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「ふむ。その噂が真であるならば非常に困った事になるのう。しかし、当人に如何にしてそれを伝えるべきか……」
本塔最上階にある学院長室で、ミス・ロングビルは学院長のオールド・オスマンに、ルイズの召喚した使い魔とロマリアで起きた聖堂騎士大量殺戮事件との関連性を語っていた。
粗方聞き終わったオスマン氏は神経質そうに髭を弄りながら今後の対策を語り出す。
「いずれにしてもじゃ、ミス・ヴァリエールが召喚した生き物がロマリアで事件を起こした生き物と同種であるという確たる物証は今のところ一つとしてない。
あるのは噂という不確定性極まりない状況証拠のみじゃ。ただそれだけの理由で神聖な儀式によって召喚された個人の使い魔を殺処分するなぞ言語道断にして愚の骨頂じゃ。」
「しかしオールド・オスマン。火竜はどのような環境でどう育てようと火竜のままです。今回の事態はそれと同じだと思うのですが……」
「時として虫も殺さぬほどに大人しい火竜が生まれる事もあるそうじゃが、君はそういった事例を知らんかね?確立に賭けるのであれば、わしは少しでも自分に希望を生み出すほうに私財を賭ける性格なのでな。
もし暴れてロマリアの一件と同じ事が起きるのであれば、その時はその使い魔を殺すまでじゃが、仮にその前に同種の生き物であるとの事実確認がなされた際には、何らかの予防策を講じ遂行すれば良い。
我々は人間じゃ。困難に遭遇した際、早々と諦めて何もせずに逃げる諸動物とは違うのじゃ。試行錯誤し、物を作り出し、自分の力以上の物に進んで立ち向かう。それが人間じゃ。
ミスタ・コルベール、ミスタ・エラブル、そしてミス・ロングビル。生徒の上に立つ教師が、かように短絡的な結論しか出せないのでは困るぞい。
それとミス・ロングビル。ミス・ヴァリエールの使い魔がそんなに危険というのであれば、ロマリアの噂話を精査し、似顔絵の一つや二つでも描いて実地調査を行うことじゃ。
それからミスタ・エラブル。君は確か任期満了に近かったかの?」
エラブル氏はコルベール氏と同い年ぐらいではあったが魔法生物学の任期である十五年が後三日で来るといった状況だった。エラブル氏は少し残念そうに「はい」と短く答える。
「安心せい。ミスタ・コルベール、君はミスタ・エラブルの代わりに使い魔の動向と生態を観察し、気になる事があったら逐一漏らさずノートに書き留めておくようにしたらどうかね?」
コルベール氏は、「成程。ミス・ロングビルとの行動とも連動出来る。」と考え「ははあ」と深く頭を下げる。ついでに今度はコルベール氏が質問をした。
「して学院長。この一件、王宮やアカデミーに報告するのですか?」
次の瞬間、彼はそんな質問をしなければ良かったと酷く後悔した。オスマン氏が冷ややかな目と声でその質問に的確な答え方をしたからだ。
「王宮に報告して何とする?ロマリアの一件が事実だと分かったら、暇を持て余した貴族連中にとってこれほど都合の良い戦争道具はありゃせんぞ。
アカデミーなぞ尚更拙い。どんな実験をされる事になるやら分かったものではないからの。君とて生徒の悲しむ顔というものは見たくあるまい?」
コルベール氏は気弱そうに「はあ」と言ったきり黙ってしまったが、内心はオスマン氏の深謀にいたく感心していた。
これでセクハラ癖さえなければ完璧なのだが。まあ人は誰でも短所というものを持ちうるものである。
「ともかくこの件に関しては短いようじゃがこれで終わりとする。ミス・ヴァリエールにはくれぐれも噂を悟られんように伝えるのじゃぞ。」
オスマン氏の厳命に、三人は気を引き締めた返事で対応した。
ルイズは寮内にあるトイレの前で困っていた。どう困っていたかというと使い魔の少女、サフィーの扱いに困っていたのである。
別にサフィーが面倒事を引き起こしたわけではない。ルイズはこれまでの人生において、当然ながら子育てという物を全くしたことが無かったので、今後どうすればいいかさっぱり見当がつかないのだ。
まず自分の名前と主人の名前をおぼろげながらも言えるようになった。それは人間の基準に照らし合わせて考えれば信じられないほどの早さであった。
しかしサフィーは亜人である。そういった事は人間の域に止まらないのかもしれない。
取り敢えず、次に覚えさせるは日常生活における身の回りの変化に自分で対応させていくという事だ。
部屋の中でルイズが徐にサフィーのスカートを捲くってみると、誰かは分からないが急にもよおす事になっても困らないように、きちんと処置が施されていた。
だが早くこれを外せるようにならないと、後々嫌な噂を立てられることになるだろう。
この際使い魔としての責務とかは後回しにしたって問題は無い。まずは日常生活で困らない程度に基本的な事は覚えさせておかねばならない。それにこのくらいの事は他の者もやっていることだろう。
そういった経緯でここまでやって来たのだが、厄介な事に名前を言う時以外では、サフィーは基本的に「みゅう」しか言わない、というか言えない。
理解したのかしていないのかも分からない、全くの手探り状態で始めることにルイズは不安を感じていた時、後ろからコルベール氏の声がかかった。
「ミス・ヴァリエール!こちらにいましたか!」
「ミスタ・コルベール……あの何か私に御用ですか?」
「実は君の使い魔についてなんだが……今、少しでも時間は取れますかね?」
「え?ええ、少しなら構いませんけど。何かサフィーについて分かった事があるんですか?」
サフィー?ああ、使い魔の名前ですかと思ってコルベール氏はルイズの使い魔を見やる。
すると亜人の少女はびくっと大きく震えてルイズの後ろにさっと隠れた。どうやらとんでもなく人見知りの激しい性格のようである。
「ははどうやら私はその子に嫌われてしまったようですな。」
「すみません。でも多分サフィーは時間をかけて接しないと相手に心を開かないみたいなんです。実際に私も最初は怖がられましたから。」
「そうなのか……君もいろいろと大変なのですな。さてミス・ヴァリエール。話があるのはその亜人についてなのですが……」
その瞬間にルイズの表情に墨のような暗く黒い影がさっと走った。部屋にいる時にちらとでも疑った事がもし本当になるのだとしたら暗澹たる気持ちになったからだ。
ルイズは一言一句を確かめるように話し出す。
「ミスタ・コルベール。サフィーはその、亜人は亜人でも何の亜人なのかは分からないんですね?」
「え?ううむ、確かにどの書籍にもミス・サフィーと同じ特徴を持つ生物は載っていなかった。学院長もご存知ではないそうです。」
「じゃあ、人の手に負えない生き物だとか、災いをもたらすような生き物ではないんですね?」
「まあ、それに関しては未だ調査中です。断定的に言える事は今のところ何もありませんよ。だからあんし……」
「もしそうならサフィーは殺されちゃう。そんなの駄目よ。私にとって魔法が成功した証、いいえ!私の大事な大事な使い魔なのよ!」
「もし?ミス・ヴァリエール?」
心配するミスタ・コルベールを余所にルイズはサフィーをひしと抱きしめて囁くように言った。
「大丈夫よ、サフィー。世界中の人達があなたを狙っても私だけは守ってあげる。怖がらなくてもいいの。私が……命にかけても守るから……」
「ミス・ヴァリエール!」
遠のきかけていたルイズの意識は、そこで一瞬にして戻って来た。
傍にいるサフィーを見ると最初の時と同じ様に酷く脅えていた。まるで雨の日に外へ捨てられた犬の様だと言えば妥当だろうか。
ルイズが落ち着きを取り戻したのを確かめたコルベール氏は溜め息一つ吐いて対応する。
「我々はミス・サフィーを殺すような事はしません。ええ、始祖ブリミルに誓っても良いくらいです。
ただこれまで確認された事の無い亜人ですので、宜しければ我々がミス・サフィーの動向や生態といった物を調査するのに協力していただけないかと。」
その依頼にルイズは少し考え込んでしまう。
それはつまり、サフィーが毎日何時に起きて何時に眠るかとか、何を食べたり、見知らぬ事物についてどんな反応を示すかというのを逐一観察される、或いは自分が先生に報告するという趣旨の物であるという事だ。
大まかな所は教えてもいいが、どこと無く自分の生活におけるプライベートな内容がばれそうになるのが怖い。それに正直言えばそういう事は女の先生に切り出してほしい物だ。
「コルベール先生。調べる人を変えさせてもらうわけにはいかないでしょうか?」
「調べる人?ああ、確かに私では君達も気まずいという事だね。では、ミセス・シュヴルーズあたりに手配してみよう。
彼女なら女性としてきちんと対応してくれるだろうし、君がもしミス・サフィーを養育するにあたって困った事が出てきた時に何かと相談に乗ってくれるかもしれませんしね。」
それの方がよっぽど有り難い。ルイズは小さく「それで良いです。」と答え、ほっとした様に一息を吐く。
「ところでミス・ヴァリエール。もう夜も遅いですよ。消灯時間も近付いているのに何をしてたんですか?」
随分とデリカシーの無い質問ね、とルイズは呟きかけた。
いくら彼もある程度の経緯は知らないとはいえ、この場所、トイレの前で女が二人、しかも片方はまるっきし赤ん坊の様な振る舞いしか出来ないときたら、これから何をするのか察してさっさと退散してくれたっていいじゃないか。
だがそんな感情はおくびにも出さず、ルイズはコルベール氏に悪い印象を与えないようあくまでにこやかに応対する。
「サフィーはまだ日常生活が出来ないんです。だから私が手伝って、それから慣れさせて一日も早く立派な使い魔にしないといけないんです!」
「そうか……なるほど、人並みの知能を持った亜人にとって、主人が率先してやるべき動作を教えるというのは良い教育方法です。
良い心がけですね。感心しますよ。ですがそういうものには大抵思わぬ落とし穴が待っているものですよ。」
「どういう事ですか?」
「急がず焦らずじっくり挑んだ方が良いという時もあるということです。
子供が成長することは、親にとってこれ異常ないほどの喜びであることは古今東西変わりはありませんが、あまりにあれもこれもと詰め込もうとすると、子供はパニックを起こして親に反抗するようになってしまうものです。
それにあの人の子供で何々がうまくいったから自分も、と思い違いをして功を焦ろうとすると上手くいかない、という時もあります。要は自分流を模索しながら気長にやってみる事です。
あー……練習もいいですけど、明日の生活に支障が無い程度にしておきなさい。それじゃ、お休み。」
コルベール氏は踵を返し寮塔から出て行った。
ルイズは暫くの間ぼうっとそこに立ちつくしていたが、傍で自分の服を引っ張るサフィーに気づき直ぐに元に戻った。
「ごめんね、サフィー。さ、練習しましょうか。」
同じ頃、ロマリアの大聖堂の巨大な一室では、一人の男性が鬼気迫る表情をしている拘束された少女に対しとある術をかけていた。
厳密に言えばそれは人間の少女とは違う。なぜならば彼女は頭に一対の角を持っていたからだ。
『ナウシド・イサ・エイワーズ・ハガラズ・ユル・ベオグ……』
まるで詩を詠うかのように美しく繊細な声が部屋いっぱいに反響する。
『ニード・イス・アルジーズ・ベルカナ・マン・ラグー!』
声が一頻り大きく響き、部屋の空気が陽炎の様にゆらっと揺れた後、術をかけられた少女の表情は一気にとろんと眠りそうなものになる。
そして男性は、今度は教会にある組み鐘が出すよう様な光沢のある声ではっきりと言った。
「君は今日一日何もしていない。そして君は心の内奥から聞こえてくる声を全く知らない。それが何時、そして何故起きるのか。どんな意味合いがあるのか何もかも。」
男性の言葉は、事情を知らないものが聞けば更にショッキングな物となっていく。
「君はここに来る前の事は何一つ知らない。すべて忘れている。どこでどんな人達とどんな風に過ごしたのか。何もかも。分かったかな?分かったなら『はい』とだけ返事をしたまえ。」
「はい……」
亜人の少女は虚ろな声で男性の声に答える。どう見ても一筋の疑問も持たずに。
男性はそれを見ると穏やかに微笑み、自分の配下の者に彼女を拘束から放つよう指示した。
自由の身となった少女は、生まれたての小鹿のようにふらふらと男性に向かって歩く。
それを見た男性は誰にも聞こえないよう小さく嘆息した。
「やれやれ……試験では何とか十日程は持つようになりましたが、安全のためにはまだまだこの処置を毎日続けなければならないとは……骨の折れる物ですね。」
少女は尚も前に向かって歩く。
彼女に偽りのアイデンティティーを与えた見目麗しき男性に向かって。
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