甲陽軍鑑
【書物】
基本性能
価値 | 重量 | 攻撃力 | 防御力 | 耐久度 |
10 | 5.2 | 10 | 3 | 10 |
命中補正 | 回避補正 | 物理耐性 | 妖術耐性 |
+2 | -- | -10 | -10 |
装備可能 | 全職 |
装備区分 | 特殊装備 |
必要Lv | 22以上 |
付与効果 | 知+8 全属性+2 |
備考
解説
武田家の軍略、戦術などを書いた作品。成立は17世紀初頭と考えられている。
著者は小幡景憲が最有力とされているが、確証はない(彼は甲斐には1度も住んでおらず、甲斐独自の表現があるこの書物を書くことは不可能という人もいる)。
小幡景憲は武田家家臣の小幡昌盛の子であり、甲州流兵学者として伝わっている。
武田家家臣の足跡をたどるときに必ずといってよいほど現れる書物であるが、実のところ明らかな間違い、ほかの資料があって初めて事実であると認識される事柄があるなど、全内容に関して逐一の検討が必要な資料であって、歴史的資料としての価値はもともと全般的に低いとされている軍記物の中でもことさら低い。
しかしながら、この甲陽軍鑑はそのような資料であるにもかかわらず書かれていることがほとんど事実として認識されてしまっているという非常に奇怪な書物である。
なぜこのようなことが起こっているかというと、江戸時代の名残である。
戦国が終わり時代が徳川の世になると、徳川家康は神聖視されるようになり、同時に彼が非常に高く評価し、なおかつ自分の軍にほぼそのまま取り入れた武田家の軍略などが非常に尊重される風潮があった。これは幕末になり西洋式の軍略が取り入れられるまで200年以上にわたって続いていた。
2004年大河ドラマ「新撰組」に甲州流軍学者として登場した実在の新撰組隊士である武田観柳斎などの人物が物語っているように、幕末にいたるまで甲州流軍学は兵法の最高峰だったのである。
そしてそのバイブルとも言うべき本がこの甲陽軍鑑だったのである。
そのため現在に至るまでこの本の内容は鵜呑みにされる傾向があり、ネット上の武田家臣の経歴にこの本から出ている内容が使われていることも多い。
しかし前述したようにこの本の内容は逐一検討が必要なほど信憑性が薄い。
特に危険なのが山本勘助、馬場信春(信房)の2人である。
この2人は甲陽軍鑑以外にはほとんど資料が残っておらず、特に山本勘助に関しては、昭和の後期まで実在すら疑われていた人物であり、その生涯も謎に包まれている。
また、この本の表向きの作者となっている高坂昌信も注意が必要である。彼は表向きの作者というこの本の性質上、エピソードが書き足されている危険性が高い。
また、ネット上でも彼が甲陽軍鑑の作者であると言い切ってしまっている文があるが、これは完全な間違いで、高坂自身が執筆した可能性は多分に低く、大本を作った可能性も薄く、作者が名を借りたという説が強い。しかしその作者も確証はなく、今後の研究が鍵を握っている。