煉獄の炎 (2) ◆.ZMq6lbsjI
◆
濛々と立ち込める粉塵の中、屹立する巨影が一つ。
性は本多、名は忠勝。
人呼んで『戦国最強』。
徳川三河にその人ありと謳われた当代随一の武人、
本多忠勝。
だが今は敢えてこう表するべきか――その名はホンダム!
その眼光が見据える先、差し込む光を背に、忽然と現れた黒い壁の内から立派な軍馬に跨る男が姿を見せる。
本多忠勝の視線を真っ向から受けて立つは、小国尾張から旗揚げし瞬く間に天下統一の目前まで駆け上がった男。
地に舞い降りて天を制す、人呼んで『
征天魔王』
織田信長。
戦国最強を相手に一歩も引かぬその豪勇。まさに魔王を名乗るに不足なし。
忠勝も信長も、激戦の凄まじさを物語るように全身が粉塵に塗れ、血に(オイルに?)濡れている。
しかしその覇気にいささかの衰えもなし。ともに戦意は十二分。
「フハハハ……さすがは戦国最強と言うだけはある。粘りよるわ」
「…………」
「余をここまで楽しませるとはな。大儀であるぞ、三河武士。褒めて遣わそう」
魔王が嗤う。
右手に携えるは騎士王が宝具、約束された勝利の剣(エクスカリバー)。
左手でその存在を主張するのは学園都市の技術の粋を凝らした銃器、オモチャの兵隊(トイ・ソルジャー)。
足を預けるは勇猛で名高き奥州筆頭
伊達政宗が愛馬。
遠近隙のない武装、縦横無尽の機動力。
戦国最強を持ってしても、容易い相手ではない。
「……ほう? なるほど先刻の無謀は弱者どもを救いに入るためか。竹千代といいそやつらといい、とんだうつけよな――戦国最強よ」
工場の片隅で身を起こしたアーニャを、信長の瞳が捉える。
その底冷えのする眼光に、歴戦の戦士たるアーニャの身が我知らず震える。
傍らに刹那が並ぶ。視線は油断なく見晴らしの良くなった倉庫の中心に立つ信長を突き差していた。
刹那が壁に撃ち込んだ弾丸。
あれは金髪の男への攻撃ではなく、本多忠勝への合図。
脳量子波により忠勝の接近を感知した刹那は、状況をひっくり返す手段として忠勝の豪腕を頼った。
無論、刹那から忠勝へは声を介さずして指示を出すことはできない。
脳量子波はあくまで忠勝から刹那への
一方通行。
が、だからこそ、これは刹那と忠勝の信頼関係の賜物と言っていい。
事前に打ち合わせておいた戦術プラン。
刹那は忠勝ならわかってくれると信じ、一定のリズムを刻み銃弾の合図を送る。
忠勝は刹那なら必要な指示を過たず下せると信じ、信長を巻き込んで倉庫に突撃する。
結果、信長を討つことはできなかったが、金髪の男がいた二階部分は木っ端微塵に消し飛んだ。
そして刹那とアーニャもほぼ無傷。
ここからは信長一人に対し、忠勝・刹那・アーニャの三人で対することができる。
ガンダムマイスター並みの連携とはいかずとも、即席のコンビネーションにしては上出来だ。
銃を構え、刹那とアーニャも忠勝の横へ並ぶ。
もはや金髪の男への警戒は無用だろう。さすがにあの有様では生きているはずがない。
「フン……雑魚どもが群れよったか。こともなし――この征天魔王直々に貴様らの首を落としてくれようぞッ!」
信長の足元から立ち昇る、蛇のごとき暗黒の炎。
意思を持ったかのように蠢き、剣を銃をコーティングする。
「何、あれ?」
「GN粒子か……!?」
驚愕する二人をよそに、戦国最強だけがその表情を動かさない。
数の上では不利になっても、信長の気勢は一向に衰えず。
その全身から放たれるプレッシャーは、アーニャにある男――剣を捧げた主、ブリタニア皇帝を思い起こさせた。
声も似ている気がする……それはともかく。
「ここに信長と金髪の男がいたということは、リリーナ様の安全は確保できたと見ていい……彼女には悪いけど、もう殺さずなんて言ってられないわね」
小声で呟くアーニャ。手加減などしている余裕などもうありはしない。
数はこちらが三倍だが、戦力は向こうが三倍と考えてもいいくらいだ。
忠勝が槍を構え、斬り込んだ。
その槍はアーニャにも見覚えがある。ブリタニア制KMF、グロースターに採用されていた戦闘用ランスだ。
当然、人に向ける代物ではない。が、
「愚かなり、戦国最強よォ!」
「…………!?」
ランスの回転機構が働かない。
振り下ろされた槍は地を割る威力ではあったものの、それはひとえに忠勝の腕力ゆえのこと。
巻き込んだ物を削り砕く回転槍ではなく巨大な鈍器にしか過ぎないそれは、信長が頭上に構えたエクスカリバーによって受け止められた。
少なくとも人の範疇にあるその体格で、3mを越える忠勝の一撃を受け止める信長もまた人間外の膂力。
が、そこはやはり体格の差か、剣に手を添えた信長もそれ以上の身動きが取れず額に汗を浮かべる。
膠着した一瞬を逃さず、刹那のワルサーとアーニャのAKが唸りを上げる。
左右同時に解き放たれる無数の銃弾。
「小賢しいわッ!」
叫びに応えるかのごとく信長の背から翼のような外套――マントが翻る。
吸い込まれるように、弾丸。
容易く鉄を砕き人を殺傷せしめる暴威は、大鴉の羽撃きによって吹き散らされる。
硬質な音を響かせ、弾丸は全て叩き落とされた。
信長の足が一閃。腹を蹴られた軍馬がいななき、前足を振り上げ忠勝の胸を強打する。
「…………!」
「うつけどもを顧みるからこうなるのだァ!」
忠勝がたたらを踏んだ一瞬、同時に信長が剣を傾け槍の力を下方に逃がす。
一瞬速く馬ごと旋回した信長の左手に、子どもが欲しがる玩具のような外見の銃器が握られている。
地を噛んだ槍の中ほど、機械部分の隙間にその銃口が押し付けられた。
連続する鋼鉄の咆哮。
「ホンダム!?」
背から刹那の声。激しい火花と金属音を前に、忠勝が後退する。
忠勝自身に傷はない。胸部装甲が数ミリほど凹んだだけだ。
だが、その手にも構える槍は中ほどから弾け折れ、半分ほどの長さになっていた。
傲然と信長が下々の者を睥睨する。
その足先が弄ぶのは。砕かれた槍の穂先。
「そうか……! 済まない、ホンダム。奴をここに押し込む時に槍に損傷を受けていたのか」
「…………」
「まずいわね。頼みの綱の最大火力が期待できないってことかしら」
忠勝の巨体に隠れるようにして、アーニャが言う。
信長の携える剣は忠勝の一撃を受けても折れず、歪曲した様子もない。
また左腕のライフルは相当の威力・重量であるだろうに、片手で発砲してもほとんど反動がないようだった。
そして軍馬だ。猛々しく主の敵を睨みつけるその視線は、人でなくとも充分に脅威を感じさせる。
戦闘を恐れないというのか、忠勝の巨体を前にしても寸毫の怯みも見せず命令あらば襲いかかる気性を持っている。
あの豪脚で蹴り付けられれば、忠勝はともかく刹那とアーニャは骨まで微塵に砕け散るだろう。
「愚昧たる身でこの信長の前に立ったこと、悔いることあらば死力を尽くし抗ってみせい! 恐れと絶望で我を楽しませるが、貴様らに与えられた唯一無二たる生の価値よ!」
馬を駆り、烈火のごとく攻め寄せる征天魔王。
忠勝がその突進を受け止めるべく折れた槍を構え、刹那とアーニャはその邪魔にならぬようにと散開しつつ信長へと弾丸を送り込む。
マントで弾き、あるいは馬を跳躍させて躱し、果ては手にした剣にて音速の銃弾を叩き落とす信長。
「本当に人間か……!?」
「でたらめもいいところね……!」
驚愕の声を上げる二人を捨て置き、信長は現状最大の脅威かつ天下統一を阻む徳川の守り神へとその狙いを定める。
瞬間に間合いを詰められた忠勝は馬を討たんと槍を薙ぎ払うが、寸前で軍馬は蹄を地に撃ち込み急減速。
目測を誤った槍は虚空を薙いで、当然がら空きになったその巨体へと上空から影が踊り込む。
「ホンダム、上だ!」
忠勝が見上げるより速く刹那の声。
「我に屈せい、戦国最強!」
「…………!」
疑いなくその声を信じ、見上げる隙を晒さず忠勝は槍を自らの頭上へと突き込んだ。
忠勝の腕に重い手応え。そして視界を侵食する常闇の輝き――
戦国最強の掲げた槍を、宙に舞う征天魔王の剣が半ばから斬り裂いていく。
火花を散らし、槍が鮮やかに二枚に下ろされる。
もはや邪魔はなしと信長が巨人を斬り伏せようとした刹那、その極短の瞬間を意味する名を持つ男から横槍が入る。
煩わしいとばかり、視線をやる栄誉も与えずマントで我が身を覆う信長。
その黒壁の中から一点、閃光が煌めいた。
慌てて身を伏せた刹那の頭上、闇を帯びた5.6ミリ弾が歓喜の声を上げながら行き過ぎる。
当てられはしなかった。だが、刹那の狙いは打撃を与えることではない。
左腕を刹那へと向けた信長の身体は一瞬バランスが崩れ、右手の件を振り下ろす動きにも影響を与えた。
頭部を断ち割るはずだった一閃は、兜の角飾りと肩の装甲を寸断するに留まった。
間髪いれず忠勝は槍を失った両の拳を握り、未だ宙にある信長の身体へと叩き付ける。
さすがにこれは片手間で受けること不可能と断じたか、信長がこちらも両の腕にマントを巻き付け直接忠勝の拳を防ぐ。
人形のように信長が再び高く打ち出されるが、くるりと回転したかと思うとその黒繭はばらりと解ける。
五体満足の信長がその足元へ滑り込んできた軍馬の鞍へと着地した。
「もらった!」
忠勝の指示によりその位置を予測していた刹那が駆け寄り、至近で馬を潰すべくその足へと立て続けに発砲。
同時に地に向け薙ぎ払われた黄金の剣から先刻の闇が噴き出し弾丸を蒸発させ、攻撃失敗と判断した刹那が後退する前に翼によって打ち払われる。
吹き飛んだ刹那を忠勝の腕が受け止めた。
「フン……小虫どもが。中々どうして、やりよるではないか」
騎士王の剣を軽く振り、信長が不敵な笑みを見せた。
信長が本来使う大剣とは使い勝手が異なるものの、戦国最強の『戦場にて傷を受けたことがない』との風説を容易く打ち砕いた業物だ。
そして奥州筆頭の愛馬もまた、本来の主に匹敵するほどの馬術を見せる征天魔王に応え予想以上の働きを示す。
獲物に不備はない。昂る戦意に身を任せ、信長は頬から流れ落ちてきた血を舐め取った。
刹那を弾き飛ばす際に防御を解いた一瞬を狙い撃たれた。
乾坤一擲の一撃を放ったのは桃色の髪の少女だ。
惜しくも信長の命には届かなかったものの、魔王の奥方・濃を思い起こさせる女傑ぶり。
戦国最強と、その最強と息の合った動きを見せる青年。
信長をして一筋縄ではいかない者達。
「ちょっと、大丈夫?」
「問題……ない。あのマント、銃弾を弾く程度には硬度があるが、殺傷力は低いようだ」
衝撃こそ凄まじかったものの、剣閃銃撃を食らうより遥かにマシ。
打たれた腹は痛むものの、特に動作の支障になるほどでもないと刹那は判断する。
忠勝が折られた槍の先端を拾い、刃として構える。
もはや重量を活かせそうにないそれは忠勝の体躯と比較してとても頼りなく見えた。
刹那の脳裏に、忠勝から無音の思念が届く。
(撤退する……お前を置いて? 駄目だ、ホンダム。いかにお前といえど、奴を相手にその武器では勝てない)
言葉に出さず残弾を装填し直すことでその意思を伝える刹那。
忠勝が囮になればたしかに刹那とアーニャはこの場を逃れることができるだろう。途中でリリーナを拾う余裕もあるかもしれない。
だが代償に、忠勝が敗する公算が非常に高い。
忠勝の豪力に耐えられる武器がない以上、戦国最強といえど決して無敵の存在とは言い切れないのだ。
(だがこのまま戦っていてもやがて押し込まれる……何か、戦場を動かすきっかけがあれば……)
焦りの滲む思考で打開策を考えるも、攻守速と三拍子揃った敵の牙城を打ち崩すにはやはり力が足りない。
撤退するにしても、機動力と遠距離攻撃の手段で勝る相手から退くにはやはり誰かが残り足止めを行わなければならない。
忠勝は脱出・主催反攻のための中心戦力になり得る。ここで失う訳にはいかない。
が、刹那とアーニャではそもそも足止めすら不可能だ。
せめて拳銃などではなく、爆弾や重火器があれば話は別なのだが。
「だが飽いた。これ以上我が覇道を阻むのならば是非もなし……疾く消え失せいィ!」
「来るか……!」
身構える、四人の戦士。
睨み合う両者間の空間が軋みを上げ、激突の瞬間を予見させる。
溢れ出んばかりの王気を纏う征天魔王の凶銃が一時の静寂を裂かんと掲げられ、
不利な状況なれど敗北を是としない戦国最強が小さな二人の同胞の盾たらんと一歩を踏み出し、
天上人の一員と皇帝直属の騎士が魔王を照準し、
「お待ちなさい!」
刹那に制止される。
倉庫中、いや一区画に通ろうかというほどによく響く声が闘争の出鼻を挫いた。
反射的に四者が視線をやる、倉庫の入り口――そこにいるのは無力なはずの少女。
「リリーナ様……?」
最初から舞台に在って、だが演目に興じなかったただ一人。
その眼に
決意の火を灯し、戦場となった倉庫に躊躇いなく踏み込んでくる。
「そこまでです。双方とも、武器を置きなさい」
「リリーナ様……なんで来たの?」
「アーニャ、あなたは戦う力を奪うだけと言ったでしょう? ですが……あの金髪の男性はどうしました?」
「それは……」
「こうしてあなた達が三人であの方と相対しているということは……そういうことなのでしょう。
いえ、一人隠れ守られていただけの私が文句を言うことはできません。そうしなければ収まらなかったのでしょうから。
ですが一人を相手に三人という数の暴力で押し潰そうというのであれば――私は黙って見ている訳にはいきません」
「……リリーナ、と言ったか」
どうやらリリーナは信長に対し三人で攻撃することを責めているらしい。
襲われた身であるのに、理不尽な暴威はたとえ敵である者にさえそれが降りかかることは看過できない。
アーニャはこれほど扱い辛いお姫様が世に二人といることに軽く絶望した。
信長は事情を知らずともリリーナに興味を持ったか、少なくとも激発しかけた殺意を一旦なりと押し込める。
忠勝にその信長の警戒を託し、刹那はリリーナへと問いかけた。
「はい。あなたは
刹那・F・セイエイ……さん、でしたね?」
「自己紹介はいい。この状況だけ見ればたしかに俺達が奴を踏み付けようとしているように見えるだろう。
だが、奴の戦力は俺達より遥かに上だ。現実、追い詰められているのは俺たちなんだぞ」
言外に、足手まといがもう一人増えたというニュアンスを滲ませる。
状況が状況だ。ただでさえ劣勢なのにこの上彼女を守りながら戦うというのであれば、それはもう戦況を決するには十分すぎる。
自然、刺々しくなる刹那の声にリリーナは一切頓着せず、刹那達の目前、つまりは信長の目前でもあるところに立ち塞がる。
「アーニャ、あの金髪の方は残念な結果に終わったようです。責めている訳ではありません……それがあなた達のやり方というだけ。
ですが一度機会を譲ったのですから――この方には私が、私のやり方で、対処させていただきます」
刹那達の非難の視線にも、もっと直接的な危険である信長の銃口にも怯まずに。
リリーナはもう刹那達に構うことなく、信長へとまっすぐに信念に満ちた視線を叩きつける。
「私はリリーナ・ピースクラフトと申します。いえ、既に国家を解体したですので
リリーナ・ドーリアンと名乗るべきでしょうか。
私はあなたと刃ではなく、言葉にて語り合いたいと思っています。よろしければあなたの名前を教えていただけませんか?」
「……我が名を問うか。天下万民余すところなく伝え聞くものと自負しておったが……。
よい、名乗ってやろうではないか。我こそは織田上総介信長よ。尾張より発し、日の本の国――いいや、この世界そのものを手中に納める征天魔王ぞ!」
「織田……信長、さんですか。その名前、私の記憶にないものではありません。たしか延暦寺という宗教寺を焼き討ちしたという……」
「ほう? あれを知っておるか。であれば、余がどのような性根であるかも知っていようぞ。その上で余と語ると申すか」
「あなたがどのような人であるか――それは今、対話を行わない理由にはなりません」
「――フン。よかろう、興が乗った。囀るがよい、小娘」
いつ信長がその凶弾を放つかと警戒していた刹那達にとって意外な成り行き。
信長は構えていた銃を下ろし、刹那達に関心を失ったかその瞳はリリーナただ一人を捉えている。
リリーナもまた、取っ掛かりを得たと一層の奮起を自らに課す。
うまくすれば、なんとか戦いを止めさせる方向でこの戦国武将と手を取り合うことができるかもしれない。
「ではまず、あなたがこの殺し合いにおいて戦う理由を教えていただけますか?」
「つまらぬことを聞く……余は帝愛に指図されたから貴様らを鏖殺するのではない。それが余の覇道であるからよ」
「戦い、奪い、殺すことがですか?」
「然り。戦国乱世とはそういうものよ」
「私はそうは思いません。心からの言葉をぶつけあえば、武力を用いずわかりあうことだってできるはずです」
「わかりあう? ハッ、くだらぬな! 弱き者はすべて滅される、それがうつつよ。尾張とて余が立たねばいずれ今川、美濃辺りに食い荒らされておったわ。
奪われる前に奪う。それこそが人の世の理、三千世界どこであろうと通用するただ一つの真理ぞ!」
ガッ、と信長が剣を地に突き立てる。
床が割れ、幾条もの暗く鋭い棘が噴き出した。
リリーナを取り囲むように発現したその刃は、肌に触れるギリギリというところで停止。
後方で刹那らがリリーナを引き離そうと身構える気配がする。リリーナは手振りだけで彼らに手出し無用と伝えた。
恐怖がリリーナの胸中をよぎる。だがそれに屈さず、なおも言葉を重ねる。
「ち……違います! 戦い合うだけが人の業ではありません!」
「ならば問うぞ、小娘。うぬは先ほど国がどうと抜かしたな。うぬもまた一国を率いる王ということか?」
「ええ、以前はそうでした。私の国は、忌むべき武力侵攻により晒されたのです。だからこそ、こんな殺し合いがどれほど愚かかわかっているつもりです!」
「うぬの考えなどどどうでもよい。詰まるところうぬは国を守れなかったのであろう?」
「……そうです。私は民を守るため、国家の主権を放棄しました。サンクキングダムという国はもうありませんが、そこに生きた人の志は――」
「ハッ、是非もなし! うぬごとき軟弱な王に率いられた国なぞ滅するが道理よ。無能な王を戴くとは、民も不幸よな」
予想通りといったリリーナの返答。信長は鼻を鳴らし蔑視の視線を向ける。
「よいか、小娘――王たる者とは! 自国の民、征服した敵国の民、双方をすべからく支配する存在であらねばならぬ。
そのために何が必要か――うぬにはわかるまい?」
「……理想です。民の心の拠り所となる、清廉にして気高き理想。国を導くには万民の信を得られるだけの理由が必要でしょう」
「ほう……吠えおったな。では、うぬが掲げる理想とは何だ?」
来た。ここが勝負どころだ。
リリーナは一度深く深呼吸し、今は亡き母国を想った。
「完全平和主義です。人は宇宙に進出するに至ってもまだ、争うことを止められないでいます。
何故戦争は起こるのか……私は武器や兵器があるからだと思っています。誰かを信用したくても、その手に銃が握られていては心から信頼し合うことはできない……。
悲しいことに歴史上何度も戦争は起こりました。最たる発端の理由は人の疑心……他者を信頼できない心の弱さが原因です。
だからこそ、人は武器を捨てるべきなのです。武力に拠らず、対話で双方の意見を擦り合わせ、お互いが納得できるまで何度でも話し合うこと。
それが世界中に広まっていけば、やがて武器を、戦争を根絶することができましょう」
「…………」
信長は腕を組み、黙然とその言葉を吟味する。
むしろ後ろで聞いていた刹那こそが、リリーナの言葉に衝撃を受けていた。
(俺達、ソレスタルビーイングとは違う方法で戦争根絶を目指す者……完全平和主義、だと……?)
かつて世界に対し武力介入を仕掛けた刹那の記憶には、サンクキングダムという名前はない。
でたらめか、と切って捨てることは簡単だ。だが魔王の眼前で果敢に理想を語る少女からは、一片とて嘘の成分は感じ取れはしない。
その姿は刹那に一人の姫君の姿を思い起こさせる。
生を受けた地、クルジスの隣国。刹那の国を滅ぼした敵性国家――アザディスタンの代表、マリナ・イスマイールを。
彼女もまた、戦争を、刹那がソレスタルビーイングとして世界に対し戦いを挑むことを間違っていると言った。
否定された刹那はしかし、彼女こそ世界のために必要な人物だと思っている。
破壊による再生などありえない。
ソレスタルビーイングによる再生は歪められ、イノベイターの意に沿う世界が産声を上げようとしている世界。
その世界に、リリーナの語る理想は通用し得るのか。
(だが……あの意志の強さなら、あるいは……)
征天魔王をもう少しで説得できる、あの様子ならば。
刹那が淡い希望を抱いたその瞬間、
「否……断じて、否ァァァァッ!」
カッと目を見開いた信長。霞のごとき信長のオーラが、物理的な圧力となって倉庫を満たす。
傍らの剣を引き抜き、リリーナの喉元へと付き付けた信長。
忠勝が凶行を許さぬとばかり割って入ろうとするが、どうしたところで信長が腕を突き出す方が速いのはわかりきっている。
刺激してはならないと刹那に制止され、忠勝は音もなく停止した。
「戦う以外に道はなし。我往くは覇の道、天下に分を布く道なり。平和というならばそれは余に下った世こそが平和ぞ!
所詮うぬもあの愚妹と同じく、手を汚す覚悟なき者か……まずい座興であったわ」
「ま、待ってください、私の話はまだ!」
「賢しき小娘よ……余を翻意させたくば力で我が身を貫き、屈服させてみよ!」
「そ、そんなこと……!」
「出来るか? いいや、できぬであろうな。うぬの理想とやらはどう繕ったところで弱者の夢物語、腰抜けの理屈でしかないわ!
この信長の時を下らぬ夢想で浪費させた、分をわきまえぬ愚行狼藉……死して報いよ!」
殺気が充満し、剣身を伝う。
直にプレッシャーに充てられたリリーナは身動き一つできず。
忠勝が飛び出す。
刹那とアーニャが撃とうとするも肝心のリリーナの身体が邪魔をする。横に跳び射線を確保。
だがどれも間に合わない。
「夢を持つことが……間違っていると、言うのですか!?」
「笑止なことよ。虫ごときに夢など過ぎた物……余が塵芥と帰してやろう」
信長の静かな宣告とともに閃いた剣が、稲妻のごとくリリーナの細く白い首を薙ぎ払った。
誰も動かない。
剣を振り抜いた信長も、
短くなった槍を投擲するべく振りかぶっていた忠勝も、
間に合わないと知りつつ銃を向けた刹那も、
半ばリリーナを諦めて信長を排除するべく姫君ごと魔王を討とうとしたアーニャも、
そして呆然と瞬きを繰り返すリリーナも、
その全てが、高らかに鳴り響いた銃声の前に動くことを許されない。
ヒュンヒュン、と空気が切り裂かれる音が聞こえる。
やがて硬い物同士がぶつかる音。
それを受け、信長が濁った眼で振り返る。
「どういうつもりだ……? 雑兵ごときが、余の道を阻むか?」
信長が、虚空を握る掌を――最前まで黄金の剣が存在したはずのその右拳を握り込む。
地に突き立ったのはエクスカリバー、信長の手にしていた剣。
睨みつけるのは誰もいない倉庫の片隅、忠勝が吹き飛ばした二階部分の残骸が降り積もる場所。
その爆心地のような瓦礫の中から一点、細く長い銃口が伸びていた。
「別に……ただ、貴様が気に入らなかっただけだ」
◆
月明かりで目が覚めた。
命を拾えたのは単に運が良かっただけだろう。
黒髪の男と桃色の髪の少女を追い詰め、止めを刺さんとしたところでレイの記憶は途切れていた。
最後の瞬間眼に入った、ヨロイらしき巨人。
あのヨロイに外から攻撃されたのだろう、と察した。
(骨は……肋骨が何本か、折れているな。だが手足は間隔がある……)
走る足と、引き金を引く腕さえ無事なら問題はない。
瓦礫に埋もれ、痺れた身体は満足に動くこともままならない。
しばしの待機を命じられた身体は、しかし休息を待ち望んでいたかのようにどっと脱力する。
朦朧たる意識の中で、聞き慣れた音――銃声が聞こえる。
重い瞼をこじ開ける。
狭まった視界の中、あの巨人と先ほどの敵手二人、そして白兜の男が鎬を削り合っていた。
好機だ、と思う。誰もレイの存在に気が付いていない。
だが、もどかしいほどに身体は動かない。
(いや、動いたところで……今は、ダメだ。俺一人では、奴ら全てを相手にはできない……)
猛烈に湧き上がってくる睡魔と闘いながらも、レイの本能は冷静に戦況を分析していく。
あの白兜、やはり強い。三対一と数では圧倒的に不利なのに、逆に圧倒しているように見える。
(あれが奴の本気……先ほどは遊ばれていたか)
あの力を振るわれていれば、レイは初撃で討ち取られていてもおかしくはなかった。
そういう意味では、戦力を観察できるこの状況は悪くないかもしれない。
レイの瞳は白兜のみならず、ヨロイや青年、少女の動きも見逃さない。
ヨロイはともかく、他の二人は明らかにレイより劣る動きだ。
先の敗北は様子見に徹しすぎたことと、純粋な数の不利だろう。
(決着が着くまで待ち、勝った方を狙撃する、か……)
しっかりと抱き抱えていたライフルを、誰の注意も引かぬように、少しずつ動かしていく。
幸い周りは瓦礫だらけ。隠蔽は完璧と言っていいはずだ。
ゆっくりと、その時を待つ。やがて舞台に変化が現れた。
割って入った少女が、白兜と問答を開始する。
――人は武器を捨てるべき――
位置関係はちょうどいいことに白兜の背後。いつでも、頭を狙い撃てる。
だが今撃ったところで排除できるのは白兜一人。三人残しては意味がない。
どうにか全員を一気呵成に叩ける好機が来ないものかと、ほぞを噛む。
――弱者の夢物語でしかないわ――
聞こえてきた言葉。
(夢――夢。俺の、夢は)
――夢を持つことが……間違っていると、言うのですか――
(間違っている……? 夢を、持つことが、か……?)
――虫ごときに夢など過ぎた物……余が塵芥と帰してやろう――
白兜が剣を振り上げる。
少女は立ち竦み、今にもその命を刈り取られんと――
(夢を……奪うのか)
血が沸騰する。
脳裏に描かれたのは一人の女性。
かつて愛した、奪われた――レイの夢。
(俺の前で――また、夢を奪うのか!)
霞がかっていた思考に風が吹いた。
熱い風――その源泉は、怒りだ。
もう、何も考えられはしなかった。
ままならないはずだった身体は羽根のように軽い。
一息に飛び起き、全身に覆い被さっていた瓦礫が飛散。流れるようにライフルを構える。
狙った瞬間、撃たずとも先に命中が確信できた。
この弾丸は当たる。誰に? どこに?
あの白兜。後頭部を撃ち抜くことなど造作もない。
だがそれでも動き出した剣は止まらないだろう。あの娘は死ぬだろうが、それはどうでもいいこと。
レイは、銃爪を引き絞る――
◆
「愚昧どもが……戯れに興じてやればつけ上がりおって。もはや是非もなし――余が直々に比良坂へ送ってくれようぞ!」
信長の全身から、寸前までと比べ物にならないほどの殺意が放射される。
傷の痛みを押してなお、魔王たる自身に歯向かう存在は許し難し。
そのオーラは目に見える形となって信長を包み込む。
刹那の眼に映る信長の姿、まさに魔王と言う他はなし。
(あれも世界の歪み……いや、違う! 俺には、奴が――昔と今、そしてこれからの世に跋扈するすべての邪気と魔性が人の形に集まった化物に見える!)
「余こそが天下の織田信長――第六天より来たりし魔王なりィッ!」
咆哮とともに信長が突進する。忠勝がその巨体にて盾となるべく前に出て、アーニャがリリーナを引き寄せた。
刹那はとっさに信長の横を大きく回り込み、立ち上がれない様子の金髪の男へと接近した。
のろのろと伸ばされるライフルを蹴り飛ばし、銃口を突き付ける。
眼光は未だ鋭いが、やはりダメージは大きいのだろうと刹那は判断した。
「一応聞いておくが、俺達に協力する気はあるか?」
「……何?」
「お前がどういった意図で動いているのかは知らないが……少なくとも、リリーナはお前に助けられた。俺も、今はお前を殺しはしない。
だがすぐに信用することもできない……だから、少なくともこの場は銃を収めろと言っている」
「奴を排除する手助けをしろ……と、言うことか?」
「そうだ。お前も一人ではこの場から離脱することは難しいだろう? 俺達もまた、奴を排除するのは現時点では難しいと言わざるを得ない。
一人でも多く、手が必要だ。そしてお前の腕はよくわかっている」
しばし、熟考する素振りを見せた金髪の男。
その間刹那は狙撃銃を拾い上げ信長を狙おうとするが、やはり本業ではないためかどうしても狙いがうまくつけられない。
舌打ちし、駆け出そうとしたとき返答が返る。
「……奴を排除した後、お前達が俺を撃たないという保証はない」
「彼女を信じろ、としか言えないな」
隅の方に追いやられたリリーナを示し、刹那は言う。
「彼女なら無闇に血を流すことを許しはしない――俺達とは違う場所にいる人間だ。それをわかっていたからこそ、お前も彼女を助けたんじゃないのか?」
違う、と脳裏で否定する。
彼女を助けたかった訳ではない。ただ……夢を失うということがどれだけ辛いか、それを考えてしまっただけだ。
信長ではなく剣を撃ったのは偶然でしかない。
決して、助けようと思った訳ではないのだ――その想いは口には出せなかった。
何にしろ、死んでしまっては意味がない。
カギ爪の男に辿り着くことができないまま、意味もなく死ぬ訳にはいかない――
「いいだろう。この場は、奴を排除することを優先する」
「礼を言う。俺は刹那・F・セイエイだ」
「……レイ・ラングレン」
金髪の男――レイを瓦礫から引っ張り上げ、銃を返す刹那。
銃を返したのはこの状況で刹那達を裏切りはしないだろうと思ったからだ。レイとて信長は単独で相対できる相手ではないと理解しているはず。
忠勝と激しく位置を入れ替え打ち合っている信長を見据え、刹那とレイは介入の好機を待った。
やがて、剣のない信長の隙を見出した忠勝が攻勢に出る。
マントで槍を逸らす信長。そこに背後の警戒が疎かになったのを見て取り、レイがドラグノフを構える。
必殺の一撃を放とうとした瞬間、
先ほどの忠勝と信長のときのように、外側から倉庫の壁が力任せに叩き潰された。
全員の視線が釘づけになる。同時に、何かが飛来する気配。
伏せた刹那らだが、すぐに自分達のいる方に飛んできたのではないと悟る。狙いは倉庫の中心で揉み合っていた忠勝と信長だ。
「…………!」
「ぬうッ……!?」
あらぬ方向から迫る殺気を、それぞれ避け、叩き落とし、両者はいったん距離を取る。
飛んできたのは鉄製の砲弾――ごく一般的な、缶詰だ。
誰もがその缶詰が発射されてきた方向を見据える。
重厚な足音を響かせ粉塵を割いて現れたのは――
「■■■■■■■■■■■■■■■■――!!」
本多忠勝の巨体に見劣りしない体躯の、古代ギリシャの大英雄――
バーサーカーだった。
戦の燈明に誘われて、最後の役者が舞台に上がる。
ここがいわゆる、正念場。
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最終更新:2009年12月16日 11:15