『ソラはヒーロー失格である(前編)』/猫塚◆GKWyxD2gYE
それは引力にも似た感情だった。
―― ソラ・ハレワタールと一緒にいたい。
虹ヶ丘ましろの心は、いつも無意識のうちに彼女に惹かれている。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ましろがチラリと向けた視線の先に、凛々しく澄んだソラの横顔。
彼女は、現在テレビで放送中のヒーロー映画『トップ・マッスル』へと、真剣なまなざしを注ぎ続けている。
いつもお世話している赤ちゃんのプリンセス・エルちゃんを、同居中の祖母であるヨヨに預かってもらったのは正解だった。ソラの心は完全に『トップ・マッスル』に奪われてしまって、とてもお世話どころではない。
リビングに設置された大きめのソファーに隣り合って座り、居候中の彼女と共にテレビ鑑賞を続ける。
―― が、ましろの関心は『トップ・マッスル』よりも、ソラのほうへ向いていた。
(……集中してるなぁ、ソラちゃん)
CMに入ると、こっちを向いて作品の感想をあれやこれやとしゃべりかけてくるものの、映画が再開された途端、講義を受ける学生みたいに姿勢を正してテレビへと向き直る。
ましろはそんなソラが微笑ましくて、ついつい彼女の横顔を眺めてしまう。
ちょうど映画はクライマックスに差し掛かろうとしていた。
時空侵略団の総督が駆使する多重能力 ―― 重力操作、連鎖爆裂、電磁砲撃、精神汚染、物質生成などを組み合わせた広範囲飽和攻撃を前に、地球のヒーローチームが次々と倒れていく。主力である半神や最高位の魔術師、最強のサイコキネシスの使い手も例外ではない。
だが、ヒーローチームを束ねるトップ・マッスル ―― 筋トレでひたすら体を鍛えあげたマッチョ体型のリーダーだけは、何度攻撃を食らおうとも立ち続けていた。
「なぜ倒れぬ?」と問う総督に対し、トップ・マッスルが答える。
「幼い頃、ひどく体の弱かった私は、それでもいつかヒーローとして世界を救う自分を夢見て筋トレを始めた。
……くじけそうになるたび励ましてくれた母、
なぞのスタミナ料理で応援してくれた祖父、
誕生日に、手作りのトレーニング機器をプレゼントしてくれた幼なじみ、
効果的な筋トレについて夜遅くまで調べ上げ、それを教えてくれた悪友、
いつも筋トレに付き合ってくれた曾祖父……、
たくさんの人が、私の筋トレを……ヒーローになるという夢を支えてくれた。
私にとって筋トレとは、皆とチカラを合わせて作り上げていく未来への希望 ―― 、
貴様がどれほど強大でも、この希望で築かれた筋肉を砕くことなど出来ないッッ!!」
うん、とテレビの前でましろがうなずいた。
―― 体が無事なのはその理屈で通るとして、被ったマスクやピッチピチのヒーロースーツまでも無傷なのはどうしてなのかな? えっと素材? 素材の問題?
心の中で首をひねっていたら、視界の端に、ソラの頬を伝う涙の線が見えた。
「……………………」
あえて何も言わない。
ましろは彼女の手の甲に、スッと手のひらを重ねた。言葉ではなく、ぬくもりで伝える。
ソラもまた、その手の甲に手のひらを重ねてくる。
……彼女の両手の体温に手を挟まれたまま、映画鑑賞を続ける。
おうちデートしてるみたいで楽しい、と思いながら。
不屈のトップ・マッスルに負けじと他のヒーローたちも次々と立ち上がり、総督との激烈な決戦を制して、映画はいよいよエンディングを迎えようとしていた。
ヒーロー活動に専念するために、これからも幼なじみへの気持ちを胸に秘め続けていこうとするトップ・マッスルを、仲間である半神が粗野に怒鳴りつける。
「自分の大事な想いを押し殺したまま生きる奴なんざヒーロー失格だッ!
この先もヒーロー続けていく気なら、覚悟をきめて、ちゃんと伝えてこいッ!」 ―― と。
テレビから聞こえてきたセリフに、まるで自分が頬を張られたような衝撃を受けたソラ。ハッとした顔になって無意識につぶやく。
「大事な想いを…伝える……」
ふと気になって、ましろがチラリと隣へ視線を向けた。
真剣なまなざしをテレビに固定したまま、何かを深く考え込んでいるみたいなソラの表情。
しばらくすると、彼女の顔が突然ましろのほうへと向いた。
「ましろさん、……わたしの想い、伝えてもいいですか?」
入浴後ということもあって、いつもは頭の右側でサイドテールにまとめられている長い髪も、今はおろされている。そのせいか、普段と雰囲気が違う。
それに合わせて、きりっと整った容貌 ―― 年相応の幼さを残しつつも、気高い生き方に磨かれてきた面立ちに、ましろが思わずたじろいでしまう。
「は…、はい」と、かろうじて返事をした彼女の胸が、予期せぬ早鐘を打ち始めた。
―― あれ? これって……どういうコト?
いったん視線をソラから外してテレビへ向き直る。
テレビの画面では、トップ・マッスル ―― 美しい筋肉の鎧をまとった女性ヒーローが、幼なじみのたおやかな肢体を抱きしめて、熱いキスを交わしていた。
ましろ、顔が真っ赤になる。……と同時に、心臓の高鳴りが大きくなった。
「ましろさん」
と、もう一度名前を呼ばれた。
心臓はバクバクしてるのに、「はい」と答える自分の声は妙に落ち着いていた。
もしかすると、ソラとだったら ―― と覚悟をきめてしまったのかもしれない。
彼女の顔を見つめなおして、言葉の続きを待つ。
軽く深呼吸をしたソラが、ましろとまっすぐに視線を重ねて口を開いた。
「どうかわたしと一緒に、ムキムキマッチョになってくださいっ!」
「…………んんっ!?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ぜーはー……ぜーはー……と、ましろは肺が疲労で枯れてしまったような呼吸を繰り返す。
一夜明けて休日。早朝からソラと一緒にランニング。ただし、彼女のハイペースな走りに物理的に牽引されるカタチで。
二人の胴と胴を繋ぐ2メートル弱のロープは、折り返し地点に着くまで常にピンと張った状態だった。
ふらふらになった両脚をなんとか動かして、ようやく止まってくれたソラの背中へと追いつき、ぐったりと張り付くみたいに上半身をもたれかけさせた。体力が完全にゼロだ。
そのがんばりを労(ねぎら)うように、ソラが背後に声をかけた。
「お疲れさまです、ましろさん」
彼女の熱くなった背中に頬をくっつけたまま、ましろが答える。
「ねえ、ソラちゃん……、前に『わたしは今のわたしでいい』って言ってくれたよね」
「はい、反省してます。わたしの至らなさのせいで、ましろさんがムッキムキになる未来が危うく消えてしまうところでしたね」
「いやいや、そんな未来、わたし全然気にしてないから! 消えてもソラちゃん責めないから!」
「…………優しいんですね、ましろさん」
ともだちに気遣いさせてしまった自分が情けない ―― と勝手に勘違いしたソラが、きりっと表情を引き締めて天を見上げた。そして誓う。
「ましろさんの筋肉がマッチョを極めるまで、わたしはもう止まりませんッッ!」
この勢いだと、今からハードな筋トレ祭りが始まりかねない。ましろがあわてて話題を変える。
「そういえば今日、エルちゃんのために絵本買いに行くって約束だったよね。覚えてる?」
「あ、そうでしたね」
「うんうんっ、そうだったよ! じゃあ、朝ごはん食べて、おでかけの準備しよっか!」
「はいっ。では、ましろさんも回復したみたいですし、早く家まで戻りましょう!」
―― あっ。
ましろの顔が引きつる。ここがまだ折り返し地点だということを失念していた。
何かをいう間もなく、二人の体を繋ぐロープが再びピンと張った。
「さあっ、飛ばしますよ!」
「ひいいーーっ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「えるっ!」
幼い声に注意されて、ハッと我に返る。
たすき状に肩掛けされたベビースリングに収まってソラに抱っこされているエルちゃんが、緑をたたえた湖水のような瞳でましろを見上げていた。
一瞬だけ目をつむったつもりが、立ったまま寝落ちするところだったようだ。
「どうしたんですか、ましろさん。……もしかして疲れてます?」
「だいじょうぶダヨ~」
と、むりやり笑顔を作って答えるましろ。いまだ体力は消耗しきっている。正直、ベッドで横になりたい。
ソラシド市の中心部近く ―― 目の前の商業ビルが、ましろたちの目的地だった。ゴールは、ここの6階に入店してある大型書店。そこまでがんばろうと、己に言い聞かせる。
……エントランスホールを通り過ぎ、エスカレーターのある場所を通り過ぎ、
「んっ?」
首をかしげて足を止める。
ソラが片手でしっかりとエルちゃんを抱っこしつつ、もう一方の手を伸ばして、笑顔でましろの手を握ってきた。
「ましろさん、なんでもフレイル予防の一環として、今日は特別に非常階段を開放してるとのコトです。せっかくですから、わたしたちも使わせていただきましょう」
「えるーっ!」
「ふふっ、エルちゃんもやる気満々ですね。わたしたちも行きますよ!」
「え…、うそ、本屋さんって6階だよ? 本気で階段で行くのっ!?」
問うだけ無駄な気がしたが、それでも口にせずにはいられなかった。
さも当然のように、ソラがましろの手を引いて非常階段を上り始める。
(ひいいいーっ……)
ふくらはぎに鉛でも詰まってるのかと思うぐらい、両足が重い。すぐにでもへたり込みたいという気持ちに駆られながらも、階段を一歩一歩上がっていく。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一体自分が階段を何段上がったのか、まったく記憶がない。
書店の入り口の傍で、がくがくしてる両ひざを両手で押さえてブッ倒れそうになっている。そんなましろへ、ソラが溌剌とした笑顔を向けて、右手の親指をビッと立ててみせた。
「ましろさん、ナイスマッスル!」
「ま…、まっするぅ~…」
まだ顔を上げる気力も回復していないましろが、ゾンビみたいな動きで右手を持ち上げ、同じように親指を立てる。
(……これじゃあ、わたしがフレイルだよ。お婆ちゃんになった気分だよ)
心の中で愚痴りながらも、しばらくしてヨロヨロと歩ける程度には回復したましろが、
「お…お待たせ、エルちゃん。じゃ、行こっか」
と、ベビースリングに収まったエルちゃんに微笑を向けた。
しかし、エルちゃんは、ましろをジッと見上げたまま何も言わない。
ソラも、ベビースリングごとエルちゃんを抱っこしてなければ肩ぐらい貸してくれただろう。そういう顔でこっちを見ている。
気付いたましろは、右手の親指を立て、「うん、マッスル!」と、さっきよりも元気な笑顔を作ってみせた。せっかくのおでかけ。最後まで楽しい雰囲気で過ごしたい。
最終更新:2023年06月06日 23:04