「幻想郷、ですか……そんな場所があったなんて」
衝撃的な遭遇から、数分ほど経過した後。
神社の拝殿に腰かけた神楽は、同じく自分の隣に座る、八坂神奈子と情報交換を行っていた。
いわく、この神は神楽の住む社会の裏――幻想郷と呼ばれる秘境から、この場所に呼び出されたのだそうだ。
そこは妖魔や魔導師など、現代の科学に淘汰され、幻想と見放された者たちの、最後の楽園とのことである。
神奈子は信仰を獲得するため、未だ神が信じられている、その里へと移り住んだ神だったのだ。
「ま、幻想郷の存在は、外界には秘密にされているからね。あんたが知らないのも無理はないわ」
受け答える神の口ぶりは、意外にもフランクなものだった。
いわく、こうして接する方が、信仰が得られやすいのだそうだ。
人懐っこい方が好まれるのは、人間も神も一緒らしい。
もちろん、威厳が全くのゼロというわけではない。それは初対面の瞬間を振り返れば、否応なしに理解できる。
「そうですね……それに私達にとっては、いわゆる悪霊との戦いは、日常の一部でしたから」
「私としては、そっちの方が意外だよ。
少なくとも私のいた頃は、外の世界の妖怪共は、ほとんど見かけなくなっていたんだけどね」
返される言葉に、首を傾げる。
どうやら、相手の説明に納得がいかないのは、神奈子の方も同じだったようだ。
彼女の認識における表の世界では、ほとんどの妖怪変化は死滅している。
幾百年の長きに渡り、今日まで続いてきた悪霊との戦いは、今では起こり得ないものだと言うのである。
幻想郷に飛んだとはいえ、数年前まではこちらにいたのだ。
なればこそそれが伝聞ではなく、神奈子自らが見聞きした、確かな情報であると信じられた。
「認識の違い……並行世界? スキマの賢者さえいれば、少しは詳しいんだろうけどねぇ」
はぁ、とため息をつきながら、神奈子は明後日の方を見上げた。
「神奈子様は、この実験場にお知り合いは?」
「レミリアって奴くらいかね。山のふもとに住んでるのだけど、まぁ吸血鬼だし、何とかなるでしょ」
今度は吸血鬼と来たか。
幻想郷というものは、相当に節操無い環境らしい。
大和の神の住まう神社と、西洋の魔物の巣食う洋館――奇妙な和洋折衷を連想し、神楽はがっくりと脱力した。
「そういう神楽はどうなのさ?」
そうする神楽に、神奈子が問う。
それを訪ねるお前には、この場に知り合いはいないのかと。
「………」
神奈子に尋ねられた神楽は、しばし沈黙し考え込む。
そんじょそこらの連中に、遅れを取るつもりは更々ない。
しかしこの
殺し合いの場は、神や吸血鬼すらも呼び寄せる、混迷を極めた戦場だ。
あるいは彼女らクラスの敵も、この場には潜んでいるかもしれない。
であれば、神を自称する彼女の力は、是非とも手に入れておきたいところだ。
殺し屋の攻撃から逃れるためにも、黄泉を捜索するためにも、人手は多い方がいい。
「……神奈子様、折り入ってお願いがあります」
そうと決まれば話は早い。
真剣な面持ちを浮かべながら、神楽は神奈子へと向き直った。
「ここには私の友達が……大切な人がいるんです。どうか彼女を捜すために、力を貸していただけませんか」
深々と頭を下げ、願う。
厳格な父の指導の下、礼儀作法も身につけてきた。
今はそこをわきまえるべき場だ。それに値する問題に向き合っているのだ。
こうべを垂れる少女の前で、女神はふむ、と小さく呟く。
彼女の口から返事が出るのは、それから一拍の間を置いた後だった。
「ならば、我に信仰を捧げよ。さすればこの八坂の力、お前を救うために使ってやろう」
返されたのは、そんな言葉だ。
最初に対面した時のような、厳然な気配を身にまといながら、神は少女に信心を求めた。
「……信徒でなければ、救わないと?」
視線だけで、神奈子を見上げる。
お前は自らに利を与える者だけを、選り好みするような神なのかと。
「自分を信じてもくれない者を、一体誰が信じられる?」
うっすらとほほ笑んで、神楽へと応える。
自らを信頼する者でなければ、己が味方と見なせないのは、人間も神も変わりないのだと。
「………」
しばし、沈黙がその場に流れた。
夜風がゆらゆらと髪の毛を揺らし、木の葉がさわさわと音を立てた。
月明に照らされる境内に、向かい合う2人だけがある。
青白く注ぐ光の中、学生服と黒髪の少女と、注連縄と紫髪の女が、青と赤の瞳で対峙する。
「……分かりました」
ややあって、最初に口を開いたのは、願う神楽の方だった。
「私は貴方を信じます。私の悲願を叶えるために、神に信仰を捧げます」
信用できる言葉だった。
神奈子の言葉には、納得がいった。
信仰とは言うなれば誠意の形。
貴方の力を信じているから、その力で我を救えという、人間と神の信頼の認識。
「ですから、神よ。どうか私に、その御力を貸してください」
信じないなら救えない。
自分を信じてもくれない者を、信じて肩入れすることはできない。
だから、まずはそこからだ。
人の絆も神の絆も、全てはそこから始まるものなのだ。
少ない言葉に理解を込めて、神楽は神へと懇願した。
「いいだろう」
僅かな間の後に、返答。
優雅に笑う八坂の神は、少女の願いを快諾する。
「なればこの八坂の力で、お前の願いを支えてやろう。土宮神楽の信仰が、我が神力を繋ぐ絆だ」
信じなければ救えない。
それは信じている限りは、力を貸すという意の裏返し。
相手が己の力を信じ、頼りにしてくれるというのであれば、それが人と人の絆となる。
信頼で結ばれた者同士は、いかなることがあろうとも裏切らない。
相手に裏切られない限りは、いくらでも力になってやれる。
信じる者のためならば――信じれくれているもののためなら、神はその力を与えてやれる。
「ありがとうございます」
契約はここに結ばれた。
神を讃える名を持つ少女と、幻想の神は絆を結んだ。
一層の礼儀と、感謝を込めて。
神楽は眼前の神に対し、一層深々と頭を下げた。
「さて……そうと決まれば、移動しようか。ここは少し居心地が悪い」
それで終わりということなのだろう。
荘厳な威容を一瞬にして解き、元のフランクな様子に戻ると、神奈子はよいしょと腰を起こした。
「居心地……? 神は、神社にいるものではないんですか?」
「いやまぁ、そうなんだけどね……」
後を追い立ち上がる神楽に、神奈子はばつの悪そうな顔を浮かべる。
先ほどの凛々しくも優雅な姿とは、まるきり別人のような困り顔だ。
「多分、本物じゃないんだろうけどさ……ここ、別の宗派の神社なんだよ」
神の指差すその先には、博麗神社と刻まれた、真紅の鳥居が佇立していた。