幸せは、赤き瞳の中に ( 第14話:不幸なき明日――発憤 )
「おい、俺だ! 分からないのか! いい加減、目を覚ませ!」
左ストレートを紙一重でかわし、身をよじってハイキックを避ける。立て続けに繰り出される連打を、素早い動きでリズミカルにかわし続ける。その間にも、ウエスターは相対する相手に向かって、必死で呼びかけ続けていた。
サウラーと同じS棟出身の彼の、洗練された身のこなし。得意のハイキックも、左からの攻めが多い癖も、いつもの彼の戦い方だ。
だが、その目を見れば分かる。相手の動きをただ追っているだけの、相手がウエスターだとも分かっていないような眼差しを見れば。
(俺の言葉が、まるで届いていない。今のこいつは、俺の知ってるこいつじゃない)
ほんの数時間前。E棟にあると分かった“不幸のゲージ”を、とにかくもこちらの管理下に置くため、先発隊を送り出した時の光景を思い出した。
「大丈夫です、隊長。俺たちに任せて下さい」
隊列の先頭に立ち、仲間たちをぐるりと見渡してから、誇らしげに言い切った彼の言葉が耳に残っている。
「おう。何かあったら、必ず連絡しろよ」
「隊長も、気を付けて下さいよ」
そんなことを言い合って、屈託のない笑顔を見せた彼の姿も、鮮やかに脳裏に蘇る。
(ええい……。あの時のこいつは、どこへ行った!)
連打のリズムが、突然変わった。それに身体の方が反応して、ウエスターはハッと物思いから覚める。その途端、熱いものが右の脇腹を走った。相手の渾身の蹴りが、僅かにかすめたのだ。
「っく……!」
顔をしかめながら、後ろに跳んで距離を取る。すぐさま間合いを詰め、顔面を打ち抜こうとする容赦のない攻撃を、両腕を交差して受け止める。
今度は軸足を払おうとするローキック。流れるような連続攻撃だが、ウエスターは決して反撃しない。ただひたすらに、避ける。挫く。跳ね返す。
そんなことを繰り返すたびに、腹の底からじわりと哀しみが溢れ出す。
そのガラス玉のような瞳を見つめるたびに、哀しみと一緒にどす黒い怒りが、塊になって湧き上がって来る。
「うおぉぉぉぉっ!」
胸の中へとせり上がって来た塊が、ついに咆哮となって迸った。それと同時に唸りを上げるウエスターの剛腕に、思わず身構える男。だがその拳が襲ったのは、彼ではなかった。
どーん、という衝撃音と共に、二人が立っている地面が打ち砕かれる。一拍遅れて激しい突風が巻き起こり、瓦礫を盛大に吹き飛ばした。
予想外の行動に、一歩も動けない彼が、突風に煽られてバランスを崩す。その身体をがっしりと受け止めると、ウエスターは素早くその首元に手刀を当て、とん、と軽く打った。
力無く目蓋を閉じたその顔に、ほんの一瞬、苦しそうな目を向ける。そして気を失った彼の身体を軽々と持ち上げると、建物の陰に、仲間たちと並んで寝かせた。
立ち上がったウエスターが、空を――そこに居る元の主の姿を、燃えるような瞳で見つめる。その後ろでは、サウラーが一言も言葉を発さず、ただ黙々と戦い続けていた。
幸せは、赤き瞳の中に ( 第14話:不幸なき明日――発憤 )
風に乗って空を駆け、高速で刃物を振るう。着地と同時にバラバラと降ってくるコードの切れ端。それを一瞥もせず、せつなは新たな獲物を目がけて中空高く舞い上がる。
右手に持った短い刃物――元々は老人が持っていたそれは、今やぴたりとせつなの手に馴染み、まるで彼女の身体の一部であるかのように、自在に空を切り裂き、最高速で管理の枷を断ち切り続けている。
空の中央には、かつて見慣れたメビウスの巨大な姿があって、そんな彼女を無表情で見下ろしている。だがせつなの方は、その姿を見ようとはしなかった。
(まだ間に合うはず……いいえ、間に合わせる! このラビリンスを、もう支配下になんて置かせない。もう二度と、好きにはさせない!)
心の中でそう呟きながら、まるで機械にでもなったかのような正確な反復動作で、舞い上がっては切り、また舞い上がっては切る。
そんなことをもう数十回も繰り返した頃。新たに放たれた数本のコードが、せつなの刃を逃れ、その頭上を飛んだ。
「行かせない!」
身を翻し、新たな風に乗ってコードを目指そうとする。だが、その時一本のコードが、せつなに狙いを定めて迫って来た。
咄嗟に避けたことで風を掴み損ね、がくんと高度が下がる。そんなせつなを嘲笑うかのように、さらに数本のコードが、彼女の手の届かない高度へと放たれる。
ここは一旦着地して、体勢を立て直すしかない。そうすれば、全ては無理でも数本は切り落とすことが出来るはず――悔しさに歯噛みしながら、せつながそう思った時。踊り上がった黒い影が、せつなが追っていた全てのコードを、むんずと掴んだ。
「ウエスター……」
「気を付けろ。無理をして捕まったら、元も子もない」
ボソリとそう言い捨てて、太い腕がコードの束を無造作に引きちぎる。そして再び地を蹴ると、さらに上空の離れた場所へと、遮二無二突っ込んでいく。
それは確かにいつものウエスターのスタイルだが――その姿を見て、せつなは微かに眉根を寄せた。
さっきまで、ウエスターはサウラーと二人で三十人もの精鋭たちの相手をしていた。それも、彼が心から大切にしている警察組織の仲間たちと戦っていたのだ。いくら彼が人並外れた力を持っていると言っても、その身体も、そして心も、もうとっくに限界を迎えていて不思議ではない。
「……無理しているのは、あなたなんじゃないの? ウエスター」
大きな後ろ姿を見つめて、せつながそっと呟いた、その時。不意に、風が止んだ。
耳元で轟々と鳴っていた音が突然消え去り、しんとした静けさに包まれる。
鋭い眼差しで辺りを見回すせつなの頭上を、その時、何か不穏な気配が飛び去った。
それと同時に、ズン、と腹部に響くような衝撃が走る。慌てて気配が向かった方角に視線を向けて、せつなは一瞬目を見開いてから、さらに厳しい顔つきになった。
今や黒々と姿を変えた街並みの向こうに、さっきまで無かったはずの巨大な塔がそびえ立っている。
「あれは何だ!」
「あの方角……もしかしたら、庁舎かもしれない」
着地したウエスターが、せつなの隣に立って驚きの声を上げた。それに早口で答えてから、せつながチラリと、まだ廃墟のままの建物の陰に目をやる。そこには心配そうな顔で、せつなが渡したあの球根を両手で握り締めているラブの姿があった。
せつなの視線に気づき、その表情がぐにゃりと歪む。必死で笑顔を作ろうとして、でも上手くいかなくて――そんなラブの顔を見て、せつなはグッと奥歯を噛みしめながら、辛うじて小さく頷く。目の端を、まだ気を失っている少年を抱えながら、そんなラブを守るように立ちはだかっている少女の姿がかすめた。
改めて、出現した塔の方に視線を向けようとする。その時、隣でウエスターが息を呑む気配がした。その視線の先に目をやって、せつなの目もそこに釘付けになる。
空の一角――いや、ラビリンスの空全体を覆い尽した、メビウスの巨大な姿。どんよりと灰色に染まった世界の中で、そこだけが光り輝いている。まさにこの世界の統治者、いや、まるで神であるかのように――。
(いいえ……神などでは無いわ。私たちは、もうメビウスの好きにはさせないと決めたのだから!)
両手の拳を、痛いほどにギュッと握り締めて、身体が震えそうになるのを懸命にこらえる。その時、かつて聞き慣れたものより更なる威容を伴った声が、まさに天の彼方から降るように響いて来た。
「聞け! 我が国民たちよ。私はここに蘇った。このラビリンスも再び正しい世界へと――悲しみも、争いも、不幸も無い世界へと蘇る。皆、我に従え。我が城に集い、我が新しき器を用意するのだ!」
残響が収まるにつれ、再び静寂が辺りを支配する。だが、やがてせつなとウエスターの鋭い聴覚が、新たな音を捉えた。
はじめはかすかに聞こえて来た、ザッザッという規則正しい音。それは次第に大きくなり、やがてはその音に混じって、人々の声が聞こえ始める。
全てはメビウス様のために。全てはメビウス様のために。
声も足並みも、一糸乱れぬ人々の列。無機質なビル群へと形を変えた廃墟から、さらに人の波が次々と吐き出され、その行列に加わっていく。
全てはメビウス様のために。全てはメビウス様のために。
全てはメビウス様のために。全てはメビウス様のために。
それは、かつてのラビリンスの姿そのものだった。光を宿さぬ暗い瞳の無表情な人々が、ただ決められた道を決められたとおりに歩いていく光景――。
全てはメビウス様のために。全てはメビウス様のために。
全てはメビウス様のために。全てはメビウス様のために。
全てはメビウス様のために。全てはメビウス様のために。
全てはメビウス様のために。全てはメビウス様のために。
今や大行列となった人々が向かっているのは、たった今出現した塔のある方角。そこが、メビウスが新たな居城に選んだ場所ということなのだろう。
「あ……おい、お前たち!」
ほんの一瞬、呆然とその光景を眺めていたウエスターが、不意に驚いたような声を上げた。その鼻先をかすめるようにして、男たちが次々と通り過ぎていく。
さっきウエスターとサウラーと戦って、二人に昏倒させられた警察組織の精鋭たちが目を覚まし、人々の列に加わろうとしているのだ。
「おい、待て……」
そう呼び止めようとして途中まで上がったウエスターの腕が、そこで止まった。
男たちは、ウエスターの方をまるで見ようとはしなかった。そこに彼が立っていることなど眼中に無い様子で、それが当然だと言わんばかりに、ただ列に向かって歩を進める。
その後ろ姿が、人々の長い長い行列の中に吸い込まれようとした、その時。せつなの隣で、白いマントがバサリとはためいた。
「おい! 待てと言ってるだろう!!」
「ウエスター、待って!」
せつなが止めようとしたが、遅かった。いや、止められるものでは無かっただろう。
眉間に皺を寄せた恐ろしい形相のウエスターが、人々の列に駆け寄る。そして男たちの中の一人――精鋭部隊のリーダーである若者の肩を左手で掴むと、右手を高々と振り上げた。
「ウエスター!」
「目を……覚ませ!!」
肩を掴まれた相手が、ゆっくりと振り向く。その顔に向かって振り下ろそうとしたウエスターの右手が――そこで、はたと止まった。
「……ウエスター?」
左手が、相手の肩からゆっくりと滑り落ちる。若者が何事も無かったかのように列に戻り、歩き出す。それを見送ってから、せつなは怪訝そうにウエスターの顔を覗き込んで、ハッと息を呑んだ。
その場に立ち尽くした大男は、両の拳を固く握り、ブルブルと震わせている。その目は、まるで恐ろしいものでも見たかのように大きく見開かれ、地面のただ一点を見つめていた。
(空っぽだ……。あいつの中身は――空っぽだ!)
肩を掴まれて振り返った、彼の顔。その目はウエスターの方に向けられてはいるものの、瞳には何も映しては居なかった。いや、その瞳に、ウエスターが知る彼を感じさせるものは、何も無かった。
(もうあいつらは……俺の知っているあいつらは、戻っては来ないのか!)
さっき戦った時に感じた彼らしささえも、その表情からも佇まいからも、何も感じられなかった。それどころか、人間らしさそのものが消えていた。
そこに居るのは、ただメビウスの命じるままに動く、傀儡のような――。
(いや……俺もそうだった。かつては今のあいつらと同じ、空っぽだった。そして、それに気付いてすらいなかったのだ)
震える腕がゆっくりと上がり、自らの厚い胸板を掴む。掌に感じる胸の鼓動。それを確かめるように、ウエスターはじっと目を閉じる。
(そう……今の俺は、空っぽじゃない。沢山の仲間が、この胸の中に居る。あいつらの本当の姿だって、ちゃんとここに居る。だったら――感じろ! この状況を。考えろ! 俺に何が出来るのかを。それは俺が一番よく知っているはずだ!)
頭を使うのは、自分ではなくサウラーの仕事だと思っていた。自分の仕事はただ前線に立って、誰よりも強い力で戦うことだと。だが、果たしてそれでいいのかと初めて思った。自分で考え、自分で選び、自分で確かめる――ならば自分の頭で考えなければ、自分の答えは見つからない。
胸に当てたウエスターの太い指に、ぐっと力が入る。
大切な仲間たちを、再び支配下に置いたメビウス。そのかつての主は、今はまだ昔のような“形”を――巨大コンピュータとしての形を持ってはいない。どういう理屈かは分からないが、あの“不幸のゲージ”がメビウスの身体の役割となって、再び蘇ったらしい。
ならばすぐにでも、あのゲージを蹴破って粉々に壊してやればいい。そうすれば、この国の人々を――あいつらを空っぽにした元凶を、すぐにでも無きものに出来る。
だが、そんなことをしたらどうなるか。
――とうとうゲージを破壊したな? これでお前たちはお終いだ!
あの時――四つ葉町の占い館にあった“不幸のゲージ”が破壊された時の、ノーザの言葉が蘇った。あの町での任務に赴く時、クラインからもゲージの扱いについては特に厳重に注意されたものだ。
もしゲージから“不幸のエネルギー”が溢れ出したら――下手をすればラビリンス中の人たちが、不幸に飲まれて消えてしまうかもしれない。
(そんなことは絶対にさせない! 別の手だ……。考えろ。考えるんだ!)
自分でも気付かないうちに、グッと身体に力を入れていた。敵を前にした時と寸分たがわぬ恐ろしい形相で、ゲージを睨み付ける。と、ウエスターの目が僅かに見開かれた。
(あのゲージの液面……あんなところにあったか?)
メビウスが出現した時には、“不幸のエネルギー”は、ゲージの遥か上まで溜まっていたはず。それが今では、ゲージの半分くらいのところに液面がある。
何故“不幸のエネルギー”が減っているのか――それはこの国を支配するために、“不幸のエネルギー”が使われているからだろう、とウエスターにも見当がついた。
(だったら……俺たちがこれ以上の管理を阻止し続ければ、メビウスは不幸のエネルギーを使い尽すことになる!)
だが、果たしてメビウスが、ゲージのエネルギーを使い尽くしたりするだろうか。そんなことをしたら、メビウス自身が消えてしまうのではないか――。
(だが、もし“不幸のエネルギー”を本当に使い尽させることが出来れば、それで全ては終わる。あいつらも、この国の人々も、元に戻すことが出来る!)
ザッ、ザッ、と足音を響かせて行進していく人々の背中に目をやる。あの若者と同じ、空っぽの目をしているであろう人々の行列に。
もしこの作戦が上手く行って、人々が元の人々に――ウエスターの愛すべき仲間たちに、戻ってくれるとしたら。
(ええい、まどろっこしい! やっぱり考えるのは苦手だ!)
ウエスターがくるりと人々に背を向けて、もう一度メビウスと“不幸のゲージ”を鋭い目で睨み付ける。
(成功する確率は、限りなく低い。だがもし何もしなければ、このまま管理されてしまう確率は百パーセントだ。ならば……やらないという選択肢はない! いざとなったらどんな手を使ってでも、俺がゲージを空にしてみせる!)
その時、硬く握られた拳を、華奢な掌が掴んだ。せつなが厳しい顔つきでメビウスの様子を窺いながら、ウエスターに囁きかける。
「作戦を変える必要があるわね、ウエスター。もういくらコードを切断しても……」
「いや、まだだ」
予想外のきっぱりとした返答に、せつなが思わずその横顔を見上げる。ウエスターは、真っ直ぐに“不幸のゲージ”を睨みつけ、いつになく低い声で言葉を繋いだ。
「俺たちは、とにかくあのコードの化け物を、阻止し続ける!」
「でも、ここまで管理が進んでしまったら、もうそんなの意味が……」
「いや、意味はある!」
せつなの言葉を遮って、ウエスターが唸るような声を上げる。
「メビウスは、まだコードを放つのを止めてはいない。まだこのラビリンスの全てを管理出来てはいないのだ。ならば、まだ“不幸のゲージ”を空にして、全てを終わらせるチャンスはある。このラビリンスをもう一度管理しようとするヤツは全て、俺が引きちぎってやる!」
アイスブルーの瞳が、一瞬、燃え盛る炎の色に見えた気がした。ウエスターの全身から、闘気とも殺気ともつかぬ気が立ち昇り、せつなの手が思わず彼の拳から離れる。
「ウエスター……」
せつなの呟きを掻き消すように、次第に大きくなる群衆の声が、ラビリンスの灰色の空に響いた。
~終~
最終更新:2018年10月14日 21:01