虚無の闇-08 - (2008/12/02 (火) 21:53:35) の最新版との変更点
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#navi(虚無の闇)
ルイズは馬の背に揺られながらぼんやりと空を見上げ、ノミの如く湧き出る暇を少しでも潰そうと、流れる雲の形で連想ゲームをしていた。
上手い具合にまん丸な雲を発見し、王都の店でクックベリーパイを食べようと心に決める。ついでに欠伸も噛み潰し、ようやく見えてきた王都の影に悪態をついた。
身体能力が上がったお陰なのか、乗馬が急激に上手くなっていた事は嬉しい。しかし意図せずともこちらの意識を汲んで動いてくれるため、安定しすぎて逆に暇になった。
途中でとても面白いイベントはあったにしろ、それ以降は全く何も無かったし、風景も相変わらずで面白みが無い。
曲がりなりにも空を飛べるルイズが何故馬などに頼っているかといえば、まだ空を飛ぶのが猛烈に下手糞だからだ。簡単なはずの宙に留まることさえ難しく、落ちないように魔力を放出し続ければとんでもない方向へ行ってしまう。
まっすぐ飛ぼうとしてもジグザグになってしまい、下手すれば空ではなく地面に向けて突撃しかねなかった。老いぼれメイジが泥酔したままフライを使っているようだ。
契約してから間も無いとはいえ、昨日は実際に何度か地面とキスをした。10メイル以上ある高さから横向きに落下した結果、落ちていた鋭く尖った石が内臓に達しかねないほど深く突き刺さってしまった事さえある。
文句を言いながら立ち上がったら、お腹からにょきっと石が生えていて……。見間違いかとゴシゴシ目を擦ったのは、あまり思い出したくない。
すぐさま引き抜いて治癒呪文をかけると、傷跡も残さず完治したのはいい事だ。問題なのは血まみれになった服のほうで、マントにこそ穴は開かなかったものの、制服の替えがまた一枚無くなった。
過去の失敗癖のお陰で替えの服が無数にあるのだけは救いだが、そろそろ補給しておいたほうがいいかもしれない。
「さて、人目に付かない場所は……」
乗ってきた馬を預けた後、ルイズは出来る限り王宮に近く、そして目立たずに着地できる場所を探した。
移動呪文であるルーラは習得していたが、使用すれば隕石のように空から降ってくる事になるので、廃村でもない限り広場などを目標にする訳にはいかない。
王都は何度も訪れていたが、正確に街並みを記憶している部分などごく僅かだ。そしてそういう場所は、ほぼ例外なく人通りが多かった。
大通りを避けて迷子にならないように気をつけながら歩き回り、袋小路になっている物陰などをチェックしていく。
本来なら文字どおりの意味で世界を飛び回れるこの呪文だが、そういう意識を持って居なかったから、指定できる行き先はとても少ない。現在ルイズが行ける場所と言えば、魔法学院とヴァリエール家の屋敷を除けばほんの数箇所ぐらいだろう。
こんな事なら、旅行で行ったアルビオンの風景でも覚えておけばよかった。
「お譲ちゃん、一人で……」
「邪魔」
町外れは何かが腐るような悪臭が酷く、小悪党が昼間から徘徊するほど治安も悪い。
背後から声をかけてきた蛆虫の気配には気付いていたが、遊べるほど強くもなさそうなので、裏拳を叩き込むことで手早く片付ける。
頭蓋骨を砕いて脳みそをかき混ぜる感触が伝わった、けれども虫一匹踏みつぶしたところで別に何とも思わなかった。人が歩くだけで蟻は死ぬ。それを悼むほど博愛主義の人間なんて聞いた事もない。
あの汚らしい死体は誰かが片づけるだろう。石畳に骨と肉がぶつかる音に追い越されながら、ルイズは細い裏道を歩き続ける。
既に着地可能なポイントは何箇所か記憶しておいたので、後は大通りへ戻るだけなのだが……。それが実に難しい。
とりあえず丁字路行き当たったので右折し、相変わらず見覚えの無い風景に溜息を吐いた。認めたくは無いが迷子だ。
「……んだよ! ほんっとに、うるさいね! 入ってな!」
ようやく見覚えのある道が見えたと思ったら、女性が誰かを怒鳴りつける声が響いてきた。
路地の影から顔を出すと、武器屋から出てきたらしい緑色の髪の人物が見える。胸には刃だけで1メイル以上もある長剣を抱えていた。
貴族であることを示すマントなどが無い事から考えて、おそらく平民だろう。それに貴族は剣など持たない。
「まったく……テファの使い魔が人間で、それも男だなんて……。もし手を出したら、ぶち殺してやるよ! まったく!」
何か嫌な事があったのか、抱えた剣に向ってブツブツと独り言を続けている。ルイズは剣を話し相手に選ぶような人物に関わりたくなかったので、彼女が通り過ぎるまで待つことにした。
絡まれたら面倒だ。平民では遊びがいがなさそうだし、たしか武器屋はピエモンの秘薬屋の近くだったから大通りに近い。まだ憲兵に目を付けられる行動はしたくなかった。
殺しても罰されない盗賊の類であるなら、喜んで骨と肉を砕きに行くのだけれども。
「どこかで見た気がしたけど……ま、いいか」
ルイズは狂人の事を頭から締め出し、王都に来た最大の目的である書店めぐりへと頭を切り替える。
使える魔法は一つでも多いほうが良いし、魔法学院の図書室が当てにならないのならば、自分の足で探そうという訳だった。
異界からの召喚物となれば高価だろうが、懐には貯め込んでいたお小遣いが詰まったはちきれんばかりの財布がある。来る途中で貴族とその従者らしき馬車を壊滅させたから、懐具合としては冬場で暖を取れそうなほどホカホカだ。
持ち主が特定されそうな指輪などは奪えなかったものの、金貨はもちろん単なる宝石の類もしっかりと貰っておいたから、買い物をするには十分すぎる。
積み荷は5人だったが、内訳は興味が無いので忘れた。平和ボケしていたらしく、やたらと弱かったことだけは覚えている。
魔法学院ではまだ大人しくしているつもりだが、ストレスの発散は精神安定上必要な行為だ。謝礼の言葉が彼らの耳に届く事は永遠に無いが、お陰でとてもスッキリできた。
死体を捨てようと訪れた林の中でオーク鬼と対面し、そのオーク鬼が忠実な部下のように畏まった時は、ついに私も魔王の貫禄を持てたのかと嬉しくなったし。
ちょうどよかったので仲間を何匹か呼んでもらい、馬の死体ともども食べてもらうことにしたら、メイドと子供のはご馳走だと特に感謝された。なんでも柔らかくて歯触りがよく、それでいてコクがあるとか。
中々に気分がよかったので、「べ、べつに、あんたらのために殺したわけじゃ、ないんだからね!」なんて言ってみる。
……流石に最後のは冗談だが、人(?)助けとは心地よいものだ。これからもたまにやろう。
そんな事を考えながら、ルイズは最も近かった店へと足を運んだ。
殺人事件が発生している最中でも、トリスティン魔法学院の学院長室は実に平和だった。
齢300を超えるとも言われるオールド・オスマンは、秘書のロングビルが居ないのをいいことに、先ほどからプカプカと水煙草を吹かしている。
使い魔のネズミ、モートソグニルにナッツをあげることも忘れない。秘書の絶対領域を盗み見るには、彼の協力が絶対に必要なのだから。
「お、オールド・オスマン! 大変ですぞ!」
「……なんじゃ、ベルヘール君か。つまらんのう」
「コルベールです! そんな事より、これを見てください!」
コルベールが抱えていたのは、始祖ブリミルの使い魔たちと題された一冊の本だった。
まがい物も数多く存在する始祖関連の文献において、内容の真偽は非常に判断が難しい。この学院にすら偽者が混ざっている可能さえあるほどに。
これは千の偽りの中から選び抜かれた、数少ない本物の一冊だった。丁寧に机の上で広げられたページには、伝説の使い魔である"ヴィンダールヴ"のルーンが書かれている。
「そしてこれが、ミス・ヴァリエールに右手に刻まれた物です……」
「ほう、これは……」
オスマンの眼光が鋭くなり、部屋を重苦しい沈黙と威圧的な雰囲気が包んだ。
飄々とした態度は完全に消え、巨大な山脈のように敢然と構えている。
「ミス・ヴァリエールといえば、この前の決闘騒ぎを起こした生徒じゃな?」
「あ、はい。そうです」
ルイズが決闘したのは周知の事実だが、お互いに相手を傷つけまいとする紳士的な行動をとっていたし、学校側としても不祥事を公にはしたくない。
あれは決闘ではなく生徒同士の切磋琢磨の一環であった、とする事で決着がつき、二人はお咎め無しになっていた。
もし怪我人が出ていれば話は違っただろうが、勝った方のルイズはおろか、負けたギーシュででさえ完全に無傷なのだ。
グラモンも名門ではあるがヴァリエールには劣るし、ただでさえ要らぬ火種の多い貴族の学校、無理に事を荒立てるほうがおかしい。
「伝説の再来、か……」
長らくゼロと呼ばれ続けていた少女の才能の開花、そしてその身に刻まれた伝説のルーン。間違いなく何かが動き出している。
オスマンの額に刻まれた皺が深くなった。コルベールの額に大粒の汗が浮き、沈黙に耐えかねたように一滴が落下する。
「そう……虚無の、復活です! 何度も確認しましたので、間違いありません……。大事件ですぞ!」
6000年ぶりという復興に煽られたのか、呪縛から逃れたコルベールが鼻息荒く言った。
研究者としての彼の性分が騒いだのだろう。膨大な蔵書を誇るこの学院の図書室から、たった1冊の本を探し出してきた事からも伺える。
「……面倒じゃのう。なにも、ワシが学院長の時に復活せんでもいいものを……。ここは一つ、見なかった事にじゃな……」
「オールド・オスマン! 何を言うのですか! さっそく王宮に報告を……」
「それには及ばん。この一件は、ワシが預かる」
反射的に反論しかけたコルベールだったが、オスマンが浮かべている真剣な眼差しに気づいて反論を飲み込んだ。
秘書のパンツを覗くのが大好きな好色ジジイという一面はあるにしろ、本気の時の彼はトリスティン有数のメイジである。
ハイヒールに踏みつけられ悶えている姿を頻繁に見かけたとしても、トップクラスのメイジのはずだった。
ボケたふりをして彼女の胸をしゃぶろうとし、チョークスリーパーで失神させられようと……多分……。
「な、なんじゃい! その目は!」
「いえ、なんでもありませんよ」
思い切り棒読みの上、彼の顔には「本気で考えてるのかこのジジイ」と書いてあった。
カリスマブレイクしたことを察したのか、オスマンは大きく咳払いをして仕切りなおし、再び真面目な顔を作る。
「……伝えれば、王都のボンクラどもが戦争を始めるかも知れん。君とて大切な生徒を、戦争の道具にしたくあるまい」
「なるほど……。しかし、彼女には伝えたほうが良いのでは?
なにしろミス・ヴァリエールは座学では極めて優秀なメイジですし、ヴィンダールヴともなれば、いずれは……」
「ふむ、それはそうじゃのう……。ミスタ・コルベール。ヴィンダールヴと虚無に関する資料集めを頼む。
話すにしても、よく分からんが君は虚無のようだ、では話にならんからな」
「はい! かしこまりました」
張り切って部屋を出たコルベールとは対照的に、オスマンの表情は暗い。
伝説などという物が呼ばれもしないのにやって来るという事は、つまるところ時代に必要とされている訳だ。
遠くアルビオンでは内乱が起きているというし、まったくもって迷惑な話だった。
「何が起こるのかのう……。平和が一番じゃというのに……」
苦々しげな呟きは誰にも聞かれぬまま、静かな部屋に溶けていった。
思い思いの楽しい休日を過ごす生徒たちの中、ギーシュは唯一人、胸を締め上げられるような感情を抱えたまま過ごしていた。
小さな物音がしただけで大げさに振り返り、誰もいないことに溜息を吐く。あの二つ名を否定するために必死で呪文を唱え、汗が飛ぶほどに激しく杖を振るったが、現実は未だ彼を許していない。
つい昨日まで、青銅のギーシュと呼ばれていた。7体のワルキューレを駆る優秀なドットメイジだった。
しかし彼は今、あの日消滅したゼロのルイズの名前を受け継いだように、無能のギーシュと呼ばれている。
「……くそっ! 嘘だろ……?!」
誰が言い出したのかは分からない。決闘に負けた日の夕食には、既にその名前は広まっていた。
挨拶のように交わされる罵倒、クスクスと響く笑い声、道化を見るような視線。叫び出したいほどの苦しみだった。
恋人たちも次々に離れて行ってしまい、友人たちからさえ笑い者にされる。まだたった1日なのに、発狂してしまいそうだ。
「僕は、僕は青銅のギーシュなんだぞ……!」
そう思っていくら杖を振っても、彼女のような爆発は愚か、木の葉一枚揺らす事は無い。まるで平民が杖を振っているように滑稽に見られた。
彼はルイズに囁かれた呪文の意味を知らなかったし、そんな事を言われた事さえ覚えていなかった。
しかし膨大な量の魔力を注がれた魔封じの呪文、マホトーンは確実にその効果を発揮している。
「くそっ! くそっ! そんな、バカなっ……!!」
本来マホトーンの魔法は精神状態に大きく影響されるため、戦いで興奮している人間にはあまり効かない。そしてマホトーンという呪文を知っている人間ならば、時間さえあれば簡単に破られてしまう。
逆に言えば、恐怖と絶望に震えていて非常に不安定な人間ならば、対処法さえ知らず誰にも相談できない少年が対象であれば、凄まじいまでのパワーを発揮するという事だった。
「無能、無能のギーシュだなんて……」
その証拠に彼はあの決闘以来、一切の呪文が使えなくなっている。それは世界をどんな地獄よりも恐ろしい場所に変えてしまった。
明日からは平日、つまり授業があるのだ。精神力を使い切ったという言い訳がそう長く続くとも思えないし、なんとしても魔法を使えるようにならなければならない。
戦争などで強いショックを受けたメイジが、戦いを恐れるあまり魔法の使用が不可能になってしまった、という事例を聞いたことがあった。恐らく自分もそうなのだろう。
父からその話を聞かされた時はなんと臆病な事だと笑ったものだが、実際自分の身に降りかかってみれば、これほど厄介な事は無い。
眼に見える敵が居ないのでは振り上げた拳の行く先も無く、ただ怒りと絶望が自らへと降りかかってくる。
「れ、錬金!」
だが"本当に無能になってしまったのではないか?"という恐怖がちらつき、自分さえ満足に信じられない彼に、マホトーンを打ち破る事は未だ出来なかった。
ルイズのかけた呪いは、着実にその効果を発揮し続けている。
#navi(虚無の闇)
#navi(虚無の闇)
ルイズは馬の背に揺られながらぼんやりと空を見上げ、ノミの如く湧き出る暇を少しでも潰そうと、流れる雲の形で連想ゲームをしていた。
上手い具合にまん丸な雲を発見し、王都の店でクックベリーパイを食べようと心に決める。ついでに欠伸も噛み潰し、ようやく見えてきた王都の影に悪態をついた。
身体能力が上がったお陰なのか、乗馬が急激に上手くなっていた事は嬉しい。しかし意図せずともこちらの意識を汲んで動いてくれるため、安定しすぎて逆に暇になった。
途中でとても面白いイベントはあったにしろ、それ以降は全く何も無かったし、風景も相変わらずで面白みが無い。
曲がりなりにも空を飛べるルイズが何故馬などに頼っているかといえば、まだ空を飛ぶのが猛烈に下手糞だからだ。簡単なはずの宙に留まることさえ難しく、落ちないように魔力を放出し続ければとんでもない方向へ行ってしまう。
まっすぐ飛ぼうとしてもジグザグになってしまい、下手すれば空ではなく地面に向けて突撃しかねなかった。老いぼれメイジが泥酔したままフライを使っているようだ。
契約してから間も無いとはいえ、昨日は実際に何度か地面とキスをした。10メイル以上ある高さから横向きに落下した結果、落ちていた鋭く尖った石が内臓に達しかねないほど深く突き刺さってしまった事さえある。
文句を言いながら立ち上がったら、お腹からにょきっと石が生えていて……。見間違いかとゴシゴシ目を擦ったのは、あまり思い出したくない。
すぐさま引き抜いて治癒呪文をかけると、傷跡も残さず完治したのはいい事だ。問題なのは血まみれになった服のほうで、マントにこそ穴は開かなかったものの、制服の替えがまた一枚無くなった。
過去の失敗癖のお陰で替えの服が無数にあるのだけは救いだが、そろそろ補給しておいたほうがいいかもしれない。
「さて、人目に付かない場所は……」
乗ってきた馬を預けた後、ルイズは出来る限り王宮に近く、そして目立たずに着地できる場所を探した。
移動呪文であるルーラは習得していたが、使用すれば隕石のように空から降ってくる事になるので、廃村でもない限り広場などを目標にする訳にはいかない。
王都は何度も訪れていたが、正確に街並みを記憶している部分などごく僅かだ。そしてそういう場所は、ほぼ例外なく人通りが多かった。
大通りを避けて迷子にならないように気をつけながら歩き回り、袋小路になっている物陰などをチェックしていく。
本来なら文字どおりの意味で世界を飛び回れるこの呪文だが、そういう意識を持って居なかったから、指定できる行き先はとても少ない。現在ルイズが行ける場所と言えば、魔法学院とヴァリエール家の屋敷を除けばほんの数箇所ぐらいだろう。
こんな事なら、旅行で行ったアルビオンの風景でも覚えておけばよかった。
「お嬢ちゃん、一人で……」
「邪魔」
町外れは何かが腐るような悪臭が酷く、小悪党が昼間から徘徊するほど治安も悪い。
背後から声をかけてきた蛆虫の気配には気付いていたが、遊べるほど強くもなさそうなので、裏拳を叩き込むことで手早く片付ける。
頭蓋骨を砕いて脳みそをかき混ぜる感触が伝わった、けれども虫一匹踏みつぶしたところで別に何とも思わなかった。人が歩くだけで蟻は死ぬ。それを悼むほど博愛主義の人間なんて聞いた事もない。
あの汚らしい死体は誰かが片づけるだろう。石畳に骨と肉がぶつかる音に追い越されながら、ルイズは細い裏道を歩き続ける。
既に着地可能なポイントは何箇所か記憶しておいたので、後は大通りへ戻るだけなのだが……。それが実に難しい。
とりあえず丁字路行き当たったので右折し、相変わらず見覚えの無い風景に溜息を吐いた。認めたくは無いが迷子だ。
「……んだよ! ほんっとに、うるさいね! 入ってな!」
ようやく見覚えのある道が見えたと思ったら、女性が誰かを怒鳴りつける声が響いてきた。
路地の影から顔を出すと、武器屋から出てきたらしい緑色の髪の人物が見える。胸には刃だけで1メイル以上もある長剣を抱えていた。
貴族であることを示すマントなどが無い事から考えて、おそらく平民だろう。それに貴族は剣など持たない。
「まったく……テファの使い魔が人間で、それも男だなんて……。もし手を出したら、ぶち殺してやるよ! まったく!」
何か嫌な事があったのか、抱えた剣に向ってブツブツと独り言を続けている。ルイズは剣を話し相手に選ぶような人物に関わりたくなかったので、彼女が通り過ぎるまで待つことにした。
絡まれたら面倒だ。平民では遊びがいがなさそうだし、たしか武器屋はピエモンの秘薬屋の近くだったから大通りに近い。まだ憲兵に目を付けられる行動はしたくなかった。
殺しても罰されない盗賊の類であるなら、喜んで骨と肉を砕きに行くのだけれども。
「どこかで見た気がしたけど……ま、いいか」
ルイズは狂人の事を頭から締め出し、王都に来た最大の目的である書店めぐりへと頭を切り替える。
使える魔法は一つでも多いほうが良いし、魔法学院の図書室が当てにならないのならば、自分の足で探そうという訳だった。
異界からの召喚物となれば高価だろうが、懐には貯め込んでいたお小遣いが詰まったはちきれんばかりの財布がある。来る途中で貴族とその従者らしき馬車を壊滅させたから、懐具合としては冬場で暖を取れそうなほどホカホカだ。
持ち主が特定されそうな指輪などは奪えなかったものの、金貨はもちろん単なる宝石の類もしっかりと貰っておいたから、買い物をするには十分すぎる。
積み荷は5人だったが、内訳は興味が無いので忘れた。平和ボケしていたらしく、やたらと弱かったことだけは覚えている。
魔法学院ではまだ大人しくしているつもりだが、ストレスの発散は精神安定上必要な行為だ。謝礼の言葉が彼らの耳に届く事は永遠に無いが、お陰でとてもスッキリできた。
死体を捨てようと訪れた林の中でオーク鬼と対面し、そのオーク鬼が忠実な部下のように畏まった時は、ついに私も魔王の貫禄を持てたのかと嬉しくなったし。
ちょうどよかったので仲間を何匹か呼んでもらい、馬の死体ともども食べてもらうことにしたら、メイドと子供のはご馳走だと特に感謝された。なんでも柔らかくて歯触りがよく、それでいてコクがあるとか。
中々に気分がよかったので、「べ、べつに、あんたらのために殺したわけじゃ、ないんだからね!」なんて言ってみる。
……流石に最後のは冗談だが、人(?)助けとは心地よいものだ。これからもたまにやろう。
そんな事を考えながら、ルイズは最も近かった店へと足を運んだ。
殺人事件が発生している最中でも、トリスティン魔法学院の学院長室は実に平和だった。
齢300を超えるとも言われるオールド・オスマンは、秘書のロングビルが居ないのをいいことに、先ほどからプカプカと水煙草を吹かしている。
使い魔のネズミ、モートソグニルにナッツをあげることも忘れない。秘書の絶対領域を盗み見るには、彼の協力が絶対に必要なのだから。
「お、オールド・オスマン! 大変ですぞ!」
「……なんじゃ、ベルヘール君か。つまらんのう」
「コルベールです! そんな事より、これを見てください!」
コルベールが抱えていたのは、始祖ブリミルの使い魔たちと題された一冊の本だった。
まがい物も数多く存在する始祖関連の文献において、内容の真偽は非常に判断が難しい。この学院にすら偽者が混ざっている可能さえあるほどに。
これは千の偽りの中から選び抜かれた、数少ない本物の一冊だった。丁寧に机の上で広げられたページには、伝説の使い魔である"ヴィンダールヴ"のルーンが書かれている。
「そしてこれが、ミス・ヴァリエールに右手に刻まれた物です……」
「ほう、これは……」
オスマンの眼光が鋭くなり、部屋を重苦しい沈黙と威圧的な雰囲気が包んだ。
飄々とした態度は完全に消え、巨大な山脈のように敢然と構えている。
「ミス・ヴァリエールといえば、この前の決闘騒ぎを起こした生徒じゃな?」
「あ、はい。そうです」
ルイズが決闘したのは周知の事実だが、お互いに相手を傷つけまいとする紳士的な行動をとっていたし、学校側としても不祥事を公にはしたくない。
あれは決闘ではなく生徒同士の切磋琢磨の一環であった、とする事で決着がつき、二人はお咎め無しになっていた。
もし怪我人が出ていれば話は違っただろうが、勝った方のルイズはおろか、負けたギーシュででさえ完全に無傷なのだ。
グラモンも名門ではあるがヴァリエールには劣るし、ただでさえ要らぬ火種の多い貴族の学校、無理に事を荒立てるほうがおかしい。
「伝説の再来、か……」
長らくゼロと呼ばれ続けていた少女の才能の開花、そしてその身に刻まれた伝説のルーン。間違いなく何かが動き出している。
オスマンの額に刻まれた皺が深くなった。コルベールの額に大粒の汗が浮き、沈黙に耐えかねたように一滴が落下する。
「そう……虚無の、復活です! 何度も確認しましたので、間違いありません……。大事件ですぞ!」
6000年ぶりという復興に煽られたのか、呪縛から逃れたコルベールが鼻息荒く言った。
研究者としての彼の性分が騒いだのだろう。膨大な蔵書を誇るこの学院の図書室から、たった1冊の本を探し出してきた事からも伺える。
「……面倒じゃのう。なにも、ワシが学院長の時に復活せんでもいいものを……。ここは一つ、見なかった事にじゃな……」
「オールド・オスマン! 何を言うのですか! さっそく王宮に報告を……」
「それには及ばん。この一件は、ワシが預かる」
反射的に反論しかけたコルベールだったが、オスマンが浮かべている真剣な眼差しに気づいて反論を飲み込んだ。
秘書のパンツを覗くのが大好きな好色ジジイという一面はあるにしろ、本気の時の彼はトリスティン有数のメイジである。
ハイヒールに踏みつけられ悶えている姿を頻繁に見かけたとしても、トップクラスのメイジのはずだった。
ボケたふりをして彼女の胸をしゃぶろうとし、チョークスリーパーで失神させられようと……多分……。
「な、なんじゃい! その目は!」
「いえ、なんでもありませんよ」
思い切り棒読みの上、彼の顔には「本気で考えてるのかこのジジイ」と書いてあった。
カリスマブレイクしたことを察したのか、オスマンは大きく咳払いをして仕切りなおし、再び真面目な顔を作る。
「……伝えれば、王都のボンクラどもが戦争を始めるかも知れん。君とて大切な生徒を、戦争の道具にしたくあるまい」
「なるほど……。しかし、彼女には伝えたほうが良いのでは?
なにしろミス・ヴァリエールは座学では極めて優秀なメイジですし、ヴィンダールヴともなれば、いずれは……」
「ふむ、それはそうじゃのう……。ミスタ・コルベール。ヴィンダールヴと虚無に関する資料集めを頼む。
話すにしても、よく分からんが君は虚無のようだ、では話にならんからな」
「はい! かしこまりました」
張り切って部屋を出たコルベールとは対照的に、オスマンの表情は暗い。
伝説などという物が呼ばれもしないのにやって来るという事は、つまるところ時代に必要とされている訳だ。
遠くアルビオンでは内乱が起きているというし、まったくもって迷惑な話だった。
「何が起こるのかのう……。平和が一番じゃというのに……」
苦々しげな呟きは誰にも聞かれぬまま、静かな部屋に溶けていった。
思い思いの楽しい休日を過ごす生徒たちの中、ギーシュは唯一人、胸を締め上げられるような感情を抱えたまま過ごしていた。
小さな物音がしただけで大げさに振り返り、誰もいないことに溜息を吐く。あの二つ名を否定するために必死で呪文を唱え、汗が飛ぶほどに激しく杖を振るったが、現実は未だ彼を許していない。
つい昨日まで、青銅のギーシュと呼ばれていた。7体のワルキューレを駆る優秀なドットメイジだった。
しかし彼は今、あの日消滅したゼロのルイズの名前を受け継いだように、無能のギーシュと呼ばれている。
「……くそっ! 嘘だろ……?!」
誰が言い出したのかは分からない。決闘に負けた日の夕食には、既にその名前は広まっていた。
挨拶のように交わされる罵倒、クスクスと響く笑い声、道化を見るような視線。叫び出したいほどの苦しみだった。
恋人たちも次々に離れて行ってしまい、友人たちからさえ笑い者にされる。まだたった1日なのに、発狂してしまいそうだ。
「僕は、僕は青銅のギーシュなんだぞ……!」
そう思っていくら杖を振っても、彼女のような爆発は愚か、木の葉一枚揺らす事は無い。まるで平民が杖を振っているように滑稽に見られた。
彼はルイズに囁かれた呪文の意味を知らなかったし、そんな事を言われた事さえ覚えていなかった。
しかし膨大な量の魔力を注がれた魔封じの呪文、マホトーンは確実にその効果を発揮している。
「くそっ! くそっ! そんな、バカなっ……!!」
本来マホトーンの魔法は精神状態に大きく影響されるため、戦いで興奮している人間にはあまり効かない。そしてマホトーンという呪文を知っている人間ならば、時間さえあれば簡単に破られてしまう。
逆に言えば、恐怖と絶望に震えていて非常に不安定な人間ならば、対処法さえ知らず誰にも相談できない少年が対象であれば、凄まじいまでのパワーを発揮するという事だった。
「無能、無能のギーシュだなんて……」
その証拠に彼はあの決闘以来、一切の呪文が使えなくなっている。それは世界をどんな地獄よりも恐ろしい場所に変えてしまった。
明日からは平日、つまり授業があるのだ。精神力を使い切ったという言い訳がそう長く続くとも思えないし、なんとしても魔法を使えるようにならなければならない。
戦争などで強いショックを受けたメイジが、戦いを恐れるあまり魔法の使用が不可能になってしまった、という事例を聞いたことがあった。恐らく自分もそうなのだろう。
父からその話を聞かされた時はなんと臆病な事だと笑ったものだが、実際自分の身に降りかかってみれば、これほど厄介な事は無い。
眼に見える敵が居ないのでは振り上げた拳の行く先も無く、ただ怒りと絶望が自らへと降りかかってくる。
「れ、錬金!」
だが"本当に無能になってしまったのではないか?"という恐怖がちらつき、自分さえ満足に信じられない彼に、マホトーンを打ち破る事は未だ出来なかった。
ルイズのかけた呪いは、着実にその効果を発揮し続けている。
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