけが、取り残されていく。
沈殿する意識で出た言葉は誰に向けたのか。
傍にいる式に図れる筈もなく、本人も当然喋る事も出来ずに。
再び、暗闇の中へと消失していった。





「……なんでそんなに必死なんだろうな、お前は」

どこに向けたとも知れない言葉を、式は呆れたように吐き出す。
呟いたのは愚痴なのか、彼女自身その理由を図れていない。
理解出来ないというよりは、納得がいかない、といった心境だ。
それだけ傷だらけになり、精神的な苦痛も少なくはないだろうに。
どうしてこの男は、そこまでして他人を助けようとするのか。
底抜けのお人好しである事は分かる。
なにせあの浅上藤乃を庇い立てするくらいだ。相当のものだろう。

きっとこの男は誰に対してもそうだ。
頼まれてもいないのに首を突っ込み、どうにかしようとあちこちを動き回り、時には体を張る真似だってする。
そんな風に断定してしまうのが、今はもういない男の像を参考にしていた事に気付き、何故だかとても腹が立った。

自分を吸血鬼と名乗る少年。
確かに傷は、倒れる体を眺めている最中にも徐々に塞がってきている。
ヒトでないモノ。バケモノ。その呼称はおそらく間違いではあるまい。
無防備を晒し眠るソレを、けれど式は微塵もナイフを刺す気にならなかった。
最後にしこりを残しておきながらひとりで勝手に気絶している男にさらに苛立ちが募った。

首を向けた先には、退廃した空が眼の届く限り広がっている。
灰に色づいた光景は、今にも破れてしまいそうなほど頼りない。
まるでハリボテ。触れただけで裂けてしまう紙の天井だ。
……もしこの空にまで線が見えてしまうようになったらと、いつか思った事がある。
見るも聞くも嗅ぐも触れるも味わうも、どれもがおぞましい、死の世界。
自分があの場所を垣間見るならともかく、場所の方から意志を持つモノとして表れるなどそれこそ気が狂う。

覆う雲の切れ目からは僅かに差す赤い光は、血雨が降りしきる前の雲海を思わせた。



時系列順で読む


投下順で読む



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2012年06月17日 23:17