幸せは、赤き瞳の中に ( 第14話:不幸なき明日――決意 )
一本、また一本。灰色のコードが、走るサウラーの遥か上を飛び去って行く。それはメビウスが放った大量のコードのうち、せつなとウエスターの手から逃れたほんの数本。だがそれらが突き刺さった建物は皆、瞬時にその色を失い、見る見るうちに変貌してしまう。
(データだけの存在であっても、やはりメビウスの力は強大というわけか)
刻一刻と変化していく街――皮肉なことに、ほんの少し前まで瓦礫だらけの廃墟だったとは思えないような、無機質だが整然とした街の通りを、サウラーは無表情で駆け続けていた。
(そんなメビウスが、また昔のように形を持ってしまったら……)
そうなる前に、何としても手を打たなければ。
ドクン、ドクンとやけに大きく響く心臓の音が、早く、早く、と言っているように聞こえる。それなのに、身体は一向に言うことを聞いてくれなかった。足がどうにも、思うように前に進まない。
――少し僕に時間をくれないか。試してみたいことがある。
そう言って、この世界を管理しようとするコードの処理をウエスターとせつなに任せ、ここまでやって来た。だが……。
サウラーが、駆け足から速足になり、やがては黒々とした地面を見つめながら、のろのろと歩き始める。
頭の中に渦巻いているのは、メビウスの復活を目の当たりにしたあの時から、ずっと考え続けている、この国を守るための策だった。
(今のメビウスは、実態を持たないデータだけの存在だ。そのデータはおそらく、“不幸のゲージ”の中にある“不幸のエネルギー”に溶かされた形で存在している)
ノーザのバックアップであったはずのあの植木が“不幸のゲージ”に飛び込んだことで、何故メビウスが復活したのか。その謎は、今のところ皆目分からないのだが。
(今ならまだ、“不幸のエネルギー”さえ始末出来れば、メビウスを倒すことが出来る。それは確かだ)
ラビリンスを管理するためのあのコードは、“不幸のエネルギー”を使って作られ、放たれている。メビウス自身が少女にそう語っていたし、ゲージの液面が少しずつ下がっているのもこの目で見た。
だが、それを最後まで黙って見ているメビウスではないだろう。不幸のエネルギーが残り少なくなれば、おそらく自分のデータを、どこか別の場所に移そうとするに違いない。
(だから……何としてもその前に手を打たなくては)
言葉で言うのは簡単だが、実行するのはとてつもなく難しい策――その実現のためにサウラーが目を付けたのは、メビウスの城の跡地にある、廃棄物処理空間。地下の一番奥にあったその場所は爆発が及んでおらず、その中には今も、集めたゴミを処理するためのデリートホールが、いつでも使える状態で存在している。
そのデリートホールに“不幸のゲージ”を取り込むことが出来れば――そのための具体的な策を思いついた時には、これでようやくラビリンスを救えると思った。だが。
――“不幸のゲージ”を破壊したものは、たちまち“不幸のエネルギー”に飲み込まれ、命を落とすのだ。
かつてキュアピーチたちに言った自分の言葉が耳に蘇った。四つ葉町での不幸集めの任務に就く際、クラインから厳重に言い渡された注意事項だ。それと共に、あの日、ゲージから溢れ出した不幸のエネルギーが、空をあっという間に闇に染め上げた光景が浮かんで来る。
いくら実体が無いとはいえ、あのメビウスが易々とデリートホールに飲み込まれるとは思えない。きっと抵抗するだろう。その最中に、ゲージが壊れるようなことがあったら……。
(いや、問題はそれだけじゃない)
あの最後の戦いの時、サウラー自身、ウエスターと一緒にデリートホールに吸い込まれた。その時までは、そこに吸い込まれたものは皆消去され、消滅してしまうものだと思っていた。しかし、シフォンに助けられたとは言え、サウラーもウエスターも、無事に外の世界に戻って来た。デリートホールに飲み込まれただけでは、消去されなかったのだ。
もしも“不幸のゲージ”も、デリートホールの中で消去されず、そこに存在し続けるとしたら。それだけではない。メビウスもまた、“不幸のゲージ”の中で、消滅せずデータのまま生き続けるのだとしたら。
(僕たちは……ラビリンスは、大きな不幸の種を抱えたまま、生きていくことになる)
地面を見つめたまま歩き続けるサウラーの顔に、次第に深い皺が刻まれる。と、その時。
突然、ゴゴゴ……と地面が大きく震え、前方に巨大な塔が、ゆっくりと姿を現した。
幸せは、赤き瞳の中に ( 第14話:不幸なき明日――決意 )
「聞け! 我が国民たちよ。私はここに蘇った。このラビリンスも再び正しい世界へと――悲しみも、争いも、不幸も無い世界へと蘇る。皆、我に従え。我が城に集い、我が新しき器を用意するのだ!」
かつて聞き慣れた、重々しい声。その姿は遥か後方にあるはずなのに、ほとんど真上から響いているように聞こえる。
ちらりと後方の空へ目をやると、思った通り、メビウスは灰色の空の中央にそびえる程の大きさになって、傲然と街を見下ろしていた。
(僕の思った通りだったね……いよいよ次の段階に移ろうというわけか)
無表情のままで視線を戻し、今度は前方に出現した塔に目をやる。そこで初めて、サウラーの表情が苦々しいものに変わった。
(しかし、僕らの庁舎を「我が城」とは、全く馬鹿にしている)
その塔があるのは、ラビリンスの新政府庁舎があった場所だった。いや、正確には庁舎そのものが、メビウスの力で塔の姿に変化したのだろう。
政府というものを知らなかったラビリンスの国民たちが、異世界の情報をかき集め、何度も協議と試行錯誤を重ねて、ようやく形にした場所だ。サウラーの資料室兼研究室も、その片隅にあった。
全てはメビウス様のために。全てはメビウス様のために。
全てはメビウス様のために。全てはメビウス様のために。
時を移さず、あちこちの建物からわらわらと人の群れが溢れ出す。そしてごく自然にかつてのように隊列を作り、整然と歩き始める。
その時、見慣れた人物が視界に入って、サウラーは目を見開いた。
ゆっくりと隊列の後ろに付いて、人々と同じ歩調で進み始めたのは、さっきまで心強い味方であった人物。持てる知識を使ってソレワターセとの戦いを援護してくれた、あの老人だった。
メビウスが復活するという通達を聞いて避難者たちが打ちひしがれる中、一人だけ淡々と、いつも通りの生活を続けていた彼。少女を傷付けられた怒りに駆られ、あろうことかあのノーザを脅迫するという、大胆なことまでもやってのけた彼。そんな彼も、メビウスの管理には抗えず、その他大勢の一人に戻ろうとしているのか――。
(やはり僕たちは、こんなにも弱い。だから……ぐずぐずしている場合では無い)
去っていく老人の背中を、睨むように見つめてから、サウラーは再び地面に視線を落として考え込む。
(やはり全ての元凶は、メビウスとその媒体である“不幸のゲージ”だ。それらを封じ込めたまま、二度と外に出て行かせないための抑えが、デリートホールの中にあれば……)
そこまで考えて、サウラーはハッと目を見開いた。
――何故“不幸のゲージ”をソレワターセにし、館を壊してまで外に出したと思う?
あの時のノーザの言葉が蘇る。
――ゲージから溢れ出した“不幸のエネルギー”を、世界中にばら撒くためよ!
(あの時、もしせつなが――キュアパッションが館の中でゲージを破壊していたら、どうなっていた……?)
もしそうなっていたら、不幸のエネルギーに飲まれるのは、あの場に居たパッションとノーザだけだったのかもしれない。あの時、館は次元の壁に隔たれた異次元にあったのだから。ならば、全てを飲み込むデリートホールの中でも、同じことが言えるのではないか。
(その役を、誰かが……)
そう考えた瞬間、ビクン、と心臓が大きく跳ねた。
人々の唱和は絶え間なく続いていたが、その声は、今のサウラーの耳には入っていなかった。
ようやく辿り着いた、と思った。おそらく、今の自分が持てる力と限られた時間の中で導き出せる、最良の策に。何しろ相手はあのメビウス。だから数々のリスクはあるものの、これならば成功確率はかなり高い。いや、慎重にリスクを排除すれば、極めて高いと言えるかもしれない。
(ならば一刻も早く、廃棄物処理空間へ……)
一歩足を踏み出しかけて、その身体がぐらりと揺らぐ。そのまま足の力が抜けて、その場にへなへなと座り込んでしまった。
(一体、どうしたんだ……)
まるで自分のものでは無いように遠く感じられる両手を、目の前にかざす。それはみっともない程に、わなわなと震えていた。
「バカな……。恐れているというのか?」
この僕が――そう口に出して言いかけて、フン、とサウラーは自嘲気味に、口の端を斜めに上げる。
「……そうだな。あの時も、僕はすっかり怯えていた」
――メビウス様! 何故ですかっ? お答えください、メビウス様!
赤黒く染まったあの空間で、ゴーゴーと鳴っていた風の音が聞こえた気がした。
ウエスターや二人のプリキュアと一緒に、デリートホールに飲み込まれそうになった、あの時。死の恐怖に取り乱し、半ばヤケになって必死でメビウスに呼びかけた、自分の姿を思い出す。今まで思い出したことの無かった――いや、敢えて忘れようとしていたあの惨めな姿が、はっきりと蘇る。
と、記憶の蓋が開いたかのように、その時もう一つの声が脳裏に蘇って来た。
――あなたたちは二人とも、優しい心を持っている。
――この国に――ラビリンスに必要な人たちだって、シフォンが言ってるのよ。
(そうだ……。だから僕は、この国で……)
両手の震えが、少しずつ収まって来る。もう一度口の端を上げたサウラーの表情は、さっきとは違う、穏やかなものだった。
(僕は一度、デリートホールで死んだ。新しいラビリンスに、必要な人材として生かされた。ならばこの命――今こそ使わせてもらおう!)
ぐっと拳を握って、静かに立ち上がる。そして力強く地面を蹴ると、人々の列を瞬く間に追い越した。
さっきまでとは比較にならないスピードで、駆け去るサウラー。その後ろ姿が、老人のぼんやりとした瞳に、小さく映った。
ほどなくして、メビウスの城の跡地に辿り着く。地下に降り、その一番奥へと歩を進めると、金属製の大きな円い扉がサウラーを出迎えた。
この扉の向こうにあるのは、廃棄物処理空間。サウラーとウエスターが、プリキュアとの最後の戦いに挑み、メビウスに消去されそうになった場所だ。
「久しぶりだ」
そう言いながら分厚い扉に手を当てたサウラーが、すぐに水色のダイヤを召喚する。そして彼には珍しく、それを大切そうに両手で掴むと、押し頂くように額に当て、目を閉じた。
微かに聞こえていた人々の声と足音の代わりに、少し前のラビリンスの街の雑踏が耳に蘇って来た。
四つ葉町で絶えず聞こえていたものよりは静かだけれど、少しずつ――ほんの少しずつ、人々の弾んだ声や、子供たちの笑い声が増えて来た街。最初はぎこちなかったが、少しずつ自然になり、次第にそこにあることが普通になって来た、人々の笑顔。
口に出して言ったことはないが、自分の好きな――ようやく好きだと思えるようになった、この場所。
(一緒に笑い合う時間は、もう少しあっても良かったかもしれないが……)
サウラーの顔に、小さな笑みが浮かぶ。いつもの人を小馬鹿にしたような笑いではない、幸せそうな笑みが。
(あの光景は、確かにこの国にあったもの。この国が……僕たちが持っていたもの。ならば――取り戻すだけだ!)
「ホホエミーナ、我に力を!」
高らかな声と共に、渾身の力でダイヤを投げる。
想いの籠った水色のダイヤは、分厚い扉に突き刺さり、突風が灰色の空に、高く高く巻き起こった。
~終~
最終更新:2018年10月14日 21:02