「鵜殿長持」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
鵜殿長持 - (2007/06/13 (水) 09:59:53) のソース
[[今川家]] *&ruby(ウドノナガモチ){鵜殿長持}; [#bc216232] **レベル [#c6a6a260] 60-7 **職業 [#p0b6b373] 神主 **戦闘開始時セリフ [#kbf564c0] #ref(鵜殿長持セリフ.JPG) **防衛陣 [#jfec0102] 本陣四天王 **構成 [#kf6c56ad] |~名前|~種類|~レベル|~初期付与|~使用技| |>|>|CENTER:|||c |鵜殿長持|剣神主|60|&color(gray){▲};|[[明神閃]]、[[神雷]]、嵐撃、[[武運長久]]、[[雅な唄]]、[[蘇生・壱]]| |今川武者|侍|55||[[蘇生・壱]]| |駿河の上忍|忍者|55||[[蘇生・壱]]| |駿府蹴鞠隊|陰陽|55||| |駿河山伏|薬師|55||[[蘇生・壱]]| |駿府繋忙鍛冶|鍛冶|55||| |善徳寺僧|僧|55||| **特徴詳細 [#pda82abe] [[岡部正綱]](中後陣)を倒すと5体に弱体化する。 **ドロップアイテム [#t4cad4c3] [[鵜殿の神聖着]] **列伝 [#n37b3020] 三郎、藤太郎。鵜殿長将の子。生年は不明。 鵜殿氏は藤原実方の末裔とされるが、確証はない。紀伊新宮別当の子が西ノ郡に移ったのをはじめとするが、熊野七人衆の一人の子孫であるともされ、よくわかっていない。~ しかし熊野と西ノ郡付近のつながりは吾妻鏡にもみられるとされ、つながりがあったのは間違いない。~ 神社などが多くある神ノ郷に建設した上ノ郷城を居城としていた一族である。~ なお、いつごろから今川氏の家臣となったかは不明である。 三河上ノ郷城主となり、先祖以来の同地を治めていたようであるが、経歴などはよくわかっていない。~ わかっているのは妻が今川義元の妹であるくらいである。~ 1560年の桶狭間では子である[[鵜殿長照]]とともに尾張の大高城を落とした後、1562年の徳川との上ノ郷城攻防戦で、徳川が繰り出した忍者勢によって落城。その際に殺されたとされるが定かではない(上ノ郷城攻防戦については長照の列伝を参照されたい)。~ 一説には1557年に死亡ともいわれており、よくわかっていない人物である。 **その他情報 [#m43c83fd] #comment