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樹氷の王~虚無の魔女~中編 - (2009/04/04 (土) 02:21:50) の1つ前との変更点
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ルイズの必死の形相の願いに、少年はしばし考えた後頷くと、静かに物語を語り始めた。
「凍てついた魔女」の物語を。
ある女が男の子を庇う様にして雪原を歩いていた。
絶え間なく吹き付ける白い嵐が彼女達を襲う。
かじかむ手足、凍えそうな身体。前の見えないほどの吹雪は確実に二人の体力を奪っていく。
それでも、彼女は弱音を一つも吐くことはなかった。
彼女は母親だから……
母子だけの生活は、貧しい暮らしだったけれど、温もりがあった。
男の子は、母の全てを包み込むような優しい微笑みが大好きだった。
母は薬草について豊富な知識を持っていた。
僅かな夏の間に芽吹く様々な薬草を集めては乾燥させて、お茶やスープに入れたり、薬にしたりしていた。
男の子は薬草採りや、薬草を大きな鍋でグツグツ煮るのを手伝ったりしていた。
それだけではない。母は不思議な力の持ち主だった。
男の子が外で遊び、転んで擦り傷だらけで帰ってきても薬草を擦り付けておまじないをとなえるだけで痛みはなくなった。
母の手は荒れていて滑らかとはいえなかったけれど、触れてくれるだけで心までも温かくなった。
また、天気を読むのがとても上手かった。
特に天候が不安定で、いつ吹雪が起こるか分からない冬の天気予知は、この地に生活する人々にとって非常に役に立つものといえた。
それなのに、と男の子は不思議に思う。
どうして僕達は村から離れた所に住んでいるんだろう。
このことを聞いたとき母さんはとても悲しそうな顔をして、ただ「ごめんね」と言った。
……じゃあ、これは聞いちゃいけないことなんだ。
母さんを悲しませるようなことなんだ。
男の子は疑問を胸に閉じ込めたまま、母子はそれでも肩を寄せ合い生きてた。
――それなりに幸福だった。あの日が来るまでは。
醜きは人の世。迫害の歴史は繰り返す。
ある日の夜、村人が家に押し寄せてきた。
皆、手に松明や鍬、鋤を持ち、顔はまるで何かに取り付かれたかのように鬼気迫る表情だった。
「この魔女め!お前のせいで作物が育たなかったんだ!」
「ここから出て行け!!貴様の呪いのせいで人が大勢死んだんだぞ!」
「いや、捕まえて、火炙りにするんだ!」
都合の悪いことは全て他人のせいにしたいのだ。
暗い時代の犠牲者、災いを引き受ける者。生贄という名の救世主……
母子はすぐさま外へ飛び出すと、雪原を抜けて追われるように森の中へと逃げた。
吹雪の中、暗い森をただ進む。
男の子は何が起こったのか良く分からなかったけれど、唯ひとつ、もう二度とあの小さくも温かかった家に帰れないことは分かった。
女が逃げている間に思っていたのは「この子を守りたい」、それだけだった。
忌み嫌われた魔女の力を使い続ける。いまやその血は薄れ、彼女が扱えるものは小さな魔法のみ。
それでも彼女は命の焔を削り、力を使い続けた。
それは、何人とりとも通さぬような樹氷の森の結界。
母の子に対する愛は奇跡を生む。
命を燃やすことで体の底からありえないほどの力が湧き上がってくるのが分かった。
朦朧とする意識の中、最後に、愛しい子のために巨大な城を作り上げる。
「この子を誰も傷つけぬように」
「この子が誰にも触れられぬように」
「この子がこの世にある恐れのあらゆるものから守られるように」
それは、もはや狂気とも言える愛だった。
「お願い、どうかこの子だけでも」
「生きて欲しい……」
母親の願いは命と引き換えに氷霧達によって叶えられる。
それは、古に伝わる魔女の契約。
命と引き換えにして、大切なモノを守る秘術……
激しい吹雪の中に佇む二つの影があった。
凍ってしまった女の氷骸と、決して凍らない少年。
少年の流す涙は、寒さの中、凍ることなく流れていく。
冷たい空気を吸ったとき胸の中が凍りつくような感覚もなく、吐く息も白くない。
あんなに疲れて寒さで凍りつきそうだった体も、完全に回復した上に寒さも感じなくなっていた。
少年はもう人間ではなかった。
母の命と引き換えに、魔女の結界に守護された樹氷の森を支配する、凍てつく樹氷の王となっていた。
「と、まぁこんなところだね。
そして、愛という名の呪縛、その想いは今も僕を縛っているのさ。
樹氷の森は世界中の何処にでも現れる、何処にも存在しない森。
人の目に触れぬように留まることなく、流浪の民のように彷徨うモノ。
ああ、ちなみに君が気にしてた耳は僕が人間じゃなくなった時の影響だと思うよ。
昔、人間だった頃は君と同じだったし」
歪んだ笑みを浮かべる少年に、ルイズは何も言えなかった。
こんな話は聞いたことがないが、作り話とは思えないほど少年の話は真に迫るものがあった。
実際に氷の魔女の呪縛による結界は体験済みだ。
話によると、少年の世界での魔女とは杖を使うことはなく、使える魔法もまじないのように効力があるかどうか分からないものばかりだという。
それどころか、魔法すら使えない、通常の薬の調合をする医師的な役割をしている者や、星読みや天気を読むことなどの占い師的な役割をしている者が魔女とされていることが大半であった。
そして、それらの男女はひっそりと貧しい暮らしをしているものばかりであり、災害や疫病などがあった際にはいきなり魔女として追われることになるという。
いや、追われるならまだしも捕らえられて拷問にかけられた上に、証拠がなくとも死罪になることがほとんどらしい。
それこそ数百年の間に何十万、何百万の魔女達が処刑されたのだ。
「確かに、私達の世界ではありえないことばかりだわ。
それに貴方の言ってることも嘘とは思えない。
まさか、別の世界から召喚しちゃうなんて……」
「ああ、そうだった。
それで、君はどうして僕を呼んだんだい?
ツカイマとか言ってたっけ。
樹氷の森を知らないってことは『樹氷の花』が目当てって訳でもないんだろうし」
樹氷の花?いったいそれは何なのかと聞こうとしたとき、突如氷の檻の中に風が吹き荒れ始め、雪を生み出し、あっという間に吹雪になった。
凍り付きそうな寒さがルイズを襲う。
「な、何するのよいきなり!」
「……どうやら、無理矢理この氷の檻に入った者がいるみたいだね」
そう言った少年の目線を追いかけると、そこには試験監督であったコルベールの他に、キュルケ、タバサといった意外なメンバーまでもいた。
白い嵐で視界がかすんでいるが、どうやらあの分厚い氷を炎で溶かして中に入ってきたらしい。
微かに外の明るい光が見える穴があるのが分かった。
「無事ですか!?ミス・ヴァリエール!!」
「ミスタ・コルベール!!それに、ツェルプストー達まで!!
どうやってここに!?」
大声でないと聞こえないほど風は吹き荒れている。
タバサがどうにか風を弱めようとしているが、上手く言っているとは思えなかった。
風はますます寒さと激しさを増し、息をするのもつらいほどになっていた。
「本来なら、僕が招いた者しか入れないようになっているんだけれどね。
まさか魔力の通っている氷を溶かして来るなんて……」
少年が呟くと、溶されていた穴をふさぐように瞬時に氷柱が生えてしまった。
すると、それと同調するように吹雪が収まっていく。
そして、ルイズを挟んで油断なく杖を構えている三人と、どこか面倒臭そうな顔をしている少年が対峙することになった。
「僕を捕らえるつもり?
樹氷の花も持っていない僕なんて、捕らえても何の価値にもならないと思うよ」
まただ。樹氷の花。さっきから少年が口にする言葉。
察するに、それ目当てで少年のもとに訪れるものもいるようだった。
とても価値があるものらしい。
「ミスタ・コルベール、あの耳は!!」
「エルフ……」
「な、なんと! ミス・ヴァリエール、早く此方へ!!」
キュルケの叫びにタバサはぎゅっと杖を握り締め、コルベールは更に眼光を鋭くしてルイズを呼ぶ。
「ちょ、ちょっと待って下さい!
えっと、彼はエルフでもなんでもなくて、むしろ魔女に守護された森の王であって、
人間なんだけど人間じゃなくなっちゃったていうか!!
と、とにかく特殊な存在なんです!!」
少年を庇うように立ちはだかり、一気にそう捲くし立てたルイズに三人は呆気にとられる。
これまでのことをルイズが三人に説明する間、コルベールやタバサは少年から決して目を離そうとしなかったが、少年はただぼんやりと話を聞いているだけだった。
「では、彼はこの世界の住人ではないというのですね、ミス・ヴァリエール」
「はい、そうだと思います。
作り話の可能性もあるかもしれませんが、実際に彼の力を見てみると、
とてもそうとは思えません」
「そうですか……」
「話は済んだのかい?
じゃあ、どうして僕を呼んだか説明してもらえる?
さっきから全然話が進んでなくて、退屈なんだけど」
「あ、ああ。そうですな。
ミスタ……失礼、何とお呼びすれば宜しいでしょうか?」
そこで、ルイズは始めて自分は名乗ったが、この少年の名前を聞いていないことに気がついた。
普通ならお互いに名乗りあわずに話を進めるのは失礼かもしれないが、あまりに急な展開にそこまで頭が働かなかったのである。
「呼び名なんてどうでもいい。僕には意味のないことだからね。
君達の好きに呼んで構わないよ」
「ちょっと貴方……!!」
教師に対するあまりにもひどい態度に腹を立てたルイズは少年に詰め寄ろうとしたが、ふと少年の瞳に目を向けると、今まで深い色をしていた瞳が急に揺らめいたように見えた。
あれは、哀しみ……?
考えているうちに怒るタイミングを逃してしまったルイズを尻目に、コルベールは使い魔召喚の儀式と使い魔についての説明を少年にしていく。
「ふぅん、じゃあ、僕にその使い魔になれって言うのかい?
その、主人の手となり足となり、一生をかけて主人を守る使い魔に?」
またしても、少年は歪んだ笑みを浮かべていた。
その自嘲とも嘲笑ともとれる笑みは、見ている者の心を掻きむしるような不安を与える笑みだった。
「無理だね。僕がどんな存在であるか話しただろう。
僕には『誰も触れることはできない』のさ。
常に氷の結界が僕を取り巻いて、それは通常は外の世界と切り離されるようになっているんだ。
今はこの世界に来たばかりだから強行突破すればなんとか入れたみたいだけどね。
そんな僕が主人を守ることなんて出来るはずがないよ。
まぁ、君が僕の世界に来るっていうなら話は別だけど」
「そんな……」
「僕が使い魔にならないと、君には都合が悪いんだっけ?
ま、これも運命の女神の導きさ。僕のことはこのまま放っておいてよ。
そのうち樹氷の森と城も作られるだろうから、新しいこの世界を彷徨うとするさ。
お詫びに『樹氷の花』があれば君にあげられたけど、それもできないや。
全部城に置いてきちゃったし」
落胆していたルイズだが、先刻から気になる言葉が再び出てきたので、思い切って聞いてみることにした。
「ねえ、『樹氷の花』って何なの?」
「ああ、説明してなかったっけ。
煎じて飲めば、どんな病気も治る儚い希望の淵に咲く花の名前さ」
ルイズ達は思わず絶句した。そのような薬草は世界に存在しない。
なぜならその存在は生命の意義を脅かすようなものになるからだ。
不老不死や万病の薬は強力な魔法が存在するハルケギニアにおいてですら夢物語でしかない。
もし、本当にそんなものがあったら、金貨何千、何万枚どころかそれこそ領地が買えるほどの価値があるだろう。
「本当に、どんな病気も治るの!?」
「……私も、知りたい」
いつもは無口なタバサのいきなりの発言にルイズは驚く。
思わず振り向くと、いつもの冷静沈着でもの静かタバサのイメージとはかけ離れた表情をしていた。
そんなタバサを、心配そうにキュルケが見つめている。
タバサにも、ちい姉さまのような不治の病を持つ、大切な人がいるのかしら……
ルイズが優しい自分のすぐ上姉の姿を思い浮かべながらそんなことを考えていると、少年は猫のように目を細め、薄い笑みを浮かべながら話を続けた。
「本当さ。
僕には『この世のありとあらゆる恐れ』――つまり、病気や怪我、老いや死は訪れない。
……母さんがそう望んだからね。
その僕の魔力が篭った花だもの。不老不死にはなるほどではないけど、病気くらいなら治るだろうね。
この花を目的に樹氷の森を目指す人は大勢いたよ。
中には無理をしたせいでそのまま自分が病気になって病死しちゃったり、道に迷って凍死や餓死しちゃったりした人もいたけど。
たまに、僕の気まぐれで招かれて森に辿り着いた人も確かにいたんだよ」
ふふふ、と少年は笑う。
どうして、人が死んでいるというのにこんなにも無邪気に笑えるんだろう。
ルイズは少年が恐ろしくなった。少年の笑い声が心の中まで入り込み、ぐちゃぐちゃと掻き回されるような感じがして気分が悪くなる。
それでも、話を聞きたかった。自分の大切な家族のために。
気分の悪さをぐっと我慢して、ルイズは一番聞きたかったことを聞いた。
「貴方の魔力を篭めたということは、この世界でもその花を栽培できるの?」
「……できるよ」
一瞬、ルイズには少年の瞳がまた哀しく揺らめいたように見えた。
しかし、見間違いだったのか、少年はあの歪んだ笑みを浮かべている。
「まぁ、できないことはないんだよ。でも、材料がいる。無から有は生まれないんだ。
母さんが命と引き換えに、魔女の契約を結んだように、ね……」
ルイズの心臓はバクバクと脈打っていた。聞いてはいけない。
聞いてはいけない。聞いてはいけない――嗚呼、それでも、走り出した衝動はもう止まらない。
「材料って、何?」
「人間さ」
簡潔に、微笑を浮かべて、きっぱりと少年は言い切った。
ルイズ達は凍りついたように動けなくなる。まるで、人の命を何とも思っていないかのような発言。
元は人間だったなら、その命の大切さは誰よりも知っているはずなのに。
少年は、このように人間を超越した考えを持つに至るまで、どれほどの年月を過ごしてきたのだろうか。
何がこんなにも少年の心を捻じ曲げてしまったのだろうか。
その中で、逸早く正気を取り戻したコルベールが、少年に続きを促した。
「人間……と申しましたな。それは、いったいどういうことですかな?」
「僕には誰も触れることはできないって言ったよね。
僕の身体は魔女の呪縛で魔力に満たされた、言ってみれば魔力の塊のような存在なんだ。
だから、僕に触れた人は呪縛に絡めとられ、たちまち凍り付いて、物言わぬ氷になるのさ。
まるで生きている時を封じ込めたような氷像にね。
その氷を削り取って溶かして飲ませれば、万病の薬になる」
「……!!それでは、花というのは……!!」
「本物の花っていうわけじゃないんだよ。
ふふふっ、だって、だだの氷像って言うにはあまりにも綺麗だったんだもの。
まるで、永遠に枯れない花みたいに……。
だから、『樹氷の花』って名前をつけてあげたんだ。
凍てついた僕の世界に存在できる、唯一の花なのさ」
少年の目は狂気を孕み、ギラギラと輝いていた。
それでいて、まるで人形のように無機質で、全ての物に諦観しているような印象を与える。
「それは、貴方が森に入って来た者を襲い、氷付けにして命を奪ったということですかな?」
コルベールは瞬時に呪文を唱え、巨大な炎の玉を杖の先に作り上げる。
他の三人も、それに習って、それぞれに杖を構えた。
「……いや、進んで僕に触れてきた変わり者ばかりだったよ。
ふふっ、生きることに、特別な意味なんて無いんだよ。全ては消え往く運命なのさ。
それを知りながら、それでも、終わり往くモノは永遠を望む……
愚かだね。そんなことをしたって、唯忘却と喪失の狭間で揺れるだけなのに……」
少年は謎めいた言葉を放つと、そのまま黙ってしまった。
辺りを支配していた狂気じみた重苦しい空気が消える。
コルベール達は、少年に攻撃する意思がないと分かると、困惑しながらも杖を収めた。
そして、改めて少年の衝撃的な告白による思考が場を支配する。
タバサは全身の血の気が引いていくのを感じた。
自分の代わりに毒を喰らって、心を壊されてしまった可哀想なかあさま。
かあさまのために、自分の心を殺し、憎い相手の傀儡人形になって生きてきた。
毒はどんな魔法薬を用いても、治すことが出来なかったが、樹氷の花は、ある意味では精霊に近いあの少年の魔力の塊だ。
もしかしたら、治せるかもしれない。
かあさまのためなら何でもできた。この手はもう、取り返しのつかないほど汚れてしまっている。
それなら、それならば、あと一度だけ。この手で――
「タバサ!」
いきなり呼ばれ、身体がビクリと跳ねるが、そのままふわりと熱に包まれる。
キュルケが背後からしっかりとタバサを抱きしめていた。
そこで初めて、氷の檻によって身体の熱が奪われて冷え切ってしまっていたことに気がつく。
「タバサ、私は貴女が何をそんなに苦しんでいるのか分からない。
でも、お願いだから自分を見失わないでちょうだい
貴女、泣きそうな顔をして震えていたのよ」
少年の囁きに捕らわれて、凍りつきそうになった心がゆっくりと溶けていく。
思わず、泣き出しそうになりながら、身体に回されていた手をぎゅっと握り返した。
大切な親友は、心の水底に捕らわれている時、いつもそっと背中を後押ししてくれる。
忘レモノの存在を思い出させてくれる。
だから、自分は澱まずに流れていくことができるのだ。
「ありがとう」
聞こえるかどうか分からないような声でポツリと言う。
「いいのよ。私達、親友でしょ?」
茶化すように帰ってきた声は温かかった。
人間を材料にするなんて。ルイズは思わず身震いした。
確かに、ちい姉さまの病気を治すためなら、何でもしたいと思った。
でも、それでも、そのために他人を犠牲にすることなど、できるはずがない。
そんなことは、ルイズの貴族の精神に反している。
自分のエゴで他人の命を奪うなど、到底許されることではない。
嗚呼、でも。それでも。
ふと、ある考えが思い浮かんだ。それが失敗しても、成功しても自分にとって利益となる、ある方法を思いついたのだ。
「ミスタ・コルベール……私、彼とコントラクト・サーヴァントをします」
「!?ミス・ヴァリエール、何を言っているのですか!?」
コルベールが驚くのも無理はなかった。
コントラクト・サーヴァントとは呪文を唱え、使い魔となすものに接吻して初めて効力を持つ魔法だ。
しかし、少年を相手にそれをすることは、死を意味する。
彼の話の通りならば、彼に触れたもの全て冷たい氷に成り果ててしまうからだ。
「できる可能性はあるんです。
少なくとも、彼が樹氷の森に捕らわれる魔女の呪縛を断ち切ることができるかもしれません」
ルイズは、自分の考えを述べていく。少年も、胡乱げな視線を投げかけながらもおとなしく聞いていた。
まず、この世界に少年が召喚され、一時的ではあるが樹氷の森から引き離すことができたこと。
これは、ルイズの使い魔召喚の魔法の力が上回っていたからだと考えられる。
使い魔とはメイジにとって一生のパートナーであり、見えない絆で結ばれているという。
その強固な絆が少年を異世界に導いたのではないだろうか。
だとすれば、使い魔の契約を結ぶコントラクト・サーヴァントによって、凍てついた魔女の契約の書き換えを行うこともできるかもしれない。
より強い魔力で「主人に付き添い共にいる」契約を行えば、少年を樹氷の森に捕らわれる呪縛から解き放てる可能性はある。
また、「使い魔は主人に危害を加えない」という契約も同時に結ばれるため、主人となるルイズの身体が氷になるのを防げるはずだ。
しかし、これはあくまでも可能性の話だ。
もし魔女の呪縛の方が強ければ、ルイズは契約を失敗し、命を失う。
何せ、凍てついた魔女は命を懸けてまで契約を行ったのだ。その強さは計り知れない。
「いけません!そんな危険なこと、許可できる訳がないじゃないですか!!」
コルベールは思わず叫んだ。
自分の大切な教え子を、いや、たとえそうでなかったとしても、若い命をみすみす捨てに行くような行為に賛成することなど誰ができようか。
「ルイズ!貴女、何を考えているの?進級することがそんなに大事!?
そりゃあ、家名に泥を塗ることが、古き伝統を持つトリステインじゃどんなに重い意味を持つか、私にも分かるわ。
でもね、死ぬかもしれないのよ!あなた、使い魔のために一生を終わらせる気なの!?」
キュルケもルイズを必死に説得する。
妙に頭が冴えているルイズは、それに言い返すこともせず、いつもからかってきたキュルケが涙を浮かべているのをただ見ていた。
こんなにも真剣に自分を心配してくれるキュルケは意外だったし、それが嬉しかった。
自分でも、不思議なくらい心が静まっているのが分かる。
そして、今まで一言も喋らなかった少年にふいに話しかける。
「あなたは、やっぱり使い魔になりたくないかしら?」
少年はわずかに驚いた表情を浮かべると、またあの歪んだ笑みを浮かべた。
「さぁ、ね。
成功したとしても、僕は君の使い魔という新たな呪縛に捕らわれるだけ。
どっちにしろ状況は変わらないし、いいよ。使い魔になっても」
「……交渉成立ね」
馬鹿なことはおやめなさい、とコルベールが止めようとした瞬間、新たな氷がルイズと少年以外の者の身体の自由を奪った。
三人は動けないように足元を氷付けにされ、杖を振るえぬように杖ごと手元も氷に包まれた。
「ミス・ヴァリエール!!」
「「ルイズ!!」」
あら、タバサったらあんなに大きな声もだせるのね。ちょっとびっくりしちゃったわ。
それにしても、キュルケがあんなに私のことを心配してくれるなんて、いままでからかってきたのは愛情表現だったのかしら?
あ、ミスタ・コルベールがこのせいで監督不届きを理由に首になっちゃったりしないわよね……
命の危機に瀕しているのに、ルイズはそんなとりとめのないことを考えていた。
「ミスタ・コルベール、私は杖に誓います。
この契約は私が望んで行ったことであって、この場にいる者すべての者に何の落ち度もなかったことを。
私の家が何か言ってきたとしても、責任は私に全てあったと伝えてください。
そして、これはお願いなのですが……。
もし、私が契約に失敗して樹氷の花になってしまったら、
その時は……ちい姉さま、いえ、私の姉であるカトレア姉さまに使って下さい。
ううん、ちい姉さまだけじゃないわ。
ちい姉さまみたいに不治の病に苦しんでいる人に、できる限り行き渡るようにして下さい。
タバサ、貴女も大切な人が苦しんでいるのでしょう?」
「……っ!!」
タバサは、何も言えなかった。それどころか、一瞬でもルイズが儀式に失敗する暗い思いがよぎった自分が醜くて、汚くてたまらなかった。
そんなことを見越していたかのように、ルイズは続ける。
「実を言うとね、私もちょっぴり失敗しちゃったらいいなぁなんて考えちゃったりしてるのよ。
きっと、私以外の人がこんなことしてても、そう思っちゃったと思う。
だって、私、魔法が使えなくて、いつも家族に迷惑かけてばかりだったでしょ?
惨めで、悔しくて、仕方なかったわ……。
そんな私を、いつも優しく励ましてくれたのがちい姉さまだったの。
だから、私思ったわ。ちい姉さまの病気を、どんなことをしてでも治してあげたいって」
しんと静まる中、ルイズは続ける。
「あ、本当に失敗したいわけじゃないのよ。それだけは言っておくわ。
ただ、ここで、使い魔の契約ができなかったら、ここで契約せずに逃げ出してしまったら、
私は一生『ゼロのルイズ』のままだと思うの。そんなのは絶対嫌だわ。
それに、メイジの実力を測るには、まずその使い魔を見よっていうでしょう?
契約はしてないとはいえ、私は樹氷の王というとてつもない存在を呼び出した。
だから、私はゼロで終わるはずがない。
その存在に見合った偉大なメイジになってみせるわ。
これは、私の誇りを賭けた儀式なのよ」
そう言うと、ルイズは少年と向き合った。
ルイズの必死の形相の願いに、少年はしばし考えた後頷くと、静かに物語を語り始めた。
「凍てついた魔女」の物語を。
ある女が男の子を庇う様にして雪原を歩いていた。
絶え間なく吹き付ける白い嵐が彼女達を襲う。
かじかむ手足、凍えそうな身体。前の見えないほどの吹雪は確実に二人の体力を奪っていく。
それでも、彼女は弱音を一つも吐くことはなかった。
彼女は母親だから……
母子だけの生活は、貧しい暮らしだったけれど、温もりがあった。
男の子は、母の全てを包み込むような優しい微笑みが大好きだった。
母は薬草について豊富な知識を持っていた。
僅かな夏の間に芽吹く様々な薬草を集めては乾燥させて、お茶やスープに入れたり、薬にしたりしていた。
男の子は薬草採りや、薬草を大きな鍋でグツグツ煮るのを手伝ったりしていた。
それだけではない。母は不思議な力の持ち主だった。
男の子が外で遊び、転んで擦り傷だらけで帰ってきても薬草を擦り付けておまじないをとなえるだけで痛みはなくなった。
母の手は荒れていて滑らかとはいえなかったけれど、触れてくれるだけで心までも温かくなった。
また、天気を読むのがとても上手かった。
特に天候が不安定で、いつ吹雪が起こるか分からない冬の天気予知は、この地に生活する人々にとって非常に役に立つものといえた。
それなのに、と男の子は不思議に思う。
どうして僕達は村から離れた所に住んでいるんだろう。
このことを聞いたとき母さんはとても悲しそうな顔をして、ただ「ごめんね」と言った。
……じゃあ、これは聞いちゃいけないことなんだ。
母さんを悲しませるようなことなんだ。
男の子は疑問を胸に閉じ込めたまま、母子はそれでも肩を寄せ合い生きてた。
――それなりに幸福だった。あの日が来るまでは。
醜きは人の世。迫害の歴史は繰り返す。
ある日の夜、村人が家に押し寄せてきた。
皆、手に松明や鍬、鋤を持ち、顔はまるで何かに取り付かれたかのように鬼気迫る表情だった。
「この魔女め!お前のせいで作物が育たなかったんだ!」
「ここから出て行け!!貴様の呪いのせいで人が大勢死んだんだぞ!」
「いや、捕まえて、火炙りにするんだ!」
都合の悪いことは全て他人のせいにしたいのだ。
暗い時代の犠牲者、災いを引き受ける者。生贄という名の救世主……
母子はすぐさま外へ飛び出すと、雪原を抜けて追われるように森の中へと逃げた。
吹雪の中、暗い森をただ進む。
男の子は何が起こったのか良く分からなかったけれど、唯ひとつ、もう二度とあの小さくも温かかった家に帰れないことは分かった。
女が逃げている間に思っていたのは「この子を守りたい」、それだけだった。
忌み嫌われた魔女の力を使い続ける。いまやその血は薄れ、彼女が扱えるものは小さな魔法のみ。
それでも彼女は命の焔を削り、力を使い続けた。
それは、何人とりとも通さぬような樹氷の森の結界。
母の子に対する愛は奇跡を生む。
命を燃やすことで体の底からありえないほどの力が湧き上がってくるのが分かった。
朦朧とする意識の中、最後に、愛しい子のために巨大な城を作り上げる。
「この子を誰も傷つけぬように」
「この子が誰にも触れられぬように」
「この子がこの世にある恐れのあらゆるものから守られるように」
それは、もはや狂気とも言える愛だった。
「お願い、どうかこの子だけでも」
「生きて欲しい……」
母親の願いは命と引き換えに氷霧達によって叶えられる。
それは、古に伝わる魔女の契約。
命と引き換えにして、大切なモノを守る秘術……
激しい吹雪の中に佇む二つの影があった。
凍ってしまった女の氷骸と、決して凍らない少年。
少年の流す涙は、寒さの中、凍ることなく流れていく。
冷たい空気を吸ったとき胸の中が凍りつくような感覚もなく、吐く息も白くない。
あんなに疲れて寒さで凍りつきそうだった体も、完全に回復した上に寒さも感じなくなっていた。
少年はもう人間ではなかった。
母の命と引き換えに、魔女の結界に守護された樹氷の森を支配する、凍てつく樹氷の王となっていた。
「と、まぁこんなところだね。
そして、愛という名の呪縛、その想いは今も僕を縛っているのさ。
樹氷の森は世界中の何処にでも現れる、何処にも存在しない森。
人の目に触れぬように留まることなく、流浪の民のように彷徨うモノ。
ああ、ちなみに君が気にしてた耳は僕が人間じゃなくなった時の影響だと思うよ。
昔、人間だった頃は君と同じだったし」
歪んだ笑みを浮かべる少年に、ルイズは何も言えなかった。
こんな話は聞いたことがないが、作り話とは思えないほど少年の話は真に迫るものがあった。
実際に氷の魔女の呪縛による結界は体験済みだ。
話によると、少年の世界での魔女とは杖を使うことはなく、使える魔法もまじないのように効力があるかどうか分からないものばかりだという。
それどころか、魔法すら使えない、通常の薬の調合をする医師的な役割をしている者や、星読みや天気を読むことなどの占い師的な役割をしている者が魔女とされていることが大半であった。
そして、それらの男女はひっそりと貧しい暮らしをしているものばかりであり、災害や疫病などがあった際にはいきなり魔女として追われることになるという。
いや、追われるならまだしも捕らえられて拷問にかけられた上に、証拠がなくとも死罪になることがほとんどらしい。
それこそ数百年の間に何十万、何百万の魔女達が処刑されたのだ。
「確かに、私達の世界ではありえないことばかりだわ。
それに貴方の言ってることも嘘とは思えない。
まさか、別の世界から召喚しちゃうなんて……」
「ああ、そうだった。
それで、君はどうして僕を呼んだんだい?
ツカイマとか言ってたっけ。
樹氷の森を知らないってことは『樹氷の花』が目当てって訳でもないんだろうし」
樹氷の花?いったいそれは何なのかと聞こうとしたとき、突如氷の檻の中に風が吹き荒れ始め、雪を生み出し、あっという間に吹雪になった。
凍り付きそうな寒さがルイズを襲う。
「な、何するのよいきなり!」
「……どうやら、無理矢理この氷の檻に入った者がいるみたいだね」
そう言った少年の目線を追いかけると、そこには試験監督であったコルベールの他に、キュルケ、タバサといった意外なメンバーまでもいた。
白い嵐で視界がかすんでいるが、どうやらあの分厚い氷を炎で溶かして中に入ってきたらしい。
微かに外の明るい光が見える穴があるのが分かった。
「無事ですか!?ミス・ヴァリエール!!」
「ミスタ・コルベール!!それに、ツェルプストー達まで!!
どうやってここに!?」
大声でないと聞こえないほど風は吹き荒れている。
タバサがどうにか風を弱めようとしているが、上手く言っているとは思えなかった。
風はますます寒さと激しさを増し、息をするのもつらいほどになっていた。
「本来なら、僕が招いた者しか入れないようになっているんだけれどね。
まさか魔力の通っている氷を溶かして来るなんて……」
少年が呟くと、溶されていた穴をふさぐように瞬時に氷柱が生えてしまった。
すると、それと同調するように吹雪が収まっていく。
そして、ルイズを挟んで油断なく杖を構えている三人と、どこか面倒臭そうな顔をしている少年が対峙することになった。
「僕を捕らえるつもり?
樹氷の花も持っていない僕なんて、捕らえても何の価値にもならないと思うよ」
まただ。樹氷の花。さっきから少年が口にする言葉。
察するに、それ目当てで少年のもとに訪れるものもいるようだった。
とても価値があるものらしい。
「ミスタ・コルベール、あの耳は!!」
「エルフ……」
「な、なんと! ミス・ヴァリエール、早く此方へ!!」
キュルケの叫びにタバサはぎゅっと杖を握り締め、コルベールは更に眼光を鋭くしてルイズを呼ぶ。
「ちょ、ちょっと待って下さい!
えっと、彼はエルフでもなんでもなくて、むしろ魔女に守護された森の王であって、
人間なんだけど人間じゃなくなっちゃったていうか!!
と、とにかく特殊な存在なんです!!」
少年を庇うように立ちはだかり、一気にそう捲くし立てたルイズに三人は呆気にとられる。
これまでのことをルイズが三人に説明する間、コルベールやタバサは少年から決して目を離そうとしなかったが、少年はただぼんやりと話を聞いているだけだった。
「では、彼はこの世界の住人ではないというのですね、ミス・ヴァリエール」
「はい、そうだと思います。
作り話の可能性もあるかもしれませんが、実際に彼の力を見てみると、
とてもそうとは思えません」
「そうですか……」
「話は済んだのかい?
じゃあ、どうして僕を呼んだか説明してもらえる?
さっきから全然話が進んでなくて、退屈なんだけど」
「あ、ああ。そうですな。
ミスタ……失礼、何とお呼びすれば宜しいでしょうか?」
そこで、ルイズは始めて自分は名乗ったが、この少年の名前を聞いていないことに気がついた。
普通ならお互いに名乗りあわずに話を進めるのは失礼かもしれないが、あまりに急な展開にそこまで頭が働かなかったのである。
「呼び名なんてどうでもいい。僕には意味のないことだからね。
君達の好きに呼んで構わないよ」
「ちょっと貴方……!!」
教師に対するあまりにもひどい態度に腹を立てたルイズは少年に詰め寄ろうとしたが、ふと少年の瞳に目を向けると、今まで深い色をしていた瞳が急に揺らめいたように見えた。
あれは、哀しみ……?
考えているうちに怒るタイミングを逃してしまったルイズを尻目に、コルベールは使い魔召喚の儀式と使い魔についての説明を少年にしていく。
「ふぅん、じゃあ、僕にその使い魔になれって言うのかい?
その、主人の手となり足となり、一生をかけて主人を守る使い魔に?」
またしても、少年は歪んだ笑みを浮かべていた。
その自嘲とも嘲笑ともとれる笑みは、見ている者の心を掻きむしるような不安を与える笑みだった。
「無理だね。僕がどんな存在であるか話しただろう。
僕には『誰も触れることはできない』のさ。
常に氷の結界が僕を取り巻いて、それは通常は外の世界と切り離されるようになっているんだ。
今はこの世界に来たばかりだから強行突破すればなんとか入れたみたいだけどね。
そんな僕が主人を守ることなんて出来るはずがないよ。
まぁ、君が僕の世界に来るっていうなら話は別だけど」
「そんな……」
「僕が使い魔にならないと、君には都合が悪いんだっけ?
ま、これも運命の女神の導きさ。僕のことはこのまま放っておいてよ。
そのうち樹氷の森と城も作られるだろうから、新しいこの世界を彷徨うとするさ。
お詫びに『樹氷の花』があれば君にあげられたけど、それもできないや。
全部城に置いてきちゃったし」
落胆していたルイズだが、先刻から気になる言葉が再び出てきたので、思い切って聞いてみることにした。
「ねえ、『樹氷の花』って何なの?」
「ああ、説明してなかったっけ。
煎じて飲めば、どんな病気も治る儚い希望の淵に咲く花の名前さ」
ルイズ達は思わず絶句した。そのような薬草は世界に存在しない。
なぜならその存在は生命の意義を脅かすようなものになるからだ。
不老不死や万病の薬は強力な魔法が存在するハルケギニアにおいてですら夢物語でしかない。
もし、本当にそんなものがあったら、金貨何千、何万枚どころかそれこそ領地が買えるほどの価値があるだろう。
「本当に、どんな病気も治るの!?」
「……私も、知りたい」
いつもは無口なタバサのいきなりの発言にルイズは驚く。
思わず振り向くと、いつもの冷静沈着でもの静かタバサのイメージとはかけ離れた表情をしていた。
そんなタバサを、心配そうにキュルケが見つめている。
タバサにも、ちい姉さまのような不治の病を持つ、大切な人がいるのかしら……
ルイズが優しい自分のすぐ上姉の姿を思い浮かべながらそんなことを考えていると、少年は猫のように目を細め、薄い笑みを浮かべながら話を続けた。
「本当さ。
僕には『この世のありとあらゆる恐れ』――つまり、病気や怪我、老いや死は訪れない。
……母さんがそう望んだからね。
その僕の魔力が篭った花だもの。不老不死にはなるほどではないけど、病気くらいなら治るだろうね。
この花を目的に樹氷の森を目指す人は大勢いたよ。
中には無理をしたせいでそのまま自分が病気になって病死しちゃったり、道に迷って凍死や餓死しちゃったりした人もいたけど。
たまに、僕の気まぐれで招かれて森に辿り着いた人も確かにいたんだよ」
ふふふ、と少年は笑う。
どうして、人が死んでいるというのにこんなにも無邪気に笑えるんだろう。
ルイズは少年が恐ろしくなった。少年の笑い声が心の中まで入り込み、ぐちゃぐちゃと掻き回されるような感じがして気分が悪くなる。
それでも、話を聞きたかった。自分の大切な家族のために。
気分の悪さをぐっと我慢して、ルイズは一番聞きたかったことを聞いた。
「貴方の魔力を篭めたということは、この世界でもその花を栽培できるの?」
「……できるよ」
一瞬、ルイズには少年の瞳がまた哀しく揺らめいたように見えた。
しかし、見間違いだったのか、少年はあの歪んだ笑みを浮かべている。
「まぁ、できないことはないんだよ。でも、材料がいる。無から有は生まれないんだ。
母さんが命と引き換えに、魔女の契約を結んだように、ね……」
ルイズの心臓はバクバクと脈打っていた。聞いてはいけない。
聞いてはいけない。聞いてはいけない――嗚呼、それでも、走り出した衝動はもう止まらない。
「材料って、何?」
「人間さ」
簡潔に、微笑を浮かべて、きっぱりと少年は言い切った。
ルイズ達は凍りついたように動けなくなる。まるで、人の命を何とも思っていないかのような発言。
元は人間だったなら、その命の大切さは誰よりも知っているはずなのに。
少年は、このように人間を超越した考えを持つに至るまで、どれほどの年月を過ごしてきたのだろうか。
何がこんなにも少年の心を捻じ曲げてしまったのだろうか。
その中で、逸早く正気を取り戻したコルベールが、少年に続きを促した。
「人間……と申しましたな。それは、いったいどういうことですかな?」
「僕には誰も触れることはできないって言ったよね。
僕の身体は魔女の呪縛で魔力に満たされた、言ってみれば魔力の塊のような存在なんだ。
だから、僕に触れた人は呪縛に絡めとられ、たちまち凍り付いて、物言わぬ氷になるのさ。
まるで生きている時を封じ込めたような氷像にね。
その氷を削り取って溶かして飲ませれば、万病の薬になる」
「……!!それでは、花というのは……!!」
「本物の花っていうわけじゃないんだよ。
ふふふっ、だって、だだの氷像って言うにはあまりにも綺麗だったんだもの。
まるで、永遠に枯れない花みたいに……。
だから、『樹氷の花』って名前をつけてあげたんだ。
凍てついた僕の世界に存在できる、唯一の花なのさ」
少年の目は狂気を孕み、ギラギラと輝いていた。
それでいて、まるで人形のように無機質で、全ての物に諦観しているような印象を与える。
「それは、貴方が森に入って来た者を襲い、氷付けにして命を奪ったということですかな?」
コルベールは瞬時に呪文を唱え、巨大な炎の玉を杖の先に作り上げる。
他の三人も、それに習って、それぞれに杖を構えた。
「……いや、進んで僕に触れてきた変わり者ばかりだったよ。
ふふっ、生きることに、特別な意味なんて無いんだよ。全ては消え往く運命なのさ。
それを知りながら、それでも、終わり往くモノは永遠を望む……
愚かだね。そんなことをしたって、唯忘却と喪失の狭間で揺れるだけなのに……」
少年は謎めいた言葉を放つと、そのまま黙ってしまった。
辺りを支配していた狂気じみた重苦しい空気が消える。
コルベール達は、少年に攻撃する意思がないと分かると、困惑しながらも杖を収めた。
そして、改めて少年の衝撃的な告白による思考が場を支配する。
タバサは全身の血の気が引いていくのを感じた。
自分の代わりに毒を喰らって、心を壊されてしまった可哀想なかあさま。
かあさまのために、自分の心を殺し、憎い相手の傀儡人形になって生きてきた。
毒はどんな魔法薬を用いても、治すことが出来なかったが、樹氷の花は、ある意味では精霊に近いあの少年の魔力の塊だ。
もしかしたら、治せるかもしれない。
かあさまのためなら何でもできた。この手はもう、取り返しのつかないほど汚れてしまっている。
それなら、それならば、あと一度だけ。この手で――
「タバサ!」
いきなり呼ばれ、身体がビクリと跳ねるが、そのままふわりと熱に包まれる。
キュルケが背後からしっかりとタバサを抱きしめていた。
そこで初めて、氷の檻によって身体の熱が奪われて冷え切ってしまっていたことに気がつく。
「タバサ、私は貴女が何をそんなに苦しんでいるのか分からない。
でも、お願いだから自分を見失わないでちょうだい
貴女、泣きそうな顔をして震えていたのよ」
少年の囁きに捕らわれて、凍りつきそうになった心がゆっくりと溶けていく。
思わず、泣き出しそうになりながら、身体に回されていた手をぎゅっと握り返した。
大切な親友は、心の水底に捕らわれている時、いつもそっと背中を後押ししてくれる。
忘レモノの存在を思い出させてくれる。
だから、自分は澱まずに流れていくことができるのだ。
「ありがとう」
聞こえるかどうか分からないような声でポツリと言う。
「いいのよ。私達、親友でしょ?」
茶化すように帰ってきた声は温かかった。
人間を材料にするなんて。ルイズは思わず身震いした。
確かに、ちい姉さまの病気を治すためなら、何でもしたいと思った。
でも、それでも、そのために他人を犠牲にすることなど、できるはずがない。
そんなことは、ルイズの貴族の精神に反している。
自分のエゴで他人の命を奪うなど、到底許されることではない。
嗚呼、でも。それでも。
ふと、ある考えが思い浮かんだ。それが失敗しても、成功しても自分にとって利益となる、ある方法を思いついたのだ。
「ミスタ・コルベール……私、彼とコントラクト・サーヴァントをします」
「!?ミス・ヴァリエール、何を言っているのですか!?」
コルベールが驚くのも無理はなかった。
コントラクト・サーヴァントとは呪文を唱え、使い魔となすものに接吻して初めて効力を持つ魔法だ。
しかし、少年を相手にそれをすることは、死を意味する。
彼の話の通りならば、彼に触れたもの全て冷たい氷に成り果ててしまうからだ。
「できる可能性はあるんです。
少なくとも、彼が樹氷の森に捕らわれる魔女の呪縛を断ち切ることができるかもしれません」
ルイズは、自分の考えを述べていく。少年も、胡乱げな視線を投げかけながらもおとなしく聞いていた。
まず、この世界に少年が召喚され、一時的ではあるが樹氷の森から引き離すことができたこと。
これは、ルイズの使い魔召喚の魔法の力が上回っていたからだと考えられる。
使い魔とはメイジにとって一生のパートナーであり、見えない絆で結ばれているという。
その強固な絆が少年を異世界に導いたのではないだろうか。
だとすれば、使い魔の契約を結ぶコントラクト・サーヴァントによって、凍てついた魔女の契約の書き換えを行うこともできるかもしれない。
より強い魔力で「主人に付き添い共にいる」契約を行えば、少年を樹氷の森に捕らわれる呪縛から解き放てる可能性はある。
また、「使い魔は主人に危害を加えない」という契約も同時に結ばれるため、主人となるルイズの身体が氷になるのを防げるはずだ。
しかし、これはあくまでも可能性の話だ。
もし魔女の呪縛の方が強ければ、ルイズは契約を失敗し、命を失う。
何せ、凍てついた魔女は命を懸けてまで契約を行ったのだ。その強さは計り知れない。
「いけません!そんな危険なこと、許可できる訳がないじゃないですか!!」
コルベールは思わず叫んだ。
自分の大切な教え子を、いや、たとえそうでなかったとしても、若い命をみすみす捨てに行くような行為に賛成することなど誰ができようか。
「ルイズ!貴女、何を考えているの?進級することがそんなに大事!?
そりゃあ、家名に泥を塗ることが、古き伝統を持つトリステインじゃどんなに重い意味を持つか、私にも分かるわ。
でもね、死ぬかもしれないのよ!あなた、使い魔のために一生を終わらせる気なの!?」
キュルケもルイズを必死に説得する。
妙に頭が冴えているルイズは、それに言い返すこともせず、いつもからかってきたキュルケが涙を浮かべているのをただ見ていた。
こんなにも真剣に自分を心配してくれるキュルケは意外だったし、それが嬉しかった。
自分でも、不思議なくらい心が静まっているのが分かる。
そして、今まで一言も喋らなかった少年にふいに話しかける。
「あなたは、やっぱり使い魔になりたくないかしら?」
少年はわずかに驚いた表情を浮かべると、またあの歪んだ笑みを浮かべた。
「さぁ、ね。
成功したとしても、僕は君の使い魔という新たな呪縛に捕らわれるだけ。
どっちにしろ状況は変わらないし、いいよ。使い魔になっても」
「……交渉成立ね」
馬鹿なことはおやめなさい、とコルベールが止めようとした瞬間、新たな氷がルイズと少年以外の者の身体の自由を奪った。
三人は動けないように足元を氷付けにされ、杖を振るえぬように杖ごと手元も氷に包まれた。
「ミス・ヴァリエール!!」
「「ルイズ!!」」
あら、タバサったらあんなに大きな声もだせるのね。ちょっとびっくりしちゃったわ。
それにしても、キュルケがあんなに私のことを心配してくれるなんて、いままでからかってきたのは愛情表現だったのかしら?
あ、ミスタ・コルベールがこのせいで監督不届きを理由に首になっちゃったりしないわよね……
命の危機に瀕しているのに、ルイズはそんなとりとめのないことを考えていた。
「ミスタ・コルベール、私は杖に誓います。
この契約は私が望んで行ったことであって、この場にいる者すべての者に何の落ち度もなかったことを。
私の家が何か言ってきたとしても、責任は私に全てあったと伝えてください。
そして、これはお願いなのですが……。
もし、私が契約に失敗して樹氷の花になってしまったら、
その時は……ちい姉さま、いえ、私の姉であるカトレア姉さまに使って下さい。
ううん、ちい姉さまだけじゃないわ。
ちい姉さまみたいに不治の病に苦しんでいる人に、できる限り行き渡るようにして下さい。
タバサ、貴女も大切な人が苦しんでいるのでしょう?」
「……っ!!」
タバサは、何も言えなかった。それどころか、一瞬でもルイズが儀式に失敗する暗い思いがよぎった自分が醜くて、汚くてたまらなかった。
そんなことを見越していたかのように、ルイズは続ける。
「実を言うとね、私もちょっぴり失敗しちゃったらいいなぁなんて考えちゃったりしてるのよ。
きっと、私以外の人がこんなことしてても、そう思っちゃったと思う。
だって、私、魔法が使えなくて、いつも家族に迷惑かけてばかりだったでしょ?
惨めで、悔しくて、仕方なかったわ……。
そんな私を、いつも優しく励ましてくれたのがちい姉さまだったの。
だから、私思ったわ。ちい姉さまの病気を、どんなことをしてでも治してあげたいって」
しんと静まる中、ルイズは続ける。
「あ、本当に失敗したいわけじゃないのよ。それだけは言っておくわ。
ただ、ここで、使い魔の契約ができなかったら、ここで契約せずに逃げ出してしまったら、
私は一生『ゼロのルイズ』のままだと思うの。そんなのは絶対嫌だわ。
それに、メイジの実力を測るには、まずその使い魔を見よっていうでしょう?
契約はしてないとはいえ、私は樹氷の王というとてつもない存在を呼び出した。
だから、私はゼロで終わるはずがない。
その存在に見合った偉大なメイジになってみせるわ。
これは、私の誇りを賭けた儀式なのよ」
そう言うと、ルイズは少年と向き合った。
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