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サクリファイスビル

#external-03 サクリファイスビル




『次のニュースです……東京スカイツリー……頭から刺さるようにして……
 身元は……都内の焼肉チェーン店……制服を着た状態で……
 警察では現在詳しい事情を……建設は一時中止を余儀なくされるとのこと……』

 TVモニターに流れるニュースはずいぶんとショッキングなものだった。
 建設中のスカイツリーの高度444m地点に、男の死体。
 これだけでも不思議な話なのに、その死体は頭から鉄骨に刺さっていたという。
 どうやればそんなことが可能なのか? 考えれば考えるほど不思議、魔法のような異常な話だ。
 しかしモニタに映る死者の顔写真は、どこにでもいそうな体育会系の男。
 見るからに頭の悪そうで、そして敵を作るタイプにはとても見えない……。
 だからこそ少女は、焦っていた。

「――白華様、被害者の身辺情報の調べ上げが終わりました」
「遅いぞ一誠。俺は4分でやれと言ったはずだ」
「申し訳ありません」
「別にいい。よこせ」

 地上24階建ての”サクリファイスビル”。
 ここ一帯の土地をまとめあげている日本有数の財閥の一つ、我条グループが所有しているこのビルは、
 山あいのニュータウンとして開発されたばかりで未だ田舎に近い佐久利市において非常に異質なオーラを放っている。
 業務内容は主に街の経済面のチェック。
 1階から7階までの部分は市庁舎にもなっており、実質的に佐久利市の中心の地となっている。
 また、このビルの最上階に居る、ビルの所有者兼この市の”経済市長”……。
 それがまだ年端もいかない少女であるということが、その異質さに拍車をかけていた。

「ど、どうぞ」
「委縮するな。……火邦正志、27歳、MTH新宿のチーフ店長。
 親類関係いたって普通。交友関係、健全。
 昨日の行動は。店を出たあと郊外の自宅に帰り、普通にベッドで寝た痕跡がある。
 最寄駅で目撃情報もあり。いったん家に帰ったのは確かなわけだ。
 だが、家からスカイツリーまでの移動経緯は謎。
 死体はホントに普段着に制服しか身に着けておらず、金目の物は全て家……ふむ」

 最上階のワンフロア、いくつもの株価モニタやニュースモニタに囲まれたテーブルに座る少女は、
 秘書から書類を受け取ると、ざっと目を通してすぐ床へと捨てた。
 この時点で彼女の頭には渡された十数枚の資料の内容がすべて叩き込まれている。
 広い床には他にも仕事関係の資料が同様に捨てられており、もとの床が資料の海に沈んでしまっているほどだ。
 その紙一枚一枚の内容を全て把握しているのは、中心にいる彼女だけ。
 白いシャツ、朱いネクタイの上から茶色い上着を羽織り、赤のスカートと赤黒のソックスを履いた攻撃色な恰好。
 そして遺伝か染色か、綺麗に切りそろえられた真っ黒な長髪が一房だけ白抜きされたように白髪化している。

「……さて、どうするか」

 我条白華(ガジョウ・ビャッカ)。――齢は、十六。
 我条グループを築きあげた我条凌我の末の子供でありながら、現在最も跡取りに近いとされている娘である。
 そして彼女は今、連日徹夜で赤くなった目をさらに真っ赤にしていた。

「焼肉MTHは我条グループ飲食部門の新進企業。
 その稼ぎ頭の店長があんな目立つ方法で殺されたということは、パターンは二通りある。
 こいつが別件の黒い仕事に関わっていた場合が一つ。我条グループに見せつける、挑戦状の意味合いが一つ。
 そして調べてもこの男は真っ白。やはり、俺たちへの挑戦状だ。これは間違いない。
 だが、出てこない。この男が他グループに狙われてた証拠も、
 この魔法みたいな殺し方が出来る手段もまったく引っかからない。
 俺の読みが外れていたのか? ――おい、一誠。この調査結果、ぬかりはないだろうな?」
「は、はい。間違いありません。我条直属の調査団を欺くなど、常人では不可能です」
「……」

 白華は彼女の後ろで縮こまる、背の高い四角メガネの秘書を見上げた。
 田中一誠(タナカ・イッセイ)。
 数年前、白華がこのサクリファイスビルを任されるようになったとき我条本家から仕入れたこの秘書は、
 性格こそどこか頼りなく引っ込み思案なものの、仕事は確かだ。我条の調査団は言うまでもないし、
 一誠の目も嘘をついていない。やはり本当に、この殺人は他グループの仕業ではないのだ。

「では……誰が……?」
「わ、私にも全く推測のしようがありま」
「お前には聞いていない。俺の言葉が独り言かどうかくらい自分で判断しろ」

 一誠から目を離して、
 子供には大きすぎる黒いふかふか社長椅子にぽすんと腰掛けた白華は、目を細め腕を組む。
 最初のニュースが流れ始めてから三十分。
 事件の発生を特別な情報網で仕入れてから三時間弱。
 白華はこの不可思議な事件を我条グループへの宣戦布告と捉え、先手を打って犯人を特定しようと試みた。
 我条グループは大きな組織だ。
 そして、大きな組織がこの世界で善的でいられる道理などない。
 人を欺く、蹴落とす、利用するetc、恨みを買うようなことも行うし、法律を守らないこともある。
 白華自身はあまりその方法は好きではないが、上に立つものとして選択せねばならないことは何度かあった。
 故に、敵などいくらでも思いつく。他の財閥グループとは常にいがみあっているし、
 ランドマークに猟奇的な死体を釣り上げるような暴力的なやり口を行う組織にもいくつか心当たりがあった。
 だが調査結果は空振り。
 当たってもそれはそれで嫌な案件だったが、空ぶりに終わるというのは……。
 白華は唇を噛み、一つ舌打ちをする。

「どうやら――厄介なことに巻き込まれたようだな」

 と、その時だった。
 ”サクリファイスビル”最上階、我条白華の居城に繋がる電話機、
 中央机の隅に置いてあったそれが突如けたたましいベル音を鳴らし始めた。

「!?」
「来たか」

 ジリリリリリリリリリ……!!!
 電話機の発する強烈なベル音は空気を震わせ、広い部屋をすぐに満たした。
 ベル型の電話ではないというのに。そんな音設定にはしてないというのに、

「ば、バカな、ありえない。社長室に通るような案件は、内戦から一度私に連絡が入るはず」
「それだけ異常な相手、ということだろう」

 刺さるようなベルの音に委縮する一誠を後目に、冷静に白華は辺りを見回した。
 四方がガラス張りの壁になっているワンフロアの外に広がる空。
 今日は快晴、ヘリの類はなし。電話機に注意を引きつけたうえでの外部からの襲撃というわけでは、ない。

「……狙われるのは、久しぶりだ」

 襲撃、という単語に、白華は古い記憶を思い出す。
 力のなかった白華をあらゆる襲撃から守ってくれていた、とある男の傷だらけの背中と、その暖かさを思い出す。
 白華は彼に一度命を救われている。彼がいなければ白華はここにはいないし、
 いつも仏頂面な彼がときどき白華に見せてくれた笑顔がなければ、白華はここまで来ることなど出来なかった。
 彼は今でもきっとどこかで誰かを守っている。だから白華は、やられるわけにはいかない。

「はい。こちら”サクリファイスビル”。我条白華だ。要件を言え」

 受話器を取って、白華は自らの名を名乗った。

『はい。こちら”四字熟語”。以心伝心でございます♪』

 そして……相手が名乗ったのは、四字熟語だった。

『わたくし以心伝心は――お姉さまの命により、貴女からすべてを奪いに参りました♪』


 #external-03 ”サクリファイスビル”


 以心伝心と名乗った少女がフロアに現れたのは、彼女がその言葉を発し、白華がそれを聞いた次の瞬間だった。
 ただし少女は外からヘリに乗って現れたわけでもなく、魔法のように突然部屋の中にワープしてきたわけでもなかった。
 ガチャリ。
 とノブの回す音をさせ、普通に白華のいる部屋へ正面扉から入ってきたのだ。

『こんにちは~♪ 電話をかけながらですいません。お邪魔させてもらいます♪
 わたくし《会場中の通信機器にかけられる》代わりに、電話じゃないと上手くおはなしができないんです』

 その容姿は浮世離れした衣装を纏っている自覚のある白華からしても、ふざけてると言うしかないものだった。
 桃色の短い髪にちょこんと乗った小さいパラボラアンテナ型のティアラが一番おかしい。
 それも左右に二つ。自らを電波キャラですと示しているかのようだ。
 服は、24時間TVに出てきそうな黄色いTシャツ。携帯のアンテナマークが黒くプリントされている。
 下は何の変哲もない青ジーンズ。
 髪色と頭に乗ったアンテナ、それにこちらを見つめる桃色の瞳が無ければどこかのTV局のスタッフともギリギリ言えそうだが、
 首から上とのミスマッチ具合があまりにも残念すぎて、逆に奇抜な服装になってしまっている。

「……普通、大事な会議というのは電話でするものではないのだが、君に常識は通じそうにないな」
『ええ、通じませんよ♪ わたくしたちは、わたくしの常識で動くものですので♪』
「自分ルールということか。それでは社会で生き残れないぞ。というか……そのストラップは君の趣味か?」
『はい? そうですが』

 何より白華が嫌悪を示したのは、彼女が右手に持つ旧式ガラパゴス携帯についているストラップだった。
 巷の女子高生のごとく携帯より体積が大きく、派手にぶらさがっているそれらは、全て妙にリアルな首吊り人形のストラップ。
 苦しそうな顔をした男女の顔が青く鬱血し、水死体のように膨れ上がっている。

「悪趣味だからやめておいたほうがいい。それなら、一誠のかけている前時代的なメガネの方が百倍マシだ」

 後ろで震えている秘書を親指で指差しながら、白華はそう返した。
 すると以心伝心はきょとんとした顔をして首を傾げる。悪魔的な微笑みを浮かべ、左手で一を数えてくるくるまわした。

『すいませ~ん。聞こえませんでしたぁ♪ もう一回お願いできますか?』
「……いや、何でもない」
『そうですか。口のきき方には気を付けてくださいね♪ わたくし、気が長い方ではないので……』

 さて。どうする。
 白華はつとめて冷静な表情を保ちながら、内心で冷や汗の流れる音と、心臓の鼓動の速度上昇を感じていた。
 目の前の存在は、見たところ肉弾戦の教養があるようには見えない。
 後ろで震えている一誠に喝を入れてけしかければこの部屋からつまみ出すことは可能かもしれない。
 だが、敵はこの24階まで堂々とやすやすと侵入している。
 ”サクリファイスビル”のセキュリティ面は厳重堅牢のはずだった。昔から狙われることが多かった白華は特にそこを気にした。
 自ら何度もチェックし、試行を重ねた結果、
 山の中の地方都市たるこの佐久利市においてこの部屋を”絶対に許可なしに入れない場所”として作り上げていたはずだったのだ。
 それがたった一人の、自分とさほど歳も変わらぬと見える少女が破り、今こうして目の前でおちゃらけている。
 人間の常識は通じないという。四字熟語。得体のしれない相手。「全てを奪う」とは、いったい?

『気が長い方では、ないので。さっそくですが本題に入りましょう♪』

 沈黙を是と捉えたのか、電話から目線を放さないまま、以心伝心は本題を始める。
 スッと線が引かれたように唐突に空気が変化して。
 何か言おうとした白華の口が開くその前に、パラボラアンテナの少女は”報告”を行った。

『妃護竜一(ヒゴ・リュウイチ)は、死にました』
「――!?」

 妃護竜一。我条白華にとって最も大切な男の名前を、最悪な形で電話に向かって呟いた。

『おや。動揺していますね♪ どうしてその名を知っているのか――そんな顔をしていますよ、貴女。
 そうですねぇ、おかしいですよねぇ? 彼と貴女の接触は八年前のたった三か月のみですし、
 表向きはその間、彼と貴女の関係は、ただの依頼人とボディーガードですものね? うふふ……♪』
「一誠……一誠、あの女を捕らえろ」
「えっ、ど、どうされたのです白華様」
「いいから早くしろっ!」
『八年前の冬です。ニュータウンとして開発されつつあったこの街を、当時八歳の貴女が親と一緒に見に来たときのこと。
 雪山にはしゃぎ、遭難した貴女を狙って敵対グループが放った暴漢が十五名でしたか? 怖かったですよねぇ♪
 でも助けてくれたんですよね♪ ヒーローのように。そしてそのとき、”彼”と”この場所”が貴女のすべてになった――』
「一誠ッ!!!」
「は、はいっ!」

 血走った目を向けて白華は秘書に怒声を放つ。
 それを受けてびくりとヤジロベエのように起き上がった秘書は、四角メガネの位置を直すと全速で命令を遂行した。
 だが。
 全く抵抗のそぶりをみせない以心伝心の腕を彼が掴んだその瞬間、部屋の正面入り口から新たな存在が入ってくる。

「うぞー」「むぞー」

 続けて、入ってくる。さらに入ってくる。また入ってくる。入ってくる。入ってくる。入ってくる。
 入ってくる。入ってくる。
 それは人のかたちをしている。入ってくる、入ってくる。
 みんな同じ顔をしている。意味のない言葉を発している。
 入ってくる。入ってくる。入ってくる。入ってくる。入ってくる。入ってくる。入ってくる、ぞろぞろと、わらわらと。
 部屋を埋め尽くす書類を一枚一人踏むのがノルマであるかのように、入ってくる、入ってくる、入ってくる……。

「ひぃいいい!? だ、誰だこれ……白華様!?」
「……!」
『うふふっ♪ 彼らは有象無象です。今回は三十三人用意しました。置物とでも思ってください。かわいいでしょう♪
 ま、置物と言っても――わたくしに危害を加えるものには容赦しませんし、わたくしの命令一つで誰だろうと殺しますけどね』

 腕を一誠に掴まれながら、以心伝心が電話に向かって笑顔で言葉を吐いた。
 三十三人の有象無象はその間に、白華と一誠を取り囲む。
 男も女もいて、いろんな髪型や服装をしているが、顔は同じだ。一様な無表情が人形めいた恐怖を与える。

「うぞー」「むぞー」「うぞー」
「な……や、やめ」

 そのうち三人が進み出て、強制的に一誠を以心伝心から引きはがそうとした。
 自由なほうの手をうちわのように動かして一誠は有象無象を振り払おうとするが、
 有象無象たちは無表情のまま、三人で協力して一誠の身体を持ち上げる。

「うあぁあ!? びゃ、白華様!」
『運んでください、有象無象。わたくし、男を視界に入れたくないものですから』
「うぞー」「むぞー」「うぞー」

 有象無象たちはそのまま、荷物を運ぶ引っ越し屋のようなスピードで一誠を部屋の外へと運んでいった。
 バタンと扉を閉じて、強制的に場から味方が奪われる。
 白華はその間、一言も発さなかった。ただ白い髪の房を掴んで、充血した目で相手をずっと睨んでいた。
 ――あの日も白華はこうした。十五人の暴漢を前に泣くことも逃げることもできず、ただ相手を睨むだけだった。
 でも、あのときは竜一が助けてくれた。今回は、竜一は――死んだのだという。

「……竜一に、何をした。
 あいつは俺とのことを話すような男じゃない。お前ら、いったいあいつに何をしたんだ」

 やっとのことというように、白華は言葉を絞り出す。三十人の有象無象の目が彼女を見る。
 彼女の額を汗が伝う。手が震える。
 白華はいまだ、片手で受話器、片手で自らの白い髪の房を握ったままである。
 白い髪の房、充血した目。白華の身体的特徴は遺伝ではない、あの日のショックで生まれたものだ。
 有象無象に囲まれ、同じ状況に立たされている現状に、恐怖を感じていないかと言えば嘘だった。
 動けないと言えば――。
 対する以心伝心は飄々として、一誠に掴まれていた部分の腕を有象無象の一人にハンカチで拭かせている。
 そのまま女王然として、答える。

『彼には協力してもらっただけですよ。わたくしたちの実験にね。
 どのみち、彼はもう貴女に会いには来れない。貴女はもう彼を待つ必要はないんです。
 八年前の約束は、この街で再び会う約束は、絶対に叶わない。貴女にとってこの街は、もういらないものなんですよ。
 だから――貴女はわたくしたちにこの街を貸しても、心が痛むことはないんです♪』
「――目的は、それか」
『ええ♪ 欲しいのはこの街です。山の中にありながら人口は四千人強、住宅街が半分以上を占める中小都市。
 高速道路も通っておらず、主な交通機関は三本のバイパスと、この街と山の向こうの街を繋ぐ短い線路のみ♪
 これほどにクローズドサークルに適した都市はありません。これほど――次の実験にふさわしい場所は他にないのですよ』
「実験……」
『そうです。今回竜一氏に協力してもらった実験……いや、現在進行中だから、協力してもらっている実験ですかね?
 今回のデータによっていよいよ、小規模実験のデータは集まりきるのです。あとは大規模な実験のみ。
 道は開けている。邪魔なのは貴女だけ。そう、この街の支配者である貴女さえ頷いてくれれば、ことは円滑に進みますから♪』

 有象無象の一人が、いや二人が、以心伝心の言葉に合わせるようにして懐から武器を取り出した。
 包丁やスタンガンなどのかわいい武器ではない。全て銃だ。見たことのない拳銃。進み出て、白華に突き付けてくる。
 最初からそのつもりだったのだろう強硬策。
 先の事件も、妃護の殺害も、全ては白華を動揺させ、向こうの提示する計画に頷かせるための仕込みだったのだ。
 ”逆らうことなどできない”と――どんな人間でもそう思うように。
 銃を構える有象無象の顔に表情と個性はない。みな一様に同じ顔をしている。
 だが、白華には覚えがあった。髪型と服装だけで、彼らがこのビルの社員であることが分かっていた。
 どんな手を使ったのかは知らないが。《人間から個性を消して、有象無象に変えてしまう》ようなことを彼らがしたのは明白だ。
 白華はヒトを見下したような態度をとる存在が何より嫌いだった。
 父も、母も、兄弟も。我条の人間はみな大衆を見下し、周りの人間を見下し、ボディーガードも秘書も見下している。
 有象無象としか見ていない。自分がそんな人間たちの血を引いていることが白華は嫌いだった。

『さあ、頷くのです我条白華。さもなくば――』
「揺島かごめ。木月勝平。銃を捨てろ」
『……は?』
「え……あれ」「私は、なにを」

 だから白華にとっては、有象無象な人間など存在しない。
 《名前を呼ばれた有象無象は、揺島かごめと木月勝平に戻る》。二人は言われたとおり銃を捨てる。自分の意志で。
 ここに至って――再度空気が変わった。

「ふうん。どうやら《本名を当てられると、有象無象ではなくなる》ようだな。
 お前らの支配からも逃れるというのは面白い。さてここにいる残りの二十八人。俺は全員の名前を憶えているが」
『な……なぜ。人間の分際で、わたくしたちのルール能力に、真っ向から』
「俺は言っただろう。自分ルールじゃ社会では生き残れないと。ここは社会だ。子供の遊び場じゃない。
 ――この街をお前たちの遊び場にはさせない。それが俺の答えだ。
 お前の話が全て本当で、竜一がすでに死んでいたとしても……俺はこのビルの長として、この街を守る責任がある」
『か、かかれ! かかりなさいっ、有象無象!
 八年前のトラウマでどうせ彼女は動けません、口を押さえて言葉を発せなくしてあげなさいっ――♪』
「それはもう克服している」

 白華はここで、演技を辞める。
 受話器から手を離し、すっくと身を起こして拳を構えた。
 五人の有象無象が跳び上がり、部屋の中央にいる彼女に向かって襲い掛かっている。後ろからはさらに六人、
 前からさらに五人。白華は少しの恐怖心を抑えながら、冷静にそれらを観察する。

「安土靖人。三重暁子。大隅真季。能書悠太郎。花見梅子。乱堂久利須。止まれ」

 後ろの六人を的確に《人間に戻す》と、まず机の端を持ち、白華は上空の五人に向かって中央の大机を跳ね上げる。
 身をその下にかいくぐり、床の書類を跳ね上げながら前方の六人に相対す。
 空の五人と大机がぶつかる。「うぞー」「むぞー」と叫び声がする。
 申し訳なく思いながら白華は、まず一番近い直線状に居た有象無象に向かって脱ぎ捨てた上着を投げる!

「羽柴大悟、箭野信二、鈴木巳緒、それに牌村諭、止まれ。ここは俺の部屋だ」

 横からさらに迫ってきている八人のうち四人までを正気に戻すと、
 白華は跳んで、上着がかぶさった有象無象の頭を踏み台にさらに高い位置へと飛んだ。
 一房の白い髪が黒髪と共に舞って、宙に白い華を描く。白華は部屋全体を見回し、全員の位置を確認する。
 前方から迫っていた五人のうち上着を被されなかった残り四人は攻撃対象を見失って狼狽えている。
 白華は降りながらその四人のうち二人の首に手刀を打ち、気絶させつつ、

「小柄松尾、伊田正作、椎橋奈央――立灯芙由子! ”隣の人の腕を掴め”!」

 部屋の残り十一人のうち四名に命を下し、隣の有象無象を拘束させ、着地振り返りざまに二人の鳩尾に拳を入れて無力化した。
 テーブルと共に空中に居た五人が床へと落下する音がここでようやく発生。全員、気絶している。
 残りは、一人。以心伝心の腕を拭いていた一人だけだ。彼女の名も白華は知っている。すぐにでも、元に戻せる。
 近くの床に落ちた受話器から、以心伝心の声が聞こえる。白華はそれを拾って耳に当てながら、彼女の下へ歩み寄る。

『……あ、あああ、え? う、嘘。こんな』
「俺は八年間、あの日のことを思い返さなかったことはない。俺が無力なせいで竜一は大けがをした。俺が弱かったせいで。
 誰にでも平等に接するよう心掛けてはいたが、まだまだあの時の俺はお嬢様思考だった。自分は弱いままでもいいと考えていた」
『こ、こないで、』
「竜一には及ばない。同時に相手どれるのはたぶん五人やそこらで限界だ。だが恐らく、君には負けないだろうな。
 さて。反撃の方法を考えつつ、そちらの思惑をすべて聞くまであえて動かず、君を騙したことを謝ろう。
 だからここはお引き取り願おう以心伝心。
 そして二度とこの佐久利市に来るな。妙な真似をしたら、君はこの社会で二度と陽を拝めなくなる――と俺は思うが」
『――!!』

 後ずさる、後ずさる、後ずさる。
 以心伝心は後ずさる。それを追う白華は歩きながら残りの社員名を口ずさみ、有象無象を大切な社員へ戻す。
 すべての人間に個性がある。それを奪い、一つの四字熟語に貶めてしまうことの、どれだけ罪深いことだろう。
 白華は以心伝心を許してはいない。
 背後に居るらしき”お姉さま””あの人”も、見つけ出してこの世から抹殺するべきだと考える。
 だが、過度の深追いは自らを黒い湖に沈める。
 相手は人間を鉄骨に刺したり、自由自在に通信機器を繋いだり、人間を有象無象に変えるような連中だ。

「ここで君を殺せば……俺は報復で殺されるだろう。
 そしてここで君を退けても、後日さらに強力な力を持った何かが現れて、俺を服従させるやもしれない。
 多人数を相手取れたとしても俺は一人だ。出来ることには限界がある。結局、ここで反抗することなど何の意味もないのかもしれない。
 それでも俺を――我条白華を簡単に墜とせると思うな。これは、俺からの忠告だ」

 以心伝心に向かってそう言うと、以心伝心は初めて、白華のほうを向いた。
 目と目が交錯する。以心伝心は部屋の扉に背を預ける。彼女の桃色の目には、白華の姿が映っていた。

「――わかり、ました。ここは退きます」

 以心伝心は白華を見ながら、人間らしい喋り方をして、そう言った。そして扉を空け、閉めて。サクリファイスビルの最上階から消えた。
 部屋に残された白華は、しばらく扉を見つめていた。三十人の社員たちは何が起きたのかわからず、そんな白華を見つめていた。
 数秒後、嗚咽の音がして。白華はその場で床にへたり込んで、人目を気にせず泣き始めた。
 我慢していたが、無理だった。
 少女は十六歳にして、あまりにも現実主義者であるがゆえに――好きな人が死んだことを、認めざるを得なかったのだ。 

「ばか……俺が十六になったら、迎えに来るって言ったのに。
 あの野郎、死にやがって。畜生。俺は。俺はどうすればいいんだよ。俺は……!」

 サクリファイスビルの最上階で、我条白華はしばらく泣いた。
 そして二年後、彼女はもう一度泣くことになる。それも恐らく、彼女にとって最も望まない形で。



+ ...
 一方、最上階の一階下。
 サクリファイスビル23階の階段踊り場にて、以心伝心は報告を行っていた。

『はい。はい、こちら以心伝心です、お姉さま。説得は失敗しました。
 あれは無理です。あんな女、有象無象に落とし込めることは不可能です。空穴来風にでも殺させるしか――え?
 死んだ? 他力本願も連絡がつかない? 報告書? え、すいません見てませんでした。
 そんな。また損失ですか……東奔西走を得るために仕方なかったとはいえ……痛手じゃないですか』
「あ、すいません。そこの御嬢さん。このビル内は、私的理由での携帯電話の使用は原則禁止ですよ」
『……え? ――すいません、お姉さま。一旦、切ります』

 ぴ。
 以心伝心は携帯電話の通話終了ボタンを押し、悪趣味なストラップのついたそれを一旦耳から離す。
 そして先にサクリファイスビルから出なかったことを後悔しつつ、目の前に現れた男の所持しているスマホに向かって再び電話を掛けた。
 男はノータイムでそれを耳に当てる。そして機先を制し、以心伝心より先に名乗りを上げた。

「こんにちは以心伝心ちゃん。さっきはなかなか楽しい胴上げをありがとう。胴上げされたのは高校野球で県大会を制したあのとき以来だよ」
『やれやれ。このビルには、いえこの街には、おかしな人が多いですねえ……♪
 あなたは有象無象に運ばせて、今頃は裏道のゴミ捨て場にいらっしゃるはずですが……』
「彼らかい? 彼らなら一階下で寝ているよ。
 私の術がなかなか効かなかったのには驚いたけれど――少なくとも彼らはまだ人間のようだ。
 ただ、君は少し怪しいね。私のストーリーラインにはない人物だ。術もど効きそうにない。この街は今、一体何とクロスオーバーしている?」
『……言ったでしょう。わたくしは四字熟語、以心伝心でございます。そこらの人間とは存在の密度が違うんですよ、密度が』
「だが私の物語には必要ない」

 四角いメガネを外して、先まで残念な秘書を演じていた男は、桃髪の少女にあらためて丁寧にお辞儀をした。

「始めまして。私は夜楽一誠(ヨグラ・イッセイ)。この佐久利市の<黒幕>を務めさせてもらっている者だ。
 そちらの<黒幕>と話がしたいのだが……その電話を貸してはくれないかな?」
『<黒幕>……?』
「この世にはね、御嬢ちゃん。語られることなく終わる物語があまりにも多すぎるんだ」

 夜楽は一歩足を踏み出し、次の瞬間には以心伝心の目の前に立っていた。五メートルは離れていたはずなのに。
 背の高い<黒幕>は、あくまで下っ端にすぎない少女を見下ろしながら話を続ける。

「世界は理不尽であふれている。虐げられるものと虐げるもの。得をするものと損をするもの。
 本人の資質もあるけれど、基本これらを分けるのはただの運にすぎない。そして人間はヒーローにはなれないから、運に反抗などできない。
 だから本来ならあるはずの物語を、諦めてしまう。負け組が勝ち上がる話、虐げられたものが虐げたものに復讐する話、
 運よく得をしたものが、運悪く損をする話。これらすべてに泣き寝入りをしてしょうがないで済ませることは、とても悲しいと私は思う」
『……』
「だから私はこの街の<黒幕>になった。個人では世界を正すことは不可能、ならせめて、この街だけでもとね。
 ま、基本はちょっとハッスルして、停滞している物語を進めたり、失われた物語を再生したりしているだけのただの会社員だけれども。
 正直言って、外部からこの街全体を別の物語の影響下に置かれるのは――少し困るんだよね。近々、大きな物語を始めるつもりだし。
 というかすでに、数年越しで仕込んでた”白華様と竜一の再会”がバッドエンドになっちゃったし……参るんだよなあ、そういうの」
『<黒幕>だか何だか知りませんが……どのみちこの街はあと二年で終わりですよ。
 どんな物語があるかは知りませんが、貴方にわたくしたちに刃向かえる力があるとは思いません。大人しくしてなさい』
「人間を舐めちゃあいけないよ、四字熟語」
『ぐっ……?!』

 腕が。
 夜楽と名乗った男の腕がいつのまにか以心伝心の首を掴み、小さなその体を宙に浮かせていた。
 人間の領域を超えた速度、人間の領域を超えた力で、きりきりと万力のように。少女が普通に苦しむレベルの圧力を首にかける。

『あ゛っ、あ゛あがっ、え゛、えあ゛っ!?』
「私は魔法使いではない。私は君のような不思議な力も使えない。私は生まれつき腕力や反応速度が高かったわけでもない。
 普通の人間、ただの凡人であり、そして催眠術師だ。私は私に暗示をかけている――私は”異常”である、とね」
『あ゛……がぎゃ、や、やあっ。いじめないで……わだしをいじめないでっ』
「人間というのは思い込みが激しい生き物でね、自分を変えようと本気で思えば、自分でも驚くくらいに人は変われるんだよ。
 それこそ神にでも悪魔にでもなれるんだ。どうやら御嬢ちゃんたちは人の理を外れようとしているようだけれど……、
 私から見ればそれほどに愚策なこともない。人は人のままそれにプラスするのが一番強くなれる。マイナスは結局弱くなるだけさ」
『あ゛――うえ゛っ、あ、ぁ……』
「さて、人の物語を邪魔したお仕置きはこれくらいにしておこう。携帯電話、もらうよ」

 近くの窓をガラリと開けて。夜楽一誠は苦しめつくした少女の身体を、地上23階から投げ捨てた。
 ひゅううううううう、音を立てて少女の身体は落ちていく。が、地面に到達する前に《消えた》。おそらくは敵側の介入だろう。
 そうなるだろうと当たりを付けていたため、夜楽は特に驚くことはなかった。
 床に少女が落としていった携帯を拾うと悪趣味なストラップを窓から放り投げ、懐にしまう。
 ゴミはおそらく裏道のゴミ捨て場に落ちるだろう。

「”この街はおまえらの好きにはさせない”というのは、何も正義側だけの主張じゃないこと。分かってくれないものかなあ」

 軽快な、普通のリズムで階段を降りながら、夜楽は再び懐古趣味なメガネを再びかけて田中一誠に戻った。
 空は快晴、いまだ昼。本来、彼が本格的に動き出すような時間ではない。
 街の<黒幕>はこの日の夜――事件の<黒幕>へ電話を掛けた。
 それが彼の基準で物語を為すにふさわしいものか、あるいはただの暴力かを見極めるために。







風来の穴空けパンチ(後) 前のお話
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我条白華 ■■■■
田中一誠 ■■■■
■■■■ 以心伝心 ■■■■
有象無象

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最終更新:2015年03月15日 02:06
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