See visionS / Fragments 5 :『クライ』 -グラハム・エーカー- ◆ANI3oprwOY







男は失意の底にいた。
暗い穴の最奥で一人、蹲っていた。

ここは滅びた町の一角。
男の傍に壁はなく、頭上には灰色の空が広がっている。
しかしそこは紛れもなく底であり、暗闇の中だった。
少なくとも、男にとってはそうだった。

「…………」

男、グラハム・エーカーは暗い暗いその場所で止まっている。
希望を失くし、目からは輝きが消え、何も見えていない。

滅びた町も、ひび割れた地も、曇天の空も、服を濡らす雨の雫も。
何も認識していない。
虚空を眺め、制止する。
それが彼の現在だった。

「……………」

戦意が潰れている。
剣が折られている。
炎が、消えている。

「…………天江……」

呟く名は、守るべき者は、もういない。
残された残骸を握り締める事しか、許されない。

真っ赤に濡れたカチューシャ。
それはかつて守ると誓った命が染みこんだ、ただの残骸にすぎなかった。

「…………衣……」

呟くその名に、今は何の意志も込められていなかった。
まだ在った頃に、真摯に思った優しさは無い。
喪失の瞬間、張り裂けた悲哀すら無い。
なにも、何もない。

「…………」

失った後には、ただ虚空だけがあった。
空虚だけを、噛み締めていた。

故に、ここには何もなかった。
グラハム・エーカーはなにも見ていない。
暗い、暗い、穴の底にいた。







◆ ◆ ◆










See visionS / Fragments 5 :『クライ』 -グラハム・エーカー-









◆ ◆ ◆









「…………誰だ」


かさり、と。
そのとき、穴の底に、小さく足音が響いた。
グラハムは、機械的にそれに問う。
何も見えない目前、気配がある。
背の低い小柄な体躯の、グラハムの守りたかった少女にどこか近しい。

「シスター、か」

少女だった。
インデックスと呼ばれた端末。
それが、失意の男の前に立つモノだった。

「何用……かな。今更、私に出来ることなど何もないが」

感情の篭らない、脱力した声でグラハムは聞く。
何もかもが億劫という様相を、既に隠し繕う気力もない。

「観察です。あなたの、正確には生存者の、記録を実行しています」

口を開いた少女から感情は読み取れなかった。
だからグラハムも、

「そうか」

とだけ、言った。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


二人、何も言わない。
黙したままで、そこに留まり続ける。

瓦礫と砂利の丘に背を付けて座るグラハム。
崩落した町を背景に直立するインデックス。
両者、黙したまま、静かな時だけが流れていく。

二人、意志はなく。
二人、虚無を見つめ。
二人、何かをなくしたもの同士。
そういう意味で、彼らは非常に似通っているのかもしれない。

「君は……」

果たして、どれ位の沈黙が過ぎ去っただろうか。
永遠に続くかと思われた黙祷のようなそれを終わらせたのは、グラハムだった。
だがやはり何も見ぬままに、ただの気まぐれのように、彼は口を開いたに過ぎず。

「君は何故、ここにいる。ここでそんな、無駄なことをしているんだ」

証拠に、洩れだした言葉はあまりにも弱弱しい。
回答を求めない故に、言葉尻に疑問符すらつかない。
この男の常を知っているものにしてみれば、別人と疑うほどの脆弱だった。

「こんな私を見て、なんになるという」

滲む物は諦観一色。

「無駄なことだぞ」

「では逆に――」

その一色に、一石を投じるでなく、切り裂くでなく、端末は訥々と話す。
同じく脆弱な存在のまま、意志もなく、意義も無く。
それは空回り続けていた。

「あなたは何故、そこに留まるのですか」

お互いに、疑問符のつかない会話を展開する。
語尾を上げる力すら、両者にはなく、両者ともに返答を望まない。
けれど端末は、それを続けた。

「――データ参照。
 グラハム・エーカーの行動パターンと性格特性(メンタルレベル)を二重に分析。
 その重複結果。
 あなたはここで脱落(リアイア)する行動方式を有してはおりません」

一切の感情が篭らない声。
断じて、信じていると言っている訳でも、勇気づけている訳でもありえない。
ただそうであると、断じているに過ぎなかった。

「シナリオパターンCを出展とする。
 天江衣の死はグラハム・エーカーに対して極大の衝撃、ダメージとなります。それは事実。
 しかしそれは、それまでのこと、あなたの心を折るには至らない」

絶対の計算式から導き出した答え。
『グラハム・エーカーはここで折れない』
もう一度立ち上がる。
それが用意されたシナリオなのだから。

「悲しみを怒りに転化する。守る意志を破壊する意志へと帰化する。
 貴方はグラハム・エーカーという存在を捨てる」

それが法則、ロジカルな道理、結果であるはずなのだと。
足し算と引き算をして、解を述べただけ。
グラハム・エーカーはそういうものだ。
そう出来ている。構成されているという解法がある。
つまり、この場合(パターン)ならば、
守るべき者の死を乗り越え、怒りを胸に燃え上がらせて、庇護者を復讐者に変え立たせる状況。

「シナリオ通りであるならば、貴方は今までの自分を捨てて、仮面を身につける。
 さながら――」

そう、それはさながら。
武士道と呼ばれた、否、呼ばれる未来という。

「本来のグラハム・エーカーが歩むはずだった。
 歴史をなぞるように……」

キャストは限界まで収縮された。
故に外れようのない、計測されうるシナリオは正史の反復。
武士道を名とする男の誕生と。

「果てに貴方は、神に挑み、そして散る」

復讐者は遍く死と交差し、終焉するのが定めだった。

「なのに貴方はこの場所に留まっています」

しかし現実は違った。
グラハム・エーカーは散る以前に、立ち上がることすら成し遂げない。
ここで消沈するのは、喩え最終的な結果が同じだとしても、計算外であることは否めない。
用意されていたシナリオから外れていることは確かだった。

「さてね、何故だろうな」

男の反応はそっけない。
辿るはずだった未来を語られて、なのに響いていない。
刺激の無く、変化は見られなかった。
ただ、自嘲だけが、ある

「ああ確かに、私はここで倒れる人間ではない。
 私自身、そう思っていたのだ」

それは自虐や諧謔ではなく。
本心からの言葉であった。

「立ち上がる理由など、幾らでも見つけられるだろう。
 天江衣を殺された直後のように、怒りに任せて動くことも出来た。
 天江衣と約束したように、市民を守るため義にしたがって戦う事も出来たはずだ……」

グラハムとは、その様なものであるという認識。
インデックスに説明される以前から、この男は知っていたのだろう。
知っていて尚、この状況に甘んじるわけとは即ち。

「しかし、な。不思議だな。立てないのだよ」

本人すら分からない。
知らない何かが在るという。


「火が……な」

「……火」


聞き返すでなく反復した端末へと、もう一度苦笑って。
グラハムは虚空に呟いた。


「火が、つかんのだ」


まるで「気分が乗らない」とでも言うような軽さ。
同時にどこまでも深い奈落の諦観と共に。

「彼女が死んで、そしてそれを確かめてより、何故だろうか分らないが……」

一度消えたそれは、取り返しがつかないのだと。

「火がな、無い。私の中で、当然のようにあったそれが、ない」

だから立てないのだと。

「理論と反します。意図も、掴めません」

理由になっていない。
計算式を覆す要素になっていない。
言い返す端末に、責めないでくれと、グラハムは漸く少女を見つめ。

「しかたないさ。私にも分らないことだ。知らないことだ」

肩をすくめて、空を仰ぐ。

「だが、これだけは言える」

そして小雨を降らせる曇り空を、瞳に浮かべて。

「彼女と出会う前ならば、私は何を失おうとも、こうはならなかったろう。
 例えば君が先ほど言ったようなシナリオ、ああ良いな、心が震えたかもしれない。
 しかし今は――なんと言えばいいのかな、そうだな……」

こう、締めくくった。

「この気持ちに……愛がない……」

魂の、欠如。
いつの間にか急速に、超大の存在となった少女は、グラハムの中心に在ったものとすり替わっていた。
まるで魔法のような、幻想のような、少女。
いずれにせよ失ったものは、其れほどまでに特別な存在だった。
グラハムだけでなく、この世界全てにとって、決して失われてはならない者だったのだと。
失われてはならない彼女を守ることこそ、己に課せられた役割だったのだと、失った今こそ、心から信じられるから。

己は間違いなく敗北したのだ、と。
再起は不可能なのだと、確信する。

「つまり――」

インデックスという端末はポツリと呟きながら、
グラハムの視線を追うように、空を仰いだ。
神のシナリオを歪ませるほど、彼女の存在は物語の中心にあったのでしょうか、と。
端末は、言外に、黙する。


意図せぬ黙祷が再び流れた。
今度はより決定的な。
何かを諦めるには十分すぎる冷たさだった。

「いずれにせよ」

再びグラハムがそれを、終わらせる。
今度は明確な、会話の末に向って言う。

「物語(シナリオ)はここまでだ」

彼女亡き今、変えられる筋書きは、グラハムの意志が折れるのを早めただけという。
ただそれだけのことだと。

「はい。その言葉に異論はありえません。終着(ピリオド)に変更は皆無。
 第七回放送以後、このまま殺し合いが再開されなければ。
 神が降り、彼の手によって地は燃え、殺し合いは強制的に終焉を迎えます。
 それは変えられない事実です」
「だろうな」

グラハムは納得し、そして覆す気力も無い。
一貫した、諦観と悲哀。
諦観は己に、そして悲哀は、とどのつまり、
いまだに諦めることすらできない、あの少年に。

「何かが変わったとしても、終わりは何も変わらない」
「はい。肯定します」

グラハムは、憐れんでいる。
インデックスは、ただ肯定する。

「我々は、死ぬ」
「肯定します」

変えられない事実。
変わらない現実を、二人は、見つめていた。

「抵抗するものは僅か。そして勝ち目などない」
「肯定します」

意志のない二人。
確認作業に従事していた。

「悲劇で、幕は閉じる」
「……肯定します」

バッドエンド、確定しているそれを、彼らは語り終えた。
ここで会話は終わる。
終わるはずだった。
けれどグラハムは無意識に、ついでのようにもう一つだけ口にした。

特に聞く必要もない余計なこと。
答えのわかっている、無駄なことを。


「生きる意志を示す者は、阿良々木暦、一人だけ、か」



哀れにも止まれない、諦められなかった少年の、孤独な敗北。




その、最終確認において――





「否定します」



一つだけ、またしても、齟齬が生じた。

「……なに?」
「もう一人」

曇り空から視線を切ったインデックスが、今、見据える先に。

「たった今、確認されました」

滅び廃れた地を踏みしめて、此方に歩いてくる、『二人分』の足音。
一人は少年、阿良々木暦。

「照合――」

そしてもう一人、少年に手を引かれたその姿。
おぼつかない足取りで、それでも確かに自分の足で、こちらに向かって歩いてくる少女。
立ち上がった者が、ここに、少なくとも、一人きりではなく――

「阿良々木暦と、そして平沢憂。
 現時点で、この二名に対し、生存の意志を確認できます」

一人は、二人になって、
とても僅かな、けれど確かな変化が今、ここに帰還する。

喩え目に見えぬほど、感じ取れぬほど僅かな差異であろうとも。
それは即ち、決められていたシナリオを食い違わせる。
変調の因子に他ならなかった。















【 Fragments 5 :『クライ』 -End- 】









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最終更新:2013年08月23日 23:33