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ゼロの使い魔はメイド-06 - (2008/09/19 (金) 04:46:15) のソース
「今日は、あのワイバーンはいないんですね」 シャーリーが先輩メイドであるシエスタにそう訊ねたのは、メイドたちの仕事も一段落ついた昼下がりのことだった。 どちらかというと無口なこの少女が、自分から口を開くのは珍しい。 「そうねえ……。アレはご主人と一緒によくどこかにいっちゃうんだけど」 あまり学院内にいてほしい相手でもないだけに、シエスタの態度は若干いい加減なものでもあった。 一度も吼えられたり、威嚇したりされたことのないシャーリーと違って、他の平民、いや、メイジたちにとっても、巨大なワイバーンは恐怖の対象なのだ。 「モードなら、二、三日留守なんじゃない? 主と一緒にね――」 別のところから、解答が飛んできた。 壁にもたれ、赤いオオトカゲを従えた美女が微笑んでいた。 使い魔のフレイムと共に、日向ぼっこを楽しんでいたキュルケである。 「これは……ミス・ツェルプストー」 シャーリーもシエスタもあわてて頭を下げる。 「里帰り、とか言ってから。今頃は……」 と、キュルケは空の、ある方向へと目を向けた。 その方角へ、大国ガリアがあることは、シャーリーは知らなかった。 ガリアの王都・リュティス。 魔法大国の中枢部の東端。そこに王族たちの住まう宮殿ヴェルサルテイルはあった。 ガリアの誇る壮麗で美しいその宮殿の上空を、一匹の竜が飛んでいた。 青い美しい鱗を持った風竜だった。 王宮に、近隣に住む者で、この青い竜を知らない者はいない。 プチ・トロワに住まうガリアの姫君・シャルロットが召喚した使い魔シルフィード。 竜といってもまだ幼生であり、人間で言えば十歳時くらいでしかない風竜は、きゅいきゅいと鳴きながら、今日も空の散歩を楽しんでいた。 だが、不意にシルフィードは痙攣でもするように動きを鈍らせ、ぴたりと鳴くのをやめた。 「きゅい!」 シルフィードは脅えた声を発して急速降下すると、プチ・トロワの陰にその身を潜めて、空を見上げた。 直後、空に大きな影が見えた。 巨大な翼を持つ飛竜・ワイバーンである。 ワイバーン属にも色々あるが、ヴェルサルテイルの上空に現れたのは、その中でも最大種のグレートワイバーンと呼ばれるもので、 「空の暴君」 と恐れられる怪物だった。 人間や動物のみならず、風竜や、ワイバーンに負けず劣らず狂暴さで知られる火竜にさえ襲いかかることがある。 その恐るべき爪や牙は竜の鱗を容易く引き裂き、その巨体は生半な魔法などものともしない。 ものの本によると……。 年経た巨大で狡猾なグレートワイバーンのために、小国が壊滅状態になったこともあるという。 このような怪物の前では、幼竜であるシルフィードなど、格好の餌食にしかならない。 あわてて隠れたのも無理はなかった。 おかしなことに、こんな物騒な生物が現れたのに、宮殿では迎撃する様子もない。 ワイバーンは巨大な羽根をはばたかせ、国王が住むグラン・トロワの前へと降り立った。 と、ワイバーンの背中から、一人の少女が飛び降りた。 長い青髪が風に揺れた。 一目でガリア王家の血を引くとわかる者である。 ただ。 その身から放たれる粗野……というより狂暴な空気は、王族というより、裏社会の人間に近いものがあった。 なるほど、狂暴なワイバーンに似合いの主人だった。 少女はふんぞり返り、宮殿内へと入っていく。 「イザベラ様、ようこそ」 「いらっしゃいませ」 「ようこそ」 宮殿の人間たちは少女を見ると、顔を伏せて挨拶する。 これに対してイザベラは、 「ん」 と、いかにも横柄な態度であり、まともに顔を見ようとすらしない。 イザベラはそのまま玉座の間へと向かい、政務の杖を振っている国王・シャルル一世と顔を会わせた。 「おお、イザベラか! よく来たね」 イザベラの顔を見たシャルルは相好を崩して、歓迎の意を表した。 抱きついて頬擦りでもしそうな勢いである。 王を前にしたイザベラはさすがに殊勝な態度で床に膝を突き、 「国王陛下におかれましては、ご機嫌うるわしく……」 挨拶を述べようとするが、シャルルはそれをさえぎって、 「よした、よした! そんな他人行儀なことはしなくていい。さ、顔を良く見せておくれ」 と、走るようにしてイザベラのそばに寄った。 まるで子供である。 その様子は、とても幼少時から天才と誉れ高い国王のものとは思えなかった。 「はあ……」 「また一段と綺麗になったね」 やたらにテンションを上げるシャルルに、イザベラはやや困った顔ながら満更でもなさげだった。 イザベラの父ジョゼフは、ガリア王家の長兄であり、すなわちシャルルとイザベラは叔父・姪の関係になる。 ジョゼフは数年前にシャルルが王位継承した後、地方に引っ込んで実質上の隠居生活を送っており、あまりリュティスにも出てこない。 と、いっても、ジョゼフはコモン・マジックすらろくに扱えぬ無能者として有名な男であり、そのことについてとやかく言う人間はあまりいなかった。 むしろ死ぬまで僻地でくすぶっていてくれと願う者のほうが多かった。 叔父と姪はしばらく歓談をしている頃―― プチ・トロワではシルフィードが主のもとで、きゅいきゅいと鳴いていた。 「イザベラ……様と、使い魔のワイバーンがきてるのね! 私、すぐに隠れてやり過ごしたけど、本当に怖かったのだわ!」 と、青い幼竜は人語で口をこぼしていた。 必死な口調が示す通り、幼いドラゴンが本当に怖かったのだ。 「そう」 そんな使い魔に、主は気のない返事を返して、そのまま黙りこんでしまった。 青いドレスと大きな王冠を身につけた、美しい姫君。 背丈も低く、ぱっと見には下手をすると十歳くらい見えるが、今年で十五になる乙女である。 シャルル王の娘、ガリア王国王女シャルロット。 大国の姫であり、若くしてすでにトライアングルクラスのメイジである彼女こそが、シルフィードの主であった。 シルフィードが高い知能を持ち、先住の魔法操る風の古代竜……風韻竜であることは、王宮内でもごくわずかなものしから知らぬ。 一国の王女がこれほどの使い魔を召喚したのだから、もっと大々的に知られてもよさそうだ。 使い魔は、メイジの実力をもっともわかりやすく示すものと言われるのだから。 しかし、シャルロットは、 「無駄に目立つからいや」 という理由で、そのことを秘密にしていた。 「初めて会った時のこと、ほんとに腹が立つのだわ! あのワイバーン、シルフィのごはんを横取りにしたのね! それを謝りもしないで、いまだにシルフィのこと馬鹿にしてるのだわ!!」 シルフィードはワイバーンへの怒りをわめいている。 確かに格で言うのなら、ワイバーンと風竜とでは竜のほうが上だ。 戦っても、竜が遅れを取ることは早々ない。 だが、それはあくまでも中型・小型のワイバーンの話であり、グレートワイバーンとなると、話はまったく別だった。 格なんぞといっても、所詮自然界でものをいうのは強さであり、力だ。 弱肉強食。それが厳格なルールなのである。 前述したように、成竜でさえ危険なのだから、シルフィードのような幼生など、彼らには餌でしかないのだ。 そんなところへ、 「シャルロット様、イザベラ様が見えておいででございますが……」 シャルルが王子の時代から仕えている老執事が、従姉妹の来訪を伝えてきた。 シルフィードが韻竜であることを知る数少ない人間の一人である。 「もう、聞いてる」 シャルロットはシルフィードのほうへと目をやった。 「さようでございますか。では……」 「多分、すぐに帰ってしまうわ」 何か言いかけた執事をさえぎるように、シャルロットは言った。 わずかながら険を吹くんだ声。 実際にその通りで、何か特別な用事でもない限り、イザベラがヴェルサルテイルに長居をすることはまずない。 「ですが、ご挨拶ぐらいは……」 「うん」 シャルロットはうなずいたけれど、 「本当のことを言うと、イザベラはちょっと嫌い。だって、お父様はあの子ばかり可愛がるんだもの……」 そうつぶやいた後で、あわてたように、 「このことは、秘密」 と、執事に念を押した。 執事は何も言わず、かすかに苦笑するばかりだった。 シャルロットの言う通り、シャルルは、昔から『不出来』な姪をずいぶんと可愛がっている。 幼い頃から、魔法の才能の乏しい姪に対して、 「なに、イザベラには知恵と度胸があるさ」 と優しく励ましていた。 そこのところが、まだ幼い王女にとっては、少々面白くないのである。 大好きな父が、従姉妹に取られているような気持ちになるのだろう。 執事の苦笑は、姫君のそんな思いを感じとった上でのものだった。 「トリステインのほうはどうだい?」 「相変わらずの田舎ですわ。ワインはなかなかのものですけど」 「やれやれ、相変わらず口が悪いな」 毒を吐く姪にシャルルは苦笑しながらも、 「今回はゆっくりしていけるのかい?」 「いえ……。今日は叔父上にご挨拶にうかがっただけですから――。それに、実家に顔を見せなくてはなりませんし」 「そうか……。残念だな」 シャルルは肩を落として、 「久しぶりで一緒に食事をしたかったんだが……。ま、仕方ない」 「申し訳ありません」 「いや、謝ることはないよ。兄さんに会ったら、よろしく言っておくれ」 「はい、叔父上」 イザベラはシャルルに挨拶をして、ワイバーンに乗って飛び立っていた。 菓子類やワインなど、多くの土産物を持たされて。 姪が帰った後、シャルルは玉座で一人ぼんやりとしていた。 兄・ジョゼフのことを思い出していたのである。 (今頃、何をしているのか……) シャルルはその才気や人望から、正当な後継者としてなるべくして王となった。 周りの人間は皆そう思っている。 しかし、 (そうじゃあないのだ……) 前王である父が王位を譲ると言ったのは、シャルルではない。 ジョゼフなのである。 これに対して、シャルルは何の抵抗もなかった。 魔法が使えぬと揶揄されていても、兄の優れた頭脳と知識は王として君臨するに相応しいものだと思っていたからだ。 だからこそ、兄を祝福し共にこの国を盛り立てていこうと言った。 ところが……。 ジョゼフはどうやって手回ししたものか、いつの間にかシャルルを正当後継者として、王位を継がせてしまったのである。 シャルルは驚いて、これは違うと言おうとしたが、気づいた時にはすでにそのようなことを言えぬ、言ってもまず無駄であろうという状況になっていた。 まったく舌を巻く他なかった。 戴冠式の日、 「これからはなシャルル、何もかもお前一人でやってるみることだ。俺はもう知らんよ」 ジョゼフはそう言い残し、去っていってしまった。 人々はこれを気にも止めなかった。 ジョゼフは魔法の使えぬ無能王子として、蔑視の対象でしかなかったからだ。 だから、皆このことをなるべくしてなったこととしか認識してはいなかった。 (愚かなことだ……) そのことで、シャルルは言うに言われぬ怒りをおぼえずにはいられなかった。 己が王になったことで、兄がどれほど優秀な人材であったのか、それまで以上に痛感したからだ。 人が魔法に長けるシャルルを誉めそやすが、政治という点から見ればシャルルは無能ではないが、特別優秀な人間ではない。 それは他の人間にも言えることで、メイジとしては優秀であっても、まず人の上の立つ器量のない人間や、まったく視野狭窄で浅慮な者の多いこと。 そういった人間は、それはそれでガリアの軍事力を支える大事な存在であるのだが、なまじ力があるものだから暴走の危険を伴う者が多い。 もしも王位が父の言葉通りジョゼフに譲られていたら、 (手前勝手に暴走して、謀反を起こしたかもしれない……) のである。 なんとも皮肉なことに、シャルルを慕って集まってきた者の半数はそんな人間だった。 彼らは悪人ではないし、熱意も才能もある者たちなのだが……。 さらにガリア全体で見ると、目をつぶってもいいレベルではあるが、明らかに腐敗・堕落の兆候を見せる貴族は数多い。 巨大な力を蓄えつつあるゲルマニアや不穏な空気の漂うアルビオンなどを見るに、 (これからは、メイジの力のみではやっていけなくなる……) と、痛切することが多かった。 (なんとまあ、頭が痛いことか……) シャルルは暗然とした気持ちで息を吐いた。 「お暇をいただきたいのですが……」 新人のメイドが唐突にそう申し出てきたのは、初仕事がようやく始まろうという矢先であった。 幼さを残す少女はぎゅっと唇を噛み締め、尋常ではない決心であるのがよくわかった。 「どうしたの、急に?」 メイド長は、なだめるようにして、なるべく穏やかに訊ねてみたのだが、 「私……。私……」 メイドはうつむいて震えるばかりであった。 そして、これまた唐突に―― 「私、カエルだけはダメなんです!!」 と、甲高い声で絶叫した。 カエル? メイド長は目を丸くした。 屋敷のあちこちからぴょいこら、ぴょんとカエルが這い出し、使用人たちを驚かせている、という報告があったのは、そのすぐ後であった。 その後、入ったばかりのメイドは、逃げ出すようにして屋敷から出ていってしまった。 (またか……) メイド長は頭を押さえ、舌打ちをした。 このようなふざけた事態を引き起こした犯人は大よそ見当がついている。 というよりも、この屋敷内では、まずその人物しかありえなかった。 カエル騒ぎが幾分おさまりを見せてから、メイド長は茶の用意をして主人の元へと向かった。 これはいつものことで、毎日特別なことがない限り、この時間にお茶を用意して主のもとへ持っていくのだ。 造りは古いが品の良い屋敷の中、日当たりの良い南側に主人の部屋はある。 「お茶の用意ができました」 扉をノックして呼びかけると、すぐに、入れ――と返事が返った。 穏やかだが、はりのあるいい声だった。 部屋の中央で、主は机に置かれたチェス盤を睨んでいた。 青い髪に、青い顎髭をたくわえた美丈夫である。 このような辺鄙な屋敷にいるよりも、王宮で玉座にでも座っているのが似合っていそうだ。 これに対して―― メイド長も美女である。 その役職に比較せず、年齢はまだ若く二十代前半ほどだが、落ちついた知性的な雰囲気をしている。 ブルネットの髪が実に奥ゆかしく、上品さを匂わせていた。 メイド長は無駄のない、ゆったりとしているようで手際の良い動きでお茶を入れ、ティーカップをチェス盤の横を置く。 青髪の美丈夫がカップを手にした時、 「ところで、旦那様」 メイド長は声をかけた。 「なんだね?」 「先ほど屋敷の中をカエルの群れがウロウロして、使用人一同大変に迷惑しております」 「なんと、それは困ったことだな。俺はこの通りチェスに夢中になって気がつかなかった」 「そのせいで入ったばかりのメイドが早々に暇乞いを申し出てきました。無理に引きとめることもできなかったので、望むようにいたしましたが」 「そうか。まあ、しょうがないな」 美丈夫は興味なさげにお茶を飲んでいる。 「もしやすると、旦那様はこの騒ぎを起こした犯人をご存知ではないかと」 「いや、知らんな。今日は朝からチェス盤にかかりきりだった」 「左様でございますか」 では、失礼をいたします、とメイド長は主人の部屋を辞した。 (面の皮の厚い……) 内心で主人に対し毒を吐きながら、メイド長は次の仕事のためきびきびと歩き出した。 メイド長は、その名をメアリといった。 この屋敷の主人、ジョゼフは正式なガリア王家の生まれであり、まがりなりも、『大公』と呼ばれる立派な身分の人間である。 年齢はすでに四十を超えているのだが、その美貌といい、たくましい見事な肉体といい、とてもそうは見えない。 今年十七になる娘がいるなど、ちょっと信じられなかった。 外見ばかりではなく、馬術は神業のような腕前であり、武術においてもとんでもない使い手であった。 また数多の楽器を玄人顔負けで弾きこなし、学問においては博覧強記の見本そのものだった。 屋敷のあちこちに飾られている絵画や彫刻――いずれも見事な出来映えの芸術品だが、これはいずれもジョゼフの手によるものである。 知る者はほとんどいないが、経済や政治方面でも抜きん出た先見の目を持っている。 並の人間であれば、一つでもいいからあやかりたいと思うだろう。 唯一にして、最大の欠点は魔法の才能がほぼゼロということだが。 しかし、メアリから言わせれば、だ……。 ジョゼフという男は天から何十と与えられた才能を無駄に浪費して省みるところがまったくない穀潰しだ。 せっかくの知恵と見識を子供じみた悪戯に注ぎ込み、諸人に迷惑をかけることに注がなくてもいい情熱を注いでいる。 むしろ、それを生きがいにしているようにさえ思えた。 あらゆる意味で無駄使いの大好きな男なのである。 金も時間も、そして知恵も知識も『無駄』にあるものだから、まったくもって始末が悪い。 小人は暇を持て余すとろくなことをしないと言うけれど、ジョゼフという男はどうでもいいところで大物なのだ。 これでは娘が愛想をつかして他国へ行ってしまうのも無理はなかった。 その娘……イザベラも、若干方向性は違うものの、父親と並び立つような穀潰しなのだが。 やたらに銃をぶっ放したがるので、危なくてしょうがない。 その標的になるのは、もっぱら領民に危害を及ぼすオーク鬼や猛獣であったのは不幸中の幸いか。 「……そういえば、今日はお嬢様のお帰りになる日だったわね」 メアリは誰言うとなく、そうつぶやいた。 若きメイド長の言葉に反応するように、風の音が窓越しに響いた。 ばさり、ばさりと羽根音がする。 屋敷の上空に、巨大なワイバーンの姿が見えた。 メアリは長い溜め息をつく。 思えば、使い魔召喚の報告として彼女が帰ってきた時は、使用人どころか領民たちはワイバーンの出現に大騒ぎをしたものだ。 無理のない話だが。 屋敷がイザベラの帰りでバタバタしているところ、メアリは急にジョゼフから呼び出しを受けた。 それは、他の何者にも決して真似出来ない、二人だけの方法によるものだった。 「お呼びでしょうか、旦那様」 「おお、すまないな、メアリ。実は、ちょっと雑用を頼みたいのだよ」 と、ジョゼフは書状らしきものを読みながら苦笑した。 「なんでしょうか……。あ、ご存知かもしれませんが、先ほどお嬢様がお帰りになられました」 「そうらしいな。おお、ちょうどいい、イザベラにも手伝わせてかまわん。あいつのワイバーンならすぐだろう」 「……」 主がこんな言いかたをする時は、大抵が面倒ごとだ。 メアリは溜め息をついた。 それと同時に、彼女の額に複数の文字が現れ、発光し出した。 言葉にすると、それは、ミョズニトニルンと読める。 ジョゼフの簡単な説明によれば、早い話、領内でゴタゴタがあり、何とかしてくれと領民たちが言っている……ということだった。 「で、それをどうにかしてこいというのですね?」 「そうだよ」 「……わかりました」 メアリはうなずいて、主のもとを辞した。 部屋を出る時には額のルーンは消えていた。 額のルーンは、普段は身につけたマジック・アイテムで見えないようにしている。 メアリ。正確には、メアリ・シュヴァリエ・ド・バンクス。 メアリがジョゼフによって、はるかイギリスからこのハルケギニアに召喚されたのは今より数年前のこと。 ただのメイドでしかなかった少女は、いまや魔法の世界で騎士の称号を得ている。 といって、表向きの仕事はイギリスにいた頃とそう変わらなかったけれど。 (世の中って、わからないわね……) メアリは我が運命の不思議さに嘆息するばかり。 だが、トリステインに自分と同じような境遇の、メイドの使い魔がいるなどということは……。 知恵の塊、神の本と呼ばれる力を得たメアリもまだ知る由はなかった。