煉獄の炎 (1) ◆.ZMq6lbsjI
無人の野を征く孤影、名を古代ギリシャの大英雄ヘラクレスと言う。
が、現在彼を呼ぶにその名は相応しくはない。
この場に彼のマスターがいればこう呼ぶだろう、『
バーサーカー』と。
その名が示すごとく、狂戦士は闘争の場を求め行く手を遮ることごとくを破壊し、粉砕し、蹂躙し、一路北東へと走りゆく。
やがて、視界の端にバーサーカーの生きた時代には見られなかった、直線で構成された建造物が映る。
英霊となって得た知識が、あれは学び舎であると答える。そして、その内に複数の命の鼓動――獲物を、感じる。
生前は高潔なりし武人であったヘラクレスのこと、罪無き者の命を摘み取ることに呵責を感じないわけではない。
己一人ならば躊躇うことなく帝愛グループなる悪漢へとこの豪腕を叩き付けられる。
既にこの身は生を終えた存在。戦場を駆け白刃に身を晒し、血に濡れ倒れることに恐れはない。
だが、しかし。この肩に背負うは自らの命ではなく、マスターたる少女の命だ。
マスターとサーヴァント、二者を繋ぐ魔力のパスは寸断されている。本来、令呪を使いきるか死に別れるかしなければ断たれることなき絆が。
あるいは、主催者は聖杯以上の魔法を手にしているのかもしれない。
そんな輩がバーサーカーのマスターにして聖杯の器たる少女を放置しておくか?
――否。
考えるまでもない。バーサーカーが抵抗の間もなく囚われたのならば、あの少女一人で逃げ切れるはずがない。
今この瞬間も、少女は、自らのサーヴァント以外に頼る者を知らない哀しきマスターは彼を待っている。
是非もない。
たとえ冥府魔道に墜ちようと、一刻でも一寸でも一瞬でも疾く主の元へ馳せ参じなければならない。
そのためにはどうすればいい?
島中を走り回り、魔力経路を頼りに彼女を探すか?
――否。
単独では日常生活もままならない少女がこの戦場にいる可能性は低いと見ていい。
もし彼女が死ねば、極度の魔力喰らいたるバーサーカーもまた現界してはいられない。おそらくは主催者の元で人質として囲われているだろう。
では仲間を集めて主催者に反抗するか?
――否。
もしバーサーカーが主催者の意にそぐわぬ行動を取れば、囚われのマスターへと危害を加えられるかもしれない。
そもそもにして、バーサーカーのクラスたる今の自身では他者との友好的な接触など望むべくもない。
探しても手は届かない。
守ろうにもここにはいない。
で、あるならば――残った道は一つしかない。
主催者の手の中のマスターへと、最も迅速に、かつ少女の安全を慮った上で辿り着く方法。
主催者の機嫌を損ねず、望み通りに振る舞うこと――すなわち、闘争だ。
万象一切灰燼に帰してでも。
死山血河を築こうとも。
立ち塞がる全てを打ち倒し、主催者の望むままに、操られるままに、踊り狂うしかないのだ。
今一度、胸中の決意に触れる。
問題はない。既に一度、殺戮と破壊の衝動に身を任せたのだ。
先ほど干戈を交えた敵手。サーヴァントとは違う、だがギリシャの大英雄と伯仲するほどの武人。
バーサーカーに勝るとも劣らぬ豪壮な体躯、練り上げられた技。
そして幾千幾万の戦場を越えてきたと自負する大英雄を恐れず、正面から打ち合える凄まじい覇気。
あの武勇。生前、そして英霊となった死後通じて手合わせしてきた者達の中でも五指に入る。
惜しくも水入りとなった先の邂逅を思い出し、バーサーカーの巨体が震える。
こんな状況でなければ正々堂々、全身全霊を賭して刃を交えたい豪傑であった。
この先バーサーカーが修羅の道を進むならば、再びあの武人と相見える機会が必ず来る。
あの眼光の中に、バーサーカーをして感嘆せしめる正義を執行する気高き意思を垣間見た。
おそらく彼は己と真逆の道を往く。
決着を着けねばならない。
サーヴァントとしてではなく、一人の武人として。
烈火のごとく湧きあがるその想いを、戦場に生きるバーサーカーは抑えられない。
そしてもしも許されるならば。
この手にかける者は戦う術なき弱き民ではなく、あのような強き者であってほしい。
感傷であるのはわかっている。
それでも、願わずにはいられない。
我が身に纏わり付く、忘れ難い誇りの残滓。
英霊としての気高き戦を望む、戦士ヘラクレスとしての願望を。
小高い坂を駆け上がる。
見えた。あれが現代の学び舎。
歩いても数分かからずという距離。
バーサーカーは鬨の声を上げようと息を吸い込む。
そこで、見た。
遥か東、薄明の空に舞う紫紺の影を。
直感する。
あれはバーサーカー自身と同類――すなわち、サーヴァントであると。
跳んでいるのではなく、飛んでいる。
空を飛ぶサーヴァント。
ライダーか?
いや違う。ライダーであるならば何かに乗っているはずだ。
だがあのサーヴァントは何かに騎乗している様子ではない。
いかに神話に名を残す英霊と言えど、翼なき身で空を往くことは不可能だ。
あのサーヴァントは翼でも乗り物でもなく、独力で空に舞っている。
ならば答えは一つ。
重力の頸木すら断ち切るほどの魔力を噴射し得る、ただ一つのクラス――
キャスターだ。
悠々と、こうして下からバーサーカーが見上げていることすら気付かずにキャスターは遠ざかる。
正面から戦えば、バーサーカーにとってキャスターなど敵ではない。
魔術師ごときがいくら小細工を弄しようと、最強のサーヴァントに力勝負で太刀打ちできるはずがないのだ。
だが、それはあくまで尋常な果たし合いであればこそ。
キャスターのクラスがすべからく持つ、陣地作成と道具作成のスキル。
これらを効果的に運用し、またその絶大な魔力で他者を傀儡とし己が戦力とすることが可能ならば、キャスターは決して侮れない存在となる。
たとえば数刻前に戦った武人。彼ほどの豪傑が容易く術中に落ちるとは考えにくいが、そこはキャスターのサーヴァント。
魔の領域において、バーサーカーなど及ぶべくもない知識の持ち主にかかればどう転ぶかは分からない。
彼ではなくとも、六十余名もいればその獲物は選り取りだ。
純粋な脅威として。
また、武人の誇りを穢しかねない許すべからざる下郎として。
まさに目前へと迫った学び舎から矛先を転じ、バーサーカーは一路キャスターを追って走り出す。
学校に集う者達を見過ごすのは痛いが、未だ正体不明の何者かと魔術師のサーヴァント、どちらが厄介かと言えば間違いなくキャスターだ。
なんとなればここは後回しにしてもいい。だが、一度キャスターを見失えばそれだけ以後が不利になる。
武を信条とするバーサーカーにとり、戦場とは力と力のぶつかり合う狭間。全てを剣と拳に預ければ自ずと答えの出るもの。
しかしキャスターの戦いは違う。奴の戦いとはすなわち、戦場に入るまでに決している物のことだ。
自身に有利な条件を構築するという点において、キャスターは他のクラスの追随を許さない。
一度逃がせば次は倍の。二度仕留め損なえば次は二乗の脅威となることは間違いない。
今ここで、見逃すわけにはいかない。
この位置からでは自慢の豪腕による投擲も届きはしない。故に走る。ひたすらに、自らの足を頼りに。
先ほどとは違い、無駄に破壊を撒き散らすことはしない。万が一察知され、気配を遮断されては面倒だ。
足を地に叩き付ける。だがその太く逞しい豪脚が奏でるのは、無音とは言えないまでも赤子すら起こさぬであろうごく微量の音律。
ヘラクレスは本来キャスター以外の全てのクラスに該当する資質を持つ英霊。
キャスターを遠間から発見した視力は
アーチャーのクラスであれば存分に活かされたもの。
では、こうして巨体を感じさせることのない静謐な走法は何か?
問うまでもない。アサシンのクラス、隠業もまたお手のものである。
天高く舞う黒蝶を追い、学校から離れゆく孤影。
向かう先に待つのは――新たな戦場以外、あり得ない。
◆
耳に響くのは銃声と甲高い金属音。
目に映るのは火線の閃きと異形達の乱舞。
リリーナ・ドーリアンの存在するこの場所こそが、今まさに戦場と化していた。
右手には大昔の武士のような格好の金髪長身の男。
左手にはこれまた時代を感じさせる武者鎧をまとい、勇壮な軍馬に跨る壮年の男。
リリーナと連れ合いの
アーニャ・アールストレイムの前に突然現れ、有無を言わさず戦い始めた二人の男。
その余波を受け危機に見舞われたリリーナ達。その時、あわやと言うところで割って入った影二つ。
金髪の襲撃者と撃ち合うのは、刹那・F・セイエイと名乗った黒髪の青年。
その彼にホンダムと呼ばれたモビルスーツもどき……巨人は、鎧武者へと向かって行った。
銃声轟く戦場に降って湧いた、猫の額ほどの空白地帯。
要するに戦い合う四者のちょうど中間にいるリリーナとアーニャは、未だ頭上を飛び交う銃弾のおかげで逃げることもできずにいる。
無論、リリーナに逃げるという選択肢はない。
この争いを静めることができずして、完全平和主義など謳えるはずもない。
だがしかし、同時に言葉で止まる者達かと言うとそうではないとリリーナも理解している。
不用意に飛び出せば、すぐさまリリーナの身体は狂乱する弾丸によって食い荒らされるだろう。
ままならない状況に、リリーナは歯噛みする。できるものなら今すぐにでも立ち上がって声を上げたいというのに。
それを察したか、傍らのアーニャはリリーナの方を押さえる手を離さない。
銃声はますます激しくなる。モビルスーツが暴れているのか、倉庫の破砕音すらも聞こえてきた。
このままここに留まっていても、安全という保証はない。
アーニャが手振りで移動すると伝えてくる。頭を上げないように、離れた所にある廃材の影へと這いずっていく。
充分距離が空いたところでリリーナは、油断なく拳銃を構え周囲を警戒するアーニャへと問いかける。
「アーニャ、どうにかできませんか? せめてあの者達に語りかけることは……」
「止めた方がいいんじゃないかしら。どう見たって、あれはやる気よ」
「彼らも私達も、殺し合いを強制されているという点では同じ立場です。理解し合うことだって不可能ではないはずだわ」
「別に私は止めないけど。助けもしないわよ?」
「アーニャ……」
額を押さえ、眉を顰めつつアーニャが言う。
頭を打った割に機敏な受け答え。意見を否定されたことを残念がりつつも、大事なさそうなアーニャの様子に胸を撫で下ろす。
「――っと。優先するべきは私達の安全。リリーナ……様も、それを忘れないで」
「ですが……」
「それに、乱入してきた二人が味方だという保証もない。この状況、私達は一番不利なポジション」
言ってアーニャが拳銃で指し示したのは刹那と言う青年。
「彼とあのナイトメア……じゃない、あれも参加者? とにかく、あの二人は組んでいる。心強い援軍ではあるけど、明確に私達の味方と決まった訳じゃない」
「私達を救ってくれたではありませんか」
「単に私達が小娘二人だったから後回しにしているだけとも考えられる」
「人の善意を疑うというのですか、アーニャ!」
「あいにくそんな抽象的なものに価値は感じない。まあ、とりあえず敵ではないとは判断してもいいと思う。
それよりも残りの二人。あっちは明らかに危険」
刹那と相対する金髪の男と、軍馬を縦横に操りモビルスーツらしき参加者――ホンダムと呼ばれていた――と渡り合う武将。
金髪の青年は無表情に、それこそ道に落ちている小石を蹴るかのように引き金を引いている。
対して武将の方は、今も哄笑を上げ軍馬を巧みに操りパワーで勝るだろうホンダムをスピードで翻弄している。
どちらにも共通するのは、人に銃を向けることに一切の躊躇いがないという点だ。
僅かなリとリリーナが二人の関心を引いてしまえば、その銃口がどこに向くかは考えるまでもない。
「リリーナ様、デイパックの銃を貸して」
「……どうする気です?」
「決まってる。敵ではない方を援護して、敵を排除する。あの武将のマント、何かの兵装みたい。
あの――ホンダムの、ナイトメア並みの攻撃を軽々と受け止めている。私が援護したところでそれほどプラスにはなりそうにない」
「アーニャ」
「でもあの金髪の男は違う。ラウンズ以上の身体能力だけど、少なくとも撃てば死ぬはず。まずは刹那を援護する」
「アーニャ!」
思わず大声を上げる。存在を秘匿しなければならないということも忘れて。
アーニャが咎めるような視線を向けてくる。
「……何」
「あなたまで戦うというのですか?」
「仕方ない。黙って殺される訳にはいかないから」
「それは私も同じです。ですが、一度銃を撃ってしまえば、再び対話のテーブルに着くことは困難になります。
まして、もし誰かが死ぬようなことになれば取り返しは付かないのですよ!」
「じゃあ、どうすればいい? どう見たってあの二人は話を聞いてくれる感じじゃない」
「それは……そう、ですが……」
代案など思いつきはしない。
話し合いで平和の道を模索するためにはまず銃を置かねばならない。
だがこの状況で銃を自ら手放すのは、平和主義者などではなくただの愚か者だ。
そしてリリーナは愚か者ではない――しかし、筋金入りの平和主義者であった。
だからこそ、この場で初めて声を交わした同年代の少女が銃を手にすることに、無意識の反発を覚えてもいた。
言葉は出てこない。だから目で訴える。
他の方法があるはずだ、と。
リリーナの視線を怯むことなくアーニャは受け止める。
やがて――根負けしたのはアーニャだった。
「……殺しはしない。それが私にできる最大限の譲歩。とりあえずあの二人を無力化する。
死なない程度に戦闘力を奪うから、そこからはリリーナ様の出番。それで妥協してほしい」
「……ッ、わかり……ました。他に方法がないのなら……。ですが、あなたも死んではなりませんよ、アーニャ」
「そのつもり」
渋々とリリーナがデイパックから取り出したAK-47とボールペン型の銃、そして両者の予備弾倉をアーニャが受け取る。
アーニャは自身が持つ拳銃、ベレッタM92を代わりに渡そうとしたがこれはリリーナに断られた。
「私に銃の心得はありません。いえ、あったとしても。完全平和主義を掲げる私が武力を手にする訳にはいかないのです」
「……そう。じゃあ、安全なところに隠れていて」
ペン型銃を胸ポケットに引っかけベレッタをベルトへと挟み、AKを抱えて刹那がいる方へと小走りに駆け出していくアーニャ。
その背に、リリーナの言葉が追いすがる。
「アーニャ! ――気を付けて!」
わかってるわよ――声に出さずに呟いたその表情は、主君のために戦場を駆ける騎士そのものだった。
歯を食い縛り頭痛を押し殺す。こんなところで死ぬわけにはいかない。
彼女の主君、第98代神聖ブリタニア皇帝のために。
◆
ガンダムマイスターたる刹那にとって、生身の戦闘は本分とは言い難い。
だが、幼少の頃
アリー・アル・サーシェスによって叩き込まれた戦闘術が、ソレスタルビーイング加入後も怠らなかった訓練が、刹那を寸でのところで死神の抱擁から遠ざける。
身を引き壁を背にした刹那の傍らを音速の弾丸が駆け抜ける。当たっていれば刹那の頭部は熟れ過ぎた果実のように弾けていただろう。
(こいつ……手強い奴だ!)
胸中で舌打ちする。
首輪探知機を使い、都合四つの反応があるこの倉庫群へと飛び込んできた刹那と忠勝。
折り悪く戦闘中だったらしく、現場には争う二人の男と怯え惑う二人の少女。
反射的に忠勝が動き少女達の危機を救い、なし崩し的に戦闘へともつれ込んだ現状を再認識し刹那は焦燥に身を焦がす。
(ホンダムが戦っているのは
織田信長――徳川家、そして
本多忠勝の怨敵。援護したいところだ、が……ッ!)
倉庫の入り口から眼だけを出して中にいる敵手の姿を確認しようとするものの、途端に銃弾が放たれ慌てて頭を引っ込める刹那。
まずいことに敵の武装は拳銃一丁だけではないらしい。クロスレンジならともかく、一度距離を空けると刹那の不利は動かし難くなった。
(銃声、弾速、発射頻度から察するに狙撃用のセミオートライフル……射程、威力ともにこの拳銃とは比べ物にならない)
どうやら敵は相当銃の腕に自信があるようだ。
外したからと言って、焦っての無駄撃ちは一つもない。刹那が隠れている状態から顔を出すその一瞬で照準・発砲してのけるその技量。
銃を扱うことにかけては刹那の遥か上を行っている。
ソレスタルビーイングの盟友にして射撃の名手、ロックオン・ストラトスに匹敵するかもしれない。
(加えて奴には拳銃もある。このままでは押し込まれるな)
単純に考えて敵の手数はこちらの二倍だ。
無策で飛び出したところで、まずあの狙撃銃による牽制が来る。牽制と言っても必殺の一撃だが。
そしてそれを避けることができても、生まれた一瞬の隙を見逃してくれるほど生易しい相手ではない。すぐさまサイドアームによる追撃が来て、敗北するのは目に見えている。
歯噛みする。自身に加え、脳量子波が伝える忠勝の焦燥を感じるからだ。どうやら向こうも一筋縄ではいかない相手らしい。
「せめて、奴の気を散らすことができればな……」
「あら、それなら私が手伝ってあげましょうか?」
「……ッ!?」
背後で囁かれた声に息を飲む。
咄嗟に振り返ればそこにいたのは先ほど忠勝が助けた少女の片割れだ。
戦場に会ってその表情は泰然としていて、微塵の恐れも感じさせはしない。
いかに金髪の男に集中しているにしても、容易く背後を取られるほど刹那は警戒を怠ってはいなかった。
この少女もまた、只者ではないということだろう。
「お前は……」
「アーニャ・アールストレイム。もう一人はリリーナ・ドーリアン。ま、自己紹介は後にしましょう。
あの男を排除したいのでしょう? 私も協力するわ」
「戦えるのか?」
「これでも皇帝陛下直属の騎士よ? ナイトメア操縦だけが芸じゃないわ」
「皇帝……ナイトメア? 済まないが何を言っているかわからないな」
「……その辺りは、後で詳しく話し合いましょう。今はまず、この場を収束させなければ」
「……了解だ。策はあるのか?」
「私がこのライフルでここから援護するわ。見たところ向こうの銃は連射が利かないようだから頭を押さえることはできるはず」
「その間に俺が接近する、か。わかった、それでいこう」
「話が早くて助かるわ。あ、これも持って行きなさい」
アーニャが差し出したのは、一般的なボールペンだ。
何のつもりだと言いそうになる刹那だったが、続けて渡された五発の弾丸に得心する。
「暗殺用の偽装銃か」
「まあ、こんなチャチな物でもないよりはマシでしょう?」
袖口にボールペン型銃を仕込み、刹那が壁際でタイミングを計る。
上着を脱ぎ、放り投げる。間髪いれずに弾丸が飛来し、ズタズタに引き裂かれた。
「行きなさい!」
アーニャが転び出てライフルを連射する。敵は突然一人増えた標的に動揺したか、身を隠したようだ。
機を逃さず刹那も駆け出す。
背中を会ったばかりの者に預ける不安がなくもなかったが、他に方法もない。
アーニャは自らを騎士と称した。騎士、と言う割に銃器の扱いは大したものだ。
的確に金髪の男の鼻先へと弾丸を集中させ、反撃のタイミングを与えない。
コンテナの影から、ぬっと拳銃を構えた腕だけが伸びた。
反射的に足に力を込め、左方に跳ぶ。弾丸は寸分違わず刹那の頭があった位置を通過した。
遮蔽物の影に隠れ、視界に目標を捉えずともあの精度。刹那の頬を冷たい背が流れ落ちる。
「止まらないで! 行きなさい!」
後方から追いすがるアーニャの声。彼女もまた、こちらへ走り出しているようだ。
ここは一気に畳み掛ける時と、刹那も拳銃を握る手に力を込めて飛び出した。
瞬時に襲い来る無数の弾丸。だが今度はアーニャの牽制が効いたか、先ほどよりも甘い狙いのものばかり。
凶弾を身を伏せやり過ごし、そのバネを活かして一気に跳んだ。
男から数m、近接戦闘の距離。刹那の目が、窓から差し込む黎明の空の明かりで明確になった男の顔を捉える。
金髪長身、どこかの民族衣装のような服装。切れ長の目は何の感情も感じさせることはなく、この苦境に至ってもいささかの怯えも動揺もない。
男が身体を回す。拳銃を持つ方と逆の手に握られた長大なライフルがぐんと旋回し、刹那の頭を狙う。
鉄の塊を再度伏せて避ける。間髪いれず跳ね上がってきた男の足を、腕を交差させることで受け止めた。
衝撃で一瞬身体が浮く。
流れた体勢の中、刹那は痺れる腕を叱咤し拳銃を男へと向ける。
男もまた、ライフルを落とし拳銃を刹那へと照準する。
交差する視線/射線。
鳴り響いた銃声は、二つ。
「……チェックメイト、かしら?」
そう言って、硝煙香る拳銃を手に近づいてきたのはアーニャ・アールストレイム。
男が引き金を引き絞るより一瞬早く、飛来したアーニャの弾丸が男の手から銃をもぎ取ったのだ。
少女の介入がなければ撃ち負けていたであろう刹那の放った弾丸は、男の左肩を撃ち抜いていた。
転がった拳銃を横目で見やり、男はだが敗北を認めてなどいない眼で刹那達を睨みつける。
男の足元にある狙撃銃、拾うのは二秒もいらないだろう。
だが一瞬あれば充分。刹那とアーニャの向ける銃口は、付け入る隙を与えてはいない。
「クライアントからの要請で、あなたは殺すなと言われているの。だから、申し訳ないけど……死なないくらいに、撃たせてもらうわね」
アーニャが拳銃を男の足へと向ける。
刹那は止めようかとも思ったが、この場を実質的に収めたのはアーニャだ。決定権は彼女にあると口を噤んだ。
アーニャが引き金を引き絞る瞬間、男が肩を押さえる右手を下ろす。
漏れ出した血がその身体を染める。
「あいにく……」
「え?」
下げられた手が握り込まれ拳となる。
その刹那からは見えない拳の中、何かを押し出す指の動き。
拳銃と狙撃銃を拾われることに気を割いていたアーニャは気付かない。
「死ぬのは、俺ではない。お前達だ」
四角い何かが拳から顔を覗かせる。
静かな言葉とともに男の親指がそれにかけられ、弾かれる。
弾丸のように飛び出た何かは、目にも止まらぬ速さでアーニャの構える拳銃へと食らいついた。
親指大ほどの物体が、拳銃を宙に弾き飛ばす。
男の足が振り下ろされ、地面にあったライフルを跳ね上げる。
刹那が発砲する。舞い上がったライフルのストックに命中し、衝撃でライフルは男の手の中へ。
伸ばされた男の両腕、先ほどと同じ四角い物体が握られている。
(指弾か――!)
刹那とアーニャへ向けてそれぞれ一発ずつが飛来する。
拳銃の柄尻で叩き落とす。
目に映るそれは、刹那のいる環境ではあまり目にすることのないもの――麻雀牌。
だが、銃を通じて伝わった感触はただの娯楽用の小道具などではあり得ない硬さの反動。
これをあの速度で放たれれば、近距離なら拳銃並みの威力にもなろうというもの。
アーニャも辛うじて回避したようだが、片腕で拳銃を保持していた際に受けた指弾の衝撃はその腕の自由を少なからず奪っていたようだ。
アーニャがライフルを構える。が、片腕のその速度は明らかに遅い。
その一瞬の隙を突かれ男は狙撃銃を回収し、あまつさえ取り落とした拳銃へと猛然と走りだしていた。
もはや戦闘力を奪うなどと悠長なことは考えず、刹那はその背中へと立て続けに二発、発砲。
だが男は同じ銃使いとしてその行動を予測していたか、振り返りもせず身体を傾け銃弾をやり過ごす。
駆け抜けざまに拳銃を拾い、勢いのままに跳躍。
刹那の銃口が後を追うが、壁や階段の手すりを蹴って縦横に反転するその身体を捉えることはできず。
あっという間にその姿は工場の二階へと消えた。
アーニャの落とした拳銃と指弾に使われた麻雀牌を回収し、刹那はアーニャに後退を指示する。
一度距離が開けば狙撃銃を持つあちらが有利なのは自明の理。開けた場所では餌食でしかない。
幸い、あの銃創はかなりの深手。早急に処置せねばならない分、時間は稼げると言える。
◆
狙撃を警戒しつつ近くの建材の影へと退避した刹那とアーニャ。
こうなれば倉庫から脱出したいところだが、背を向ければあの男は即座に狙い撃ってくるだろう。
倒さなければ脱出は不可能だ。
アーニャが手を開閉する。感触は戻ってきた。
「済まないな。俺が迂闊だった」
「それはこっちの台詞。まさかこんなもので逆転されるとは、ね」
刹那が回収した麻雀牌を検分し、アーニャが呟く。
「これは……たしか麻雀っていう娯楽に使う小道具ね。でも硬くて重い……特別製なのかしら」
「こんなものでも使い方次第では武器になる、か。あの男、相当の手練れだな」
「そうね。悔しいけど銃を扱うこと、物を飛ばすことにかけては私たちでは及びそうにない。そして、あの身体能力」
「人間離れした跳躍力だったな。少なくとも俺はあんな軽業を行える人間は見たことがない」
「あれに蹴られると思うとゾッとしないわね……回転したりしないでほしいわ」
拳銃とライフルの弾丸を装填し直しつつ、どうするかを考える。
これで相手は刹那達を侮ることなく、相応に危険な相手と認識したことだろう。追い詰めて、しかし倒しきれなかったことが悔やまれる。
「まあ、私達も身動きは取れないけどそれは向こうも同じこと。千日手ってとこかしら?」
「いや……奴はいざとなれば撤退すればいいが、こちらはホンダムがまだ戦っている。座して待つ訳にはいかない」
「ホンダム……ああ、KMFみたいな人ね。あの鎧姿の敵はそんなに強いのかしら?」
「聞いた話だが、ホンダムに匹敵するほどの力の持ち主らしい。織田信長……できれば奴もここで仕留めたい」
「は? 織田信長って……あれが?」
聞かされた名前にアーニャは驚いた。
名簿を確認したときは同姓同名、あるいは偽名だろうとその程度にしか思っていなかったのだが。
だが、今も倉庫の外で激しい戦いが繰り広げられているのか、轟音はひっきりなしに聞こえる。
明らかに人の身の戦いとは思えない規模のそれを身近にしては、冗談と切って捨てることももうできはしない。
さすがに本人ではなかろうが、その力は決して侮れるものではない。
「じゃあ……ホンダム、って言う人の、本当の名前は?」
「本多忠勝だが」
「はぁ……なんでもありなのね、ここは。まさかあの第六天魔王に、戦国最強の武人がお出ましなんて」
「……? お前はホンダムと織田信長のことを知っているのか?」
「まあ、エリア11のことは大体調べたからその程度はね」
「エリア11……? 済まないがお前が何を言っているのか、今一つ理解できないのだが」
「何って……ああ、そういうこと。つまりね、私達が元々存在していた世界は――」
物わかりの悪い生徒を見るような眼で語ろうとしたアーニャを遮ったのは、倉庫中に反響する銃声。
とっさに刹那が手を引き難を逃れたものの、完全に位置を掴まれたらしい。
敵は銃創の応急処置を終えたのだろう。もう悠長に話し込んでいる時間はなさそうだ。
夜が明けつつあるとはいえ、光源の限られる倉庫内はまだ薄暗い。
金髪の男は一度撃てば位置を変えるようで、次々に撃ち込まれる弾丸は全て違う角度からの物だ。
巧みにお互いの背後をカバーしつつ、刹那とアーニャは必死に安全地帯を求め疾走する。
だが途中で気付く。まるで追い立てられるように、入口から離されていると。
「これは……ちょっと、マズいわね……!」
「俺達を逃がさないため、か。こうなると独力での脱出は難しいな……!」
「追い詰められたところで、もしあいつが爆弾なんて持ってたらお終いね。どうする?」
「…………」
目前に迫った袋小路へと駆けつつ、アーニャは思案する。
行かねば銃弾に貫かれ、行けば逃げ場のない行き止まり。
現状を打開する一手は――
「――ッ! そうか……”ならばいい”!」
「ちょ、ちょっと!?」
突然そう叫んだ刹那がスピードを上げて走り出す。
アーニャが危険と思った、まさにその袋小路に向けて。
「大丈夫だ! ついて来い!」
振り返らずに刹那が叫ぶ。その声は自棄になったのでも無策でもなく、ただ満ち溢れている。
この状況を突破する手がある、そんな確信に。
忠勝と信長が近付いているのか、地に響く震動がますます強まる。
問う暇もなく、アーニャも仕方なしに刹那に続いた。
行き止まりに辿り着き、遮蔽物に身を滑り込ませる刹那とアーニャ。
壁は分厚く、刹那達の装備ではとても破れそうにない。
「どうするの!?」
「奴を牽制しろ!」
答えになってない指示を返され、アーニャの胸に苛立ちがよぎる。
だが実際の脅威は刹那ではなく金髪の男。ひとまずは指示通り、男がいると思われる地点へとライフルを斉射する。
男が身を隠すのがちらりと見えた。
だが命中はしていない。地の利は敵にあり、火力も向こうが上。
敵はもうこちらが疲弊するのを待てばいいだけだ。決定的な瞬間はもうそう遠くはない。
焦燥を押し込め、刹那を見やるアーニャ。
刹那はタイミングを計るように壁の一点を凝視している。
その頬を流れる汗の量、決して平素ではない。
二人の間を切り裂く銃弾。
確実に近づかれている。
もう、猶予はない。
たまらず、叫ぶ。
「刹那ッ!」
「――ここだッ!」
拳銃を構える腕を伸ばす刹那。
向けられたのは金髪の男――ではない。
あらぬ方向の、壁の一点。
タン、タタタンッ――
リズムを取るような間隔で銃弾が壁面を叩く。
何をしているのよ――と、そう叫ぼうとしたアーニャより一瞬速く。
刹那がアーニャに飛びかかってきた。
「な――」
「伏せろッ!」
刹那に組み敷かれるアーニャ。
視界の端で男が身を乗り出すのが見え、その銃口が刹那とアーニャを貫く射線を的確に位置取る。
(こんなところで――ッ!)
もはや間に合わないと、全てがスローになった意識の中でわかってはいてもアーニャは銃を構えようとする。
敵手は勝利を確信したか、僅かに口の端を持ち上げる。
どうしようもない、全てが遅い――
刹那が何かを叫ぼうとする、
アーニャの構えたAKが金髪の男を照準しようと動く、
男の銃から弾丸がアーニャと刹那の命を刈り取るべく撃ち放たれる、
その瞬間。
「――――――――――――ッ!」
鉛と黒の二色の衝撃が、アーニャの眼に映る全てを吹き飛ばしていった。
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最終更新:2009年12月16日 11:14