「ただいま――あれ」
家に帰ると母親はいなかった。キッチンのテーブルの上にメモが置いてある。買い物で何か忘れたらしい。17 時までには戻る、とある。あゆみはメモをテーブルに戻すと、自分の部屋に向かった。
「!」
ドアを閉め、鞄を机の上に置くと同時にあゆみは息をのんだ。
ベッドの上に、さっきの黒い塊があったのだ。
「なに?!」
《キュアエコーだな》
「え…?」
《とぼけるなよ。
お前がキュアエコーだってことはわかってる》
「あなたは…?」
《俺…?》
それは困惑していた。かすかに首をかしげる。普通なら可愛いと思える動作だったが、今はそんなことを感じる余裕はどこにもない。
影は、考え込んだようだった。自分が何か、などと考えたことがない。そう問われるのも初めてだ。
《俺か…》
そう言えば、大きい影が何か言っていたような気がする。「おい、おまえ」だったか。
《俺は、オマエだ》
「え?」
《オマエというらしい》
「オマエ…くん?」
《そうだ》
沈黙。
《なんで、パーティに来なかったんだよ》
「パーティ?」
《プリキュアのパーティをやるから来い、って招待状が行っただろう?》
あゆみは、突然、何を言い出すのだ、と思った。ひょっとしたらこれはキャンディの仲間の妖精なのだろうか。それにしては不気味な雰囲気があるが、中には真っ黒な妖精もいるのかもしれない。
「来てないよ」
《嘘つけ》
「本当よ。私はそんな招待状、受け取ってない」
《マジかよ。
どっかで誤配してんのか。どうりで軌跡が途中でなくなってるわけだ。ったく、なってねぇなぁ》
口も悪いようだ。本当にキャンディの仲間なのだろうか。
《まぁ、いいや。もうその必要もねぇし》
「どういうこと?」
《なんだ、来たいのか》
「もし、みんなに会えるんだったら、行きたい」
《微妙だねぇ》
「え?」
オマエは短い手で頭をかいた。
《スマイルパクト、持ってるか?》
「持ってないわ」
《…。
やっぱりか。
じゃ、お前、どうやってプリキュアに変身するんだ》
「どうって…」
一年前、「フーちゃん」であったフュージョンを止めようとしたときは、思いを伝えたい、と強く思った。おそらくミラクルライトの光がそれを感知して力を貸してくれたのだろう。それ以上の説明は誰にもできなかったから、そうなのだろうな、という程度の理解しかしていない。改めて説明するのも難しい。
《わかんねぇのか。
たち悪いなぁ》
「どういうこと?」
オマエはあゆみの抗議を無視した。つまり、キュアエコーは変身するかどうかを自分で制御できない、ということだ。自分に迫った危険の度合いや感情の高ぶりなどの要素が複合的に作用するのに違いない。
《ってことは、あれを見た途端に変身しちまうって可能性もあるわけだ。
やべぇなぁ》
「ちょっと、なに一人でブツブツ言ってるのよ」
《キュアエコーさんをパーティにお招きすることはできない、ってことだ》
「え――あっ!」
オマエは大きく口をあけた。そこから暗い紫の光が伸びてくる。あゆみが慌ててかざした袖口のボタンが色を変えた。
「オマエくんは妖精じゃないのね?!」
水晶のような塊がボタンを覆ってしまっている。あゆみは腕を振ったが、外れなかった。
《あんなものと一緒にするなよ》
「そんな言い方しないで!」
《うるせぇなぁ。
黙って水晶になっちまえよ》
「やめて!」
あゆみは、左手で体をかばいながら、手近のものをオマエに投げつけた。鞄、机の上の本、辞書。
《うわ、おい、やめろ、いてっ》
狙いは定まらない。椅子の上のクッションが壁に当たり、ハンガーにかかっていたジャケットがオマエの上にかぶさった。
《あぁっ!》
それまでとは違う声が響いた。
《く、苦しい。これ、なんだ。このパワーは。やめろ、やめてくれぇっ!》
あゆみはそろそろと顔を上げた。お気に入りの青いジャケットがオマエの上で揺れている。簡単に引きはがせそうなものだが、オマエはどうやら苦しんでいるらしかった。チャンスだ。
その上から抑え込む。あゆみはジャケットでオマエを包み、抱えてしまった。
《やめろ! 苦しい!》
暴れる力も弱い。あゆみはジャケットの袖を引っ張って結んでしまった。
《助けてくれ!》
「助けてほしかったら、私の質問に答えて」
《わかった。わかったから!》
あゆみはジャケットの中に手を突っ込み、オマエの顔だけを外に出してやった。オマエは、ゼェゼェと苦しそうに息をしていた。
「プリキュアのパーティって何? 私を招待できない、ってどういうこと?」
《…》
答えない。あゆみはオマエをジャケットの中に押し込んだ。
《わかった。言う! 言う!》
戻してやると、オマエは深呼吸をした。
「話して」
《つまり、プリキュアを一か所に集めて》
「集めて?」
《変身アイテムを奪って、妖精たちを閉じ込めた》
「そんなひどいこと!
何のために!」
《俺がプリキュアより強いってことを証明するためだ》
「プリキュアより強い…。
一体、何のために」
《俺の方が強いってことを》
「だから、何のために?!
そんなことをして何の意味があるの?!」
《意味…とか言われても…》
情けなさそうな顔をするオマエ。あゆみのジャケットに拘束されたまま目を伏せる。
「…」
その表情は、知らない表情ではなかった。
一年前の自分と同じ。
誰かに認められたい、誰かに見てほしい、でも、やり方がわからない。
あゆみは、一人になることを選びかけたのだが、オマエはそうではなかった。みんなが振りむかざるを得ない状況を作ろうとした。
「周りのみんなはどうなったの?」
《…》
「オマエくんのことを認めた?」
《俺は途中でこっちに来ちゃったから》
「妖精学校がどうなったかはわからないのね」
《…》
「どうしたの?」
《壊れてるかもしれない》
「…。
どういうこと」
《邪魔だから。
みんな、いなくなってしまえば、せいせいするかもしれないから》
「!」
同じだ。
何もかもなくなってしまえばいい、と思った一年前の自分と同じ。
「あたしも、そう思った」
《え?》
「あたしも、同じように思ったことがあるよ」
《じゃぁ、わかるだろ》
「うん。
せいせいなんかしないってこと、知ってる」
《え…》
「すごく苦しくて、悲しいよ。
胸が痛くなるよ。
とっても」
《キュアエコー…》
あゆみはオマエの隣に座った。
「ねぇ、オマエくんは、みんなに認めてほしかったんでしょ? 自分が強いってこと」
《うん…》
「もし学校がなくなったら、みんなはそこに集まることはなくなるよね」
《…》
「オマエくんを認めてくれる人はいなくなっちゃうよね」
《!》
「ね」
オマエは急に泣き声を上げた。
《そんな…。
俺、どうなるの?
一人ぼっちになっちゃうの?》
「そうかもしれない」
《違う。違うよ。
そんなつもりじゃ》
「いいことしても誰も褒めてくれない。自慢する相手もいない。
悪いことをしても叱ってくれない。知らないことを教えてくれたりしない。
誰も笑いかけてくれない。誰も話しかけてくれない――」
《嫌だ!
俺、一人ぼっちは嫌だ!
そんなの絶対に嫌だ!》
「うん。
嫌だよね」
あゆみはジャケットの結び目をほどいた。
《…。
いいのか?》
「だって、妖精学校に戻って、プリキュアを助けて欲しいから」
あゆみは笑ったが、オマエはまた目を伏せた。
《でも、あの水晶は》
「水晶?
あ、これのこと?」
袖のボタンはまだ固まっている。あゆみは指でそれをはがそうとしたが、はがれなかった。爪を立てても欠けもしない。
「固い…」
《それは、プリキュアの光でないと壊せない》
「え?」
《プリキュアは全員、水晶で固められちゃったから》
「ちょっと待って」
この水晶を壊すにはプリキュアの光が必要。そして、プリキュアは全員、この水晶で固められてしまっている。それはつまり、プリキュアを助け出すことは不可能、ということではないか。
「そんな!」
《ごめんなさい!》
あゆみは自分の手が震えているのを感じた。それを抑えようとして握りしめる。
一人だけいる。水晶で固められていないプリキュアが。
だが、自分はプリキュアになれるのか、今でもキュアエコーなのだろうか。変身できた理由もわかっていないのに、もう一度、変身できる、ということがあるのだろうか。
だが、一つだけ、わかる。
みんなを助けたい。その強さは、フーちゃんに会って自分の気持ちを伝えたい、と思ったときと同じだ。つまり、条件の一つはクリアされている。
(それに、私がプリキュアじゃないとしても)
みゆきたちは、大事な
ともだち。その大事なともだちがピンチだというのに、何もしない、ということがあるだろうか。ない。一年前の、何もかも人のせいにして、誰かが手を差し伸べてくれるのを待っていた自分ならいざ知らず、今のあゆみには、それはありえないことだった。
「私を連れて行って」
《え?》
「私をみんなのところに連れて行って」
《でも、変身する方法を知らないんじゃ》
「大丈夫」
《でも!》
「このまま、学校のみんなと会えなくなってもいいの?」
《それは…》
「一緒にがんばろう。
ともだちを助けるために」
《…》
「ね」
《うん》