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「とある魔術の使い魔と主-44」(2009/10/11 (日) 16:12:13) の最新版変更点
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「はあ……今日も疲れたわ……」
アンリエッタは立つ事さえも疲れるのだろうか、倒れこむようにベッドへと体を預けた。衣服は既に脱いでおり、身を纏う物は一枚の薄着だけ。
女王陛下専用のベッドは最高級であるため、なるほど、疲れた分だけ心地よく感じる。
ここは、本来亡き父の部屋であった。しかし、女王に変わったからには、という理由で今はアンリエッタの部屋である。
このまま睡魔に襲われて、夢の世界へとおさらばしてもいいのだが、起きている間に少し裕福な時間を過ごしたい。アンリエッタは怠そうに起き上がると、そのままベッドの横にあるテーブルに近づく。
小さなテーブルに相応しい物がそこには置いてあった。ワインとグラスである。
アンリエッタの楽しみといったらこれしかない。たとえあまりよろしくない行為であったとしても、それが彼女を止める理由にはならなかった。
毎回毎回、全ての決議を承認するのはアンリエッタである。たとえそれがほぼ決まっている状態でも、心身共に疲れる作業であった。
ましてや今は戦時中、他の国との外交にも全力を注がなければならない。いくら枢機卿マザリーニの助けがあったとしても、多少軽減されるだけであって、疲れる事には変わらない。
そう、たとえ飾りの王とはいえ、飾りなりの責任はつねに負っているのであった。
まだ王女のままでいたかったアンリエッタは、その重圧をいまだ扱いかねていた。
ふぁ、と小さな欠伸をかいて、ワインとグラスに手を伸ばす。息抜きという名の飲酒が、彼女には必要なのである。
壜をとり、中身をグラスに注ぐと、躊躇いもなくそれを一気に飲み干す。
女王になってからは、毎日がこうであった。もしお付の女官や侍従に見られたら、間違いなく取り上げられてしまう。だから、こうして一人っきりになれるこの時間に飲むのだ。
もう一杯飲もうと再び注ぐ。と、頭がふらふらとしてきた。
「飲み過ぎ……ではないわね」
とろんとした眼差しでワインのラベルを見る。普段とは変わらないのだが……、いつも以上に疲れてる証拠なのだろうか?
アンリエッタは杖を使ってルーンの文字を紡ぐ。すると、杖先から水が溢れ出て来た。水蒸気を液体に戻す、『水』系統の初歩魔法である。
あっという間に、水はグラスの許容量を越えて零れ落ちる。とっとっ……、とアンリエッタは慌てて杖先から溢れる水を、蛇口を捻ったかのようにピタッと止めた。
そして、グイッと再び一気に飲み干す。プハーッ、口を拭う。
この時間だけ、女王ではなく一人の女の子となるのだ。普段は見せられない態度も、ここでは平気で取れる。そんな時間であった。
あまり飲み過ぎるのも体に悪い。グラスをテーブルに戻したアンリエッタは、ベッドに再び倒れ込む。
「なんで……」
いつもと同じように酔い、いつもと同じ思い出を頭に浮かべる。
一番楽しかった日々、一番輝いていた日々。
何事にも囚われず、自由に過ごせた十四歳の夏。
それは短かった。彼女の生きてきた中では本当にごく僅かであった。
しかし、それは彼女の中ではとても大きい、絶対に忘れる事のない時間でもあった。
「どうしてあなたはあのときおっしゃってくれなかったの?」
それでも、たった一つだけ悔やまれた。
愛する人に言われて欲しいあの言葉を、彼は最後の最後まで言ってくれなかった。
どれだけ不思議に思ったのだろうか? どれだけ理由を聞きたいと思ったのだろうか?
誰も答えられない。
この事を知ってるのはアンリエッタと……彼だけ。
そしてその彼はもういないのだ。この世のどこにも、いない。
その事実が深くのしかかってくる。理屈ではわかっていても、感情が言うことを聞いてくれない。
もう二度と見れないあの笑顔、もう二度と戻れないあの日々。
途端、
少女の涙腺から透明な雫が伝った。
「あ……れ……?」
なんで涙を流したのだろう。明日の朝は早く、大事な日である。
ゲルマニアの大使との折衝が控えてある。このような戦争を早く終えたいアンリエッタは、大事な折衝なのだ。
そんな大事な時に涙で濡れてしまった顔を見せないと決心したではないか。たとえあの日々を思い出したとしても、今日は涙を零さないと決心したではないか!
それなのに、流してしまった。
それだけ悲しかったのだ。それだけ、辛かったのだ。
たとえどれだけ弱いところを見せないようにしても、心は素直に自分に語ってくれる。
たった、それだけの話であった。
このままではよくないと感じたのか、アンリエッタは酔い潰れようと思い、再びワインに手を伸ばそうとした。
同時、扉がノックされた。
こんな夜遅くに何の用事であろう。慌てている様子はないので、重要な用件ではない。
ならば、寝たふりをしてそのまま去るまで待つのもいいが、それはアンリエッタにとって後味が悪い。
仕方なくガウンを羽織ると、ベッドの上から尋ねた。
「誰ですか? こんな夜中に」
「ぼくだ」
瞬間、アンリエッタの脳が完全に覚醒した。
しかし、
「飲みすぎたみたいね。いやだわ、こんなはっきりと幻聴が聞こえるなんて……」
わかっている。こんな事はありえないのだ。
そう、ありえないはずだ。
落ち着かせるため、アンリエッタは胸に手を当てる。しかし、心臓の鼓動はいつも以上に早く、小刻みに震え続けた。
「ぼくだよアンリエッタ。この扉を開けてくれ」
アンリエッタの呼吸が激しくなる。期待が身体を支配していく。
「ウェールズさま? 嘘。あなたは裏切り者の手にかかったはずじゃ……」
少女は扉へと駆け寄り、震える声で呟いた。
『――怪しいものじゃない。散歩をしているだけだ。きみこそこんな夜更けにどうして水浴びなんかしているんだ?』
「それは間違いだ。こうしてぼくは生きている」
信じられない。思い出の中で、しかもう聞く事のできないはずの声が、
今、目の前で聞こえてくる。
『――ぼくだよアンリエッタ! ウェールズだ。アルビオンのウェールズだ。きみの従兄弟だよ!』
「嘘よ。嘘。どうして」
それでも、少女は否定する。
この扉の向こう側にいる人間が、少女は別人だと思いたい。
この扉の向こう側にいる人間が、少女はあの人だと信じたくない。
『――驚かせるつもりはなかったんだ。ただ、散歩していら水音がして……、行ってみれば誰かが水浴びしてるじゃないか。ごめん。じっと見入ってしまった』
「ぼくは落ち延びたんだ。死んだのは……、ぼくの影武者だ」
しかし、声を聞けば聞くほど、否定する材料がなくなってくる。
彼の言葉は魔法がかかっているかのように優しく、また安心を与える感じであった。
『――きみはもっと美しい。水の精霊より美しい』
「そんな……。こうして風のルビーだって……」
少女は、自分の指に嵌めたウェールズの形見である指輪を確かめた。間違いない。これは確かに本物だ。
『――じょ、冗談なんかじゃない! きみ、ぼくは王子だよ。嘘をついたことは一度もない! ほんとにそう思ったんだ!』
「敵を欺くには、まず味方からというだろう? まあ信じられないのも無理はない。ではぼくがぼくだという証拠を聞かせよう」
そうだ。証拠を出せばいいのだ。それなら、この人が別人だとわかる。
わかるはずなんだ!
少女は待つ。たとえ何時間であろうとも、彼の言葉を聞くまで待ち続ける覚悟で。
『――風吹く夜に』
「風吹く夜に」
心から聞こえてくる声と、耳から聞こえてくる声が、一致した。
なかった。少女を止める理由など、もう存在しなかった。
少女はこみ上がる涙を気にせずに、扉を開け放つ。
何度も見たいと願ったその人が、
何度も見たいと願ったその笑顔が、
そこには、いた。
『――きみが好きだ。アンリエッタ』
「ああ、ウェールズさま……、よくぞ……ご無事で…………」
涙が言葉を発するのを邪魔する。ならばと思い、アンリエッタはウェールズの胸に飛びついた。
「相変わらずだねアンリエッタ。なんて泣き虫なんだね」
ウェールズは、涙を流しているアンリエッタの頭を優しく撫でた。
「だって、てっきりあなたは死んだものと……。どうしてもっと早くにいらしてくださらなかったの?」
「敗戦のあと、巡洋艦に乗って落ち延びたんだ。敵に居場所を知られてはいけないからずっと隠れてたんだよ。大変だったさ、きみが一人でいる時間を調べるのにね。まさか昼間に謁見待合室に並ぶわけにはいかないだろう?」
ウェールズはニコッ、と悪ガキ少年のように笑う。
「昔と変わらず意地悪ね。どんなにわたしが悲しんだが……、寂しい想いをしたか、あなたにはわからないでしょうね」
「そんなことはないさ。わかるからこそこうやって迎えにきたんじゃないか」
ウェールズの一言一言が優しく包みこむ。返事をするのを忘れて、しばらくこのまま抱きしめあった。
「遠慮なさらずに、この城にいらしてくださいな。今のアルビオンにはこちらへ攻め込む力はありませんわ。この城はハルケギニアのどこよりも安全。敵はウェールズさまに指一本触れることはできませんわ」
「すまないが、それはできないんだ」
「どうするおつもりなの?」
アンリエッタは首を傾げる。
「ぼくはアルビオンに帰らなくちゃならない」
「何を言っているのですか!? 今の命を捨てるだけではないですか!」
「それでも、行かなくちゃならないんだ。アルビオンを、レコン・キスタの手から解放しなくちゃならないんだ」
「冗談……にしてはちょっと笑えないですわ」
「冗談なんかじゃない。それが理由で今日きみを迎えに来たんだ」
「わたし、ですか?」
「そうだ。アルビオンを解放するにはきみの力が必要不可欠なんだ。国内には仲間がいるが……、やはり信頼できる人が少ない。いっしょに来てくれるかね?」
「それは……できることならそうしたいのですが、わたくしはもう女王なのです。国と民が肩にのっている限り、ウェールズ様と一緒には行けませんわ」
ごめんなさい、と頭を下げる。
しかし、ウェールズは諦めきれないのか、ガシッとアンリエッタの肩を掴んだ。
「無理は承知の上だ。でも、解放には……勝利にはきみが必要なんだ。敗戦の中で気付いたのさ、アルビオンとぼくには『聖女』が必要なんだよ!」
どうするべきなのだろう、と思う。愛しい人に必要とされている。それだけでもう、アンリエッタは頷きたいくらいだ。
でも、女王である自分に勝手な真似はできない。
女王として断るべきか、愛する者としてついていくか、
この場合、女王としての立場をアンリエッタは優先した。
「これ以上わたくしを困らせないでくださいまし。お待ちください。今、人をやってお部屋を用意いたしますわ。このことは明日また――」
「ダメだ。明日じゃ間に合わないんだ」
ウェールズはアンリエッタの言葉に割り込み、首を振る。
「愛してる、アンリエッタ。だからぼくといっしょに来てくれ」
そういうと、ウェールズはアンリエッタと唇を重ねた。
なにかを言おうとしたが、唇が塞がれて喋れない。
今まで言ってくれなかった言葉をウェールズの口から聞けた。それだけでも幸せなのに、キスまでときたのだ。
だから、アンリエッタにウェールズが魔法をかけた事に気がつかなかった。
ゆっくりと、少女は深い眠りの世界へと落ちていった。
#navi(とある魔術の使い魔と主)
「はあ……今日も疲れたわ……」
アンリエッタは立つ事さえも疲れるのだろうか、倒れこむようにベッドへと体を預けた。衣服は既に脱いでおり、身を纏う物は一枚の薄着だけ。
女王陛下専用のベッドは最高級であるため、なるほど、疲れた分だけ心地よく感じる。
ここは、本来亡き父の部屋であった。しかし、女王に変わったからには、という理由で今はアンリエッタの部屋である。
このまま睡魔に襲われて、夢の世界へとおさらばしてもいいのだが、起きている間に少し裕福な時間を過ごしたい。アンリエッタは怠そうに起き上がると、そのままベッドの横にあるテーブルに近づく。
小さなテーブルに相応しい物がそこには置いてあった。ワインとグラスである。
アンリエッタの楽しみといったらこれしかない。たとえあまりよろしくない行為であったとしても、それが彼女を止める理由にはならなかった。
毎回毎回、全ての決議を承認するのはアンリエッタである。たとえそれがほぼ決まっている状態でも、心身共に疲れる作業であった。
ましてや今は戦時中、他の国との外交にも全力を注がなければならない。いくら枢機卿マザリーニの助けがあったとしても、多少軽減されるだけであって、疲れる事には変わらない。
そう、たとえ飾りの王とはいえ、飾りなりの責任はつねに負っているのであった。
まだ王女のままでいたかったアンリエッタは、その重圧をいまだ扱いかねていた。
ふぁ、と小さな欠伸をかいて、ワインとグラスに手を伸ばす。息抜きという名の飲酒が、彼女には必要なのである。
壜をとり、中身をグラスに注ぐと、躊躇いもなくそれを一気に飲み干す。
女王になってからは、毎日がこうであった。もしお付の女官や侍従に見られたら、間違いなく取り上げられてしまう。だから、こうして一人っきりになれるこの時間に飲むのだ。
もう一杯飲もうと再び注ぐ。と、頭がふらふらとしてきた。
「飲み過ぎ……ではないわね」
とろんとした眼差しでワインのラベルを見る。普段とは変わらないのだが……、いつも以上に疲れてる証拠なのだろうか?
アンリエッタは杖を使ってルーンの文字を紡ぐ。すると、杖先から水が溢れ出て来た。水蒸気を液体に戻す、『水』系統の初歩魔法である。
あっという間に、水はグラスの許容量を越えて零れ落ちる。とっとっ……、とアンリエッタは慌てて杖先から溢れる水を、蛇口を捻ったかのようにピタッと止めた。
そして、グイッと再び一気に飲み干す。プハーッ、口を拭う。
この時間だけ、女王ではなく一人の女の子となるのだ。普段は見せられない態度も、ここでは平気で取れる。そんな時間であった。
あまり飲み過ぎるのも体に悪い。グラスをテーブルに戻したアンリエッタは、ベッドに再び倒れ込む。
「なんで……」
いつもと同じように酔い、いつもと同じ思い出を頭に浮かべる。
一番楽しかった日々、一番輝いていた日々。
何事にも囚われず、自由に過ごせた十四歳の夏。
それは短かった。彼女の生きてきた中では本当にごく僅かであった。
しかし、それは彼女の中ではとても大きい、絶対に忘れる事のない時間でもあった。
「どうしてあなたはあのときおっしゃってくれなかったの?」
それでも、たった一つだけ悔やまれた。
愛する人に言われて欲しいあの言葉を、彼は最後の最後まで言ってくれなかった。
どれだけ不思議に思ったのだろうか? どれだけ理由を聞きたいと思ったのだろうか?
誰も答えられない。
この事を知ってるのはアンリエッタと……彼だけ。
そしてその彼はもういないのだ。この世のどこにも、いない。
その事実が深くのしかかってくる。理屈ではわかっていても、感情が言うことを聞いてくれない。
もう二度と見れないあの笑顔、もう二度と戻れないあの日々。
途端、
少女の涙腺から透明な雫が伝った。
「あ……れ……?」
なんで涙を流したのだろう。明日の朝は早く、大事な日である。
ゲルマニアの大使との折衝が控えてある。このような戦争を早く終えたいアンリエッタは、大事な折衝なのだ。
そんな大事な時に涙で濡れてしまった顔を見せないと決心したではないか。たとえあの日々を思い出したとしても、今日は涙を零さないと決心したではないか!
それなのに、流してしまった。
それだけ悲しかったのだ。それだけ、辛かったのだ。
たとえどれだけ弱いところを見せないようにしても、心は素直に自分に語ってくれる。
たった、それだけの話であった。
このままではよくないと感じたのか、アンリエッタは酔い潰れようと思い、再びワインに手を伸ばそうとした。
同時、扉がノックされた。
こんな夜遅くに何の用事であろう。慌てている様子はないので、重要な用件ではない。
ならば、寝たふりをしてそのまま去るまで待つのもいいが、それはアンリエッタにとって後味が悪い。
仕方なくガウンを羽織ると、ベッドの上から尋ねた。
「誰ですか? こんな夜中に」
「ぼくだ」
瞬間、アンリエッタの脳が完全に覚醒した。
しかし、
「飲みすぎたみたいね。いやだわ、こんなはっきりと幻聴が聞こえるなんて……」
わかっている。こんな事はありえないのだ。
そう、ありえないはずだ。
落ち着かせるため、アンリエッタは胸に手を当てる。しかし、心臓の鼓動はいつも以上に早く、小刻みに震え続けた。
「ぼくだよアンリエッタ。この扉を開けてくれ」
アンリエッタの呼吸が激しくなる。期待が身体を支配していく。
「ウェールズさま? 嘘。あなたは裏切り者の手にかかったはずじゃ……」
少女は扉へと駆け寄り、震える声で呟いた。
『――怪しいものじゃない。散歩をしているだけだ。きみこそこんな夜更けにどうして水浴びなんかしているんだ?』
「それは間違いだ。こうしてぼくは生きている」
信じられない。思い出の中で、しかもう聞く事のできないはずの声が、
今、目の前で聞こえてくる。
『――ぼくだよアンリエッタ! ウェールズだ。アルビオンのウェールズだ。きみの従兄弟だよ!』
「嘘よ。嘘。どうして」
それでも、少女は否定する。
この扉の向こう側にいる人間が、少女は別人だと思いたい。
この扉の向こう側にいる人間が、少女はあの人だと信じたくない。
『――驚かせるつもりはなかったんだ。ただ、散歩していら水音がして……、行ってみれば誰かが水浴びしてるじゃないか。ごめん。じっと見入ってしまった』
「ぼくは落ち延びたんだ。死んだのは……、ぼくの影武者だ」
しかし、声を聞けば聞くほど、否定する材料がなくなってくる。
彼の言葉は魔法がかかっているかのように優しく、また安心を与える感じであった。
『――きみはもっと美しい。水の精霊より美しい』
「そんな……。こうして風のルビーだって……」
少女は、自分の指に嵌めたウェールズの形見である指輪を確かめた。間違いない。これは確かに本物だ。
『――じょ、冗談なんかじゃない! きみ、ぼくは王子だよ。嘘をついたことは一度もない! ほんとにそう思ったんだ!』
「敵を欺くには、まず味方からというだろう? まあ信じられないのも無理はない。ではぼくがぼくだという証拠を聞かせよう」
そうだ。証拠を出せばいいのだ。それなら、この人が別人だとわかる。
わかるはずなんだ!
少女は待つ。たとえ何時間であろうとも、彼の言葉を聞くまで待ち続ける覚悟で。
『――風吹く夜に』
「風吹く夜に」
心から聞こえてくる声と、耳から聞こえてくる声が、一致した。
なかった。少女を止める理由など、もう存在しなかった。
少女はこみ上がる涙を気にせずに、扉を開け放つ。
何度も見たいと願ったその人が、
何度も見たいと願ったその笑顔が、
そこには、いた。
『――きみが好きだ。アンリエッタ』
「ああ、ウェールズさま……、よくぞ……ご無事で…………」
涙が言葉を発するのを邪魔する。ならばと思い、アンリエッタはウェールズの胸に飛びついた。
「相変わらずだねアンリエッタ。なんて泣き虫なんだね」
ウェールズは、涙を流しているアンリエッタの頭を優しく撫でた。
「だって、てっきりあなたは死んだものと……。どうしてもっと早くにいらしてくださらなかったの?」
「敗戦のあと、巡洋艦に乗って落ち延びたんだ。敵に居場所を知られてはいけないからずっと隠れてたんだよ。大変だったさ、きみが一人でいる時間を調べるのにね。まさか昼間に謁見待合室に並ぶわけにはいかないだろう?」
ウェールズはニコッ、と悪ガキ少年のように笑う。
「昔と変わらず意地悪ね。どんなにわたしが悲しんだが……、寂しい想いをしたか、あなたにはわからないでしょうね」
「そんなことはないさ。わかるからこそこうやって迎えにきたんじゃないか」
ウェールズの一言一言が優しく包みこむ。返事をするのを忘れて、しばらくこのまま抱きしめあった。
「遠慮なさらずに、この城にいらしてくださいな。今のアルビオンにはこちらへ攻め込む力はありませんわ。この城はハルケギニアのどこよりも安全。敵はウェールズさまに指一本触れることはできませんわ」
「すまないが、それはできないんだ」
「どうするおつもりなの?」
アンリエッタは首を傾げる。
「ぼくはアルビオンに帰らなくちゃならない」
「何を言っているのですか!? 今の命を捨てるだけではないですか!」
「それでも、行かなくちゃならないんだ。アルビオンを、レコン・キスタの手から解放しなくちゃならないんだ」
「冗談……にしてはちょっと笑えないですわ」
「冗談なんかじゃない。それが理由で今日きみを迎えに来たんだ」
「わたし、ですか?」
「そうだ。アルビオンを解放するにはきみの力が必要不可欠なんだ。国内には仲間がいるが……、やはり信頼できる人が少ない。いっしょに来てくれるかね?」
「それは……できることならそうしたいのですが、わたくしはもう女王なのです。国と民が肩にのっている限り、ウェールズ様と一緒には行けませんわ」
ごめんなさい、と頭を下げる。
しかし、ウェールズは諦めきれないのか、ガシッとアンリエッタの肩を掴んだ。
「無理は承知の上だ。でも、解放には……勝利にはきみが必要なんだ。敗戦の中で気付いたのさ、アルビオンとぼくには『聖女』が必要なんだよ!」
どうするべきなのだろう、と思う。愛しい人に必要とされている。それだけでもう、アンリエッタは頷きたいくらいだ。
でも、女王である自分に勝手な真似はできない。
女王として断るべきか、愛する者としてついていくか、
この場合、女王としての立場をアンリエッタは優先した。
「これ以上わたくしを困らせないでくださいまし。お待ちください。今、人をやってお部屋を用意いたしますわ。このことは明日また――」
「ダメだ。明日じゃ間に合わないんだ」
ウェールズはアンリエッタの言葉に割り込み、首を振る。
「愛してる、アンリエッタ。だからぼくといっしょに来てくれ」
そういうと、ウェールズはアンリエッタと唇を重ねた。
なにかを言おうとしたが、唇が塞がれて喋れない。
今まで言ってくれなかった言葉をウェールズの口から聞けた。それだけでも幸せなのに、キスまでときたのだ。
だから、アンリエッタにウェールズが魔法をかけた事に気がつかなかった。
ゆっくりと、少女は深い眠りの世界へと落ちていった。
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